Kagewari 精神分析相談事務所  HP  BLOG  OTD過去ログ 過去ログ(分類別)  有料メール相談 

「掲示板での相談、閲覧・有料メールカウンセリング」の過程では、自我の防衛反応による混乱(興奮)が現れます。精神分析的アプローチによる「自我構造(こころ)の揺れ」です。その点に同意の上入室してください。

■運営趣旨『ログ閲覧の公共性』から”編集目的以外の記事削除”は原則禁止(レスのついた親記事(スレッド)は削除できない仕様です)
■2012年7月をもって「掲示板上での新規相談受付を停止します」これに合わせて有料相談に「簡易相談」コースを設置
■投稿機能は(停止措置時を除き)制限しておりませんので「簡単な質問等は今後も利用可能」です(管理人投稿【79】参照)
■当サイト運営趣旨に反する連続投稿等がある場合心理学的判断から一定期間投稿機能が停止されます(管理人投稿【123】参照)
”現在投稿規制中”
■【参考】過去ログ/ブログテキストなど体系的に閲覧したい場合「民間有志作成のミラーサイト」もあります


  新規投稿 ┃Tree ┃Thread ┃一覧表示 ┃トピック表示 ┃番号順表示 ┃検索 ┃留意事項 ┃設定 ┃HP ┃BLOG ┃民間ミラーサイト  

20 / 24 ツリー    ←次へ | 前へ→

【8】会食恐怖のこと maccha 2010/03/17 13:04
【9】Re:会食恐怖のこと kagewariこの掲示板の管理人です 2010/03/17 16:57
【10】Re:会食恐怖のこと maccha 2010/03/18 08:11
【11】Re:会食恐怖のこと kagewariこの掲示板の管理人です 2010/03/18 18:17
【12】Re:会食恐怖のこと maccha 2010/03/19 07:49
【13】Re:会食恐怖のこと kagewariこの掲示板の管理人です 2010/03/19 15:46
【42】Re:会食恐怖のこと maccha 2010/10/08 16:16

【8】会食恐怖のこと  maccha  - 2010/03/17 13:04 -

プロフィールを拝見しまして、大学の時に会食恐怖があったとのことでしたが、どのようにされたのでしょうか。
精神分析を独自でされたのでしょうか。

引用なし

パスワード




【9】Re:会食恐怖のこと  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2010/03/17 16:57 -

概ねプロフィールに書いたとおりです。
(それ以上でもそれ以下でも無い範囲で全て書いてありますよ)

要約すれば元々私には偶然強い第三者性と単独者志向があり(両者は分析者の特性)、心理学を知る前から「違和感」は感じていました。
(心理学を知る前から”共同幻想”は体験的に見えてましたから)
言うならば上記の素養が強迫心理における”無意識的視野外”というか(自分で違和感は感じていましたから視野狭窄とはいえない)、強迫意識が構造化できなかったワケです(偶然その耐性が強かったといってもいいでしょう)。
アレルギー反応じゃ無いですが、自我の容量というか自意識共犯的「尻拭い」の動きも『リアルに視野に入ってました』。

人格の特性に相反する要素が強引に共存していて(仮に強迫構造が構造化すれば”臨床系”あたりに言わせれば統合ナントカになる確率が高かったのでしょう)、自意識は典型的な”アンチ強迫”・無意識は”高ロジカル強迫”のような状態で(強迫が高ロジカルなのは発現年次が遅い証明)、厳密に言えば強迫心理は形成されず、『強烈な葛藤が(正面対決の形で)永遠に継続する』ような状態だったワケです。
強迫心理は(視野狭窄が機能せず)、自分自身の自我に「その存在がバレていた」わけで(自我構造上自意識に勝ち目は無いのですが)、結果論的には『敗退し続ける自意識』という形ですね。

ですから当時は勝ち身に入るため、非常に強い理論武装欲求があり、その強い欲求が『本』『映画』『音楽』等々(銃器への関心は強迫発現以前からのものなので反動形成ではありませんが結果論的に後に強い欲求に嵩じた背景ではあるでしょう:但し強迫意識との連想キーやフラグは無いので専ら関心事項としては競技っぽく没頭していたのが実情です)、学問で言えば哲学・生物学・文化人類系の話のほとんどをこの時代に吸収しています。
(中学から大学まで)

しかしどうにも(何の本を読んでも)勝ち身に入れないワケです、
(ここは心理学的にどうしたって勝てない:無意識は自意識にとって正体不明のため)
※当時から心理学の存在は知ってましたが「うかつにも」軽んじていたんです。卑下していたと言ってもいいでしょう。
 ↓
その理由は強迫意識の影響による『誇大視からくる劇場化(過剰武装)』があったのは間違いありません。
所謂哲学なり「過剰なぐらい情緒的というか(反動としてのニヒリズム含めて)」、簡単に言えば”大風呂敷”ですね(神は死んだ的な)、そういう代物じゃないと闘争の役に立たないと勘違いしていたんですよ。
 ↑
その体感上の『強迫意識のスケール計測ミス』が致命傷だった。
(それが「相手が見えないので自意識には太刀打ちできない」所以です)
私の場合(偶然自我の特性で)「存在を認識できても実態がわからない」状況だったワケです。

しかし、その代わりに(見えない期間の代償として)三角測量じゃありませんが様々な理論武装の結果『外堀は埋まった』状態まで追い込んでいました。
(推理小説にたとえれば「最後の主犯と犯行動機だけがわからない」状態)
自分の自我に起きていた「妙な現象」における周辺的(間接証拠的)プルーフ(証明)は「何度も何度も嫌ってほど繰り返して固まっていた」と言ってもいいでしょう。

心理学への拒否感は”偶然の友人との関係”により(生き証人というか驚くほど二人の人格が”同じ”であることと誕生日が同じという偶然が”蓋然性を誇張した”結果サイドストーリーとして心理学に過剰な劇場性を付加してしまった)、
正直な話「彼のおかげで心理学に取り組むキッカケをもらった」んです。

ですから心理学の本を読んだ瞬間ガタガタと強迫意識が崩壊する音が聞こえたように錯覚するほどの衝撃ありました。
(外堀が埋まっていたので”覚醒”級のショックがあった)
「お前か」のように”理解した”んです。
読むのと自己分析が同時進行するような形ですね。
(それまでの理論武装の方向性も”数撃ちゃ当たるでいい線いってた”のもそれを加速したと言えるかもしれません)

本来自己分析は臨床系含めて「危険なので厳禁」とされているんですが(私は必ずしもそれほど強く危険性を感じませんが危険なのは事実です:繰り返しますが確かに自己分析には危険性あります)、
特に私は「読み違える(強迫意識の方が都合よく自意識共犯的ステレオタイプ武装する事もあります)」余地が無かったので(外堀埋め)、衝撃は衝撃でしたが(新聞記者が”特ダネ”を掴んだ瞬間のような感覚)、それまで意味のわからなかった文学やら哲学やらの意味が「一斉に全部わかった」等、勢い心理学の”重さ”を証明させる背景があった事も大きかったのでしょう。
自我防衛的な『抵抗』が起きる余地も無いほどの”大返し”だったワケです。
(『抵抗』の存在自体葛藤や闘争時に既に体験していたので動き方を知っていたとも言えますが)

(文学に関しては文学部的情緒性への解釈って意味ではありませんよ:作家がどういう心理でそれを書くに至ったのかって心理学特有のネタバレ的なところが理解できたワケです)
その場で勝ちどきを挙げるって事ではなく、強迫意識を破壊する『最終兵器』を手にした確信でしょうか。

そりゃ自意識マターが確立し、強迫心理の介入なり抑圧は相対ほとんど無力化されたにしろ「それなりの長期間強迫意識に拘束されていましたから(12才前後から20歳前後まで)」慣習的に”折り込まれた”ロジックは多数あって、その場で論駁できても身体的反射は一日で消える事はありませんから、会食時にはほんの一口が限界だとか集団に対する恐怖→満員電車への恐怖等々(恐怖というか吐きそうになる)、そうですね〜軽い不快感はその後6年ぐらい続いたでしょうか。
(しかしその辺の不快は全て視野に入って認識していましたから自分としては不快があっても、現象として”走るのが苦手なので息が上がる”のと違いはありませんでした:心因性特有の気まずい感じは若干ありましたが)
 ↑
この辺はリハビリ過程のようなものなので実態として心因性の不快は発生しても心理構造的な問題(希求性というか追い込まれる感じ)は全く無いって事です。
「まいったな〜、まだ満員電車だけはご勘弁だ」程度のレベルです。

注)心因性の不快のかなりの部分は強迫心理特有の「過剰な社会適応意識」が関与するので、結果論として自ら進んで不快な状況に陥るケースも頻繁なので(いわば自爆)、そっちの見当違いはケースとして”動機形成されないので”落っこちますから(馬鹿か自分のように)、実際の不快事例件数も大幅に後退します。
(元々の人格が社会適応的だったりするとここはやっかいなのですが、私の場合は元が単独者系でしたので同様場面の減少幅も大きかったと言えます)

強迫心理との闘争は『最終兵器を手にした実感』で既に終わっているんですよ(実際に戦いがあるように感じるのは”常に自意識が負けるから”抑圧なり負けて自意識共犯となる感覚や経験や追体験が闘争と認識されるだけ:私の場合には視野に入り自意識がアンチ強迫モデルなので闘争になりますが、一般的な強迫意識の場合には”過剰な興奮”となるケースが比較多数でしょう)、

強迫心理は構造論的に自意識に対して『特権的関与』ができるから相対的に強いだけであって、反対に『特権的な力』が相対的に及ばなければ(最終兵器)「何もできない」からです。
(強迫心理形成過程で”権威性”との関連は不可分であるため)

※前段の以降6年残存期間というのはどうにもこうにも超自我領域(社会適応や道徳野やステレオタイプ常識判例)に、当時のロジックが残留しているためで(後は体が”しゃっくり”のような反射で引き起こしてしまう)、
特に意識することなく経験値により消えていきます。
(何があってもその都度自分の強迫的認知を容易に論駁できる:その場では起きてもそこで現象の説明が同時に可能なので尾を引かない:体験としての対消滅みたいなものです)

引用なし

パスワード




【10】Re:会食恐怖のこと  maccha  - 2010/03/18 08:11 -

返信ありがとうございました。
私も仕事に支障をきたすほど苦手なのでどう克服すればいいのか知りたかったのです。なぜ、こうなるのかはわかりません。
超自我が強すぎるため、抑圧が多く、自我が弱いと自己分析しています。
幼少の頃は、母親が大好きでした。
性格は、気が小さく、大人しく、緊張しやすいです

引用なし

パスワード




【11】Re:会食恐怖のこと  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2010/03/18 18:17 -

公開掲示板上でお話できる範囲で説明しますと
会食恐怖は二段階で考えなければならなくて、
単独行動捕食獣のそれにあるように、基本生物は食事中緊張します。
好き好んで他の固体がいる場面で食事しようという生き物はいません。
集団で食事が出来る前提は(捕食獣でも幼児期は集団で食事を取る)「その場の安全確認」が大前提になります。
草食獣で考えれば集団安全保障的な意味で群れが食事の前提にもなりますが、ここも「その場の安全確認」が強く担保され認識もされるためです。

人間の場合、ここでも幼児期からの体験と経験的連続性(或いは社会性)がそれを保証するため(本来は好き好んで会食などしたくなくても)不快感が無力化される工程が織り込まれる(モジュール的に)と考えていいでしょう。
■つまり
素で「会食自体がそれほど好きではない」程度の認識は全く問題ではない。
会食における可不可の差異があって自然
 ↓
「○○が○○なので飯が不味くなるじゃねーか」
(これ一般的表現にありますよね)

会食恐怖と体感されるっていうのは、基本的水準として『緊張(警戒)レベルが高い』ため忌避がトリガーで心因性の不快に増幅しているとなります。
(不安水準みたいに解釈してもいいでしょう)
となると、ここには心理学的意味での結果論的自己中心性(自己中心の視野が限界でそれで手一杯である)なり更に進んで内向性なりが発現しているとなります。
基本的に先進国として安全が担保されている市民社会が「安全圏」として認知されていないって事です。
 ↑
ここには複数のルートで可能性あります
・過剰な社会適応意識があり「相対的に自分がスキルとして適応水準に達していないのじゃないか?」のような不安が増大している。
(そもそも社会適応しなくちゃいけない法など無いので本筋は「社会適応そのものがどうだっていいこと」なので、そこがどうだっていいじゃなくて”○○じゃなくてはいけない”になってないか確認)
この場合、家庭法人社会において意味不明な社会性の欠如が体験としてあった場合、子供特有の強迫心理として「自分のスキルに問題があるのではないか」と考えてしまい(実は親の家族法人社会の企画に問題があるのに)、誰が考えてもわかる話ですが、家父長でも無い子供に家族法人の社会性を主体的に運営する事などできませんから→自分からは(無意識に)永久に解決しない問題の原因を自分じゃないかと勘違いする事により派生する強迫心理が原因となります。
■「超自我が強すぎる」って体感はココでしょう
(超自我に強弱なんてありません:ここも最下段に説明ありますが明快に論理的説明のつく人格傾向です→「何か理由がある」って事です)

※例外的に子供個人の才能の関係で、かなり強引に子供の尽力でどうにかこうにか家族法人の社会性を立て直ししてしまって(過労依存とでもいましょうか)その度に高度のストレス(大活躍をデフォルトに織り込んでいる)が恒常化することによる強迫性も在り得ます。


お話伺うと、もうひとつのルートがあるでしょう。
(可能性はこっちがかなり濃厚ですね)
・母子関係の『過干渉』が原因で分離不安が発生している
これは、母親の不安心理(強迫的不安:家族法人となんら関係ない個人レベルで彼女自身の自我に心理的問題がある)が原因で、子供依存であるとか子供を母親の自我(内面)の一部として(他人である子供と自分の区別が付かず)自己(母親の幼児性人格部分)を実子に投影して、ぬいぐるみを手放せない幼児のような心理的事情が母親にあった場合(延べ時間とか具体的な過干渉頻度は関係ありませんあくまでも心理的な印象性が高ければ同じ意味です)、
母子関係は幼児にとって「かなり高い既得権益(快感)」になりますから、それに依存し続ける状態を『デフォルトじゃないか?』のように誤認してしまいます。
(強迫の置き所は「母性のようなものに守られない限り私は不安になる」というロジックが強迫的に構造化する)
極論すると自分が「子供のぬいぐるみ役」に貶められている事(実態としては虐待)を「美しい母子愛世界」であるかのように勘違い(誇大視)してしまうワケです。
こうなると、他人同士の関係を前提とする社会性は「それ自体が不安の対象」となり、『常に会食どころの騒ぎじゃない』となるのです。
■この濃密な母子世界の誇張されたイメージが「超自我が強すぎる」と体感される自我の枠組み(相対として”自分”である”自意識領域”が少ない)を設定していると見ることもできるでしょう。
(「濃密な母子世界の誇張されたイメージ」の成立条件に道徳や社会適応が関連して超自我を形成←注、そこには自立独立した自分個人の自由世界は無い)


立ち食い蕎麦の会食恐怖より会社同僚などとの知り合い同士の会食恐怖の方が強く出ます。
 ↓
ここはそのまま”連想性”です。
社会性認知の前提が家族法人時代を母体とするため、親しげな雰囲気があるなり親しげな雰囲気が演出されている状況になればなるほど「違和感(不安)も大きくなる」
 ↑
この二面性は「表面に出ていなかっただけで、母子関係の分離不安という状態は実は”自分が子供時代に所属した家族法人の中に既に会食恐怖が隠れていただけ”」って事なんですよ。
わかります?
特権になればなるほど、その地位は危うくなります。
過剰な母親の子供依存なんかがあると、(分離不安として)当時から潜在的な会食恐怖の可能性は織り込まれていたんですよ。
で、「分離をトリガーに発動」

この辺を見直してみることですね。
ポイントとしては
「不特定多数の人と飯食ってうまい筈は無い」
(高級レストランだって高い席になればなるほど個室になる)
会食や飲食の重要性は会話の方だったりしますから(食事はその”方便”)、会食行為そのものを「食べ物にはほとんど手を付けなくても何か飲めればいいか」程度のジャンルの行動と定義してしまう。
(後から考えたら「あの時は偶然うまかった」とかあっても困らないワケですからね)

「家族の肖像」を考える、
配役というか、家族ドラマにおけるシナリオ上の人物設定を”書き換える”。
(現在自分が想定する人物設定が「相当間違っているのじゃないか?」を出発点にしてみる)
あれこれとシミュレーションして、「あれ?こうかも」など演出家的視点でドラマの再現性や表現性を考えてみる。

「微妙に親しいとか知り合いと赤の他人」を考える
赤の他人の方が楽だったりします、
案外自己中心的に親しげな関係を過大評価して(たいして親しくも無いのに)自分で追体験のトリガーを引いちゃっている可能性もあります。
・屋外のcafeでひとりで何か食べながらリラックスして珈琲飲んでいる時、偶然「目の前歩く歩行者がいるだけでゲロ吐く奴はいない」。
「なんだ、考えてみれば顔見知りってぐらいで全然他人だし」という切り分けにもチェック必要でしょうね。

■重要なところですが心理学的に『正格』などというものは存在しません
(人格傾向として全てに論理的背景がある:六感の特性であるとか生理的傾向みたいな差異はまた別の話)
この点に関しては
「何故”気が小さい”などという傾向があるのか?」
「何故”おとなしい”などという傾向があるのか?」
「何故”緊張しやすい”のか?」
全てに堂々と即答できるように(薄笑いを浮かべつつよく通る声で答えられるようなレベルで)、まずあれこれ考えてみるって事ですね。
(※これ自分に詰問して追い込むとかと全然違いますからね→「何故そんな面白おかしな傾向あるんだろ」のように素で考えるって事です)


今現在の情報だと、公開掲示板でお説明できるところはプライバシーの関係もあるのでこの辺までですね〜
(細かいところは他相談スレッドの過去ログ読んでみて下さい)

引用なし

パスワード




【12】Re:会食恐怖のこと  maccha  - 2010/03/19 07:49 -

貴重なお時間を割いて頂いてありがとうございます
有料相談を検討したほうがいいのかもしれませんが、恥ずかしながらお金がありません。ワーキングプアなのです。今は新しい職場にいくので自分のことを考える時間があります。仕事がはじまるとあっぷあっぷします。
問題が会食恐怖でないこともわかっています。かなりの緊張しいなのです。

しんどいのですが、しんどいことで落ち着く面もあるようなのです。うまくいくことを拒んでいるような感じ、自分を守っているような感じです。歪んでいるのですが、その歪んだ考えを修正してあげればいいと思っています。

母親が大好きで幼少期は母親の言うことをきくことに一生懸命でした。
人と仲良くしたいと思うとしんどいのは、いうことを聞かなきゃと思うからみたいなのです。

引用なし

パスワード




【13】Re:会食恐怖のこと  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2010/03/19 15:46 -

>有料相談を検討したほうがいいのかもしれませんが、恥ずかしながらお金がありません。ワーキングプアなのです。

これも考え方ですよ。

自分固有の分析には”それだけに”強迫心理の反動も強くでます。
ですから有料の枠組みは「主体的に相談を行う意思確認」なんです、
当然私にとっても生活がありますから無料で永遠に続ける事は不可能ですから有料の枠組みは様々な意味で重要な関係性のひとつですが(依存性抑止や第三者性の担保など)、これも考え方ですよ。
この無料掲示板の開放の意味は『膨大な過去ログを閲覧できる』という事であり(メンタル特有の共通項を確認できる筈です)他人の相談スレッドは”相談者含めて完全な第三者”となるので、自分固有の分析レポートとは別の意味の枠組みを持ちます。

自己分析の危険性が示唆するリスクに『他人の相談スレッドを読む』行為は対極にありますから”かなり余裕をもって十分に内容を読むことができる”んです。
それもひとつの「外堀」です、
「お金がありません」も考えようで、
だから今できることがあるって事ですよ。

さて重要なポイントをひとつ
(課題だと思ってください「400字20枚のレポート課題」)
>母親が大好きで幼少期は母親の言うことをきくことに一生懸命でした。

『母親が大好きで』
この記憶は正確じゃないって事です。
分離不安状態における依存性を自意識共犯的に説明する時に疑いも無く(ステレオタイプに)選択されただけで、
誰しも思春期における反抗期(自立と個の確立)に『盲目的肯定』を逆転させます。
(何が言いたいかって反抗期を体験する人の”それ以前の権威者に対する好感”は嘘ではないって意味です)
幼児期における権威者に対する好感には「無条件・無意識」な要素が大半で(好感の発現を記憶していない→反抗期で幼児期特有のデフォルメや無意識的固着を相殺し→後にひとりの個人として「関係性が再選択される」)、
わかります?
だから「〜でなければならない」となったり、
>人と仲良くしたい=(母親の)いうことを聞かなきゃ(ならない)
『盲目的肯定』を無垢と勘違いするから
>母親の言うことをきくことに一生懸命
ちょっと想像してみてください?
「妙な新興宗教みたいだ」と思いませんか。
■ひとつでも戒律を犯せば地獄に落ちる不安
(それを大好きと表現するのは正確じゃないでしょう「取り込まれていた」に近い、「囲われていた」に近いかもしれません)

この構造が強迫構造ってものです。
>人と仲良くしたい=(母親の)いうことを聞かなきゃ(ならない)
>母親の言うことをきくことに一生懸命
 ↓
だから
「しんどいのです」「緊張しいなのです」

>うまくいくことを拒んでいるような感じ、自分を守っているような感じです。
デ・コードします。
 ↓
自立して自分の考えに従って行動することを拒んでいるんです。いえ拒まれているんです”母親に従わなければいけない”と思う自分に。
自分は大人として自由にしちゃいけないんだと、
「”母親に従わなければいけない”と思う自分を守っているんだと思います」


■(課題だと思ってください「400字20枚のレポート課題」)
>母親が大好きで幼少期は母親の言うことをきくことに一生懸命でした。
 ↑
これが”どういうことか”述べよ
※条件過去ログを100件以上閲覧

引用なし

パスワード




【42】Re:会食恐怖のこと  maccha  - 2010/10/08 16:16 -

掲示板を読まれている方には申し訳ございませんが、私がスレッドの立て方を間違えてしまったので、1090〜1115にとびます。

新しいスレッドを立てたくなかったので会食恐怖のことを続けて書きます。


返信なしが希望です。お忙しいのを承知しているのと、聞いてほしいだけだからです。他の方にも。


会食恐怖のこと。

人に言った。妹を入れて5人。
職場をやめた人。パートの方1人。
職場の人にもいずれ、言うかもしれない。

人事からそんな話は聞いていない、とか話が大きくなれば、やめるだろうし、どうなるかはわからない。


こわい。


私という人間を理解してもらうためには会食恐怖のこと、人にいったほうがいいような気がする。
会食恐怖は中2。13の春からずっと。
中学、高校、一浪、大学、就職、ブランク、就職。
会食恐怖を刺激しない仕事を考えて、いろいろ、ふり幅を考えているつもり。
人付き合い下手でも仕事はいる。働かないと。お金はいる。
今は食べる(飯の種。生きる)ことだけ考えている。
 
会食恐怖のことばかり考えている自分がばかばかしくなってきている。

引用なし

パスワード




20 / 24 ツリー    ←次へ | 前へ→
  新規投稿 ┃Tree ┃Thread ┃一覧表示 ┃トピック表示 ┃番号順表示 ┃検索 ┃留意事項 ┃設定 ┃HP ┃BLOG ┃民間ミラーサイト  

 
ページ:  ┃  記事番号:  

(SS)C-BOARD Legacy v0.95.05 beta
■掲示板はリンクフリーです。ログの引用等も自由です