Kagewari 精神分析相談事務所  HP  BLOG  OTD過去ログ 過去ログ(分類別)  有料メール相談 

「掲示板での相談、閲覧・有料メールカウンセリング」の過程では、自我の防衛反応による混乱(興奮)が現れます。精神分析的アプローチによる「自我構造(こころ)の揺れ」です。その点に同意の上入室してください。

■運営趣旨『ログ閲覧の公共性』から”編集目的以外の記事削除”は原則禁止(レスのついた親記事(スレッド)は削除できない仕様です)
■2012年7月をもって「掲示板上での新規相談受付を停止します」これに合わせて有料相談に「簡易相談」コースを設置
■投稿機能は(停止措置時を除き)制限しておりませんので「簡単な質問等は今後も利用可能」です(管理人投稿【79】参照)
■当サイト運営趣旨に反する連続投稿等がある場合心理学的判断から一定期間投稿機能が停止されます(管理人投稿【123】参照)
”現在投稿規制中”
■【参考】過去ログ/ブログテキストなど体系的に閲覧したい場合「民間有志作成のミラーサイト」もあります


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【124】今後の掲示板運用について  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2013/10/18 08:32 -

(2014.1.8.一部校正編集)

現在『公開掲示板』は新規の相談を停止しているところですが(この辺は注記記載のとおりです)、現在可能となっている「簡単な質問等」の趣旨がわかり難い部分あるかと思うのでちょっと説明しておきます。
元来『有料相談』と『公開掲示板』には運営上の違いがあり、特に精神分析などは一部個人情報などの提供無しに進められない部分ありますからそこはプライバシーが保護されている『有料相談』では可能ですが、公開性を原則としている『公開掲示板』の場合は「一般論として答えられる範囲」となってます(ザックリ言えば「そういう相談事例の場合概ね」的な趣旨でその返信内容の精度や確度という部分で詳細に説明することはできない)。
しかし一般論の範囲でも『公開掲示板』は無料ということもあって「同じ話が反論形式で繰り返される傾向」があり、これはHP『有料相談』のページやブログ含めて様々なところで書いてきているとおり『依存性リスク』になります。
前述のとおり過去ログ蓄積量的に現在は以前のような『公開掲示板』で新規に相談を受け付ける部分は停止していますが『依存性リスク』を完全に抑制できていない状況です。
(先日の「掲示板機能停止措置」などの手段を講じないとこれを抑制できない。←後述のとおりリスク縮減の対応は可能だし容易なんですが無料の『公開掲示板』では物理的に不可能であると、)

「簡単な質問等」は相談可能という部分が曖昧だってところあるかと思うので改めて管理人告知として説明しておきます。
■基本的には1回のやりとりで完結するような内容であること
■返信内容の確認が数回続くのは勿論可ですが、その内容が蒸し返し的な反論形式となるような趣旨のものはNGです
(ここ意味わからない人いるかもですが、事実関係の祖語では無く「心理学根拠」に対する反論となると事実上心理学の講義のような“論拠”を一から説明しなければならなくなってしまうので←その説明が必要か否かは既にそのために無料で公開されている掲示板過去ログやブログテキストなどでプルーフされており、疑義があるなら「ここで相談に至る根拠が無かった」事になりますから、『依存性フラグ』でもない限り有り得ない話なんです。)

また込み入った相談は『公開掲示板』新規質問停止に合わせて「1回のみ可+アフター可」の『簡易相談』(プライバシーに関わる内容にも踏み込める)を有料コースに設けてますから、そっちを利用してください。
更に当サイトの心理学的根拠は概ねブログのカテゴリ『心理学テキスト』読めば事実上わかる事にもなってますしHPにもテキスト挙げてますので、そっち読んで事前に確認していただければと思います。

当サイトはあくまでも個人運営によるもので『有料相談』にしても基本的に営利目的での法人等の運営ではありません。『公開掲示板』の返信も“無料“となっておりその辺の趣旨を理解された上利用いただければと思います。


※『依存性リスク』について若干補足しておきます。
事、心理学関連のメンタル問題の場合『自意識に対する抑圧』そのままに「強迫心理的傾向」は問題解決に至るような思考そのものを抑圧している事になるので(アイデアを思いつくような部分を含む)、これを解体ないし解消する方向の心理学的答申はその「強迫心理」にとって脅威となるものです。
端的に言えば「(何か気持ち的に納得いかない的な)抵抗あって普通」なのであって=その抵抗を反論形式で”主帳”しちゃうと、それは=「強迫的思考を防衛しようという趣旨」になってしまうので悪循環になるんですよ。
それだけでなく、ここには快不快原則的な興奮を伴いますから(掲示板やHP冒頭などで説明している「自我の混乱(興奮)」)、『反復欲求化』されやすいところがあるんです。←繰り返せば繰り返すほど「強迫的思考サイドを肯定する高揚感が高まってしまう」。
勿論これは私が徹底抗戦する事で(逆利用とまでは言わないまでも)対消滅的に対応することは容易なんですが、物理的に「ガチで無料で運営している掲示板で同様修羅場となるのは明快に運営上の問題」なワケで、仮にそれが『有料相談』などで展開されてしまうと”悪徳商法”みたいな事になっちゃうワケですよ。←こうなっちゃうのも別の意味で困るんで、
(同様事例が多数って事はありませんがこの注意喚起も同リスク抑制の参考になると思います。)

誰しも「思春期における反抗期」で「猛烈に言い返したい」みたいな欲求の経験あると思いますが←反論形式の連続投稿はこれの逆パターンなんです。
「思春期の子供が自我の自立過程で親に反抗的なスタンス(=過去の権威性認知に対する反抗)」である部分に対して、親の側が「究極のあー言えばこう言う無限反論で興奮しているようなものと同じ」なんです。←『抑圧』であるとか極端に言えば『弾圧』。
で、当人問題になっているのは『共同幻想』が変異した(或いは偏化した)「強迫心理」で問題起きているのであって(出所不明な謎の権威性認知が自分を抑圧し続けるような形で)、その権威性認知構造を保守しようと興奮してしまうってのは「反抗期の弾圧」と同様で=メンタル問題の温存となるんです。
 ↑
心理学的な基本原則知らない人は「は、何の話?」と思うかもしれないので、一般的にも知られている『トラウマ論』で補足すると、
ぶっちゃけ「過去の話が現在の自我を強迫・乃至拘束或いは抑圧し続けている」、
一般的に「強迫心理」ってものを考えれば「それは一種のルサンチマンのようなものに起因する」のですから「過去の話が現在の自分をという図式」なんです。
つまり「保守」=「問題の継続」と考えるのが自然。
問題の解体や解消ってのは、自我を「思春期反抗期のような自立的(過去の権威性認知に対する)反抗」の形にプロセスとして戻す作業(現実アップデート機能の回復)になるので、言うならば反抗期の子供の理論武装になる根拠を心理学サイドが提示していくみたいなものです。
「心理学的内容の返信」を使って「強迫心理」に対して反抗するスタンスがメインイベントみたいな。
(※だから当人は「自身の「強迫心理」に自立的に対抗する上で武器となる心理学的返信を必要として相談なり質問」になってるんです。)

しかし、いざヤバい話(アンチ強迫心理である心理学的返信)を耳にして、(効果的過ぎて)これを脅威に感じ「話としては逆さまの「強迫的思考」を顔真っ赤にして自我防衛」してしまう撤退戦に切り替わってしまう場合があるって話。
(そこでフェードアウトするならそれはそれで「歩留まり選択」なので何も止めもしませんが)

繰り返しますが、上記問題は「心理学側が徹底抗戦することで論理的には容易に抑止可能なリスク」なんですが、特に無料の『公開掲示板』の運用でそっちの話を展開する物理的余裕が”無い”のです。

引用なし

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件名にある投稿自体同スレッドでアナウンスされているように削除されていますから、事情わからない人は何の事やらと思うかも知れませんが、
(投稿へのレス部分は引用等である程度趣旨がわかるように記載しておきます。)

<まずアナウンスから>

■暫く同掲示板の新規投稿を停止します。
同掲示板はあくまでも利用者が規約を守る事を前提に運営しているもので、その紳士協定が守られないのであれば、掲示板そのものの新規投稿を停止するなどの結果に繋がります。
必ずしも新規投稿が頻繁なサイトではありませんから大きな影響があるとは断定できませんが、利用者全体への迷惑行為となりますので「掲示板注意事項・等サイト運営規約の遵守」宜しくお願いします。
(掲示板機能での投稿制限も機能的には可能ですが(現掲示板機能として投稿ホスト特定に限界があり)簡易でこの対処の後もそれを回避する方向で連続投稿が続いた経緯があり、今回の措置といたしました。)

投稿機能の再開をアナウンスする事はしませんが、「時期を見て機能再開される」と思っていただければと思います。
(「暫く」はそのまんんま「暫く」です。)
又、問題が再発した場合も随時同措置が行われますが、その際は掲示板ヘッダに記載の注意事項の仕様そのまんまに予告なく投稿機能停止を行います。
※趣旨はHP規約のリンク参照http://kagewari.cside.com/kage2.htm
(2.「簡易相談・サポートカウンセリング4回」(1回のみ可)項目で補足注記されている部分)
質問等緊急性のある場合には、前述リンクの有料相談依頼いただくか、HPお問い合わせから「機能再開要請として」送信してください。即時再開を保障するものではありませんが内容によっては検討します。


<次に投稿部分への返信>
まえおき、
前述リンク記載のとおり心理学的に依存性の問題としてこの投稿そのものが「サイト趣旨的にメンタル問題において逆効果の利用」となるため、心理学的見解としてこれを放置できません。
所謂実際のところはクレーム同様の投稿となってますが、ここに至る経緯においての心理学的見解等に本人はクレーム等は無く、自立独立に至る現実問題との間で「強迫心理傾向と自意識マター」の間でダイエットにおけるリバウンドのような状況に(構造的にはアルコール中毒における離脱症状に類似する)至っているのが深層心理となりますが、
精神分析系の心理学は「宗教でもナントカセミナーでも洗脳でもみょうちくりんなサークルでも”ありません”」ので、本人動機が当初相談依頼と別の意図で(結果「強迫心理」的時代への退行に繋がる事実関係偏向集めのような)見当外れの反論クレームに至るのは「精神分析系心理学」の対応としては(それも動機なのだから)「本人プライバシーであり何もコメントしません」。
というか反論が見当はずれなのですから、コメントのしようもありません。
「?」と思われる方もいらっゃるかもですが、
現代メンタル問題を考える場合、歩留り的に精神科投薬を選択する自己決定も有り得ることであり、何か殊更心理学的アプローチを拒否するから何かがどうしたとかは何も無い訳です。
そこに問題解決の動機なりが本人にあるから→場合によっては心理学的アプローチを選択する場合があるのであり、
勿論心理学はメンタル問題の発現からその背景まで体系的に説明可能な学問であり、大学における一般教養などで科目として採用され「文系的に広く認知」されているものですから「心理学へのクレームそのもの」はあくまでも個人の意思表明として勿論有り得る選択ですが、心理学的アプローチの結果本人依頼の方向に大幅に状況変化の後、「強迫心理」による退行的心理状態(私はこれを記号的に”ノスタルジー”と呼んでますが)となり、現実に直面するという状況、←これは正に現代社会における各個人が(新卒3割が3年以内に退社するなど)直面する『極めて個人的選択』であり、
勿論心理学としても「何か人間はこうあるべき」などのようなドグマを持ちませんから(常に歩留り選択における各人の個性化はプライバシーとして保持されるべきである)、何をどう選択しようと第三者である心理学はこれに干渉しません。
(わかりやすく言えば「親や教師じゃないんだから」そこで『共同幻想的権威』投影している段階でアウツでしょうに←心理学はメンタル問題を専門にしている第三者機関です。)

有料相談の注記も「相談は相談が必要になるくなるのがベター」なんですから、過剰にこれが利用される事をサイトの側から規制しているもので、
勿論前述のとおり「構造的にはアルコール中毒における離脱症状に類似する」部分は「私が記号的に”ノスタルジー”と呼んでいる現象を「強迫心理」との関係で説明した後となりますが(既説です)、そこで心理学は「誰しもが持っている「強迫心理」を(バックグラウンドをもう理解しているのだから)”ノリ突っ込み”的に、「ダメじゃん強迫心理だこりゃ」と自分で切る切らないって局面はですね、個人の勝手です。
(それがどういう意味になるのかは説明済みだし、本人も理解してますから、)
しつこく繰り返しますが「心理学は宗教やナントカセミナーじゃ あ り ま せん」ので、自己決定の部分には干渉しません。
相談動機が担保されていないのであれば(そもそも当初からそういう動機が無いのであればご自身心理学の事すら知らなかったかもしれないワケですから)、外野席となる心理学は(依頼を受けた第三者機関の代理人って立場では無くなりますから→立場は「単なる外野席」になります)、何もコメントする事が無いワケです。
 ↑
ちょっと意味理解を誤解される方いらっしゃるかもなので、補足すると、
「目の前のアル中を羽交い絞めにして飲んじゃダメだ」と大騒ぎするとか全然心理学関係無いので、
心理学の出番は本人にその動機があるんであれば、「また飲んでしまったのですが」「あっそうですか、でその時の経緯を教えてください」←なところにあるんであって、
■「飲んだら中毒なんだから大変だという話の根拠がおかしいと思います」←この段階でもう依頼動機がNGでしょ、
心理学は「そういう事を言いだし始める経緯とバックグラウンド」は説明できますが、そこで反論大会になる事はHP注記にあるように『依存性フラグの誘発』となるだけでなく、行為としてそういう反論を可能として放置する行為そのものが「心理学的問題」なのですから(『共同幻想権威の投影放置』みたいなもんですから)、それを事前に規制する事がサイト運営者の責任になります。
(わかりやすく言えば「親や教師じゃないんだから」そこで『共同幻想的権威』投影している段階でアウツでしょうに←心理学はメンタル問題を専門にしている第三者機関です。)

「その依頼は既に当サイトの可能な範囲を逸脱している」のですから、どうもこうもです。
(建築会社でカレーライス注文されても対応できません。)
事実ほとんどクレーマー的迷惑行為なワケで、
その心理を「客観的に」説明する事は可能だし、社会的にも意味もあると思いますから「管理人投稿」としてここに記すものです。
加えて、前述の『依存性フラグ』を抑制しなければいけませんから、直接投稿への返信とはせず(当該投稿は削除し)、別途管理人投稿として返信を書く事でその対応とします。

<さて個別具体論ですが>
>私が言ってるのは知的薄弱と言ってる部分は本当にメンタルから来てるのか?ということです。
 ↑
そんな事は「ひとっことも言ってません」。
身体傷害に相当する知的薄弱”級”の視野狭窄がメンタル問題で有り得ると(もう随分昔からですが)説明しているんです。
当時、病院などでも知的薄弱障害などの認定の無い人物が、有り得ないミスを犯している様子を当時のあなたは「ワザとそういう嘘をついた」とまー大変なナントカになっていたので、当該人物の心理を分析し、「そういう局面でもう言い逃れともいうような苦しい言い訳に追い込まれるそういうタイプの人格は、心理的ストレスが強ければ本人も嘘か言い逃れかの事実関係を認定できなくなる場合がある」と説明し、「強迫心理」の原動力である『いい悪い論』をまんまと持ち込んで「悪意のあるこんな嘘を”つかれた”」と、その状況での大暴れなりが肯定されている心理そものものが別問題で大問題であると、当時説明され、
現在あなたはそれを納得しているワケです。

さらに、
私はやれあなたがどうだとか関係無く、所謂介護現場における専門家の問題意識(あなたがURLまで引用された)、これをいかにも『共同幻想』的な視野狭窄(リミッター)として証明したもので、
メンタル問題云々以前に、人間の視野はその搭載自我なりの構造に応じて「発想領域そのものが規制」される事は別段珍しい事では無く、
極論は宗教道徳における戒律なり倫理違反する行為なりを考える事は同『共同幻想』適応自我にとっては考えられない事なのであって、当該人物が「そっち方面のアイデアだとか知的に欠けるのでは無い」。

つまり、メンタル問題などがあるのであれば(「強迫心理」とは『共同幻想』が個別に偏向したものなので)同様の『共同幻想リミッター現象』が思いもしない方向などで発現される可能性を示唆するだけでなく、体験的にも誰にも起こり得る(ブッダじゃあるまいし「強迫心理皆無の自我」など無い→”ノリ突っ込み”運用でその場で各人が「強迫心理」切ったり切らなかったりしてるんであり)、
「テストの本番で頭真っ白」だとか、
「会社のプレゼンで段取り全部忘れた」だとか、
「会議で言おうと思っていたことがしどろもどろで何言ってんだかわからなくなった」だとか、
「舞台で台詞全部忘れた」だとか、
「対人恐怖で人前だと失語症並にパ二くる」だとか、
「体育の計測でやれ自分の番ともなれば、手と足がいっしょに出た」だとか、
「過去にトラウマになっているナントカ局面になるとパニック症状的なのが出る」だとか、
「『共同幻想』適応な人格が、イジメ問題局面で凍り付いて行動停止になる」だとか、
人の脳は連想により、ダイレクトに元ネタと違う局面でもそういう事が頻繁に起きる。
それは状況によっては(当該人物が体感しているストレスなどに応じて)知的薄弱なの?級の出方をする事も珍しい事ではなく、人間の自我の振る舞い的には「日常的に誰にでも起きることだ」と説明しているんです。
(更に付け加えると、心理学を一部離れますが『障害者の特殊能力』関係の発現も逆説的に関係するでしょう。)

ですから、
もっぱら『共同幻想』的社会性に(何を思ったのかその動機が大問題ですが)ワザワザ参画するなどして(トラウマ論で言えばこれを自ら刺激するようなもの)、自意識テンパる状況が散見される場合、
人間の自我の振る舞い的には「日常的に誰にでも起きる」視野狭窄なりの『ポテンシャル低下』が予想の範囲として起きるのは自明でしょと説明したんです。
前述のポイント「その動機が大問題(何故よりによって『共同幻想』的場面にあたかも適応強迫するような行為を動機形成しているのか)」だと嫌といいほど確認し、云々が当時ありました。
■『努力が無駄論』をあなたが展開した時には、「物理法則としてあり得ない事まで主張」し、
 ↑
たとえばこの状況、「小学生でもわかるような物理法則もわからない無知蒙昧だから」と言えますか?「それは精神薄弱だと?」
(一拍置く論じゃありませんが、平時のあなたはそういう事が理解できないとか”無い”のに「メンタル問題として反論興奮時に人は小学生でもわかる物理法則すら超越する」証明ですよ。)

事は「強迫心理」がその時何に興奮しているのか?となりますが、
「普通の人はこういう事が容易にできて→評価され認められる(勿論隠れ主語は『共同幻想権威』その元ネタは親子関係)」
これができないのは「親のせいだ」(実家で親になんとかこうとか時代へのノスタルジー)に繋がる。
(殊更親を非難しようという狙いは無く、グル―っと回ってそこに繋がる心理的ロジックが動いているので)
 ↓
>しかし一方で最近親や実家のことが気になり、実家ではないですが、実家の近くに帰ろうかななんて気持ちになってる自分もいます
まんまと、こういう心理になった過去事例がある。
(これは心理学的に「鉄板で予測されたもの」であり、それを私は延々と説明してました。)

そういう話を蒸し返すからダメなんだと、
(そのバックグラウンドはバレバレで明白ですから)

答えは簡単な事で、
「努力して更にできるようになろうかな」←こう思う心理はそのまんま「自立独立の方向」ですから、
(努力の背理は「誰の助けも無く自分で」なので、)
「強迫心理」としては(禍々しい舞台である実家風景から離れてしまう)”努力”などの概念は「実にマズイ」のであり、
(だか「努力は無駄論」を当時あなたは延々と展開した。努力の概念を潰せば「自立独立」の腰を折れますからね。)
できないままでいる事こそが「強迫心理」のリバウンド的な命題になっている←と何百回も説明してきました。

>結果論とか、努力が無駄とか以前の問題です。
全くの見当違いです、
努力ってのは(結果論は関係無いので)努力しようと動機形成した事自体に意味があるんです。
(先ほど説明の「それは自立独立の方向性への自意識の宣誓」のようなものですから。)
結果論は関係無いことは論証済みなので(まったく進歩が無くてもいいのですから)、
『努力を選択肢として動機形成可能な自我』←このスタンスが『抗(あらがう)』だと言っているんです。
自動的にその逆さまは『被(こうむる)』です。
何か殊更に努力をしなければならないだとか、努力すれば偉いんだとかそういう事ではありません。
そのスタンスが(プロ野球伝説の野村監督で言えば”工夫”だとか”考える”だとかであり)『抗(あらがう)』となる事が重要なんです。
(岸田秀の『共同幻想』なんとかじゃありませんが、私の『抗(あらがう)』論の元ネタは実存主義哲学であり、その更に元ネタは「シューシュポスの神話」です。「シューシュポスの神話」とは、必ず丘の上まで持ち上げた岩を神様に落とされるのに、丘にその岩を押し上げ続ける男の神話で、あたかもその全くの無駄を繰り返すシューシュポスに「不条理と実存」を証明する哲学です。←「パスカルの賭け論」も似たようなものです。実存主義のなんとやらであるカミュの著作『ペスト』も同じです。)

海に漕ぎ出すって事でたとえるならば、
「行先なんて結果論なのでどうだっていんです(これはインセンティブ論に過ぎない)。自分の船で漕ぎ出すというその道行こそが人生における能動の本質」なのであり、
捕食獣で言えば昨日の狩りの成果云々では無く「獲物がきたら襲い続ける」のが生きるって事であり(努力があれば「小さい個体を狙う」など物理的可能性は高くもなる←成果が保証できるのかとかそういう論議では”無い”)、
ボクシングで言えば、倒れても倒れても立ち上がる事が本質的動機であり(そりゃ結果論言えば倒した方が早いですが感動的に語られる戦いってのは大概が「立ち上がる側」の話だったりする)、

「自ら打って出る」って事が”概念としての努力”であり(「おぜん立てしてもらう・〜してもらう」の反対語)、
これを促す環境によって、状況は大きく変わる訳です。
『海に出ることを止めた猟師』
『人生を諦めたライオン』
『厭戦気分のボクサー』
これは心理学だとどうなりますか?再び立ちあがる方向に向かわない場合「自動的に心理的退行」が発生します。
『被(こうむる)』です。
(これの腰を折る「強迫心理」の伝統芸は何ですか?「そんな事して結果出るの?無駄だのそんなの無駄」)
 ↑
だからこの「強迫心理」のルートを切る先手は何か?「結果論に意味が無い論証」です。
伝説の野村監督的に言えば「読み」です。
(だから野村も「結果では無くプロセス志向」と発言してます。)

■更に、
「海にでも無駄」の実績と証明の伝統芸は?「同じ場所をグルグル回る」「あえて苦手な漁船の乗組員募集に志願する」などなど、
この点は再三、心理的側面から説明もしてきました。
そして、
単純な話(別段結果論を何かしようと思いませんが)「筋トレすればオールを漕ぐ力は強くなりますね」。
(やろうと思えばやれることはあれこれある←努力のネタ→「やろうか」って動機が確かなら誰も勧めなくても自分でやるでしょう。)
『努力は無駄論』の時、あなたはこの物理法則も延々と否定しましたが、
そもそも、あれこれとあなたの素性には「努力家」の一面があるのであって(自分の利益なのだから『被(こうむる)』の反対向いている時には人は放っておいてもそう選択する法則)、実際の行動は何ら努力を否定する人物像ではありません。
ですから、余計にその論法はあたかも「強迫心理」のリバウンドがバレバレだと言っているんです。
(そこに私は干渉する権限も立場も論理もありません。仮にあなたが「心理学はもういいな」と思えば関係が切れるそれだけの事です。←動機が変わっているんですから。物理的にサイトを訪れる事も無いでしょう。)


■そこで延々と(出入り禁止が確定しているのに)連続投稿を行う理由は?
バックグラウンドはそのままですよ、
 ↓
「強迫心理」はこれを何とか何かを梃に使って一歩前に進めたいと思っている。
>しかし一方で最近親や実家のことが気になり、実家ではないですが、実家の近くに帰ろうかななんて気持ちになってる自分もいます
しかし、本人様々な心理学的理解が進み(それらは「強迫心理」にとって実に都合が悪い事ですから)、
■■■何かひとつでも反論して、これを否定したい。■■■

第一ね、これまでの経験からあなたが私に反論して何か見解が変わるとか「あなた自身思っていない」筈なんですよ。
(経験として鉄板で論駁される経緯が延々に続いているのであり、只の一度もあなたのクレームが通ったなんて事は無かったし、有り得ないのですから。←反駁の根拠が「強迫心理」発ですから論理なり反論の文面から既に破綻しているんですから。)
その証拠に、あなたは何度も自分の投稿なりを書き直す癖がある。「自分自身自分で書いている事に自信も無ければ、違和感も感じている」からですよ。
(極論その都度それこそ・今度こそ本物の「無駄」だとわかっている。)

だとすれば、この現象は「逆説的に知るべきこと・何かが起きていたのかをあなたは既に知っている証明」であり(そこに「強迫心理」が都合悪くなりネタ元への反論を試みているんですから)、
その後の選択は「あなた自身のプライバシーだ」となるんです。
(ですから心理学的にその対応として『出入り禁止』が適当と判断したのであり、)
▲そういう自問自答を続けながら誰しもがその先を考えて生きていくんであって、←場面的にもうメンタル云々の状況でもありません。
仮に「この考えは私のものでは無く、誰々が言ったもので私はこの考えに全く納得していない。反論してやろう」なる場を安易に提供してしまえば、
私があなたにあなた自身が落ちる落とし穴を提供しているようなものでしょ。
(ですから心理学的にその対応として『出入り禁止』が適当と判断したのであり、)
ここは人生相談サイトでもありませんし、しつこく繰り返しますが「宗教でもナントカセミナーでもありません」。

困った事に某事例の相談の時に、努力話が随分技術的なところに及び、結果との関連も踏まえてこれを説明した事が過去にあるので誤解しているのかもしれませんが、
これは「どういうストレスでテンパりが出たらこういう技能が行動停止にもなる」という説明の反対であって、(そこのストレス心理が解除されれば状況変わる訳ですから)
私は徹底して「結果論に拘る話」を間違いであると指摘してきてます、
(そもそも楽な閑職獲得に成功するのが現状大成功とこれを勧めたぐらいで←これにあなたは「雑用は御免だ」反論しましたが、)
●社会的にも何か殊更の「『共同幻想』社会適応話」がいかにナンセンスなものかなどブログだけでなくレスの中でも掲示板他スレッドなど各所でも説明してきてます。


実践的局面として、
野村監督の”読み”じゃありませんが、次の一手予測つくので、
「やれ知人がこう言いました」「占い師がこういった」的伝聞ネタ反論も当初から禁止だと告知しましたが一切守らず、
「結論出て、あなたも理解した過去事例を『蒸し返し』して暫くしたら反論始まる」的な行為も禁止告知しましたがほとんど守られず、
(付け加えるなら後日談的にあなたはその趣旨を理解されてますからね、)
依存的利用のリスクと説明とその抑制の方法論まで全部説明してきてますが、思い切り守られないですから。
更に規定外の不規則送信が延々に続き「再三その動機確認をした後」に、「明らかな依存目的」とこれを確定させ、『出入り禁止』の措置になってます。

それでも、公開掲示板への反論が続き、
更に一部投稿制限かけても、それを回避しての投稿を行い、
掲示板告知に公開掲示板全体の投稿制限の注意事項を記載しても、その当日投稿を行う。
完全な迷惑行為になってます。
これをほう助する事はできませんので、
(やっかいな事に心理学的には「反論ログ」を残す事だけでも「強迫心理」は当初目的の半分以上を達成してしまうため、)
今回の「掲示板投稿機能の停止」に踏み込んだところです。


>感覚統合の機能がうまく働いてないんです。だからいくら練習しても感覚がつかめないんです。
ですから「そもそもできなくてもいい」と話してきているじゃないですか。
(私が推薦したのは当面は実家から独立する軍資金的に仕事も止む無しでアドバイスもしましたが、その時から最大の目標は「生活保護でもなんでも独立の確定と安全圏の確保」なんですから。一般的な職場にひたすら拘っているのは”あなた”であって、私は「何が面白くてそんな選択を続けるのか、強迫心理的介在も考えるべきでしょう」と警告してきた側ですよ?)
その障害がご自身確信的なのであれば、別途医療的に障害者手帳確保すればいいだけでしょう。
(そもそもが福祉関係を遠慮なく使う権利が社会的にあるのである的な話をしてきたのは”わたし”ですよ。→それを否定するあなたに説明し続けてきたワケで、)
 ↑
しかし上記の選択も歩留りなので(そう説明してきたし)、
「脳の半分すっ飛んだ人もリハビリで回復する事が実際にある」のだから(私の父親が実際もそうでした)、努力の可能性は常にあるでしょう。
更に私は直接あなたを診療するなどの医師の立場でもない上に(HP的にもメンタル問題のサイトであり身体傷害の相談サイトではありません)、当初のあなたの依頼は「極度の内向化と引き籠りと家人への暴力」ですよ。←私が依頼受けたのはここです。
当初の依頼は”あなたの精力的な努力”の甲斐もあって、ほぼ完ぺきに達成されてます。

そして(当初依頼から言えば後日談になりますがサポートの枠で)、職番なんてものは「本当に純利益を上げているのは実はほんの一部」であり(総務なんてどうするんですか)、他は仕事が遅かろうが自分なりに工夫して(メモなど←あなたはメモも否定しましたけど)、閑職なりをゲットできる可能性は常にある。
更に私は副業的に随分といろんな人と話ますから「障害者雇用割り当て」的な現場で普通に仕事できている身体傷害にあたる知的障害者も知っており、そういう話も踏まえて話してます。
(又、関係施設が運営する作業所などを見学した経験もあります。)
私は「努力のネタがある」とあなたの自意識に(獲物がいますよ情報的に)事実関係を説明しているだけで(『抗(あらがう)』方向性を)、
その個人的利益を捕りに行くのか放棄するのかはあなたの自由であって(そもそも結果論に意味が無いところまで説明し論証している)、
私は『抗(あらがう)』スタンスの説明をしているのであって、努力がエライだとか努力すれは成果ありあます的なセールストークみたいな話はしていません。
努力のスタンスそのものが『抗(あらがう)』ですから。
(それは自意識の既得権益とも言える確定的な”あなたの”個人的利益だと説明しているんで、←結果論無視して価値を持つんですから。動物全般にそりゃ「楽で気ままな人生」のがベターでしょうし。)
 ↑
これらは全て「メンタル問題があります、これを解決するための心理学的見解はありませんか?」という依頼動機がある場合の答えです。

しかしそもそも論として
>本当にメンタルから来てるのか?ということです。

あなた自身「メンタル問題では無い」という論旨を展開しているワケでしょ、
それでなんで「メンタル問題があります、これを解決するための心理学的見解はありませんか」という動機に答える形で運営しているサイトに書き込むの?その動機は?
(てか前述のように「あなたの話の根拠となるような話はただの一言も言ってない」のですが、)

>それにメンタル問題が解決したから知的薄弱が改善した話は聞いたことがないですよ?
アルツハイマーなどの症例の施設で、メンタルケア関係の対応により症状が改善する話をどう説明するの?
私はそこから逆算し、収容施設的環境(欧米心理学的には鉄板の間違った対応)などが、症状を悪化させる可能性もあると説明してきましたし、
あなたがURLまで引用してまで論説した福祉関係の専門家などの「対応による利用者への影響」をどう説明するの?
(これあなた自身が用例したものですよ、)
改善であるとか症状が落ち着く現象の心理的見解は簡単です、
「強迫心理」ストレスを緩和し(更に本人が自分の状態に対するショックなどもあるので)そのメンタル問題への抑止により、自我が限りある脳内リソースを開放するため(人間が活用しているのは脳機能の一部ですから)、他の残された部位が機能代行する場合もあるのであり、投薬によってアルツハイマーの進行を止める新薬への期待大ですが、別途固有の高齢者問題とも言える「メンタルケア」は同業界では鉄板の重要なファクターでしょう。
そういう施設なりで行われているリハビリなど無駄だからとっとと止めてしまえとあなたは言っているワケですが、そんな話はアルツハイマーの現場でも学会でもメジャーな話だとおおよそ思えませんが。

(※特に認知症関連の高齢者施設ではようやくデンマークで検証されたペットロボットなどが導入され始めましたが、可愛がるなどの性愛的な刺激なりこれが安定的に環境に存在し当該人物がここに”主体的に関わる”行為に効果が観察されてますが、これは心理学的に言えば『抗(あらがう)』に繋がるインセンティブ論のようなもので、外向・主体的能動性が人間のメンタルにとってその基本である間接的論証でもあるでしょう。)


>それと以前から言ってる根本を何とかしたいというのは知的薄弱の部分です。メンタル問題持ってる人が知的薄弱の部分が治った話は聞いたことがないですが。
 ↑
完全な事実関係の間違いですね。
(ご希望ならなら守秘義務に関係する過去のあなたの実ログを公開しましょうか?)
誰にも事実関係わからないと思うので、守秘義務の中差支え無い範囲であなたへの具体例としてお答えします。

■そういった人間関係のテンパったストレスなど無ければ「モンブラン事件」は違ったものになっていたでしょう。
本人も何の心配も無く余裕で「なにそれ」と答える(本来の自我ならあるリソースの余裕)余裕があった筈ですからね。
(事実「なにそれ」なんて言語を発する事に躊躇する人などいない。→しかし、そこにテンパったストレス過大な人間関係あれば?「わかりません」だとか容易に言えない社会的局面はいくらでもあります。だから「聞くのは一時の恥」なんて格言まである。)
今回のレス全体読めばわかる事ですが、
認知症介護の現場でそれを緩和する方向性が証明されてるんですよ?
上記とメンタル問題の差異なんてものは「周囲がその環境なりを整理するのか」「自分でそっち方面にメンタルを持って行けるのか」の差異でしかありません。
「メンタル問題」って言葉の意味は「自分のメンタルなのだから、別の方向にもっていきようのある自分の自我問題」って事ですから。
そこに心理学は「深層心理や、強迫心理であるとか、自我・超自我論であるとかエディプスコンプレックやスリビドー充当の経済学など」で、これが自立的に構造的に不可能な場合がある事を発見し、
かくかくしかじかの概念は幻想であり「強迫心理」に過ぎないなどの分析であるとか知見を専らとする学問で、そんな心理学は社会的に認知されている存在です。

■そのツールを使って、事の顛末や自我問題の経緯などを知り(ネタバレにより=構造的に不可能だった「自立的に強迫的思考を”ノリ突っ込み切り”」などもできる)、

「メンタル問題があります、これを解決するための心理学的見解はありませんか」という動機があるのであれば、
当サイトはこれに答えるものです。

引用なし

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【101】仕事のことで  以前相談を受けてた者です  - 2013/06/05 18:16 -

今までご迷惑をおかけしました。
知人からも普段からの態度のことで指摘を受け、自分の至らなさに気づき、ものすごく反省しました。

仕事の方もあまり結果や人との比較は気にならなくなったのですが、仕事は相変わらずで、クビの対象になりました。
以前続いた仕事の経験をもとに慎重に選んだつもりでしたが。
同僚からは「努力や集中力が足りない。状況判断や空気が読めないのは自分のことばかりで人への思いやりが足りないからだ」といわれました。
以前kagewariさんからもご指摘を受け、仕事では人との比較や結果にはこだわらなくなり(考えてる余裕もなくなり)、頭で切り替えてメモを取って家で練習するなど、自分なりにできることはやってたつもりでした。
人のことを考えてないというよりも、人がどう思ってるのか、周囲はどう望んでるのか、自分がどうするべきか考えても本当にわからないのです。
余程のことなら空気が読めることも(自分では)あると思うのですが、やってることが見当違いなことだったり、良かれと思ってやったことが裏目に出てしまうこともありました(食う清めないことの方が多かったと思います)。

今は休養なり、障がい枠(軽作業)で働いた方がいいと思ったのですが、周囲からは甘えてると言われました。

自分なりに努力してきたつもりだったのですが、どうしたらよかったのか?お手上げ状態です。

引用なし

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【102】Re:仕事のことで  以前相談を受けてた者です  - 2013/06/05 18:21 -

今まで我儘ばかりご迷惑をおかけし、大変反省しております。親身に話を聞いてくださって感謝しています。
ここの存在を知らなければもっと気持ちがすさんでいたと思います。
こういった形でしかお礼が言えず、申し訳ありません。

引用なし

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【103】Re:仕事のことで  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2013/06/06 05:19 -

管理人権限のみで閲覧可能な「投稿のホスト記録」により、
(内容と合わせて90%以上の確率と思いますが)
書き込まれた方特定を行っております。
●守秘義務に関わる事であり、掲示板上でその詳細を記載することはできません。

■(上記に関わるのでここも不特定多数が閲覧可能な掲示板で公開することはできませんが)ご本人は理解されていると思いますが、サイト利用に関わる規約上の事項に関わる部分を遵守されない部分(○存性等)、これは心理学的根拠に基づくものであって、これに私が違反する返信を付けることはそもそも私自身が心理学的根拠による対処を侵害することになるので(既にご自身その答えをご存じの返信済み内容に関わります)、『現在公開掲示板上で相談受付を停止している件』と合わせて、一般論に関わる点のみ切り離して返信としますが、この返信に対してレスをする等は行わないでください。
(※既にご存知のとおり、上記内容に関わる件を無視して投稿等が続けば投稿そのものが管理人権限で削除される場合もあります。)


■■■<一般論に関わる点のみ質問として理解しここに返信します>

生きるということは自分が○○しようなどと企画・動機形成された事項について試行錯誤を行う行為です(結果うまくいったいかないは全く関係が無い「そのどちらも等価」であるため→『どうでもよくないことなどない原則』)。
書き込み内容の視線・視点は現段階で既に「強迫心理」的になっている事にご自身気がつていません。
(というか既にこれは説明済みですので、気が付かなくてもいいのです。←過去説明されたログを読むだけです。書いてありますので過去ログ読んでください。)

まず「○○ができるか・できないか」←これは個人的な関心項目であり、他者は関係ありません。
(組織に参加する場合には、当該組織の標準とうの組織運営上の”何”はありますが、既にその概念は『共同幻想』の都合です。)
ご自身が自らの個人的希望・個人的利益として「○○ができる・できないか」拘る以前に(更に上位認知で)、とにかく『共同幻想』社会に適応したい、と強烈に希望しているのであれば別ですが(この場合『共同幻想』側からのダメ出しは「できる話・できない話に関わらず」全てありがたいアドバイスと同意なので、何か相談する要素は全くなく「毎日嬉しく思う事ばかりです」となっていないと矛盾する)、
ところが相談は、
 ↓
■繰り返します。
とにかく『共同幻想』社会に適応したい、と強烈に希望しているのであれば別ですが、
話の流れはそうなってません(困った状況だと相談するスタイルになっている)。
(しつこく繰り返しますが「所謂食う・しのぐ」という事がまずの前提で、その枠組みは生活保護の申請だろうと、「とにかく共同作業が極小の単独業務に限定する」など(それは極論「田舎で自給自足」だって発想の中にあってもいい)、なんだっていい(或いはどうでもいい)のであり、さて「俺はどうすっか」という思考が『自分』の実存そのものです。←極論カウンター表現で話を簡略化すれば「俺はどすっか」と考える事が自分の価値である。)
 ↓
■繰り返します。
とにかく『共同幻想』社会に適応したい、と強烈に希望しているのであれば別ですが、
ところが相談の話の流れはそうなってません。
(一体何を好き好んで話のテーマが『共同幻想と私』というくくりになるのかさっぱりわかりませんが)
言うならば投稿文のその思考の流れは、
「自分の思考そものが『共同幻想』との関係性という話に”依存”している」のであり(だから話をどこから切り出しても『共同幻想と私』話の域を出る事が無い)、
更に、
現在この件(既に説明済みの)を相談することで、
(前述の論法で言えば)
さて「俺はどうすっか」という思考が『自分』の実存そのものです。←極論カウンター表現で話を簡略化すれば「俺はどすっか」と考える事が自分の価値である。
=「相談する行為そのものが自分の価値を貶めている」事になり、
(既に構造論的な強迫行為云々の部分は解体されてますので)

ここで話はぐるーっと一週して繋がります。

ぶっちゃけ
(カウンター表現使いますが)「だからダメなんだよ。」
何故あれこれ相談なり質問なりが”エンドレスに続くのか”と言えば、
自分で(依存的になる結果)毀損した自分の価値喪失による欲求不満が永久ループするからです。
「そこで質問なり相談しちゃうからダメなんだよ。」
(極論相談の答えがどうだこうだにすら価値は無いんですから。←こうなると相談行為ループのための相談というパラドックスになり、その答えを認識する事すらおろそかになる。→「相談返信に反論する矛盾現象」)


▲リハビリ過程などで参考となるのは『一般的な反抗期・思春期』の人格特有の言動です。
思春期の彼らがよく使う台詞は何ですか?
「うるせーんだよ、ほっといてくれ!(今自分で考えてるんだ)」です。
上記の状況と
「いったいどうしたらいいでしょうか」となる人格傾向との差異は何ですか。
前者は「反抗期特有の『共同幻想』的概念の拒絶ですよね(たとえば”答え”などもそうでしょう←暗黙の権威性フラグ)、答えではなく自分で考えることそのものに価値を置きこれに干渉されることを拒否する」、
(仮想単独者状態の「試行錯誤は俺の大事な価値だから干渉しないでほしい」・勿論知識情報として知ろうと思った事を自分で調べる延長で人に聞く事はあるでしょうけど「それは又別の話」です)
 ↓
後者は「大人の台詞」によく登場します。
「いったいどうしたらいいでしょうか」
これは「権威的に『共同幻想』自ら本望であると認知する部分は自己決定であり、既に『前提』である(=求めている質問は『これは共同幻想的にどうあるべきでしょう』であり勿論相談している対象は『共同幻想的権威』であり間違っても精神分析系心理学などでは無い)」

ですから「話は後者になってますと」と。
だとしたら、これを心理学に”答え(権威性フラグ)”を求めるようなスタンスは論理矛盾になってしまう。
いつから『共同幻想』選択が決定したのですかと、
(しかも『共同幻想人格』は典型的に何をどう考え、どういう組成でそうなる人格なのかなど本が一冊書けるぐらい既に説明済みです。)

そして、
仮に『共同幻想』選択が決定している場合なら『共同幻想』側からのダメ出しは「できる話・できない話に関わらず」全てありがたいアドバイスと同意なので、何か相談する要素は全くなく「毎日嬉しく思う事ばかりです」となっていないと矛盾する
(野球が好きな子が軍隊並に叱られてばかりなのに何故「憧れの野球部」に入るのかと言えば?)

※勿論「単なる愚痴」ならアリの話かもしれませんが、
この掲示板は『愚痴掲示板』ではありません。


■一旦話を中和しますが、
「強迫心理」的な思考部分を除外して翻訳すると、投稿された相談内容は、
「食うためになんだかんだと現状『共同幻想』の連中と調子合わせないといけないんだが、これがなかなかうまくいかず(奴らが何考えてるだのどういう人生生きてきたのかだのさっぱわからないので)どうしたもんかと思うんだが、まー自分も食うためにそういう付き合いもあるんで、良かれと思ってアレしてみたりこれしてみたりとかしてますわ。」
 ↑
どこにも相談すべき点も質問すべき点も存在しません。

わかりますか?
上記内容の現状認知について、今回記載された内容の文面が論理化されるためには(書き込まれた文章が脳内で構成される条件は)
▲「あたかも『共同幻想』適応が無条件に前提になっていなければならず」
この(前提を自分に押し付ける)概念は「強迫心理」そのものです。

■しつこく繰り返しますが、
前述の翻訳文の続きを考えてみましょう。
「強迫心理」的な思考部分を除外して翻訳すると、投稿された相談内容は、
「食うためになんだかんだと現状『共同幻想』の連中と調子合わせないといけないんだが、これがなかなかうまくいかず(奴らが何考えてるだのどういう人生生きてきたのかだのさっぱわからないので)どうしたもんかと思うんだが、まー自分も食うためにそういう付き合いもあるんで、良かれと思ってアレしてみたりこれしてみたりとかしてますわ。」
「そりゃ大変だねぇ、組織が登場しない食い扶持はないのかね」
「んなもん簡単にみつかりゃ苦労しねーよ(笑」
(演劇のシナリオで言えば最後の台詞は「誇らしく苦笑い」となる。)
 ↑
わかりますか?
 ↓
さて「俺はどうすっか」という思考が『自分』の実存そのものです。←極論カウンター表現で話を簡略化すれば「俺はどすっか」と考える事が自分の価値である。

(相談する場面ではなく、全く同じ状況で「そこは自慢話するところ」なんですよ。つまり、「あれどうして自慢話するところが相談話になってんだ?」を考えれば話が頭から矛盾していることがわかる筈です。)


▲これが又、「どうして『共同幻想』職場でないといけないのか」という部分に対する”理由(言い訳みたいな)”に関しては、
「いったいいつから自分はこんなに饒舌になったのだろう」ぐらい(普段アイデアや空気読むだのに困っている人物とは思えないぐらいアイデアマン顔負けに)次から次と湯水のごとく言葉(理由)が出てくるという調子になるのが恒例ですが、、
それはどういうことなんかとね。
あたかも強迫心理構造時代の『家幻想』における「こうにきまっている、普通はこうだ」みたいな前提話の”出方”と脳内回路の構成は同じ事になってしまっている部分に気が付いていない。
(脳内発想の仕組みが同じルート上で展開されてますよという意味です。言うならば発案部署が同じであると。)
自分をネタに強迫時代の”ネタ”をまだまだ諦めずに引っ張るような延長戦的展開になってしまっている。
(上記は分析によって「既に終わった話」であり、「品を変えたからって『蒸し返し話』が可になる訳ではありません。」)


(そもそも前述のように「どうしても○○の事情で調子合わせないといけなくなっちまった」という”前提確認”が事実に沿っていれば、仮に「うまくいかねーぜ」というモノローグも相談では無く「苦笑いの自慢話」になる場面です。)


■更にどこの馬の骨なのか知りませんが、
「誰それがそれは甘えだなんだと言ってます」とかの『誰々がこういった話』が登場しますが(これは当時からリハビリ的助言として禁○事項になって厳命されている部分ですがいとも簡単に無条件で無視されてますがその理由は何ですか?)、
どこのどいつか知りませんが、
「だから何?」
以外に返信つけようがありません。
私はその人物と知り合いでもありませんせんし、どうコメントすりゃいんですか?

いきなり見ず知らずの人物から
「いやー実はさ、昨日ある人物からこんな事言われちゃって」
「言われちゃってとかも何もその人は占い師かなんかですか?」
「いえいえ会社の同僚がね」
「って、何故見ず知らずの私にその話を振る?道でも聞かれているかと思って返事してますが、あなたの会社の同僚の事なんかそれ以上に知りませんよ。」
(お笑いのコントじゃないんだから。)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

■(上記に関わるのでここも不特定多数が閲覧可能な掲示板で公開することはできませんが)ご本人は理解されていると思いますが、サイト利用に関わる規約上の事項に関わる部分を遵守されない部分(○存性等)、これは心理学的根拠に基づくものであって、これに私が違反する返信を付けることはそもそも私自身が心理学的根拠による対処を侵害することになるので(既にご自身その答えをご存じの返信済み内容に関わります)、『現在公開掲示板上で相談受付を停止している件』と合わせて、一般論に関わる点のみ切り離して返信としますが、この返信に対してレスをする等は行わないでください。
(※既にご存知のとおり、上記内容に関わる件を無視して投稿等が続けば投稿そのものが管理人権限で削除される場合もあります。)

引用なし

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【104】Re:仕事のことで  以前相談したものです  - 2013/06/09 16:07 -

申し訳ありませんでした。ただ最後にここだけお願いします。


単独者、共同幻想社会のどちらかを選択し、それに向かってひたすら努力するものだという解釈で良いんですよね?
ただ仕事がこなせなくて生活保護を受けてる単独者や共同幻想適応者なんていないですよね。やはり食べていくための手段は自分で稼いでますよね。
例えば単独者を選択し多場合、仕事以外で趣や研究などに打ち込んだり、努力していることはあるかもしれませんが、食べていくための手段は(仕事がこなせないからやむ得ず)生活保護なんてあるんでしょうか?
「仕事しないで好きなことして遊んでる」なんて役所から判断もされそうですが。


>さて「俺はどうすっか」という思考が『自分』の実存そのものです。←極論カウンター表現で話を簡略化すれば「俺はどすっか」と考える事が自分の価値である。

仕事ができなければ周りから叩かれてしまいますよね。
それどころかミスばかり続けていたり、何回言われても物を壊してしまうなど同じような失敗を犯してしまうなど、それが原因で皆の足を引っ張っていても(クビにならない限り)目的に向かってひたすら努力し続けることなんですか?
(通常物を壊すとか、ミスを連発することが異常なのもわかるし、共同幻想社会に適応しようと必死になってたことすら気づいてなかったのかもしれませんが、¥こっちが慎重にやっていてもそうなってしまう場合はどうしたらいいのか、お手上げです)


>仮に『共同幻想』選択が決定している場合なら『共同幻想』側からのダメ出しは「できる話・できない話に関わらず」全てありがたいアドバイスと同意なので、何か相談する要素は全くなく「毎日嬉しく思う事ばかりです」となっていないと矛盾する

この場合、仕事とは関係ないこと(容姿や血縁者のことなど)で侮辱された場合でもですか?
仕事で足を引っぱったり、ミスを連発する本人に全て問題があり、言った周囲に腹を立てたり、言い返す権利はないということですよね。
(共同幻想を選択した場合、生活のためにやむ得ず共同幻想色が濃い職場に就いた場合でも)

引用なし

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【105】Re:仕事のことで  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2013/06/10 07:03 -

最初に申しあげておきますが(詳しくは以降記載内容読んでいただくとして)現在公開掲示板は新規の相談を停止しています、これはここを閲覧等で利用している人全てが守っている事で例外はありません(個別各論では無く一般論としての質問のみ受け付けているものです)。
仮にこの状態が続くのであれば掲示板の新規書込み機能含めた同サイトにおける掲示板機能そのものを検討せざるを得ません。
■現状の運営は紳士協定として上記規約が遵守されることで継続されているものです。
■■■以後レスが続くようであれば投稿は即時削除されるものとご理解ください。■■■
(理由に関してはご存じと思いますが守秘義務に関わる事ですのでこの場では詳細記載できません)


全て以下記載は過去ログで返信済みの内容であり(返信済み内容をどうして無視して新規の質問ロジックとなるのか理解できませんが)、『公開掲示板』の運用趣旨(自由にログの閲覧ができる社会性)を保持するため(守秘義務に抵触するため理由の詳細はここに記載できませんが)他閲覧者の方が何の話が書かれているのかわからないでは意味がありませんから、返信済みのログを重複の形になりますが以降記載します。
基本はココです
     ↓
>>「品を変えたからって『蒸し返し話』が可になる訳ではありません。」

■心理学により確認乃至発見された大きな要素は(言い替えれば「構造的に自主解決しない」メンタル問題が派生する理由)、「無意識下で構造的に起きているロジックなりを、ここも構造的に自意識が認知できない、或いは感じられてもどういう現象なのか自分では(無意識下のことなので)理解が及ばない」という背景があるためで、
所謂”ネタバレ”として心理学的にその現象がバックグラウンド含めた説明(ここの過程が分析)を受けることで、以降「自意識マターとして自覚できるようになる」というものです。
=自己確認可能となる。
(「強迫心理」そのものは常人であれば誰しもが抱える現象であり、それがメンタル問題化するか否かの差異は「自覚的にそれを認知・理解できるか」の差異によるもです。)

■学問としての心理学は個別の分析事例の方では無く、「そうなるプロセス」を人類の進化の過程から裏付けする民俗学や生物学や動物行動学から社会学や言語学などの総体のようなものであり(専らそれらの学問なりにおける「人類ヒト科の自我形成」に関わる点に特化して体系化されている)、言うならば心理学というものが現代社会において確立している点においてその論証なりがプルーフされていることになります。
(分析等の根拠は既に社会的にも論理的にも証明されている。)

■心理学がカウンセリングなどで”利用できる”部分というのは前述の常人であれば誰にでもある「強迫心理」などの心理的プロセスと同様に「自覚できる状態」に”ネタバレ”させる事であり(自意識マター案件化する)、
そもそも心理学などを利用しようという動機が確かであれば、
そのレポート(投資分析であるとか中小企業診断などの答申と同様です)を利用する意図があって、依頼するワケですから、以降は(特に当サイトは全てテキストDATAが残る事になりますので)その答申を用いて(更にその都度その過程で理解が及んでいる進捗なりに応じて答申は出されていますから)、常人が誰しも「必要に応じてダメ出しすれば消える”強迫心理”」という目的にその答申を利用すればいい形式になってます。
(「強迫心理」はどんな強迫心理でも「俺は何言ってんだろ」「またはじまったバカじゃねーのか俺は」「出た出たいつもの○○」のように”ノリつっこみ”的にダメ出しすることで効力を失います。→漠然としたダメ出しもあります「なんか違うような気がする」「それって違うくないか」「別のことなんじゃなかろうか」などなどこれは常人であれば誰にでもごく普通にある独り言です。←『自意識マター』が自分の自我内の「強迫心理」などと潰してみたり一理あると解釈してみたり否定してみたり懐柔してみたり折り合いつけていく場面。)
注:ですから心理学における相談は(特にテキストDATAがログとして残る等サイトの場合)、必ず一定範囲を超えれば『終了』します。
(心理学のサイトからが過干渉してたら洒落になりませんから。)


■更に心理学は宗教でも占いでもありませんので、意図的に「こうあるべき」のような余談が一切存在しません(”どうでもいい”という第三者中立性)。
(※カウンセリング過程などの『カウンター表現』を除く)
「その後どうするのかは(答申の利用の仕方や目的含めて)自分で決める事」であり、勿論メンタル問題なりの解決についても「そこから先は自分でも難しいのでストップしたい」という意志があってもいいのであり(歩留り的選択)、
そもそもメンタル問題があろうがなかろうが人の価値は同じですので(ここに関しても心理学は中立)、
あくまでも依頼の『動機確認』を基本としてます。
(※心理学は新興宗教やナントカセミナーじゃありませんので、)
「心理的な問題があるので○○したい」という動機があるのであれば『使えば?』ってだけです。
別段積極的にお勧めしているつもつもありません。
勿論心理学はメンタル問題専業なので「心理的な問題」は全て根拠と事実関係を交えて説明可能です。


■「既に立証済み、或いは鉄板で説明済み、またはコメント求められた心理学的解釈の説明」これらに反論されてもどうにもなりません。
(心理学的説明が変わる事は一切無いですし、そもそも反論の論拠は破綻だらけで当初心理学的説明が鉄板であるのも確認済みの案件ですから。)
行為それ自体が『メンタル問題をなんとかしたいなりの本人の相談動機』を毀損することになります。
既に利用目的が、自意識マター案件になっている「強迫心理」なりの”折り合い”プロセスを延々と反論の形に認識することで「逆に助長してしまう」←「強迫心理」お得意の180度逆さまロジックで相談意図までが逆さまになってしまします。
既に心理学的説明で(ネタバレ)あからさまになってしまった事項を、自意識マター案件とせずに反論しておけば「強迫心理」を温存可能になっちゃいますので、
「100回反論してその都度コテンパンに逆論証されている事項を全くの新ネタ無しに(過去ログの無視)、蒸し返す行為」は、「相談の依頼という動機」が崩壊している事を意味している。
(※典型例が「どこの馬の骨だか知らないが”誰かがこう言ってます”話」を根拠とする反論。←反論ネタ切れの証明でもある。)


■何度も申し上げますが「答申過去ログをどう使おうが自由」ですが、
その過去ログで「強迫心理」の執行に不都合出てきて(そりゃ心理学的答申ですから不都合でますよ、しかもそれが知りたくて当人相談質問しているんですから)、これはマズイと(或いは理解できない的な反発)次から次と反論してたら「それは心理学サイトにおける行動ですか?」。
(反論事象を更に分析すれば無意識に「強迫心理の温存目的」となっていることを明白に論証して、考えるも何も「相談して答申に反論する事そのものが決定的過ぎる論理矛盾」であることなども説明済みですから。)
 ↑
ココも事前に(予測できますので)織り込んで、
○○の話はもう結論が出ているので「同じ話を蒸し返して『反論化』してしまうことを避けてください」と更に上位認知レベル(自我における管理者権限的な意味で)に再三の注意もしてきたところです。
(勿論それらの事項が鉄板で論証済みであることを確認の後に、)
「○○案件は完全終了しているので過去ログ読め状態であり蒸し返し禁止」などの確認。


結果として行為そのものが「強迫心理時代に戻りたい、過去の内向性自己愛代謝状態を回復したい」という形になっていれば(この点も再三説明してきました)、
それは続ければ続けるほど逆効果であり、
(権威者との依存的関係のようなものに限りなく近い)
心理学サイトとして当該状況も予見できるので、サイト運営者として「場合に応じて出入り禁止もあり得る」と言明しているものです。
(※これは相談当初のクライアントの依頼動機を遵守しているからです)


<で、今回の各論ですが>
何度も言ってきたことですが、
リハビリ過程は『仮想反抗期』なので「所謂『共同幻想』系道徳認知の禁止」と、
(そもそも『宗教と教義(ドグマ)』のように『共同幻想と道徳』は同じことで、『共同幻想』適応選択してない状態の自我には道徳を語る権限がありません。更に言えば勿論「○○なものですよね」的な”所謂『共同幻想』的道徳や常識”という意味では無く「何故そうなのか」を検証した”道徳哲学”は誰でも使用可能ですが(思春期反抗期によく出る台詞「自分の言葉で話してくれ」)、これは個人の考えとして述べるもので「○○なものですよね」のような”所謂『共同幻想』的道徳や常識”は『共同幻想適応人格』の合理化された”やっつけ道徳”であって、これを反抗期や仮想反抗期状態の自我が「自ら進んで利用するのは論理矛盾」である。)
 ↓
>ただ仕事がこなせなくて生活保護を受けてる単独者や共同幻想適応者なんていないですよね。
 ↑
これは何学派のどういう考えで、
それをあなたはどういう趣旨で理解して「自分の考え」として(その前文に)反論しているんですか?
違いますよね、
『共同幻想適応人格』を選択したワケでもないのに、所謂『共同幻想』が得意とする(広くその効力を周知させるため)”やっつけ道徳”として「○○なものですよね」の表現使ってますが、
メンタル問題なりを抱えてる自我がこの道徳的認知使うと=即時に「強迫心理」となるので、止めるようにと再三説明してますが、どうして無視するんですか?
(これで何回目でしょうか、200回目ぐらいですか?)

そのくせ100%間違っているときているので、、、
(「ゲッ分析レポートに頻繁に書かれていた道徳的認知禁止出てんじゃん」をスルーしているだけでなく、そのどこから聞いてきたのか根拠も無い「いかにもな保守系共同幻想やっつけ道徳」を少しも「これでいいのか」とか考える余地すら無いといのはどういう事ですか。←「やる気あんの?」と誰もが思うでしょう。)

あのね、
『単独者』と『共同幻想』ってのは、
生業で言えば『フリーランス』か『サラリーマン』かのような差異の事で、
(就職時など誰しもがこれ大前提で選ぶでしょうに、)
「魚屋さんもサラリーマンも仕事頑張っている人もいるだろうけども、怠けるのが大好きな人だっています。」
自らのアイデェンティティーとして(個人の私利私欲がそうなんだから)頑張りたくして仕方がないのがデフォでしょと言っているんです。
個人の私利私欲が「お寺の賢い坊さん」みたいにワイズマンな人なら「あんまり頑張らないでしょうね」となる(頑張る場所が違う)。
努力の話は、動物にとって生存競争には=性的とも言える普遍的欲求がリンクしており(特に人類の進化は特異で性欲を潜在的モチベーション化するような過剰要因からんでいるので)、「個として自分の利益を認知する大人化」において「私利私欲」の追求は原則としてデフォルトだと言っているんです。
選んだ道なりで利益と追及するのが私利私欲なんだから、これが更に利益幅がデカくなる手法(努力)を”喜んでやらない奴はいない”と言っているんです。
(憧れのプロ野球選手になって練習サボるとか、意味わからないという意味。)
「俺の趣味は車です」な人は日夜雑誌やwebで改造の事だとか飽きもせず調べまくりますし、場合によっては莫大な資金投入して自分の車を改造しようとしたりします(努力)。
普通の現象ですよね。
(努力により私利私欲が拡大すんだから。)

しかし事進路や仕事選びは個人的趣味と違って好きに選べません、
(「僕も立派な社会人に」みたいに『共同幻想』に宣誓したのであれば、サラリーマンでありさえすれば日夜頑張るって事になりますが、)
▲たとえば残念レベル1「憧れの野球部だが自分が一生補欠だとわかっている場合」
これでも「面白く無い」と練習サボるやついたら?
「何しにきたんか?」と誰もが思いますよね。
(自分で志願して入部してんのに、)
大規模な野球部(大手の社員数そこそのいる組織)などというスケールにもなれば、レギュラー(主要社員)となるのは「ほんの何文の1の確率ですが」、野球部における補欠上等!のように日々の練習に手抜きするとかありません。
(手抜きして損(努力する快感を捨てる)するのは自分なので、手抜きする奴は動機を疑われる。)
放っておいても努力するのが(私利私欲だから)デフォルトになるって事です。
▲たとえば残念レベル2「○○に強引に勧誘されて思わぬ部活に入った」
(前述で言えば動機を疑われる状態ですから、勿論聞かれた時に「○○に強引に脅迫的につれてて嫌々きちゃったんですよ」と答えれば一同納得。←その代り「お前に自分の意思は無いのか」と別次元の事を疑われます、そこで「いやー子供時代に決して口にはできない○○の秘密を握られていて」など明快な理由があれば「俺が一肌脱いでやろう」なんて人物も出てくるかもしれません。)
前述で言えば「入部動機を疑われる状況」ですね。
この場合の私利私欲は何ですか?「怠ける」です。
「いかに練習とか適当にやるか」←ここに”努力”するんですよ。
(それが私利私欲ですから)

ですから再三私は、
「その動機は何ですか」と確認しています。
仮に「自意識マターとして本気です」という事なら一心不乱に努力して普通(それが私利私欲なんだから)でしょと、
そこで悪態ついてたら自動的に「動機を疑われますが」と言っているんです。
「違うんじゃないの?」と、
(それは「社会適応なりが殊更価値があるみたいな妄想(一般人はみな強烈な幸福を謳歌しているという妄想を根拠に)強迫心理的に自分の考えだと思い込んでいるだけじゃないのですか?」と。←「それは「強迫心理」でしょう」と再三説明してます。)

>やはり食べていくための手段は自分で稼いでますよね。
あのね、自分の稼ぎが明快な仕事なんてのは、
風俗嬢、農林水産業、運送業、製造業、ぐらいのもんで(それにしても他業種にその可処分所得を依存している)、
前段の「野球部(ある程度の社員数のいる組織)ともなればその大半が補欠」と同様に、
社会において確実に自分で給料分稼いでいる奴なんてのは(その実感含めて)”僅か”です。
カルロスゴーンは高給取りですが、
彼が原始時代にたったひとりでタイムスリップしたとして、そこでもゴーンは同じだけ稼ぐのかって全然違う訳だ。
更に公務員のかなりの数は「タダ飯食い」でこれは生活保護どころか(あなたの仕様している保守系”やっつけ道徳”そのまま言えば犯罪者)、行政改革の対象なワケです。
「白アリ」と呼ばれる特殊法人がまた膨大にいる。
そして大学教授、
ご存じのとおり政府の援助無しに大学経営なんて成り立ちません。彼らはそれに見合った稼ぎをしているのではなく(社会的権威を利用して)間接的に生活保護の何倍も生活保護をせしめているのに等しい事になります。
(※というか国会で○○職の人には生活保護の何倍もの生活保護を給与という形で保証することに社会的合理性があると決議されているからですが、個別の教授の判断なんかやってません。業界丸投げです。社会的貢献度なんて発揮している教授が何人いるのやら「野球部におけるレギュラーは何人以下」の比率でしょう。)

そもそもが、経済ってのは「タダの紙切れ」を信用創造でデッチ上げて、回している半分詐欺のような代物で(金の延べ棒使った400mリレーを昨日の二倍の速度で走ると金が二倍になったと等価だみたいな学問です)、いくら給与をもらっているから自分で稼いだとかそういうレベルじゃないんです。
「生活保護の所得よりもっと大きな所得が欲しいから生活保護を貰わないだけ」です。
(年金受給者なんてもの間接的には制度上・会計上生活保護と同じです。)
事ほど左様に、政治の舞台では社会の給与分布を「稼ぎ」では無く「分配」と呼んでいるのは、特に先進国の場合(その詐欺的経営に成功しているので)「後は誰にどういう根拠でばら撒けばいいのか」と考えているワケで、
その原資となる国民総所得を各自が自分で稼いでいるなんて仕組みじゃありません。

それからサラリーマンの稼ぎなんてものは大雑把に言えば「金儲けがしたい経営者の片棒かついでいるだけ」であり、どっかの誰かの金儲けに一枚かんでいる(或いは奉仕精神豊かな労働者として服従している)ってことで、おおよそ(それこそ仮に保守系『道徳』の”やっつけ”では無い方の”道徳哲学”から言えば)「みっともない醜態(彼らはこれを”拝金主義”と言います)」です。
※ライブドアの堀江をやれ冤罪でもなんでもいいからぶち込めと言ってたのが「共同幻想保守派」


▲それからあなたは堂々と
>ただ仕事がこなせなくて生活保護を受けてる単独者や共同幻想適応者なんていないですよね。やはり食べていくための手段は自分で稼いでますよね。
こうコメントされてますが、
(そもそも心理的問題があって、その影響もあっての現状であることを理解していて←必要があればいつでも診断書も貰える状況で、)
「ただ仕事がこなせなくて」ってこれは何ですか?
あなたは2chのネトウヨですか?
何が面白くて、自分の権利侵害・尊厳の毀損をするのかその目的がわかりませんが(てか100%「強迫心理」に都合がいいからなワケですが)、
直接的な表現では無いけれど、これ心理的問題で生活保護を申請している人達全体を侮辱する発言になっている事に気が付かないんでしょうか?

>(仕事がこなせないからやむ得ず)生活保護なんてあるんでしょうか?
こんな事一言も言ってませんし(明快に理由を明示してます)、
現象として、「それは強迫心理ですね」と(某就職先への就職動機の時から)説明してますが。
『共同幻想』用語のぶっちゃけ表現で言えば「病気だからできない」ですよ。
(それについての心理学的アプローチも説明済みですし(その中に「無理をして働かない」も含まれているだけでなく、非常に初期の頃からのソフトランディングの経過措置としてリハビリ過程の選択肢にそれがあり得る事を説明してます)、前述被りますがそもそも「失敗ネタと「道徳的述懐(ガチ強迫心理)」のセットが、深層心理方角から見れば「自作自演」にもなり兼ねない事、更に鬱病が一般社会においても労災の対象となるばかりでなく、どこの学派でもこの件については「まず休みましょう、でできれば辞職も考えましょう」になりますね話も何百回しました?)

>仕事ができなければ周りから叩かれてしまいますよね。
なんで被害話になってんだよ!!!!
その動機が確かなら「憧れの野球部に入ったがやっぱ補欠か状態部員」と同じだろーが!
(厳しい野球部の練習は”嬉しい事”だろーーが!)
そうなってないのなら”脳内ロジック”でおかしな事が起きている事になるので、
分析すれば、それは、
 ↓
だーかーらー
被害話になっている事(嬉しい事が真逆に、180度逆さまになっている)そのものが、
「動機が疑わしい」→「そもそも就職動機というか企画そのもののバックに「強迫心理」が介在してますね」となるでしょうと何回説明しました?300回ですか?

仮にそれが地域性なり自分なりの”しのぎ”の感覚として、
前段説明の『残念レベル2「○○に強引に勧誘されて思わぬ部活に入った」』
上記の○○が「無意識下の「強迫心理」へダメ出し失敗で強引に思わぬ『共同幻想』組織への参加があたかも○○に認められる快感であるかのように(=妄想)、執着として現れやってしまった入社」なのだとすれば、
「怠ける(或いは雑用シフト)」のが私利私欲であり努力でしょうに。
(ですから「今となっては就職動機の失敗を蒸し返してもどうにもならんので、状況判断なりとして上司に”かくかくしかじかメンタル問題があり”可能であれば雑用シフトを希望するべきだ」とも返信しましたが、その時あなたは「雑用は御免だ」「努力は無駄だ」「メモを取る事に意味は無い」と馬鹿にするな的な返信をされており←この現象も延々説明してます。事実今回の質問原稿の中で過去ログ利用して判断変わっているとこあるじゃないですか。)
しかし、あなたは再三「○○ができるようになるにはどうしたらいいのか」話が延々に続き、
バックグラウンドに強迫心理の介在があることを再三説明しましたが”違う”とお答えになり(てか全文引用状態の反論が無限に続き)、
私はクライアントの発言をまずその時は書いてあるまま認識しないことには始まらないので、→「あなたは嘘をつていますね」じゃ心理学にならないですから、探偵じゃないので。
延々とその動機確認が続き、
▲その甲斐もあってか”ある程度には「○○動機で下手踏んだ」事はあなたも当時納得済みの確定事項”です。
(即戦力話などなど、)

そして発生する各仕事上の問題(や失敗)に、いかに「メンタル的要素」が関係しているのか具体的に説明し、
何度も言うように「説明済みの強迫心理の過去ログ一覧をあなたの自意識マターがスルーされたんじゃ意味が無い」と反論の禁止を何度も念押ししてますが、
これが止まるどころか(明らかにサイト利用を「強迫心理」保守に利用する目的化している状況)迷惑行為同様状態に達したところで、
(守秘義務があるので具体的な事は記載できませんが)
一定の措置に至ったのが結末です。

(※今回の返信にあるように話はグル―っと回って「強迫心理」に都合のいい展開となっており、そもそもの就職動機そのものからがおかしい点が多数あると、再三あなたが過去質問されててきた”根本的なところ”を何回も何百回も説明してきてます。前述の野球部のたとえのように、自身の行為としてどちらが「自意識マター」として『抗(あらがう)』系になるのかは、行動として真逆になることもあるワケで、冒頭の動機部分の心理学的説明をあっさり反論形式で否定されたら、各論ガタガタになるというか、相談した答申に反論するという論理矛盾が続けばそりゃそうなりますよ。前提ひっくり返しちゃうんだから、以降説明を読んでも矛盾するように感じる事に成功してしまう。)


■繰り返しますが、
「自意識マターとしてそれをどう使うのか?」これを心理学は何も示唆しません。
(宗教じゃありませんので、)
答申を捨てるのもあなたの自由です。
「強迫心理も自分の一部である」と考えメンタル問題との”関係性”を歩留り的選択に留めるのも自由です。

しーかーしー
動機を曖昧なままにして「強迫心理の自作自演状態」になるのであれば、別問題でしょう。
(確信犯的選択にならないので「自己責任を担保できず」、自意識が当事者権限を喪失してしまうため、)
かと言って、それを状況判断として説明する事はできますが、
その時点で「相談動機が変質」しているのであれば、
依頼も無いとこに心理学系の人間が出しゃばっておじゃまします状態になるので(今度は第三者性が担保できない)、「相談自体が(動機不成立で)失効扱いになります」よと、
その後の経緯は以下のとおりで、
(守秘義務があるのでここでは説明できません。)
一定の措置となってます。

そして今回のこの原稿も一から十まで既に説明済みの事項であり、
@@@全部過去ログに書いてあります。@@@

>こっちが慎重にやっていてもそうなってしまう場合はどうしたらいいのか、お手上げです
錯誤行為は強迫心理の介在なり(成果への過剰固執)、バックグラウンドで動いている強迫心理をストップさせていない(ダメ出し放棄)などなどの事後的に起きる過緊張(テンパり)、或いは同様状況における「自意識の後退(思考停止)」などで発生する行為だと何回説明しましたか。
そして「ここのところの強迫心理が」と説明する度に、
説明に反論されてたらワケ無いですよ。
「自分にはメンタルの問題など全く無いのにこれはどういうことですか!」と言っているのと同然で、心理学のサイトがその状況を「相談動機が明快だ」と考えますか?
(人生相談サイトじゃないんだから、)

繰り返しますが、
相談当初の状況から(守秘義務があるので具体的な事は記載できませんが)、驚くべき○○を遂げて、あなたの”努力”の甲斐もあり順調に○○○○な状況にいたり、
精神分析過程はほぼ狙いを完結し(根本的な構造要因の崩壊)、
後は「自意識マターですんで」と(ぶっちゃけ好きにその後の選択をすればいい)、
補足でリハビリ過程の相談もありましたが、
リスク要因の説明を無視して、○○動機は本当だ的にそっち方面に行き、
その段階で(ダイエットにおけるリバウンド現象なども交えて)「反動出てますね」と、
しかし常に本人の動機確認してナンボの世界なので、
(心理学が宗教じゃありませんので、)
クライアントの意思を尊重し、
こちらの判断として「依頼内容の確認の点でお引き受けで無い場合がある」部分に”何は何”したので、反論効果による悪循環化をストップさせるため(心理学のサイトなんですから誰よりもそこに予測なりできるワケで)一定の措置になってます。
過去ログを利用しようと思えばいつでも利用できるのがこのサイトの最強のポイントなので、新規に返信する内容が無いところまで説明尽くされている事が、当初依頼への担保になっており、後は本人の自由意思です。

>仕事とは関係ないこと(容姿や血縁者のことなど)で侮辱された場合でもですか?
あったり前でしょーーが!
どういう理由で映画『フルメタルジャケット』推薦したと思ってるんですか。
ハートマン軍曹は紳士でしたか?個人的侮辱をしませんでしたか?
これに兵士はなんと答えるのがルールですか?
単独者系の野村監督ですら、外見や身体的特徴及び技能を揶揄します。
理由は簡単です、
「そんな事は(社会に出る=出家同然なんだから)とっくに捨てているな」の確認です。
『共同幻想』の兵士を鍛えているんですよ。
猛烈野球部の話にたとえれば「お前野球のためなら親も殺す覚悟できたか」の動機を確認してんですよ。
「お前何しにきたんだ」と、
(特に軍部の場合その動機が”アレ”だったりすれば他の兵士が死にます。野球部で言えば地区大会で敗退するんですよ?個人の人権?ハードな『共同幻想』がんなもの尊重するワケが無いでしょう。『共同幻想』こそが最優先の権威なんですから。)
野村が個人の外見や云々を揶揄するのも似たような話です。
「んな事指摘されていちいち気にするような奴は(もうその時点で動機アウツ)辞めちまえ」って事です。
「やる気あんのか(志望動機は確かか)」を確認してんです。
(或いは『共同幻想』なり『単独者』がしのぎを削るプロ野球界(野村の場合『個が抗(あらがう)対象』)なんぞで何が面白いのかやろうって奴がどんだけの覚悟が必要かを懇切丁寧に説明差し上げているって事です。)

あのね、社会ってのは(動物行動学的に言えば「哺乳類がしのぎを削る縄張り争い」)、小学校じゃないんだから、
各人が個人の私利私欲のため互いに殺し合いする場ですよ?
(『共同幻想』は自由市場自由競争なんて言ってますが)
だから法治国家と言いまして、権力の側が銃で武装してその治安を維持しているんです。
(逆に言えば放置すれば殺し合い始まる事が「あったり前」だからです。)

なので達見した坊さんなんかは「言うなら仕事もせずに」口を糊する事で足りるような、チベットあたりじゃ坊さんの経済活動は禁止なんであって、全部托鉢で食わなくちゃいけない。=生活保護とどこが違うんです。偉い人は働くなんざ私利私欲で穢れる事をよしとしない人だと言っているんです。
(欧米原始宗教共通の原書にあたる旧約的伝承からしても「労働」ってのは神様の刑罰であって、罪人に課せられた罰なんであって、立派な人は働かなくてもいい人という事になっており、米国系のアメリカンドリームの発想の背景には、某宗教改革派の「大成功して富豪になり労働から解放されることを神は祝福する(贖罪した)」みたいなアイデアが関係しているんです。←この辺も全部説明済みです。)

■日本の現代社会の前衛サブカルにあたる2chなどのニート論壇から
「働いたら負けだと思っている」
「自宅警備員」
などの哲学的とも言える格言生まれてますが、
(平成初期には「ダメ連」というのが杉並にいて、「ダメ人間の追求」を哲学的運動化し展開した時代もあります。)
後期先進国だから気が付く着眼に他なりません。


>仕事で足を引っぱったり、ミスを連発する本人に全て問題があり、言った周囲に腹を立てたり、言い返す権利はないということですよね。
だーかーらー動機によると言ってるんです。
「もうね強迫心理のダメ出しに失敗して、やってしまった的にこうなってしまってます。本当は嫌々なんです。何か無理やりでも社会適応しないと○○○みたいな抽象概念で頭がパンクしそうなというか、実は病気なんです。」
 ↑
こう言い返せば?
「あらそうだったの、そういう事なら無理しないで休職なり辞表書いたら?」と彼ら言いますよ。
ミスを指摘したり、やんやんや悪口言うってのは、
「やる気あります、野球部命です」という初期の動機を『彼らが信じている』からで、
(ハートマン軍曹のような態度が痛快かつあれは親切だとな的に思うケースも多数あるんですから。←すっかり以降の軍事教練ネタに多大な影響を与えた。)

しかし、
「一生懸命やっているのに(彼らの目には「動機が違うくない?」とバレているのに)、これはイジメです、不当な扱いでアンタたちは最低の人間だ」
こう言い返せば?
周囲は(こちとら命がけでやってんだボケと)全員冗談じゃないぞぶち殺されたいのかと”切れる”でしょう。
(状況わかりやすくして極論すれば、)

だーかーらー言っているんです。
>>あたかも強迫心理構造時代の『家幻想』における「こうにきまっている、普通はこうだ」みたいな前提話の”出方”と脳内回路の構成は同じ事になってしまっている部分に気が付いていない。

家人相手に○○○(守秘義務があるので詳細は記載できません)な時の○○感情の発言動機と思考回路や出方が同じになっている。
「言い返す」という言葉の意味やバックグラウンドの解釈ルートが同じになっている。

だから無理に『共同幻想』職場を選択すれば(『共同幻想』は『家幻想』の上位階級なんだから)、投影なり再現なりの(言えばフラッシュバック的な)「強迫心理舞台の再現」にもなり兼ねないので(自意識マター確立を自分なりに判断して)『単独者』『共同幻想』の選択なりの後であればアレですが、いかにもリハビリ過程であればと推薦の○○まで説明したのであってその○○時代は非常に長く安定してました。現在の○○の○○系列の時には自ら随分背景含め理解のある○○を事もあろうかバックれる形で○○しているなど、事の経緯は明白に「強迫心理」に都合のいい方に反動化ししていると説明もしてます。又○○の時に○○がどうかと確認求められて「お世辞にも勧められない」と各論併記でリスク要素まで説明してました(←現象を俯瞰で見れば「強迫心理」主導の自作自演以外説明しようが無いでしょうが)。


>共同幻想を選択した場合、生活のためにやむ得ず共同幻想色が濃い職場に就いた場合でも
ここは前段説明済みです。
この場合の努力は「いかに怠けるか」が努力であり、
(或いは自己申告的に間違ってしまった点があると、雑用シフトの打診)
仮に周囲がやんややんや状態の場合の言い返す方角は、
「好きでこんなとこきてんじゃネーぞボケ、」となる。
(そりゃ買い言葉で「なにー、んな事言うならとっとと辞めちまえ」と先方も言うのが筋論です、)
そういう面倒な事が(所得という私利私欲で)困るぞこりゃという局面なら?
言い返すも何も、
「どーもすいません(こりゃヤバいぞ”あれこで何ができるだ何ができないだくだらない事考えている暇はネーゾ”)、ともかく一心不乱に仕事時間は真面目に取り組んで集中してます的な、、」となります。
=「仕方がなくここでしか食い扶持が無い事情(或いは強迫心理)」との折り合い優先(”ノリ突っ込み”的な「アホか自分」的自意識マターの出動)、
言い返す権利はありますか?なんてすっとんきょうな事を考えている場面じゃありませんよね。
それはどんな面白い世界の話ですか?
少なくとも周囲が苦言や悪口言ってくれている間が(彼らの動機はともかく)花なのであって(この間周囲は「その動機を信じているのだから」)、
(■勘違い・潜在意図的誤読が予測されるので事前に補足しますが、フルメタルジャケットを進めた理由に記載したとおりそもそも『共同幻想』は「一種の強迫心理であって狂気そのものでもある」を理解するための推薦だったワケで、その意味で現代社会は『共同幻想崩壊過程』なワケで且つその方向は自明です。私はここで「彼らの心理をどう読むか」を説明しているのであって、『共同幻想』特有の人類の習性や集団心理を個人的に肯定しているつもりは全くありません。社会心理学的見解としても「とっとと崩壊すべきだ」と思ってますので。)


「言い返す権利も無いのですか」って、、あなたねそれざんざやった『家幻想』時代の大問題を解体して見事に離脱してきたんでしょうに。
何故社会を使って「夢をもう一度」になるの。
そこ考え続けないと(どういう事になっていてこうなっているのか全部説明済みで考える必要無いほど詳細に記載されているので極論”読めばいい”んだから)←メンタル問題からの離脱が動機ならね。

だーかーらー
(この辺一から十まで過去ログ説明済みですが、)
「強迫心理」のレトリックに「ここがこう、ここはこう」と具体的に説明してきたし、
反動状態から醒めている時にはあなたはここも理解もされてます。
(=もう「自意識は知らない」というような構造要因は無い→「字で書いてありますので」)


■後は「やれやれ○○が○○か、あーあーあーあーなるほど(ここの前提に反論するとこじゃネーぞ俺)、そうなってるワケか(とにかく〜ちゅうことだわな)。さて(こっから先は心理学とか関係ネーわ)、現在俺は○○なワケだがさあどうすっか」
(以降に心理学は干渉しません。あなたの人生です、自由に考えてください。又ここは人生相談サイトではありません。)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

■現状の運営は紳士協定として規約が遵守されることで継続されています。
■■■以後レスが続くようであれば投稿は即時削除されるものとご理解ください。■■■

引用なし

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【106】自分にけりをつけるために  以前相談を受けてた  - 2013/06/28 18:58 -

最後と言っておきながらお許しください。

私自身もだいぶ反省してたつもりでしたが、まだまだだったのでしょうか。

仕事でも私も今回は自ら望んで就いた仕事でした(以前続いた仕事の経験も踏まえてできるだろうかとの試しもありました)。
完全に決意したわけではないですが、単独者としての選択を考えてました。でまた失敗だったわけですが。

単独者として向かって努力している時にミスや物を壊すなどの失態を繰り返してしまった場合はどうしたらいいんですか?成果が気にならない部分(雑用や私生活の)でもミスや物を壊したりすることが多い有様です。
いらない考えを切る努力はします。それでもミスや物を壊す、見落としなどの失態を繰り返してしまったら…。
趣味なら自分の好きなようにできるけど、仕事って部分では私のようなミスをくりかえしてる場合、
「単独者を選択したならひたすら努力する(成果は気にならない)。出来なければ雑用係を希望し(皆から迷惑がられても)クビになるまでひたすら努力する」なんて考えって甘くないのでしょうか?


あとは共同幻想適応者とどう接していけば良いのか?仕事以外の面でも医者や知人と用事で絡むことがあるのですが、思いやりとか、ものの頼み方とか、謝り方とかわからなくなりました。

(いつも私にアドバイスをしてくれていた)知人から「思いやりがない。自分のことしか考えてない。謙虚さがない。人間とは思えない」といわれました。
その知人が体を壊したときに心配したら「お前がはじめて少し人間らしいと感じた」といわれたくらいひどかったようです。
人に物を頼んだときでも「物を頼むときの態度に謙虚さがない。物を頼むときにはお願いしますと純粋な気持ちで頼むものだ。おまえは自分のことばかりで感謝の気持ちがない。だから冷たくあしらわれるんだ」といわれたことがあります。

知人の言うように私にも無神経な言動や態度はありました。
自分の至らなさもわかったら人のことを考える余裕も(職場で容姿のことなどをけなされたときには腹が立ちましたが)以前よりは出てきました。

その後、ある事情で相談業務の仕事をしてる人にお願いをすることがあったのですが、その人に私の管轄ではないと言われ、断られたことがありました。
私の態度に原因があった、他の人なら聞いてくれたと思うと知人から言われました。
やはり私に感謝やお願いするときの謙虚さがないと。空気や状況が読めないのも人を思う気持ちが足りないからだと。
他の場面でも人のことを思いやり、感謝の気持ちは持って接してたつもりだったのですが、まだ何が足りないのでしょうか。


他を見てみると人のせいにしている(悪口を言ってる人)でも人とうまくやってる人もいて、仕事などで謝ってる部分でも物を頼んでる部分でもすんなりいってる人もいて、疑問に思ってましたが、謝り方、秩序、ルール、相手の立てる場所などを知っているからなんでしょうか?


共同幻想と折り合いをつけようと思うと、相手を思いやる気持ちも必要だと思ったのですが、その思いやりや謙虚さ、相手を見るってこと自体どういったものなのかわからなくなりました。

自分だけではわからず、何度も知人に聞いていたら、知人からも愛想をつかされしまい、そのことでも悲しくなってしまってる状態です。
自分に原因があり、相手に依存してしまってたと反省しているのですが、(相手も私も恋愛感情が入ってしまっていたのか)関係自体が問題だったのか、それでも私のことを厳しくしてくれたり、親切にしてくれていたので相手を信頼していた部分もあります。
自分に原因があり、私がもっと自立していれば信頼関係も築けていたのかと思うとつらいのですが、こんな自分にけりをつけるにはどうしたら良いのか?

本当に申し訳ありません。こんな自分にけりをつけたいのです。お願いします。

引用なし

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【107】Re:自分にけりをつけるために  以前投稿してた者  - 2013/06/28 22:22 -

>仕事とは関係ないこと(容姿や血縁者のことなど)で侮辱された場合

知人からも同じことを言われました。容姿のことを言われるのも人に言われる要素があるからだと。
「私の性格の問題は色々言ってくるのに、逆に私が人から言われたことに対しても全て私が悪いって言われなきゃいけないの。全て私が悪いなんて言わないでよ」と知人に反発してました。

でもよくよく考えてみれば、知人は『共同幻想社会でのあるべき姿』を言ってたのでしょうね。共同幻想社会では容姿含めて人が嫌悪感を持たないように気遣うのは当然の話であり、私が人から容姿のことを言われたのもきっちりしてないとの意味で言われたのだと解釈してますが。
メンタル面で問題を持ってると、その血縁者のことも同じように見られる傾向にありますしね。
それでいちいち腹を立てていても仕方ないですよね。

それでも言われたらむかつくし、まして血縁者は関係ないだろとの思いはありますが(共同幻想適応者でも家族のことまで言われたら腹立たしくなると思います)、共同幻想社会ではそんなものなのかなと(共同幻想社会全てを否定するわけではないけど、ほとんどの面では残酷だと感じますが)割り切るようにはなりました。
それに容姿(生まれ持った顔かたちではなく、全体的に醸し出してる雰囲気)が暗い感じだったり、おどおどしていたりすると周囲もその人に対して良い印象持たないのは当然だとも思います。

そのことが何もわからず、知人に反発し、喧嘩別れになってしまった後にずっと考え込んでいたのですが、気づくために失った代償が大きすぎました。
(共同幻想社会内での話だと割り引いて考えても)知人は一生懸命になってくれていたのに結果傷つけてしまったし、気づいたのが遅すぎました。
kagewariさんにも申し訳ないことをしました。

ただ思いやりとか、物の頼み方とか、その部分についてはわからない部分があり、規則に反して登校しました。もうしわけありません。

引用なし

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本当に困るんですが(ご存じと思いますが「○○禁止」の事項があるため先日アップのブログ記事はこの事項がリハビリ過程などのひとつの典型で起こり得ることだるのと同時に参考になれば的に記載されたものです)、今回は前述括弧書き理由と同掲示板過去ログに似たケースの記述もあまり無いですからサイトの社会性から考えて本項でも返信付けますが、
(参考ブログ記事:http://kagewari.seesaa.net/article/367397801.html
■以降書き込みがあれば自動削除する事をここに厳命します。
繰り返しになりますが「心理学的に逆効果となる」根拠が明瞭だからです。

<ざっくり状況を説明するならば>
ご自身ネタバレ的強迫心理時代の過去など既に十分理解されてますので(構造的問題は既に壊れ解消している)、以降派生しているのは専ら「依存性」とこれを『自意識』がスポークスマンのように追認してしまう問題で、
あたかも問題が固有にあるかのような状況認識を自分で追認してしまい(本来は『自意識』が試行錯誤や経験積んでスキルアップする場面を)みすみす現状の弱点とも言える依存性を助長してしまうことは”ダイエットのリバウンド”のような”慣性退行・反動退行”みたいな事になっているのであって、結果論をどう結ぶのかは『自意識マター』なんです。←自分で決める場面です。→逆に「これは相談することだ」と認知しちゃえば依存を助長するだけでそこには未来永劫答えはありません。

注:ダイエットの方法論は説明済みでご自身も理解している。この時その方向性の実行は「当初の依頼動機『ダイエットを成功したい』によりますが」、方向を理解しているのにこれを”リバウンド的”に下手を踏んだ状況を、「ダイエットの方法論」側に質問しても論理矛盾になるんですってば。
(リバウンド的に下手を踏んだ状況=当初の動機が維持できてない、当初の動機を前提とする方法論側に説明求めてもこの段階で依頼動機が不完全な事になる。)
ダイエットの依頼が動機として成立していないところに、ダイエットの方法論サイドが「どうやったらそういう動機になりますか?」のような設問に答えがある方がおかしいんで、

注2:そして心理学サイドは「当初の動機に矛盾する反動が起きるプロセス」を説明してますから。
(参考ブログ記事:http://kagewari.seesaa.net/article/367397801.html
歩留り選択の話にしても、十分説明してます。
(自意識が確信犯的に歩留りを選択した場合、それは個性と等価である。)


■結論「問題の定義」或いは「問題の認識」それ自体に論理矛盾があるんですよ。
 ↑
でー、これを(リハビリ過程は良い悪い判断が厳禁であることも説明してますが)
あえてカウンター狙いで「○○が悪い」とかで説明すると、
「自分の自我OSがバグってんじゃん」なんですよ。
(主体論として自分が悪いみたいな解釈は間違いですから)
「自分の自我OSがバグってて、おかしな命題が来ているけども、なんだこれ強迫ネタじゃん。却下!」

上記のプロセスは人間100人いれば誰にでもあるもので、
たとえて言うなら『ノリ突っ込みパッチ』なんです。
(「強迫心理」はネタバレにより鎮圧できる。)
「何言っとんじゃ俺、」「アホかっちゅうに」
このカウンターで一発終了なんです。

しかし、
強迫ネタをそのまま(これは事実関係として問題だ)と自我に挙げちゃって、相談なる外形的事実にしちゃうと、もう自意識は後追いになるので←こういう思考プロセスになると未来永劫答えの無い設定なので、どこで何しようが100%答えは無いんです。
(「永久の悩みを発明した」に近い。)
 ↑
仮にこれを他者に質問するのではなく、内向系で発現させれば『鬱症状』って恰好になるんですってば。
(「依存か鬱か」の差異になっているだけ。)

■しかも上記関連は「注意事項」として説明済みで、
こちらも予測範囲なので、依存切り的措置を当て込んでおくのがベターという判断と説明も行われてます。(ご自身も理解されている)
今回の事例はリハビリ的に言えば「鬱リスク」ではなく「依存リスク」だったので、相談なりが成立していた時点では「各方面の行動における事実関係の注意点などなど」説明もし理解もされてます。

その注意事項をことごとく破っちゃうワケだから、、
動機の確認をせざるを得ないし、
(たとえて言うなら「本当にダイエットが目的なの?」的に)
「それやったら問題起きるの予告済みじゃん」が派生しているのであって、
(糖尿病とかなら「あれだけ甘いものは控えろと」みたいに、)

自問自答の根っこは「当初動機の確認」に尽きるんですってば。
●「ぶっちゃけ俺は何をどうしたいと思っているのか?」
そこを他者に答えを求めちゃいかんでしょうに(笑
自分の存在意義が無くなるワケだから、
てか、
(それが「強迫心理の狙いであると」さんざ説明してきたのであって、)

「さて、俺はどうすっか」
ここからが始まりで、「どうしたらいいのでしょうか」じゃないのだってば。
(それじゃ無限ループするから。)
言うならば最終局面なワケでしょ。
「さて、俺はどうすっか」が来るたびにリバウンドしてんだから。
そん時の「強迫心理」を『ノリ突っ込みパッチ』で切れるか否かって場面なんですって。
「あーこれは人に聞くような話じゃネーや」と言えたら全部の悪循環は止まる。
(参照前述ののブログ記事)

<本来は意味無いんですが社会性を考えて各論つけます>
>私自身もだいぶ反省してたつもりでしたが、まだまだだったのでしょうか。
又、相談文を書いた次点でマダマダですね。

>単独者として向かって努力している時にミスや物を壊すなどの失態を繰り返してしまった場合はどうしたらいいんですか?
極論何もしなくていいです。
(失敗したくない意思があれば「努力」すればいい。→努力目標ができてよかった、人生に張りができた。幸せな事です。)
短期的に言えば謝ればいんじゃないですか?

>いらない考えを切る努力はします。それでもミスや物を壊す、見落としなどの失態を繰り返してしまったら…。
だから「余計な事(ミスの連発は予測範囲内なだから)を考えてる場面ではない」と切ればいんですよ。

>味なら自分の好きなようにできるけど、仕事って部分では私のようなミスをくりかえしてる場合、
これは言い訳、
その言い訳は通用しない。
 ↓
「今回は自ら望んで就いた仕事でした」
この選択の次点で、趣味以上に自分の好きな事となるため。
(そうなってないなら当初の動機は”嘘”だった事になる。)
趣味と同じように、失敗などがあれば、
「チクショー(笑、何やってんだー俺」以外有り得ない状況。

そこに仮におかしな問題意識があるなら、
「普通は○○の筈だ」みたいな強迫心理をやらかしているって証明。
(参照前述ののブログ記事)

>完全に決意したわけではないですが
 ↑
ほらねw
(自己責任の担保が無いから、失敗も自分の幸福だというプロセスに入れない。)
なんかの動機に引っ張られてるって事でしょうに。


>あとは共同幻想適応者とどう接していけば良いのか?
だから、
リハビリ過程はバイトでも全然OKなんだし、
(それが動機ならだけれども、)
高校生がアルバイト先考える時だって、
新卒大学生が就職先考える時だって、
「俺はこういうの苦手だから○○系はNGだなぁ」←これ誰でもやるんですってば、

なんで『共同幻想』職場がデフォなの、、
「社員が多いとか組織的業務はまずNGとしてっと」←これがデフォでしょうに。
リハビリ過程なんだから。
(経験の中から「単独者にすっか共同幻想にすっか秤にかける過程なんだから」)
リハビリ過程の参考になるのはほとんど同じ状況の「高校や大学時のバイト選び」ですが、人はこん時に得手不得手含んで(どちらか言えば楽な方が誰にとってもいんだから)、試しに○○系職場行ってみっかなどしつつ(仮に失敗して辞めてもバイト君ならあんまし企業にも迷惑かからないので)、
「さて俺はどうすっか」の戦略上の下地を作るんだから。

予め『共同幻想職場』がデフォの次点でアウツでしょ。
(ガチ「強迫心理」)

こんだけ話してもピンときていないと思うので、
激動の昭和における単独者なりが何をどう考えるのかサンプルでお答えしますけど、
「まず都会だな」だとか、
「日本は無理だな、どうやってアメリカいくかな」だとか、
 ↑
これ当時の若者日常茶飯事の発想だから。
「さて俺はどうすっか」の戦略上の下地ってのはそんだけデカイ話なワケ、
(実際勘違いして片道切符や密航者状態且つ現地では浮浪者状態とかで米国や欧州いっちゃった人とかゴロゴロいるワケ)
現状の「地域制保守『共同幻想』がデフォ」になっている時点でアウツでしょう。
(仮にこれが”歩留り的”な自己選択で「やむなし」の決定事項であれば、「さて俺はどうすっか」てのは「俺はこのクソどもの中でどうやってサバイバルするか」がテーマになるので←人に聞くことでもなければ心理学が登場する場面でも無い。)

繰り返しますが、
あなたは再三何を言っとんのかと言うと、
「普通は○○の筈なのに」的にだね『共同幻想適応話』の周囲をグルグル回って、
この問題に「さて俺はどうすっか」の結論なり決定なりを永遠に先送りしているワケ。

「さて俺はどうすっか」この決断は「どうしたらいいでしょう?」
これは設問になってないから。。
(心理学は宗教じゃないから)
設問自体が、過度な『共同幻想』依存状況におけるナントカ教の信者が「○○様私はどうすればよいのでしょう」という宗教事務所の会話と同等になっている。

そんで「それを相談だと認識するからダメなんだっちゅうに」と何回も説明しているワケです。

>(いつも私にアドバイスをしてくれていた)知人から「思いやりがない。自分のことしか考えてない。謙虚さがない。人間とは思えない」といわれました。
>人に物を頼んだときでも「物を頼むときの態度に謙虚さがない。物を頼むときにはお願いしますと純粋な気持ちで頼むものだ。おまえは自分のことばかりで感謝の気持ちがない。だから冷たくあしらわれるんだ」といわれたことがあります。
>知人の言うように私にも無神経な言動や態度はありました。
 ↑
これも全部既設です、
(依存フラグがあるから「○○禁止」措置であるとか、、警告したまんまじゃないスか。)

細かい解説つけると、
「強迫心理」系反射的動機に起因する(本人そのつもりも無いのに)『上から目線の構造』
(過去ログ思い出しました?)
構造的にスタンスがそうなるワケ(そのつもり100パー無くてもその論理思考だとそうなっちゃうの)、
脳内の権威者と自分の関係から発言すると(脳内では権威者=神託みたいになっているから←これが『自意識』を抑圧可能とする原動力)、自分を抑圧している絶対権力者目線になるので、
これを傍から見れば「トンデモ勘違いな人」となる。
(ある意味周囲がそう受け取る項事案は「全部強迫ネタで設問そのものがナンセンス」だって事。自分の意識下にある”問題ネタだこれ・相談ネタだこれ”とかいうゴチャゴチャした認知そのものを潰しにかかる方が先だって事です。本来は「人に聞いてんじゃネーよ俺」の場面なんですってば。)
つまり、
本人には後追いで自意識には相談に”見えている”だけで(実は答えの無い永久ループの強迫ネタフラグ)、口から出ているのは「強迫ネタ」であり(この段階で極論すると全部鉄板の妄想)、
本来は『ノリつっこみパッチ』で、
「またぞろ何を言い出してんだか俺(んなこたーどうでもいんだよ)」と、その上から目線の姿を自分で「馬鹿じゃん」というツッコミで切って終息するものなんだってば。
「古い芸を品を変えれば通用すると思ってんじゃネーぞ、いつまで同じことやってんだ俺」と、
(そういう余計な話は『ノリつっこみ』で切って捨てて、自分の事はともかく(どうでもいいので)回り(現実)を見ろよと、)

あなたが再三「空気が読めない」とか言っている観察意欲の欠如は、
前述のプロセスを起動させていなくて、やれあれがこうだこっちはこうだと(どうでもいい)自分の強迫ネタを延々(現実世界の)話題の中心に据えたままだから起きるんですよ。
(自分のどうでもいい話に注意力を削がれるので、現実への集中力がお寒い結果になる。)

>まだ何が足りないのでしょうか。
今回の返信が答えです。
自問自答の根っこは「当初動機の確認」に尽きるんですってば。
●「ぶっちゃけ俺は何をどうしたいと思っているのか?」
そこを他者に答えを求めちゃいかんでしょうに(笑
自分の存在意義が無くなるワケだから、
てか、
(それが「強迫心理の狙いであると」さんざ説明してきたのであって、)

「さて、俺はどうすっか」
ここからが始まりで、「どうしたらいいのでしょうか」じゃないのだってば。
(それじゃ無限ループするから。)
言うならば最終局面なワケでしょ。
「さて、俺はどうすっか」が来るたびにリバウンドしてんだから。
そん時の「強迫心理」を『ノリ突っ込みパッチ』で切れるか否かって場面なんですって。
「あーこれは人に聞くような話じゃネーや」と言えたら全部の悪循環は止まる。
(参照前述ののブログ記事)


>自分だけではわからず、何度も知人に聞いていたら、知人からも愛想をつかされしまい、そのことでも悲しくなってしまってる状態です。

だから(結論出てている話に自己反論して)繰り返し同じ話を聞く行為はそれ自体が依存フラグになっているんだってば、
「自分には相談毎がある」←コイツをいっとう先に鎮圧しないといかんのですよ。
(放置するといかにもナントカがおっ始まる。←と再三注意喚起してきてます。)


>自分に原因があり、相手に依存してしまってたと反省しているのですが、(相手も私も恋愛感情が入ってしまっていたのか)関係自体が問題だったのか、

リハビリ期間は恋愛ナントカはご法度だとあれほど、、、
「言ったとおりでしょ」
(これ以上何を言えばいいというの)

>自分に原因があり、私がもっと自立していれば信頼関係も築けていたのかと思うとつらいのですが、こんな自分にけりをつけるにはどうしたら良いのか?

既にご自身で答えを書いてあるじゃないですか、、、
 ↓
「私がもっと自立していれば信頼関係も築けていたのかと思うと」

何度も繰り返しますけども、、
歩留り選択つーのもありますが、
そもそも「動機の確認」をですね、
(「自立したいんですが」は決定事項だった筈ですが?だったら全部の話は「まー自立して」で解決するものばかりなんであって、「さてこの状況から俺は自立テーマでどうすっか」が先なワケだから、そこがまだまだ練習段階で他がどういう仕組みで自立前提項目なのに先行して解決するワケ?←これはどういうファンタジー世界の数学ですか。)

自問自答の根っこは「当初動機の確認」に尽きるんですってば。
●「ぶっちゃけ俺は何をどうしたいと思っているのか?」
そこを他者に答えを求めちゃいかんでしょうに(笑
自分の存在意義が無くなるワケだから、
てか、
(それが「強迫心理の狙いであると」さんざ説明してきたのであって、)

「さて、俺はどうすっか」
ここからが始まりで、「どうしたらいいのでしょうか」じゃないのだってば。
(それじゃ無限ループするから。)
言うならば最終局面なワケでしょ。
「さて、俺はどうすっか」が来るたびにリバウンドしてんだから。
そん時の「強迫心理」を『ノリ突っ込みパッチ』で切れるか否かって場面なんですって。
「あーこれは人に聞くような話じゃネーや」と言えたら全部の悪循環は止まる。
(参照前述ののブログ記事)

今回の事例はリハビリ的に言えば「鬱リスク」ではなく「依存リスク」だったので、相談なりが成立していた時点では「各方面の行動における事実関係の注意点などなど」説明もし理解もされてます。

その注意事項をことごとく破っちゃうワケだから、、
動機の確認をせざるを得ないし、
(たとえて言うなら「本当にダイエットが目的なの?」的に)
「それやったら問題起きるの予告済みじゃん」が派生しているのであって、
(糖尿病とかなら「あれだけ甘いものは控えろと」みたいに、)

■結論「問題の定義」或いは「問題の認識」それ自体に論理矛盾があるんですよ。
 ↑
でー、これを(リハビリ過程は良い悪い判断が厳禁であることも説明してますが)
あえてカウンター狙いで「○○が悪い」とかで説明すると、
「自分の自我OSがバグってんじゃん」なんですよ。
(主体論として自分が悪いみたいな解釈は間違いですから)
「自分の自我OSがバグってて、おかしな命題が来ているけども、なんだこれ強迫ネタじゃん。却下!」

上記のプロセスは人間100人いれば誰にでもあるもので、
たとえて言うなら『ノリ突っ込みパッチ』なんです。
(「強迫心理」はネタバレにより鎮圧できる。)
「何言っとんじゃ俺、」「アホかっちゅうに」
このカウンターで一発終了なんです。


<まとめ>
のようにですね、
現状の説明に心理学はまだ有効ですけども、
(この説明は200回ほど繰り返してますんで、)
そっから先
「さて、俺はどうすっか」
これはあなたの人生なのであって、他所からこれに干渉したらイカンでしょう。
(ナントカセミナーでも無いし、ましてや洗脳なんて事でも無ければ、宗教じゃありませんので。)

誰の助けも無く(だから自由に)、自分で選ぶ『権利』の話なんだから。
(これが「基本的人権」「個人の尊厳」の原則)

ちょっと難解ですが繰り返し読んでおいてください。
 ↓
(参照前述ののブログ記事)

■以降書き込みがあれば自動削除する事をここに厳命します。
繰り返しになりますが「心理学的に逆効果となる」根拠が明瞭だからです。

<と書き上げたところで>
自己レス状態の追加があったので(即時削除の告知前だったので有効としますか、、)

>ただ思いやりとか、物の頼み方とか、その部分についてはわからない部分があり
基本、人にものを頼むのは”異例”
(少なくともリハビリ過程は「仮想単独者(仮想思春期の反抗期)」なので、人に頼んでいいことや相談していいことなど無いと想定してニュートラル。てか自分で考えてやらないと自分の知識になんないから。)
それこそあえてカウンター表現使うと「”普通”人にそういうこと聞かない(頼まない)」。
聞いたり頼むほうがおかしんだってば。
答えは常に、
「好きにすりゃいいじゃん」でしか無い。
(それが人生ってもんだから←心理学越境して若干人生相談レスになってるけど。)

同時にここは、
そっから先
「さて、俺はどうすっか」
の関連項目だから。
いちいちどうでもいいことを人に聞くような問題だと認知しているとこが大問題なんだってば、
(そもそも問題事例の発生背景は「動機は本当か?」それ「共同幻想適応強迫じゃね?」から始まっている行為だから、俯瞰で見れば自作自演なんであって、←極論やらんでもいいことばかり。)
仮にその動機が本当であれば、「嬉しい努力目標」として”生き甲斐”として認知されるとこだから。
その本来なら「嬉しい努力目標」として”生き甲斐”として認知されるとこがだ、『被(こうむる)』認知で被害認知的に認識されて→「これはおかしい”普通”○○な筈だ」で相談するべき事項だと認識した事それ自体がアウツなんだってば。
※「普通は」キーワードのリスクは以下引用のブログ記事で詳しく書いてある。
(参考ブログ記事:http://kagewari.seesaa.net/article/367397801.html

又、結果論的認識の大前提として、
「心理学的には結果が成功でも失敗でも等価だ」という原則があるので、
(岸田フロイド心理学で言うとこの「この世にどうでもよくないことなどない」の逆パラドックス)
それに特定フラグで固着したらもう「ルサンチマン(永久に解決しないフラグ)」なんだって。
人間の快感認知原則における行為ってのは、
「企画して動機形成し実行され、その結果を自己責任と記憶(歴史)の所有権を確認」する事で”満足(欲求の代謝)”を完結するのであって、
結果論としてのできるでないには意味が無い。
動機形成された行為が”実行されたか”に意味があるワケ。
(結果論は『自意識』が好き勝手に解釈して、人生の生き甲斐でもなんでも都合よく解釈すればよい。)
そこに特定の「○○でなければ気が済まない」みたいな固着があれば、
それは「強迫心理」であり、
極論すると「その感情は錯覚であり妄想でありインチキであり嘘なんだってば」。
事実関係が嘘なんじゃないの、
その結果にあれこれぐちゃぐちゃコメントしている固着感情が「OSの論理エラー」で出てきてる誤動作で、
本来「何ぶつくさ言ってんだ俺」で100人が100人切っているとこなワケ、
それを「俺の個人的な話だからどーでもいいや」と切らずに、
「これはかくかくしかじか人に聞いたり頼ったりすることだ」と認定するから出口の無い話になるんだってば。
(それが「強迫心理」の狙いなんだから。)

今回の全体の文脈と重なっているでしょ?
 ↓
それを「俺の個人的な話だからどーでもいいや」と切らずに、
人に聞くような関心事項ってのは「公的なこと」「社会的なこと」なんだってのさ。
(自分のことは個人的なことだからどーでもいいや)
「えーとこの前自民党から提出された法案ってさ」←人に聞いたりする事項ってのはこういう事。
ほら、集中力が(自分の事をどーでもいい視した結果、自分のやらかしも客観性の一部になり)外に向かうでしょうに。

極論すっとさ、
自分の仕事上のやらかしと同じ職場で他人が同様のミスをした事例を、
「全く同列に観察・認知して」いないといかんのさ。
自分のことはどーでもいいので「○○さんって人(自分の名前)がミスをした。」という客観的認知ができるの。←この事象を自分と他人の区別なく認知していないと、結果論としての『自己中心認知』になるんだって。
自分と他人の区別なく客観的に認知していれば、
(他人がミスしたのを見た時の感覚と同じように)
仮に自分がミスしても
「ありゃりゃー」←この言葉は他人がそのミスしでかしたのを見た時の感嘆と同じ感覚じゃないといかんの。

ところがさ、
バックグラウンドに「普通は○○の筈だ」とかに始まる、強迫的認知があるとだ、
本来現実(自分すら客体とする外的現実)に関心が向かわないといかんところで、
「自分が自分が」に関心項目が向いてしまい(一人称的認知で自我がいっぱいになる=『自己中心認知』)、
 ↑
だから話戻るけど、
本来「何ぶつくさ言ってんだ俺」で100人が100人切っているとこなワケ、
それを「俺の個人的な話だからどーでもいいや」と切らずに、
「これはかくかくしかじか人に聞いたり頼ったりすることだ」と認定するから出口の無い話になるんだってば。
(それが「強迫心理」の狙いなんだから。)

>>>仕事とは関係ないこと(容姿や血縁者のことなど)で侮辱された場合
この話は、
ネタバレになるけども次回アップ予定のブログに関連項目書くので、
(明日か明後日ぐらいのアップだと思うけども)
それを補足として読んで。
日本特有の『共同幻想』の在り方解説になってるから。

うーんと一部予告編で書くと(芸術家の心理とかのタイトルになるから)、
日本の『共同幻想』ってのは、「ゆるい宗教の聖職者」のようなものなワケ、
(欧米なら明快に教会は家族の上部構造権威だから、そこ前提に考えればわかる筈)
だから昭和の男は「家族の事なんざかえりみる事無く、(聖職である)『共同幻想』に適応することが正しい」という事になってたワケ、
(だから日本は「単身赴任」も平気というか、ノー文句で受け入れるのが美徳だった。ハードなサラリーマンが親の死に目より仕事を優先するのも昭和なら文句なしでカッコいい事だった。)
 ↓
明快に『共同幻想』への適応は血縁なんて腐れ縁より上位概念だから。
(カウンター的に言えば彼らが『共同幻想権威』に関わる問題で仕事と関係無い事を侮辱するのは”彼らの教義上”それが戒律であり正義なんだって。聖戦なんだって、)

彼ら自身、自覚無く、無意識的だからわ余計かり難いだろうけども、
日本の『共同幻想』ってのは「世間様教の信者として出家して『聖職者』になるような行為」なんだってばさ。
だから、不信人だとか異教徒っぽい振る舞いは(彼らの教義として、聖職者のの義務として)「叩き潰すべき『聖戦』であり正義である」←と彼らの深層心理はそうなってんの。
(いいも悪いも無く、それが『共同幻想』の構造・性能だから。)

『単独者』の概念で言えばさ、
某宗教信者でもだ、目の前の人物が明快にそれに対抗しうる意思なり心情なり信念が明快なら、
互いに線を引いて尊重しましょうとかあり得るワケ。
(キリスト教信者も目の前にイスラム教信者がいるからといって闇雲に攻撃はしない。しかしだよ、自分の事がよくわからず曖昧なままという経緯で、イスラム教の信者のような振る舞いをキリスト教の教会の正式行事の最中にやられたら?←こう仮定したら攻撃開始に相当するでしょ。だからすべては「さて俺はどうすっか」の明快化が無いと始まらないんだっての。各方面に自分が最も望んでいない”必要のない誤解”をばら撒く事になってしまう。)

自分の動機形成の主体性を担保できてるかって、そこに尽きるんだって。
(それどっかから聞いてきたような話じゃネーかとか、「又始まった普通は・・・じゃないか」だとか、何々に決まっているだとか、これはやむを得ない不本意な選択だと確認していないのじゃないかとか、どっか中途半端な”わかり難い自我”になっているとさ、→『共同幻想』の側から見れば「わかり難い偽装をしたスパイ」でしかないんだって。)

■ことほど左様に現代社会では『共同幻想』はあまりにも問題が多く(そもそも表面化しないだけで元ネタ「強迫心理」だから)、歴史の変遷の中で崩壊する事になってんの。
(常にナントカ文明とかさスクラップアンドビルドで壊れてんでしょ?)
それが現実だから。
現在も新卒社員の3割が3年以内に辞職するなど、100人が100人、
「さて俺はどうすっか」に直面し、
自分の頭でその先を考えるの、
それが人生。

そこで「人に聞いたり頼ったり」していいことなんか(極論)”無い”のだよ。
(しつこいようだけどわかりやすくするための”極論”ですからね。)
 ↑
この状態を『自由』と呼ぶの。
それがあなたの最大・最重要な『権利』ですから。


今度こそ
■以降書き込みがあれば自動削除する事をここに厳命します。
繰り返しになりますが「心理学的に逆効果となる」根拠が明瞭だからです。

引用なし

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今まで「何で私ばかり?ほかの人だって人のせいにしてたり、人の悪口言ってたりするじゃん」なんて人と比べてばかりでしたが、(そういった一面を持っている人がいたにせよ)彼らは共同幻想適応者としての責任感があり、周りを見て動き、気遣いや配慮をし、ルールや秩序にそって動いているんですよね。
私は共同幻想のルールや秩序もわからず、何の人生経験もないのに自分の持論だけで動いていただけだった。
「上から目線」の意味が完全ではないけどわかったような気がします。ありがとうございました。


相談すること自体が依存、自分で考えて動いていくことはわかります。
知人への未練を断ち切るには、今後何らかの事情で人と関わったときに人にのめりこまないようにする(出会い、別れがきっちりできるようになるには)、
現実をはっきり見据える目を持つにはどうして気持ちを切り替えしたらいいのでしょうか?


ただ知人に(軽い気持ちで)手相を見てもらったときに
「病気になって50前後で亡くなる」
「数年後に見合い結婚をし、実家近くに戻る可能性が高い。○○が今は結婚したくないと思っていても自然とそういう方向に向かっていく。結婚をしたくないともがくほど逆効果になる。もし運命に逆らうと、○○が誰かに殺されるとかストーカーに合うなどの状況に合う可能性が高い。こないだ○○が実家に帰ったのも親が○○を実家に帰るようにと引き寄せてるんだ。○○はそんなつもりはまったくなくても実家に帰る運命にむかってるんだ。
でも人生が順風満帆にいかないのは○○自身が招くことだ。何の努力もせずに怠けてるじゃん。このままだと同じような人間と結婚し、結婚自体がうまくいかなくなるよ」と。
知人の手相や勘は絶対と言えるほど当たります。

自分としては(これからのことは断定できませんが)今の場所で死ぬまで一人暮らしをするつもりでした。
私自身は共同幻想社会(その中にいる方たちを否定するつもりはないですが)のような狭い空間はあまり好きじゃなく、必要以外は自ら関わろうとは思わない。一人の方が好きです。
なので共同幻想適応者との結婚は(メンタル問題がない人だったとしても)考えられない。
仮に数年後もメンタルの問題を抱えたままだったらなおさら結婚は考えられない。
何より結婚自体したくない(親が進めた見合い話ならなおさら)、結婚なんて面倒なことは嫌い。
少なくとも親の決めた見合い話を受け、実家の近くに戻っても、(親のメンタル問題は高齢だから治らないことを考えると)親も私も幸せな結果にならないようには思います。
しかし一方で最近親や実家のことが気になり、実家ではないですが、実家の近くに帰ろうかななんて気持ちになってる自分もいます(実家に帰るべきではないとの判断の方が合ってると思うのですが)。

病気になったときにどうしようとか。


○○が言った話に乗るなと言われるのはわかります。
手相や占いそのものがどういったものなのかは私にはわかりませんが、知人のは当たってるだけに(しかも結婚や実家に帰るなどといった運命に逆らうと良くない出来事に遭遇すると言われたらなおさら)
自分の判断力にまだ自身がもてないのです。

引用なし

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■次回から問答無用で削除します。
(守秘義務で公開できない○○禁止措置の云々とは別に←守秘義務があるので内容公開できませんが)
今回の掲示板利用だけで規定に違反しているとして当サイトの『公開掲示板』出入り禁止とします。

今回の話もそもそも(守秘義務で公開できませんが)「即レ○・反○、○し返しの禁止」もあっさり三連発で無視しており、サイトを依存目的で規定に違反する用途で利用していることは明らかです(公共性で置かれている掲示板の私的乱用)。

更に繰り返しますが、
>>■以降書き込みがあれば自動削除する事をここに厳命します。
>>繰り返しになりますが「心理学的に逆効果となる」根拠が明瞭だからです。
今回も何ら質問にも相談にもなってません。
そして相談文を書き依存性が問題になっていると注意喚起があるにも関わらず、これを(削除の警告があるのにどういうつもりで書きこんでいるのかわかりませんが)無視し、
書き込んだ事により間違いなくあなたの強迫心理は興奮し(心理学的に逆効果になっている)、
わかりやすい表現で言えば「その瞬間問題は悪化(退行)してます」。
アルコール中毒における一杯ひっかけるのと同様に、
メンタル問題の構造論的部分は解決もし本人理解もされてます。
(事実物理的にこれは解消している)
当初依頼の状況がほぼ条件を満たした段階でリバウンドされても(現在『自意識』がこれを認知している状況ですから)、それは当初の依頼動機を喪失したのと等価で(相談したことの無い人には心理学的答申を目にする事ないワケで)、目にする筈も無い(実際注意事項無視するということは”読んでいない”という事ですから)状況で「何を書けばいいの?」という事です。


▲「この状況もメンタル問題としてよく知られる状況では無いか?」という疑問もあるでしょうが、
確かにそれはそうなんです。
(当スレッド中でも記載したように「これが内向化すれば鬱症状であり、それが依存性となっているのかの違い」ですから、現状が「強迫心理」との関係で発生しているのは事実です。)
しかし、心理学が心理学として成立している所以として、
ブログ等で記載のとおり「歩留り的個性論」との綱引きがあり、
同時に心理学万能主義的に自我という自我を分析し尽せばいいというものではありません。
本人の意思確認が重要になります。
(簡単に言えば過剰利用をなんとかしたい←という動機があれば「そもそも返信書きません」し、有料コースもどの段階でも希望があればストップできる体制になってます。又、依存的過剰利用のリスクが感じられれば「相談期間の設定」等で対処もしており、その状況への対処も運営に盛り込まれています。)
(※注:特に当サイトがこの辺の管理を重視しているのは、仮に放置して延々料金を取るなどの状況を未然に防ぐ事を予め織り込んでいるからで、これをほう助して膨大な利用料金を請求するようなナントカと誤解されてはかないませんから。下記記載しますが「過剰利用」を必要とする状況も心理学的に存在しません。ハリウッド映画でお馴染みのNYの顧問分析医も本国じゃ「中古車セールスマンと弁護士と精神分析医」的に詐欺的批判受けてます、当サイトは顧問ナントカ的な随意契約のようなものは当初から想定してません。)

「織り込み済み」「対処は返信済み」であり、
書いてあるまま対処していれば、そこに答えがありますので(依存性のメンタル問題への対処としても)サイト運営趣旨がそれに沿ったものになっているという事です。

※よって今回の返信も「違反して書き込まれた分の自我退行を元に戻す」形で返信書いてますが、
記載の通り「織り込み済み」「対処は返信済み」であり(「強迫心理」に押し込まれた分書込み前に戻るだけで)、なんとか状況は維持できますがこれ以上の返信はサイトの運営が自ら「メンタル問題というよりアルコール中毒的な問題を冗長する」事になりますから、書込み以前の状況に戻るところで完結とします。
(ここに至る経緯は守秘義務があるのでここでは公開できません。)


■■■<ここから本題>■■■
そもそもなぜ前述の内容ありながら今回返信書いているのかと言えば、
心理学的ポイントがあったからです。
占いナントカというのは場合によると新興宗教への傾倒のようなメンタル問題固有の社会問題であり、その背景を記載する事の社会的意義が大きいと考え(前段記載の内容とは別に)、返信記載の社会性があるものとして記載します。

まず、
>>「織り込み済み」「対処は返信済み」
である部分の説明から、

前回までのレスにあるように、
「それを人に聞いてもいいことだ」と思うからいかんのであって←と返信済みです。
(相談という名目の依存になるので、わかりやすく一般用語で言えば「悪化」するだけだと。)
>手相や占いそのものがどういったものなのかは私にはわかりませんが、知人のは当たってるだけに(しかも結婚や実家に帰るなどといった運命に逆らうと良くない出来事に遭遇すると言われたらなおさら)自分の判断力にまだ自身がもてないのです。

だから返信済みです、
「どこの馬の骨か知らないが」云々の返信もそうですが、
極論(現在『自意識マター』リハビリ中ですから)「人に聞いていい頼っていいことなど無い」とつい直前に返信しており、
答えはそのままです。
書いたとおりになっているだけです。
「だから聞く(依存する)から悪化(不安のネタをまたぞろ人のせいにして確保)してんじゃん」
返信で「聞くなと言ってます」ので、
「さて、人に聞いた話なんですが」と思い切り直球で無視されても何もいう事ありません。
「聞く方が(自分の本音に対して)オカシイ」んです。
(現在依存フラグがあるとどんだけ説明したかと、、それをやれば悪化(退行)するから止めろと言っているのであって、私の事じゃありませんよ、あなたに返信の一環として言っているんですよ?)

しかも、
今回のスレッド冒頭のレスにおける「どこの馬骨か知りませんが」話で、
「占い師かなんかですか」とした記載に、
今回の話は「まんま直球の反論」になってます。
>知人の手相や勘は絶対と言えるほど当たります。
ときたもんだ。
イスから転げ落ちるだけでなく、深いため息の中ですね、、
えー流石の私もお腹痛くなってきましたが、、

どこの馬の骨なんか知りませんが、そいつを連れてこいっての、
5分で二度と立ち上がれないほどバトルプルーフしてあげますよ。
もうなんというか、、
児戯に等しいから。

あなたの設問が無茶苦茶なのは以下の矛盾で明白です。
>知人の手相や勘は絶対と言えるほど当たります。
>手相や占いそのものがどういったものなのかは私にはわかりませんが、
「根拠も無く、あたったあたったー的な」。。。

あのさ、
知人関係の占いが当たる法則なんてネタバレは(もうさ本当は説明の必要も無いんだが)100発100中で あ た ん だ よっ!
あのね、占いってのは後出しじゃんけんなワケ、
占い師に相談ししている設問なり、その人が占い師を必要としている動機なりで、
(『共同幻想』な社会でもその意識は無くても共同幻想系自我はナントカソナーのように無意識的問題を察知したりの話もしてますが、)
相談にきている人の無意識を読んでんの!わかる?
言いかえれれば(ぶっちゃけ顔に出てるんだから)、ダダ漏れの強迫心理を感覚的に察知して(ナントカ系程度の範囲だが)後は得意の説明口調で語るとだ、
これは構造的に本人自意識が深層心理からザワザワと押し寄せる強迫的欲求を(占い師は第三者だから)本人の自意識より饒舌に説明できんの。
でだ、
本人自意識だってまんま無意識が覗けるわけじゃないので(専ら連想フラグで勝手に浮上するような場当たり的認知)、本人体験としても「”そんな感じ”です」というところが重要で、具体論はどうでもいいワケだ。
更に、ある程度理路整然と占い師が予想屋よろしく強迫的雰囲気から(ダダ漏れ「強迫心理」の表情なりで何々系の話だと判断できるわけだから)「あなたは○○になります」と答えると、
相談した「自意識」はだね、「無意識からの圧力の中自分の連想フラグで思いつくより”当たってる”」と思う訳。
(ズルズル『自意識共犯』やってんだからさ「占い師の方の方が強迫心理の代弁者としてこれから追随しようと思っている私のヘタレな『自意識』よりよっぽど「無意識の意図をくみ取る感じ方が”当たっている”」)
 ↑
わかる?そしてさ(「強迫心理」の命令なりに本人『自意識』よか”当たって”方向性的中させるから)「これはいいアイデア聞いた」と脳内にフラグ立つでしょ。
すると、常に本人その無意識的欲求に答えようと思い切り『追随的自意識共犯系』の人格なんだから、「本当にそれを実行しちゃうワケだ」(自意識は自覚無く)、
でさ、後から「あ===本当にそうなった」てな、

アホかっちゅうねん。
(新興宗教への傾倒とかの場合もほとんど同じルートだから。)

■あのさ、ちょいと説明しておくけれれど、
私はこの道30年近くで、しかも案外それ系(というか意外にそれ系)の副業足かけ10年ぐらいになるわけ、
そりゃ類は類を呼ぶでいろんな人に会ってます。
(建築家から映画監督からアニメ監督からモデルから有名雑誌の編集者からプロの音楽家から自称霊能者から芸能人やらメディア関係者から電通さんから市井の感じのいいアルバイト君まで無数に、)
占い関係者にも会ってんの(書籍多数の)、
思い切り誘われましたよ「占い師になればすごく稼げる」って、
勿論断りましたが、
(なんとやらのお返しで、その人が私を占うと言うものだから好意を無下に何とかと思い、返信もらいましたが、「私は超弩級の千里眼」みたいな内容でしたが「それが何か?」)

それから「運」なんてものをついでに説明しておくけれど、
私の副業の不動産関連なんて世界ではそれを目の前で見る事は頻繁なワケ、
「いかにも常識的選択」すれば勿論(検索パラメーターがそうなんだから)「常識的な選択肢しか出ない」(まさに『共同幻想リミッター』)。←考えるまでもなく当たり前の事(何をするにも常にその程度に収まる構造は自作自演で想定されている)。
(実に現代社会でも部屋探しに親が出てくるとかもあります。『共同幻想適応』なら確かにあり得る話でもありますが、、、)
「トンデモ(有り得ない選択肢)」を引くギャンブラーは決まって『単独者』で、
曰く「勝負根性のある人」であり=極度の自立主義者って事になる。
そして、結果論には意味が無いも同じで、
「賭ける決断と独立心と自己責任(結果は全て俺のものだ)」これが明快な場合、
極論家なんてものは雨風しのげる屋根がありゃいんだから、仮にトンデモを選択して大失敗しても、
「そこが醍醐味で面白い(一生語り草の失敗談が手に入る)」。
どっちに転んでも「勝負師は(結果と関係無く)勝負師である」。
(で、ごそごそやれ友人だ予想やだ風水だ占いだ聞いて回れば?「そんな主体性すら無いところに期待されるような何が起きる筈が無い。」←勝負師の正反対ですからね。)


だからさ、
そこの
>知人の手相や勘は絶対と言えるほど当たります。
へなちょこ素人占い師連れてこいっての、
5分で二度と立ち上がれないようにしてあげますよ。
(新興宗教相手でも同じ、私は心理学を知る以前の高校生の時に某事情で某宗教事務所乗り込んで潰して「あなた悪魔だ」言われた人間なので、)

てかさ、
それ以上にだ、
そのヘナチョコ占い師の言ってる事ってのは
「思 い き し 『共同幻想』 だ ろー がー!!」
いつの時代の共同幻想だよ、おいって話でしょ。
>>このままだと同じような人間と結婚し、結婚自体がうまくいかなくなるよ」
どこの学級委員長だオイ、
(てか依存性フラグだからストーカー予備軍ははあなたでしょ。)
何「結婚がナントカですか?」何時の昭和40年代だよ、、

あのさ『共同幻想崩壊過程』の中”非婚・晩婚・少子化”が社会現象なワケ、
で欧州では既に「結婚によらない出産が50%超えて結婚による出産を越しているワケ」、
わかる?
結婚とかマジにするもんだと思うような人は「今マイナーな存在なんだよ!」
そらどこの女性誌にもそれ系の特集ありますよ、
「売 れ る か ら」(「強迫心理の煽りで」←CMの基本は不安煽りでしょうが、)
しかし、ほぼ壊滅しましたが小沢民主党が子ども手当を考えたのは欧州の動きも見て、
子供は結婚と関係無く生まれてくるし、そっちを伸ばさないと(フランスを参考)少子化は解決しないので、世帯では無く子供個人に対して手当(ぶつちゃけ給与を)支給しようとしたのが子ども手当ですよ。
(今時素ーで結婚をナントカとか考えるような人がマイナー層だからだよっ!!)

で、現代は『確信犯的な共同幻想の再獲得』であったり『単独者』なりの選択が社会的にも明快になってきており(同時にガタガタの『共同幻想』で過半数が「共同幻想崩れ」な時代に←この社会劣化が過渡期問題としてイジメ社会とかになってんだから)、
『単独者的アイデア』が溢れかえっているワケです。
DINKSに始まり、スローワーカー、ノマド(ワケわからん横文字は勘弁してほしいものですが)、

ザックリ言えば『単独者』ってのは、
「結婚?は?それは何ですか」ちゅう人の事なんだっての、
 ↓
>共同幻想適応者との結婚は(メンタル問題がない人だったとしても)考えられない。
だから考えなくてもいいし、
考える方がおかしい。
自分でもそう言ってんじゃん。
>何より結婚自体したくない、結婚なんて面倒なことは嫌い。
勿論、
言った責任取るんでしょうから、あなたは自らの意思で結婚しません。
 ↑
そのすっとんきょうな占い師思い切り180度間違ってんだろーーーが!
そのどこが当たってんだよっ!
当たってんのはあんたの無意識下の「強迫心理(ノルタルジーで実家時代・依存時代に戻りたい)」の方にズバリだろーーが!
そういうのを「外れましたね」っつーんだよ。
(生きるってのはその「強迫心理」含めて現実ってものに『抗(あらがう)』ことなんだから。)

>しかし一方で最近親や実家のことが気になり、実家ではないですが、実家の近くに帰ろうかななんて気持ちになってる自分もいます
 ↑
当たってんのはあんたの無意識下の「強迫心理(ノルタルジーで実家時代・依存時代に戻りたい)」の方にズバリだろーーが!

当たっている話は「一から十まで自作自演」って事さ、
占い師はダシに使われているだけ、言えば狂言役者の役回りさ。


それからね、、
>病気になったときにどうしようとか。
何?何か問題あんの?どこに?
この世には「聞いてもいいことやら頼ってもいいことなど何もない」(カウンター狙いで極論すれば)
言いませんでしたか私、
私の記憶違いでしたか?
人体ってのはな、仮に病院の助けを得ても基本自己治癒能力で治ってんだよ!
優れた病院ってのは、バックアップ上手なとこって意味で、

あのさ、比較級使うな解説の時「森に人類ヒト科自分一人で考える」という設定を書いたけれど、
なーーにも実践してないワケか。
地球人類滅亡して、
某無人島なりに人類ヒト科自分一人、
そこで「病気になったときにどうしようとか考えて、実家に帰ろうとか」←言いますか。
どんなシナリオライターですか。

てかなんで赤の他人を呼ぶとか頼る必要あんの?
(20歳越したら血縁解消で赤の他人なんですが?)
『共同幻想適応』だってそうですよ?
(名目立ててるだけで、頼ってなんかいません。←血縁に依存している『共同幻想』は「共同幻想崩れ」)
日本で有名なタイトル「姥捨て山」、
ガチ『共同幻想』適応者は、俺を山に捨てろと血縁に言うワケです。
(で捨てろと言う当事者は飢饉の時に生まれた赤ん坊裏山で絞めて埋めちゃってるんだし)
方やその反対の『単独者』的に言うと、欧州単独者先進国における高齢者の「独り暮らしの権利」ってのは、
「病気だのいざ死に際とかに血縁とかうざいからくんじゃネーよ」な一面あるワケで(そういう『単独者』少なく無いのでそういう人の権利も守りましょうと)、

ついこないだ亡くなった名優三国廉太郎氏は、
「葬式もするな墓にもいれるな死んだことも暫く公表するな」となっていて、
血縁の佐藤浩市氏は(その三国廉太郎氏の意向も阿吽の呼吸で汲んで)彼の死に際も堂々と撮影の仕事しており、
しかも三国氏の誇りを守るため、
(まー付き合い上葬式的なことはやらざるをえずでしたが)
挨拶で彼を「父」とは呼ばず「三国廉太郎は」と演説したワケです。
(単独者同士わかるところはわかると、)

あとそれから何でしたっけ、
>「病気になって50前後で亡くなる」
ひっくり返りそうになりましたが、
信長がこれを謳ったのは、300年前ですか?400年ですか?
えーと(1582年没とのことなので)
「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか」

50前後、寿命まっとうしてんじゃん。
よかったですね。
(えーと私それに近い年齢ですが「あーマジ生きた、明日死んでも悔いなし全然OK」ですが何か?)


>現実をはっきり見据える目を持つにはどうして気持ちを切り替えしたらいいのでしょうか?
だから全部前の返信で答え書いてあるから。
(てか過去ログに書いてあるので、新規に説明する事何もありません。)

それとなんでしたっけ、ここですね
>彼らは共同幻想適応者としての責任感があり、周りを見て動き、気遣いや配慮をし、ルールや秩序にそって動いているんですよね。

何度も説明している筈なんですが?
昨今は『共同幻想』ガタガタで、適応っていっても劣化バージョンの「共同幻想崩れ」というか、元の『共同幻想』がガタガタなんだから、『共同幻想』的にもどうかな〜な側面あると説明してきてます。
(美しき文化伝統の『共同幻想』体現者がいれば天然記念物・国宝級だと、)
ある意味、『フルメタルジャケット』のハートマン軍曹ってのはそんな時代だからこそ「性根を叩き直す」的アプローチになっているのであり、
理念的には『黄金の共同幻想保守者』である民族派右翼のみなさんも凄まじい組織力とは言えない状況です(姿を同じくして左翼も後退中)。

仮に今現在の日本往年の『共同幻想』がバリバリなら、
「責任感があり、周りを見て動き、気遣いや配慮をし、ルールや秩序にそって動いて」
村で病気が出たら「その家は一族郎党皆殺し」です(村八分)
そんな彼らだからこそ(ある意味集落は集団のひとつの生命のように←運命共同体だから)、
田植えや収穫の時にみごとな連携を見せ、感情まで共有し、村の祭り(ほとんど乱交パーティー)は最高潮に達し、
狭隘な農地では「芸術家も真っ青の棚田」まで造り(先祖とも運命共同体で集団でひとつの命なので)先祖の土地を命がけで守る(次男や次女に権利を譲って土地所有権がバラバラになったりさせない「次男次女は長男の農奴か売っ払い要員」)。
だから村でも名のある庄屋なんかだと(権威上位者から病気でも洒落にならないので)病人出れば速攻『座敷牢』で周囲から存在そのものを隠したんであって。
(戦後日本で医療制度が拡充された黎明期村人に『健康診断』を勧めようとしても、村人は頑強にこれを拒否し(村八分が怖い)、厚生省に依頼された役人さんやら医師が大変『健康診断』の説得に苦労したって、たかだか70年前ほどの話なんですが。)

言うなら現在の彼らの水準は、ガタガタになったとも言えるし、
『共同幻想』随分(リベラル主義の影響で)丸くなったな(弱くなったな)とも言えるし、
同時に、そこに阿鼻叫喚というか酒池肉林の興奮が途絶えたので、
『共同幻想』って何だろう、、と彼らの世界も時代の選択を迫られているって事です。

言ったでしょ、
現実なんてものは突き詰めて言えば
「哺乳類人類ヒト科が縄張りめぐってしのぎ削る殺し合い」なんだって。
(勿論この闘争には血縁同士も同じ)
だけどさ、これじゃあんまりにも人類野蛮人過ぎって思う奴が、
「互いの『自意識』を抑圧して、合理的欲求を共有化しようぜ」と思いついた。
即ち、隣同士で殺し合うのではなく、「集落として周囲の殲滅戦をして都市国家を造る」。
これやればバカみたいな殺し合いも防げると。
(その結果都市国家同士で戦争するという概念がうまれた)
(この時代の『単独者』はさすらいの殺し屋みたいなもんなので←一匹オオカミとか呼ばれるわなそれは。)
しかしそんな戦争の時代の果て『産業革命』が起き、
戦争は「大量虐殺の時代」に変遷した、
たまらずピカソはゲルニカ描いた。
国家間の全面戦争はいかんねと(周囲で殺し合い時代と等価になってしまう)、再調整を考えて、
『近代国家』がうまれたが、
やれ帝国主義の植民地だ、あげくに広島長崎に原爆落とした。
洒落にならんねと、「常にリベラル主義などでトヨタ方式じゃないが”カイゼンする共同幻想”ってのを考えて(まー民主主義ですか)」これに反動的に反応したローマ帝国の末裔みたいなのが『共産主義』で対抗し、これもある意味自然消滅した。
その後グローバリズム覇権主義的市場経済時代と破綻を謳歌し、
そしたら「ジャスミン革命」みたいなんも起きて、
デモ一発で『共同幻想』は壊れる時代になった←いまココ

まだまだ古き良き『共同幻想』を一面で保守している中東某国では、
男性は成人式の後必ず『ジャンビーア』という三日月刀を貰い(15歳だったかな)以降帯刀します。
この刀は日本の武士道よろしく「抜いた時には相手を殺すか自分が死ぬかのけケリをつけなければならない(相手が抜かなかったら攻撃してはならない)」という文化の中で今でも帯刀されており、
男子は一族を守るために殺しを請け負う覚悟を試されるって格好で「選択」を突きつけられます。
(これが成人の儀式)
マジな『共同幻想』ってものはそういう代物だから。
(ある意味非武装なヘタレは伝統的に言えば『共同幻想』失格とも言えるかも知れない。)

現代社会の武装?「ペンは銃よりなんとやら」と言うじゃないですか、
最強の武装は『理論武装』という概念兵装です。
(言論ですよ「我思う故に我あり」)

■それからオマケで
日本特有の『共同幻想』において、家族愛が妙な変遷遂げている背景、
これ説明すると、
「日本の『共同幻想』は欧米のそれと比べて”多重構造”で”ゆるーいなんちゃって世間様教”の聖職者のようなものである」と書きましたが、
これはね、専業主婦的職業(嫁入りの概念でもいいけど)があったから。
つまり嫁や姑は「家法人って『共同幻想』の聖職者」となるワケです。
だから「家法人の聖職者という責任の前には自分の事などどうなってもいい覚悟(とその甲斐)」があるので(昭和サラリーマンが会社のためにはどんな悪どいことでもやったように)、身を捨ててこの責任を全うします。←この聖職者っぷりが凄いので家人には聖人に見えた。
(日本のキリスト教の歴史においてイエスより聖母マリアが人気なのは有名)
家族愛というよりそれは「海兵隊愛」に類するもので、
(なので嫁入り前の自分の実家が戦国時代のように殺戮されても嫁入りした先への忠誠が重んじられた。嫁いだ先の武将が実家を滅ぼしにいっても「御武運を」だし、そもそも嫁いだ理由が政略結婚で敵方武将だったりするんだし。)
だから昔の姑は「ハートマン軍曹」のように厳しくて正しかった。
(嫁を軍事教練並にしごくのが姑(古参軍曹の)責務だったんだから。)
所謂絵に描いたような家族愛があったからでは無い。
もっと無情で非情な美徳が”ザ・権威『共同幻想』”として輝いていたって事。


そーいう世界もあまりにもグロテスクであるので、
「イエスは(家族愛とかはやめてそもそも赤の他人だから)隣人を愛せ(或いは隣人としてなら血縁も愛せ)」と言ったワケだ。
(これ言うとキリスト教の人マジ怒ると思うけども、話の流れのたとえだから、まー目くじら立てないで。)


■こんだけ書けばもういいでしょ。

■次回から問答無用で削除します。

引用なし

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【111】補足(■次回から削除します)  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2013/07/15 09:50 -

(本来必要が無いんですが)

後からゴチャゴチャ続いているようなので補足しますが、
(質問文には全く意味が無いので削除されてます)
「やれ占い師が当たった話」をどんだけ並べて反論しも1mmも意味が無いのでそこ論証しておきます。

1)以下前レスの記載のとおり「その占い師」はあたっているどころか見当違いな外れっぷりであることが証明されている
>>共同幻想適応者との結婚は(メンタル問題がない人だったとしても)考えられない。
>だから考えなくてもいいし、
>考える方がおかしい。
>自分でもそう言ってんじゃん。
>何より結婚自体したくない、結婚なんて面倒なことは嫌い。
>勿論、
>言った責任取るんでしょうから、あなたは自らの意思で結婚しません。
>  ↑
>そのすっとんきょうな占い師思い切り180度間違ってんだろーーーが!
>そのどこが当たってんだよっ!
(他は省略)

外れている事が証明されている以上、
本来これだけで以下説明は必要無いのだけれども”あれが何”なので補足しておきましょう。

2)占いが当たっていても100%何にも意味が無い件
その人物の言論が『共同幻想』適応人格に”偏っている”時点で「1から10まで全部アウト」
仮に幽体離脱の才能があるとして、その人物が原子力発電所の内部に侵入できても、
その人物に物理の知識が無く、物理的に見当違いな説明をおっぱじめれば意味が無いどころか情報収集における弊害でしかない。
つまり、その人物が未来の見える超能力者だとしても、そいつは『共同幻想』適応人格でしかそれを表現できていないので、
・「同じ事件を第三者ジャーナリズム視点の記者がレポートした」
・「同じ事件を北朝鮮マンセーの共産主義者がレポートした」
当該占い師の言説は上記条件の後者に値するので(好き好んで偏向報道の新聞読むイカレポンチがいないように)、その占い師の技術が当たっていても何も意味も無いどころか弊害しかない。
(その人物は見た絵を『共同幻想』適応強迫心理に都合のいい説明しかできないため)


3)あたっているあたってない話がアホみたいにナンセンスな件
統計学や臨床研究における再現性というのは、大変な客観的実数でカウントされているもので、
数学的確率からしても「いかにもありそうな実例の予測は3択4択的確率の範囲に収まる」ため、猛烈な回数と「予め選択肢が大変に多い案件での予測」実験を繰り替えさないと統計学的な証明としては「著しく母数が少ないだけでなく公平性を欠き、更にその評価根拠が主観だなどという話には一切根拠として通用しない。」
仮に占い師の実験をするのであれば、
簡単な基本的条件としては
「その占い師及び占いなどを全く信用していないテスターを100人ばかり用意する」
「占いのお題は、テスターがサイコロ2個を転がした時の出目の予測」
これを延々繰り返して数学的確率と照らし合わせる。
こういう話じゃないと当たった当たってないなどの話には一切意味が無い(根拠として成立しない)。
(極論、この世の占いの枠組み(相談したいお客と占い師の関係性)←これ自体が統計的証明として失格である。)
更に、知人間などであれば単純に親戚筋の寄合などでも「将来話」などは頻繁であり「誰かの予想は当たる」などという話は日常茶飯事ある。
こういう話題になる人物は大概が「『共同幻想』異端者監視レーダーやソナー」のような(自らが適応するための観察眼)にたけているなど無意識な情報蓄積があるためで、
 ↑
『占いのパラドックス』をあげるなら、
その公平性を担保するには「その分野なり人物なりに全く関心が無い」事が条件となる。
(この段階で「知人の占い師」←この単語になっている時点でアウツ)
同じ写真なり絵画を見ても人の評論が違うように「見える超能力」があったとしても表現者としての公平性が無ければ誤情報に過ぎない(前述2)の説明)。
しかし、当該人物がジャーナリストのスキル乃至心理学の知識でもない限り、当該個人が関心の無い事項への知識は「物理に無知な人物が見た原発内部の情報」並に意味が無いことになるため(ジャーナリズムや心理学などのような第三者知見の動機が無い)、その占い師は(どんな絵が見えたとしても)認知速度として自分の関心事項に都合のいい説明しかできない。
=「知人の占い師」とは「100%当たらない奴を意味する代名詞」である。

4)一種の『観察者効果』
※物理だとか科学における「観察者の視点が現象を変化させてしまう現象」
占い師が言った予測を聞いた瞬間「自我には余談が発生する」。
単純に聞いた人物が強い主体性があり、というか元からその占い師を信用していなければ「当たっていない部分に焦点があたる」ので、極論何を言っても当たってないという結論になる。
(注:偏向報道やリアル・ジャーナリズムなどの違いがあるように、同じ事実関係でもそれを公平に認識なり伝えるためには応分の条件とスキルが必要で、極論一般人にはそれを評価する資格が無い。)
(つまり占い結果の当落は聞く人物の主体性や依存性などの特徴にその結果が大きく依存する)
 ↑
ここを更に補足すると、
そもそも世の中の事象の認定や認知は当該人物の主観で常に180度逆さまになり得る(典型例が「強迫心理」)、
勝ったを負けたと認識する事も可能だし、
失ったを獲得したと言い替える事も可能だし、
病気を健康だと認識することも可能だし(そもそも健康の概念は江戸時代以降であり当時は健康という言葉すらなかった「その占い師は江戸時代以前の人物に何と説明するのか?」)、
心理学で証明されているように「脳が物事を認知する仕組み」それ自体がリアルの喪失と幻想の証明であり、物事には固有の絶対事実関係(絶対普遍のリアル)を人間が認識したり語る事は不可能である。
ここの精度や確度は「第三者性」のような観察者の公平性を常に追求し続ける(抗(あらがう))動的背景でようやく担保されているものであり(だから芸術家の○○を追求する人生には終わりが無い)、
極論すれば「目撃者であるとか単なる当事者というだけでは事実関係を公平に見る事はできない」。
(だから裁判では目撃証言を検察・弁護双方から確認する)
(のように自我は(そのままだけでは事実関係認知が現実から乖離することがわかっているので)カウンターやノリ突っ込みパッチなどの”逆説論証フラグ”を仮想することで、「事実関係を客観的に確認しようとする動的”方向性”」を姿勢として重視する。)
上記括弧書きの更に逆を言えば「依存的認知」で確認される事実関係は全て”妄想”であると結論付けられる(裁判で言えば「証拠能力無し却下扱い」となる)。

■このスレッドはここで完結とします。

引用なし

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【112】Re:補足(■次回から削除します)  以前投稿してた者  - 2013/08/09 00:58 -

申し訳ありません。

■上から目線
どういったことなんでしょうか?

例えると、ある掃除会社の実習に行った時の話なのですが(作業所のような場所なので一般企業のようなコミュニケーションスキルは必要ないところなんですが)。
知的障害の男性と女子トイレで掃除していたときにお客さんが入ってきました。
女性のお客さんからしたら男性がトイレに入っていると抵抗があると思い(お客さんからも抵抗があると直接言われたので)、一緒に掃除をしていた男性に女子トイレから出るように言いました。
しかし一緒にトイレ掃除をしていた男性は何度か女子トイレに入ろうとしたので再度トイレから出るように言いました。
(その男性には全く悪気はありません。お客さんがトイレに入っているときになぜ男性がいると抵抗があるのかの理由が分かっていなかったんだと思います。彼からしたら掃除の道具を取りに行こうとしたり、女子トイレの掃除の途中だったので続きを早くしたかったのだと思います)
その男性は「知らないおばさんに言われた」とその出来事を他の同僚に愚痴っていました。彼からしたら(掃除をしているだけなのに)一方的に追い出された、何もしてないのに嫌なことを言われたと感じたのでしょうか。
知らないおばさんは私のことななのか、お客さんのことなのかは知りませんが、少なくとも私の伝え方に問題があったのは分かります。
かといってどうしたら良いのか分からず、言い方が悪かったのか、声のトーンが悪かったのか、後のフォローが悪かったのか、後からいろいろ考えていたのですが。
私自身は一緒に掃除をしていた男性を責める意思は全くなく、「女性のお客さんがトイレをしているときに男性がいるとお客さんが恥ずかしいと思うからそのときだけトイレから出てほしい。私もお客さんもあなたが悪いことをして責めてるわけでも嫌ってるわけでもない」と伝えたかったのですが、どう伝えれば良かったのか今でも分かりません。


他にも店員や医師と話してるときでも意思疎通がうまく取れなかったことがあります(他の病院の紹介状が必要なときに紹介状を書いてもらえなかったり、遠まわしに診療を断られたこともあった)。

他の人は相手の表情、声のトーン、目配せ、言葉の意味など、微妙な動きも含めて相手の真意を汲み取ったり、雰囲気から相手の状況を察すると思うのですが、私からしたら超能力級です。
皆からは「相手の立場で物事を考えろ」と言われますが、想像力の欠如だけでなく、私の感覚と相手の感覚(相手が不快に感じる部分が自分の中では不快に感じないこともあるので)が違うから逆の立場になって考えてわかることもない。
店や病院に行ったり、用事で知人と話すこともあるので、そこでのやり取りはできるようになりたいのですが、人の気持ちを察知できない私はどう振舞えば良いのか?


■実家に帰省したときに親の友人が泊まりに来ていたのですが、その人から私は夢遊病だと言われました。
私が夜中に人の文句を大きな声で言っていたり、外に出ているようです(外に出るところまではみてないようですが、私が起きて鍵を開けてる音が聞こえたそうです)。
「よほど人に恨みがあるのね」と言われましたが、私自身の中では過去のことは結論が出ています(強迫心理が出ていても対処する余裕は出てきたので)。
しかし夜中に声が出ているなら、私の住んでる場所の隣人の部屋にまで声が聞こえてるでしょうから対処が必要なのはわかりますが、引っ越す余裕もなく、睡眠時なので対処法が分からず、困ってます。


今まで指摘をうけたことがなく、睡眠時の対処までわからなかったので、申し訳ありません。

引用なし

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【113】Re:ですから削除します  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2013/08/09 22:04 -

>■上から目線
>どういったことなんでしょうか?
 ↑
確認する必要がどこにあるのかわかりませんが。
誰一人規約を違反してこの掲示板を利用している人はいません。
あなたを除いて。
あなたが法律ですか?(←ここが現象としての上から目線)
しかも心理学の相談とも言えない内容で。

>他にも店員や医師と話してるときでも意思疎通がうまく取れなかったことがあります(他の病院の紹介状が必要なときに紹介状を書いてもらえなかったり、遠まわしに診療を断られたこともあった)。
 ↑
ここも前述に近い部分があるのでしょう。
推測になりますが(何度も何度も何度も説明してますが)、
与件化されている内容は既に事実関係として終わっている事なので(質問された側が「わからない」も含む)、自分が納得するまで相手に聞くであるとかその作業自体が「既に依存的関係性」です。
物事の理解ってのは、「そういうことだと事前に与件化されているものに関しては、なるほどそうかとひとまず”そのまま理解する”」→次に(仮に自分には理解できない要素があれば)どうして自分ではそう考えられないのか考える。そして考え続けるです(時間はいくらでもあります)。
何の問題もありません。
答えは既に知っているんですから。数学のテストの模範解答を事前に手に入れているのと同じです。しかし「どうしてそういう答えになるんでしょう」と聞けば一発で与件化は消え脳内では事実上「疑問形反論」ロジックが形成されてしまいます。←反射的に認知の反動化が起きる。
仮に数学の方程式でその答えが説明されている時、
「円周率って何ですか?」これ聞かれたらそれこそ”普通”もう誰も説明を続ける気失うでしょう。
(質問を続ければその段階で関係性は依存系となり、それが可能な認知は既に「上から目線」です)
この世には「そういうことか、わからない部分はあるが自分なりにこう解釈した」というロジックがあります。
「受け取る・承る」=(知識なりを)入手する
そこでわからないと質問を続ければ「拒絶する」=(知識なりを)失う、に限りなく近い現象になります。
事象の認知のルートです。或いは方法論、

■重要な事ですが、「強迫心理」構造時代の後遺症みたいなもので、
何をするにしても(元が依存系であるため求めるものが過剰で)自動的に発生する不快認知などから(過剰では無く通常レベルの対応されると)納得いかないかのような認知になりがちな傾向があるのであり(本当にわからないのでは無い反射的に派生する不快があるだけ→それを納得いかないだとか疑問が残るだとかの認知に勘違いしている)、
与件化されている答えを受け取る流れであるとかルートを自爆的に壊しがちな傾向があるワケです。
繰り返しますが「自分で納得いかないだとかわからないと認識されている感情が”勘違い”である状況が頻繁に発生する」という事です。
それはあなたに限っておきることではありません。広く一般に期待値の大きい何かの説明なりネタバレなりを確認する時、その答えが期待値と違う場合、誰しもが体感上「わからない」というような感情を認知します。
(勿論これは本当にわからないのでは無く、脳がそういう反応をしてしまうだけ。これを自我はサルベージする時に「わからない」と誤解する。)
事実関係はわかるもわかたないもそもそも関係無く「既に答えは出ているだけ」なんですから。

(「強迫心理」時代の後遺症で、自分は依存系だったから常に他人なりに何かを求める(説明や行為や感心やなにからなにまで)事案は常に「過剰な期待値」が自動的に発生しがちであることを事前に織り込んでおけばいい。ここを事前に織り込めば「わからない」だとか「納得いかない」とかの感情が派生しても「おっとっと又やらかしたか」とノリ突っ込みでそこを潰せます。「いやいやここわからないとか言っちゃいけないとこだわ」として落ち着く。←これは誰しもが日常茶飯事やっている心理的日常作業です。)

極端な話「TVが何故映るのか」知らない人大多数です。
しかしだからといってそれを人に聞きますか?
(TVが映る事に何ら疑問を持たない人は、どうして映るのかを必ずしも知っているのではない。知らなくてもいい。)
しかし、心理的問題などの経緯があれば(そしてそれが依存系であれば)権威上位者が何でも説明してくれて、同時に「他の人はその説明を受けて知っているから平気なんだ」と誤認します。
(自分の感情がそうだからといって、他の人が知っているから疑問に思わないとかの解釈をするから話がこじれる。人に気持ちになって考えるって行為の基礎は→「自分が感情なりでそう思うからってそれが事実だと思わない」って事です。)
そこでなにとわなしに「TVはどうして映りますか?」と聞けば、、
もう説明いりませんね。
(この段階で通常の人間関係は壊れます。数学教えてくれている人に「円周率って何?」の質問するようなものです。完全に上から目線の構造になっている。←事の発端は自分の脳内に「存在しない権威上位者の概念」があるからこそ発生する誤解認知。)


以降書いても意味があるのか無いのかわかりませんが(心理的現象ともいえず)、
ついでですから書いておきましょう。
>しかし一緒にトイレ掃除をしていた男性は何度か女子トイレに入ろうとしたので再度トイレから出るように言いました。
 ↑
非常に高い確率で「女性がトイレに入っているとこに性的関心で張りたかったから」だと思います。
(一部の論議ですが知的障害者の性の問題は重大なテーマになってます。学内レイプ騒動などもあります。)
これを邪魔されたので、嫌がらせであることないこと言いふらしたという可能性が高いと見ていいでしょう。
つまり、対応として(本来障害があろうがなかろうが男性職員を女子トイレに入って作業すること前提としている会社の指示が間違い)「利用者がいる時には男性はトイレに入れない」事を(相手に性的関心がある前提で)ビシッと(見透かしたように)言えなかったため話がややこやしくなったと考えるところでしょう。
(相手からも聞き取りできずなので情報不足のため推測の域を出ませんが、ちなみにわたしなら鉄板でそう考えます。)


>■実家に帰省したときに親の友人が泊まりに来ていたのですが、その人から私は夢遊病だと言われました。
夢遊病かどうかの真偽はこの話にまったく関係無いので(どっちでもいいことだから)そこは飛ばしますが、

何で実家に帰るんですか?意味が分からない。
4年や5年音信不通になる事もできないんでしょうか?
赤の他人の家なんですよ?
(と考えておくべき状況ですよ、メンタル問題あったのだから)
意味が分からない。
メンタル問題のフラグとして「恋愛禁止」並にストレス刺激要因でしょう。
(あんだけ苦労して云々かんぬん守秘義務あるので話せませんが、独り暮らしに成功するまでたどりついたのに。)
説明するまでもありませんが、
実家なんかに帰省するからそんな寝言言ってたって事でしょう。
(てかそれ以前に「余裕で眠れている」事自体驚きというか、神経図太いというか、強心臓だと思いますが、、)
リハビリ過程なんだから、強迫心理を刺激するようなフラグはできるだけ避けてください。
「無理をしない」というのはそういう部分も含まれます。

引用なし

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【114】わかりますが  以前投稿した者  - 2013/08/10 14:55 -

・相手の気持ちに立って考えても(自分の感覚が周囲と違いすぎて)わからない。

・相手の目や表情の動き、言葉の真意、その人の雰囲気などで相手の状況を察知できない。具体的に説明してもらわないとわからない(通常から見たら”まわりくどい”説明をされてやっと理解できる)

・通常の人ならちょっとした説明やあいまいな表現、あれ取って、それやってなどの指示代名詞でわかることが私には理解できない。

・瞬時に理解することが必要な時に相手の話が理解できない。

・一度では話が聞き取れない。


こういったことは単純作業の仕事、知人や店員とのちょっとしたやり取りでもあり、相手がイライラするのはわかります。依存的とか、自分のことしか見えてないなどの説明おわかります。
しかしわかったところで明日から相手のことが察知できるようになりました、になるわけじゃなく、箇条書きであげたようなことどう克服していったら良いんでしょうか…。

引用なし

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以降は全て説明済みです。
過去ログに書いてあります。
会話と違って、何度も確認できるようにメールカウンセリングがあるのであって、それを見越しているから『出入り禁止』措置による依存フラグの抑止も可能なんです。

■何度も言いますが、過去ログに書いてある同じことを何度も繰り返し「聞くからいけない」のです。
その都度(本来はわからないのではなく脳内で感知される不快を自我が「わからない・納得いかない」と知覚している→本来的意味は『誤解』)、聞いてしまえば「わからない」という認知を追認してしまうことになり逆効果(自意識共犯)なんですってば。
本来はわからないのでは無いからです(事実答えは過去ログに書いてありそれをあなたは所有しているのですから)、言うならば「辞書持っているのにいちいち英単語の意味を質問する人」のようになってしまっている。
(しかもその辞書を今質問している人から貰っているのに)

<ひとつ新しく追加的事項あるので補足します>

>・相手の気持ちに立って考えても(自分の感覚が周囲と違いすぎて)わからない。
超能力者じゃないだから、相手の気持ちがほんとうにわかるだとか、空気を本当に読めるだとかそんな現象は「存在しません」。
第一誰しも自分の気持ちすらはっきりとわからないのですから。
(更に『共同幻想』適応者であれば尚更「自分の気持ち」をはっきりとわからない人達になります←自我にリミッターかかっているから。)

■相手の気持ちがわかるうんぬんにあなたが執拗に拘るのは、
(前ログの過剰な期待参照)
▲依存フラグで「自分の気持ちをこんなにもわかって欲しい」的な過剰期待値があるためで(勿論もの元ネタは親子関係における反動的依存フラグ)、
 ↑
これが潜在意識で反動化し「人の気持ちがどうしもわからない」というロジックになるんです。
(逆に言うと「自分の気持ちをこんなにも周囲なり相手なりがわかるまで自分では到底納得いかない」という「旧強迫心理ネタ」があるため→自分が潜在的に相手にそう要求しているため、自分も同じようにわかる筈だ的な妄想に繋がり→事実他人の気持ちなんかわかる筈も無いので延々と「わからない」ストレスが蓄積している。)

極論すると誰しもが「相手の気持ちなんかわかりっこない」的前提で生きてます。
(『共同幻想』の場合相手の気持ちを考えるのではなく「普通・常識・人間はそれをどう思うか」的な集約があるので、相手の顔色をうかがうのではなく常に『共同幻想』的にどうかでまず判断している。)
『単独者』においてベースとなるのは「自分ならどうするのか」に尽きるので、常にその評判は個性派だとかB型人間だとか我が道を行くだとか空気も読まず独断専行な人と周囲に評されて本物です。

『共同幻想』や『単独者』が処世術的に何をしているのかと言えば、
▲「基本自分より他者を優先している」です。
「自分の事はひとまず置いて置いて」という認識です。
つまりやれ自分がわからないだとか、そういうゴチャゴチャした事を「言わないで」、そんな事より自分以外の他人などの方が”見掛け上大事だと”振る舞うから(←この時点で「強迫心理」フラグをバカいってんじゃネーぞ的にノリ突っ込みで鎮圧できる)。
 ↑
意味わかりますか?何も親切でそうしているのではありません。
ノリ突っ込み切りで、くだらねーこと考える自分を鎮圧し「現実に対する集中力」を発現させるのが狙いです。

たとえば餓えた捕食獣が「ようやく見つけた獲物を前にして」いざ攻撃という時に「腹減ったな」とかくっだらない自分の事がやれどーしただ言ってたら狩りへの集中力が欠如して、せっかくの獲物を逃がしてしまうだけだからです。
このように生き物は重要な局面になればなるほど「自分の気持ちがどうだこうだ」など最低ランクのくっだらネー部分を切って捨てるから現実に適応できるんです。
(所詮それは自己愛でしかありませんから、腹減ったと言えばどこから食い物が出てくるワケではない。←しかし依存フラグで「何か出てくるかもしれないと期待があれば?」)

ですから「人の気持ちなんか誰にもわかりませんし、ましてやあなたの気持ちなど誰もわかるワケ無くわかりたくもないのです。」←これ人類ヒト科全般にそうだって事です。
誰にも相手の気持ちはわからないし、自分の気持ちなどプライバシーであり人からわかられるような代物ではありません。
▲確かに濃密な人間関係であるとか、ゲームの理論的に「どういう(気持ちではなく)”考えなんだろうね”」という”読み”とかは別にありますが(これを”気持ち”と要約する場合もありますが)、これは極めて『自意識マター』的論理であり「勝負における賭けと同じ」ような類のものです。
注:繰り返しますがそもそも「自分の気持ち」などわからない人が大半なのですから、この読みっていうのは「相手自信にも気が付いていない弱点」などへの”読み”のようなものです。


なので、
「いやはや人の気持ちなんてわからないもんだよな」
この台詞が日常生活全般で頻繁に聞かれる台詞になるんです。
(誰しもがそう思っているからですよ。)
極論「わからなくてもいいこと」だからです。
自分にあてはめた想定でともかく動いてみて、違ったら「謝る」終わりです。
(そもそも仮に『単独者』であれば、他人の気持ちなど無視して突撃する人種でなければなりませんしね。)
そんな事をいちいち気にしている事自体が問題であり、
「これは強迫ネタだと切るべきポイント」であり「質問したらダメだろ」って事です。
 ↑
■だから悪循環化するので「出入り禁止」にしているんです。
質問できないように。
そんな事を聞く方が間違いだからです。


■そして空気読む系の部分や、人の言った事を聞き取れないなど
これは「集中力云々」「くっだらないこと考えているから(強迫切りをしろと)」的部分など以前から説明済みです。
(テンパるだとか集中力欠落におけるメンタル的仮想知的薄弱などの問題も過去に説明済みです)
強迫切りできていないからです。
んな事でぐちゃぐちゃ言い続けるなってのが答えで、
そもそも少し前のレスで『単独者』系考えてますって人なんですよ?
基本日常生活『単独行動』の当事者にそんな事関係無いでしょ。
(余計な人間関係を極力避ければいいだけ、リハビリ中は「俺人間嫌いだから」とかの話を前提に動いても”お題目的にアリ”ですよ。)


何度も言いますが、
常にあなたは何百回と繰り返してきてますが、
>明日から相手のことが察知できるようになりました、になるわけじゃなく
(「努力は無駄論」で延々同じ話蒸し返しましたが)
突然それができる人間になる。だとか、みんなはそれが努力も無く容易にできているだとか、
この辺の「有り得ない想定」こそが致命的だと言ってるんです。
今回の話にあるように、他の人同士は「相手の気持ちがわかっている」だとかそんな話はどこの世界にもありません。
(だから思いやりだとかってのは常に”賭け”だから、気持ち半分常に間違ったら謝る覚悟でやるもんです。)
重要なのは「やれ自分のことがどーだあーだとくっだらない内向思考が止まらず(強迫切りできず)外向思考に自我が向かっていかない(集中力の欠如として発現)」←ここに尽きるんです。

その自分の観察力のパフォーマンス(集中力全開想定)これが全てです。
仮にそこが能力的にアレだとしても、
その場合は「あの人なりの精一杯」というジャンルになり、なんら問題になりません。

わかりませんか?
■どうして「森に人類ヒト科自分ひとり」で考えないんですか?
集中力・現実への外向思考(内向の反対)。
これは何かと言えば、
森の中で今日の食い物を探す集中力です。
この時腹減っただのやれ自分がどうだのごちゃごちゃした事考えて意味在りますか?
いわんや、自分以外誰もいないのだから他人の気持ちなんて問題はそもそも存在しません。
 ↑
ベーシックに言えばそこから考えないと始まらないって事です。

繰り返しますが、
今回新規追加事項として説明した深層心理。
>>▲依存フラグで「自分の気持ちをこんなにもわかって欲しい」的な過剰期待値があるためで(勿論もの元ネタは親子関係における反動的依存フラグ)、
 ↑
これをグズグズ今だに引き摺っているって事ですよ。
だから「わかってもらえるまで(強迫心理が満足するまで)これを延々に繰り返そうとする」、
しかもそのわかってもらおうネタは「強迫心理」という妄想です。
(実のところわかってもらうと思っている自分の気持ちなどという実体も存在しない。親子関係におけるドロドロした期待値のなれの果てのような”不快認知”があるだけなんです。←幼児特有の親の誇大認知に始まる現実との乖離。)

質問を続ければ続けるほど、その”切るべき心理”を助長するだけです。
ですから、
■「出入り禁止なんですから、以降投稿は自動的に削除します。」
こういうことを聞くからいかんのです。

引用なし

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【116】ありがとうございました  以前投稿した者  - 2013/08/12 18:01 -

集中力が散漫になってしまったり、雑念は多すぎたと思います。おっしゃるとおり自分中心でした。


ただひとつ。
メンタルからくる知的薄弱の問題に関しては努力や集中力(メンタルが原因)だけの問題なんでしょうか。
他の皆さん努力されているのはわかりますが、通常の人にはできることができない、通常なら努力したらできるようになることができない人もいる。この苦労は通常の人とは比較にはなりません。
脳機能の問題じゃないのかと思うのですが。。

しかしkagewariさんのおかげで家族関係の悩みも消え、考えの切り替え方はわかるようになりました。そうでなければ今でも精神的にもっとつらい思いをしていたと思います。

規約を破って申し訳ありませんでした。
今まで答えていただいてありがとうございます。

引用なし

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以下も一から十まで全部説明済みです。
(そこを読んでないか読み飛ばしておるのか、無意識的視野狭窄で「ない事にされている」だけ。)
しっかり書いてありますし、
補足・背景含めて全て説明済みの事項です。

>メンタルの問題は考え方を変えることによって解決可能なのかもしれませんが、メンタルの後遺症からくる知的薄弱の部分に関しては、集中力や努力だけでは限界かと思います。

『最後の返信』としてあれこれ振り返りながら説明しましょう。


ですから(前回同様に)明日からすぐに”できる”(同時にみんなそれが容易何の苦労も無くできているという設定込み)、そもそも「やれ何かかができるできない論」には一切意味が無く。
▲心理学における結果論の「どうでもいい論」
※心理学上自我が確認する最大の成果とは「動機形成と実行」であり(その結果は重要では無い「大失敗と大成功は概念として等価」→「姑息な失敗と姑息な成功」が等価であるのと同じ)、
そもそも結果論には一切の意味が無い。

あなたに観測されている「できるできない論」の不快は全て(日常市民生活に渡る部分を含めて)「一切が全て『共同幻想』適応局面」の人間関係などの話になっており、
(だから何度も「いつから『共同幻想』適応選択が話の前提になったのか」「そもそもリハビリ過程は『仮想単独者(反抗期的なトレースなので)』なので、『共同幻想』適応を前提としている事自体致命的な倫理矛盾であり=100%それが強迫心理であることを証明する」)
再三の論証から(いちいち論理思考するのもリハビリの効率上どうかと思うので)

『(依存フラグになるので)リハビリ中の恋愛禁止』
『(共同幻想的他者との)比較級の禁止』
『(いい悪い論同様に)できるできない論の禁止』
『王道のいい悪い論の禁止(強迫心理下だと道徳が強迫心理の強制力となるため)』
『(認知速度的に)即レス禁止(一拍置いて考える→少なくとも1週空けるなど)』
 ↑
ザックリこの辺を心がけるよう注意事項として説明済みで、
これ守っていれば何一つ相談事例にはなっていない事項ばかりです。
(事実『単独者的理解』あるチャンスをいかにもメンタル的流れでバックれて、いかにも強迫心理が好みそうな『共同幻想』系の場所に”再三”意図的にからんで行くなど、←こういう動機形成の論理矛盾と半ば自作自演の不快獲得というその結論が→経験的にも明快に実証されあなたは嫌というほどその点ご自身でも確認されてきた。)

■「心理学的には動機形成と実行が重要で結果論にはほとんど意味が無い」
▲「過去、強迫心理的な動機形成から論理矛盾的行動が頻発し、あたかも意図的に不快獲得に成功してきてしまった部分を、十分に証明・認識されている」
 ↑
前後読めばわかるとおりで、
結果論に拘れば、事実上後者の論理(そもそも動機形成がおかしい事)を(すっ飛ばして)追認し、話をいかにも目崎の問題に集中させることで、本丸の強迫心理を温存するばかりになる。

あなた自信再三言いましたよね?
「根本をなんとかしたい」と。
だから何度も何度も何度も何度もここを説明しました。
しかし「根本の問題とその注意事項の一切を無視し続けた」のがあなた自身です。
ですから、今回も話は、一目をひきそうな夢遊病などの話は最もどうでもい”根本逸らし”のような演出になっており、まんまとあなたはそれにひっかかって自分の相談が「一から十まで全て蒸し返しであり全て返信済みであることすら認知障害かのようにすっ飛ばしてしまった」←言うなら「強迫心理」に一杯食わされた。

話を分析すればネタは全て『共同幻想』適応を前提とした人間関係であり。
勿論この心理の発端は「家族時代の認識偏向による現実との乖離した過剰な”認められたい”偏向」であり(ここで様々な公開できない問題を発生させたことは説明するまでもなく、そしてこの心理かガチで『被(こうむる)』である)、
この辺の内向性地獄みたいな惨禍から、
●「み ご と に 脱出 テイクオフ」したんですよ。
どんだけの偉業ですかこれ?
ここ認めないでどうするってぐらいの重大なポイントでしょう。
やれどこやらの人間関係がどうだとか、もうゴチャゴチャゴチャゴチャ延々と、、、
 ↑
自分自身冷静に俯瞰(ふかん)で見れば異常性わかりますよね?
事の重大さの軽重が(秤の傾きが)めちゃくちゃですよ。
そして、そんな些末な話には常に(この前の占い話じゃありませんが)「実家に帰れらないといけないことになる気がする」みたいなそれこそ『本丸の悪だくみ』の姿が常にチラホラ見える。
偉業とも言える成功を前に、
常に目崎の細かい話で「自分自身にイチャモンをつけ」(第三者の私が弁護人よろしくそこを延々と援護する格好になり)やれ何がダメだ、「明日すぐできるようにならないと意味が無い」などの努力は無駄ロジックの「いかにもガチ『強迫心理』的嫌がらせ」に終始し(これが納得いかないことには我慢がならないなど意味不明状態を継続し)、
 ↑
もう狙いは明白ですよ、
偉業とも言える当初の「ドツボからの脱却と自立の方向性をとん挫させようという企み」にまんまとひっかかり続ける。
「強迫心理の狙い」はバレバレで明白なワケです。


■その証明に『単独者』なら、
やれ説明が一度で聞き取れないだとか、誰それに何かを言”われた”(受動:被(こうむる))だのくっだらない事を言いませんから。
何故って、
「そもそも人の話を(特に『共同幻想』系の人物)まじめに聞く気ありませんし(聞いてやるのではなく常に自分で考えて行動する)」、やれ他人が自分をどう評するなんてことは(特に『共同幻想』系には『単独者』の概念わからないのでむしろトンチンカンな人物評で丁度いい)更にどうでもいいことであり、
目先の出来不出来「いかにも『共同幻想』的な偏差値」なんてものはクソの役にも立たないと思っており(自分で考え企画した動機形成を実行したか否かにしか興味が無い)、

心理的認知の始まりの部分を極端にカウンター的に言えば
「森に人類ヒト科自分一人」で考えている。
更に「目崎の結果論的”差異には何ら意味が無い”」と考えている。

(今回の相談も『共同幻想』適応強迫面がお得意の「世間体」そのまんまですよ。)


結論、あなたは、
>>▲依存フラグで「自分の気持ちをこんなにもわかって欲しい」的な過剰期待値があるためで(勿論もの元ネタは親子関係における反動的依存フラグ)、
 ↑
ここに(ノスタルジー現象として)引っ張られているという話であり、
結論は出ているんです。
何度も何度も何度も説明してきました。

そして再三申し上げているように、
(極端に言えば「人はメンタルに悩むの自由であり」)
心理学は中立の第三者です。
ナントカセミナーでもなければ新興宗教でも占いでも人生相談でもありません。
本人が歩留まり的に「この悩みも自分の個性」と引き受けるのであればそれでもいいんです。
ですから、わたしはしつこいくらいに「動機の確認」を続けました。
心理学相談をそもそも強迫心理が足引っ張る行為(妨害)の結果論的追認のために利用したいだけなのであれば、それは私が強迫心理補助の共犯関係となる依存性用途となるので「そういう問いにには一切お答えできない」と、
(努力は無駄論なんてその中から「強迫心理」が思いついた苦肉の策ですよ)


■あなたが問うべきは他人(ひと)ではありません。
「問うべき対象は自分自身」です。

(その問いから逃げ、人に聞き続けるから依存性中毒から抜け出せなくなっている←だから結論いつも手を変え品を変えしているだけで「実のところは同じ話ばかり蒸し返している」んです。)
もうほとんどやっかいな問題は離脱に成功し、
「さて、これからどうすっか」というそれこそ最終局面で足踏みみたいなのが続いているだけなんです。
「強迫心理」のレトリックにをしっかり直視してください。


『(依存フラグになるので)リハビリ中の恋愛禁止』
『(共同幻想的他者との)比較級の禁止』
『(いい悪い論同様に)できるできない論の禁止』
『王道のいい悪い論の禁止(強迫心理下だと道徳が強迫心理の強制力となるため)』
『(認知速度的に)即レス禁止(一拍置いて考える→少なくとも1週空けるなど)』
そして補足事項として
「森に人類ヒト科自分一人」で考える
「心理学的に結果論の”差異”は”無意味”である」

当時から私がお伝えした事項になんら変化ありません。
全て過去ログに書いてあります。
(論文にすれば何冊分に及ぶはずです)


■これ以上の利用は規約に対し(他利用者の方に対しても)不公正となるばかりか、
依存フラグを刺激するだけで心理学的に逆効果です。
同時に私が心理学的に返信可能な内容は「全て返信済み」です。
永久に『出入り禁止』とします。
投稿があれば自動的に削除します。


■あなたが問うべきは他人(ひと)ではありません。
「問うべき対象は自分自身」です。

「さて、これからどうすっか」というそれこそ最終局面で足踏みみたいなのが続いているだけなんです。
「強迫心理」のレトリックにをしっかり直視してください。


規約違反と心理学的趣旨により以降投稿があれば自動的に削除します。

引用なし

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【118】思いやりについて  ナマケモノ  - 2013/08/27 19:46 -

ブログではお世話になりました。
正直いじめられた人にも問題があるとの考えは今も変わりません(私自身もそうでしたが覇気を持たせる努力とか周囲のことを考える努力などいじめられる理由を改善しなければ嫌がられるのは当然だと思うのですが)。
しかし共同幻想に対しての疑問も出てきました。

数ヶ月前に友人数人から私ほど思いやりに欠けてる人はいないと言われました。他の人はもっと人のことを考え、思いやってるとの話でした。
今までも他の人から同じようなことをいわれたことはありましたが、はっきり言ってきた人は初めてです。
確かにいい年して恥ずかしいくらい私は自分のことしか考えてなかったです(その年相応の常識ややさしさに欠けてた)。正直自分が一番かわいいです。他の同年代と比べたら周囲のことを見てなかったんでしょうね。
ある時に職場で腰を痛めてた友人がいたのですが、彼女の心配をしたら「あんたにも人を思う気持ちがあったんだ」と言われました。
その時に(私だって人が病気になった時の心配や配慮をしてるくらいの気持ちは持ってるよ)と思ったのですが、その時は気持ちが友人に気持ちが伝わってなかったのか、私自身に人を思う気持ちが足りなかったのかなと思いました。

しかし最近になって友人に対しての疑問が出始めてきました。
友人もですが、職場や近所の人を見ていてると人を見下し、仕事のことで上司から注意されたことを根に持ち、人のことより自分優先…。
どこが人のことを考えてるの?人への思いやりなの?仕事上での協調性はすごいものですが、他人優先(損得勘定を抜いた本当の思いやりで動いてる)で動いてる人って少ないんじゃないの?
人間性ができてる人から注意を受けるならわかりますが、この人たちには言われたくないとの思いが出てきました。
でも彼女たちは思いやりがないとかひどい人間性だと言われないのは何故なんでしょうか。
私ほどひどい人間性がないと言われた理由、彼女たちと私との違いは何なのでしょうか?
反感買う内容(私自身もメンタル的な問題を抱えてること)は承知の上でお願いします。


■最近仕事が思うようにできません。何をしても無気力なのです。
支援者からは前職は毎日12時間以上も働いていたのだから今回の職場も精神的にしんどい(しんどいのはみんな一緒)とか生活保護に頼ろうとせずに前向きに考えなさいと言われますが、本当に行きたくないのです。
現在は週3ですが、フルで働けるように仕事に慣れなさいと言われます。
彼らに悪気がないのはわかります。しかし週3どころか働くこと自体が精神的につらいです。
都会に引っ越す余裕もありません(それでも都会には近い郊外に住んでます)。
これでは仮に生活保護を受けられたとしても市役所や支援者から働くように言われたら精神的に休まりません(仕事がつらいから生活保護を受けたいのに)。
支援者に理解してもらえばいいか悩みどころです。

引用なし

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【119】Re:思いやりについて  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2013/08/27 21:39 -

【現在告知のとおり掲示板での新規の相談は受け付け停止しておりますので、一般論的質問への返信に限定されますのでご理解ください】
又、前のスレッド『以前投稿した者』さんのようにこの場で反復的に質問を受け付けているものでもありませんので、ご注意ください。
同101スレッド参照
http://kagewari.cside.com/bbs8/ktw357.cgi?cmd=ntr;tree=101#atop


>正直いじめられた人にも問題があるとの考えは今も変わりません
そもそも現象にいい悪いの評価を持ち込むから話がややこやしくなるんです。
それは既に道徳論であり『共同幻想』なんです。
たとえば「珈琲にミルクを投入して色が変わった」←ここに善悪の評価を加えるとか、もうこうなってしまうと科学ではありません。
(※勿論話を「情緒的なもの」にしたいのであれば別です。=いい悪いや善悪を持ち込むと話を情緒的主観に方向づけるだけで何ら生産性がありません。)

もうひとつ補完すると、
たとえば、犯罪。裁判でやれ誰がいいとか悪いとかには意味は無いのです、冷静に合理的な量刑なりを法治国家として判断するのが筋論で、この判断に「やれいいとか悪い」の道徳的主観持ち込まれても困るんですよ、てか邪魔。
■勿論心理学的にも「まったく意味が無い」或いは「やれどっちが悪かろうとどーでもいい」
ここの大前提から筋道がズレてますよ。
(巷の井戸端会議で各人道徳的主観交わして気ままな日常会話をしようってなら別ですが。)

>私自身もそうでしたが覇気を持たせる努力とか周囲のことを考える努力などいじめられる理由を改善しなければ嫌がられるのは当然だと思うのですが
 ↑
だから方向性があってんの?ってその根拠を問いかけているんですよ。
心理学的に考えれば、それはガチ強迫心理側面の話になるので、自我の構造論なり「何故そうなるのか」の検討なり抜きに「努力の方向性」なんか出てきたら話が無茶苦茶になってしまうんですよ。
(末尾のあたり読むと理解できると思います、)
原因わかってないのに、何故努力目標なりの結果だけわかるとか荒唐無稽な話が出てくるんです?
変でしょ、無理筋過ぎ。←てか『共同幻想』ではこれが通用しちゃうから話がこんがらかるんだけど。
(注:『共同幻想』世界ってのは非適応事例を想定しておらず、その方便なり論理は「共同幻想適応選択者」に限定されている。時代のパイオニアやら改革運動しているだとかそっちサイドには適応しないばかりか「修正すべき問題」などとカテゴライズされてしまう。)

(※たとえば、中小企業の財務体質に問題ある時に、構造論としてそこには資本調達なりの手法に根本的な問題あるかもしれないのに→「節約の努力が必要」これが答えじゃ全く意味が無いワケですよ。=資本調達なりの根本的問題から目をそらすという弊害の方が大きい。)

事実こういう現象は(特に道徳的主観出てくる時の定番ですが)「強迫心理のマスキング効果のがデカい」というのが大半になるんですよ。
(※ちなみに精神分析とかの過程では入り口論の初歩中の初歩として道徳論とか禁止ですから。強迫心理が自分自身の自意識を抑圧する原動力となっているのが記号的に言うなら「脳の道徳野(どうとくや)」)


>数ヶ月前に友人数人から私ほど思いやりに欠けてる人はいないと言われました。他の人はもっと人のことを考え、思いやってるとの話でした。
>今までも他の人から同じようなことをいわれたことはありましたが、はっきり言ってきた人は初めてです。
>確かにいい年して恥ずかしいくらい私は自分のことしか考えてなかったです(その年相応の常識ややさしさに欠けてた)。正直自分が一番かわいいです。他の同年代と比べたら周囲のことを見てなかったんでしょうね。
 ↑
このパターンも典型的なものです。
前のスレッド『以前投稿した者』さんの奴読んでみてください。
心理学的意味の(通俗的意味ではありません)「自己中心的偏向」って奴で、
元ネタは不安からくる受動的(『被(こうむる)』と呼んでます)自分がどう思われているかなどの関心が過度になれば、自我は「自分は自分は自分は」への関心で一杯になってしまい、
自我のリソースを食いつぶしてしまいます『CPU100%・メモリ100%』
これが心理学的に言うところの自己中心状態なワケで、
(※昭和に流行したアダルトチルドレンなんかの分析もまー同じ意味です)
=内向化と考えてもいい。
(認知のベクトルが内向世界中心になってしまい、外向性=現実への認知・関心や賭け・攻撃というアクティブな認知ベクトルそのものが相対的に後退する、或いはそのリソースが食われる。)

>私自身に人を思う気持ちが足りなかったのかなと思いました。
つまり「不安に起因する受動的な自分が自分が(『被(こうむる)』)」という意識でリソース一杯なワケで、
周囲の関心も何も「恒常的に前方不注意状態」なんですよ。
(※なので心理学では発端となる不安を過去まで遡って探す事を重要な鍵だと考える)


>しかし最近になって友人に対しての疑問が出始めてきました。
>友人もですが、職場や近所の人を見ていてると人を見下し、仕事のことで上司から注意されたことを根に持ち、人のことより自分優先…。
 ↑
で、こういう反動現象になる。
意味わかります?
今回の話の概念の発端に「道徳的主観」持ち込んでいるでしょ。
だから、自動的に異論や疑問があると「反射的に思考はいや今度は誰彼が悪い」という他者への道徳的糾弾になるんですよ、これ自動的にそうなるワケ、
そういうロジックだから。
全部意味ないんですよ、
右の秤に10キロ載せたら傾いたので反対の左側に20キロ載せたとかだけの話。
どっちが重いかとかさ、そういうレベルの話じゃないから、、
■「そもそも秤を持ってこないでくださいよ」と、そこから始まる話なんであって、
(結果論としてやれ人間関係がどーなったこーなったとかの顛末や各論には一切意味在りませんから、そこは放置でお願いします。←リソース解放されて意識が外交性に向かえば後から勝手に解決する部分なので、)


>■最近仕事が思うようにできません。何をしても無気力なのです。
 ↑
理由は簡単、
リソース100なんだから(『CPU100%・メモリ100%』でバックグラウンドで永久ループのバグみたいな”ナントカEXE”が動き続けている→「強迫心理のモジュール」)、誰だって疲れますよ。
マシン的にもフリーズ一歩手前なんだから。

>生活保護に頼ろうとせずに前向きに考えなさいと言われますが
 ↑
あえて(カウンター効果狙いで)極端な表現使いますが、
「こういうこと言う奴が最強のキチ○イ」ですから(笑
リソース100でマシンがうんうんいって、ブラウザ表示の切り替えもままならない時に、ワードを起動してこれがそう簡単に起動しない時に、
マシンの前で「頑張りが足りない」←こんなアホみたいな事言う人いませんよね。

>現在は週3ですが、フルで働けるように仕事に慣れなさいと言われます。
無理に決まってんじゃないですか、
「ワケわからんこと言うならメモリー32G持ってこいコラ」って事です。
(まー増設しても”ナントカEXE”が切れなきゃ結果また100までいっちゃうんですが)
だから、
ひとまず(自分なりに問題の発端なり考えが及ぶ状態までマシンの動きを回復させるため)”ナントカEXE”が起動する「表面上のトリガー」を取り除けって言う事になるんです。
今やるべきことは「とっとと仕事を辞めろ」です。
(逆に遠回りになる)
とにかく、”ナントカEXE”を起動させないためにしは仕事いかない状態なら大丈夫という結論出ているんですから、
ここだましだましでリソース90%でヘロヘロ状態維持しても何の意味も無い。
トリガーとなっている仕事なりはスパッと辞めて、
今回ざっくり説明している「深層心理なり潜在意識なりに恒常化している不安の発端」なりを一人旅でもしながら考えたらどうですかって事です。
ズルズル中途半端なペースで仕事しても、本来直面すべき問題なりの検討を結局先送りしているだけになってしまいます。
(心理学のカウンセリングを検討するなら、規約として過去ログなり読んでどういうものかわかった上での前提になりますが、公開掲示板を”公開”している趣旨そのままですが、参考にして自分なりに考えて結論でるならそれでもいいワケで、)

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【120】Re:思いやりについて  ナマケモノ  - 2013/08/30 18:43 -

質問(個人的な事情になりますが)としてお願いします。

■『あなたほど思いやりがない人はいない(世の中損得勘定抜きで動ける人は少なく、人を陥れて噂話をする人も多いけどあなたの場合は特別ひどい)。よほど自分が可愛いのね。』
『他の人は人への思いやりがある』
と友人たちが言ってきた意味は何なんでしょうか?

共同幻想適応者から見た思いやりがある人は謙虚で損得感情抜きに人のことを優先にして動ける人だと思うのですが、(私が自分、自分で人のことを考えてなかったのは承知の上で)そういった人はごくわずかでほとんどの人は自分が1番可愛いと思うのですが。
酷い人だと人を陥れたり、あることないこと悪口を言ってる人もいます。なぜその人達は叩かれないのか?私がその人達以下だと言われる意味も分からないです(私は人のあることないこと言ってないし、人に無関心なために悪口言ってる余裕すらない)。

■前回の支援者から生活保護で楽しようと考えずに働く努力をしなさいと言われたと話してましたが、言われたことは事実ですが、支援者も悪気があったわけでなく、彼らにはお世話になってることもたくさんあります。
私が支援者のことを悪い印象を与える書き方をしてしまっていたなら申し訳ありません。

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【121】Re:思いやりについて  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2013/08/30 20:04 -

【現在告知のとおり掲示板での新規の相談は受け付け停止しておりますので、一般論的質問への返信に限定されますのでご理解ください】

>■『あなたほど思いやりがない人はいない(世の中損得勘定抜きで動ける人は少なく、人を陥れて噂話をする人も多いけどあなたの場合は特別ひどい)。よほど自分が可愛いのね。』
>『他の人は人への思いやりがある』
> と友人たちが言ってきた意味は何なんでしょうか?

前回の説明じっくり読めばそのまんま答えが書いてあるのですが?
(それほど難しい読解では無いと思いますので繰り返し読んでみてください。)
どう補足すればいいものかと思いますが、
ザックリ補足しておきましょう。
非常におおまかな説明になりますが、
・『メンタル問題』=自動的に関係障害
・理由は簡単でメンタル問題=内向・退行など「結果論的自己中心的認知」の散見
・端的言えば「恒常的な前方不注意である」
(思いやるも何も構造的に”視界に入らない”←見えていない事が大量にある。)


■これに反して『共同幻想』自我適応というのは
(これ言うといろんなところから異論あると思いますが)
わかりやすく言うために過激な表現使いますが、
『共同幻想』とは一種の洗脳で、宗教的ドグマのような概念を常識として認識されこれに従う事に道徳的正義があると自意識に対する抑圧ポイントを構造化するもので、
彼らの言う「思いやり」には二面性というか多面的なものなんです。
 ↓
そもそも論として、
『共同幻想』=自意識の抑圧ですから(最も極端な事例は「軍国主義と個人」)、
滅私奉公じゃありませんが、
彼らは極論宗教における聖職者のように「個より『共同幻想秩序』」を中ば盲信するように重要視します。
そして彼らにとっての「人を思いやる」として利用されている単語の「人」の意味ですが、
勿論それは『共同幻想』適応構成員の事であり(異教徒はむしろ敵)、
同時にその人格は(共有・共同化している事から)「個別というより同時に共同体の尊重」を意味してしまうため(極論すれば全員同一人格目指しているようなものだなので)、
ある意味ですが、
「個人を抑圧して『共同幻想』に忠義を尽くしているか?」と「他人への思いやり」は同義なんです。

極論ですが、
『共同幻想』社会というのは(村八分の法則じゃありませんが)「孤立する個体を取り込み共同体の論理に吸収する(思いやり)」の機能はありますが、
メンタル問題への対処は「全くクソの役にも立たないどころかむしろ悪化させるケースが多い」のです。
(それが『共同幻想』の特徴というかいいところでもあるので構造的に仕方がない)

彼らの発言を「彼らが意識できない無意識部分までサルベージして」翻訳しますと
>『他の人は人への思いやりがある』
翻訳:あなたがメンタル問題である事自体が人して許せない
(既に『共同幻想』違反である)
極論の極論ですが、
メンタル問題は半分社会問題であり、
前兆現象というか前段階というべき世界に、
「ニート、スローワーカー、ノマド、新卒社員が3年で3割辞める件、ブラック企業への忌避、」などなど多数関連現象あるんです。
ザックリ言えばこれらの現象は『共同幻想』の論理で言えば「単なる怠け者で悪い奴」みたいな事になる。我儘だ、思いやりがないから平気でそういう状態でいられる。←みたいな。
(彼らは表だって口にはしないでしょうし、彼ら自身自分の深層心理がわかるわけではないので上記のような発言をする人物はいないでしょうけども、論理構造的にはそうなっているんです。)

■てか繰り返しになりますが、
・『メンタル問題』=自動的に関係障害
 ↑
ここデフォですから、
思いやりが’どうたらとかいかにもな『共同幻想』道徳論みたいな戯言を何がどうこう考えても意味が無いのです。
(そもそも彼らのいう思いやりは異教徒から見れば単なる弾圧でしかない←あくまーでもカウンター的極論ですよ。)


>ほとんどの人は自分が1番可愛いと思うのですが。
 ↑
これは言うならばメンタル問題特有の発想って事です。
(あなたには視野に入ってこなかった=この世に存在しないも同様)
自分の周辺環境として自分の事などどーでもよく、周囲なりのなんとやらに自分が関与しようという試みは「最大のエゴイズム」です。
わかりますか?
「自分の事が可愛いライオン」←クソの役にも立たないですよね。
(自分にとって=自分の利益を最大化できてない)
「自分の事(今腹が減っているだの昨日なのがあっただの)などくっだらない事には目もくれず、周囲に睨みをきかせ、自分の縄張りの防衛などに”自分を殺すぐらいの勢いで努力する”ライオン」←これが王者です。
(本当の意味のエゴイズム)
で、先進国である我が国の一般的な個人の周辺環境と言えば、そこに人間関係も含まれてくる。
そこで「自分の事が可愛いライオン」でいようとすることは、
既にアダルトチルドレンみたいなもので(背理に保護者を必要としている依存的認知である)、
話としてそれじゃエゴイズムが成立せんのですよ。
(そのスタンスで飲食店開業して成功すると思いますか?←自分の利益を追求できないでしょ。)

『共同幻想』は共同幻想秩序が自動的に周囲の環境となりますし、
アンチテーゼの『単独者』の場合でありば、『共同幻想』を含む自分の周囲における社会は自分の狩場同様に「最重要視すべき一連の環境」です。


>酷い人だと人を陥れたり、あることないこと悪口を言ってる人もいます。なぜその人達は叩かれないのか?
暴力はいけません、
暴力が許され奨励るのは「相手が異教徒の時だけです」
(某漫画のヘルシングじゃありませんが、暴論覚悟で言えば異教徒などぶち殺してもいいのです。←これが『共同幻想』極端バージョン。←しかしなんとわなしにそれっぽい言動が『共同幻想』社会における道徳であるのは確かでしょう。)

社会というのは簡単に言えば「殺し合いの場」であり、
最後に立っている奴だけが正義を語れるってのは、まー自然の摂理みたいなものです。
どっかの宗教のユートピア妄想じゃあるまいし、
社会ってものに何を求めてんですか?
(猟師が海に何を求めるのか?的に考えれば理解できると思います。)


>■前回の支援者から生活保護で楽しようと考えずに働く努力をしなさいと言われたと話してましたが、言われたことは事実ですが、支援者も悪気があったわけでなく、彼らにはお世話になってることもたくさんあります。
>私が支援者のことを悪い印象を与える書き方をしてしまっていたなら申し訳ありません。
 ↑
だから論議に「いい悪い」を持ち込まないでください、、
(意味ないし、話ややこやしくなるから。ジャーナリズムの視点で見てください。)
心理学的にはいいも悪いも無く、
私はそのまんま書いているだけで(そこにいい悪いだの勝手なフラグを付けているのは読み手のあなたなんですってば)、
私は『共同幻想』世界も尊重しますし、だからこそ彼らの考え方も理解してます。

ザックリいってしまえば「メンタル問題に対して逆効果な事してこその『共同幻想』的な正しい人」なんです。
(言えば”彼らの論理においていい人”=メンタル問題に逆効果な人)

私はそのまま、彼らのそういう言動は逆効果でバカみたいな話がほとんどだ、と事実を書いているだけで(そこが『共同幻想』のいいところだと十分過ぎるぐらいわかってますし私もそう思ってます)、何も思うところありません。

どこかの宗教信者が「風邪の時には裸で寒いところがいい」という迷信を信じているとして、
風邪をひている人にそれを勧める行為は「彼らにとって親切だしいい人です」、
(私もあーいい人だと思います。)
ただ、「それ逆効果だから」←私はこう言っただけの話です。


(※それから今回の質問も「質問(個人的な事情になりますが)」となってますし、ブログのコメント欄にも連投続ているので、これは前回説明の「、前のスレッド『以前投稿した者』さん101」と同じ依存フラグになりますし、ブログのコメント欄と掲示板レスが分散してしまうなど運営上も困るので多重利用を控える方向でお願いします。)


■現在新規質問を停止している根拠となる「過去ログの蓄積」にあるように、
今回の返信もブログコメント欄の返信内容も、掲示板の過去ログ等閲覧すれば同じこと書いてありますので(掲示板機能で質問が連発するより客観的になれるので他スレッドなど読むほうが効果的な場合多いですから)、利用頻度には留意してください。

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【14】母親のこと  maccha  - 2010/03/27 17:22 -

母親が大好きで幼少期は母親の言うことを聞くことに一生懸命でした
これについて
好きなら言うことを聞かなければならないか?おかしい。
好きだという私なりの表現が、いうことを聞くことだった。
しかし、この時点でもう、私は、子供ではなくなっている。
従順な子供のふりをしている大人。育ててもらっているわけだし、仕方がないから自分をださずに子供のふりをしよう。そのほうが得だから。いつまで。大人になるまで。私が母を好きになるまで。

子供ではないのに子供のふりをする。芝居をする。どんどん大人になる。ますます〜しなければならないが増える。芝居が芝居でなくなってきている。超自我の肥大化。何のメリットがある?
自我はなぜ受け入れた?自分の足をひっぱっているのが自分。
自分が苦しむことで母を苦しめたかったから。
母はどこかで大人になる私を拒んでいる。

緊張の原因を私の幼少期の取り込み方にあるのではないかと思い、母親との事にあるのではと思い、検証してみる。超自我の見直し。自我の再構築。

過去レス読みました。内容の理解はかなりあやしい。
ヒヤヒヤしながらキャッチボールをしているのは私もそうだな、と思った。
しゃべりながらキャッチボールをする。
無駄話しながら、無意識にキャッチボールをする。
無意識の世界を共有しているような安心感がない。


今、現実に起こっていること。
父とのこと。
携帯を最近買い、父が私の携帯番号に4や9があり、よくないので変えるようにといってきた。
父が先祖が気になるので番号を変えたかと。母はかえてあげればすむことだし、という。
変更しとくわ。といったものの、一拍おいて考えると変更する必要あるのかな、と思う。身体は動かない。変更するの、嫌なんだな、私。
父の先祖なんかどうでもいい。
私の携帯を私のお金で買って電話代も自分で払って、別々に住み・・・
番号かえるだけのこと。でも、もう嫌。
別に、弱いものいじめをしているわけではないので・・・

引用なし

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【15】Re:母親のこと  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2010/03/28 22:15 -

>しかし、この時点でもう、私は、子供ではなくなっている。
>従順な子供のふりをしている大人。育ててもらっているわけだし、仕方がないから自分をださずに子供のふりをしよう。そのほうが得だから。いつまで。大人になるまで。私が母を好きになるまで。

というかですね、
文化人類学的といいますか、人は「社員である前に自分」でしょ。
家族法人も法人ですから。
属性として「部長(母親)と平社員(子供)」のような属性や関係性はあっても、あうんの呼吸といいましょうか信頼関係といいましょうか、実態は「個と個の尊厳」が前提なんですよ。(特に昭和以前の大家族主義時代の方が家族社会はより法人っぽかったので当時の方がそういった認知に迷いが無かった)
個人が誰かを超えて「立派な○○商事の正社員になるんだ!」というのはこれナイ話なんです。
(あるとすると”栄光の巨人軍”のような既存の上部構造的権威性が明快な場合→家族法人で似たケースは”名家”とか”貴族・武家”とか”歌舞伎の○○家”とか)
「どうか○○商事に入社させてください」と土下座したワケじゃないですから、
素で○○家に生まれちゃうのであって、

仮に「部長と社員の絆」のような信頼関係ある場合→「単に上司と部下の関係を超えて」と言いますよね?
言葉として「単に親子関係を超えて」という表現が無いのは家族法人の場合滅多に辞職や解雇事例が無いので(身分保障)「上司と部下の関係を超えても同じ親根関係の枠の中で言葉にしてもいいだろう」という(特殊な法人といいましょうか)、ここもあうんでそういうことになっているだけで、実態は同じですから「濃密な絆の親子関係」があるとするならば実態は「単に親子関係を超えて濃密な信頼関係がある」なんですよ。
つまり信頼関係のベースは法人としてのクラス(階級)上の関係性では無く(他人と他人同様)個人ベースだって事です。


「従順な子供のふり」というのは「上司に正社員として認めてもらおうと必死になっている」のと同じ状態なワケです。

今回のケースをザクッと説明すると
「パワーハラスメント下にあるのにストックホルム症候群(わからない場合にはググればすぐwikiが出ます)みたいな現象で、当事者が権威者にそれを”好感”だと勘違いしてる」という事です。
(当然人類ヒト科の幼児特有の”習性”として、記憶も定かじゃない時期からベーシックには両親に好感を持つ状態から始まる事も言うまでもありません。古い印象記憶として残存する)
 ↑
※重要な要素として強迫的関係により自我そのものの強迫意識を親子関係を媒介にして伝達させるタイプの親は幼児が”赤ん坊時代(大人の他者的不安感が無いため)”過干渉とも受け取れるぐらい溺愛するケースも多い(赤ん坊時代だけです→生意気に口を利くようになると正反対に親が不安状態になり神経質になり子供に対して警戒感の方が強くなる)。


極端なたとえ話をすれば、
「ある日突然別の次元にタイムスリップした。その次元では私は暴力団の構成員で、組のやることや下っ端の私がやらなくてはいけないことは不条理極まる違法行為ばかりだったのですが、当然そこから抜け出す事などできません。知らない間に私は直属の”アニキ”に気に入られようと必死になっていて、アニキは随分無茶な人なんですが、ある日等は・・・・”お前もいっぱしのヤクザになってきたじゃネーか”と声を掛けられた私は、、、その時です私が”アニキ”に一生ついていきます!←のようにワケわからん状態になっていたって事です」

わかりますよね?
この構造が投影なり連想されれば「会社の同僚との会食」←こいつが過剰なぐらい緊張の場と化す事が。


>携帯を最近買い、父が私の携帯番号に4や9があり、よくないので変えるようにといってきた。
 ↑
ですから、この現象も「電車でとなりの席に座ったオヤジがそんなエピソードの話をしていた」のと同じ感覚で聞けない方がおかしいんですよ。
仮に同じ話を(事前に知らずに)となりの席のオヤジの話として聞いて、それを友人に話す自分って設定で考えてみてください。

「って話聞いちゃってさ(爆笑」
「(涙流して)、バ、馬鹿じゃんって、4や9って何よそれ、二つあったらさ携帯番号何桁以前にお前090全部ダメじゃんみたいな(笑」
「あり得んと思わない?」
 ↑
相手が誰だろうと同じ反応でいんです。
(これぐらいの勢いであっても全然おかしくないでしょう)

で、「それマジなん」な状態で、
(いやー無理クリ角立つ話になるのもなんとやらと思えば)
「そんなに気になるなら変えてもいいけども(笑い堪えて)、うーんどうたもんか」
結論「どっちでもいい」(言い換えると”どーでもいいこと”だってことです)

カウンター意識して少々極端な話にふりましたが、そんぐらい思考や認識のファンダメンタルを切り替えて初めて「現実」が見えてくるって事です。
逆さに言えば現在の状況は「SFまがいのタイムスリップした主人公みたいに”ありもしないトンチンカンな話”の中を彷徨っているほど現実離れした認識下にある(存在もしない世界の話をしているかのように)」って事です。
(それぐらい大きな幅で立ち居地を切り替えて考えてみてください→次から次と記憶の過去事例の意味や話の筋が変わってきますから:エピソード的に意味が逆さまになる記憶もあるでしょう)


※それから公開掲示板は閲覧する人向けの公共性から維持しているものですから、続きの話の場合には新しくスレッド立てないでください(マルチポストみたいになってしまうので)。新しいスレッドを立てるときは閲覧しずらいぐらい伸びちゃった時か、時系列的に随分後になったであるとか、独立したテーマで違う話になる時にお願いします。

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【16】Re:母親のこと  maccha  - 2010/04/03 19:27 -

パワハラを好感だと勘違いしていた。間抜けなんですね、私。
当たってる、と思う。

で、これからどうしようかと思っています。
今、お昼ごはん人と食べる時、右手が震えて、力が入らない。会話は適当にして、自分ではあまり気にしないようにしている。気取っても仕方ないし、とか思ってみる。
左利きを小さい時に矯正したからかなとかも考えるのだけど・・・


スレッドの件、了解しました。気をつけます。

引用なし

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【17】いくつか補足すると  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2010/04/04 20:19 -

>母はどこかで大人になる私を拒んでいる。
>父の先祖なんかどうでもいい。

で、前回のたとえ話を繋げると、

「(暴力団の)組を抜けるだって!」
「(ストックホルム症候群)人質から解放して欲しいだって!」
「(超体育会系の)○○商事を辞めるだって!」
 ↑
全部の言葉に以下が続きます→「この裏切り者」

すっかりあっちの世界まで現実を通り越し、演劇や映画のシナリオも通り越し、簡単には想像するとも難しい妄想の世界にいってしまうわけです。
自意識の本音は

「ったって、裏切りものってあなた、、も〜、どうしたものか。。。」

強迫意識が無意識的在り方を利用して、知らない間に(事後追認的に)自意識共犯の構造に巻き込まれて、言い訳考える役回りまでおっ被されるというですね「おーも〜」みたいな図式は、
上記の図式を認識して「あちゃ〜っ」と現在の自意識にバレれば(=無意識下から浮上)止まります。
『一拍置く』の仕掛けで常に修正も可能になります(判例化や習慣化の阻止:同時に”逆判例”攻撃)。

曰く「悪循環の”環”」に関しては一段落するって事です。
(ここの仕組みがよくわからなかったので、心理学以前は宗教哲学が”業”と呼んだり当時の人は随分考えたところです)
強迫心理の威力的な部分が落っこちたみたいな話になりますから、
「あちゃ〜っダメだこりゃ」的認知は重要ですから、しっかり確認しておきましょう。
(反動や抵抗起きるとその認知を撤回させて宗旨替え反発みたいに元に戻そうする動きが出たりします。ですから事前にそれを予測して「この一線は絶対死守」的に認知を政治的信念レベルに押し上げておけば防波堤になりますから:認知をある程度予測的”高さ”に上げてあかないと防波堤効果が無い→ちょっとした水位上昇で決壊してしまう)

を踏まえて、
 ↓
>で、これからどうしようかと思っています。

急場困らないのであれば「いっそ会社も辞めてしまおうか」ぐらいの幅で考えていいところです。
(そういう発想を深刻に考えると失敗→軽く「あちゃ〜っダメだこりゃ。ったくもうね、いっそ会社も辞めちゃおっかな〜」と薄笑い込みで言えるような認知じゃないと→「おーも〜」みたいな図式認識がまだまだ中途半端だって事です)

会食に関しては(既に経験的判例が出来上がってしまっているので)
「暫く俺は会食苦手な人間だからな〜」←確定させてください(ココ今現在のアイデェンティティーの一部です)。
堂々と自己紹介で言っていいです、
或いは、ブラックジョークのひとつもくっつけて「会食するとゲロ吐きそうでーす」と大声で言えるぐらいの勢いにしておく。
 ↑
そりゃそうそう簡単に知り合いの間で言える事は無いでしょから
(無理して言えばいいってことでもなく、どうしても言うべきだってことでもない)

そう言う自分の姿(「人呼んで会食恐怖の”○○”と申します」と仁義切ってもいい)をイメージするって事です。
冗談半分に誰もいない部屋で声に出して(台詞回しのように)言ってみて、感じを体感しておくのもいいでしょう。

普通にですね「冗談じゃ無いよ、飯ぐらいひとりで食わしてくださいよ」と言ってもいいんです。

逆説的に言えば、そう言えれば
「苦手なのは十分承知しているんだけれど、ここは付き合いとして顔だけ出すとかでいいから」
という状況設定になるので、無理シャリ会食現場に出てもそれほど極端な緊張はしません。

さらに言えば、
メンタルな問題から離脱時には誰でも一時的に”単独者期間”を経る事になります。
(これは思春期の反抗期中の各人の人格も同じなんですが、)
その後共同幻想適応型人生を選ぶのも単独者型人生を選ぶのも自由ですが、リハビリ期間は「単独者型」を志向することになりますんで、

大きな枠組みとして「単独行動を模索してください」
どうやったら昼飯を単独行動で食えるか(ってかそもそも昼飯なんて食わなくても死にません半年なり1年ダイエットだとか適当なこと言って珈琲とタバコでやり過ごすって現実的方法もあります)、ここ真剣に「戦術論」として考えてください。
その戦術の中に「おーも〜、会社を辞めちまうか」ってのもアリだってことです。
 ↑
そもそもを考えてみてください。
 ↓
>母はどこかで大人になる私を拒んでいる。
>父の先祖なんかどうでもいい。

抑圧の中心は「自立・独立」だったのであり、
現行就職先は、以前の強迫的自分が選択したものなんですよ。→端的に言えば「似非」。
んなもんほっぽりだしたほうがいいぐらいなんです。
(貯金があるなら本気で辞めてもいいでしょう→逆さに言えば辞めるために貯金するとかも現実的)

これからの自分は「まったく別の方向性を考えるかもしれない」ワケですから。
(組織も人質事件も超体育会商事も全て幻想だったんですから)


ですから、
>で、これからどうしようかと思っています。

もっと大きな枠組みで考えましょう。
あえて皮肉で言いますが「会食でゲロ吐くとか、んな事は瑣末な事だ、んな事よりもー」の次元に意識をシフトさせるって事ですよ。
(”の次元に意識をシフト”の場所でようやく『現実』だってことです)

引用なし

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【18】Re:いくつか補足すると  maccha  - 2010/05/10 21:04 -

単独行動を模索して単独者型生活を続けています。
人と親しくお弁当とか会社の食堂とかで食べるの苦手なので、なるべく避けるのですけれども、最近開き直って、1人で食べたりします。
まぁ、皆が集団で食べている時に1人ってありかなとかも思うのですけれども・・・
会食恐怖をばらす気はないのですが、コミュニケーション能力がないって言われるのはちょっと困るな、
そう思われてもしかたないし、事実かも。
ライオンが単独行動はおかしくないのだけど、しまうまが単独行動しているって感じかな。女の人がぺちゃくちゃしゃべっている中で、1人ってなんか浮いている感じで・・・浮いていてもいいんですけどね。
なんとなく違和感あるけど、しばらくこのままかな、、


1人でいるのって仕事にも影響でないかな、ただ、集団の中にいてもテンパるのはもうわかってしまったので・・・

コミュニケーション能力がないとか、おどおどしているとか言われだすとちょっと大変だな、女はうわさで決まってしまうようなところがあるっていうか、、なかなか女で一匹狼はむづかしいかな、なんて、、
関係ないですかね?環境によりますかね?
実力もないのに、一匹狼は厳しいですね。じゃ、実力を磨けば、ってやっちゃうと、きっとテンパる。
今は、しまうまが群れからはなれた感じかな、


人っていいふうには見ないしね。出る杭は打たれる?出ているわけではないけど、・・・・

ひとりがこわいんですかね。人といるともっとしんどいので、これで行こうと思うのですけど。
母子間のストックホルム症候群状態か、、、高くつくな・・・


軽く考えるくらいにならないとね、
器がもともと小さいのでしょうかね、テンション下がるとすぐ深刻ぶりたがります。

引用なし

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【19】初陣と考えればいいのです  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2010/05/11 14:31 -

心理学というか精神分析は特定の方向を示唆しませんから、単独者を是とも共同幻想強調タイプを是ともしませんが、社会心理的には「先進国化の果て」として「成熟した民主主義」なり「個性化」という表現で社会全体が単独者化にシフトしているのは事実です。

又、メンタルに問題のある状況からの脱却時には構造論的に誰しもが時限的に単独者のスタイルを経過しますから(反抗期過程の踏襲と同じです)、基本スタンスは単独者志向で考えて間違いありません。

ある意味時代認識とすると、
日本の場合特に女性に対する社会的強迫が強かったので、いわば日本の女性社会は集団心理として「集団強迫心理状況」にあります。
(フロイドが生きていれば分譲マンション購入に血道をあげる状況を「集団ヒステリー」と呼んだかもしれません)
時代の変遷としては、戦後突然民主化した日本の場合「ミニスカートブーム」に始まり急速に女性の解放が進むかと思われましたが、これが戦後復旧と高度経済成長の中揺り戻しがあり『短大・一般職・寿退社』なる捏造的社会属性への帰属を強迫された背景がるワケです。
(当時の女性が政治や社会に関心が無かったのはそういう強迫的偏向認知が原因です→当然これは民主主義の条件として問題になりますよね)
それが現代社会でも「結婚願望」なる(限りなく病理に近い)強迫として残留しているぐらいで、

つまり
『シマウマの群れ』と表現されたOLさんに特徴的に見られる風景はこういう社会心理を背景とした「一種の囲い込み」です。
(社会に潜在意識が固有にあるのではありませんが、仮に想定するなら『一般職として将来男性社員の女(嫁)としてあてがわれる候補を群れで管理キープしている様(処女性の管理)』なんです:補足するとその代わり男性社員は猛烈サラリーマンとして人権無視ぐらいの労働を課せられた、当時は終身雇用と嫁候補の一般職はセットだったんですよ)
表現難しいのですが、その群れのモデルとなった江戸時代以来の「井戸端会議」は、事実上会計事務責任者が業界の寄り合いで話しているようなものなので趣旨が違ってきているワケで、
昨今の女性社会は一種東西冷戦時代の東ヨーロッパの密告社会モデルのようにですね(ある意味初期の頃はどの男性と付き合っているのかなどの情報が”抜け駆け禁止”みたいに情報共有された)、ちょっとこれは問題な状況なワケです。
(※外的脅威がない限り草食動物も群れない→社会心理的に「一般職の囲い込み」のような外圧があって初めて群れが形成されます)

当然雇用機会均等法を契機に、公式的に女性に対する社会的強迫は効力失いましたが(流石に同じ女性だからといって上司の部長が昼ご飯を食べる会で群れるって事は不自然ですから)、社会心理的にも「どうしたらいいものか」と試行錯誤が続いているのが現代社会です。
4大の進学率も高くなりましたし、筋論としては「若いOLさんの群れ」というのは解消されるべき社会の歪みなのです。
(それは本当に仲の良い友人と連れだっていくのはアリアリですよ)
3・3・5・5なり2や1もあってちらちらと自由にってのが本来の自然な状況ですから。

>軽く考えるくらいにならないとね、
>器がもともと小さいのでしょうかね、テンション下がるとすぐ深刻ぶりたがります。

内向化するので”器を小さくしている”んですよ。
外部に解放(情報開示とか公開性とか透明性って奴です)すると、煮詰まるって事はありません。
つまり心理的な内向や落ち込みは、思考なり認識なりの領域を(ビックバンの反対)内向させるわけで(空間を閉鎖的な領域に押し込む)、それによって「深刻ぶる」という興奮(脳内では快感認知)を獲得して帳尻を合わせる形になります(バイアスのかかった均衡と呼べばいいでしょうか)。

こうですね、あっけらかんといいましょうか。
「やった休み時間だ(ひとりで好きなところいこ)」のような開放性、
これがアンチテーゼなんですよ。
会食恐怖に関しても別段おおっぴらにしても構わないのです、
笑いながら「会食恐怖ですが何か」ぐらいの勢いで、

又、群れとコミュニケーション論は全く別物です。
コミュニケーションの主体は「個」ですから、
(営業で考えてみてください)
群れに関しては(カウンターかけて極論化しますが)「一種の民族主義や宗教団体」のように見立てても間違いありません。
そこに協調することはコミュニケーションとは言わないでしょう(笑

引用なし

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【20】Re:初陣と考えればいいのです  maccha  - 2010/05/17 21:41 -

忙しいのだろうな、と思いつつ・・・返信いただいてありがとうございます。
単独生活を模索しているとは書いていますが、自信を持って言えることがあります。
私は友達はいません。今までもそうでしたし、これからもそうだろうな、と思います。(友だちの定義にもよりますが、)
ひとり、なんですね。いつも。
なんとなく、それがコミュニケーション能力ないっていわれそうで、・・・


心理的虐待を好感と勘違いしていたって、そうとう間抜けだな、って思います。自分の気持ちがわからなかったんだから。
今、土台が崩れだして、その上に建っている建物がまだ、崩れていないような感じです。
「人の悪口をいってはならない」
「うそをついてはならない」
「あいさつをしなければならない」
「まちがってはならない」
建前ばっかりなんです。自分でもしんどいよね、これじゃあ、もたないな、と思っています。人と接すれば接するほど、マイナスばっかりになっていくので、誰とも接しない方がいいことになってしまう。
内向化しやすいのは人に相談とか冗談とか話をしないからかなと思う。ま、そのほうが楽だから、そうしないのだけど。


もう、ひと押しかな、なんて。。。

引用なし

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【21】相当勘違いしていますよ  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2010/05/18 21:32 -

思うにmacchaさんのイメージしている友達というのは友達では無いと思います。
それは共同幻想適応下の”付き合い”って奴ですよ、
「macchaさんあげている話は共同幻想適応のステレオタイプ」です。

話大きくはなれたところから説明しますが、
社会心理に「いじめ現象」ってありますよね。
これが発生する要因の背景は『群れの形成合意』が(共同幻想崩壊過程の中で)ストレスとなるぐらい破綻始めていてですね。所謂昭和の会社の同僚と付き合い飲みに行く事すら昨今の社会では「相当強度のストレス」なんですよ。
簡単に言えば適応所属している大半の人達にとっても疲れる事になってます、
だから「いじめ現象」が起きるんです。
何やかにやとコスト払って(正直嫌々)集団適応を保っているなかで、誰かが適応から外れていると(それ以外の構成員は半ば共同幻想が強迫意識のような働きして無理しているわけで)相対的に「特権階級意識で私達(無理してまで仕方なく共同幻想協調している)を馬鹿にしているのか」という集団心理が形成されやすいんですよ。
つまりその前提は「共同幻想の崩壊過程」にあるワケです。

更にですよ、
では共同幻想はなやかなりし頃も友人ってどんなものだってでしょう。
戦後昭和ぐらいまでそれは「同郷出身の同僚」や「昔のクラスメート」や「同期の桜で入社試験後合宿研修した仲」などですね(意味わかりますよね?)所謂社会学的なゲマインシャフト(地縁血縁)におけるアイデェンティファイ(帰属・所属元)をベースにするものが最強で、「だから当時の共同幻想は組織化集団化しても過度のストレスを発生させない」のです。
先進国化は=ゲマインシャフトからゲゼルシャフトの変遷ですから(それが共同幻想崩壊過程の始まりです)、先進国化の過程の中で”付き合い程度の友人関係”は欺瞞的関係として忌避されます。
※戦後昭和に社員旅行がストレスでは無くて十分娯楽として成立したのは「運命共同体的帰属意識(アイデェンティファイによるアイデェンティティー)」が健在だったからで(ストレスを感じるほど自意識の自由度や覚醒もない)、
ココ現代社会ではストレスとして人事管理上ナンセンスになっているところです。

で、盛んに昨今雑誌(特に女性雑誌)を賑わしているテーマは何ですか?
”個性的”や”自分らしさ”など今後メジャーになる民主主義的個人主義(実態は単独者のことです)をどうやって導入すればいいかって話なんですよ。つまり試行錯誤の中それを求めているが「ほとんどまだ成功していない」んです。
つまり、形式的な友人関係なるものに”彼女達自身本音ストレス感じている(嫌々である)”場合が非常に多くなっている。
(ここで思い出してください、社会適応そのものが嫌々でストレスになっているからこそそれを背景に「いじめ現象」は発生する。)
簡単に言えばなかなか出来ていない(適応型から単独者へ途中でシフトするのは難しいですから)。
 ↑
そんな姿と現状判断も混乱しています
 ↓
>「人の悪口をいってはならない」
>「うそをついてはならない」
>「あいさつをしなければならない」
>「まちがってはならない」
>建前ばっかりなんです。

付き合いの範囲は建前でいんですってば、
むしろその方が正しい「公式的とかフォーマルとかって部分ですから」

極端に言えば共同幻想適応な人ほど友人いませんよ。
(皆無って人が非常に多い筈です→これマジな話で、現代社会は自宅に帰ってお風呂に入ってため息みたいな人は想像以上に多いんです:比較多数かもしれない)
何故って付き合いと友人違いますから。
極端に言うと、単独者系じゃないと『自意識的友人(そういう言葉はありませんが)』とか論理的に無理なんですよ。
(共同幻想適応的な意味の親友は限りなくゲマインシャフト的ノスタルジーの世界の投影で『共同幻想適応型の合理的共依存』のようなモデルなので、親友などのイメージですと現代的な友人像にならないんですよ)
で、ここの関係性のフェーズはあまりにも違うため、単独者な人は誤解をさけるため「友人じゃない」と説明する場合もあります。
この意味は「遊び友達」「友達感覚」など→実は友人という言葉の語彙は軽薄な関係を意味しているんです。
なんて言えばいいでしょうかね「実存を賭けた友人関係」って言葉が成立しないんです。
共同幻想時代の言葉を流用すると「ライバル」とか「腐れ縁」ってのが現代社会における親友になりますので、
単独者が「○○さんは友人です」と言ってしまうと、言っている本人の心情としては(そもまま共同幻想語彙で解釈されてしまうと)”その友人を蔑視しているような意味になっちゃう”んです。
(つまり単独者同士は「友達だしな」でいんですが、当事者に共同幻想適応型の人がいると解釈として別の意味になる)
(何でしょうね〜、10代20代で若く血気盛んな単独者ビギナーは笑顔で「友達いませんから」って微妙なニュアンスで語ったりしますが、それはこっ恥ずかしいながら自慢だからなんですよ:背景には又違う意味の韻が踏まれていたりする)
 ↑
ややこやしいんですが、なにせ現状共同幻想崩壊過程の”過渡期”なので仕方が無いところでして、

つまり「悪口言っても、嘘ついても、あいさつ無視しても、まちがっても」”そういう意味の友人関係”が見つかる訳ではありません。

単独者の実存ってのはそういう意味じゃないんです。
「最初の友人ONEは”他者としての自分”ですから」
自立独立ってそういう事で、
単独者の自立は孤立(孤立の概念が成立するには所属母集団が必要)と違うように、
自立独立する主体の成立それ自体が=コミュニケーションの成立なんですよ

少々難しい話ですがじっくり考えてみてください。

『自立独立する主体の成立それ自体が=コミュニケーションの成立なんですよ』
自己完結性のある主体が無いとどこの世界にもコミュニケーションやネットワークは存在しません。
PCにたとえればOS入れてネットワークの設定やったらOKなんですよ。意味わかりますよね?
何かOSに特別な社交性ソフトとか、
なんていうか、いくつか初期的関係性のモデルなんてあったら大変で(いきなり知らないマシンとイントラとかあり得ない訳です)、

■実際精神分析であるとかカウンセリングとかかなりハードなコミュニケーションですが
「macchaさん既にコミュニケーション成立していますよ」


こういう誤解がなんで生まれるのかって、
強迫心理ですよ

ぶっちゃけ家族意識のノスタルジー(をゲマインシャフト的友人関係に投影させて)の事を友人関係なんじゃないかと誤解しているんです。
これは致命的な勘違いなので注意してください。
現代社会における友人関係は代用家族じゃありませんから。
そこへの依存を切るから→その先に自立独立があるのであって、

精神分析は共同幻想適応であるとか単独者志向などベクトル持ちませんが、少なくともメンタルな問題からの離脱過程(反抗期と同等)は通過儀礼的に誰しも単独者的スタンスに足場を置かなければなりませんから、ここ間違わないように注意したいところです。

※逆説的というかカウンター当てて表現するなら
「友達とか何のこと?友達がいるとかないとかゴチャゴチャ言って何か得する事でもあんの?どうだっていいことに思うけど」

などなどひとまずですね落ち着いてじっくり考えてみてください。
(共同幻想の状況や社会心理など他スレ等でも相当詳しく書いているので、他過去ログなども参考にしてみてください)

引用なし

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【35】Re:相当勘違いしていますよ  maccha  - 2010/07/24 01:16 -

今回、投稿するにあたってこの投稿が迷惑な投稿であることを十分承知して投稿しております。
私はすでに貴重なお時間を割いていただいて、無料でこの掲示板で精神分析をして頂いたこと、
私が長期間に渡って掲示板を占領することは他に掲示板を利用したい方、あるいは利用しようか迷っている方にとってマイナスとなること、
そして今回の投稿には私の中に依存傾向がみえることを自覚しているからです。おそらくこれが第一の目的なのだと思います。

単独者行動を模索しています、と以前投稿しましたが、ここに今の私が投稿することは単独者行動の模索には相反します。投稿することで、ひとりではなくなるからです。

不安の材料は、単独者でありたいのに孤立していくのではないかと思うことです。
職場ではかなりミスが目立ってきました。集団側からみると孤立です。以前のような協力的な雰囲気がなくなり、ミスが目立つのです。そして私も敵意を持っている人を感受してしまい、そのほうに神経をとられてしまいます。視野が狭くなっています。
かなり露骨ないやみを言われても言い返せないほど大人しい人間です。こんな人間が単独者になれるのか、とも思います。内向化を防ぐために気心の知れた人に話したりもしました。
職場をかわっても何をしてもいつも同じところでだめになります
具体的に何があったというよりは私の内面による強迫心理、自意識の問題です。
職場での状況はストックホルム症候群とどこか似ているのではないかとも思います。


母子間の話に戻すとストックホルム症候群の状態はもっとひどく、私は母のお気に入りのお人形さんの役かもしれません。それが傍にないと不安になるような、
人質は解放されれば人間としての人格を回復しますが、人形であれば、人権もなく、人間以下です。

職場では最後は集団を維持するために必要ないじめられ役(被った言い方になってしまいますが)に落ち着くのではないかと考えることがあります。集団でいる人からすればそうさせようと必死だと思います。
この状態が続けば自滅するのではないかと思います。相手側の論理の中に入ってしまっていると思います。


母子間のストックホルム症候群の話をして頂いた時、「社員である前に自分」と仰って頂いた時、自分の中でストンと何かが抜け落ちるような感覚を味わいました。
と、同時に「社員である前に自分」ということになぜ気が付かなかったのだろうとも思います。社員である前に自分、言えそうで言えない台詞、私には言えない台詞、思いつかない台詞、当たり前のことなのに言えない、私流にいうなら人形である前に自分、でしょうか。人形であることが自分(すでにアイデンティティの一部)になっていないだろうか。物言えない人形が単独者になれるのか。戦えるのか。


この投稿はルール違反です。精神分析の依頼ではありませんし、単独者って何?の質問の裏には依存化傾向がみられるからです。
吐き出すだけ吐き出しました。少し落ち着きました。


過去ログは再度拝見させていただきました。岸田秀さんの本も数冊読ませていただきました。


投稿が長期間にわたってしまい、申し訳ございませんでした。
有り難うございました。

引用なし

パスワード




依存というより『抵抗』なんですよ。
(まー誤解されること前提に簡単に表現すれば「現実に対する反発(=否定と内向)」)
一件ズルズルと話を”蒸し返し”しているところに「我ながらこれはいかん」と自覚があるものだから心理学的意味で何かネガティブな表現はないだろうかと脳内で検索された結果”依存”という言葉が選択されているわけで、
(確かに事実関係は依存なんですが)

有料メールなどの運用として「次の相談までの猶予期間設定」であるとか「受付非受理」であるとか、完全に相談を逸脱する場合お断りする事も実際にあります。プライバシーに関わる事なので具体例は挙げられませんが、
今回の事例は「それほどではない」ですから。
事実関係に依存はありこそすれ、問題の中心は『抵抗』であると認識する方が”現実”に近いです。
(繰り返し:頭から一度読み直してください)
■まー誤解されること前提に簡単に表現すれば「現実に対する反発(=否定と内向)」って話です、

字面を追っていくだけですと「何のことやら」と思う部分あるでしょうが、こういうことです。
今回の話はゆっくり読めば「何かが書いてあるようで、実は何も書いていない」系の”パラドックス”になってます。
(※パラドックスは語彙のとおりで、何か設問や構文になっているようで実は全体の構造はトランプ手品のような”種明かし”が隠れているだけで、どこもかしこも問いになっておらず(本旨は自己愛的独白)、実は質問ではない文章みたいな話)
つまり冒頭の弁解調の印象が自我内に確認(自覚)された”気まずさ”のようなものの正体は、無意識下において『実は質問ではない』ということに薄々気が付いているため”妙な気まずい不快感”としてそれが自覚されいてるって事です。

逆さまから内実を考えてみると以下です。
 ↓
以前の相談やりとりで「確かにそうかもしれない」と(抑圧ロジックが解除されて)自意識に浮上しだした”あれやこれや”は強迫意識には大変都合が悪いため、自己防衛意識が台頭します。
脳内意識は基本(相当にラディカルな人格でもない限り)”官僚的な前例主義”を安全策として採用しているもので、経験則として強迫時代を”事実上追認の形で消極的にでも結果論的肯定”してきてしまった前例を「なんだかんだで由として」意識を元に戻す(抑圧の回復)ことを試みます。
結果無意識に過去ログなどの枝葉末節に至る部分に「全く自覚も無いのに」⇒必死になってどこか変なところはないかと探し回り、その部分に『再質問』のフラグを立てる(赤ペンでアンダーライン引くようなものです)。
※自覚の無い行為なので「普通に読んでいる筈なのに脳内CPUが何故か100%いってる」ような状況です。
(脳が必死なことに自分でも気が付かない)
 ↑
なんていうことのない現象に見えるのですが、実はこの流れが”エライこって”、

第24回『環境アセスメント』最終答申、この文章が発行されたが「細部にまだまだ疑問が残る」。同文章の最終答申としての資料閲覧に際して以下赤線部分の項目は「再検討を残す」ものとするため正規の手続きにおける閣議報告に提出する書面からは削除するように。
 ↑
脳内ではこんな話になっているんです。

まー考えてみてください。
通常の疑問であるとか、追加の質問っていうのは「前回までの経緯を与件化(事実関係認定)」した上で、それに派生する未解説な部分を「あーじゃないかこうーじゃないかと考えてみたが、どうだろうか?」的な話になる筈です。
(※事実関係の説明に間違いがあればコレ別次元の話ですが)
■重要な部分は「あーじゃないかこうーじゃないかと考えてみたが」です。
異論や疑問として挙げられた内容(ぶっちゃけ間接的な反論)が場当たり的だと「一発NG」って事ですよ(笑
仮に設問が有効であれば、その異論部分は『相当に煮詰まって考えられている筈』で、
ロジックというか着眼が仮に「淡白であったりステレオタイプの域を出ない場合」
⇒ズバリ「それは似非である(本音ではない)」証拠なんです。

端的に言えば「強迫意識の苦しい言い訳に過ぎない」。
(抑圧が壊れて自意識が妙な事(自己の回復)なんてものを考え出してきたもんだから言うに困った強迫心理が次から次と”言い訳的”反論をあーでもないこーでもないと始めている)

えーこのような時にはですね、
「オイオイ何を言ってんですか俺は?魂胆バレバレですぜ」のように笑い飛ばさないといかんのです。
※この言葉の瞬間「自意識全開スイッチON」で実行優先度の高い自我ロジックを起動して、無意識にバックグラウンドで勝手放題に動いているプロセスを事実上強制終了、自我内部の占有権を強制回復する。「俺が考えるから(忙しいから)バックグラウンドは黙れ」。

長々説明してきましたがどこの部分を言っているのかと言えば
>ここに今の私が投稿することは単独者行動の模索には相反します。投稿することで、ひとりではなくなるからです。
>不安の材料は、単独者でありたいのに孤立していくのではないかと思うことです。
>職場ではかなりミスが目立ってきました。集団側からみると孤立です。以前のような協力的な雰囲気がなくなり、ミスが目立つのです。そして私も敵意を持っている人を感受してしまい、そのほうに神経をとられてしまいます。視野が狭くなっています。
>かなり露骨ないやみを言われても言い返せないほど大人しい人間です。こんな人間が単独者になれるのか、とも思います。内向化を防ぐために気心の知れた人に話したりもしました。
>職場をかわっても何をしてもいつも同じところでだめになります
>母子間の話に戻すとストックホルム症候群の状態はもっとひどく、私は母のお気に入りのお人形さんの役かもしれません。それが傍にないと不安になるような、
>人質は解放されれば人間としての人格を回復しますが、人形であれば、人権もなく、人間以下です。
>職場では最後は集団を維持するために必要ないじめられ役(被った言い方になってしまいますが)に落ち着くのではないかと考えることがあります。集団でいる人からすればそうさせようと必死だと思います。
>私流にいうなら人形である前に自分、でしょうか。人形であることが自分(すでにアイデンティティの一部)になっていないだろうか。物言えない人形が単独者になれるのか。戦えるのか。

■<注)以下文はカウンター効果を見越して意図的に辛らつな表現もありますので心理的に余裕ある時に読み進んでください>
・ド勘違いで激怒みたいな事も考えうるので、とにかく『瞬間認知で(瞬間湯沸かし器的に)前後読まず』とならないように注意深く読んでください。
今回はかなりガチっと書いてます(強迫回帰の雰囲気が漂ってますので危機回避的表現を優先させています)。

ズラーっと各個にレスをつければ一から十まで意味になってません。
>ここに今の私が投稿することは単独者行動の模索には相反します。投稿することで、ひとりではなくなるからです。
単独者の概念ってのは、インターネットソサエティにおける”スタンドアローン”の事です。
(まー言うならば”ネットに接続する事を前提とする(その前の必要十分条件的意味における)単独自立型の個体”の事)

その対立(反対)概念は「会社内のイントラネット内の端末」に過ぎなく、自分の判断では勝手に「フリーのインターネットへの接続許可もおりない」というようなコミュニティーネットワーク(その実はクローズド)みたいなんが『共同幻想』です。
共同幻想が幻想なのは、仮想で存在する筈の上部構造サーバが”実は存在しない”ってことでしょうかね。

これ各所で書いている事だと思いますが、
コミュニケーションの主体として『独立自己完結能力を保持している個体』を”独り”と呼ぶんです。
(ベタな表現で「家族属性称号者の誇りVS独身貴族の誇り」で見てもいいですよ)
ですから、単独者には「構造的に孤立という概念は存在しない」(単独者の場合”自由”って意味ですから)、
現況として孤立という概念が存在し得るのは「共同幻想イントラネット内におけるローカルルール下のパージだけ」なんですよ。
つまり共同幻想に強い帰属意識が存在しない限り”孤立”という体感は成立しません。

>不安の材料は、単独者でありたいのに孤立していくのではないかと思うことです。
※前述の判断ミスにより設問として無効

>職場ではかなりミスが目立ってきました。集団側からみると孤立です。以前のような協力的な雰囲気がなくなり、ミスが目立つのです。そして私も敵意を持っている人を感受してしまい、そのほうに神経をとられてしまいます。視野が狭くなっています。

これは孤立じゃありません。
仕事のミスで立場悪くなるのは「あたりまえ」であって、
(孤立じゃなくて”ここは仕事するところでプライベートを持ち込んでミスしていい場所じゃない”という認知から、視野狭窄的な仕事のミスがあるって事は、仕事中にオナニーしているのと等価であるため、ソサエティが『会社の仕事時間(公的時間)を私物化しているのではないですか』とそれを(社会契約違反ではないかと)非難しているわけで→「内向オナニーは自宅でやってください」)
敵意を持っているも何も、会社内でテロリスト的立場なのはあなたですよ。
(自覚が無く、完全バックグラウンド動作におけるミスであるのと同時に、強迫心理特有の『被(こうむる)』受動認知が関係して結果論的に”その現象を被害認知でしか認知できていない”だけで、実行行為は”自覚無き無意識的不可抗力だが結果論はサボタージュ”に他ならないのです。)

※仮の話、同様の仕事を続ける場合周囲に対する自己紹介としては「正直メンタルに問題あって、普通にできることまで集中力が維持できなくてミスするケースもあるんですよ、自分でもなんとかとは思っているんですが」と”事実の共有”しなくちゃ「相手を加害者にするために意図的に嵌めているのと同じになってしまう」んですよ。←ここわかりますよね。

※逆さまに単独者的自己紹介の場合「お前ら帰っていいぞ(仕事は俺独りで十分)」だとか、「意味不明のモチベーションで人の数倍の集中力を発揮して頼まれていないところまでやってしまう”ちょっと迷惑だが有能としか説明のできない人”」だとか、少々『挨拶代わりのスタンドプレー』に寄るのは確かで、結果それも社会における私物化(少々厭味っぽくないかと)じゃないかと誤解を生むので(確信犯なので誤解じゃないかもしれませんが)、「だったら俺は独立しましょうか」な経緯を踏みつつなんたらかんたらって世界になります。
(この荒馬を使いこなせば会社の利益になるので収益に色気のある会社はなんとか使いこなそうとしてみたり、自由にやらせる環境整えたりするでしょうし、地味な公家集団的組織なら「君は独立した方が(その特異な部分)生かせると思うよ」なんて綺麗な言葉で辞職を勧められたり、そもそも単独者故に最初から「社会的労務環境は俺には合わネーよ」と気ままに流離っているかもしれません。←っても相当ハードですが、)
当然周囲がドン引きして一目置かれたりって経験は単独者の勲章みたいなもんです。或いは「オマエ仕事やり過ぎ」だとか、
(ものは試しで最初はスタイル(言えばそのふり)から入るって手法もあります。○○道などの形式主義的古典芸能の習熟ってそうですから)

<話は戻りますが>
その辺を全て周囲が察するべきだってのはいかんせん無理がある。
(管理職には部下のメンタル含めて一定のスキルは必要でしょうが、各職場において心理学的知見がマストとして求められているのではありません)

こう考えてみてください、
「高熱なのに無理をして会社に出社したのでミスが多くなり、批判される事も多い」
社員の責任として体調に問題あればそれを申告する義務ありますよね?
(肩の不調を隠して登板して逆転ホームラン打たれてちゃいかんワケで)
上司も熱があるってなら(重要度の低い仕事なり)或いは「今日は休んだらどうかね」とか同僚も「大丈夫?」とか言いますよね?

それを隠して(ってか意図的に隠しているのじゃなく無意識・不可抗力なんですが)『敵意を持っている人』ってあなた、
周囲があたかも「ハナからお前らは悪人面なんだ」みたいな判断してどうするんですか?
相手を道徳的非難するために事実を隠して「悪人トラップ」にひっかているのも同然ですよ。
(っても構造的に不可抗力なんですが、事実関係を自意識が捕捉し始めている今現在はそうは言い切れないでしょう。ある程度自意識にも察しがついているんですし、←強迫心理に都合が悪いってこういうことです。強迫心理はそんなこと(絶対的不可抗力のように)知りたくも無いんです。→堂々と被害認知を脳内で権威的に優先できなくなる。)

やっかいなのはこれが「自覚無く無意識だってことです」
(構造論であるとか不可抗力って部分)

無意識の狙いは?
『単独者など意味が無い、私は人形で、このままだと孤立するばかりである。→共同幻想適応しなさい(強迫意識の原則で)』

本末転倒ですよね?
 ↓
>かなり露骨ないやみを言われても言い返せないほど大人しい人間です。こんな人間が単独者になれるのか、とも思います。内向化を防ぐために気心の知れた人に話したりもしました。

「露骨ないやみ」とかじゃないでしょうよ、
(前項の説明読めばわかると思います)

相当怒っているんですよ、これマジに。
「なんでこうなの?(あなたは自分の強迫物語のために私を悪役に仕立ててさぞかしご機嫌なんでしょうね)」
(そこまでの心理的裏まで周囲は当然わかりませんが、共同幻想適応者特有の本能というか”察知力”ってあるんですよ。ここは瞬間速度的には単独者よか共同幻想適応人格の方が早いかもしれない。なんていうか共同幻想適応人格系特有の”潜水艦ソナー”みたいなアンテナ(適応神経)ってありますから。)

流石に心理学の知識が無い分、素人さんの怒り加減は中途半端な範囲に終わりますが、
(そこに強迫破り的な眼を持つ上司でもいて「全部わかっています。失礼ですがうちの会社の社長はいつから君の母親になったのですか?」とかまされれば目も当てられない)

「内向化を防ぐために気心の知れた人に話したりもしました。」
逆、逆、逆、
逆ですって、
正反対ですってば、
 ↓
「慌てて共同幻想(実はこの場合暗韻で強迫心理を意味する)を回復するために、取り巻きを呼びました。」


>職場をかわっても何をしてもいつも同じところでだめになります

同僚などいない仕事すりゃいいじゃないですか。
(或いはこの際診療内科などで免罪符的な診断書でももらい、失業給付や生活保護など休養優先にする手も非常に有効です。心理学に知見の無い精神科医ですら鬱の症例は「まずねストレスを遠ざけましょう(職場関係なら辞めましょう)」ですよ。)

極端に言えば(脳内で考えるだけでいいです)「道端でインチキ占い師でもやって食ってみようか」と何故考えないんですか?
何故常に職場といえば不特定多数の同僚がいることが前提なんですか?
(社員全体5人以下とかザラにありますよ)


>母子間の話に戻すとストックホルム症候群の状態はもっとひどく、私は母のお気に入りのお人形さんの役かもしれません。それが傍にないと不安になるような、

これは完璧自己陶酔、
『母のお気に入りのお人形さん』
『女王陛下にとって私は特別の存在』
同じ意味ですよ。
お気に入りって、どこのフランス人形ですかって、、
 ↓
>人質は解放されれば人間としての人格を回復しますが、人形であれば、人権もなく、人間以下です。

押井守監督の『攻殻機動隊』じゃありませんが(むしろそのパート2である『イノセンス』で顕著)、
ヨーロッパの哲学には「人形こそが究極の人間である」って耽美主義があるんです。
「人はなぜ人形を作るのか、・・・であるならば人形こそが”完全な人間”という事にならないか」
特別な人形ならなお更です。
(古くはカルトSF映画でもあるリドリー・スコット監督『ブレードランナー』原作の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか? Do androids dream of electric sheep?』にも及ぶ話でしょうが)

完全な自己愛的内向認知ですよ。

「人形であれば、人権もなく、人間以下です。」
 ↑
実はこの表現は”レトリック”であって、”人外”の定義が(よくもわるくも)一般的他者に対して”超越的に特別な自分”を結果論的に定義してしまうことを忘れちゃいけません。
(これに無意識下の強迫心理が結合すると→あら不思議特権階級意識:女王たる母親偶像への帰属(お気に入り)に変質します)

逆さまの表現をベタな口語で言いましょうか?
「何を言ってんですか、あんたさ、うんこもすればごはんもたべる、風呂にはいらなきゃ頭痒いし、丸三日徹夜して24シリーズを3シーズンノンストップでマラソン視聴すればぶっ倒れてグーグー寝るんだから。おもぃきし人間でしょう。」

そしてここは現代社会の日本です、
自分でやれ私には基本的人権は無いと発言するのはご自由ですが、こういっちゃ何ですけどね、
「あなたの人権は憲法が保障していますよ」、
(都合よく逃げようってたって赦しゃしませんって「立派な人権が保障されてます」)

「人権もあれば、うんこもする市井の人間である。我思う故に我アリ、人間は考える葦である。」


>職場では最後は集団を維持するために必要ないじめられ役(被った言い方になってしまいますが)に落ち着くのではないかと考えることがあります。集団でいる人からすればそうさせようと必死だと思います。

※前述の判断ミスにより設問として無効、
ってか「集団でいる人からすればそうさせようと必死」って、、、
知らない間に自分の認識が随分上から目線(失言)になっているの気が付いていないでしょう。
現実にリサイズするならば「共同幻想適応系の人たちから見れば本当(真剣)に困って」です。
(極論喉元まで「それってワザとなの?私達に誤解から悪いところあるんなら考えもするから本当は(あのミスは)どうしてなのか本音を教えて欲しい(彼らから見ると立ち位置的に強迫心理を本音かと取り違える傾向がある)」って言葉が出かかってるって事です。)


>私流にいうなら人形である前に自分、でしょうか。人形であることが自分(すでにアイデンティティの一部)になっていないだろうか。物言えない人形が単独者になれるのか。戦えるのか。

「物言えない人形が単独者になれるのか。」
立派にあれやこれやと反論しているじゃないですか(笑

そもそも物を言うべきじゃないかと(脳内想定で)考えている相手(とその内容)を間違ってる。
(気が付いていないかもしれませんが文章の”暗韻”として「職場の奴らに言いたい事がある」的フラグも入ってます)

社会に対しては「ちょっちメンタルに問題ありましてサーセン」という自己紹介だろうし、
(決して仕事のミスにおける上品な釈明でも無いし、不当な扱いだと抗議する話でも無いし、)
脳内の母親権威偶像イメージに対しては「堕ちたなお前も」という宣言だろうし、
戦うってのは、グチャグチャと御託並べる強迫心理に対して堂々と「バカかお前(俺は)」と、

「ちょっちメンタルに問題」的言葉こそ堂々と言っていんです。
「今(現在)は年号平成なんですよ」
心理学的な知見は社会に十分じゃありませんが、それこそ社会現象としての離婚などにあるように、現代社会で何がしかメンタルな問題に対して接点の無い人なんかいません。又完璧に共同幻想な人も存在しません(特に共同幻想適応タイプの人はどこかメンタルの危うさを内包しているのが現代社会です)、十分理解できなくても「そうなんだ」な部分ぐらい認知する力ありますし、気後れするような話でもありません。
(欧米に至っては「胃腸が弱くて」も「メンタルに少々問題あって」とそう違わないでしょう:欧米の認知が進んでいるのは必ずしも知見が広がっているとか民度が高いという意味ではなく、覇権的製薬会社の強い利権となっているためなんとやらって話なんですが)
 ↓
「オイオイ何を言ってんですか俺は?魂胆バレバレですぜ」のように笑い飛ばさないといかんのです。
※この言葉の瞬間「自意識全開スイッチON」で実行優先度の高い自我ロジックを起動して、無意識にバックグラウンドで勝手放題に動いているプロセスを事実上強制終了、自我内部の占有権を強制回復する。「俺が考えるから(忙しいから)バックグラウンドは黙れ」。

「俺は俺だ、(いちいちなんか)文句あんのか」と宣言することです。


>この状態が続けば自滅するのではないかと思います。相手側の論理の中に入ってしまっていると思います。

ですから上記は完全な間違い。
強迫デ・コードすると、

「この自意識の回復って気づきを認めると自滅するのではないかと思います。というか強迫心理は自作自演の”内向フラグ”をばら撒き(それにまんまとひっかかる悪役もザックザックと確保して)、無意識の内に自分が企てた”自分が主人公の被害者ドラマ”は宴たけなわで、勘違いした被害者ドラマの視聴者として無我夢中になるように私の自意識は又強迫心理の抑圧の論理にのまれてしまうのではないかと思います。」
 ↓
えーそうなんです。だから自分で(その悪循環に気づき)こりゃいかんと「私は相談したのです」よ。
(ここで初回に戻りました”再ループ”)
1まで巻き戻しましたから、今度はループさせないでください。

こういうループを切る(自覚して「バカか俺宣言」)ってのが強迫心理に勝利するって事です。

『様々な(本音じゃ)思ってもみないトンチンカンな話の渦中にある私ってものは俺(自意識)は金輪際ごめんこうむる』という”現実”からの反論です。
一番最初にmacchaさんが相談しようと思った潜在的根拠そのままですよ。
「冗談じゃないぞ俺」と、


<最後に難解話をネタとして問題提起しましょう>
実存主義哲学の元ネタでもあるニーチェの話をwikiからベタで転載しておきます。
こういう話を『なんじゃこれ』と1ヵ月なり半年なり考え続けててみてください。
(なんでしょうわからないだろうって意味では全くありませんよ。「ダイエットのため100回噛んでください」みたいな意味です。)
 ↓
■『永劫回帰』
ニーチェの後期思想の根幹をなす思想であり、『ツァラトゥストラはこう語った』においてはじめて提唱された。
「時間は無限であり、物質は有限である」という前提に立ち、無限の時間の中で有限の物質を組み合わせたものが世界であるならば、現在の世界が過去に存在し、あるいは将来も再度全く同じ組み合わせから構成される可能性について示唆している。ニーチェにおいて、この世界の円環的構造は、たんに存在論的なものにとどまらず、自由意志の問題と結びつけられる。

永劫回帰するのは、終末を迎えることなく時を越えて同一である物にして、且つ万物である。万物斉同。すなわち、永劫回帰は終末における救済というオプティミズムとの対比でしばしばペシミズムと結びつけて語られるが、その一方で、救済されるようにと今の行いを正す、という制約から解放された明るさもある。世界が何度めぐり来ても、いまここにある瞬間がかくあることを望む、という強い生の肯定の思想でもある。その意味で、永劫回帰は生をおろそかにしない超人にのみ引き受けることが可能な、存在と意志との自由の境地である。永劫回帰はたんなる宿命ではなく、自由意志によって招来される世界の根源的なありようなのである。

(ちょびっと解説するとこの”超人”は特別って意味じゃなくて、仏教哲学における”(強迫:煩悩を捨て)悟りを開いた仏”のように、その意味するところ半ば空想上の”完全体”の定義のような意味で、そうなるとかならなくてはいけないとかではなく、考える上で仮にそれが空想上でも(経済学で言うところの完全雇用の概念のように)定義がなけりゃ始まらないからみたいなところで登場しています)


ついでに実存主義哲学の更に元ネタのモチーフである『シューシュポス(シーシュポス)の神話』もオマケでwikiから転載すると、
(本当の元ネタはギリシャ神話「シーシュポスの岩」)
■『シューシュポス(シーシュポス)の神話』アルベール・カミュ
シーシュポスは神々の怒りを買ってしまい、大きな岩を山頂に押して運ぶという罰を受けた。彼は神々の言い付け通りに岩を運ぶのだが、山頂に運び終えたその瞬間に岩は転がり落ちてしまう。同じ動作を何度繰り返しても、結局は同じ結果にしかならないのだった。カミュはここで、人は皆いずれは死んで全ては水泡に帰す事を承知しているにも拘わらず、それでも生き続ける人間の姿を、そして人類全体の運命を描き出した。


最初に「オチ」を言ってしまえば「だからここに我は実存するのか」という(相当に仰々しい)”現実の発見”であって、
(内向心理やノスタルジーの天敵です。なんかワケわからんところがミソ。→昔の哲学者なんかがようけ難解な文章を書いたのは、無意識の誤読でロジックが穢される事への生理的拒絶からそれを”ステレオタイプではそうは簡単にケチのつけられない文章にした”って一面もあります。心理学的には衒学的表現(難解)の意味はそれだけじゃないんですが、今回の返信に関してはそこ理解しておいて損は無いです。)

更に簡単にネタバレしてしまうと、
「なんてことが無くてもいい、その駅前ラーメン店で味噌ラーメンを選ぶのか、塩ラーメンを選ぶのか、チャーシュー麺を選ぶのか、掟破りのギョーザライスか?それが世界(実存)であり、現在に他ならない。それ以外何処に”私”の生存証明(レーゾンテートル)などがあろうものか?この至高にして至上の選択を”何人も(おおよそ強迫心理なぞが)穢してはならない”のである。」
「ダメじゃんと言いつつ満面の笑み」のような世界です。

(みょうちくりんな言い方すれば社会的に単独者が発現するルートは「第四の反抗(反抗期の)」みたいなもんで発生していて、その反抗は3つの反抗(所謂反抗期)とは異なる。単独者の出現は幼児期の記憶に対するオマージュの解体やノスタルジーの無効化(所謂反抗期)では無く「唐突な現実(実存)の発見」だからである。まーなんというか、そのような話です。→それが「オヤジ!チャーシュー麺だ」の解なんですよ。)


注)別段実存主義哲学を賞賛しているのではなくて、近代思想から現代っていうか『現代社会の単独者概念』ってのは実存主義哲学の延長に(サブカル的に)文化人類学的だったり心理学的に派生しているのは事実なので(オマージュだとかモチーフだとかリスペクトだとか影響を受けるというかアイデアのネタ元であるとか何でもいいんですが、実際に社会運動に派生してリベラル的政治運動のネタ元になるなど先進国化の先に単独者が頭角する社会的な梃子となっている)、単独者の概念を考えるにあたって参考になるってことです。

気分転換にそっちの方向で考えてみましょうかぐらいに捕らえてもらえれば、
(結論は)違ってくると思いますよ。

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【94】自己分析  etu  - 2013/01/08 22:28 -

はじめまして。
最近この相談室をみつけ、膨大なログをありがたく読み始めています。
主に、類似の事例を検索して汎用性のありそうな部分を自分の悩みにあてはめていますが、このような場合の注意点等あればご教示いただけないでしょうか。
ログで自己分析の危険性について言及されており、また、ログは他人のケースにも関わらず、読んでいて動悸が激しくなったり揺さぶられることが多く、不安です。自分に似た話へのkagewariさんの回答を読むことはカタルシスでもありますが。

最近(ここをみつける前です)、訳もなく塞ぎ込むことが多く、辛いです。
色々と自分のバックグラウンドに原因がある筈ですが、自己嫌悪のループから抜け出せません。

失礼を承知でもうひとつお聞きしたいのですが、対面式カウンセリングとメール相談の違い(メリットデメリット、心構え)について教えていただけないでしょうか。
悩みの一つでもありますが、私は頭の回転が遅く、言いたいことがパッと言えません。
「反論そのものが重要な段階」というご意見にも非常に納得し、そのため対面式よりこちらのメール相談のかたちのほうが自分に有効なのではと感じているのですが、現在切羽詰まった感があり、職場提携の産業カウンセリングを受けるべきか迷っています。
心理学に興味はありますが、今までカウンセリングを受けた経験はありません。受けても何も変わらないと思っていましたが、そう言っている余裕もないのかもと弱気になっています。
金銭的余裕がなく、今すぐにはメール相談をお願いできない状態で、不躾な質問申し訳ありません。

自力で少しでも前に進める有効な方法があれば、一番嬉しいのですが。。。

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【95】Re:自己分析  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2013/01/09 00:35 -

ザックリお答えしますね。
(案外方向性は簡潔です←だから簡単だとは言えませんが、)

過去ログ閲覧の注意点は特別ありません。
HP・ブログ・掲示板それぞれに記載があるように、強迫心理がフラグを踏む形で興奮状態になる場合があるので『外形的な説明が必要』という趣旨のが意味合い大きいです。実際の自我問題へのアプローチとしてはガタガタ揺さぶらないとどうにもならなかったりしますので、「強迫心理」が興奮したところでどうって事は無いのですが、これがカウンセリングなどの現場では無く「自分ひとりで過去ロログ閲覧している」状態だと、「強迫心理」が都合よくそこを利用して(端的に言えば私の返信部分を読まないなど)、自我の退行化を進めてしまう可能性をゼロにできないため注記しているところです。
(etuさんの閲覧目的であれば上記点の心配ありません。)

又、所謂『自己分析』の危険性ってのは乱暴な表現承知でわかりやすく言うと、研究者など所謂『共同幻想系のマトモな人』がですね(この段階で特定キャラクターになるんですが)、よせばいいのに(構造的にこのタイプの人はフロイド心理学の理解に『共同幻想』保守ブロックがかかる)フロイドなんかに手を出して自己分析などやってしまうと(メンタル問題のある人のような自我構造の不安定さに対する耐性とかないので)バチンと自我が壊れるってワケじゃないのですが「マトモと信じていた『共同幻想』が唐突に壊れてしまい、『単独者自我』の選択もしていないのに反抗期の荒れた状態(仮想『単独者』状態)にシフトする」みたいなリスクがあるんですよ。
更にわかりやすくいえば立派な大学中退しちゃってドロップアウトしてしまうだとか(本来ある意味不道徳が信条の心理学的にそういったのアリアリなんですが)、なんていいますか公式的にそこは抑えておかないといかんところなんです。

もうちょっとシリアスに説明すると、
『共同幻想適応』といってもですね、どこに「強迫心理」の地雷があるかわからんのです。
(『共同幻想適応』な人ほど、それは潜在的でもあるワケで←自我の過半を抑圧してますから。)
自殺事例などは通常メンタル問題を抱えている人には起こり得ないのですが(所謂心理的問題の無い階層の方が自殺率が高いという話もあります)、会社が倒産した直後などの『急性鬱症状』は別次元で危険です。(これも耐性が無いからショック状態みたいな感じでなんですが、)
わかりますよね?
所謂大学などで研究しているだけの動機でいきなり『会社が倒産した級の共同幻想壊れっぷり』とかに準備無く直面するのは危険だと言えます。
(本来は『共同幻想』がブロックしてそこまで理解が進まないって確率のが高いですけど)
(とはいえ心理学やっていると、なんていいますか「普通の人相手に本気でそっち方面の話をしません」)
果たしてそれでいいのかって意見は哲学あたりから出てきそうですが、
心理学は心理学ですから、
精神分析などのプロセスはあくまでも「何らかの動機があって(=その耐性もある)これは何かしないと」な依頼を受けてやるのが見解になります。
つい先日ネットでキムタク主演ドラマの某台詞がニュースになってましたが、似たような話です。
(ドラマで「サンタがいない」と公然と語る台詞があったとかいうニュース)
その意図や準備の無い『共同幻想な人』に精神分析ってのは→通学中の小学生全員に「サンタなんかいるワケネーだろ」と言って回るようなものですから、なんていうかそこまでやると心理テロみたいなねぇ、
しかし、「いるはずのないサンタを巡ってドロドロとした」な人と会話する場合「サンタがいるいない」とかお笑い草な耐性あるじゃないですか。
まーそういう事です。

後は正確性の問題ですね、
精神分析は相当数の血縁関係の人物像や略歴など情報集めてジャーナリスティテックに「何があったのか」から考えますから(その過程で依頼者が近親者に質問することで初めてわかる情報もあったり)、主観でやるにしては当事者にかなりの『第三者性の担保』と予備知識が必要になると思います。
(その代わりと言っては何ですが、実用面というか斬った張ったの昨日今日の騒ぎの元になった「個別の強迫心理」への対抗って部分では精神分析の正確性はアバウトでもよかったりするので正確性を極端に重要視する必要もありません。頭の上で実弾飛び交っている時に正確性もクソもありませんから。)

>「反論そのものが重要な段階」というご意見にも非常に納得し、そのため対面式よりこちらのメール相談のかたちのほうが自分に有効なのではと感じているのですが、現在切羽詰まった感があり、職場提携の産業カウンセリングを受けるべきか迷っています。

カタギのカウンセラーですか、
正直なんともお答えし様がありません。端的に言えば「あてにならない」になってしまいますが、
(カタギで探すなら片っ端から精神科・心療内科に電話して→どれだけ数がいるのかわかりませんが「先生はフロイド系心理学の研修されてますか」と珍しい精神科医を探すのがベターでしょう。←この段階で先生カタギじゃ無いねになっちゃいますが、)
但しどこの世界にも想定外の人物います、
その産業カウンセラーがトンデモ級の可能性だってあり得ますので、コメントできるのはこの辺までですね。
(カウンセラーが必ずしもトンデモでないといけないって意味ではありません。第三者性の担保って部分でわかりやすいパターンが「無頼」とかのイメージだって意味です。)

>対面式カウンセリングとメール相談の違い(メリットデメリット、心構え)
私はメールカウンセリングの方が優位性あると思います。
特に本人の内面吐露の部分に関しては比較にならないでしょう、
そもそもがメンタル=なんらかの関係障害ありますので、その状況で面談というのは最初から無理があり(フロイドのカウチチェアーってのはそこを間接的関係性に置き換えるものですし、元ネタとなっているカソリックの懺悔室は面談といっても顔が見えない配慮あります)、本人相当に勇気出して吐きだす覚悟をもっていかないと面談は空振りしやすい。
(お酒飲める人なら軽く一杯やってから行くって昭和のプロ野球みたいな手も無いじゃ無いですが、効果のほどはなんとも保障できません。)

メールのデメリットってのは、何でも言いやすいのでとにかくログが膨大になることが多いというだけでなく、事実関係の反論であればいいのですが興奮状態になると「反論のための自己防衛反論」を助長するリスクでもあるため(返信全ログ引用で全強迫心理反論だとか無限蒸し返し永久ループだとか実際起きる事あります)、つまり私が大変って事です。
(無駄に思えるようですが、ある程度の論戦は徹底的にやれば過去事例的になるので「反論のための反論」を完全抑止するのも間違いだと思ってます。←メールカウンセリングだと「強制的に相談間隔をあける」とかできるのでそういう対処の方が有効だと思ってます。)
私自身現状でも続けられるのかも微妙な状態でして、
カタギの人はやらないと思います。
(探しても同じようなサイトは無いのじゃないかと正直思います。)


>訳もなく塞ぎ込むことが多く、辛いです。
>自己嫌悪のループから抜け出せません。

現在この掲示板は突っ込んだ相談そのものは受け付けていなのでザックリとした戦術的カウンターをあてておくと、
(「強迫的思考」ってのは漫才におけるボケとツッコミの片方が欠けるような状態なんですよ。だから”落ち”を付けるみたいな思考が=ループを”切る”って事になります。)

少々不謹慎な表現ですが(速攻性とカウンター狙いなのでご容赦ください)、
現在の状態は以下のようなものです。
(全然違うんですけど構造は同じ、)
 ↓
■恋愛で振られたので(攻撃性意欲をガチンとやられ内向化から抜け出せない)毎日女装するようになりました(自己嫌悪)、止められません。

えーっとですね、
「かかってこい馬鹿野郎、やんのかこのクソ野郎、ヤクザをなめんなよ、馬鹿に馬鹿と言って何が悪いんだコラ」←はい近所迷惑なぐらいの大声で。
バチンとぶっ倒れている攻撃性意欲(の将棋の駒)を刺激する(外交性能動性:アクティブ:『抗(あらがう)』)。
神経的な方向性としては、
「ザップーンと頭からバケツで水被る」「42.195キロのジョギングする」「床に水溜まりできるまで腕立て伏せをする」←この手もあります。

普段の生活では以下を禁止
『道徳的であることを禁止(極端な話不道徳思考ぐらいじゃないとカウンターにならない)』
『恋愛関連禁止』
『過度の飲酒は禁止』
『周囲に”適当に”調子を合わせる事を禁止(職場などではシリアスの演出だとか←忙しいフリでも可)』
推薦は「極端なヘアースタイルやファッション」「タバコと珈琲」「喫茶店」「単独行動」

といったところでしょうか。

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【96】Re:自己分析  etu  - 2013/01/09 23:29 -

非常に明快なお話ありがとうございました。
すごくわかりやすく、優しくレクチャーいただき、昨晩ずっと涙が止まりませんでした。
特に、最後の大声で罵詈雑言はストンときました。自分の中に単純に攻撃性意欲がくすぶっているのだと。
一人になるとき無意識に何度も独り言で「しね/消えろ」と言ってしまうのに悩んでいました。
今までは→誰に向かって言っているのか?→周りはみんないいひと→しねばいいのは自分?→ 過去の事例が多数出力され自分が無価値である証明→ しにたくないのに、しぬべきと納得(したくない)→自己嫌悪
というバカバカしい構成を丁寧になぞっていましたが、大間違いだったと解釈出来ました。

本日、朝2分ほどわめきちらして(キチガイですね) 出勤したところ独り言は出ませんでした!

ただ、これだけでは緊急避難にすぎないので、ルールを守りつつストイックに単独行動することで、基礎体力をつけるべし という方向であっていますか?


>『道徳的であることを禁止』
がよくわかりません。家族を大切に、常に思いやりを、のようなことを考えてはいけないということでしょうか。

>『周囲に”適当に”調子を合わせる事を禁止(職場などではシリアスの演出だとか←忙しいフリでも可)』
常にヘラヘラして自分を守ってきました。せめてなるべく忙しそうにします

現状では、とても対面式のカウンセリングを役立てられる自信はありません。
やはり過去ログを活用して自己分析をすすめ、体力にくわえ防御力向上させたいです。
岸田先生のものぐさ精神分析に興味がわきましたが、他に有効な小説や映画があれば教えていただけないでしょうか。

引用なし

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【97】Re:自己分析  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2013/01/10 04:40 -

えーとですね

>ただ、これだけでは緊急避難にすぎないので、ルールを守りつつストイックに単独行動することで、基礎体力をつけるべし という方向であっていますか?

ストイシズムを意識しているワケでは無いのですよ。
(ニュアンス的にはむしろ逆で自意識主導による強制的快感代謝を意図してます。)
動機形成を強制的に行ってでも『自意識リード』の行動を完遂することで(これでも一定量代謝するんで)、欲求の流れを主体的に代謝するプロセスを動かすって事です。
(仮想『単独者』状態の外形を保持する、)
メンタル問題ある場合現行認識されてる『共同幻想』がほとんど怪しい状況だと見ていいので(「どっからどこまで強迫心理やら」って事になるから)、常識的と言えばいいですかねそういう普段の”アタリマエ”は「それだけで『被(こうむる)』を誘発してるかもしれない」ワケですよ。まーメンタル的に、
この場合そっち方面は一度切る方が賢明なので、
(※仮想『単独者』=思春期反抗期レベルに一度落とす)

煩わしい付き合い断る理由にもなるんでスよ、
「俺○○キロに体重落ちるまでトレーニングすることに決めたので、なんだかんだと忙しいんスよ」みたいな口実もできる。
(本当に腹筋割れるまでトレーニングすると決めても別段問題無いです、)

>>『道徳的であることを禁止』
>がよくわかりません。家族を大切に、常に思いやりを、のようなことを考えてはいけないということでしょうか。

前述でここの意味わかると思います。
もうねメンタル発現=現行理解している道徳系認知は「イカサマだ」と思っていいです。
(社会性の部分は別ですが、ここもジャーナリステックに第三者的にその都度検証すること。「哲学的にこれであってんのか本当に」とか、)
ともあれ主観で主語が自分から始まる道徳系認知は既に怪しいと思っていいです。
(所謂「強迫心理」に取り込まれるレトリックの一部を構成し、その強制力の鍵となっているという見かた。)
前述部分もね、
家族ですって?笑っちゃいますが、この世にあなたね家族なんかどこにもいませんよ。
(それは所詮『共同幻想』がデッチあげた空想上の概念なワケで、)

意味わからないかな〜
「俺に組織を裏切れってーんですかい」
これとどう違う?
勿論前述の概念は自分が好きでその概念を想定乃至プルーフを条件に理解しているならいんですよ(確信”犯”的に)、ですが考えも無しに至極当たり前に「あたかもそれが(想定や設定では無く)ほんとうにあると思い込んでいる程度なら」、どっかの新興宗教の信心と区別がつかんのですよ。

「あれ、俺はいつ入信したんだっけ」
のような何とやらが強迫心理のトリックなワケ。
(この場合「レトリック」つーことになるけど、)

一度正気に戻るってのはだね(これ夢から醒める的に)、
今あなたが家族と思っている人を相手にだ、
「えーとあなた誰でしたっけ」なところから(本気で記憶を辿る)潰していかんといけないワケ。
極論するとだ、
「そんな事を考えたとか思いついたとかそれ本当に俺だっただろうか」のように。
(「あれれ?どっかでねじ込まれてるか」だとか「なんかそういうストーリーにのってないか」だとか「たんに渡る世間が馬鹿ばかりの見すぎとかか?」のがどっかにある筈。)

案外ね確信犯的に「俺がこう思うからだ」の証明の無いインチキ臭いナントカが多数あると考えておく事。
(これ言葉が”確信犯”と攻撃性になっているでしょ。極論不道徳な覚悟の無い道徳など犬のクソ以下なんだよ。)

>>『周囲に”適当に”調子を合わせる事を禁止(職場などではシリアスの演出だとか←忙しいフリでも可)』
>常にヘラヘラして自分を守ってきました。せめてなるべく忙しそうにします

あーなるほどね、
基本的なところがいかんわね。
末尾のところの答えを先に出すけども、
反省促すために、太宰の『人間失格』とサリンジャーの『ライムギ畑でつかまえて』読んで。
(そしてきっちり反省するように、)


>現状では、とても対面式のカウンセリングを役立てられる自信はありません。
全部がダメって事じゃ無いから、
まーねカウンセラー相手では無く、むしろタクシーの運ちゃんと話すとか、飲み屋のオヤジと話すような行為をカウンセリングだと自分で位置づけてやるって手もあります。
(話す事で自分でも考えてなかった部分出てくることもある、)
※又そういう完璧な第三者相手だと「旅は恥のなんとやら」みたいに構えず話しやすい。


>やはり過去ログを活用して自己分析をすすめ、体力にくわえ防御力向上させたいです。
>岸田先生のものぐさ精神分析に興味がわきましたが、他に有効な小説や映画があれば教えていただけないでしょうか。

書籍は前段で紹介したとして(もう私も内容覚えていないので後から内容云々とかの質問は無しで)、
それを読了した後で、
黒澤の『用心棒』『椿三十郎』
ジーンハックマン主演の『ポセイドンアドベンチャー』
ペキンパー監督の『ワイルドバンチ』
(着想としては”何かフェーズが変わると”『人間失格』だとか『ライ麦畑』の主人公が前述映画の主人公と同一人物にもなると考えればポイントになるかもしれない。)


■それから新規の相談受け付けは停止しますので、簡単な質問の範囲ということでこのスレッドはここまでにしてください。
又、有料の方もある程度状況認識している場合には特別精神分析のコースから入らないといけない事も無いので(ここは実質コース編成の見直しでしょっぱなから『簡易相談』が1回利用から選べるようになってますんで)、更に確認したい場合には『簡易相談』利用するとか検討してみてください。

では今回はここまでということで、以上。

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【100】Re:自己分析  etu  - 2013/01/21 05:31 -

ありがとうございました。
本を読んで衝撃を受け、反省の必要性を自分でも認識しました。
(15年ぶりくらいに黒澤映画みましたがやっぱりいいですね‥‥!)
本の主人公のような人物が「何か」変わると、映画の主人公のように成長?するんですね。
その「何か」まだ十分にはわかりません、それが自分にとっても重要なポイントであるのでしょう。
いつか自分のフェーズも変えられるでしょうか、彼らを目標に、自分なりに考えていきたいと思います。

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【38】他人の目がこわい  hako  - 2010/08/17 01:37 -

はじめまして。hakoと申します。

私は、中学〜高校くらいにかけて、よく人に指を指されて笑われたり、顔や風貌のことで色々嫌なことを言われていました。
今、25才ですが、いまだにその時のことを思い出して辛くなることがあります。
今、悩んでいるのは、人の目がこわくて見れなくなる、というか、たとえば普通に職場の人(同性・異性問わず)と喋っていても、ふと目を見ると、その人の本音が見えてしまうような気がしてしまって、「結局容姿が劣っている自分は見下されているんだ」と思ってしまうんです。街中にいるときも、こっちをチラっと見てくる人が気になってしょうがありません。イライラして勝手にキレそうになってしまうこともあります。(こっちをチラチラ見てくるような人は、容姿が普通〜自分より上の人に対しては、同じことをしないという気がします)
他人の、無遠慮な視線に過剰に反応してしまいます。容姿で悩んだことなさそうな、電車や道で下卑た笑い声をあげているような、チャラチャラした男性に対する嫌悪感もすごくあります。死ねばいいのにと思うこともあります。

過去の、「自分の知らないところで自分が(容姿から)判断された」経験が、トラウマになっています。
初対面の人(得意先の人〜コンビニの店員に至るまで)とは、ほとんど目をあわせられません。

容姿のコンプレックスから、職場では「自分はひたすらへらへらしていなければ、人から受け入れてもらえないんだ、仏頂面のブスと思われて、誰からも相手にされないんだ」と思い込んでいます。笑いたくもないのに笑っている自分が嫌になります。

視線恐怖(嫌悪)を克服するために、心の持ち方のようなものがあれば、アドバイスお願いします。
整形などで顔を変えることはできますが、かろうじて変われたとしても、心の問題や、憎しみは消えないと思うので…

お忙しいとは思いますが、宜しくお願いします。

引用なし

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意外な事と思うかもしれませんが『容姿』とは極めて心理的なものです、
もう一段この話には奥行きがあって『容姿』は文化や時代で変遷します。
後段の話はこれだけの説明ではまだ理解が十分では無いと思うので補足しますが、それこそ未開の民族の中には素直に異文化の人間からはおぞましい位容姿をピアスのようなもので変化させ(場合によっては目をそむけたくなるくらい)人としての外観を損なっているとしか言えない文化習俗を持つ部族も実在します。
簡単な差異はファッションに見られるように一時代の流行は異時代の常識では笑い者であったり、これも不確定なものです。

つまりこの世には普遍的に『容姿が云々』などという差異は構造的に存在しないんです。
あり得るのは時限的であったり、仮想上の流行論的な変遷(ここには多分に共同幻想が関係します)の中の誤差のようなもので、
(現実ルネッサンス時代であれば現代社会のモデル体系は顔を歪めて忌避されるでしょう)
 ↓
■ここからが本題です
 ↓
「それは大いに社会適応であるとか共同幻想社会との関わりの中で発現している”極めて主観的な着眼”である」

ここまでの説明で更に理解が別の方向に流れていると思うので説明を続けますが、
当該する文明社会における”美意識”というものは(ここにも大いに共同幻想が関係しますが)芸術的昇華を前提とすれば存在するでしょう。
そこから逆算するならば、
 ↓
「容姿なるものに差異があるとするなら、その時代の文化の名において美男美女だけである」
(人類が歴史的に延々と繰り広げてきた容姿関連の話は「半分は健康状態の判断」「半分はSEXアピールに対する文化としての集団心理」です)

更に付け加えます、
上記の”美男美女”の概念はレア(希少性)という価値論の根本に関わる論理的結果に過ぎません。
(数的に過半数を超えれば”普通”に評価が下がる)
言ってみれば”社会的評論”などいうような代物に近い、

何を話しているのか訳がわからないところあると思うので、対比で表してみましょう。

「社会的評論としての”美”は言い換えれば公的論理である」
「容姿の差異における”醜悪”は主観である(その合理性を証明できない)」

ここまで話してもまだ意味が不明でしょう、
更に説明を続けます。

「自分は美しいと主張すれば社会がそれを認めない限り(一般的意味の)ナルチシスト(自己愛主義者)に過ぎない」
「自分は”醜い”と思うことは、その段階で”被害認知”と等価であるため結果として(心理的意味の)ナルチシズム的な社会不適応的な現象でしかそれを証明できない」

私が言わんとしているのはですね、
仮想上であろうと論理的結果だろうと、人の醜悪を「自分ひとりで勝手に主張したところで何の証明にもならない」って事です。
”醜い”であると反論しやすいでしょうから逆で説明しましょう、

■「私の容姿が美しいあまり人の視線が気になり視線恐怖になってしまいました」
構造的にはhakoさんの言っている話は上記と等価なんですよ。
(自分じゃまったく気がつかないでしょうが鉄板でそうなんです)

これは近代共産主義が台頭した時の「プロレタリアート革命論」にも近い話で、
「私は金持ちだからとそれを証明するのは難しいが、自分は貧しいと主張するのは容易である」
「しかし、私は貴族階級であると主張する事は(それが事実であれば)絶対である」
わかりますか?
後段の話の貴族階級(アイデンティファイ)の証明は共同幻想(階級社会)ですよね?つまり主観ではないから絶対になる。

悪魔の証明じゃありませんが、
「そうですね、それは確かに美しくは無いかもしれない(レア度により成立する美男美女論)」
こう話すことは誰にでも容易です。
以下の説話も等価の同文であるのがわかります。
「いえいえ家なんかたいした事無いですよ、せいぜい中流の下ってところですから」
”金持ちではない”であるとか”美しくはない”はアリなんですよ、
何故なら『レア度により成立する法則』の逆さだからです、
(金持ちの証明や美男美女の証明は自分ひとりではできない:だから長者番付やミスユニバースがあるんですみ←社会的証明)

構造的に説明できない=構造的に否定もできない
ので、
 ↓
「そうですね、それは確かに美しくは無いかもしれない(レア度により成立する美男美女論)」
こう話すことは誰にでも容易です。
以下の説話も等価の同文であるのがわかります。
「いえいえ家なんかたいした事無いですよ、せいぜい中流の下ってところですから」
”金持ちではない”であるとか”美しくはない”はアリなんですよ、


ここでようやく話はつながったかと思います。
>「結局容姿が劣っている自分は見下されているんだ」と思ってしまうんです。
 ↑
この論旨は成立しないんです、端的に言えば”事実認定できない”。
実は話している当人hakoさんにもそれがわかっているんです。
ですから「思ってしまうんです」という文法になっている、
わかりますよね?「思ってしまうんです」の背理は→「違うのに」或いは「必ずしもそうとは言えないのに」或いは「それは濡れ衣なのに」
※本文の意図は”違う””そうとは言えない”が「人が自分を見下している」にかかっていますが(そこは別途後述します)、文章全体のロジックとして前段の括弧無い全体に”思ってしまう”が掛かっている。
ここでも「いえいえそうだとしても”容姿が劣っている自分”を私は(思ってしまうで)否定していませんよ」という単純な反論あるかもしれませんが、この論旨はナンセンスなんですよ、この被害認知の肝は自分の容姿では無く、それを根拠として(その証明が容姿になっている)自分が周囲から見下されている事が問題のコアであり、仮に100歩譲ってあなたの容姿が劣っているとしてもその結果周囲の人物が概ねあなたを見下しているのでは無いのだとしたら(思ってしまう否定)被害認知と容姿は無関係であり結果容姿どうこうを始まりとする話は成立しない事になる。

注)実際にここは以下により証明
>整形などで顔を変えることはできますが、
これに関連する複数の事実がありますが(プライバシーに関わるので公開掲示板ではこれ以上詳細は言えません)、仮に(簡単に言い換えれば”美人”に変化しても)その状況が事実関係として実体を伴って変化しても、全く問題は解決しないのです。これは事実です、
そして根本的な反証として
「実際に”美しい”事を根拠としてそこから以降の話の流れはhakoさんと全く同じ論旨の悩みを訴える事例は少なくありません」事実です。
(美しいに始まる構造を説明しだすと今回の同じ分量の説明が必要なのでそこは省略します、4時間ほどもらえれば容易に説明できます)


事の発端は?
>中学〜高校くらいにかけて、よく人に指を指されて笑われたり、顔や風貌のことで色々嫌なことを言われていました。

この話は実体として「(その発端に根拠が不鮮明な事で有名な)いじめ」に近い現象です。
掲示板の過去ログを読んでいただきたいのですが、いじめ論って奴の大半は「既に社会的共同幻想が崩壊しているのにそれに適応しなければと強度のストレスがかかっているだけでなく、文部省なりの方針で時の権力によって寿司詰めで管理されている”群れ”と、何らかの原因(メンタルなど)でそのストレスの埒外にいて社会との関係に個人的事情で関係性が保てない個人との衝突」です。
つまり『相互にお互いがお互いに対する意識はそれぞれの事情で全く噛み合わない』ため、非常に解決が難しい。
それだけでなく、そもそも現代社会(共同幻想は崩壊)において、問題のある社会(学校制度)を保守する方向で問題を解決するのだとしたらそれは別の意味で本末転倒になります。
(いじめる側には意味の無い共同幻想適応を止めさせなければ根本的解決になりませんが、それにはクラス制度そのものを破棄しなければならないので構造的に文部省が動かない限り解決にはならい:無理に解決しようとすれば本末転倒になる→ですから現状はいじめられる側はフリースクール等に避難・いじめる側には”打つ手なし(彼らには強度ストレスが以降も継続)”な状態です)
※特に「いじめ論」は過去ログに多数論証がありますから読んでみてください。

さて、となるとですよ?
今この今です、hakoさんは何をしているのでしょうか?素直に定義してみましょう。

「相談の形で、自分個人でできる解決策は何か無いかヒントなりを求めている」となります。
言い換えると
「自分個人のサイドからこの悪循環を止めるアイデアなりはないだろうか相談してみよう」

<一度や十度ぐらいでは必ず上記説明”読み違えています”からここまで相当回数反読してください>

再び本題です。
この誤解「容姿が劣っていると”思ってしまう”」
そして、前段説明の
『金持ちの証明や美男美女の証明は自分ひとりではできない:だから長者番付やミスユニバースがあるんですみ←社会的証明』
 ↑
この部分が
 ↓
>中学〜高校くらいにかけて、よく人に指を指されて笑われたり、顔や風貌のことで色々嫌なことを言われていました。

事の発端にかかり(社会的評価を下されたと思い込んでしまい)、誤解が環を広げているんですよ。
冷静に考えればわかります、
いじめの心理は社会心理として”異常な状態”であり、彼らは決して「冷静な審査委員でも無いし統計分析する官僚でも無い」
株式やらの世界で言えば『風説の流布』です。
簡単に言えば「デマである」、

■事実の認定は慎重に行わなければなりませんが、
この際hakoさんの実像としてその容姿がどうであるとかには全く意味ありませんから(異論ある場合には前段の説明を100回くらい読み直してください)心理的側面として非常にやっかいなのはむしろ以下の部分です。
 ↓
>イライラして勝手にキレそうになってしまうこともあります。
(『「結局容姿が劣っている自分は見下されているんだ」と思ってしまうんです。』をデ・コード編集します)
 ↓
>「結局容姿が劣っている自分は見下されているんだ」と勝手に(どうしても)思ってしまうんです。
>電車や道で下卑た笑い声をあげているような、チャラチャラした男性に対する嫌悪感もすごくあります。
 ↑
ここまでの説明を前提に考えれば「すでに的外れの濡れ衣」であることは明白で、
(重要なことですが、”電車や道で下卑た笑い声をあげているような、チャラチャラした男性”は誰しもが普遍的に不快であり、取り立てて問題ではないとうか、、それは問題は問題なのですが、疑いようの無い個別の事実なので(自分と関係無くこの世には不快なものがあるという論)それ自体論議のテーマにはなりません)

なのに、これがエスカレートしています。
 ↓
>死ねばいいのにと思うこともあります。

わかります?
私の説明にあるように、壮大な”前フリ”は実は論旨にもなっていないし、根拠としてもバラバラだったり事実関係がつながっていない。
それらの”前フリ”は何のためにあるのか?
これが言いたいからがための”前フリ”なんですよ。
 ↓
■『死ねばいいのに』

一見この動機は不特定多数に向いているように(それこそ)思ってしまいますが、全く違うんです。
”前フリ”でどれほど苦労していることか、
様々な話を連ねて(と言っても本人はまったくそうだと思っているし、その反対に以降に続く結論は無為意識で全く自覚が無いのですが)、『死ねばいいのに』の方向を異性の集団に向けているんです。


この(『死ねばいいのに』対象)大反転の鍵は”性差”ですね?
ここで全てが繋がるんですよ。
>「結局容姿が劣っている自分」
この意識には自分自身の性差なるものが深く関係している。
性差って何か?
子供が大人になるって事です。
他者に快感代謝的興味関心が沸き、自分自身のSEXアピール(前段美醜論の話読み直してください)に強い関心を持つ、

これに拒絶があるんです。
(だから発端が「中学〜高校くらいにかけて」=思春期なんですよ)
自分が大人になる事ですよ、
『死ねばいいのに』
と思っている対象は思春期で「ガツガツ大人的快感を求める(チャラチャラした男性)みっともなく目立つ若者」です。
(一般的には彼らのような”群れ”は少数で実際みっとも無いので周囲は逆に気にも止めないのですが←それがみっともない若者にもわかるので、大声出したり騒音出して暴走したり”気に止めろよ”みたいなアピールするんです:これは幼児性サディズムと同じ構造:暴力のネタ元)

この心理の背景には、自分が性的に大人になる事に対する嫌悪感のようなものが被っている。
言い換えれば「自分が性的に大人になる的な世界」に対して『死ねばいいのに』と思っている、
 ↑
しかしこれじゃ文章になりません。
深層心理は何を思っているのか?
>心の問題や、憎しみ

この答えは子供時代の人間関係にある筈です。
(大人にならない=子供であり続ける=親子関係等に代表される子供時代の人間関係は心理的に無限に継続)
「無限に継続」
>憎しみは消えない

だから「憎しみは消えない」(自分が子供であり続ければ=親子関係等に代表される子供時代の人間関係は心理的に無限に継続)
様々なルートを辿って、その心理が「所謂”たちの悪い若者達”(特に男性)」に性的拒絶を梃子の原理として反動的に投影されている。

加えて、hakoさんのそんな心理は隠せませんから(共同幻想適応系の人格は潜水艦ソナーのようにそういう違和感に神経質なぐらい敏感です:それが何のことかはわからないが違和感を感ずく敏感さは共同幻想適応人格はとても強いんです:社会通年的にわかりやすくいえば”オバサン社会の心理”のような特徴は、共同幻想適応系人格全般に見られます)、周囲はそこに違和感を感じ、
(それを彼らが好感と感じる事は考えられませんから)
むしろ彼らの側から(彼らの集団心理における潜在意識として)無意識的ですが、hakoさんから(俺らが)嫌悪されているとか、蔑視されていると受け取られ、実体としての社会の中でも諸問題が派生する。

極端に言えば
「死ねばいいのに」がそのまま文字通り見透かされることはありませんが、
少なくともhakoさんが嫌っているような雰囲気は(hakoさんが隠しているつもりでも)大半のケースで「薄々バレています(限りなく”バレバレ”に近い)」

それこそ人の興奮は(遠赤外線として実体伴うって説もあります)、相手に伝わるもので、その対象者が潜水艦ソナーのように(見かけと違って)繊細なぐらい神経質(ビビリ)だったら?
(怖いホラー映画を観ていて本気で怖くなったので、大声出したり無理に笑ったり、歌いだしたり→下卑た笑い声をあげているような、チャラチャラした男性)

特に関係があるわけでも無い人物に「死ねばいいのに」と思われているんですよ。
(声まで聞こえないが”なんか変な感じ”としてそれが相手にバレている)

これじゃ悪循環は止まらない。
「自分個人のサイドからこの悪循環を止めるアイデアなりはないだろうか相談してみよう」
と思うんでしたら回答を探す事です。
 ↓
>死ねばいいのにと思うこともあります。

「死ねばいいのに」:この心理は子供時代の人間関係の中の何処からきている心理だろうか?

引用なし

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ご回答、ありがとうございました。何回も読みました。きちんと
理解できているかどうか怪しいですが、レスを読んで思ったことを書きます。

「死ねばいいのに」というのは、kagewariさんの言う通り、思春期から今までに起こったことと照らし合わせて、この世の男性全員に思うことです。
ちゃんと意識はしてませんでしたが、そう言われて、ああそうなんだと思いました。
容姿の悩みと、容姿(が一番の原因だと自分では思います)によって男性に攻撃されてきたことは、今まで誰にも言えませんでした。私にとって、男性は敵なんです。攻撃されて当たり前、だから自分を守らなきゃいけない。個人的な性格とかそういうもの云々より、まず第一に、男性の、男性としての性質が嫌いです。怖いです。どんなにいい人そうに見えても、やさしそうに見えても、やさしくても、結局男性は、自分より弱い(と判断した)ものにはどこまでも残酷になれる生き物だと思っています。この世の男性の99.99%くらいは、です。

私は容姿をあまり着飾らないので、男性にとっては、男でも女でもないただの弱い生き物に見えるんだと思います。たとえば、私が整形して着飾って「女」になったら、寄って来る男がいるかもしれません、でも私はそれが気持ち悪いです。女を強調するのは私が今まで心の底で「死ねばいいのに」と思ってきた男に、自分からエサを撒くようなもので、そんなのはとても嫌です。だから大人(=女性)になりたくないのかもしれません。性的な目で見られることも、気持ち悪いです。

男性からしたら、そりゃこわいし、はあ?って感じですよね。これも言われてみてはっとわかりました。道ですれちがった女に「死ねばいいのに」と思われるんですもんね。
でも私は、その道ですれちがった会ったこともない私のことを何も知らない男に、「ぶち殺すぞ、ブス」と言われました。そいつは坊主頭の高校生か大学生っぽい感じでした。その時、私は別のこと(家族のこと)でいろいろあってすごく気が立っていました、心の中が陰鬱で塞がっていました、でもすれ違った男を睨んでいたわけじゃないし、完全に無防備でした。
言われた瞬間、「あ、来た!」と思いました。なんていうか、今まで起こったことの集大成だこれは、みたいな感じがしました。で、ぱっと振り向いて、「うるっせえよ!!!!!」ってキチガイみたいな声で叫んでやりました。
そのあと、自転車で走りながら(自転車に乗ってたんです)、動悸がして、喉が震えて、泣きました。言い返したけど、怖かったし悲しかった。いつもこうだったなあ、って思いました。すいません、話が長くなります。これは、今日起こったことです。

「なんでなんでなんで?」って、いつも考えるんです。理不尽なことが起こると。
その時の相手の気持ちも、本当は考えたくもないけど、考えてしまうんです。
当然なのは、私がそこに存在しなければそれは起こらなかった、私の容姿が女として普通かそれ以上なら「それ」は起こらなかったってことです。
坊主頭の男はクズだと思います、そんなクズにぶち殺されなきゃいけないほど自分はブスじゃないと思います。でも、その時の、ありとあらゆる状況が、その坊主頭の精神状態が、私が外へ放っていたすべてのオーラが、そいつに「ぶち殺すぞ」と言わせたんです。女性に「ぶち殺すぞ」なんてすれ違いざま言われたことなんてありません。いつもいつも、そんなことをするのは男です。男性の性がそうさせるんじゃないですか?自分よりも劣っているものへ、弱いものへ、異性として自分の益が発生しない者へ。どこまでも残酷になれる。

憎しみは消えない、っていうのは、私がこれから先どんなに満ち足りた人生を送れたとしても、幸せになることがあったとしても、「ぶち殺すぞ」という言葉を、声を、あの時の目をはっと思い出しては、苦しくなって泣くんだろうなってことです。私があの時されたことをそのままそいつに仕返すのは不可能です。私にとっては大事でも、相手にとっては取るに足らないちっぽけな出来事なんです。
日々が過ぎれば過ぎるほど記憶が重くなっていく気がします。
いきなり思い出しては、発作みたいに苦しくなって泣いてしまいます。
その苦しみにどう立ち向かえばいいのか、どう打ち勝てばいいのか、わからないんです。
長々と本当にすいません。しかもkagewariさんが男性であるということを度外視して書いてます完全に。
いろんなことがあって情緒不安定すぎて、正気を保っているのが苦しいです。
(いろいろ、原因があるんですよね、私自身に)

引用なし

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理解された上であれこれと抑制が効かない状況(文章の破綻)になっている。
今回の返信の中のいくつかの文章は、ロジカルという概念で言えば「文章レベルで破綻していて」=「事実や・自我の本音、そのどちらでもない」と断言できます。
つまり、そういった認知は脳内でも認定されていないし、現実にも存在しない(本音ではない)。

■リアクション(『被(こうむる)』構造)として、そうなっているだけです。
 ↑
これ何のことか解説しますと、
ロジカルとして存在するとか、脳内で認定されるとか、本音であるとか、こういった現象は主体的に(あるいは個別に)「独立してその概念や論理を保持できるもの」です。
わかりやすいイメージで言えば『補助輪無しで走行する自転車』

しかし今回の文章の大半(概ねすべて)は自己完結性のある論旨が一つもないのです。
 ↓
>その時、私は別のこと(家族のこと)でいろいろあってすごく気が立っていました、心の中が陰鬱で塞がっていました、
>でもすれ違った男を睨んでいたわけじゃないし、完全に無防備でした。
>「うるっせえよ!!!!!」ってキチガイみたいな声で叫んでやりました。
>当然なのは、私がそこに存在しなければそれは起こらなかった、私の容姿が女として普通かそれ以上なら「それ」は起こらなかったってことです。
>男性の性がそうさせるんじゃないですか?自分よりも劣っているものへ、弱いものへ、異性として自分の益が発生しない者へ。どこまでも残酷になれる。
>憎しみは消えない、っていうのは、私がこれから先どんなに満ち足りた人生を送れたとしても、・・・
>いきなり思い出しては、発作みたいに苦しくなって泣いてしまいます。

この論旨の形を維持するための(それこそ数学的に言えば必要十分条件)前提は何か?
・自分の容姿
・男性差別
今回の文章を試しに「男性」という言語を「○国人」という言葉に置き換えてみてください。」
レイシストのいわれなき人種差別の文章そのまんまです。
つまり『論旨は同じである』
人種差別主義者の心理がルサンチマンなどを発端にする投影(本来の解決すべきストレス元は自分の側にある)であるのは言うまでもありません。
通常人種差別主義者は階層的に「貧困層」であったり、極端な民族主義者のような内面に強迫性を認めざるを得ない人格で派生します。
(リアルなナショナリストは文化的に自国の保守性を信念として重視しますが多民族を人種差別的な偏向で見ることはない)
歴史的な大問題である第二次世界大戦当時のドイツにおけるユダヤ人差別(欧州にユダヤ人差別が恒常的に存在しているのは事実ですが)これがエスカレートした背景は、当時のドイツがベルサイユ条約などの第一次世界大戦の国家賠償などで経済的に困窮状態であった事が遠因であるのは言うまでもありません。
又、米国における黒人差別で有名だったKKKは”プアホワイト”と呼ばれる階層抜きには語れない。

こういう論旨には必ず『スケープゴート』にあげられるような事件がまことしやかに広がります。

(自転車が倒れないように)論旨を維持するために(人種差別を合理的に説明する自己完結性のある論旨など存在しないので)「何かの証明」であるとか「これが証拠だ」のような”補助輪”が必要なんですよ。
(たとえは飛躍しますが、わかりやすい実例として畑違いの犯罪心理学の話から考えてみると、はた目から見てまったく動機不明の不特定多数の他者に傷害を負わせる通り魔的犯行もほぼ100%が内面に元となる動機が別個にあって、犯行動機はその投影に過ぎないため(それを現実の犯行に及ぶ決断をするという部分は犯罪者特有の心理で行為に及ぶ分は強迫とは関係ありません)、犯人自身も後から「どうしてそういい犯行を犯したのかはっきりと動機がわからなかったりする」=それはあたりまえです。不特定多数の人物に傷害目的の動機が成立するなんて世界は人類のどこにも存在しません。こういう場合に最も多く聞かれる証言「○○なら誰でもよかった」はその動機が投影現象に過ぎない証明です。「○○なら誰でもよかった」の○○は、時に『男性』だったり時に『女性』だったり時に『子供』だったり時に『○国人』だったり本当に『誰でもよかったり』様々です)

奇しくも今回登場するエピソードは、かなり高い確率で前回私が「容姿の悪さ」などの事実関係を何か自分が発言するロジックの前提として証明する事は構造的に不可能であることを証明したからですよ。
つまり「容姿の問題と男性」という強迫的幻想は非常に不安定になり、論旨自体を維持するのが難しくなった。

困った強迫心理には、それ(容姿で話を構成できなくなる不安)を補完するために「これが証拠だ」なるエピソードで意地でも「容姿の問題と男性」という強迫的幻想を保守しようとそれを衝動化する動機があります。


■思うに上記の「困った」という部分が一番理解難しいところなので補足しますが、
 ↓
脳内では快でも不快そのどちらでも『興奮は100%快感分類』なんです。
当然それが恒常的に続いたり慢性化すれば”快感依存”になります、
(万引きを繰り返したり、アル中になったり、性依存症や当事者には一時的にも不快という依存症は枚挙にいとまがありません)
卑近な例ですが性倒錯におけるSMであったり、一般的にはジェットコースターやホラー映画もその外郭にあります。
私は脳生理学方面の専門じゃありませんが、脳内快感物質(脳内麻薬でもいいですよ)のひとつであるドパミンは快感物質ですが暴力的衝動時にも分泌するなど(大ヒットする映画の何大要素みたいに思い出してくれれば簡単『性・暴力・スリルとサスペンス』)、強い興奮とその代謝は端的に言えば『快感経験』であり、脳の役割として快感記憶の再獲得が求められますから(動物における本能のコアのレベル)それが習慣化すると一種の依存症になります。
(見方を変えれば鬱病も一種の依存症なんです。他にも自傷や自殺衝動の反復など全てその類型といってもいい)


『性の拒絶による轟轟とした憎悪のような興奮』
 ↑
これは性行為(広義の性衝動なのでこれはダイレクトにSEXの意味ではありません”着飾る”や”男性の出世”なども含む文化全般に至る性衝動と考えてください)の代償満足として対比関係を構成しているんですよ。
(動物としての性衝動を『心理的性の嫌悪』により抑圧していますから、自我はバランスを取るために『男性への敵意や嫌悪や殺人衝動』などによりこれを代償満足の形で代替している。しかし、性衝動のような現実世界では無く一度内向へ抑圧された衝動は反動であるとか強迫特有の誇大・肥大などのバランス係数をへて極大化し(正面にある本質的行為が抑圧されて別の行為による代替なので極端じゃないと交換できない「アイスクリームがダメならお菓子を100袋買ってこい!」)自我のバランスを取っているが、極端な興奮は過剰な快感依存ともなりこの興奮獲得が恒常化・慢性化する)
 ↓
「男は皆死んでしまえばいい」

近代における米国南部における”プアホワイト(荘園の黒人より食えない貧農層などが実在したんです)”が、
「黒人は皆殺しにすべきだ」

現象・構造としてどういう二次的派生心理かわかりますよね?
上記は両者ともに本音ではありません。


■次に『無意識』と『自意識の抑圧』を理解してください。

知らない間に何かしているときに
「○○さん何してんの?」
「えっ?」
と、驚く時に
「無意識にやっちゃった」
という場面ありますね。
(厳密に言えば錯誤行為みたいなものなんですが)

簡単なモデルですがここに「無自覚にロジカルで知的な行為が、まったく知らないところで行為化される」事が証明されます。
(その極端な例が伝統的心理学におけるフロイドの夢分析になります)
極端に言えば自意識が抑圧されている状態は極度に集中力が低下している状態と同じです。
(今何をしているのかも自覚が無いレベル)

そして、
>その時、私は別のこと(家族のこと)でいろいろあってすごく気が立っていました、心の中が陰鬱で塞がっていました、
この状態の興奮レベルは、ヤケ酒で強い酒を飲み酩酊状態とかなり近いレベルに自意識は後退(抑圧)していると見ても大外れじゃありません。
ご自身それを証明しています。
 ↓
>完全に無防備でした。
=「完全に無意識で(自意識が抑圧されていて)はっきりいって自分が何をしているのかもはっきりわからないぐらい私は動揺しており」

この場合ですね、
 ↓
>でもすれ違った男を睨んでいたわけじゃないし
この記憶が100%正確では無いことが証明されているんです。

家族の問題等での憎悪や興奮は(無意識に)ほぼ間違い無く顔に出ていたでしょう、
且、常々家族に起因する心理問題が内向世界で変質し『男性』へ投影固着している人物が、
(しかもそれを証明する理由として「容姿」を振りかざしていたが、よく考えると「自分の容姿が悪いことは証明できない」と説明うけたばかりでその根拠は不安定になっているときに)
男性とすれ違った、
そこで同時に何か無意識に独り言でも言っていたとしたら?

同様のケースを私は枚挙にいとまがないぐらい知っていますが、
100人が100人「チラっと見ただけで、誰もジロジロなんか見ていない」という証言のほぼ100%は周囲が呆れるぐらいジロジロ見ているのであって、
『性への嫌悪』を抱える女性の一部には性的暴力の被害者に「無意識に全く自覚なく」自ら確率の高い選択をしたり、
特にDVの大半は暴力を受ける女性の側にも強迫心理が関係します(父親に対するコンプレックスなど)、
(DVの被害が拡大するまでなかなか離婚が選択されないのはそれが理由:共依存の一種だからです)


『本当に被害にあったじゃないか!もう証明の必要のない間違い無い証拠だ』
(しかしそれが男性全般を殺戮してもいい理由では到底ない事は説明の必要ありません)
心理的には、この補助輪があれば(少々「容姿の証明が揺らいでも」)十分男性への憎悪や殺意を構成できるんです。
(脳内は現実では無いですから)

又、容姿で証拠を固めようとする場合があります。
>私は容姿をあまり着飾らないので、
この状態はそれが暗示されているだけですが、
拒食症による異常な痩身や、
過食症が関係する極端な肥満。
このように容姿を(心理的興奮の証拠を固めるため)健康を害するレベルまで貶める場合も少なくないのはご存知でしょう。

拒食や過食の場合でも(社会との関係であるボーダーではありませんが)男女関係などの境界における問題として発現することが多いって流れに関してあえて説明しなくても理解いただけると思います。


■繰り返しますが
今回の返信の中のいくつかの文章は、ロジカルという概念で言えば「文章レベルで破綻していて」=「事実や・自我の本音、そのどちらでもない」と断言できます。

個別に話し出すときりがないので、
典型的な箇所で証明しましょう。
(同様の矛盾は各所で散見され、結論日本語の形になってますが実は全て意味を成していないって話に繋がるんです)
>男でも女でもないただの弱い生き物に見えるんだと思います。
 ↑
この状況の人物に男性が興味もつ筈無いですよ。
(心理的にも穏やかで何の気配も表に出していなければ存在すら確認されないでしょう)
簡単ですよ、
男性は女性に惹かれるのであって(そのキャッチコピーのひとつがセクシーで美しい)、そもそも人類が歴史的に女性が女性らしい容姿に変形し(他のサルと比べてくださいよこれほど雌雄で外見上の差異があるのは派手な容姿で繁殖原則を構成する鳥類の一部ぐらいです)、さらに化粧をすることで、男性を自然界では到底不可能な労役に付かせたんですよ?
(動物の本能には自分が死ぬかも知れない戦争や家族全員が食えるような労働を継続したり住宅ローンを支払い続ける行動原則など存在しない)
原始時代のその原型が進化して広義の文化として現代の人類もその系譜にある。

イスラム教で女性全員に外出時にヴェールを被り容姿を見せないようにしているのは「男性を守るため」です。

根本的矛盾は
>男でも女でもないただの弱い生き物に見えるんだと思います。
>たとえば、私が整形して着飾って「女」になったら、寄って来る男がいるかもしれません、でも私はそれが気持ち悪いです。
そして現状男性への憎悪や殺意がある。

おかしいと思いませんか?
この心理状態が成立するためには、
理由はどうあれ)男性全員は私が歩けば皆振り返り・・・
とならないと対象が男性全般って話の定義は成立しません。
心理の根っこが”性への拒絶”や”性への嫌悪”であるため、結果論的に対象が男性全般になるんですが、
容姿はともあれ「男性の側を性悪説として成立させるロジック」が自分固有の容姿(いい悪いどちらでも)になると、これ発端や前提を自分を中心にしなければならず(いい悪いどちらで)、
『私の○○が○○だから、男性全員は○○だ』
○○の内容が何であれナルチシズムである事わかりますよね。
いい悪いどちらであってもこういう構造そのものが”自己中心型”で”強迫性特権階級意識”となります。

まったく自分でも思ってもみないロジックに完全に陥ってしまっています。

参考までに「容姿がいい」方を強迫の梃子にして『男性全般を蔑視』状況を成立させる女性の場合「自分は何もしていない」「人間関係を円滑にさせるために善意で話かけただけ」と発言しますが、き取り調査するとほぼ100%「一般常識では明らかに自分から男性を誘惑」していて(これは共同幻想社会にバレバレ、というか”目にあまるぐらい”明快)、実態は自分から男性を過剰に誘惑して(本人は自意識抑圧でまったく自覚がない:記憶がないレベル)、男性といえば色恋沙汰となり⇒待ってましたとばかり『男性は汚い女性を性の道具にしか思っていない』という構造で『男性全般を蔑視』状況を成立させるケースも珍しくありません。
(性依存症であるとか、不倫関係以外の男性関係が無いなど様々なパターンあります)
上記の様に『容姿』に関しては、着目いいでも悪いでも同じ『男性全般を蔑視』状況が成立するのは『性の拒絶や性の嫌悪』の反動や投影的発現として典型的なパターンです。

勿論問題は自分自身の『性の拒絶や性の嫌悪』であり、二次派生の男性云々は全て派生的幻想で全く意味が無い。
『性の拒絶や性の嫌悪』があるのは、大人になることへの拒絶で、自分が誰かの子供であり続ける事への強迫的執着(激しい不快興奮や強い快感依存的など”不快パターンでも快パターンでも”そのどちらでもあり得る)であるとか、自我が『現実世界』である「時間の経過(大人の年齢)」を拒絶し、内向(自意識抑圧)自我が無意識的幻想寄りの現実との乖離に陥っている証明です。


>私は容姿をあまり着飾らないので、
 ↑
これはですね、現実化を避けているんですよ。
果たして着飾ったらどれぐらいの男性が私に興味をもつだろう。
に比べて、何故か「私は容姿をあまり着飾らない」とすると、
不思議と
男性全てが私をって話が始まり、、


仮にですよ?
彼を睨み付けた時(本人の自覚は視界に入っただけ現実は睨み付け)の状況が、
「汚い男性め!私を犯したくってしょうが無いんだろう、このブタが。男性は全員ブタだ死ねばいいのに」
こういう心理が無意識に顔に出ていたら?
男性から見れば、
「(着飾らないので男でも女でもない容姿を意図的にしている人物に)そもそも100%あるワケないだろ、うんで、その上何言ってんだあんた。すれ違っただけの人間になんてこと言うんだよおい、それは明快な侮辱であるだけで無く喧嘩売っているより悪質だろ」
だとしたら?
>「ぶち殺すぞ、ブス」
この言葉もどこまで正確かは推定の範囲内ですが、
そもままの文言だと仮定して解釈すると、
「男でも女でもない容姿の人物相手に俺が無我夢中で追い回すとかってあるワケ無いだろ(俺が幼児性愛偏向倒錯の所謂変態って意味かよ)、いかにもそれが男性的ってさ、ってことはあんたは自分で私は女性としてどんな男性も無我夢中って意味になるのわかってる?おかしーーだろおい。だって”ブス”だろ(男性は”無我夢中”がトンデモ級の言いがかりだって意味ですよ)。しかも赤の他人に死ねばいい最悪だってあんたさ、どういう喧嘩の売り方なんだ(あんたの殺意が明快なので殺される前に)ぶち殺すぞお前。」

ということですよ。

■根本的なところは本来上記の説明は必要ないぐらい明白で、
以下を繋げてみれば簡単です。
>男でも女でもないただの弱い生き物に見えるんだと思います。
=『子供』
私にやたらと関わってくる(家族)
そして思春期に発現する『性への拒絶』は「反抗期の不全」であり=親子関係における強迫心理の証明である。

つまりこの憎悪の元は、母親か父親のどちらかとhakoさんの間のエディプス的な強迫心理が本質で、男性がどうしたこうしたってのは派生的な物語に過ぎないって事です(本質的な問題から自我が逃げるための幻想)。
注)女性全般を女性がヘイトする形の心理に陥るケースもあり”性への嫌悪”出現の形も様々ですから、hakoさんの状況が現在男性ヘイトだから単純に発端が父親との関係であるかのように早合点するのは間違いです。ここは詳細に考えないといけない部分なので(又同様のケースは何らかの形で夫婦そのものの共依存関係が成立している場合も多い)。


■ご自身自分では気がつていないしょうけれど(目の端っこに薄っすら見えている程度かもしれません)
上記私が説明した事は『おおよそhakoさんは承知』していて、
実は説明の必要の無い話なんですよ。

今回唯一有効な破綻していない文章があります、
以下の2行の文章です。
(端的に言えば返信は以下の2行だけでよかったんですよ)
 ↓
>いろんなことがあって情緒不安定すぎて、正気を保っているのが苦しいです。
>(いろいろ、原因があるんですよね、私自身に)

hakoさん自身それ(前段の私の説明)を薄々わかってたってことです。
(だから上記の2行がある)
ここが全ての問題のコアです。

引用なし

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お礼を言うのが遅くなりましたが、返信ありがとうございました。
自分が、無意識に或いは意識的に、異性に敵意を撒き散らしているんだなってことがわかりました。自意識過剰で、「(ブスなのに)自分が無条件に良く見られたい」ってどこかで思ってるんだと思います。そんな自分がすごい恥ずかしいです。
あれから、男性とすれ違う時は、注意しています。また何か言われたらどうしようってびくびくする時もありますが、kagewariさんにはっきり言ってもらえたことで、ずっと自分の中でしか問答できなかったことに、ひとつ区切りをつけることができました。ありがとうございました。

そして、kagewariさんの言う、

私にやたらと関わってくる(家族)
> そして思春期に発現する『性への拒絶』は「反抗期の不全」であり=親子関係における強迫心理の証明である。

に関して、すごく思うところがあり、今回また相談させてもらいたいです。

自分で考えてみて思い至ったのは、「私は母親以外の人間には誰からも愛されないかもしれない」っていう恐怖があるんです。
kagewariさんの分析に当てはめていくと、上記の恐怖(不安)を「やっぱりそうだろう」って何がなんでも実証したいがために、醜形恐怖だとか、異性が憎いとか、人間不信だとか、何をやっても結局うまくいかないんじゃないか、とかそういうことを思ってしまうんじゃないか。「ほら、お前は結局誰からも愛されない、何もうまくいかない、結局母親以外お前をかまってくれる人はいないんだ」って感じに。
母に対しては、とてもひと言で言えない複雑な感情があります。
母親として、これ以上無いって程お世話になった(高校生〜21歳くらいがピークでした。醜い自分への整理できない感情と、それに付随する色々な出来事で荒れていました)、どんな醜態をさらしても見捨てずにいてくれた、って感謝している反面、すごく嫌だなって思う時があります。感謝して申し訳ないって頭では思っていても、会うと横柄な態度をとってしまったり、話していてイライラしたり。あと、依存するのがすごく怖いです。
4年くらい前、一人じゃなにもできない(くせに横暴)な自分が嫌で嫌で、実家の一駅先に部屋を借りて一人暮らしを始めました。母と同居していたときは衝突が絶えなかったし、上記の「母親以外からは誰からも愛されない」をどうにか払拭したかったんだと思います。
「家族(母親)には頼りたくない、母はいつか死んでしまう、一人でも生きていけるようにならなきゃダメだ」って強迫のように思って、不自然に関わりを無くそうとしていました。
でも心はいつも不安定でした。母と関わっても、関わってなくても、問題や不安や自己嫌悪は際限なくやってくるし、騒音トラブルと近隣恐怖が2件続いたことで神経もまいってきて、一人でいると過去のトラウマもよみがえるし、死にたいとよく思うようになりました。今はだいぶ落ち着いていますが。

母とは普通に接したいんです。でも、今もなかなかできません。性格も趣味もまったく違うし、私の精神的なことは、理解できないんだろうって思います。表面上は、私のことが心配とか、やっぱり可愛い、とか言うけど、こっちから何か真面目に話そうとすると「なんでそういうこと言うの?」とか、「そんなの当たり前じゃん」的なことを即言われたり。「なんでこの人はこういう風に言うんだろう…言いたいことが伝わらない、話ができない」ってずっと思ってきました。ふとした瞬間にすごくイライラして何も話したくなってしまう。昔みたいに横柄な態度を取りそうになってしまう。
私が調子がいい時に母の具合が悪かったり、母が何かしようって言った時私が鬱の真っ最中だったり、状況が合わないんです。こうしよう、ああしようって思っていても、うまくいかないんです。
でも母は「家族だから、たった一人の子供だから」って言葉を掲げてくる。
なんでこんなにも母親に対して色々思っちゃうのかわかりません。
性格が合わないなら合わないで、それはしかたないことなのに。

私には姉が一人いますが、姉は私と違って社交的で友達も多く、母親や家族(私)に対して執着していないように思います。もしかしたら不満もあるのかもしれないけど、絶対に口に出さないって感じです。大人なんです。私が、思春期にあまりにも横柄な人間だったからか、「もうあきらめた」って思ってるようにも思えます。姉とは数年ほとんど口をきいていません。姉とのことも悩みです。

なんで普通のことが普通にできないんだろうって思います。
普通は、家族と(気があわなくても)それなりに折り合いをつけてやっていくものだろうし、普通は、近所の人とも普通に接することができるだろうし(私は近所の人が怖くて、挨拶が苦手です。「あそこの家の駄目な子供だ」って疎まれてる気がして。自分でも異常なくらいだと思います。克服したいです)、でも私は、やらなきゃやらなきゃって思ってやっとできる(もしくは思ってもできない)って感じです。

家族や近所のこととなると感情がコントロールできなくなります。理性をどんなにかたく持っていても、逆らえないんじゃないか、この「うまくいかなさ」に呑み込まれるんじゃないか、って怖くなります。不安でしかたないんです。

今、金銭的な理由と、どっちにいても精神が不安定なら戻ったほうがいい、という理由で、実家に戻ろうとしています。
でもまたうまくいかないんじゃないか…と恐怖にかられます。
思ってると実現してしまうような気がするので、恐怖を掘り下げて考えないようにはしていますが。

家族とのコミュニケーションと近所付き合いをうまくやっていくには、どうすればいいでしょうか?不安なことは深く考えないほうがいいんでしょうか?
長くなって申し訳ありません。
アドバイスがあれば、教えてください。

引用なし

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公開掲示板での返信には外郭的となる限界ありますので、
そこを前提に以下読んでください。

■今回のレスはかなりショッキングな内容となっているかもしれません。
■必ずある程度心理的に平静で余裕のある時に読んでください

又、記載内容の表面的部分で自我が興奮して内容を判断できなくなる可能性もありますから、
十分に繰り返し「底に書かれている内容」を読み取ってください。
直線的な意味以外の”関連性”や”関係性”ここが重要です。

それから以下を読んで、急いであれこれ考えないでください。
推理小説のように緻密に、冷静に「何がどうなってこうだっかかも」と辿るように考えましょう。
その先の結論は簡単にすぐわかるような場所にはありませんから、
読んだ後、その直後に考えても「何も結論は得られない」ぐらいのテンションを保つ事。

又、抑圧された記憶が時間経過の中で解除される(何か思い出したみたいな)事もあります、
ですから「とにかく結論を急がないで遺跡発掘ぐらいの時間的スパンで考える」、

以上条件を十分徹底の上、以下読み進んでください。


(あえて行間空けます)


<本題>
さて、話のメインはここですね。
>「私は母親以外の人間には誰からも愛されないかもしれない」っていう恐怖があるんです。

恐らく100%この話がボタンの掛け違いの始まりだろうと、
現実は『逆さま』だと高度の確率で推定できます。
 ↓
「人を愛するなどの感覚(自立する大人でしか共有できないので)が欠落している人物の代表格が母親」だからです。

で、
強迫心理のコアは(幼児期にも母親の言動の異常さに薄々気が付いていたのに)
母親との共依存関係(互いの強迫心理を担保にする相保障みたいな多重債務関係)への固着が強迫心理のコアで、
「同一化」とかで表現される事もある依存関係が成立してるため⇒その条件が成立するためには常に自分は”子供”でなければならないため、母親との共依存関係を強迫的に肯定するために全てが順番に並んでいる。
(絶対条件のような強度優先順位が『母親との共依存関係』となっている)

これを肯定するために「全ての男性社会への殺人衝動」が二次派生している。
そんぐらい(矛盾や無理難題が噴き出すほど)この『母親との共依存関係は歪に偏向している』って事です。
(それを正当化すると自動的に男性社会全体をヘイトする事になるレベルって事です)

「結局母親以外お前をかまってくれる人はいないんだ」と強引にこれを成立するために
 ↓
『醜形恐怖症』が必要とされた(或いは呼び出された)

ほぼ100%hakoさんの”段階的本音”(強迫心理の解体過程の中間状態って意味で”本当の本音”じゃありませんよ)は、
「死ねばいいと思っているのは男性では無く母親」ですよ。
>すごく嫌だなって思う時があります。
 ↑
こっちが本音


母親との決して離れない関係を無理くり肯定するために、子供が自分の個体自立を犠牲にして『母子一体』の強迫心理を捏造した。
こういうケースの主犯(これいい悪いって意味では無く関係性の意味ですよ)は”母親”でしょうね。

犯行の手法は以下
娘を醜い子だとその評価を間接的に定着させ、社会と娘が自立的関係を築く(=自分から離れる)事を恐怖し、特に性的自立により自然に娘が大人の年齢になって自分の手元から離れる事を避けるため、人間の外見ってものはどういうものでとかの人生訓を語るのと反対に「外見に悩む娘を庇う」という巧妙な手法で外見恐怖を正当化し(実はお前の外見は醜いと言っているのは母親である)、20の年齢の超えても尚『過干渉』という『虐待関係』を成立させ、娘は自分自身の性的自立(年齢)すら外見恐怖の中に織り込むほど(性差が目立たない=子供のような服装)自意識や自我の発育を『抑圧(弾圧)』し、押し込まれた生への欲求(生きるモチベーション)は閉塞状態となり(簡単に言えば便秘)、その反動で(抑圧されている部分を被害と計算してそれに応分に敵うような弁済として)「男性社会全員が死ねばいい」という偏向に至る。

※男性社会全員が死ねばいいこれの暗韻は=「世界が自分と母親だけになればいい」

ところが決定的な論理矛盾は、
男性社会全員を殺すと、自分の『醜形恐怖症』の根拠を喪失します。
つまり母親に庇ってもらう必要が無くなってしまう。
(簡単に言えば「ド・ナンセンス」)
「狼がくるぞ」
こういうデマを飛ばしている首謀者は「ほぼ間違いなく母親」でしょう。


母親は『自分自身(母親)の不安や強迫から逃れるために子供との依存関係を必要とし』
子供を自分の強迫心理正当化の道具として”取り込んだ”(憑りついた)。
■当然強迫心理ですから「自分が何をしでかしているのか」母親にもわからんのですよ、
無意識にこういう母親像でここまで彼女はきてしまったんです。

>でも母は「家族だから、たった一人の子供だから」って言葉を掲げてくる。
 ↑
典型的な「嘘っぱち」です。
(しかし彼女(母親)は心理的に全く自分の嘘(欺瞞)に自分でも気が付いていない)

>私には姉が一人いますが、姉は私と違って社交的で友達も多く、母親や家族(私)に対して執着していないように思います。もしかしたら不満もあるのかもしれないけど、絶対に口に出さないって感じです。
 ↓
傍目から見ていて、
「これはマズイ私は逃げよう」と彼女なりに直観したのでしょう。

>今、金銭的な理由と、どっちにいても精神が不安定なら戻ったほうがいい、という理由で、実家に戻ろうとしています。

これはお勧めしませんね、
断固一人暮らしを続けるべきです。
所得的に困るようなら地方自治体の福祉相談窓口に相談してください。
(福祉請求のアリバイ的に心療内科や精神科に一度通って診察カード作る方が何かと安心かもしれません)


母親の人格にどういう(彼女なりの)問題があったのか?
それは彼女(母親)の子供時代の情報や特に彼女(母親)の夫婦関係の情報が必要になります。
(男性蔑視の元ネタは彼女(母親)の深層心理になるのじゃないでしょうか)
個人を特定するプライバシーに及ぶ部分もあるので、有料メール以外ではこれ以上は難しいのですが、
表現として間接的というか、個人を特定されないように上記情報があればその先も「ある程度まで」ですが分析可能です。

彼女(母親)の人生には”何かが”ある筈です。
そして今回の返信にも何故か登場しない”父親”、
今後はあまり自分の事を考えずに、
「問題を抱えつつここまできてしまったある夫婦の物語(サーガ)」
ここに集中して自意識マター(自発的自立的思考)を投入していけば心理的フェーズが変わると思います。

引用なし

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お久しぶりです。お礼が遅くなり、すみませんでした。本当にありがとうございました。
数ヶ月間、kagewariさんにいただいた返事を読んで、ずっと考えていました。

kagewariさんに言われた「死ねばいいと思っているのは母親」、ってところで
最初すごいビクっとしました。
考えていくうちに、そのひとつのピースがはまったことで、わけわからなかったことが
少しわかったというか、それを認めたら、今まで死にたい死にたいって発作のように
苦しくなっていた原因のひとつがわかったような気がしました。
「私は母親のことを死ねばいいと思っているような人間」だから、「死にたい」です。そうなってたんです、多分。
母親のことを死ねと思う自分なんて死ねってことですね。そういう自分を認められないし意識すらできないからわかんなくてただ苦しかったんです。
意識したことで、少しだけ、パニックに対して耐性がついたような気がします。
でも精神の波がすごくて、死ねばいいって思ってると思ったとたんに、「殺したい」とか
も出てきます。負の感情にとりつかれて頭の中に殺されそうな時があります。
ふっとスイッチが入っちゃって、「あーまたきた…」ってなります。今は普通なのでその時のことをうまく言えません。
自分の中にある無意識の脅迫を、意識化して整頓していけば、パニックに陥った時に
対抗できるんでしょうか?

自分の中で膨大ないろいろなことがねじれていて、そのことで自分が苦しんでるって
わかるんですが…ねじれすぎててどこから手をつけていいやらって感じです。

なんなんだろう、結局は私一人がねじれてるだけかも、って思うんですよね。
ねじれすぎてて、あれもこれもあーあれもだ、って過去の記憶がよみがえって、最終的に、
私さえいなければこんな感情は生まれなかった、最初からいなければよかったって。
で、それがそのまま私の中の母の意識にかぶさります。
それが、強烈な被害者意識になって、母に対する反発心になってます。
この人には自分から何かしたいと思えないって思うことで、母の意識(お前なんて別にいなくてもよかったのに)に対抗しようとします。
もちろんそんなこと母にはいえないし、本当はどうなのかもわからない。
もし母が本当の本当はそう思ってたとしても、「慈愛に満ちた母親役」を捨てない限り、彼女は認めないでしょうし。
そしてそんな愛憎ごっこを繰り返すのは嫌です。(冷静な自分は、そんなの時間のムダだ、前に進めって言ってる)
私が子供の自分を捨てれば、普通の娘役を演じることができればいいんでしょうけど、
むずかしいです。
言えないことが言えないまま溜まっていって、どこにも行けない時はどうすればいいんでしょうか。

悲しいことや、楽しいことや、その日あったこと、普通に言いたかったんです。普通に言えたらこんなふうに抱えることはなかった。
でもできない、絶対にできないってわかります。なんでできないんでしょう。
虐待されたわけじゃないし、ひどいことを言われるわけじゃない、でも私は母を死ねって
思います。こんなこと誰にも理解されないと思います。共感なんてしてもらえないし、説明もできない。

「醜さ」が重なってきます。自分の醜さに死ねって思うのと同じように私は母親に死ねって思います。どうしてこんな醜く生んだの、っていう意味じゃなくて、もっと根本的に、
「生まれなければ」って思ってしまう。
いやなことがあると全部「生まれなければ」に思考をつないでしまう。

先日、母親に、母親の家族のことを聞いてみました。「何かある」のは確かだと思います。
母も母でうまくいってないんです。
でも、深く理解したいとは思えません。正直深入りしたくありません。
客観的に母のことを見たら、私は母に同情してしまうだけだと思います。
これ以上母をかわいそうって思ってしまったら、断ち切れなくなります。
私が母についていろいろ考えるようには、母は私にたいして感情を持ってないですし。
(なのに母と娘の交流を迫ってくる…断れない。嫌だなーと思いつつ接し、また自己嫌悪)

父親に対しても(父と母の関係についても)、いろいろ思うことはあるんですが、話すとまた長くなってしまうので。

自分がなんかものすごい罪をしょってるみたいな気分なんですよね、ここ数年。罪悪感と、被害者意識がものすごいです。重苦しい。
いい加減、自分を解放してやりたいです。

やっぱりまとまりがない内容になってしまいました。すいません。
でもこうやって自分のことを話せて、聞いてもらえる場所があることに、救われます。

引用なし

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重要な勘違いはココ
 ↓
>「私は母親のことを死ねばいいと思っているような人間」だから、「死にたい」です。そうなってたんです、多分。
>母親のことを死ねと思う自分なんて死ねってことですね。

いえいえここの始まりの部分だけは全然違ってます(180度級に)。

順番を追って考えていけばそう難しい構造では無い。
1)情報的に公開掲示板上では推論の域を出ませんが”仮説”として、一義的にこの物語の発端は『母親の人格上の問題である』。

2)幼児期にhakoさんは、その(母親の)何かに気が付いたが(乳幼児が母親との間で致命的に関係がこじれたらマジに死を意味しますから)、生存本能としても強引にその違和感を合理化し「否が応でも母親との関係を優先させる事実認定を行った」←この段階で現実から乖離(母親の人格を疑問視するのが正解ですが、それはなかなな乳幼児の判断可能な幅に含まれない)、現実から乖離し『結果論として絶対母親を肯定してしまうようなロジック』を自我に組み込んでしまった。
(つまり「極端に無理のある母親の肯定と依存」この認識の歪み(誤解)が2次派生として関係の無い男性社会全般への殺意に表面化していた:火山の噴火口を強引に塞いだら関係無い場所でマグマがあふれ出たみたいな話です。)

3)心理的な問題は「時制のズレ」である。
実年齢は20歳過ぎている(親が誰だの普段考えない年齢です)のに、母子関係などを意識してしまう(=内面に幼児人格がある)、

4)脳内で時制のズレがある=自分の脳内では「今でも6歳のままの自分」が”フラッシュバック”している。

5)話はここで一巡し→『乳幼児が母親との間で致命的に関係がこじれたらマジに死を意味しますから』
実年齢は20歳過ぎている人物ならごく一般的な「自分が大人の年齢になる(=少年は男性へ少女は女性へ)」のような自立独立が”非現実”でえあるかのような錯覚(脳内では6歳がフラッシュバックしてますから)となり、
 ↓
公共事業で飯食っている中小零細建築会社が、
「親会社である大手ゼネコンとの関係が切れたら死ぬしかないと思い詰めるように」、
(もう説明しなくても意味わかりますよね)
母親との関係やら依存やらの不快がある時、脳内に幼児期の自分が”フラッシュバック”しているって事で←これはまったく誤解です。現年齢は全然違うのですからね。
(もう談合の時代じゃないし、そういう不正が残る方がおかしくて、中小零細も親会社からの発注だけ受けるのでなく時代は平成なんですから、自主独立の立場で自分でマーケットにアクセスする方向を考えるのが”現実”です。)

内面の情動を言語化する時に「死にたい」という言葉を選んでしまう誤認(現実との乖離)のキモは、

『癒着と談合』→家族社会で言えば『依存と内向』です。

※前述の”フラッシュバック”を私は現象として”ノスタルジー”と呼んでます(語彙的には微妙に違ってますが)。
一種の錯覚です。(現実には存在しない事象ですから)条件反射とは微妙に違っていて、トラウマ論で説明した方がわかりやすいでしょう。
あるホラー映画を観て凄く怖かったとします。そして、その映画に登場したシーンと同じ日常生活の場面で”映画の途中で感じた恐怖感が再現する”ような錯覚です。(そもそも映画で感じた恐怖感は事実から乖離したお話での恐怖なのにこれが実生活で再現される事が”可能性としてあり得る”ところがポイントです←発端となる事実関係が存在しないという意味ではありません。幼児が見て怖いと思うものと成人が見て怖いと思うものは違いますよね、それだけでも幼児心理が仮に継続しているとした場合、現実認知があれれも無い方向に行っちゃうことは想像できるでしょう。)

※又依存性の部分を補足すると、まさにそれは『中毒』と同じですから、副作用で気持ち悪くもなり二日酔いも酷い『家族社会酒の悪酔い』なるものを幼児期に飲んでしまい、この行為が内向性により構造的に解消されない場合(端的に言えば外の世界に流通しているカフェオレであるとか煎茶であるとか20歳超えてから飲むリアルのアルコールなどに志向が向かわないというような『内向性抑圧』←勿論これは広い意味で見れば外の社会に対して自立独立の立場で個人で関心をもって外交的に活動する事が総和的に抑圧されているって事です)、その内向性により構造化=『家族社会酒の悪酔い』を依存的に継続反復する事になり→その『家族社会酒の悪酔い』下でアルコール中毒となり、切れると禁断症状出ると考えればわかりやすいかと思います。

起きている現象は”個別”に見ていけば全て心理学的に説明がつくことで、これを渦中で混乱中の主観で見てしまうと「誤解が誤解を生む」ようにややこやしい誤解になってしまうワケです。(一種の複合でありコンプレックスでありルサンチマンである)

■そもそもこういうような家族社会のメンタルな問題を発現している組織は既に破綻しており(家族は下手すると夫婦が結婚した時から破綻していたのかもしれない)”彼女”を「部長や取締役」のようなタイトルで「母親」と認識すること自体本来無理があるんです。
彼女を「独立しているひとりの女性」として見ていかないと(母親と認知した瞬間フラグが立って強迫的思考にのまれます)ジャーナリスティクに事実関係を確認できないでしょう。
 ↑
あくまでも推論の範囲ですが、
今現在hakoさんの中で記憶だと思っている事実関係の正確性は「著しく確度が低い」って事です。
(ジャーナリストの報道では無く、興奮した関係者の多分に誤解を含む偏向的事実認定)
おそらく「母親の人物像」「父親の人物像」「(家族問題かから一歩身を引くことに成功したと推定される)姉の人物像」これらは”ほとんど事実と違っている”筈です。

ボタンの掛け違いですよ、
(第二次世界大戦を”侵略国日本”を発端に分析するのと、”帝国主義時代のアジアの小国”を発端に分析するのと、”米国のモンロー主義と覇権主義の相克”を発端に分析するのと、結果に対する見方は大幅に違う)

自分の記憶も不確かな「幼児期」に、無理のある事実認定をしたのじゃないか?
(母親の無条件肯定など)

>そういう自分を認められないし意識すらできないからわかんなくてただ苦しかったんです。
ここで言うべき「そういう自分」というのは、
事実関係をありのままに認知・認識できなかった自分の苦しい立場(その後現実社会への認知がえらいことになってしまうワケで)を意識してやらんと、本当に私には幼児期があったのだろうかという『記憶の証明』すら怪しくなるって事です。
(捏造された歴史を信じてしまったら→存在証明そのものが捏造になってしまう。)


>自分の中にある無意識の脅迫を、意識化して整頓していけば、パニックに陥った時に対抗できるんでしょうか?
できます。
それは「誤解」だからです。
大雑把に言えば、
「その不安(パニック)は、自分を3歳児だと勘違いしている自分が3歳児の迷子の幼児が感じる不安を再現しているからである」
(あえて乱暴な誇張加えて説明しますと、無意識に「いい歳して赤ちゃんの衣装着てオムツプレイに興奮している自分の姿」が見えたらですね、アチャーっと思うでしょう誰だって。個人的趣向でオムツプレイ愛好家ならこれ話別ですが、)

鏡を見ればどんだけ無理しても「映っているのは3歳児では無い」ですからね。
ここで相談当初の『醜形恐怖症』と話が重要にリンクしいてることわかりますよね?
「その鏡には年相応の女性が映ってちゃマズイ」んですよ。
大人の女性としての自分を拒絶し(内面の3歳児が私こそ本当の自分で在ると主張し母親を探せと命令する)。
「自分の内面の3歳児の自分という幻影」←こいつが強迫心理のロジックです。
(前述の話から関連させれば→『家族社会酒の悪酔いの味』が(フラグとなって)「3歳児の苦悩」という映画を呼び出している(リンク))

何故こんな自分にとって何の得も無い矛盾した現象がおきるのかと言えば、
ここに戻る。
 ↓
ボタンの掛け違いですよ、
(第二次世界大戦を”侵略国日本”を発端に分析するのと、”帝国主義時代のアジアの小国”を発端に分析するのと、”米国のモンロー主義と覇権主義の相克”を発端に分析するのと、結果に対する見方は大幅に違う)
 ↓
順番を追って考えていけばそう難しい構造では無い。
1)情報的に公開掲示板上では推論の域を出ませんが”仮説”として、一義的にこの物語の発端は『母親の人格上の問題である』。

この最初のボタンを「幼児の自分がかわいくないからである」などようなとてつもない飛躍の中で(勿論何故そんな事が起きるのかと言えば無条件に母親の人格を肯定するためです)、その後の歴史(現実認知)が全部”現実から乖離”してしまい「あっちの世界の話」みたいになってしまっているって事です。

所謂世界史やる時に”自虐的大日本帝国悪質史観”に立ってしまった結果、なんとかおおよそその後の日本の歴史は強引なこじつけでも何でも説明可能だが、世界史の中でそれを説明しようとすると”矛盾だらけで”全く説明がつかなくなり、説明に困って「こうなったら日本なんか無くなればいいのだ」のような意味不明な方向に認識が流れているようなものです。


>なんなんだろう、結局は私一人がねじれてるだけかも、って思うんですよね。
なんでかって理由は簡単です
幼児に「難しい大人の判断」なんて無理だからです。
考えられることって言えば社会性も見発達な幼児にとって「結果論的自己中心的認知」しかできません。
「なるほどね、お母さんもまー言えば女だ、そうしてみてみるとさわからなんでも無い事はあるわいな、ま、しかし君さその認識はどうかと思うよ。その偏向の元ネタはあなたの子供時代の事でしょう。その話をさ自分の家庭で蒸し返すような振る舞いがあるから私が困るんですよ。気持ちはわかるが、こっちはまだ幼児だから、そこまで大人の判断で”気持ちもわかる”みたいな度量でいろってそりゃ無茶だから」
 ↑
なんて台詞を吐ける幼児は「そうそういませんよ」
「ママ私が悪いの?私はいい子?」とかね、幼児の思考の大半は自己中心的です。
(てかそうならざるを得ないケースが多い:これはメンタルな現象が社会学的背景にある証明なんですが、そういうリスクが『核家族化』などのある種内向社会化によって促進した。本来の核家族の意味は「家族社会の解体」なんですが、過渡期においてその意味を理解できない親世帯は「小規模な内向世界に無理くり昭和の共同幻想を再現しようとして」云々など構造的に無理が生じやすいんです。)

端的に言えば、集落の中誰と誰が個別に家族だなどの線引きも無く、大きな建造物の中で氏族社会のように多数の女と多数の男と誰の子供だかよくわからない多数の子供がいて、村の長が話をまとめていて、子供は他の子供や(自分の母親は特定できないので)母親集団の誰かに世話をされている。
こういう原始共産制のような環境では「メンタルな問題は発生しません」。
(幼児に構造的な自己中心性が発現しない←自己中心性そのものは”当初”発現してはいるんですが、あっという間に社会性外交性へとシフトして相対的現実認知に以降します。)

※この辺までの説明で、以降「いやなことがあると全部「生まれなければ」に思考をつないでしまう。」までの説明になっている筈です。

<各論に戻ります。>
>母親に、母親の家族のことを聞いてみました。「何かある」のは確かだと思います。
言えばこっからが本題です。


ここからはシリアスな要素が多く含まれます。
認識を進めるためにあえてエキセントリックな表現になっている部分もあります。

(あえて行間空けます)


>母も母でうまくいってないんです。
>でも、深く理解したいとは思えません。正直深入りしたくありません。
>客観的に母のことを見たら、私は母に同情してしまうだけだと思います。
 ↑
それは自分自身の内面に疼く「強迫心理のハッタリ」ですよ、まー脅しって奴です。

「私は広島に原爆投下したエノラゲイのパイロットの証言を聞きたくありません。私はパイロットに同情してしまうだけだと思います。」
それは無いから(笑
しかしですよ、パイロットが原爆開発したのじゃありません。勿論軍の命令だった、
(アインシュタインの証言やその後の反原爆運動なども重要でしょう)
それは同情とか情状酌量の材料にはならんでしょう、

事実を知るってことはそういう事です。
ひょっとすると本当の主犯は「祖母」かも知れない。
(原爆問題考える時、それは「マンハッタン計画」ってものを歴史的に見て初めてわかるように。)
『何故原爆投下が行われたのか』
こういう重大なテーマの時に、感情論云々が入るスキマはありません。それ以上に「知るべき事実の方が重い」からです。

といっても(ここも大変誤解されやすいのですが)、
刑事のように聞きまわって、事実を足で調べるなんて事は重要じゃありません。
「彼女(母親)はどういう事実が見えず、どういう事実をどんな風に歪めてしか見えない人間だったのか?」という彼女の歴史的足取りが概ね理解できればいいのです。
(一部推定が残っても構いません)
その認識が固まる事が、
 ↓
>なんなんだろう、結局は私一人がねじれてるだけかも、って思うんですよね。
 ↑
こういう誤解を完全停止・解体させます。

てか「事実」がわかるって事です。
推理ドラマのクライマックスにおける謎解きと同じですよ。
(誰かの濡れ衣が晴れ、真犯人がわかる。)

>これ以上母をかわいそうって思ってしまったら、断ち切れなくなります。
 ↑
かわいそう(今でも無条件肯定が解除されないので)と、思うから
>でも、深く理解したいとは思えません。正直深入りしたくありません。
彼女は無罪放免ってことで「任意同行」で引っ張って事情聴取する事すら躊躇しているって事です。
(まさか強制捜査で逮捕しろなんて言ってませんよ)

更に言えば、前述でおさえてありますが「事実関係は一部推定でもいい」のです。
本当に聞き取りやら任意で話を聞かなくちゃいけないって事でも無い。
これは捜査じゃありませんから。

重要なのは「深入り」ですよ、それこそ、
「歴史的に本当は何が起きたのか?」事実を深く考えるって事です。
それが逆の意味で”当事者責任”ってもんです。
※メンタルからの離脱として”リハビリ”として「反抗期をデバッグする」というのはこういうプロセスです。


>私が母についていろいろ考えるようには、母は私にたいして感情を持ってないですし。
>(なのに母と娘の交流を迫ってくる…断れない。嫌だなーと思いつつ接し、また自己嫌悪)
 ↑
説明は簡単です。
私の推定が確かなら彼女(母親)には子供はいません。
何故って彼女はおそらく「6歳児〜12歳の少女」だからです。
(6歳から12歳の少女に、自分の子供なんて認知を求めても無理あるでしょう。)
彼女は「少女が想う”母親ファンタジー”に酔っているだけ」であり、
自分が母親役の時には子役が是非とも必要になり、
しかし彼女のドラマも勿論自己中心ドラマですから(そもそも他人の事などあまりよくわからない)、
実際に子役の役者さんが誰だとか、子役の役者さんとの個人的関係がどうこうって関心事項では無いでしょう。

その少女の関心事項は「お母さん(或いはお父さん)私も母親できる(あなたになれた或いはあなたの妻になれた)んだよ」なのかの知れないのですから。

ひょっとすると「(家族問題かから一歩身を引くことに成功したと推定される)姉」は、
「あーあーあーこのホームドラマのシナリオはぐずぐずだわ、ダメだこりゃ。(特に母親役の女優は誰よ?事務所の社長呼んで来いっての)アタシはこのドラマは降板して大部屋の端役からやり直すわ」そういう着想があったのかもしれませんからね。
(そこまでスルドイ視点が彼女の幼少期にあったとは考え難いので、何らかの後遺症のようなものはどこかに引きずっているでしょうけれど、こういう認知は彼女固有のパーソナリティーという意味でもありません。偶然姉は何かが暴露されるようなエピソードに遭遇したのかもしれないからです(母親役の女優が台詞を忘れて口パクになった事件を見たとか)。話を聞くってとっかかり的には最初にお姉さんと腹割って話すってのがお勧めかもしれないですね。言えば同じ世代の同じ家族時代で子役やってた”戦友”ですから。)

■ひとつ安全装置としてなんだか家族社会の不全のようなものがあると悲劇的であるとか当事者は被害を受けているかのように誤解されてもいけないので、ここを補足します。
(半分ブログの原稿ネタみたいな話なんですが)
その被害認知はベースとして『共同幻想系の保守的認知に強迫的に追随(ステレオタイプ)する認知』が引き起こしている錯覚で、

参考までに文化的変遷のある事例を挙げておきます。
昭和のアニメ(この時代は映像も”マンガ”と呼んでいましたが)では、家族社会をベースにした物語が多くありました。
(主人公の親兄弟も重要なキーパーソンであるような進行)
しかし90年代以降でしょうか、
日本のアニメや漫画の主人公は(少年漫画なので主人公が中学高校生多いのに)「何か”適当な理由”で家族と同居していない設定(少年少女なのに一人暮らし)」が非常に多いです。
親が登場してもサブキャラでおおよそ親に見えないような設定(めちゃめちゃ変わり者だったり)であったり、大半の物語は「既に独立している少年や少女個人の視点」で語られます。
海外で日本のアニメが評価されていく時代とそこは符号していて、
所謂共同幻想崩壊後の社会を先取りしているワケです。
(物語の進行に主人公の家がどうだとか家族が誰とか邪魔なだけで設定としてほとんど必要が無い)
そして現代社会、
ようやく民主党が「児童相談書マターの親の”親権停止”」や「子供手当を事情によっては(親では無く)子供個人へ支給」の法改正に着手しています。所謂昭和における『家族社会共同幻想』もある種明治維新の時の富国強兵政策による捏造であって(モロに幻想)、実体を伴わないものです。
(江戸時代の習俗から自然な流れで派生していない←見ようによっては江戸時代の方が個人が自由だった部分あるぐらいです)

のように、誤解は幾重にも重なってますから、十分に時間をかけて慎重に考える事です。

(日本の現代アニメの話には更に続く要素がありまして、物語が少年少女だからという部分はあるにせよ、ほとんどの主人公が「仕事」していません。『家族社会共同幻想』もある種明治維新の時の富国強兵政策による捏造←ここに被るんですが、GNPの増加に邁進する時代は終わり、現代社会は”フリーエコノミー”と”ネット社会”の時代であり、自分が何の職業人であるみたいな属性は(既婚非婚も同様に)現代のアイデェンティティー論的には二次的要素でたいした意味が無いのです。勿論『共同幻想保守系の就職』を意味するような社会適応論が既に時代遅れであるのもここに被ります。)

引用なし

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【59】Re:お久しぶりです  hako  - 2011/05/07 18:22 -

お久しぶりです。
また時間が空いてしまいましたが、返信ありがとうございました。
いつもありがとうございます。

kagewariさんに言われたことは、過去や記憶を遡っていくと、
「ああそうか」というふうに、そこもあそこも、というふうに
あてはまる点が多いです。まだまだ整理中ですが。

結局、つらいのも苦しいのも「過去のこと」なんですよね。
過去のトラウマがフラッシュバックしているだけなんですよね。
精神発作的な感じになると、「落ち着け、今はつらくない、今は大丈夫」
と言い聞かせることで、ひどい時期のスパンが短くなった気がします。

今回は、私の目線から見た家族(親族)像を書きたいと思います。
あれがこうだからこう、というようにいっきに繋げることができないので、
箇条書きします。

登場人物は、祖母、母の妹、祖父、父、姉、母です。


祖母
・今は認知症で家から少し離れた介護ホームにいる。(ほぼ寝たきり、人の顔もわからないし会話すらできないレベルです)
・私が高校生くらいの時に認知症症状があらわれて、介護ホームに入ってからどんどん悪化した。
・昔は県外(私や母の生まれ故郷)に住んでいた。
・母が言うには、母が子供の頃から、母よりも母の妹と仲が良かったらしい。
・おばさん(母の妹)のお金の無心が悪化して、逃げるように母の住む今のところに越してきた。
母談「あのままあっちにいたら、おばあちゃんは無一文になっていた」とのこと。
・私が中学校の頃は一年くらい、一緒に住んでいた。でも私は祖母のことを軽くみていて、
あまり関心がなかった。自分の(学校)生活のほうが楽しかった。
・結局家の近くに住んだり、県外の親戚のところに行ったりしたけど(時系列があいまい)
最後は家の近くに住んで、そこで認知症になった。
認知症の初め「母の妹(おばさん)が家に来た」(来てないのに)とか言っていて、おかしいと思ったらしい。

祖母が認知症になってから、((なる前も)おそらく関係が相当こじれた=絶対に何かあった(お金の貸し借り以外に)と私は思うのですが)、
おばさん(母の妹)は一度もこちらには来たことないです。介護の手続き等はずーーっと母が一人でしています。
私は、最初の頃は自分のことでいっぱいいっぱいで、母が色々苦労してるのも祖母の認知症がひどいことに気づいたのも、「完全にひどくなってから」でした。
母には「あんたはあの時反抗期だったからね」と言われました。祖母に対してはいまさら何を言っても無駄だけど後悔しています。祖母のことは、私は特に好きでもないし嫌いでもありませんでした。(=やっぱり家族(親族)に愛情がもてていない)
祖母は寂しかったんだろうと思います。若い頃は家族の家計を助けるために苦労し、家庭を持ってからも、とにかく人のために尽くすことが一番な人だったそうです。
自分が楽しむことは二の次だったそうで、旅行もほとんどしたことがありません。
以前、母に、私が自分のことでいっぱいいっぱいで介護ホームに行かないことを「家族なのに冷たいなあって思ってた」と言われました。それがショックで、私は母と言葉の通じなくなった祖母のところによく行くようになりましたが、結局することがなく、母とぼんやりするだけでした。
ある日、介護ホームに行って、母が祖母の食事を食べさせて(いつもは職員さんに任せている)、あまりにも食事させることが難しくて、私がよそ見している間に、食事をビニール袋に入れて捨てようとしてるのを見た時、すごく嫌な気分になりました。
私は所詮「嫌々行っているんだ」と気づき、祖母も嫌々来られるくらいなら来ないほうがマシだろう、と思い、それ以後、ぱったり半年くらい行かなくなり、今に至ります。

所詮、私は「家族なのに冷たい」と言われたから行っていただけです。
自発的に今の祖母に会いたいとは思いません。ひどい人間だとも思います。
ただ、もし祖母が元気な頃に戻れるなら、もっと、もっと、色んな話をすればよかったと思います。
ちゃんと話したことがなかったから、私の祖母に対する印象は「好きでもないし嫌いでもない」んです。
私は身内に対しても人見知りで、祖母に対しても心を開いていませんでした。


母の妹(おばさん)
・結婚していて、子供が二人(姉弟)がいる。

小学校の時は家族でおばさんの家に泊まりにいったこともありました。普通のいとこ同士として接していた気がします。その頃は祖母もおばさんと同じ県に住んでいました。
私はおばさんに対して、今でもあまり悪い印象をもっていません。小学生の頃もった印象は「さばさばしている人」という感じです。母が実質一人で祖母の世話をしているのを見ても、だからおばさんはひどい、とは思えません。
数年前に子供が妊娠したからお金を貸してほしいという内容の電話がかかってきて、多分母は断ったのだと思うのですが、それ以後、絶縁状態です。
母は、直接的にはおばさんに対しての不満を言いませんが、匂わせるように、「なんで自分の母親に対してこんなに冷たくできるんだろう」とか、「昔から、成績は良くないけど人に甘えるのはうまかった」ようなことを言っていました。
先日、姉が入籍したので、それをきっかけにおばさんと連絡を取ってみたらどうか、と私が言うと、「またお金を貸してと言われそうだから無理」、「昔からそういうことを報告し合う関係じゃなかった(祖母が向こうにいたことでかろうじて関係が保てていた?)」と言っていました。
母は妹(おばさん)に対してコンプレックスがあるんだと思います。母は、成績は良かったし優等生だったけど人に甘えるのは苦手で、消極的だったんだろうと思います。
それが、今の母の人格に至る原因の一つのような気もします。
私はよく母に、「ずるくない」というところを褒められます。「OOちゃんは、(不器用だけど)ずるくないからいいよね」と。私は内心、なんだそれと思いますが。
それって他によっぽど褒めるところがないっていう意味なんじゃ…っていう。ちなみに「ずるくないからいいよね」と会社の同僚にも言われたことがあり、
もはや、わざわざ言われるほど「私はそんなにずるくないのだろうか(?)」と思ったりします。世渡りが思いっきり下手ってことですよね。


祖父
・私が幼少期の時に病気で他界
・母曰く、祖母は自分達に対して怖かった。そんな祖父に従う祖母を見るのが嫌だった、と聞いたことがあります。
・祖父は祖父の家族(後妻)と折り合いがうまくいかず、絶縁状態だった

小さい時に亡くなってしまってあまり覚えていませんが、祖父に対しては、すごく優しかったイメージしかないです。
いつも欲しいオモチャやお菓子を買ってもらって、家に帰ると、「買っちゃだめって言ったでしょ」と、祖母が祖父を怒っていた記憶があります。



・あまり喋らない
・たまにおもしろいことを言う

ので、「不思議で変でちょっと面白いけどとにかく喋らない人」という印象です。
生まれてこの方、父と真面目な話をしたことがないです。そもそも話しません。
母と結婚してから父はずっと働いています。
こちらに関心が無いのかとも思いますが、それで不満ということもなく、
昔から一貫して変わらないので、まあそういう人なんだろうなって感じです。
そんなだから、喧嘩になると母に一方的に言われっぱなしです。父は金銭感覚が乏しいらしく、
喧嘩の原因は主にお金のことなんですが、見てて思うのは、
この二人(父と母)はずーっと同じことを繰り返しているということです。
感情的に(=非論理的・子供)わめき散らす母と、それに対して何も言わない(論理的に反論することができない)父、ずっとその構図です。
だからいつまで経っても何も解決しないというか。

kagewariさんが仰る通り、母は子供が一部に混ざっているんだと思います。ヒステリーを起こした母は論理的なことが何も通じません。
こっちがびっくりするくらい、突発的な行動を起こすことがあります。(かばんの中身をいきなり逆さまにして全部出されたり)
子供の頃は、口論になるとまさに子供(母)対子供(私)、みたいな構図になってしまって、とりとめがつかないことがよくありました。
なので、母が祖父に対する嫌悪感で、父のような良く言えば穏やか、悪く言えば朴念仁みたいな人を選んだのは
もしかしたら失敗だったんじゃないか、と、自分で今分析してみて、少し思います。
母のヒステリーに対して「君はOOだけど、OOはOOじゃないか」というふうに、言葉で論理的に諭せる人(大人)であれば、
きっと今よりうまくいったんじゃないか、と思います。
父に対する不満のしわ寄せ(何を言ってもこの人は何も言わない、手ごたえが無い)が、家族(私)にきてるのかも、とも思います。
本来、夫婦で解決すべき問題が、家族全体に蔓延してしまっている、という気もするんです。(=私は母が重いと感じる)
でもこれは私に都合のいい、勝手な解釈かもしれません。
でも、父の無防備に、母のヒステリーが緩和される時もたまにあるので、母と二人きりよりは、三人でいるほうが安心します。

あと、もう一つ父に対して私の中で重大なことがあって。
私は父に、思春期(高校〜短大くらい)にかけて、ものすごく冷たかったんです。母に心配されるほど一時期ひどかったです。
私は父と顔と骨格がそっくりなんです。顔も、骨格も、思春期がコンプレックスのピークだったので、
父を思うと憎しみが湧くことがありました。今も、自分の顔と骨格のことを思うと愕然としますが、父に対して冷たくしたことは、反省しています。
私が冷たかったので、父も私に対して、距離を置くようになってました。
私は未熟な人間で、自分がひどい目にあわないと、人に冷たくしたことを反省できないんです。
(男性に、なんでここまでされなきゃいけないの、っていう被害を受けたことは、そのまま父にしていた態度のバチなんだって思ってました)
今は、父との関係は少しずつ元に戻りつつあります。でも、父は私に不信感をもっていると思います。
「元の元」には戻れないとは思いますが、私の容姿と父は関係ないので、反省して、できるだけ普通に接していきたいです。



・中学頃までは、成績優秀で、優等生
・高校以降、いい子でいることに疲れたのか、自由な感じ
・超現実的で、向上心が強くて、外交的
・友達が多くて、人から信頼されるタイプ
・最近、入籍して県外へ引っ越した

姉にできて私にできないことが多すぎるためか、姉に対してコンプレックスがあります。
中学くらいまでは、仲良しでした。家族の中で唯一まともに話せる相手でした。
でも私が高校に入って、外見のことやら何やらで思春期をこじらせて、次第にうまくいかなくなりました。
「姉は自分(私)のことを恥ずかしい妹(不細工・要領が悪い)だと思っているんではないか」という被害妄想を抱くようになりました。
姉の友達に笑われることがありました。私は、いつも姉と自分を比べて、自分の友人関係が乏しいと思っていました。
最近入籍しましたが、その報告も、姉本人ではなく母から聞きました。姉の結婚相手とも一度も会ってません。
母は、姉と自分を重ねている(優等生)のか、姉に対しては、なんだか普通なような気がします。
私に対するように、不自然な感じが無い。(私のような出来の悪い人間にはどう接していいかわからないから不自然になる→その態度が私の怒りに触れる)
「普通ってこうだよね〜」って感じです。母と姉と二人揃うと、私は何を言っても冷笑されているような気がします。また被害妄想です。
姉とは、それこそ入籍するって言って家族が集まるまで、本当に口を聞いてませんでした。
「どうせ見下してるんでしょ(なけなしのプライド)」と、「こんな妹で申し訳ない」っていう、なんていうか、自意識過剰っていうか、本当にこじれてますね私。
kagewariさんの分析を踏まえると、姉は「家族ごっこから手を引いたから客観的にふるまえる=私にはそれが自然に見える」→つまり、根本的には
姉も私と似たような葛藤を、昔は抱えていた、ってことですよね。多分そうだと思うんです。
あと姉は外交的なので、(これは私とも母とも違う)家族から外の世界へ視線を置くことができたんだと思います。
家族からの自分の評価=異常 から、友人や恋人からの評価=正常な価値観を手に入れることができた、ということでしょうか。
私は、「家族」というものを嫌悪してるにも関わらず、姉は、もう家族から抜けてしまったんだ、もう私とは関係が無くなってしまったんだ(ものすごいまた被害妄想な思考なのはわかってます)と、例の精神発作的な症状の時に思ってしまって、寂しくなることがあります。
姉はきっと私の関係ない世界で幸せに暮らしてるんだ、って羨ましいし、なんで姉はそうなのに、私は…(過去が蘇る&母親がまだいる!!)って暗い方向に
向かってしまいます。
でも私は私でがんばらなきゃいけないんですよね。今を変えるために。
姉の結婚相手と会うのは勇気がないので今は無理ですが、とりあえず、近いうちに、姉と二人でゆっくり食事でもしたいな、と思っています。



・思春期、内向的な優等生だった。(自我を抑圧していた?)
・父親(私の祖父)が嫌いだった=男性嫌悪?
・妹と信頼関係が築けなかった(「OOちゃんは、(不器用だけど)ずるくないからいいよね」=妹はずるい)
・小学生高学年くらいで、精神年齢が止まっている(もちろん一部)
・精神年齢=「子供が抱く家族のイメージ」を継続したまま、ここまで来てしまった(正されなかった)
→小学生くらいの時に、自我の成長が止まってしまうような何かがあった。(何かはわかりません)

母が祖母の面倒をずっと一人で見ているのは、誰も手伝ってくれないから(私も父も姉も)と言う理由と、妹に対する復讐の意味もあるのかと、
考えすぎかもしれませんが…思います。
もし私が母の立場だったら、そんなにちゃんと何もかもやらないで、手を抜くところは抜きます。(ひどいのかもしれないけど)自分を優先します。
でも母は、「何の文句も言わずに一人(だけ)でやってる」をこっちに匂わせてくるっていうか。私が怖いのは、母の無意識なんです。
私はほぼ自分のことしか考えてません。でも母は、ほぼ自分のこと以外しか考えてないと思います。
私が重きを置いているのは「精神」ですが、母は、精神(自分の気持ち)はおざなりで、「行動」します。
だから何か言われた時に、私は精神論以外で、母に反論できません。私は何も行動してないから。
こうやって、私が考えて考えても悩んでも、母にしてみれば、「そうやって考えてもあんたは何も行動してないじゃない」となります。
確かにそうなんですが、そう言われると私は、「じゃあやりたくないことは極力やらなきゃいいじゃん(=無意識を私に巻き散らかさないで!)」って、
最後には言いたくなります。行動してることがそんなに偉いのか?やりたくないことを我慢してやってることがそんなに偉いのか?って思います。
もっとちゃんと自分のことを考えてよ!って思います。私がどう思ってるとか、母は知りたくないでしょうけど、私が母の立場なら、
考えます。
それらが、すべて子供の精神がさせているなら、母は「今」、なぜそこまで子供でいなければならないのでしょうか。
子供の時に、大人でいなければならなくて、だから今精神の退行が起こっているのでしょうか。(子供である私に向けられている)
それとも私の思うこと自体が偏りすぎてて抽象的で伝わらないのでしょうか。

母の思い出で、昔、母の誕生日を私が忘れていて、「今日はママの誕生日!!!!」と大泣きされたことがあります。(誕生日を忘れられて泣くのは小学生くらいまでだろうから、
>何故って彼女はおそらく「6歳児〜12歳の少女」だからです。
このkagewariさんの分析と合っていて、思い出して「あっ」と思いました。

あと、忘れられない夢で、母が私の部屋に殺菌するように水を撒き散らしながら、私の眼前に、傷がついている手首を突きつけて、「私はあなたのためにここまでしたの!!」と叫ばれました。夢を見た当時(思春期)は何が何だかわからなかったけど、今はよくわかります。
私にとって母は「そういう存在」(実際の母とは別に、あくまでも私の意識の中で)だってことです。
そういうことや、今までの全ての記憶によって、ものすごい母に対して強迫があるんです。
私が何か言おうとするとヒステリーになって泣き叫ぶ、私を見ようとしない、上っ面の家族に固執している、等です。
そして可哀相(そこまでしなきゃ自我を保てなかった可哀相な過去があった)です。
少し前、kagewariさんに相談する前、道端で、母のことを考えていきなり泣いてしまったことがありました。

その頃、とてもとても苦しかったので、その苦しみや、思春期の記憶や憎しみを思い出して、トラウマ=フラッシュバック化して、
もうわけがわからないので、「死にたい」&「母など死んでしまえばいい」となっていたんだと思います。
だから一緒に暮らしている時はわからなくて、今一人暮らししていてどんどん過去が蘇るんだと思います。

>所謂世界史やる時に”自虐的大日本帝国悪質史観”に立ってしまった結果、なんとかおおよそその後の日本の歴史は強引なこじつけでも何でも説明可能だが、世界史の中でそれを説明しようとすると”矛盾だらけで”全く説明がつかなくなり、説明に困って「こうなったら日本なんか無くなればいいのだ」のような意味不明な方向に認識が流れているようなものです。

↑まさしく、わかりやすいです笑


長くなってしまいましたが、
こういう調子で、自己分析していけば、いつかは母との葛藤と決別できるでしょうか?
私の解釈で、間違っているところがあれば教えて下さい。
あと、今後、母と(母の少女的自我がこれからも治らないとして)どういうふうに接していけば良いでしょうか。
今は、なんかもう、メールで「いついつどこかへ行かない?」と言われただけで「ひっ」って感じです。
誘われた時点で、断る選択肢は無いのでは、と思ってしまうし。
今の時点では、実家と実家の近所は「過去の暗黒期が詰まった伏魔殿」って感じで、よっぽどのことがないと行く気にはなれないです。
自分の中の偏ったシナリオで、
・母は私のこと(正確には母娘関係)にしか興味がなく、内向的で、外との繋がりを持たず、私と交流を持ちたがる。(私も母も楽しくないのに!!)
・私がこのまま母を避けていくうちに、母は祖母のように認知症になり、私は姉にも頼れず、母が祖母に今そうしているように、母の面倒を見なければならなくなる。
という不安があります。
私が一番怖いのは、「母と私と二人だけの世界」です。
この負の連鎖をどうにか断ち切りたいです。
縁をすっぱり切れればいいのかもしれないけど、一生は結構長いみたいなので、現実的に無理です。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


P.S
このたびの大震災で、私はカウンターをくらったように「死にたい」と思うことが無くなりました。
相変わらず何やかや葛藤を抱えていますが、これからは以前のように、気軽にその言葉を口にしません。
犠牲になった人の上に今自分が立っていることを絶対に忘れません。
本当に、生きたいんです。死にたくない。
たくましく生きたいです。
3月11日以降、色んなことが自分の中で変わりました。
kagewariさんに相談させてもらったことも、自分の中で大きな大きな節目です。
ここまで正直に自分のことを書くのも、聞いてもらうのも、初めてです。
本当にすみません。
本当にありがとうございます。

引用なし

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【60】Re:お久しぶりです  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2011/05/09 00:15 -

非常にいい線いってます、かなりあたってます。
(というか非常に需要な事実関係が抑えてありますね)

今回は各論では無く、いただいた情報を元に大きな枠組みを(推論ですが)組み立てます。
それがあれば思うに(現在の理解力がれば)hakoさんには以降の詳細を事実認定として継続していけると思います。
枠組みにおける大きな骨子は、

■母親には祖母との間に非常に大きな同一化(猛烈なママゴト興奮とでも言いましょうか)と権威化(極端に言えば神格化)がある。
(彼女の父親への嫌悪には二面性があると思います。男性コンプレックスの象徴として性的な嫌悪であり、神格化されている母親を従えるなどという大それたことを平然する人物に対する感情的反発。)

大きく話の根本を切り分けます。
>母は、成績は良かったし優等生だったけど人に甘えるのは苦手で、消極的だったんだろうと思います。
 ↑
厳しく必ずしも気軽に話ができないところのある母親(祖母)を神格化しているが故に「成績は良かったし優等生だった」と祖母に盲信したが、コミュニケーションが取れず(幼児性自己中心認知からか祖母の真意を理解できず)、大人同士が普通にコミュニケーションすることことを彼女(母親)は『ずるい』と思い込んでいる。(或いはそう思いたかった、何かの宗教教義に盲信するように。)
繰り返します、
彼女(母親)は社会で大人同士が円滑にコミュニケーションすることことを『ずるい』と呼ぶんです。
(私なんか言われたとーーりに、勉強して優等生で、、、なのに○(妹)はズルい。お母さんと普通にしゃべって、、普通に、、)


行間空けます
(以降には少なからずショッキングな指摘がありますので精神的な余裕がある時にゆっくりと反読してください)


母親と良好な関係にあったのは叔母(母親の妹)であり、
(借金ネタにはこの際大きな意味が無いと考えてください、これは”目くらまし”のネタまきです。少なからず借金が事実であってもです、)
彼女(母親)はそれ(神格化された母親が妹と仲良く暮らすことが)許せなくなり、
何らかの理由や経緯の中で『母親を妹から引きはがした』
 ↓
その結果
hakoさんを手元から話さずに”母親役(猛烈なママゴト興奮)”を演じ(自己愛的興奮)続け、挙句の果てに母親自身は無意識ながらも結果hakoさんを心理的に追い詰めているように(明らかにhakoさんの強迫ネタ元主犯は彼女です)、

母親に心理的ストレスをかけていた、


行間空けます
(以降には前述以上にショッキングな指摘があります。又一部はまだ私が個人的に考えている心理学によるもので学会などで認められていない理論も関係しますので、推論であることをこころにとめておいてください。又、精神的な余裕がある時にゆっくりと反読してください)


祖母が認知症を発症した背景には、
話が通じない娘(彼女)との間の強迫ドラマ(hakoさんを心理的に追い詰めているように)が関係していると思います。
※学会含めて認知症とメンタルの関係は証明されていませんが、少なくとも認知症のリハビリ過程には心理学的アプローチ(関係性の構築:話が通じる)が効果があることは社会的にも認知されているでしょう。←『その逆があるとしたら』と考えてください。

そして(やっぱり妹と違ってちっとも母親と話がうまくできない、母親(祖母)を独り占めしてもちっとも嬉しくなれない。←しかし妹が母親と楽しく会話するのだけは断じて我慢ならない。絶対許せない、)、
自分の行い(母親の拉致)が額面通りにうまくいかなとみるや(彼女の脳内ドラマでは感謝した母親(祖母)が涙流して抱き寄せてくれる的興奮が想定されていたのに)、「これじゃまるで私が悪者だわ」と、
 ↑
上記のこころの動きは一部が認識されても大きくは彼女(母親)にも無意識である(自覚が持てない)ことを忘れないでください。


<話は戻ります>

「これじゃまるで私が悪者だわ」と、
自分の行いが母親想いの素敵なお嬢さんであることの証人を求めた。
(現場に連れてきてその行為を見て賞賛するような人間が必要だ:証人)
>母に、私が自分のことでいっぱいいっぱいで介護ホームに行かないことを「家族なのに冷たいなあって思ってた」と言われました。それがショックで、私は母と言葉の通じなくなった祖母のところによく行くようになりましたが、

実体はというか事実はこれです。
>母が祖母の食事を食べさせて(いつもは職員さんに任せている)、あまりにも食事させることが難しくて、私がよそ見している間に、食事をビニール袋に入れて捨てようとしてるのを見た


母親(祖母)は、
>認知症の初め「母の妹(おばさん)が家に来た」(来てないのに)とか言っていて、おかしいと思ったらしい。
妹にいて欲しかったのに。

更に言えば、
母親(祖母)がおかしな事(妹と会いたいなど)を言う前にhakoさんには母親(祖母)を会わせず、
彼女が自分の美しい行いの証人としてこれを証言させるためhakoさんを母親(祖母)に会わせたのは、
>「完全にひどくなってから」でした。

以下は都合のいい屁理屈です。(嘘といってもいい)
>「あんたはあの時反抗期だったからね」
(正直なところ、母親(祖母)とうまくいかず、自分のシナリオでは「酷い妹から母親を連れ戻した」という話が破綻(母親は妹といたかったのかもしれない)しているところを見られるワケにはいかない)

■借金の話注釈つけます
こういっては何ですが、
祖母本人は特別資産など残す意思が無い場合、彼女(祖母)は字自分の老後で全額使い切っていんですから、好きなように使えばいいのであって、最後亡くなる時に無一文というのが「使い切り」的には一番彼女にとっての贅沢になります。
”無一文”になっ困るのは『相続する人』なんじゃないですか。


<父親について>

彼を彼女(母親)がスカウティングしたのは、無口で論理的に何か言い返したりしない(マチズモから遠い)男性だったからでしょう。
(男性シンボル的なのが父親(祖母の夫))
仮に彼が論理的に彼女をたしなめたら?
『逆上して手が付けられない状態』になったと思います。
(何かこの状況に現状と比較して好転の余地があるとするなら→早い段階で母親は心療内科か精神科に相談することになっていたかもしれません。)
彼女にとって彼は問題を暴き出さない都合のいい男だったのだと思います。

私の推定ですが、
彼は随分早い段階から問題の本質(妻の心理的問題)を知っていたと思います。
しかし昭和のこの時代、メンタルであるとか心理学などこれはよっぽどの文化人類系知識層の話で(一般的には精神科しか基準が無い当時で、更に当時の精神科は監禁に近い入院状態などおおよそメンタルに不適格な医院の噂も絶えなかった時代です)、
「彼に何ができますか。」
私はひたすら耐えてきたんだと思います。
>わめき散らす母と、それに対して何も言わない父
何もかも腹の中に納めて、
ずっと、ずーっと、彼は耐えてきた。
(彼の過去に過失があるとすれば、妻の状況を温存することは子供達のメンタルに大きな影響が起きることを察知できなかった事ですが、これも心理学的知識無く想定することは大変難しい。)

>父に対して冷たくしたことは、反省しています。私が冷たかったので、父も私に対して、距離を置くようになってました。
 ↑
間接的にですが、この心理を醸成したのも「母親と父親の関係」だったように思います。
hakoさんは無意識に母親に同調し、彼に罵声を浴びせる側にいたんですよ。
(同時にここには醜形恐怖の原型がある。←私の以前の返信に「それを必要とし捏造したのは母親ではないか?」の推論があったことを思い出してください。)

姉はどこかのポイントで「このシナリオはおかしい(欺瞞ドラマじゃないか)」に気が付いたのでしょう。
>近いうちに、姉と二人でゆっくり食事でもしたいな、と思っています。
 ↑
大きな一歩です、
■大変大きな意義ある会談になると思います。


<単体論ですが>
元来家族は血縁というだけで(会社でいえば”縁故採用”はむしろ如何わしい枠ですよね)、
人権論的には「血縁だけはあるが他は赤の他人」です。
(近代以前のように継ぐべき家督相続や伝統ある生業などがあれば別ですが:この場合血縁というより同族会社の構成員という社会属性が上位)
それこそ何かの縁で特別話したことのない親族や特別親しくない家人と親しくないのは『自然』です。
hakoさんが以前祖母と個人的にそれほど親しくないとか、彼女(祖母)に何かしてこなかったなどは「全く関係ありません」ので。
(それこそ親しくも無いのに血縁だからと見舞いにこられる方が普通に考えて迷惑でしょう。)


<まとめですが>
>母の誕生日を私が忘れていて、「今日はママの誕生日!!!!」と大泣きされたことがあります。
 ↑
これは衝撃的ですね、、
(ガチで単独者の私は家人の誕生日をひとりも覚えていませんし、親しい友人の誕生日も覚えられません(数字に弱いところありまして)、極端に言えば自分の誕生日忘れていることすら珍しくありません。)


hakoさんは認知症心配されていますが、
彼女(母親)は、以前から人格障害ぎみの状態が慢性化しており、昨今は躁鬱傾向にあると思います。
今の状態で心療内科通院していて全く不思議ではありません。
(深刻と言う度合から言えば、現状ここまで事実関係を理解されているhakoさんより遥かに深刻だと思います。)
しかしやっかいなことに、カウンセリングは鬱や恐怖症であるとか内向化傾向などには(会話が成立するので)効果も大きいのですが、会話が成立しない(場合によると嘘と事実の区別がつかなくなる)場合、心理的な自我問題の軽重では無くって対処の方法が限られる(コミュニケーションが取れないとか心理的問題に本人自覚が無いと精神科しか方策が無い)、
この問題は彼女(母親)自身のプライバシーですから彼女が自分で選択する事には違いが無く、周囲がどうこういっても仕方がありませんが、
父親に事実関係を話しておく、
(彼はある程度察知してきたと思います)
同時に彼女の子供時代の実体をあれこれと考える(叔母(妹)さんと話すのも効果的に思います)。

hakoさんはこの件に関与しなくてもいいし、
仮に関与するにしても周囲の認識をある程度は統一させなければいかんでしょうから(父親、叔母、姉)、
気持ちこの問題は父親に任せる形で、とどめておくところでいいと思います。
(繰り返しますが血縁ってだけで人権主義的には→家族は他人です。各人のプライバシーは人権として血縁者でも委託が無い限り侵害できない。)


>このたびの大震災で、私はカウンターをくらったように「死にたい」と思うことが無くなりました。
>本当に、生きたいんです。死にたくない。
>たくましく生きたいです。

心理学的に言えば(といいますが私の追い求めてきた心理学の世界から言えば)

■生きるとは『抗(あらがう)』ってことです。
(実存主義における”反抗的スタンス”とはそういう事です。←時間を後ろに進めてしまうのが『被(こうむる)』)


今回はかなりショッキングな内容となっていると思います。
時間をおいて、余裕がある時に何度も繰り返し読んでください。
そして、関係他者と話をすることは大いに意味があります。
ジャーナリズム的に証言を集めることは(全てじゃありませんが)事実を浮かび上がらせるひとつの手法であることに間違いありませんから。
(※あまりに聞き取りに偏重しないことにも注意してください。誰しも微細な偏向ベクトルを残しているのが人間の自我には自然なことですから。)

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【71】Re:強迫行為?について  はこ  - 2011/09/12 23:19 -

返信、ありがとうございました。
いつもお礼が遅く申し訳ありません。

前回kagewariさんにしていただいた分析によって、
話にすっと一本筋が通ったように思えました。
自分の中で終わりの見えなかった世界の出口がやっと見えてきたというか。

>母親と良好な関係にあったのは叔母(母親の妹)であり、
>(借金ネタにはこの際大きな意味が無いと考えてください、これは”目くらまし”のネタまきです。少なからず借金が事実であってもです、)
>彼女(母親)はそれ(神格化された母親が妹と仲良く暮らすことが)許せなくなり、
>何らかの理由や経緯の中で『母親を妹から引きはがした』

>祖母が認知症を発症した背景には、
>話が通じない娘(彼女)との間の強迫ドラマ(hakoさんを心理的に追い詰めているように)が関係していると思います。

ショッキングでしたが、頭の片隅ではその可能性も考えていた気がします。
認知症になる前の祖母には、いつも怒るような(叱るような?)口調で話していた母が、
認知症になった後の祖母には、赤ん坊にするような態度で。
誰にも邪魔されない文句を言われない母親と自分だけの世界を手に入れた、って
(無意識で)思ってるのかな…って。
もしそうだったらと思うとおそろしくもあり、でも色んな要因が重なり続けて
そうなったわけで、やるせないけどどうしようもないし誰が悪いとかいう話にもできないし、
もう何も言えない(知らん)と思いました。


>「なるほどね、お母さんもまー言えば女だ、そうしてみてみるとさわからなんでも無い事はあるわいな、ま、しかし君さその認識はどうかと思うよ。その偏向の元ネタはあなたの子供時代の事でしょう。その話をさ自分の家庭で蒸し返すような振る舞いがあるから私が困るんですよ。気持ちはわかるが、こっちはまだ幼児だから、そこまで大人の判断で”気持ちもわかる”みたいな度量でいろってそりゃ無茶だから」

仰る通りで、私は母の問題からの自分の問題を解決しなければならないのであって。

たとえばこのような祖母や私との強迫ドラマを、母が本当にまったく何の疑問(あるいは違和感)もなく、無意識でやっているのだとしたら、母は私にとって巨大なモンスターになってしまいます。
私は母(自分の頭の中でモンスター化した母親像)に、果たして太刀打ちできるのか?
しかし、思うに母は多分とっくに気づいているんですよね。私が母を避けていることも、
自分の描いた家族像と実際の家族が全然違うってことにも。
気づいているのに気づいていることを認めようとしてないように、今は見えます。
(もしくは本人がそれを疑問視していない場合は認めなくても問題ないのでしょうか?)
そうなると、私はますます母のメンタリティが不明になってくるというか、
目的は何なの?みたいに思ってしまいます。

このへんで一本通った筋がまたぐらつくというか…。


>「狼がくるぞ」
こういうデマを飛ばしている首謀者は「ほぼ間違いなく母親」でしょう。

思い返せば、母は私が何かしようとすることに、いつも「懐疑的」か「全く無関心」かの
どっちかだったように思います。「ほんとにそれでいいの?」とか、「そんなこと無理に決まってる」とかほぼ絶対にありえない(悪い)ことを「いや、こういうケースもあるから気をつけろ」とか言われたり。私がそれでもやろうとしたことで母の意にそぐわないことは「ああ、じゃああれもこれも全部やれるもんならやってみろ」という態度でした。

母が無意識にそれをやっていたとは到底思えないので、
それが故意であるとしたら、私は自分の弱い部分を徹底的に母に利用されていた、ってことになります。
母にとって「ずるくない」私は、物言わぬ家族のパーツにするのに都合が良かったんでしょうね。
最近の母がもっぱら私に見せる顔は、「一人で苦労している自分」「かわいそうなところのある自分」「情緒不安定な自分」ですが、それは私が母を避けはじめたからであって、私に反撃される(たとえば母から離れる)のをおそれているんではないか?と思います。

果たして母はどこまで気づいていて、どこまで本当は狡猾で、どこまでが無意識なのか、と思います。

少し前の話ですが、数ヶ月ぶりに実家へ帰ると、ドアを開けたらいきなり玄関(家の中です)に、母の自転車が置いてあって…。当たり前ですが玄関は自転車が置けるほど広くなく、今まで自転車が置いてあったことなんてなかったです。ものっすごいびっくりしちゃうんですよね、なんだこれ?って。すごい異様に見えるっていうか、不安にさせられるっていうか。この人は大丈夫なのか…?みたいな。(なにこれ?って聞くと、母は「雨が降ってたから」←?? と言ってました)
もしかしたら、全っ然関係ない話かもしれませんが。笑
なんか…今度は何だ?みたいな、とにかくこわいんですよ。母が。

もし母が情緒不安定なんだとしたら、ますます私は母に対して憎しみを口にできない、言っても通じないことになります。※現時点で私は母に自分の思ってることを言うつもりはさらさら無いです、それを前提として。

母への怒りの抑圧(=実は死ねばいいと思っている)があるんです。
その怒りは、今でもいつでもふきだしたがっていて、場合によってはその時周りにいる人に
迷惑をかけます。(過去に、男性世界に死ねばいいと思っていたように、あっちこっちに飛び火します)
しかし母にその怒りはぶつけられない。
言ってもどうしようもないのと、私が仕返ししたら、さらに巨大な仕返しをされるようで
こわいんです。

最近はこのことを意識することによって、「今のこの怒りは不当な怒りだ(この人と関係ない)」と自分を静めることが少しずつですが、できるようになりつつあります。

でも、葛藤の本質?に気づいたにもかかわらず、
強迫行為が激しくなってるんです。

・不安でしょうがなくなる、ありとあらゆる不安が自分の中から引き出される
・周囲(隣人)が全員敵に思える
・大人がこわい(←自分は大人側の立場なのでおかしいということはわかっている)
・1日に何度も手を洗う
・顔や頭皮を引っかいてしまう、髪を触るのがやめられない
・一人でいると、常に緊張している、動悸がする
・自分は死ぬんじゃないか?と思うことがある
(道を歩いていて、ただの石がなんか大きな虫に見えたりして、仰け反るほどビクっとする)
・ある時ふっと何もかも嫌になって、何もできなくなってしまう

↑は、強迫心理の最後の抵抗、みたいなものなのでしょうか。
(何度も手を洗うのと髪を触るのは昔からありました)

私は、幼い頃母に「私(母)を捨てたら殺すわよ」みたいな恐ろしい暗示をかけられていたとでも
いうんでしょうか…。
それとも私にはまだ自分が絶対に気づきたくないような真実があるのでしょうか??

最近は、会社で一人で昼食をとってる時と、外の風にあたっている時が唯一落ち着きます。
何をしていても、急かされているような、朝あと1分で家を出なきゃ遅刻するみたいな
気分なんです。

なんででしょうかね?

今回姉のことも書きたかったんですが、長くなってしまったのでやめます。


おいそがしいところいつもすみません。


>■生きるとは『抗(あらがう)』ってことです。

ものすごく心にじわっときます。
ありがとうございます。刻みました。

引用なし

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順調です安心してください。
「事実関係の明瞭化と整理」ここはほぼ鉄板で進んでます。
(具体的かつ詳細な部分は”歴史的興味”があれば別ですが、個人心理学レベルとしてはほぼ十分完了に思います。)


重要な部分を抑えておきますと、
>ドアを開けたらいきなり玄関(家の中です)に、母の自転車が置いてあって…。当たり前ですが玄関は自転車が置けるほど広くなく、今まで自転車が置いてあったことなんてなかったです。ものっすごいびっくりしちゃうんですよね、なんだこれ?って。すごい異様に見えるっていうか、不安にさせられるっていうか。この人は大丈夫なのか…?みたいな。
 ↑
こういう認識が自然にできるようになっていることは大きな進歩で、『強迫メガネ』みたいなものでしか事実関係を見られなかった状態は完全に脱しています。

むしろ後段に登場する『強迫心理状態の残滓』
(ほとんど後遺症みたいなもので放っておいても徐々に解消していく類のものになっているんですが→それを温存保守する構造が瓦解しているため。)
そこいら辺をトレースすると、
以下あたりの認識が「ちょっと違うかな」と思います。
 ↓
>母が無意識にそれをやっていたとは到底思えないので、
>果たして母はどこまで気づいていて、どこまで本当は狡猾で、どこまでが無意識なのか、と思います。
>たとえばこのような祖母や私との強迫ドラマを、母が本当にまったく何の疑問(あるいは違和感)もなく、無意識でやっているのだとしたら、母は私にとって巨大なモンスターになってしまいます。
>私は、幼い頃母に「私(母)を捨てたら殺すわよ」みたいな恐ろしい暗示をかけられていたとでもいうんでしょうか…。
>それとも私にはまだ自分が絶対に気づきたくないような真実があるのでしょうか??

『無意識』
これがどういうものなのかって捉え方がまだまだリアルに認識されていないですね。
「夢遊病」との対比で考えてもらえればよくわかると思うんですが(あるいは自意識が完全にショートしている認知症状態における自我の可動プロセスとか)「人はそれほど自由に動機形成というかロジカルな動きをできない」のと同時に「保守的な過去事例の反復や”投影”による仮想過去事例の反復においては自意識が抑圧されていても”さも意識的にそうしているかのように”動作可能」なんです。
専らここには高度の無意識領域を形成する『共同幻想』との関係抜きには語れないのですが、
それだけでなく、人間の脳には膨大な記憶領域があって(逆に言えば自意識はそれを完全に掌握していない)、受験などのテストがいい例ですが「覚えているのにその時意識的に思い出せない」これ普通にありますよね?
これはつまり、脳内無意識領域には膨大なファイルがあって(トラウマ現象のように関連性として自意識判断を飛び越してリンクが生き続ける場合もある)、これは投影だけでなく(事実関係の認識:類似反射など)認識にも影響与えます。

これに対する上での『自意識マター』というのは、インデックスの管理じゃないですけどOSレベルでフォルダのツリー構造やら「削除扱いフラグ」など「アドミン権限で指揮権を発動する」ようなものなんです。
しかし、共同幻想系の枠組みの中強度の強迫神経症状態の自我には「そうかんたんに自意識マターになることすら難しい」事になり(永遠の自意識共犯:無意識的ロジックを追認するだけのような状態)、主導権を持っているように見えて(感情的に騒ぐ様子などはそんな風に見えがちですが感情的とか興奮というのはどちらか言えば”反射”なので自我状態は無意識的である証明になります)

ちょっと正確性においては問題なんですが着想を生かしやすいというか、
無意識を甘く見ないために、
■映画『犬神家の一族』(市川崑の1976年版)
参考として上記映画を観てください。
(構造は全然違うんですが、私が言っている「無意識に」って表現は上記映画における高峰三枝子演じる母親の説明のつかない行動級のロジカルというか実行可能性を意図しているものです。なんというか「それはそのとおり無意識でもあり得る」のような、)

逆にいえば「それが全く無意識だからこの話は怖い」んですよ。
(違う意味で)
「なんちゃらサーガ」と呼ばれてみたり、
仏教哲学が「カルマ」なんて呼んで恐れたり、
それを知ったものが”トンデモオカルト話”と勘違いしちゃう級の代物です。
(心理学的には「それほどでも」で説明できちゃいますが、)

そうですね今回のテーマというか課題としては『犬神家の一族』観る事が一番大きいかなと思います。
(勿論TVなどでも再三再放送されているのでご覧になった事あると思いますが、それでも課題意識を持って改めて観てください。)


さて、話は戻って今後のスタンスですが、
>もう何も言えない(知らん)と思いました。
 ↑
これが正しい選択です。
以下と重ねるとわかりやすいかと、
 ↓
>母への怒りの抑圧(=実は死ねばいいと思っている)があるんです。
>その怒りは、今でもいつでもふきだしたがっていて、場合によってはその時周りにいる人に迷惑をかけます。
>もし母が情緒不安定なんだとしたら、ますます私は母に対して憎しみを口にできない、言っても通じないことになります。※現時点で私は母に自分の思ってることを言うつもりはさらさら無いです、それを前提として。

抑えるとかそういう話じゃありません。
「狼が来るぞ」で、
「ゲッ狼が」とこれをインストール(幼児における誇大性でさらに凄い狼ってことになっている)しているから、狼話の流れで「なんてことを」とか怒ったりするワケですが、
この話は「そもそも狼などいなかった」のであり、
更に言えば言った当人は「狼なんか言ってないわよ」と全く自覚はありません。
(極端に言えば記憶にすら無い)
あり得るのは「時々今でもある”あの妙に不快で耐えられない感じ”が”その時”にもあったかもね」のようなものなんです。
それを傍目で見ているだけならまだしも、
当事者として言われる立場だった人間は「あれやこれやの大騒ぎ」となったのですが、
言うならばこの物語の全体像は、というか”落ち”は『人騒がせな奴』なんですよ、
(これが残念な事にと申しますか本当にそうなんです←だから逆に恐ろしい。)
(今回とは全く関連ありませんが)巷で昨今問題になっている「実子虐待殺人」なんてのも事の発端は『人騒がせな奴現象』なんです。
(これが大規模に拡大して同時に本人に犯罪フラグが別途あると事件性に話は拡大します。注:犯罪フラグと心理的要素は全く別の論議です。)

■つまり”はこ”さんに取るべき正しい反応なんてものがこの世にあるとすれば

「は〜〜。。。」

溜息とも落胆ともなんとも表現のできない「は〜・・・なんだそれ」以上でも以下でもない。

そして「もうねやってられないから」となり、
 ↓
>もう何も言えない(知らん)と思いました。
 ↑
これが正しい選択です。

ですから、
 ↓
>最近はこのことを意識することによって、「今のこの怒りは不当な怒りだ(この人と関係ない)」と自分を静めることが少しずつですが、できるようになりつつあります。

そうじゃなくって、「怒るところも無しかオイ。。。」なんですよ、
(勿論個人的に「ったくコノヤロー」的に怒るのは正しい反応ですが、怒るにしてもニュアンス違うのわかりますよね?)

実際得体の知れない興奮(場合によると怒りと捉えられている)の元ネタは「おっき過ぎる狼」にあるのであって、
当事者同士のなんといいますか利益関係によるものじゃありません。
話を簡素にしてしまえば「最大級の判断します。アンタとは取引停止だ、」←これが最大級なんですよ、
(既に大人になるって過程なので”はこ”さんは独立事業主なワケで)
 ↓
ですから「取引停止とした過去のお得意さん」の事を後からアレコレ言っても始まらんのです。
(勿論個人的に「ったくコノヤロー」的に怒るのは正しい反応ですが、怒るにしてもニュアンス違うのわかりますよね?)

ここで見えてきますよね?
■「取引停止だコノヤロー」がちゃんとできておらず、自分自身も(まだもって依存的に)『この世に親子関係なんてものがあるのだと今でも思っている』から(親子関係なんてものは幼児のファンタジーみたいなもんですよ→現実世界にはホントの話悪魔なんてものもいませんし)まだまだ残滓が(幽霊みたいに)時々顔出すんです。


「え、マジ、そういうことってアリ?は〜・・・なんだそれ、もうねやってられないから」
ここがまだまだ十分じゃ無いのですよ。

引用なし

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【98】Re:簡易相談依頼  はこ  - 2013/01/20 20:39 -

お久しぶりです。
長い間お礼もせず、すみません。
今でもちょくちょく過去ログ等参考にさせてもらっております。

早速で何なのですが、
前回から今までの経過をざっと報告させていただき、
分析してもらいたいのですが、
かなりプライバシーに纏わってくるので、
有料の簡易相談をお願いしたいと思います。

一応正社員なので、2.のBでお願いします。

今回は相談というか、「今後自分がどうすればいいのか」などは
自分の中でなんとなく答えが出ているので、

起こった出来事(と私がそれに対して感じたこと)に、
「それを精神分析的に見るとどうなのか」という
kagewariさんの見解を(一回完結形式で)教えてもらいたいです。

できるだけ簡潔に書こうとは思っていますが、
分量的にともすればまたとっちらかってしまいそうなので、
文字数の制限や、こう書けば分析しやすいという形式などが
ありましたら、教えてください。

ご確認宜しくお願いします。

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【99】Re:簡易相談依頼  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2013/01/20 22:22 -

ざっくり説明しますと
(これまでの経緯は有料の精神分析『構成』コース級に進めてますんでバックグラウンドの説明は不要ですから省略いただいて構いません。)

1)依頼文全体に対しては文字数制限はかけてません
(ある程度制限かけているのは各簡易相談後のアフターサービス的に各回1回可能としている追加質問部分です←文字数というより「1項目だけ」といった感じで)

2)登場人物の詳細はそれほど重要でも無いので(その人から相談受けている訳じゃありませんから)
>起こった出来事(と私がそれに対して感じたこと)に、
>「それを精神分析的に見るとどうなのか」という
 ↓
起きた事そのものは簡潔にまとめ、むしろ「それをどう感じたのか」の方に主力置いて書いてください。
文字数はありませんが目安としては感想文じゃありませんが、一つの出来事とその感想を400字ぐらいに収めるのがいい線かなと思います。それを各出来事数分作成する、
(この方がとっちらかりを抑制できると思います。)
そして、各出来事の項目書き出した最後に「まとめ」的な相談要旨をつけてください。


3)本題とは関係ありませんが(掲示板の方で事前に有料の告知はされない方が良かったですね「有料で相談するしない」も個人情報ですから)、今回”はこ”さんが相談するという情報がここで公開されてしまってますが、誰かが相談結果を成りすましで入手する事が無いようにここはIPなどの情報から私の方でそこ担保しておきます。
(これまでの経緯も『公開掲示板』上で公開されていますから、殊更心配する事では無いのですが、念のため『公開掲示板』にこの注記を残しておきますね。)


4)利用の方法
>(一回完結形式で)教えてもらいたいです。
の、希望であれば『簡易相談1回のみ』で対応します。
有料案内のページに記載ありますが、簡易相談は1回のみアフター枠で追加確認可能ですのでお忘れなく。→相当期間を置いて後からアフター1回質問権を行使してもOKです。

と、こんな感じです。
他事前に確認ある場合には『有料相談依頼』のとこに記載ください。
着信確認の返信時にお答えしますから。

よろしくどうぞです。

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【93】有料メール関連の告知  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2012/12/14 21:42 -

つい先日有料メールのコース見直し等改定したところなんですが、当時は『公開掲示板新規相談の停止』を受けて少々バタバタと修正したので、どういうシステムなのかわかりにくいところもあったので、少し整理しました。
又、値上げしたワケでは無いのですが(実際にはメンタル問題の相談依頼者は休職中や未就労の状況にある場合がほとんどなので)、
ここに『正規社員など』の場合を明示しました。

■意図なんですが、
メールカウンセリングの特性として就労困難な状況を考えて料金を抑える合理性は疑う余地のない事なんですが、「強迫心理」が関与する場合”特別”ってフラグは依存性誘発などにとってはリスクなんですよ。
公開掲示板であれば衆目が見ているという枷がある程度効くので、私物化という表現はアレかもだけれど「少なからず横も見ての対応」という抑制が自動でビルドインされるワケなんだが、『公開掲示板』における追加の相談停止で設置した『簡易相談』にはその枷が効かなくなってしまうため、安全装置は必要かと判断したところです。
(なんていうか依存性なんてものは課金悪質系サイトが逆に利用するところだけども、こういうとことウチのサイト違うので「依存的利用は物理的にストップかけますよ」を徹底させる意味もある。)

”特別”ってフラグを相殺するために「就労困難などの状況に限り」をはっきりさせて、同時に「正社員などなら幾ら」を明示して”公式見解”を明快化させて、「強迫心理の偏向誤解」を抑止しようと考えたところです。
(ちょっとわかり難いかもなんだが、以前の『公開掲示板』における公共性リミッターに近い安全装置です、)

<以降詳しくはブログ上の告知参照ください>
http://kagewari.seesaa.net/article/307633454.html

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【91】約束を守れない人  yuttie  - 2012/10/23 11:44 -

・・
お久しぶりです
おがげさまで、感情の起伏は今だいぶ落ち着いてきています
一時は幻覚をみたりして、精神科の先生に統合失調症を疑われたこともありましたが、今は何ともありません。自分とゆっくり冷静に向き合う余裕もようやくうまれてきました
相談の受け付けは終了されたということなので、今回は質問という形で新規投稿します
・・

心に余裕が生まれるにつれてどんどんルーズになっていく自分がいます
遅刻は平気でします。友人との待ち合わせなら一時間以上待たせたことだって何度もあります
ドタキャンも日常です。行きたくない、と思ったらもう行けません。クリニックもそんなようなことで行かなくなりました。
本来折り返さなければいけないと思っているメール・電話もほとんど折り返しません。メールとか電話って、なんだか怖いのです。というか人が怖いので、リラックスした状態からコンタクトを取るということがしんどいんです。
同様に、やらなければいけないと思っていることも、やりたくない、と思ったら出来ません。

だからといって、そんな態度をとった結果相手が迷惑し自分もみじめな思いを何度もしたので、
ルーズな自分をそのまま認めて開き直ることも出来ないのです

改善すべきでしょうか。このままだと果てしなく脱線して迷走してしまいそうで怖いです。しかし、そのベクトルは今自分がやっと進んで来た向きと真逆の方向に伸びているような気がするのです

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【92】Re:約束を守れない人  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2012/10/23 18:14 -

それは一種の『思考停止』って奴です

精神科通院歴的に投薬の副作用も考えないといかんですが、そこはご自身でお調べください。
動機形成の腰が折れるってのは能動性全体がシュリンクしているのか、そもそも動機形成が違っているのかなどまー見方はありますが。

『有力な線』は、
(そもそもこの状態で友人関係を維持していることからして怪しい、どう表現すれば適当でしょうかね、少なくとも現在の状態で友人関係などの”関係性”が正常に機能することは論理矛盾になるからです。=「強迫心理の友人」の可能性の方が高いワケだから。メンタル事例のなんとやら的には鬱病時にともかく仕事を休職するか辞職した方がいいように、過去の人間関係は可能なかぎり整理した方がいい(不良事例で鑑別所出た後にいきなり昔の仲間と合流するみたいな何があるってこと)、一人暮らしの方が好ましいのも家族関係者との関係性を整理するためです。)
 ↓
そもそもがその動機は「抑圧された自分にとってやりたくもない似非であり嘘であり(強迫心理発である)」、そのインチキさを否定するほどの力が『自意識マター』に欠けているため、『思考停止』に逃げた。

(副作用的な心配は興奮を鎮静化させるなりのなんとやらだと自意識も弱体化しますんで、まー意志そのものが虚弱体質になるみたいな、だとすれば影響も考えないといかんでしょう。)

■「何をやってんだか」のテンション時に獲得された関係性なり動機形成であれば、リハビリ的に拡大するべきポイントになりますが、

「○○のほうがいい」だとか「そろそろ又○○してみようか」程度のというか、(強迫切りの韻を踏んでいない文法)そういうロジックを発端とする動機形成は、『被(こうむる)』構造のままだと判断するのが有力なので、
やっても無駄というか、
思いついたことからしてアウツだろって”落ち”です。
(前述のたとえで言えば「よー出てきたんなら、又改造車で走りにいこうぜ」をドタキャンするみたいな。)

口語調の認知的には
「おいおいい○○とかってまだやってんの(またか)」
な要素の切り分けが不徹底というか(現在の状況伺うと)、いかんせん力不足って感じしますね。

■有力な対処法ですが
「まずミネラルウォーター1リットル飲みながらステーキ300グラム食ってください」話はそれからです。
(焼き方はお好みで、)

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【89】陽性転移  まゆ  - 2012/10/19 19:23 -

精神科の患者が精神科医に陽性転移する心理構造と、医師側はどういう防御法を心得ているべきなのか教えてください。

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【90】Re:陽性転移  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2012/10/19 20:55 -

■ご案合のとおりで、現在当掲示板は簡単な質問のみ受付となっておりますので、必ずしも返信は心理学的に詰めた内容とならない場合がありますのでご了承ください。

▲となりますので質問はここまでにしてください。


>精神科の患者が精神科医に陽性転移する心理構造と、医師側はどういう防御法を心得ているべきなのか教えてください。

医師側がって話ですよね。
まず私は言うならば「民間の精神分析及びカウンセリング関係の専門で」、医療系とはなんら関係ありませんので(場合によっては見解が相反する事も多い:医療系は文系の心理学は専門にしてませんから)、どういう趣旨で答えればいいのか少し悩むところですが、
なんといいますか心理学系ではほとんど心配ありません。
理由は簡単で”移転”とか”共依存関係にならない点”などバックグラウンドというかそれが構造的に派生する”似非”であることわかってますので、分析者がヘボだと話になりませんが、そうでない限り巻き込まれる事はありません。
(相談の進行上様子見しないといけない状況もありますが、)

端的に言えば特に精神分析・心理学の相談は(移転云々より)「依存的用途への注意」が必要で、依存的用途を放置すると「そもそもが相談の動機が違っているワケですから」(アルコール依存症の相談者が分析者なりを一杯飲み屋に見立てているワケで)、言うならば状態(当初の相談依頼動機である部分)は悪化します。
簡単に言えば「相談の悪用」です。
(ザックリ言えば「相談詐欺」)

ここで相談を安易に継続することは精神分析相談事務所をたたんで、アルコール中毒の人向けの一杯飲み屋を開業する事になりますので、
まず対処するべきは『出入り禁止』です。
(或いは一定期間の出入り禁止)
分析者の側から強制的に『一拍置く構造』を設定するということですね。
(警告の後に全く依頼状況に変化が見られない場合には、「相談依頼は無かったのと等価」となりますので、完全に『出入り禁止』とするべきです。←無理やり分析者が続けようとすればそれはですね「FX取引の押し売り営業」と趣旨同じです。第一そのスタンスじゃ精神分析が「ネタバレ的な対強迫心理効果」を失ってしまいます。)

注)特に医療系と違い心理学は『第三者中立的立場(ジャーナリズム的な立ち位置)』が大変重要な要素になりますから、これが当事者・利害関係者のように見立てられてしまえば分析答申の根拠が崩壊しますので(裁判で言えば弁護人や検事や判事などがいなくなり当事者だけの言い争いで事実関係の確認行うようなもので)、答申がどれだけ心理学的に合理的な内容でも意味が無いワケです。
ぶっちゃけ効果もほとんど期待できない。

それはそうなんです(依頼主にその動機が無いワケですから)。
一級建築士に設計相談にいった本当の目的が「建築士へのクレーム」だとしたら(陽じゃなくてこの場合陰になりますが←これほとんど意味同じなので)、「ちょっとどういうことですか」と話をサスペンドするのがごく自然というか、その段に及んでそのままマジに設計図作成に取り組む方が倒錯してますよね。

■しかしというか一部心理学ではこの”移転”はアリなんです。
これは何故かというと”移転”の全てが依存では無いからです。
(まーね何から何でも心理的問題に結びつけるのも無茶な話で、)
確かに「強迫心理問題」ってのはその発端が『共同幻想』ですから、元からが権威性認知の意識は高い。
(つまりその件に関しては『共同幻想適応人格』と同じってことです)
その場合、医師や専門家って属性名称に関連して一定の与件化(権威認定)が行われるのは『共同幻想適応人格の場合も同じ』なワケで、
同時にその与件化が適当なのかと依頼当事者もこれを判断しようと分析者の発言など内容や根拠を検討する動機にもなります。
(これもなくちゃ話にならない)
委任における信頼関係の論理構造が権威性認知のルートだからといって、依存的移転とは言えないって事です。

つまり前段説明の『出入り禁止』の話は専ら「依存的内容の場合」となります。
(恐らくまゆさんがイメージしている”陽性転移”の”陽性”の意味はそっちの話のことだと思いますから、この場合の回答は『出入り禁止』です。)


■むしろ問題起きやすいのは医療系です
理由は簡単で、医療系では所謂文系フロイド心理学に関して専門的知識ありませんから、医師にその関係が”依存的な移転なのか”判別する能力に疑問があること。
精神科における『診療拒否』や『強制退院』の話もいくつか知ってますが、客商売的に病院側が『出入り禁止措置』を簡単にできるのかと言えば、医院内での当該医師の立場もあるでしょうしね。
(※専らこの辺は医療界が投薬中心の対応であることや5分診療などのところで「なかなかそうなりにくい」形を持っているのでって部分はあるちゃ〜ありますが。)

実際臨床心理士などの研修では「移転による共依存状態」ならないようわりかしテキスト使って警告説明していたと思います。
(以前URL紹介されて研修テキストを30秒的斜め読みした時に実際確認した記憶あります。)

精神科・心療内科は「不快感への投薬対処が専門」で、
(そもそもメンタル問題の心理的原因研究は専門では無く、投薬成果の統計的知識というか所謂臨床による経験的投薬の専門って部分が大きい。←原因となる問題の解決ではなくて、直面している不快感や現象への投薬による緩和効果があるかないかが主眼。)
確かに部分的に心理面の知識はありますが、これは歩留り的な内容で(なんと言えばいいでしょうかね『医療界共同幻想の許容範囲内だけの心理学改変バージョン』みたいな)、踏み込んで強迫心理の状態がどうなっているだとかは彼らの専門分野ではありません。
(てかほとんどわからない筈)
 ↑
実際そのまんま精神分析やら心理学的検討やらを病院が普通にやれば倒産します。
(どういう名目で一案件数時間(一案件の対応で半日超えるとか数的にも病院では無理)に及ぶ分析検討やら対応やらの時間を医療保険請求できるのかだとか、仮に何らかの名目で保険適応にして3割負担とかに減額したにしろ、数時間〜となれば一回の診療でウン万円とかになります。)
(※事実保険適応は難しいので、心理カウンセリングなんかをやる場合には、院内ではなく近所に別の個人事務所を借りて”クリニック”の形で30分で1万円とかの形式でやっている医師とかの実例もあります。)
▲一般経費とかのスケールからして病院という組織は経営の基盤も違いますから。
ご存知の通り行政的にも病院は保険適応診療をベースとした存在です。


ですから、医師の側が医師個人の心理状態やらで(てか共依存に飲まれる人は元から本人に強迫心理的元ネタがある場合が大半だと推定してますが)、共依存関係にのめりこんでしまうという部分は抑制しようが無いとも言えます。
(それこそ、そういった場合にはその医師に心理学のとこに相談きてくれって話です。)
事実、医療系・福祉系って職業は「強迫心理からも選択されやすい部分」がありまして(及び教師も)、元から強迫心理的問題がある職員なりが多くなる傾向も(あくまで推定ですが)予見される要素でもあります。
(※かえってこの件に関しては医師がコテコテのアンチ心理学で断固投薬派のスペシャリストの方が共依存にのまれる可能性少ないかもしれません。←それもどうなのかはともかく、投薬職人みたいな立場は患者からの心理的なんとやらと接点発生させないですから。)

引用なし

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【82】父親と異性  まゆ  - 2012/10/10 18:33 -

独身女性です。
父親にいやらしい目でみられている気がして気持ち悪い。
父親の前でスカートなど多少でも露出のあるものは履けない。
胸が隠れるような格好をしてそもそも父親を生理的に受け付けない。
心当たりは
1)私が性的に早熟だったので意識過剰かもしれない
2)性的トラウマは思春期に突然胸を触られたくらいで虐待と言えるほどのものは無い
父親のことは憎悪していると同時にこよなく愛着のある存在です。
母親のことはこよなく愛着があるのと同時に鬱陶しい存在です。
この世に性別やセックスがあること自体気持ちが悪く、女性が妊娠するなど気持ち悪い感じがします。

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【83】Re:父親と異性  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2012/10/10 21:32 -

■ご案合のとおりで、現在当掲示板は簡単な質問のみ受付となっておりますので、必ずしも返信は心理学的に詰めた内容とならない場合がありますのでご了承ください。

■『性の嫌悪』
これがある場合だいたいのケースで「あなた自身に両親がらみ(今回は特に父親に対する)執着があります」←これは好んでそうしているとう趣旨では無く、快不快(興奮による快感代謝:不快感でも代謝します)の場面というか対象が、本来大人の自分の年齢に相応した”外の社会”を対象とする世界に移行しているべき状況が(反抗期によるアップデート)不完全なため、
子供時代同様に物の価値であるとか快不快の憑代(よりしろ)が未だに”両親”などの”タグ”なり”フラグ”なりで起動しており(反抗期が完全に履行されていれば既に両者は一介の社会人同様も単なる赤の他人に近い存在に認定変えされます←この認定変えが行われていない)、本来向かうべき関心なりが結果論として内向化した(未だに両輪絡みのホームドラマに向いた)ままである。
(大人の自我における外交性への関心なり社会問題への関心なりに志向がシフトされていない)
 ↓
(乱暴な言い方すれば自我が大人になっておらず無意識に”子供自我”に固着し内向化している←”大人の自分自我”の発現が抑制されてしまっている。)
 ↓
その結果(結果論として)
あなたの年齢相応の異性への性的関心なりが(大人の個人としての快不快原則)、ぶっちゃけ子供のままであり(年齢不相応に)いまだに登場人物として両親を重要起点(両親の権威性認知は通常反抗期に壊れますがこれが壊れていないため)とする他者認定となってしまうため(=本来年齢相応なりメインとなるべき赤の他人への関心が両親に比べれば相対的に無関心なままとなる)、
端的に言えば自分が主人公のドラマの登場人物が一般社会にシフトしていなければならないのに、あなたの物語はいつまでたってもホームドラマのままに押し込められている事なり。
(無意識に抑圧構造ができあがっており←発端的には反抗期不全)

言うならばあなたの社会における他者異性への性欲が(上記構造により)結果論で未だに父親に向いてしまうというトンデモ状況になるため(他に向かう先が無いから)⇒「近親相姦嫌悪」が認識されるため、
(ホームドラマから社会人恋愛ドラマにシフトする年齢なのに、大人恋愛ドラマの登場人物がホームドラマと同じままになっているという意味。)
同時に子供の心理には性行為は許容できない世界だったりもするため、
これらが相まって、
 ↓
『あらゆる性に対する嫌悪』に化けちゃっているワケです。

(この場合父親なりへの固着は父親個人の強迫心理絡みの異常行動があるにしても、これは又別の論議になります。:末尾注2)
ある意味、上記括弧書きにおける実際の父親の行動が又通常とは違う部分もあるため(そもそも両親の行動なりの不自然さが『反抗期不全』の原因なワケで)、
言うなりゃ悪循環し、余計に不信感を呼び(どちらかと言えば”新ネタ提供”なり”燃料投下”的意味なんですが)、現在の状況に至っているという事です。

■局所的に言えば、『性への関心』が一般社会における他者に向き(=元両親への無関心)内向性ではなく外交性に認知状況が転じれば「性そのものへの嫌悪感」は消失します。
(繰り返しますが、自意識がそうしいているのではなく、自我構造論的結果論として無意識において”あたかも世界の権威における重要人物”であるかのように未だに両親(実体はどこでにもいる単なるおっさんとおばちゃんです)が過大・誇大に認知されたままで=一般社会への関心への切り替えを阻害しているって事です。)
反抗期が万全にプルーフというのは(親離れですから)=両親の赤の他人化であり、極論すれば「どこの誰が親だか知らない”私”の登場」のような恰好で→外の社会(戦場)へ突撃していく形になります。
(更に極論すれば「誰が親だったかなど普段忘れている状態」が大人の自我です。)


注)一般に上記構造の始まりは父親メインに認識されがちですが事の発端は(夫婦関係において)母親である可能性もあり(どちらにしても家庭内強迫心理環境の共同正犯なんですが)、早計な判断はしないように。

注2)反抗期が通常通りにプルーフしていれば、この時点で両親は単なる赤の他人と同程度の認知に還元されるため、”仮に””本当に”父親に性的いやがらせなどの悪癖があったとしても、主語の「”父親が”」の認識を肥大化させかねないイメージ部分は無効化されるため(主語的に”近所のおっさんが”と同じ意味になる)、「何すんじゃコラ」的範囲の問題に低減化します。
(まー問題には違いありませんが、別問題となる。)

引用なし

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【84】Re:父親と異性  まゆ  - 2012/10/16 07:05 -

とてもよく分かりました。ありがとうございました。

>事の発端は(夫婦関係において)母親である可能性もあり

父親の悪口を吹聴するのはだいだいの場合において母親ですから分からなくもありません。
でも父親の非常識さ、人格的問題を肯定したら、子どもは人間はそれでもいいものだと認識してしまうので、
いいとも悪いとも言えないような気がしました。
そのへんの母親の態度のバランスは難しいですよね?

それから、性的嫌悪感が強いくせに、性欲が異常に強く執着するのは何故でしょうか?

引用なし

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【85】Re:父親と異性  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2012/10/16 18:19 -

■ご案合のとおりで、現在当掲示板は簡単な質問のみ受付となっておりますので、必ずしも返信は心理学的に詰めた内容とならない場合がありますのでご了承ください。


>そのへんの母親の態度のバランスは難しいですよね?
ここはバランス問題では無いのです。
昭和の女性にとって『主婦』はタイトルであり(昭和サラリーマン社会幻想における”部長格”の役職)、既得権益となります。
ですが同時に家族法人の公益性などを預かる共同責任者のひとりであり、法人に問題ある場合、その継続が望ましいのか会社更生法適応級の状況なのか判断する社会的義務(と当事者個人の自己責任=著作権)がありますが、これを自らの既得権益を前提に(注:子供の権利はその他社会福祉関連法で個別に保護されてます←これは労働者の権利保護と似た概念:言うならば子供は家族法人における”子役従業員俳優”という職業ですので)、取り立てて根拠も無くそれを是認するだけでも(無意識か自意識によるかはともかく)意図的な選択になります。
(積極的責任当事者というより供依存関係者)

なんつーかですね、
『家族ドラマ専門の大道芸人一座(いつかは一戸建ての専用舞台小屋が欲しいみたいな)』やってて、演出上の責任者としてどういう立ち振る舞いを考えるのって話。
それでいんですか的に、
(※このドラマ演目は本来季節ものというか20年前後の時限制で、家族ものの演目シーズンが終わると一座は速やかに『更年期夫婦ドラマ”コンビ”』に改編される”筋合い”のものです。)

注)文化人類学的には、高度先進国は高学歴化や教育水準の上昇により「民主主義における投票権が18歳へシフト中」です。
(言うならば成人年齢を18歳にしようかと)
ですから民主主義的には18歳になれば例外なく自動的に独立しひとりぐらしに移行するのが環境的に望ましい。←てかメンタル環境的にもそれが普通であるべき(子役の引退)、
北欧福祉社会なんかだと”個人に対して”高校進学時にひとりぐらしの支援があったりします。


(※『共同幻想』が強固な往年の封建社会で言えば家族法人の中でも低階級となる若い夫婦の言動は地域社会などに事実上監督され、事実上人権侵害状態になりますが、その反面人権侵害の対象が若夫婦への管理も含まれるのも確か←内容はともかくですが。つまり前述の問題点は「核家族化時代」の到来により事前に予見されている社会リスクです。→後に『主婦』というだけで自動的に”部長クラスの役職”となる既得権益も問題視され→男女雇用機会均等法を契機に「『主婦』は役職ではなく”自営業的な職業のひとつ”」に還元されてます。←ここは年功序列と終身雇用の崩壊とセットで男性側にも”新卒で会社員”となっただけで既得権益のように(予め一般職に押し込んでおいた)女が自動的にあてがわれる仕組みの崩壊でもあります。)

>それから、性的嫌悪感が強いくせに、性欲が異常に強く執着するのは何故でしょうか?

この答えはある意味心理学の基礎です。
本来社会的戦場向けの能動性が年相応にあるわけですから、
(脳内では社会派ドラマが進行していて普通の状況で)
これを無理しゃり「24時間無限に続く橋田壽賀子の渡る世間は鬼なんとか」この演目でやり続けているとなればですよ(いい加減飽きるのと同時に)、
なんて言いますか「”リアル渡る世間”社会派」だとか「”リアルどらえもん”(のびたと性)」みたいな、そのネタや演出を『ほとんど倒錯』でもしていかないと自らの社会性能動性と関連できんのです。
当然設定に無理ありますから、演出上(”ストレスたまって”)表現をエキセントリックにでもしないと満足しません。
「猟奇的殺人事件の起きる”渡る世間は”」「性的葛藤に悩みリストカットするのびたを見かねて性的サービスをはじめるどらえもん」のようなですね(脳内ではそういう場面が無意識下でイメージされているというか)、
 ↑
1)実際に能動性を解放する場所が無理な空間に押し込められるのでストレスが(実体としてはリビドー)充当され過多となる
2)そもそも得体の知れないエキセントリックな表現(倒錯)が素の自分から見ても異様に見える

注)社会的能動性ってのは一般社会において『戦争』が普通にあり得るスケールですので所謂『共同幻想普通モデル』でも相当にいっちゃってる話で(『共同幻想』社会はある意味そっち方面の妄想過剰化を織り込まれたストレス社会で狙ってるともいえる)、そこ考えるだけでも「特別に高度な心理学的判断必要無く」理解できる点かと思います。


実際上記1と2の関連で「そんな風に見える」ってだけです。
(思春期の旺盛な性的欲求は種としての性能ですので、そこは自然現象です。←ここは生物学的視点ですが人類は哺乳類の中でもこの点”異常性欲保有種”。)

■重要なのは「そうなっちゃってる(表面化した)問題(そのもの)」を見るのではなく(所詮結果論でしかない)、「なんでそうなっちゃっているのか(という発端)」を問題視することですね。

引用なし

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【86】Re:父親と異性  まゆ  - 2012/10/17 20:58 -

ありがとうございます。
ではセックス依存症の人たちの心理構造はみんなそのような未発達なものなのでしょうか?

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【87】Re:父親と異性  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2012/10/18 02:00 -

■ご案合のとおりで、現在当掲示板は簡単な質問のみ受付となっておりますので、必ずしも返信は心理学的に詰めた内容とならない場合がありますのでご了承ください。

>ではセックス依存症の人たちの心理構造はみんなそのような未発達なものなのでしょうか?

これは若干違います。
(事の発端に同様の構造が関係しているのは確かなのですが、)
細かいところというか動的側面が違うんです。

性依存症は(アルコール依存が楽しく飲みたくで飲んでいるのではないのと同様に)性行為の形を取ってますが、所謂「自然な性欲(厳密に言えば自然な状態の定義はできないので”自然”って部分は数学で言うXのような仮説的意図でご理解ください)」では無いのです。
平易な言い方すると『わかりやすい意味の性欲はむしろ無いに等しい』ぐらいの話です。
(鬱下でも著しく性欲減退が見られるなどメンタル=自然な性欲の発現は行先問題で強い成約なり抑圧構造下にあると考えていいです。)
なんでしょうね、買い物依存は物欲と関係無い、
万引き依存の人はその商品が欲しかったわけでは無い。
 ↑
この辺で意味わかります?

所謂性依存症の性行為は『依存のための方便』であって、目的では無いのです。
(暴走族の改造車両以上に目的と方法がかけ離れている)

脳内であたかも性的関係が家族血縁に”次ぐ”二次的利得(既得権的関係性)のように認識されていて、
強迫心理における内向度合は引きこもったり心理的に家族社会から出られないってほどでは無いのだが(友人などと会話もできるレベル)、人間関係を「平場の大人の信頼関係」というような水平性では認識できず(不安である)、家族関係に倣う”血縁関係みたいな”利害関係的結合でないと実感が保てない(勿論強迫心理的実感です)。
(どちら側が従属とか確かに決まっているのではないのですが、上下関係に似た階級的結合”のような”状態じゃないと安心して実存できない様。)

こういう状況です。
実際以下のような症例は滅多にありませんが(単にユニークで思いつかないだけで構造的にはあり得る)、以下事例のようなものだと考えるとわかりやすいでしょう。

「今後ともよろしくお願いします。」
「はい、よかったこれで私もあなたという友人をみつけられました。」
「ええ、そうですよ。」
「では、私が10万円貸しますので借用書を書いていただけませんか、」
「は??」
「あら、もし借りる側という立場が気になるのであれば、私があなたから10万円借りるというのでどうでしょう?」
「...え?」
「信頼関係ということですからお金の貸し借りの実体が無いとダメじゃないですか、信頼の証です。それがなくちゃもう〜ですよね、」
「は〜、あの、、これは何かの宗教なのでしょうか?」
 ↑
本当にお金のやりとりが必要なわけではない。
金銭欲とも関係が無い。
※しかし同様手法は新興宗教やマルチまがいなどの閉鎖社会への”妙なアイデェンティファイ洗脳”みたいな状況で実際使われてます。


■起点は不安感です、
性行為の対象者であるという一種の”特別な関係”が脳内で特権階級とは微妙に違うんですが(ここで→家族関係に倣う”血縁関係みたいな”利害関係的結合でないと実感が保てない)、初めて安心できるみたいな。
(タグ的には”特別”というのが重要なフラグ)

元ネタは「”社会”という外界に”個人”で実存できず、無意識に家族社会離れができていないから(脳内共同幻想が『家族社会のまま』強迫心理化している)」。
(※社会において性行為の対象者としてしか実存できないみたいな)
言うならばホームシックにおける対処のように性行為を必要とする。
(俯瞰で見れば一種の”ノスタルジー”←性倒錯的に解釈された家族ナントカみたいな。)

ここ非常に言葉を選ばないと危険なところでもあるのですが、
性依存症は一種の自虐的性的犯罪(倒錯現象)であるとも言えなくも無いのです。
自傷行為(=マスターベーションの代理行為です)の派生(部活版とか?)と捉える事もできるでしょう。

(これは更に微妙に違うんですが『共同幻想』というフラグで見れば、非行少年の不良は決まって過剰な上下関係社会じゃないと自分が実存できないってのも似た現象と言えば似た現象。体育会系組織が成立する力学も若干似ている、)

▲アンチテーゼは『一匹狼』

引用なし

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【88】Re:父親と異性  まゆ  - 2012/10/19 19:21 -

何度も読んだらよく分かりました。ありがとうございました。
連投 で申し訳ないのですが新たに投稿するので差し支えなければお願い致します。

引用なし

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【80】過去をどう消化するか  東京住み  - 2012/08/26 22:10 -

2011年3月

37歳で10年近く務めた会社を解雇されたのは自分の人間性の問題。自責の念がある。
トップとの人間関係がうまくできなかった。その他の仲間とはうまくやっていた。
辞めたくなかったので余計に後からいろいろ考える。
仕事は楽しかった。

その後、新しい会社に入社

2011年9月  入社
2011年12月 疑問を感じ始める
2012年1月  本採用になり、土日のサービス出勤が始まる

仕事がつまらない。
社会的に孤立している組織。
既にできている人間関係の中に入っていけない。孤立している。
10年後に組織がなくなっているかもしれない。雇用不安。そのためにも新しい目標が欲しい。40過ぎても転職できて、年齢的に大丈夫な仕事。つぶしがきく仕事。

以上、最近は自責の念はなくなってきましたが、どうしても楽しかった過去を思い出します。どうやったら過去を消化できるでしょうか?

引用なし

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【81】Re:過去をどう消化するか  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2012/08/26 23:24 -

■ご案合のとおりで、現在当掲示板は簡単な質問のみ受付となっておりますので、必ずしも返信は心理学的に詰めた内容とならない場合がありますのでご了承ください。

早速ですが、
つまるところ『ノスタルジー』ですね。
(私が心理学的説明においてこの『ノスタルジー』という表現は固有の意味があるのですが、ここでは省略します。)

ノスタルジーはノスタルジーとなった時点で現実と乖離します。
簡単に言えば今あなたがなにがどうこうと感情的な固着を発生さている『記憶』ですが、ノスタルジーとなった時点から「違う話になっちゃっている」という構造です。
(この辺何故なのか話すと長くなっちゃうので「現在の心理的状況がその証明である」ぐらいの幅でそう理解しちゃってください。)

構造を俯瞰で見れば、
現状の不安なり不満(実はこれもそれほど根拠が合理的とは言えません)、それを発生させているのが「直面する現実問題ではありません」。
恐らく体感されている不安はもっと別の深層心理が原因であり、ぶっちゃけ挙げられている現状の不安の根拠は「場当たり的に選ばれている」となります。
(第三者からみればしょうしょうこじつけも感じられる無理筋の筋立てになってます←多分ここ自覚されていないでしょう、無自覚となるのは文脈にレトリックがかかっているからです。)
本来は「じゃーそもそも本当の不安の理由は何か」と心理学的に突っ込まないといけないところでもあるのですが、現在の仕様としてこの掲示板ではそこまで深入りできません。
本題まで省略と言うワケにはいきませんので、それを推定する根拠のひとつを挙げておきますと「説明されているノスタルジーにヒントがある」事になります。
思うに『依存的関係性(自己責任を担保する自立的自我の実存を丸投げできるしょうしょう楽なというか、場合によれば関係者からズルいなどと評価されたかもしれない状態)』が”長続きしなかった”という事かと思われます。

■ここで話が繋がること気が付きましたか?
(実はこの話はグルーっと一巡して出口のない堂々巡りになってます)
 ↓
>37歳で10年近く務めた会社を解雇されたのは自分の人間性の問題。自責の念がある。
現状この掲示板上で回答できる範囲での推定を展開すると、

1)上記引用の理由は「その場所を自分は依存的に利用していた」からであり
2)その場を追放された後漠然と不安を感じるのは依存的実存が許されないからであり
3)その場を今ノスタルジーで回顧しているように錯覚している”その記憶”は「依存できる場所だった」と改変されており(事実は許されなかったので追放された)
 ↑
ここで事実関係の改変の結果思考が現実から乖離して堂々巡りになった。

結論的に何かを明示するとするなら、
本来思いだされるべき”その時の記憶”は「そんな事(依存的関係性)は現実社会は許さんよ」という教訓で、
これがノスタルジー(違う話)になっている時点でアウツ(現実から乖離している)って事です。

引用なし

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(掲示板ブログ双方で同時告知の形となってます)

『サイトの構成にいくつかの改変を行います』

1)『公開掲示板』における新規の相談依頼の事実上停止
「公開掲示板の過去ログ」が閲覧目的の公共性などの点で十分以上の内容に達している事。
そして公開掲示板自体OTD掲示板閉鎖以降”サイト内掲示板”として以降し継続していますが、
kagewari精神分析相談事務所自体有料相談サイトという事もああって”web構造上”新規の投稿が無くなっている事。
(OTD掲示板を有料契約で運営していた当時は「掲示板が単体で独立して存在しているように見える」とこともあったと思います)
よって今後も公開掲示板の無料運営を継続するより「有料でも簡易に相談可能なコースの設定」の方が実際の利便性からも適切であると考えられる。
『公開掲示板』への相談書き込みは「公開討論会発言的ハードル」がありますから無料であっても必ずしも公平性を担保できない部分もある。
 ↑
上記理由から『公開掲示板』は機能は残しますが「新規の相談受付を停止」します。


2)公開掲示板の無料運営の停止に応じる形で有料相談に『簡易相談』のコースを設置
詳しくは有料相談依頼専用ページを参照いただくとして、
http://kagewari.cside.com/kage2.htm
ザックリ説明しますと、
当初から「誰もがプライバシーの保護など公開掲示板に書き込める」とは言い難いところもありました(前述のように公開掲示板での相談には「公開討論会での発言的ハードル」があります)。
これまでの有料相談の構成は「簡易な相談は無料で」を背景に単価的にも気安く相談できるコースが無い一面もあるため『簡易相談』のコースを設置します。

■1回のみでも相談可とし(1回のみの場合2500円)基本構成は4回までの『簡易相談』コースになります
(個別事例に心理学的見解を求める的な簡易相談)


3)ブログベースの『過去ログ検索ボード』の閉鎖
これはOTD閉鎖に伴い過去ログをHTML保存した時から将来的には閉鎖の予定だったものです。
ほとんど「過去ログをHTML保存」により機能を満たしているため、ブログベースの『過去ログ検索ボード』は閉鎖とし、HPに過去ログ専用ページを設置する事とします。
http://kagewari.cside.com/kage_OTD.htm

4)有料コース全体の見直し
コースのセット回数が非公式な消化等を助長する可能性もあるため(依存的に相談を短期間で繰り返してしまうなど)、逆に回数をコンパクトにして料金減額をする方が適切且効果的であると判断しました。
注)実質的な一回当たりの料金が割安になる訳ではありません


■■■今後の公開掲示板の運営について■■■
書込み機能は停止しません。
個別の相談依頼や分析依頼にお答えする事はできませんが「サイト運営上の質問」であるとか「一般論としての心理学的な質問」には今後も返信を付ける予定です。
(完全に掲示板を解放し”自由討論可能な場”とする予定はありません。)

引用なし

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【22】もう辛くないのに不安  yuttie  - 2010/06/18 21:39 -

はじめまして、yuttieと申します
ごめんなさい、長文になってしまいました
また当時や今の感覚をそのまま文章にしたので
意味がわからないところもあるかもしれません

去年、私は
色々あって
死にたくなりました

悲しさと楽しさと絶望と幸福感が同時に押し寄せて、
私を嘲笑している奴や、
私を殺そうとしている奴や
ひどい声で絶叫している奴や
そんな奴らを全て否定しようとする奴や
ごめんなさい、ごめんなさいなんて呪文みたいにひたすらつぶやく奴や
頭の中でギャーギャー喚いて
紫になったり赤になったり黒になったり

私はその間うずくまって体を硬直させて髪をかきむしって目に入るもの片端から壊して
そいつらを抑えるために自分に激痛を与えて

頭が混乱して
息を吸い続けないと死ぬ気がして
息を吸い続けなんてしたら死ぬことは分かっているのに
だから息を吸い過ぎないようにむりやり首を絞めて混乱が収まるのをまったり


そんな発作を繰り返していたら
目に入る知らない人誰でもいいから殺してしまいたくなるように思えて
別に社会に不条理を覚えてそれを世の中に表現したいとかそういうことじゃなくて
むしろ何の考えもなしに、何というか、その気持ちが思考や理屈よりもっと奥の、
本能とかそういった次元の感覚にガツンと襲ってくる感じで
頭の中で低くて小さくて強い声が
コロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロス…
それが来るたび毎回こらえるのに必死で
自分はちゃんと本当に周りと同じ「人間」なんだろうかなんて考えて
強く惨めな気持ちになりました

そんな自分が怖くなり部屋に閉じこもって学校を長期間休むようになりました


その頃から心配し始めた両親が
心療内科に通うことを勧めました
外出はなるべく避けたかったのですが
通院を拒否したら元々あまり好きでない両親と口論することで
「変にキレ」てしまうのが怖かったので
大人しく近所の病院に通ったのですが

4か月かけて、手首を切ったこと、気分が落ち込むことしか
伝えることができませんでした

他人と体を向かい合わせて話すと
混乱してしまうというか
いい子ちゃんで居ようと思うのか
頭の中の声も自傷の願望も殺害の衝動も恐怖感も
言うのが怖い
というか、
初めから自分にそんなものは無かった気がしてくるんです
先生は最初だけ困った顔をなさっていました

お薬や何もしない時間や時々来る学校の仲間の連絡が
私を助けてくれたおかげで

1年経った今
声やその他の様々な発作はほぼ全く起きなくなりました

3年になった私は国立の受験にむけて猛勉強しています
1年無駄にしてしまった焦りの気持や
これまでの過去からなる劣等感から
暗い世界から解放された後に射す一筋の希望に必死にすがる思いで
ひたすら勉強しています
去年の辛い気持に比べれば一日十何時間の勉強はバカみたいに楽に感じます
この前の模試は去年に比べ、いいもので偏差値30上がりました

ただ
発作が起きなくなって、
最近、あれは全部嘘だったんじゃないのか
なんて疑うようになってしまいました
私は、みんなを見捨てたくて、学校もただサボりたくて
でも自分のプライドは傷つけたくなくて
こんな話をでっちあげて自分をも騙してその気にさせて
いるのではないかと思えてきました
心療内科の先生も私に私のことについて教えてくれなかったのでなおさらです
もちろん私が先生にほぼ何も伝えなかったのでそれは当然なのですが

思えは私は家庭に不幸があったわけでもなかったし
特別な人生を送ってきたわけでもなくて。

腕を切ったのも喉に今でも残るような傷をつけたのも睡眠薬を大量に服用したのも
全部自分や他人を騙すための演技じゃないかと、思えてきて

でも
そうして疑ってくる私を否定したい私や

また、発作が起きない現在の私を
私の人格の一部を無くしてしまったんじゃないかと思う私が

不安がって、またあの時に今戻りたがっているんです

そんなことしたらどうなるかなんて
考えなくたって分かるのに


今までの私を含まない私、今までの私を認めず受け入れようとしない私とは
本当はそれは、私じゃないのではないか、なんて思って
今、不安で
せっかく作り上げてきたものを壊そうとしている
バカみたいな私がいます

でも
私のことくらい私は認めてあげたいんです
どうしたら、また安心して前へ進めるでしょうか

最早迷う時期でないのに迷ってる自分がイヤです

引用なし

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公開掲示板はあくまで概略(※)なのでそこ割り引いて読んで欲しいのですが、
(※情報取得とプライバシー保護及び費用が無料である点から)
心療内科等の利用により形骸的に収まっているところから考えて思春期特有の「急性の強迫傾向」にあったと考えるのが筋論でしょう。
(仮説としては「もうひとつの可能性」として”運悪く形骸的に共同幻想適応適正が高い”ことが原因で問題が隠蔽されやすい傾向にあり、問題発生を先送りさせていた可能性もあります:しかしこの場合も構造上は急性傾向と言えるかも知れません。参考までに慢性というは”ハードにロジカル”という構造です)

当時の様子は印象で語られることが多く、ロジカルではありませんから生理的という表現は適切じゃありませんが自我内部の葛藤構造(あるいは論理矛盾)は比較重層的でハードなものでは無く、表裏のようなバチっと(あるいは白黒ハッキリするような)明快な急性系の構造にあると言えます。
(これを”浅い”と表現する場合もありますが、これは”軽い”という意味ではありませんから誤解の無いように。深層心理の構造が重層的且つ慢性系か或いは軽層的且つ急性系かの差異です。参考までに「慢性的であれば常在違和感が(論理的:ロジカルに)継続し続ける事になる」。)

この辺を簡単に言えばどういうことかと言いますと、
個別の認知に対して様々な局面でロジカルな強迫性が重層的に織り成す形がある(慢性系)のでは無く、
表面的な自分(共同幻想:社会適応する表情)と、内面の(表層と矛盾する)自分的なバチっと明快な対立軸(葛藤)があるって事です。

で、この対立軸が何か殊更大変な事かと言えばそういう意味ではありません。
平たく言えば人類全員にあります。
典型的なものが『反抗期』で、
この現象は(自然界の他の哺乳類で言えば母集団を離れて自立する転換期)、既存の幼児期や幼年期の既成事実化している環境なり認識なりを自己否定し”現実適応アップデート”する既存自己に対する(現実認知を始めた自分の)反抗という図式になります。

しかしこの反抗期がスムーズに行われるためには(反抗期そのものが荒れる時期ですからスムーズという表現はどうかと思いますが、ま、そういうことです)、対立軸というか対決の図式が拮抗無いし現実の自分が優勢の形でバランスしなければなりません。
通常「絵物語(幼児的世界)と報道写真(現実世界)」の比較のように、一次的には『現実は常に印象に勝ります』から(印象が勝つのはロジカルにこれが理論武装される場合なのでこれは反抗期の後に哲学的覚醒があるとかこれ大人ジャンルの別次元の話)、大騒ぎのレベルはともかく”幼児期の印象は思春期の自分により上書きされ現実アップデートが行われます”。
ですからこの期間には旺盛な欲求で現実情報が取得され猛烈な勢いで現実の自分なる姿(言うならば現世利益的自分)が形成されるとも言えます。


で、
■yuttieさんに起きたメンタルな問題は何かと言えば、
『退行化現象』です。

あえて話をわかりやすくするために厳密に言えば心理学的に正しくない表現であるとか、意図的にエキセントリックな表現でここ説明していきますね(これはカウンター効果を狙ったもので、以降の説明に対する抵抗を中和するため、端的に言えば過激な表現で説明するのが有効だからです)。
※掲示板警告にあるように、一次的に自我の防衛反応による混乱(興奮)が現れますからそこは同意の上読みすすんでください。

様々に語られる自傷系であったり自殺衝動的なもろもろの言動は「性的自己顕示(自己表現)」のようなものです、
(ダイレクトに性衝動という意味じゃありません、思春期=生理的に大人になる=新規に性衝動的モチベーションが台頭する変化が派生というフローがあるってことです)

『自傷系であったり自殺衝動的なもろもろの言動』→これを下卑た言葉で少々乱暴に説明するなら「露出狂系の性的自己顕示」と似た行動なんですよ。
連想的にイメージしてみれば更にわかると思います
(”自傷出血・生理””自殺自傷・自慰””騒ぎ事件化・顕示欲””公然わいせつで警察の世話になった・自傷で診療内科の世話になった”)
心療内科通院により表面的にこれが収まったのは、生理的な大人化モチベーションの急激な身体上の変化がなだらかに抑えられた(突然アクセル全開レッドゾーンのような状況から少々アクセルを緩めて準加速状態までレベルダウンした)からで、所謂『反抗期』のトリガーないし自己表現の転換ポイントが先送りになったためです。

で、何故通常の『反抗期』では無く、上記のようなメンタルな状況が発生したのかと言えば、
「現実の自分」を表現する上で心理的な障害(強迫傾向)があったためとなります。
「自由な自分というか、自分の大人イメージを表現しようと思ったが、自分の内面にそれをハードに抑え込む概念がある」
ぶっちゃけ強引にこれを簡単に説明すると『やたらと(不条理なぐらい)ハードルが高い』
このような(心理的)障害にぶち当たると、行為は心理的に撤退(退行)し、快不快原則のもの代替行為を脳内選択(時制で言えば思春期の行動選択からより幼い時代の行動選択を模索:幼児期の快不快原則は想像以上にグロテスクだったりするものです)、

このハードルが各人様々なんです。
親子関係において(過干渉などで)快不快原則の頭を抑え込まれている(治外法権で反抗できない)とか、
単に受験などの現実局面で過剰に不安になったとか(ここ後で詳しく説明します)、
運悪く今現在まで優等生的に(共同幻想)社会適応してしまい、既得権益的に新しい荒野というかワイルド(野生)の自分を表現するにはあまりにもリスクが高い(中途半端な民間企業ならサクっと辞表も出せるが条件のいい公務員は簡単に辞められない)などなどです。
 ↑
■とにかくなんらかの理由があった。


>本当はそれは、私じゃないのではないか、なんて思って

これ何かといえば、端的に言って「本音の自分が不平不満を言っている」からで、
現状の平和に対して根本的には忌避感情があるからです。
わかりやすく言えば「周囲に合わせているだけ(つもり)で(よく考えると誰も頼んでない場合もある)、これは私の本音じゃない」というストレス。
(前述のとうり大人になる欲求を納得行く形で表現する思考がスムーズにいっていない←バチっと抑えられて内面に逃げ込んでしまう状態)

間違っても自傷時代の自分が本音を表現していたって意味じゃ無いので、ここは誤解の無いように。
過激な行動や行為は(自然界の動物みればわかるとうり)”反動”でああるとか”緊急時”であって、基本”正常な状況とは言えない”ものです。
yuttieさんに起きた行動を簡単に説明すると、
「強度に自己愛的欲求不満状況下で、私は今まで経験したことのないハードなメイクをしてみた(ついでに衣装も派手派手なものを着用)、その時鏡に映った自分の様子が、本当の自分じゃないかと思い、、、、」
 ↑
普通に考えて、通常では考えられない衣装であるとかメイクって時点で”本当の自分”というには無理ありますよね。
これは演出ですから、
(更に過激に表現すると「本当の自分を取り戻すために整形手術を受けた」←明快な論理矛盾ありますよね)

しかし感情的に何かそこに”本当の”というフレーズが実存感あるのは、”武装”があるからです。
退行化思い出してください?
自分の素性をさらけ出す事から逃げた(さまざまな可能性ありますが端的にいえばハードル認知)、
それを乗り越えるとイメージすると(不安感から壁がデフォルメされてやたらと倍増して見える)、
■極端なぐらい過剰な武装しないと不安である。
(これが反動です)

わかりやすくえいば、
山に狩をしように行こうとおもったが、まったく経験がなく漠然と不安になった。
”素人ゆえに”やれ熊が出る、やれライオンが出ると考えてしまい、像でも一発で倒せるマグナムライフルを選んだ。
(素人なのに、素人ゆえに”マグナムライフル”というエスカレート)
しかも脳内では50口径の重火器じゃないと我慢できないような衝動になっている。


そこで、
相談ログから『ここじゃなかろうか』というポイント抜き出してみると
>3年になった私は国立の受験にむけて猛勉強しています
>この前の模試は去年に比べ、いいもので偏差値30上がりました

■受験勉強や学歴なんてものが世の中でクソの役にも立たないことは説明するまでも無いことですが、
yuttieさんの内面にも
「んなこと(受験だの学歴だの)に必死になってお前(自分)救いようの無いバカなんじゃね?」
このアイデアがあるんでしょう。

かといって「だからといってじゃー何するか」と具体的プランは無い、
(経験的に”おー鹿狩り?だったら9mm口径の軽量ライフルでももっていっか”とはならない)
既存の(共同幻想)社会適応してきた旧来の自分(子供の自分)からは
「何も具体的なアイデアないのならただの不平不満なんじゃないですか?あなた(自分)受験から逃げたいだけなのでは?」と非難され、ガチっと抵抗の頭を抑えられている。
※肝心な事は「受験から逃げたいだけなのでは?」などとえらそうに行っている子供の自分も「何故受験が大事なのか」自分の言葉(本音)で一向に説明できないんですよ。情緒的ってあたかも道徳であるかのような誤解を与えて”正しさらしさ”を演出しているだけです。
(熊が出るぞ、とかライオンが出るとかの脅しに負けているだけ)

まーね、結論急ぐことじゃありませんし、
そもそもが「受験」という記号もひとつのトリガーに過ぎません。
その言葉が「大人の自分」という概念の琴線に触れているんですよ。
(なんせ人生で受験なんてトータルでいえば”はしかの予防接種”イベント程度の価値しかありませんから)

答えは曖昧なもので、「大人の自分ってコンセプトを自由に考えられていない」って事です。
(狩の時の具体的思考のように)
案外答えは地味だったりするんです。
(エキセントリックな反動の影響で、やたらと大人の自分イメージをエキセントリックに考えるのは間違い)

「もうちょっと気楽にならんかね〜、女の子の尻おっかけるような余裕っちゅうものは俺には無いのか」のような現世利益的っていうか、現実の自分ですよね(そらアイドルだってウンコもすればSEXもするで→現実世界ってそういうことですから)。
適応って表現は適当じゃないかもしれませんが、
大人になった哺乳類が単独行動で自然界に船出するってのは、現実世界大人デビューって事ですよ。
(適応すべきは社会ではなく現実)
そこで自分はどういう武器を持ち、どういう手口で、何を糧として、どんなイメージを幸福と考え、どういう気ままを望むのか?
(これを”すわマグナムライフル”ではなく、”そ〜だな〜こんなもんかな〜私なら釣り道具?”みたいな現実スケールの中で考える)

ここがスムーズにいって無い。

解決の方法というか、善後策として「経験的にも時間が必要(時間稼ぎ)」って事ですよ。
本当の意味の”現実世界の一時撤退”、
受験に関しても”所謂勉強偽装”程度でお茶を濁して、一生懸命やっているふりして手抜きもする、
(運悪く本当に志望校に合格しても別に構いません、労働組合みたいな意図的サボタージュするワケじゃありませんので)

「なんだかな〜、なにやってんだろうな〜」十分に余裕をもって考える事ですよ。
(それに数年かかっても全然問題ありません)

のようにですね、
短期的且つ局面的にいえばですね
あなたは本音の部分で「受験勉強なんてバカみたいなじゃないか?」というアイデアを持っているのは確かでしょう。
(前述のようにそれは全然全てじゃなく、トリガーになっている表層に過ぎませんが当面そうだってことです)

でー、
退行現象ってところからここの局面を説明すれば「受験勉強なんてバカみたいなじゃないか?」なる本音の自分から逃げているんですよ。
その不快感や違和感がコレ
 ↓
>本当はそれは、私じゃないのではないか、なんて思って

(連想で考えてみれば試験紙のようにこの強迫構造の関係者が炙り出せるでしょう「受験勉強なんてバカみたいなじゃないか?」と発言して騒ぎになりそうな面子が「根拠も無くワケのわからない話を私に押し付けて(或いはそんな様子を子供の自分が自分自身に対して熊だライオンだと勝手に広げて脅かしている)、結果本音を抑圧して、なんだか自己愛的世界に逃げるはめになり、心療内科でようやくおさまるなんて事になったワケか」と→「で再びもとのもくあみ?」「オイオイ何も解決していネーじゃないか俺?」←今ココ)

引用なし

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先日投稿した時に前回の投稿が一ヶ月前だったのを見て
お返事がくるのに少し時間が掛かることを覚悟していたのですが
すぐ翌日に、こんな投稿にとても丁寧な解説をくださって、
ありがとうございます、とても嬉しいです

何時間かかけて読み返したのですが、
先生のお話は私には少し難しく
私が誤解がをした上でこれに返信して、話がかみ合わなかったらいけないと思たので
私なりの解釈を下にまとめます

つまり、
私(今の私も自傷時代の私も)は幼年期の認識から現実アップデート(現世利益的自分の形成)をすべく既成の幼年期からの自分と現実認知を始めた自分との反抗期(⊂葛藤?)にあるけれど、(表面的な自分と内面的な自分とは、どっちがどうなのでしょうか?それともどっちもどっちでもないのでしょうか?すみません、わかりませんでした)
この時、現実の自分≧既成の自分のバランスをとらなければならないところ、
私は「現実の自分」を表現する上で心理的な障害があったために(つまり、現実の自分=大人イメージ、を表現しようと思ったが、自分の内面(≠内面の自分)にそれを強く押さえ込む概念・理由=例えば親の過干渉や現実的な不安など、があったために)「退行化現象」(錘ゥ傷自殺衝動的言動)(=緊急時の反動)を起こしてしまった
ただし心療内科に通ったことで大人化(=現実アップデート)の急激な身体上の変化がなだらかに抑えられたので表面的にこれ(=退行化現象)はおさまった、(=反抗期のきっかけは先送りになった)
しかし、今私は根本的には自傷時代と同様大人になる欲求を表現する思考がスムーズにいっていないのでストレス、忌避感情をもっている
私はその状況(=強度な自己愛的欲求不満状況)で過剰な武装をしないとハードル(大人化しようとすることを妨げる概念理由)を乗り越えるのに不安である(=反動?)
しかし私はその武装によってその姿が本当の自分であるかどうかを疑問に感じている

ということでしょうか
すみません、いくら読んでも私の頭で理解できない部分もありました

去年の自分は何か常軌を逸した病気なのだったのだろうかと心配していたのですが、
先生の解説を読むに、どうやらただの思春期の症状であるみたいなようなので、安心しました

>「自由な自分というか、自分の大人イメージを表現しようと思ったが、自分の内面にそれをハードに抑え込む概念がある」

概念というか、今思い返してみれば、私は小さい頃から自分」を表現しようとする自分を徹底的に押さえ込んでしまうクセがあったように思います
また、今も大分改善はされましたが、まだ頻繁に悩まされています

何したい?や何食べたい?どこ行きたい?という問いかけには全てお決まりのように何でもいい、と答え、
他に例えば
「yuttieはケーキ好き?」なんて他愛の無い会話でも
その様な質問が投げかけられた瞬間、自分はケーキが大好物のような気がすると同時にケーキが自分の大嫌いな食べ物であるような気もして
曖昧な返事しかできず、それを聞いた話し相手の困惑と苛立ちの表情を見て物凄く惨めな気持ちになったりしていました
去年も心療内科の先生に自分の悩みを打ち明けようとしましたが、いざ先生の前に座ると自分は何も悩んでないような気がして、何で自分はここに来てしまったんだろうなんて(それは心療内科を決して信頼していないからではないはずです、両親の前でも担任の前でも散々お世話になった部活動の仲間や顧問の先生の前でも同じようになってしまいましたので)
怒っていても何が自分を怒らせているのかわからないし、
悲しくても何が自分を悲しませているのかがわからない、といった感じで、

もしかしたら、今そこが私の邪魔をしているのではないかなと思い、書きました

>■極端なぐらい過剰な武装しないと不安である。 〜

私の直感的な感覚から、今受験に備えている私は、
行き場の無い欲求不満を仕方が無いからとりあえず無理やり勉強に昇華させている、感じです
ただそれだけで、

勉強が今ほど必死になるほど人生に重要なものではないこともなんとなく分かりますし

受験勉強に関しては、違和感や矛盾はあまり感じないかなと思います


…難しいですね、でも先生のお陰でだいぶ自分に明るくなった気がします、
ありがとうございます

引用なし

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【25】おおかた読み込めてますよ。  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2010/06/23 20:15 -

ちょっこっと注意するとするならば、レスが早すぎって事です。
精神分析は少々難解なぐらいがいいんです、
というかここは有料メールじゃないので、具体的事実関係を聞く事ができないので「両親の○○との関係に云々」などのように(或いはあ「両親の誰々には明快な強迫傾向がありそれを結果としてあなたに押し付けているかっこうの・・」など)、具体的に説明できないのです。
 ↓
しかし説明できない分、聞く方の精神的負担も公開掲示板であれば軽いので→軽い分「自分で考える余地が大きい」→難解で正解なんですよ。

ですから、嫌ってほどその解釈を考えていんです。
ある意味自省的に考えるテーマというか、考える方向性を提供するのが精神分析ですから。
(いわば思考の道案内みたいなものですので、精神分析=答えじゃ無いのです)
※言い換えると、公開掲示板の設立意匠は「過去ログ倉庫」であって、他の相談事例が閲覧できるところにあります。メンタルな問題は非常に類似するパターンが多く見られ(そりゃ同じ人間の考えることですから)、過去ログの閲覧は非常に効果的ですので(今回の返信で難解に感じた部分を読み解く鍵もあるでしょう)、是非読んでみてください。


■さて、個別の部分にコメント付けますが、

内面の私云々の理解に苦しんでいるようなので(更に難解になるかもしれませんが:前述のとおりそれでいいのです)、
ココ補足しましょう。

どれが本人なのか?
ここはいっちゃうと哲学論争になるので、もちょっとわかりやすく説明すると。
サッカーでも野球でもまー何でもいいですよ、
野球で言えば本来2番バッターであっても、ホームラン打つこともありますし(ゲーム内容によってはホームランを狙わないといけないケースもある)、サインが出ていないのに自分の判断で送りバントする事もあるでしょう、そこに”本来の選手”のような概念はありません。
しかし「ランナー一塁で強引に引っ張ってショートゴロゲッツー」これはおかしいんだと。
(※2番適正も現実との関係による相対的なものだったり、自らプレースタイルを選ぶもので、”なんとなく適応”するものでは無い)

サッカーでいえば本来センターバックのポジションで、高さをいかしたディフェンスが本業であっても相手チームの前線のプレスが強く結果として中盤にスペースが開けば、ディフェンスラインでパス回しするのはむしろリスクであって、センターバックがそのまま中盤まで持ち込む事はアリアリです。
当然セットプレーではフォワード以上にゴールゲッターであらねばならない場合もある。
しかし「相手チームが引いていて、自チームのサイドバックも上がり目なのに自分も攻撃参加する」これは違うんだと。
(※身長などの相対的現実や、自らポジションを選ぶなどって世界はあっても”なんとなく適応”するポジションは無い)

どれが自分でしょうかってね、
表現されて始めて自分です。
(何も自意識が関与しないのであれば、そこにいるのは唯々諾々と流れに合わせる群像が実存するだけでそこには個人の実存は無い)
少なくとも偏向や視野狭窄や倒錯や強迫などの関連で「意識していようが無意識だろうが”それは違う”」ってのが自分じゃ無いのだけは間違いない。
又社会心理として(共同幻想)社会適応している様子は政治的な社会システム上の論議で、これに参加する個人は(それが自分自身であるなどのフェーズと関係なく:それを交換するから報酬がある)どこが本来の自分であるとかさっぱり関係無い部分の話なワケです。
※共同幻想部分を極論すれば「食えればいい」のであって、社会的地位であるとかスキルってのが重要なのは国家の側なんですよ(システム設計として)、端的に言えば個人にとって(学歴もそうですが)自分の社会的属性が何であるかには全く意味は無いのです。

同時にご存知のとおりで現代社会の日本の場合、社会的にも個性化が(共同幻想の変革としても)求められているのであって、
明快な選択意思の無い社会適応それ自体が現代社会では”ネガティブ”です。


心理学的説明に及べば
「葛藤」「超自我と自意識」「無意識領域と反動形成」「強迫と抑圧」等々様々な現象がありますが、その時当事者の自我がどういう感情情報を獲得するにしろ『自我は前述のとおり流動性のある経済のようなもの』であって、
確かに完全雇用やパレート最適は好ましいが、
「どんな経済が本当?」のような論議はナンセンスなんですよ。
(設問がパラドックスになっているのわかりますよね?)
●「インフレやデフレがあるのが経済なんです」
で、論議として過剰なインフレや恒常的なデフレは”問題である”と、
少なくともこれを金融当局なり政治が放置すれば「それは正常ではない」みたいな。
解決の手法として、「何が硬直化して・・・・」
 ↑
なんとなく意味がわかりますよね?

自己愛的というか、占いでいい気分になるように「本当の私って」みたいな耽美性というのは、
それ自体がパラドックスでありレトリックなんですよ。

なんでしょうね”それ”は現実世界の中で”自らの実存を賭け”ガリガリと勝ち取るような実存のそれなんです。
(心理学的に言えば本音の継続というか、本音を担保するような意思決定や選択の過程が重要なので、結果(どんな人)は関係無い。それは各人の自由(プライバシー)領域で心理学は”人はこうあるべき”のような志向性をなんら持ちませんから。どんな人になりたいのか(あるいはどんな人なんだろうか)と聞かれれば「勝手に選べばよい」が心理学的答えです)


などなど説明しつつですね
>概念というか、今思い返してみれば、私は小さい頃から自分」を表現しようとする自分を徹底的に押さえ込んでしまうクセがあったように思います
>また、今も大分改善はされましたが、まだ頻繁に悩まされています
 ↑
今回の相談事例は『これが全て』ですよ。
やはり、本音を抑圧する仕組みがあるってことです。
経済にたとえれば、
「円安になったので、外需が伸びる筈なのに(その圧力はあるのに)、不思議と輸出を抑え込まれてちっとも外需依存GNPの数値が上昇しない」
経済障壁なり、硬直化の問題(抵抗勢力でああるとか)がありますねと、
こういう事です。
(※経済ですから上記ととえは逆さまでもよいの「円高になったので・・・」)
現実部分が「円高」で、これにどう「経済実態(本人)」が対応していくのかって話です。
(適応すべきは社会ではなく現実:共同幻想適応的表現に言い換えればと”適応すべき順番として社会より現実は上位概念である”)

言うなら自分等というものは自分で好き勝手に選ぶものです
>何したい?や何食べたい?どこ行きたい?という問いかけには全てお決まりのように何でもいい、と答え、
>「yuttieはケーキ好き?」なんて他愛の無い会話でもその様な質問が投げかけられた瞬間、自分はケーキが大好物のような気がすると同時にケーキが自分の大嫌いな食べ物であるような気もして
 ↑
これじゃそこにいるのはどこのどいつなのか誰にもわからない。
(自分もクソもステレオタイプに適応している”ある一般人”がシステム論的に観察されるだけで個体として認識できる対象者がいない)

CIAの特殊工作員でも無いのに周囲を煙に巻く態度を示すので
 ↓
>曖昧な返事しかできず、それを聞いた話し相手の困惑と苛立ちの表情を見て物凄く惨めな気持ちになったりしていました

意味も無いのに意図的な偽装工作で不審者のフリをするので(客観的第三者から見れば”あなたが意図的に曖昧な受け答えで嫌がらせをするタフネゴシーター”にしか見えない)、周囲は対処に困る(共同幻想論的にいえば破壊工作員と等価)ワケです。

話を単純化すればわかります。
>質問が投げかけられた瞬間、自分はケーキが大好物のような気がすると同時にケーキが自分の大嫌いな食べ物であるような気もして

選択ってものは”賭け”ですから。
いざ12番レース出走になって、賭けってものに挑むときに
「自分の勝ち負けばかり気にしてレースそっちのけで、どの馬が勝ちますかと質問を延々繰り返す人物」
自己愛的関心で視野狭窄となっている。
(現実を取り違えている:現実は12番レースであって「私は勝つでしょうかドラマ」では無い)

>「yuttieはケーキ好き?」
これはですね
『コイントスしますから、表ですか?裏ですか?』
同じことなんですよ。
(人生は賭けってそういう意味で、賭けの結果が自分であって、それは賭けに挑んだ自己責任を取るって意味であり、自己責任=著作権となりますから「○○を選ぶ自分が実存した」という結果を手に入れる事ができます。現象論としてその結果の是非はどうでもよくて、重要なのは『当事者の実存とその証明』なんですよ。その証明が著作物(自己責任で担保された賭けの結果)なんですよ。著作物の出来栄えがどうこうってのは個人のプライバシーであって”現実”や”実存”にとってはどうでもいいことなんです。←結果は個人的に重要な事=今日の晩飯がカップラーメンかステーキかって話であって→ステーキかカップラーメンの差異で自分が変わりますか?)

 ↑
とですね、本人まったくそんなつもりも無いのになんでまたこういう誤解が連鎖してしまうのでしょうか?

それが人間の自我の特徴で、
(読み解く鍵は認知される感情情報としての”快不快認知”と、生理的な意味の脳が感知する”快不快原則”が違うってところです。脳内の生理現象において快を判断する重要なフラグは(不快だろうとなんだろうと構わない→動物であれば特に定義しなくても主観的に快しか再現選択されない)『興奮』なんですよ)

ある情景を比較してみれば一発で理解できるでしょう。
>何したい?や何食べたい?どこ行きたい?という問いかけには全てお決まりのように何でもいい、と答え、
>「yuttieはケーキ好き?」なんて他愛の無い会話でもその様な質問が投げかけられた瞬間、自分はケーキが大好物のような気がすると同時にケーキが自分の大嫌いな食べ物であるような気もして
>曖昧な返事しかできず、それを聞いた話し相手の困惑と苛立ちの表情を見て物凄く惨めな気持ちになったりしていました
 ↑
全く同じ現象が広く一般的に誰にでも起きる場面があります。
そんなそっくりな風景、
考えてみてください。
どんなケースでしょうか?

「恋愛的関心のある人物を相手に(お互いの意思は不明瞭な時期)、食事に誘われて問いかけられた時」
私は顔を真っ赤にして、ドギマギとわけのわからない対応しかできなかった。

■上記の心象風景とそっくりだと思いませんか?

『自己愛的関心』とはそういう意味です。
じゃーいったい、自分は何を勘違いして、何に(自己愛的)興奮していたのか?


幼児期は大人的な情愛的快不快は(潜伏期なので)、大人の性欲のようなあけすけなものはありませんが、
幼児期の性愛的満足なり快感などの対象者は誰ですか?
(説明しなくてもわかりますね)

「親の顔色ばかり気にしてビクビクしている自分」
(時制から言えば10年ほど昔で既に脳内フォルダ内でも”過去”に格納処理されている筈の”幼児の自分”が、バリバリ現役なまま自意識より上位者のような振る舞いをしている。SF小説のように幼児の自分が脳内の小人みたいに存在するワケじゃありませんから、そういう概念が自我ロジカルに今でも関係性を残している:フラグによって反応するモジュールとして現役であるってことです=哲学的に言えば”ドグマ”)

突っ込んだ話になれば(公開掲示板上では限界あるので具体的には言えませんが)「母親主犯論」なり「父親主犯論」なり「嫁(母)姑共同謀議」なりまー様々な背景の中、
 ↓
『幼児期からそこに”私”は実存しておらず、そこにいるのは”子役偽装のうまい誰か”が似非的家族社会適応しているだけだった』
歴史的にはそういう事です。

そして
 ↓
>勉強が今ほど必死になるほど人生に重要なものではないこともなんとなく分かりますし
>受験勉強に関しては、違和感や矛盾はあまり感じないかなと思います

やってる事は今も同じだと。
(「違和感や矛盾はあまり感じないかなと思います」っても、何が言いたいのかさっぱり内容無い言葉ですよね:そこには誰もいない(賭けの姿や過程が見えない))
言うならば一般社会相手に子役(どうやっても幼児特有のデフォルメ(幼児性主人公気取り的偏向)が関与する)をやろうとしているんですよ。
(赤の他人を勝手に家人にみたてて、よき子役であるべきように自己愛的に興奮しているような状態)
 ↑
気がついてみれば、まったくもってそんなつもりも無いのであって、
そうなってしまっているとしたら「どえらい誤解しているぞ俺」と気がつきますよね。
「こりゃおかしい、ナイナイナイ、ナイってば」と、

※話がややこやしくなるので「そんなこといっても一般社会の学生は、それほど考えることなく受験勉強もしているしそんなことを・・・」云々の反論はNGです。ってか禁止(それはじめるととんでもないルール違反の話になりますから)、そんな事言い出して得するのは強迫的構造だけで、論議としてド・ナンセンス中のナンセンスになります。
(自分の中でもそういう小賢しい反論ある時には厳罰処すぐらいの勢いで、鼻っ柱へし折ってください)


■実は答えってのは簡単なものである。
 ↓
『コイントスしますから、表ですか?裏ですか?』
同じことなんですよ。

『ぼんやり(半分意識は休止状態で)帰宅コースを歩く』のと、
『気ままな散歩』には何の違いがあるのか?
後者には(右か左か・南か北か・喫茶か蕎麦かなどなど)「やまほど賭けの要素を織り込める」んです。
実存感が高いから幸福の実感もある。
(ある意味単独者はこの賭けの機会を自由自在に発生可能である)

なかなか意図的に「コイントス」を発生させられない共同幻想適応タイプの人が何故「買い物好きなのか」、
考えなくてもわかりますよね。
(この辺深く考えると鬱症状としての万引き依存や買物依存の発生理由もわかる筈です。:自己愛的賭け→無意識なその答えが万引きや買物依存である)


「馬鹿いってんじゃねーよ、ビビってなんかネーよ。裏だ!裏、決めた。裏で勝負」
こういう過程(或いはルート)を意識決定の流れの中にバシッと走らせるって事です。
現状だと意欲的に(少々ワザとらしくても)”賭け”とか”配球読み”とか、
「確信犯的な自分の犯行手口」みたいなものを考えてみてください。
その犯行手口が自分の”二の名”あるいは”クリスチャンネーム”みたいなものになります。
 ↓
「金庫破りの松」
「スリのハチベイです」
「壺振りのお竜と申します」
「ハッカーのkwskっていいます」
「パンクのjayです」

名乗って初めて誰なんかわりますよね?
(その”誰なんだ”が自分)

これを叙情的というか哲学的に考える手もある
「木枯らし門次郎と申します」
「風天の寅と申します」
 ↓
>受験勉強に関しては、違和感や矛盾はあまり感じないかなと思います
 ↑
わかりますよね、これじゃ目も当てられない。。
(wikiで「諱(いみな)」って調べて読んでみてください:「字(あざな)」ってのは自分で勝手に名乗るものなんですよ→そっちこそ現世利益的世界の自分である:現代社会で言えば主語がHNの時の自分こそ自分である)


大人になるってのはそういう事です。
そこに突っ込んで言えば答えは見つかる筈です。
(そん時邪魔する奴がいれば、そいつが”抵抗勢力”である。当面”敵”だと認定して戦略なり戦術なり狡賢く立ち回りサバイバルする事に集中してください。取り込まれて放心状態なままなら強迫意識は温存されるだけです。)

引用なし

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【26】Re:おおかた読み込めてますよ。  yuttie  - 2010/06/27 16:01 -

御返信ありがとうございますm(__)m

一応今回も、軽くですがまとめました

「自分」とは何か
まず、「自我とは流動性のある経済のようなもの」だから、
そこに「自分」を求めるのは逆説的
それでは、「自分」とは何かというと
それは、「賭ける」こと
というのは、賭けることは「自己責任」であるので
それは「著作権」(自分のみに与えられる固有の権利(責任))であるから
そこに「当事者の実存とその証明」(「自分」)がある

だから、「著作物」=「賭け」の結果、は重要でない

しかし私の場合は「著作物」に重点を置いた行動をしてしまう…
(結果「自分」が抑圧され、よくわからなくなっている)

そんなつもりは無いのになぜ?
それは、「幼児期から「自分」は既に存在しておらず、「子役偽装のうまい誰か」が似て非なる家族社会に適応しているだけだった」10年前の状況を、今なお赤の他人(社会)相手に繰り返しているから

以上のことをよく考えて行動すれば答えは見つかるはず

ということだろうと読んだので、
そうと分かったら、早速実行だ!と思ったのですが、
なんだか最近精神的な元気がなくって…

例えば、
学校の友達先生や家族に(悪い人たちではないのに、むしろ本当に良くしてくれるのに、)最近関わるのが凄く億劫で…

また、自分は、在るのに無い気がして
その矛盾した気分が何とも辛く
実は在るべき存在じゃないんじゃないか、私自体最初から無ければおかしい事はないのに、
このままこの世から消えられたらホント楽なのになぁ、なんて考えが浮いては消え…
どんどん気分が落ちてます

カラクリはとっくにkagewari先生から教わったのに、
一朝一夕で人の思考回路?は変わるものではないのですね…苦笑

特に午前中に気分が落ちて、ここ一週間は外出する気にもなれず
朝は遅く起きて、ただ、起きても体に力が入らず正午を過ぎるまで部屋の隅でボーっとしてました
ふんばって、午後から学校へ行くのですが、
友達から「おはよう、どうしたの?」なんて声かけられても
(えぇと、私ってどうやってこの人と接してたんだっけ?)なんて、
なんとかそれらしく振舞おうとするのですが、やはり変な顔が返ってきます
―いやいや、そんなの何でもいいんだよ
と返ってきそうですが、それが、反射みたいな、絶対脊髄で折り返しているだろくらいの感覚で、瞬時にそういう思考、態度をとってしまうんです…やはりそれ以外の仕様がイメージできないので…

また授業では先生の話し方がいつもの1,5倍くらい速く感じます
板書や教科書の文も何度も読み返さないと理解できなくなって、先日、
「ちょっとyuttieさん?今ココよ?」なんて注意ですらない指摘を受けて、少し動揺した瞬間、
急に大粒の涙が溢れて、動揺が収まって平常心がもどっても結局授業が終わるまで止まらなくなってしまいました

もうこの十何年間の間で何度も経験してる感覚なのでもう慣れたものですが、
「あーぁ、またこの感じか…」という感じです

思うに、つまり、今きっと「抵抗勢力」に思い切り飲み込まれてるのですよね
kagewari先生の分析を読んだ実り、今の状況を、あぁ確かにガキみたいだなって思います苦笑

そこまで分かっていて、今なぜ何も出来ないのだろう
そう考えると、よくないと分かっているのに焦ってしまいます

そうする精神的余裕や自信がないんです
それが幼児概念の結果からそうなってしまっているのだから、本末転倒ですね苦笑

また、気を抜くと色々考えちゃって…

もう記憶が無い様な頃から私は既に「私」では無く「子役偽装のうまい誰か」なら、「私」って何なのでしょうか…
その、うまく言えないのですが強く抑圧されてずっと奥まで追いやられてしまったであろう「私の本音」は、私自身でさえ、今いくら探しても考えても、糸口すら見つからないのです…
そこで無理に「賭け」=「名乗り」によって「私」を見なす、見出すとしたら、
もはや「私」とは「子役偽造のうまい誰か」のことを、今までも、そしてこれからも指すのではないか、と結論する他ない気がして

ところで、
私は親に特別意地悪をされたわけでもなく、家庭環境が悪かったわけでもないのですが、
それでも、こんなことは有得るのでしょうか
「親の顔色を伺ってビクビクしている」子供…なんて、私には過去そんなに苦労した実感はなかったので…苦笑

ごめんなさい、何のまとまりも無く汚くて、こんなの掲示板に掲載するような文ではないのですが、
これ以上頭が回らなくって…大分失礼かと思いますが、このまま投稿します

引用なし

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【27】補足しておきましょう  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2010/06/28 21:49 -

あくまでも公開掲示板は外郭だったり概略だったりしますから、個別の事実関係はご自身で考えてもらう事になるので、いくつかの可能性を提示しておきます。
>私は親に特別意地悪をされたわけでもなく、家庭環境が悪かったわけでもないのですが、それでも、こんなことは有得るのでしょうか

つい先日の別の方の相談過去ログを見てみてください。
両親への好感を『誤解』する場合も珍しくありません。
(それほど人の認識なんてものは曖昧なんです:言い換えると”簡単に割り切れない”→割り切れないものを”概略”として「私には好感がある」と確信も無く”なんとなく確定的事項”或いは”与件化”している方に実は「変だな」と思わなくちゃいけないのです。所謂親子関係には快感依存的自己愛的利益関係があり(極論すると現世利益的な打算的取引関係実態がある)、互いに大人同士の個人と個人の信頼関係の部分は反抗期の後に再獲得されますし、人類ヒト科といっても動物ですから長期・生存環境的な”バンド(集団や群れ)”に対して表向きは好感のフラグを成立させるのが生存欲求のひとつでもありますから(郷土愛も同じベクトルです)、事実認定において割り引いて考えないといけないところは「割り引かないといけない」のです)
 ↑
つまり「問題があった」というのはいかにもわかりやすいベタな関係悪化とかそういう単純化されたモデルじゃありません。
(むしろそれほど単純化されたストーリーであれば”幼児にもわかりやすい”ので、これは強迫的構造に至りません。幼児にだって「お前(親)それはダメだろ」がわかるからです。←認識そのものを抑圧して隠蔽する必然性が発生しない。そういう環境化でその幼児の将来には、あったとしても”所謂ひとつの不良化”するぐらいのトラブルを抱えるにしても自我の問題に及ぶことは無い。)

ひとつの事例を加えれば、
親が(内心隠している不安など)抱える強迫傾向を、言葉にならない妙な雰囲気などの認識で感じ取り(この時幼児の自我は構造的にそれをデフォルメしてしまう)、それは具体的言葉ではないので無意識下の概念になります(自意識は言語としてのロジカルの集合なので)、
端的に言えば『過剰な尊宅(そんたく)』、
これは権威的関係をベースに認識されますから、『その尊宅や配慮』は無意識に道徳野(超自我的概念)と結合します。
結果進路選択など、ステレオタイプな認知に頻繁に関与し、
「勝手に自分が思うこと(本音)よりあたかもステレオタイプな認知が上位概念であるかのような錯覚を派生させているとしたら?」
こんな風に考えるのです。
で、「そういえば思いたるふしがあるかも」的に具体的事実関係が掘り起こされていく事もあります。

加えて説明すると、「あなたは親属性を離れた彼ら個人を、ひとりの女性や男性としてどんな人物だったのか、どんな人生だったのかのように(政治ジャーナリストが人となりを説明するように)認識できているだろうか」って事です。親属性の裏で彼らの本音はどこにあるのかって推定、
表面的には「あぁケーキは好きだよ」という(いかにも家族社会適応的社交辞令の)言葉の裏にある彼ら個々人の本音は何だろうかって立ち居地ですよ。
突っ込んで言えば「彼らにだって本音の抑圧とかあるだろう」、
(そこに無理な構造があれば強迫構造でしょうし、合理的にノーストレスで簡素化されていていれば単に共同幻想適応者のそれかもしれない)


>学校の友達先生や家族に(悪い人たちではないのに、むしろ本当に良くしてくれるのに、)最近関わるのが凄く億劫で…
 ↑
自分の自我に問題のあった当時の周辺人物やその関係(関係性において実存している関係者)は、”強迫意識の取り巻き”である事が大半です。
簡単に説明すると、自分で張り巡らした強迫意識の正当化や防衛線としての結界のようなもので、
(たとえは違いますが、少年院で更生した筈の少年がシャバに出て昔の暴走族仲間と会った時の気まずさのような)

理想的には全員に対して旧来の関係を清算するぐらいの勢いでいんです。
(今現在進行している、自分自身の本音をサルベージはじめた自分の意識から関係を再構築(リストラ)する分には一向に構いません)
簡単に言ってしまえば、
全員相手に「実はね私は考え方を変えたんだ」から始まる新しい自己紹介を済ませ無いと誰彼相手でも気まずいだけでなく、
旧来自分が半ば自作自演で張った結界(彼らとの関係性そのもの)に取り込まれて、まんま強迫意識に先祖帰りすることも多々あります。

乱暴な言い方ですが、精神分析的に言えば「旧来の関係のままなら彼らは全員敵である」と思っていい。
(言っても彼らとの関係を敵に相当する存在にデッチあげたのは自分自身なのですが)

ソフトランディング的に考えるなら「積極的に彼らとの関係を一度疎遠にしてください」。
(時間はかかりますが、個別に彼らの存在が再構築に相当するのものであれば、上記の「本音の仁義を切ってから」これを再構築する)

それから
>学校の友達先生や家族に(悪い人たちではないのに、むしろ本当に良くしてくれるのに、)
(あえてカウンター効果付けて乱暴な表現使いますが)
今回のの相談経緯を知るに付け、
はっきり言って「全く信用できませんね」。
(ある意味余情的に美化されていて気味が悪いぐらいです:どこかの宗教じゃないんですから→ドグマ)

歴史の言葉に「○○史観」のような立ち居地を表す言葉がありますが、
上記の説明は言語的に「私的快感原則史観」であって、社会的見地でも無ければ哲学的な人物描写でもありません。
(注:「本当に良くしてくれる」→その対象者は強迫的にステレオタイプに傾斜している(本音を表に出していない時の)自分自身(汎用OSデスクトップな自分)に対してである)

刑事になったと思ってください。
(探偵でも構いません・歴史家でもいいでしょう、文化人類学者でもいいです)
「情をはさむのはプロじゃない。彼らはある人物の強迫心理を構成する構造的共同謀議の容疑者なんです。」
現実の彼らの実像がどんなものであれ(彼らの”個人的”交友関係他者や第三者から見て尊敬に値する個人であっても)、その本当の姿はそんな詩的情緒で表現されるようなものじゃないでしょう。
或いは「いい人とされる証明として、(偏向中の)私に対して良くしてくれる」などという利己的評価のどこに中立性があるんですか。

本質的に彼らの尊厳を前提に語るとするならば、
むしろ前述の表現は『彼らに対する侮辱(自己愛的私物化評価)』ですよ。
人の人生はそんな生ちょろいものじゃないです。もっと生生しく、実存の中でガリガリと発現される彼らの個人であるとか本音って姿がその言葉からまったく示唆されていない。
「人間○○を語る」←ように表現できないと彼らを知っているとは言えないのですから。
(場合によっては悪辣とまで言いませんが、「彼は○○としなければならなかったのだ」のような一見ネガティブな背景説明無しに語れない実像ってものは誰にだってあるはずです。しかるにその実存は精緻な説明があるからこそリアルに”いいともわるいとも言えない実存”でものを表し、そこにこそ本質的な尊厳があるんですから、)


話は戻って、
前述の関係性をそのまま放置するとどうなるか?
 ↓
>朝は遅く起きて、ただ、起きても体に力が入らず正午を過ぎるまで部屋の隅でボーっとしてました
>ふんばって、午後から学校へ行くのですが、
>友達から「おはよう、どうしたの?」なんて声かけられても

・簡単に説明すると、自分で張り巡らした強迫意識の正当化や防衛線としての結界のようなもので、
 ↑
(無意識に自分が)仕掛けた結界の狙いどおりに、
■まんまと『引き篭もりフラグ』になる。

外出の基本は「単独行動」としてください。
(或いは独断専行・唯我独尊)
リハビリ過程として、この期間は単独者的振る舞いが必要になります。

具体的には違う話なんですが、
昭和の時代、共同幻想もまだまだ健在な時代。
共同幻想瓦解といっても世代間ギャップなどの歴史的担保の崩壊程度の時代です、
当時反抗期はまだまだ自力で正面突破も難しくない時代に思春期の若者に流行したキーワードは何ですか?
(所謂60年代〜80年代まで)
『一人旅』ですよ。
※共同幻想適応世代ですら、連想キーワードの中に実存主義的試行錯誤である反抗期時代には「(時限的)若いときには単独者志向であることだってあるものだ」が含まれていたワケです。


>また授業では先生の話し方がいつもの1,5倍くらい速く感じます
<中略>
>急に大粒の涙が溢れて、動揺が収まって平常心がもどっても結局授業が終わるまで止まらなくなってしまいました

授業など一度ぐらいすっぽかしてもいいのです。
上記の状態は自己愛的内向の(一人舞台)舞台装置に立っているようなものですから。
仮に授業に参加するのであれば
「違う違う、場所を私物化しちゃいかん、ここは私の一人舞台のステージでは無くて公共的な場所である」と頭に叩き込んでください。
デパートの食品売り場で
「ロメオあなたはロメオなの」と号泣している。
と考えればおかしいよこれって自分でも気が付く筈です。

誰しも公共なり不特定多数の衆人の前では「緊張する」のは自然現象です。
言い換えれば少々テンションがあがるというか、緊張にとるストレス限界が高まるというか、
場合によっては脳内でそれを興奮と認知する場合もあるでしょうけれど、
そこも割り引かないと、
たとえを変えて考えてみればわかります。
繰り返します、本音の自己責任担保であるとか、歴史的共同幻想適応合理性が担保されていない(言うなら強迫的偽装)”帳尻あわせのようなステレオタイプ自我”は、バンド(集団)内において、素っ裸同然の脆弱差を併せ持つんですってば、
(太宰の「人間失格」における→「わざとわざとー」と見透かされる不安のような)

素っ裸状態で緊張感の上昇しない人はいません。
これは準備不足で衆目のあるバンドに入ってしまった個人の自我がおかれた状態と似たようなもんです。
そんなド緊張な要素は個別に切り分けて、「まーね俺はド緊張しているワケだが」と事実関係を認定しておくんです。
(さっきのたとえで言えば「○○の事情で俺は今全裸なワケだが」みたいに)
その状況下で派生した内容をあたかも既成事実のように追認してしまうのは大問題なんです。

ド緊張な背景も込みで状況が誇張認定されてしまいます。
「素っ裸で僕は演説したのであった」
そりゃえらいことになりますよね?
しかし自分が素っ裸であったことを認定できずに、”私はいつもそうなる”と認定してしまうと、
(自我大騒ぎの半分は素っ裸である状況設定なのに)
「私は衆目の前で演説することに耐えられないんです(号泣」
 ↑
全体像の認識(や背景事情)が違うことになると同時に自己愛的耽美性というか「全然違う話になってますよね」


>実は在るべき存在じゃないんじゃないか、私自体最初から無ければおかしい事はないのに、
>このままこの世から消えられたらホント楽なのになぁ、なんて考えが浮いては消え…
>どんどん気分が落ちてます

強迫デ・コードしましょうか?
「自意識は(性器のようなもので)抑圧されているぐらいで丁度いいのだ、それが私の道徳であり、本音私は修道女になりたいのかもしれない。こんな”私が修道女”考えれば考えるほど耽美的な。。。」
これであなたに性倒錯かかっているなら、自慰行為始めている頃ですよ。
そういう概念のベクトルに乗っかった意識だと、自分で見破ってください。
「オイオイ何考えてんだ俺、ちょっと恥ずかしいぞ」と、


言うなら自己の回復は年オーダーで考えなくちゃいけません。
今の立ち居地から言えば、「大学卒業するぐらいで本領発揮するか(その間はこの企みをバレ無いように意識的偽装をしても、本音を抑圧するような馬鹿な真似はもう一切やめる)」。
「思うに私は自己を回復後友人であったり(場合によっては家族の)過半の人間関係を失うかもしれないが、だからどうだっていうのか、そこから私のリアルな人生は始まるのだ」ぐらいの勢いというかテンションを保っておく。

(なので当面の受験勉強などクソの役にも立たないのです。役作りも結構ですが警官役だからといってマジな警察官の資格をとったからといってグラミー賞が貰えるなんて、映画はそんな半端なものじゃありません。)

マジな話私は(本音で)自分の学ぶべき科目なんてものを大学卒業年次ぐらいに初めてわかるのかもしれない。
な状態なのですから、


>また、自分は、在るのに無い気がして
>その矛盾した気分が何とも辛く

厳密に言えば内容違うんですが、
カタルシス効果の期待があるので黒澤明監督『生きる』を借りて観て下さい。
(レンタル屋回れば簡単に見つかるでしょうし、DVDもたいして高くないと思いますから購入するのもアリでしょう)
※後から映画論評的な話はご勘弁を、私も同映画の内容は記憶の彼方ですから。

■とにかく今は『自意識の筋トレ』じゃないですが、
考えること。
急がないこと(戦術的である以上に戦略的であること)です。

大概のことは「保留中」なり適当に先送りにして構いません。
「それどろじゃないだろう俺(ここは徹底・考えるところだ)」
という認知を最優先すべきです、

引用なし

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【51】Re:補足しておきましょう  yuttie  - 2011/01/17 14:42 -

お久しぶりです
長文になってしまうので二回書き込みをしようかと思いましたが、
返信のとき面倒になってしまうかと思い、一度の書き込みにさせて頂きます。

半年ちょっとの間、お礼の一言も無くてごめんなさい
書き込みはしませんでしたが、落ち込んだときは何度もこのサイトに来て先生の返信を読み返し、また他のスレも拝見させて頂きました。「生きる」もレンタルさせて頂きました。先生のおっしゃりたい事が少しは分かったと思います。他にも教えていただいたことを心掛けながら、とりあえず半年過ごしてみて、先はまだまだ長そうですが…

つらい時は独りで静かに過ごしながら、さらに自信が無いときは時々授業を休みながら…
冷たい視線や容赦ない皮肉をぶつける同級生や先生もいましたが…
自分が我慢して出てる授業を平気ですっぽかして、さらによく独りになってるなんて、確かにいじめたくなる気持ちも分かります

半年間色々なことがありましたが、先生のアドバイスのおかげで少しずつ進んでいけています。
本当にありがとうございます。


ただ、今回もまたいくつか相談させて頂きたくて投稿しました
というのは、一週間前くらいから、
朝目を覚まして顔を洗っても夢の中にいるような、
人と話していても、目の前に本当に人がいるのか分からなくなるような、
それに、起きて何か作業をしている間に夢か妄想を見るようになりました。
それは無数の点々や小さな三角で構成された世界だったり、ボロボロの着物を着た女性が物凄い形相でこちらを睨んでいたり、あるいは、自分が社会に退治(排除等ではなく)される夢?だったり、昔の辛い思い出が同じ形でフラッシュバック?することもあります。起きたまま見るので、現実に入ってくる視界も見えていますが、その上から重なるように見えてくるんです。なんだか分かりづらくて、ごめんなさい

そんなことも増えて、
実際に見える風景もふわふわして現実味なく感じるので、
自分の立っている位置が分からないというか…また自分をあまりしっかり持てなくなっています。

自分も自分の気持ちがよく分からないから、友達ともあまり顔を合わせずに独りで…という風に何日か過ごしたのですが、持ち主がいなくなった風船みたいに、独りになった途端に現実の世界からさらに遠くへ遠くへ飛んでいっている気がします…

話がまとめられていなくてごめんなさい、
是非アドバイスを頂けたらと思います

引用なし

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【52】そーですねぇ  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2011/01/18 16:17 -

>というのは、一週間前くらいから、
>朝目を覚まして顔を洗っても夢の中にいるような、
>・・・(等々)
 ↑
ま、これは「クラクラする」って奴ですよ。
白日夢とかって話の方も思春期男子のエッチな妄想と(現象としては)たいした違いはありません。
言える事は「寝覚めが悪い」とか、「寝ている間に(昼間の”不快”による快感満足への欲求不満のマゾヒスティクな)悪夢を見たとか」肩凝ってるだろうなって事です。
(ここ冗談抜きで、私がアドバイザー的に関わっている”現在休眠中のNPO”はマッサージとの連携を本気で模索してましたから←悪くないアイデアだと思いました。通院中の人は投薬減らせる可能性あるんで、)

『鍼灸とかマッサージ』勧めます、
(別段美容エステ系でも構いません)
それから、朝ラジオ体操とかストレッチ動作するのも悪くないです。
洗顔も十分に交感神経刺激するように「冷水で締める」とか、
(足りなきゃ頭から水かぶる→冬の寒空の下乾布摩擦)

他にも「リハビリ過程」においては、対人不安で面と向かって人と話すときに手が震えてしまうだとか”ビクッとしやすい”とかの現象も今後普通に考えられる事ですが別段驚かないでください。(自然界の動物でもそういう動きするでしょ→加えて言えばワイルドな環境における動物は大変繊細なもので生息環境の微妙な変化のストレスが致命傷となる生き物も少なく無いぐらいですから”ビクっと”とか緊張で震えが出るとか自然界ではたいした事ないですから)
ざっくばらんに言えば「たいしたことじゃない」です。
(というか「たいしたことない」と”認識してしまう”ところがポイント:自意識の「現実返し」)
知らない間に(自意識の)キモがすわってきて平気になってます。
(その経過にバタバタしてもいかんと)

>実際に見える風景もふわふわして現実味なく感じるので、
ハレーションって言いますか現実にピントが合わないとか、
そういうのがちょっと面倒だと思うならサングラスでもかけてください。
(サングラスを目立たなくするようにエキセントリックでパンクな格好にしておくとかもいいでしょう→ひとつの武装というか戦闘服みたいなもんです。)
若干安全地帯に後退しますから、幾分楽でしょう。

>自分も自分の気持ちがよく分からないから、
まーこういう話はHPのコンテンツにおける「やりたいことがわからない」シンドロームの話みたいなもので、
http://kagewari.cside.com/kage_tex51.htm
人間の実生活でそんな情緒的現実なんかありませんって、
「自分の気持ち」なんて言葉自体ナルチシズム(オナニー)ですよ。
たとえていうなら「誰もがペシミスティクな鬱な”気持ち”になるひっかけ問題」のようなもの(レトリック)です。
その”仕掛け”を見破ってしまえばいいのです。

気持ちも何も、自分自身に投げかけてください。
 ↓
「腹へらないのかよ」
「トイレいきたいとかないのかよ」
「眠いとかあんでしょうよ」
「疲れたとかもわかんネーとかあんの?」
(と言いつつ上記レベルの部分に倒錯的混乱起きる事もあるのは事実なんですが、、今回はそっちのテーマじゃないのでいいでしょう)
 ↓
「ワカラネーって事ないだろうよ、嘘つくなよ」って話です。
(深層心理デ・コードしてみればわかる話ですって「私の自己愛的○○○をわかって欲しい」みたいな情緒が”気持ち”って言葉に代用されている。)
気持ちって記号の乱用防ぐように抑えを聞かせればですね、
強烈な足裏マッサージにでも行ってですね、
「”ギャー!”」
「気持ちいいんですか?気持ち悪いんですか?どっちなんですか=!」
「ギョーエ==!」
(間違いなく確かめられますよ”気持ち”)
それが”気持ち”なんて言葉のなにがしってものです。

>さらに遠くへ遠くへ飛んでいっている気がします…
禅寺で言えば(もうわかりますよね)
ビシー!っと一発叩かれるところです。
(アントニオ猪木に一発ビンタされれば吹き飛びますよ)

実はこの話は案外バカにならない『本質』であって、
スポーツであるとか特に格闘技、
「エイッ!アチャー!」って大声出すようなシーン。
おおよそ何がしたいのかわからない人間には見えませんよね?
しかしですよ、
「エイッ!アチャー!」って、何か具体的ですか?
(間違っても「私の気持ち」なんて世界では無い→しかし「やる”気”十分」ですよね)
ワイルドでシンプル(とかストレート)だとかハードだとかって=現実に対する闘争ですから、
関根勉の千葉真一物まねでお馴染みの「クグカーッ」って腹式呼吸の唸り声って世界は(禅寺じゃないが)『無心』(何やら今回登場している”気持ち”って言葉と好対照だと思いませんか)、
飢えたバッファローが草原求めて荒野を彷徨って「私の気持ちがわからない」ってのは無いって事です。
現実に向き合い(命賭けて)草原を探す、思い切り自分の実存はギラギラしますよね。

これ体感するために、合気道だとか剣道だとかやって経験した事ない大声出して「エイッ!アチャー!」ってやってみるのも悪くない話です。
昭和の青春ドラマや同じく昭和のコントなら100%海岸で「バカヤロー」とか、山登りして「ヤッホー!」とかこれ同じ現象。
ここ哲学とかにおける衒学的とかってものを(ルネッサンス的に)忌避するのと似たような話で、
商業演劇的長台詞に対するダンスや能などの表現とも似たような話で、

試しにぶっ倒れるまでランニングしてみるってのもアイデアだと思います。
映画『生きる』繋がりで同じ黒澤の『七人の侍』を借りて観てください。
エンターテイメントとしても勿論名作ですが、この『七人の侍』をしょうしょう哲学的に鑑賞してみましょう。
ロジカルな「勘兵衛」に対して主役を食ってしまった三船演じる「菊千代」(まるでローマの兵士のようでさしずめ元祖ランボーかもしれません)、その対称性の中勘兵衛は菊千代の”実存”に一目置くワケです、
それほどまでに菊千代の実存はギラギラと輝きます、
(あんまり菊千代が凄かったのでファンタジーのその又ファンタジーとして「菊千代が生き残って大人になっていた」設定で制作されたのが『用心棒』『椿三十郎』です)
『用心棒』や『椿三十郎』においても主人公の”名無しの浪人”(ここにはハメットのハードボイルド小説の影響あるかもしれません)は極端に言えば個人的目的も無く自分の気持ちなどを確かめる余地も無い。あたかもそこにいちゃいけないほどの人間がハードに実存してたらどんな(共同幻想破壊的)ドラマが始まるのかって人間主義的なドラマとも言えます。
(重要なのは”三十郎”が常に”嫌々”で物語に深く関わって行くところ「勘違いして感謝しそうになる共同幻想社会に”違うから”と背中を見せて去っていく」)
「エイッ!アチャー!」ってのを馬鹿にしてはいかんっちゅうことです。

それから関係無いですが「先生」っていうのは勘弁してください。
(kagewariさんとかで十分ですから)

引用なし

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【55】Re:そーですねぇ  yuttie  - 2011/02/24 14:31 -

kagewariさんおひさしぶりです

最近、去年に比べれば少しずつ自分の中で問題も整理されてきて
また時間も出来てきたので
自分の中に抑圧されたものについて、少しずつ考えています

思えば
家族を含めた私の周りの人たち全員に
必要とされてないか、邪険にされてるような感覚がありました
なぜそうなったのかはわかりませんが
今もそうかもしれません
小さい頃から自分の想像しうる範囲で最高の、良い子を演出しようとするクセがありました

今は両親について、正直
最初からこんなのいなかったら、どんなに楽だったかという考えでいっぱいです

私が勉強について否定したがらなかったのは
私にとって勉強が誰かに少しでも振り向いて欲しいと思う気持ちや
自分を少しでも肯定してやりたいという欲求を満たすもので、また、
現実から逃れるための時間つぶしの役割があったんじゃないかと思います


今、
誰かに心を開こうと思うことも、たとえ独りでも自分に素直に生きようと思うことも
何もなしに、ただ生きているだけなのに、
何年間も走らされているか、何かから逃げ続けているような感じで、
そろそろ止めてしまえられればと
少し疲れてしまいました

何ヶ月もかけて誰かにやっと心を開けても
自分自身の少しの心の揺れでその人との付き合い方がわからなくなってしまって
そのたびに人を傷つけて

でも独りでいると、自分が惨めに思えてきて
自分が独りでいるからとかではなくて、
ただただ湧き上がってくる感情として悲しくて、
すこし周りが憎くて、それがまた辛くて

自分をどうしたらいいかわからなくて
誰にも頼れなくて

それを押し殺して笑顔を見せるのも辛いし
でも時には思うままに物を壊したりしてみても、
それこそ何かに向かって演技しているような違和感があって

きっと一年前の文章となんら変わりないかもですね
ごめんなさい
いくら、どう頑張っても抜け出せず
もうこの数年に始まったことではないのですが…

引用なし

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【56】各論でいきましょう  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2011/02/25 19:34 -

今回はその方がわかりやすいと思います。
> 家族を含めた私の周りの人たち全員に
> 必要とされてないか、邪険にされてるような感覚がありました
> なぜそうなったのかはわかりませんが
> 今もそうかもしれません
> 小さい頃から自分の想像しうる範囲で最高の、良い子を演出しようとするクセがありました
 ↑
ここ典型的なので説明します。
とにかく大きな誤解は親等の年長者から見て子供は「赤の他人同様」に遠い存在です。
(感情移入で入れ込むとかそういう”余地”が親権として一般的であるだけで、相互信頼でコミュニケーションできない場合メンタルな問題で悩むタイプの人に顕著な対人恐怖とほぼ同じ状況が子供に対しても発生します。)
表現悪いですが所謂「ペットのように可愛い」と一時的に(というか反射的に)感じられるのは本当の乳幼児などの場合で、その乳幼児期でも昨今の虐待事例にあるように(ペットを飼ったがトイレの躾などで悩んで暴力的になるタイプのケースと大きな違いありません)、コミュニケーションスキルって表現はどうかと思いますが、大人同士の他者とコミュニケーションが円滑にできない大人(親)は、自我成立後(或いは言葉を話し出す萌芽期から)の子供を相手にしても対人恐怖や不安感を感じます。
※ここベーシックに言えば家族社会というのはひとつの権威性クラス(階級)社会であって、何の縁か?という部分が「同期入社」や「同級生」とかと同様に「血縁」というだけで、何か殊更大きな違いはありません。乱暴に表現すれば「異様に濃密な町内会」みたいなものです。

で、仮にですが、
親を含む権威側に対人恐怖的不安感がある場合、その場が生存環境である幼児は「ステレオタイプに安定的な人物像」を”結果論”として求められます。
又ここで誤解を招きそうですが、親が所謂巷間伝わる”親子愛”のような”甲斐”を発現するには、家族法人にとって親はベンチャー企業の代表取締役ですから「会社設立の理念」であるとか理想のような(言えば強い愛社精神みたいな)法人運営における旺盛なモチベーションなどがあっての話であって、仮にですよ「親自体が強迫観念のように”社会適応”を気にするあまり、ステレオタイプに(いい子であるように)結婚に妄執するなどして家族を発起した」であるとか「依存的人格で強迫的に対象者をスカウティングして自分が依存するために家族法人を求めた」などの場合、下手すると『円満に営業している家族的経営の一般の会社』より社会性は劣るんです。→「言えば赤の他人レベルがそれだけ高くなる」それだけでなく、上司である部課長クラス(階級)が(親)所謂使えない上司のようにコミュニケーションスキルが劣るって事です。
(上位概念の話は、江戸時代の氏族なんかを例に想像してもらえるとわかると思います。親子愛の上位概念が”お家大事”の家督保守である。)

■上記は個別事案では無くて、典型的な部分の説明です。

で、この話をすると困ってしまいうのが、
「なんて悲劇的な社会に私は生まれたのか」のような鬱的被害認知が先行することあるので抑えておきますが、
所謂『幸せな家族愛に溢れる組織』←これは幻想ですから。
しかも実際の環境がイメージとかけ離れるものだから、それこそTVで見たホームドラマみたいなのが本当かと幼児は勘違いしてしまうんです。隣の芝生じゃありませんが、そんな絵に描いたような話はありませんし(本当にやっかないのは刑事犯に相当するリアルな虐待です、これは生死にかかわりますから)、だいたいの家族も言うほど濃密な人間関係ありません。
鈴木宗男の家じゃありませんが、「お父さん逮捕された」のような重大イベントで”後発的に”人間関係が(誰かと親友になるように)濃密化するのであって、それは家族法人にも波風ありますから、そこの中のイベントを通して(会社で言えば日々の営業活動を通して)各人個別に相互信頼を形成しているのであって、その機会が『血縁である』のか家族というだけなんです。
(出生はほとんど就職と同じ事なんですよ)
ほとんのどの判断は”自分でどうにかなる”ものなんですが、幼児にはできる事限られているので通常「ちょっと家問題あんじゃないか」的な家族に生まれても反抗期を経て「とっとと独立しよう」的な方向で解決するため一般的には大きな問題になりません。

じゃメンタルな問題は何故おきるのか?
答えは簡単です。
不安を抱えて『強迫的社会適応』に依存する親がいたとします。
何を求めますか?(もうわかりますよね)
無難に”デキル社員を部下に持つ管理職”の姿が無いと不安ですよね?
(勿論昭和の時代のように嫁姑みたいに強迫心理では無く、実力行使的”脅迫”である場合もあるでしょうけれど)
江戸時代の氏族のように歴史的合理性が誰の目にも担保されている「武士の跡継ぎ」のような錦の御旗があれば子供は悩みませんし、親もその道に外れた話はできないので、合理性を共有できます。(まさに共同幻想が機能する)
しかしその理由というか背景事情の理解と言うか情報公開が無いと、(もうわかりますよね?)
> 小さい頃から自分の想像しうる範囲で最高の、良い子を演出しようとするクセがありました
やっている当人意味わからない→これが自我に構造化していけばメンタル上の強迫観念になります。

yuttieさんの個別事例に何があったのかは公開掲示板では(プライバシー保護上)確認できませんので、後はご自身で組み立てて考えてもらうより他無いのですが、上記踏まえればある程度推定可能に思います。


ですから、
>今は両親について、正直 最初からこんなのいなかったら、どんなに楽だったかという考えでいっぱいです
 ↑
これ「おかしい」んですよ。
意味わかります?
とっとと独立すれば何の関係も無いんですから。
(本当の話で一般社会の大人って普段圧倒的な時間、実家の親の事なんか忘れてますよ。独立して日常過ごすってそういうことなので。←だから共同幻想は『お盆』とか『正月』を組み込んでいる訳で、)

皮肉な事に「あたかも親子関係が永続的に続くかのような妄執に飲まれているのはyuttieさんの心理」だって事に気が付いていない。

これを読み解くカギが、
そもそも強迫的な親の人格があれば、何故子供がその親に執着するあまり強迫観念を取り込んだりするのか?
そのモチベーションとなります。
「精神年齢的に見発達な子供に可愛いペットを買ってあげた」←どうなります?
自己愛的に溺愛することありますよね。(或いは過干渉と激怒など)
依存心のコアでもあるんですが、
(あくまでも仮説ですが)
言葉を話し始める幼児期以前の乳幼児期に以上に可愛がられて(ここでは随分いい目にあっている)「快感依存的」な傾向があるとか、
或いは、親の非社会性を引き継ぎ子供社会の中で自発的な快感獲得が出来ずに快感原則が専らインナーワールド(内向社会)としての家族間にしか無かったなど、こういうサイドストーリーが関係していたりします。
(勿論親が自己愛投影して子供を特別視する事例も少なくありません)

■根本が誤解だって事ですよ。
それこそ最初の
 ↓
「なんて悲劇的な社会に私は生まれたのか」のような鬱的被害認知が先行することある
に戻って考えるならば、
それこそ外見的にうまくいっているように見える家族法人は「よっぽど突き放した関係性」であるからこそ、云々と、
(ここ説明しなくてもわかると思います)

ですから話はぐるっと回って元に戻りますが
 ↓
とっとと独立すれば何の関係も無いんですから。
 ↑
と、思えてない事が問題なんですよ。
(そうならない背景が様々な誤解や強迫意識である)


>何ヶ月もかけて誰かにやっと心を開けても
>自分自身の少しの心の揺れでその人との付き合い方がわからなくなってしまって
>そのたびに人を傷つけて
 ↑
ここは想像するに「依存関係」やらかしているんだと思いますよ。
自立的、自己責任担保の水平的・対等の相互信頼関係では無い。
(人怒らせて得する人なんかいませんから)


>でも独りでいると、自分が惨めに思えてきて
>自分が独りでいるからとかではなくて、
>ただただ湧き上がってくる感情として悲しくて、
>すこし周りが憎くて、それがまた辛くて
 ↑
完全な依存心ですよね。
元ネタは迷子の幼児「おとうさーん、おかーさーん」。
勿論そんな年齢じゃないのは確かなので、上記の心理は”自我問題”であってまったく自分の本音じゃありません。
依存的認知に引っ張られてしまっている(俗っぽく言えば”みれん”)
「本当は王家の王女様だったのに」←と大きな違いはありません。
(幼児期のいい子が肥大化している理由は、親などの権威性が反動で肥大し貴族階級みたいなことになっているため←なので極端にいい子じゃないとアンバランスに思えるんです)
※大人目線で言えば、幼児的に昔の恋人の話(自己愛ドラマ)でごちゃごちゃいいながらナルチシズムっぽくメソメソしているのと似たような話です。
(この場合大人目線の話じゃありませんが)


>誰にも頼れなくて
頼る必要無いでしょう(笑
年齢いくつですか?って話です。
江戸時代なら15歳でひとり丁稚奉公だの、場合によっちゃ売り飛ばされたりして普通だったんスから。
(家督相続の長男なら元服ですが)
 ↓
<答え>
「頼ってまで何かすることあるのか?」
(深層心理が貴族の子供だとすると→そりゃ身分の回復とかそれは大変な労力となる:ここが頼る発想の潜在意識です)
※実際に体調含めて大変だなる設定もあるでしょうが、マジに体調が悪い時に呼ぶのは『救急車』だし、たとえはアレかと思いますがトイレでの急な下痢で冷汗かいて気絶しかけるとかって誰でも経験あると思いますがこの時ばかりは「こりゃ助け呼ぶわけにもいかん」と思いますよね。何故可能かってトイレなる『自我の個室』的プライバシーというか結界があるためで(引きこもりの原型とも言えますが)、単体の不快事例はプライバシーというか個人領域であれば(それこそ鬱的に反動化して不快による快感依存があるように)人は引きうけられるんですよ。
※しかしその場面見られたら大事になりますわね、
※しかし「いやー昨日トイレで死にそうになってさ〜」と笑い話にもなりますよね。
(迷子が泣くのは外部の人間に「迷子なの?」と声をかけられた時)
この不快認知には多分に社会性が関係していて(心理学的には”ボーダー(境界例)”なんて個別具体的なものは存在せず、その社会的接点が葛藤なりの戦場(いくさば)になっているワケですよ)、その背景に『過剰な意味に膨張している社会適応強迫(誇大な結果主義)』は横たわっているワケです。
『自立独立』的単純化モデルではそれが派生しない、
(ですからリハビリ過程は単独行動を基本とするべきでしょうとコメントしているんです)
 ↓
ひとりで気ままに駅前の蕎麦屋で腹いっぱい食うって市井の市民の幸福に、誰か頼る必要あるんスか?

自立であるとか独立であるとか、
そもそも哲学的に幸福論って何とか、
自由とは何かとか、そういう根本的なところが深層心理で”えらいことになっている”んですよ。
(全然一般的では無いヒロイン物語みたいな←鬱と反動関係にあることわかりますよね。)
※獲得される””自由度”が自由なのであって(自意識の行動による自己責任による著作権プロセス)、全方位への∞の無限区間は”定義が無いので何の(自由の)実存も無い”、あらかじめ用意された自由って言葉も論理矛盾です←意味わかりますよね。

と、ここで一番最初のレスから読み直してください。
一本に繋がっている筈ですから。
過去の誤解に関しての解釈がまだまだ一貫していない、
そしていい悪いなどの情緒的にに過ぎる部分が多くまだまだジャーナリズム的領域に至って無いって事です。
同時に皮肉な事に「駅前の蕎麦屋」とか「駅前のハンバーガー屋」の幸福ってものを”なめている”って事でもあるんだと思います。

引用なし

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【65】Re:各論でいきましょう  yuttie  - 2011/05/22 00:10 -

お久しぶりです
掲示板の投稿、何度も読み返させていただいています
私おんなじことしかいってませんね
その考え方を今すぐ断ち切れるかどうかは別として
最近それがやっとわかってきました

最近大分落ち着いてきました
いや、落ち着いてはいないんですけど、
自分の状況を一年前と比べて少しは客観的に見られるようになった分
少し余裕を持てるようになっています

両親は対人関係についてはやはりふたりとも変わった人です
私を社会適応させようとしていたかどうかはわかりませんが

母父とも、もの静かで、論理的、合理的な考え方を好むような人で
二人ともかなり我慢強いと思います。どちらも朝から夜遅くまで働いているのに
愚痴をほとんど聞いたことがありません
ただ面倒なことが、特に母親は、大嫌いでした
キャパギリギリまで背負い込んでる状態で、
もうこれ以上何かを背負うことを全力で拒否する感じです

面倒の塊みたいな幼児期にはよく怒られていました
なにかねだったり、あんまり甘えようものなら、
急に声色が変わって
こっちはずっとなだめすかしてんのに調子に乗ってんじゃないよなんて言われるものだから、
我慢して付き合ってたけど本当は私のこと嫌いだったんだと落ち込んで、
とにかくあまり自分が主張できるような余地が無かったので
なるべくいい子でいようと思ったのは、そう思ってからだと思います

ショックだったのは、
9歳のころ突然父にイタズラされそうになったことです
大声出したら隣の部屋から母親が駆けつけてくれて、
同時に父は私からパッと離れ何事も無かったかのように去っていったんで、
9つながらよくないことされたんだと思いました
ただ父が理性を失って感情を爆発させたのを見たのはこれきりです
あれは夢だったんじゃないかと思ってしまうほどです

家族の結びつきなんて幻想だとわかっているとしても、
やっぱりショックです。なんなんでしょう
そのせいでしょうか、恋愛や、それに関係する話題に吐き気を催してしまいます
それともただ私がまだ大人になりきれていないからでしょうか

私が人に依存することに未練たらしく拘泥していたのは、
高校のとき入った部活でかわいがってもらっていたからだと思います
ただ誰かに認められている、だれかがちゃんと見てくれていると思うだけで
なんでもできるような、どんな困難も乗り越えられるような気持ちだったんです
両親に退部をせまられ鬱病になって、結局途中で退学してしまいました
偽親によって本当の親から引き離されたような気分でした

たぶん、幼少期からなにも主張しないぶん、
今まで精神的に全く成長できていないのではないかと思うんです
それと、小さな頃から奥底にしまってきた
悲しみや恨みや憎しみ怒り寂しさが抑えられずに垂れ流しになっていて、
しかもいくら吐き出してもつきないんです

自由の前に、安心できる場所でゆっくり休みたい…
十数年前からずっと、なんとなく疲れていたそんな感じで、
目に入ってくるもの何もかもが怖い

単独行動していますが
生きること自体またすこしだけ苦しいです

ごめんなさい
かなり具体的で、さらに他愛のない話で、返信にすらあまりなってなくてしまいました

引用なし

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【66】いくつかの各論と推定  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2011/05/22 23:16 -

>母父とも、もの静かで、論理的、合理的な考え方を好むような人で
>二人ともかなり我慢強いと思います。どちらも朝から夜遅くまで働いているのに
>愚痴をほとんど聞いたことがありません
>ただ面倒なことが、特に母親は、大嫌いでした
>キャパギリギリまで背負い込んでる状態で、
>もうこれ以上何かを背負うことを全力で拒否する感じです
 ↑
端的に言えば本音の抑圧と強迫心理ですね。
(強迫心理の特徴のひとつは”ステレオタイプ”ですが、これは時々論理的合理的と誤解されます。論理的合理的なる発想の本質は融通無碍にイロイロな抜け道見つける上手みたいな(オルタナ)ところが本領で、結果窮屈になるのは論理的でも合理的でも無いのです。)

>こっちはずっとなだめすかしてんのに調子に乗ってんじゃないよなんて言われるものだから、
>我慢して付き合ってたけど本当は私のこと嫌いだったんだと落ち込んで、
 ↑
完全に赤の他人状態(自我を持ち始めた子供に対しても一般社会の大人相手と同様の対人恐怖や過緊張が出ている)。
というか家族法人取締役的パフォーマンスが全然無理であると、
(イメージ的には融通の利かない無能な中間管理職のそれに似ています。)
◎ここから彼らが家族法人を立ち上げしたのも彼らのステレオタイプがそうだったからで好き好んでのものじゃないでしょう。
(強迫的な家族法人設立←彼らも”誰か”を権威的に意識しての行動で彼らの本音(自由意志)は抑圧されている。)

>ショックだったのは、
>9歳のころ突然父にイタズラされそうになったことです
 ↑
ここは話半分に減額してください。
(事実関係を否定しているワケではありませんよ。以下に詳細あるようにこのような類する話は裏取り含めて慎重に確認していかないといけない要素が可能性としてですがひとつのリスクには違いないためです。)
根拠のひとつは一時大きな話題になった欧米社会の実子に対する性的虐待のかなりの数が誘導尋問的な記憶偏向も少なく無かった点。
それから特に日本においては小児性愛は欧米に比べて少数派であるのと、以下の証言です。
 ↓
(何回か前の証言)
>私は親に特別意地悪をされたわけでもなく、家庭環境が悪かったわけでもないのですが、それでも、こんなことは有得るのでしょうか

分析の過程で誰かが悪い的に認識の歩留り(本来はその向こうに彼らの強迫環境も知り”業(ごう)”というか”性(さが)”というか仕方の無い世界だなほんとのようなジャーナリズム的視点に至って理解なので)過程で、悪感情から記憶の一部(前の証言との間の乖離に注目)”特に印象”に関しては割り引いておくのが賢明であるためです。
(いい悪い論に認知が引っ張られるのも強迫心理の特徴(道徳野を占有して抑圧の原動力とする)です。)
更に言えばくだけた家庭の場合父親が娘と中学生ぐらいまで一緒に風呂に入るなど性に奔放な文化を持つ日本の場合あってもおかしくないもので(当然性的な馬鹿話もアリで)、欧米における問題は宗教的抑圧とその反動ですから(倒錯の意味合いや経路が大きく違う)、全てを性的虐待の枠組みで見るのには一定のリスクがあります。
※欧米の小児性愛と違い日本の場合には性に未熟(或いは未発達)な年少者等の男性が傾倒するなど倒錯が別経路となっている。
※むしろこの場合『夫婦関係の問題を考える』背景のひとつと考える見方もあります(後述)。

推定のひとつとして強迫により人格破綻傾向のある両親の父親が(強迫下で)抑圧されていた自意識が(彼の本音には娘が可愛いなどの意識あったでしょうから)、対人恐怖そのままにおぼつかない方向を辿り「娘には嫌われるは・それを問題の妻(ここで夫婦関係の推定)に見られるは」という(自意識を更に抑圧しなければならない袋小路的な)絵というか場面に(可能性として)目を向けるべきでは無いかと。

ここでの嫌悪感は妻(母親)の父親の自意識を嫌悪し蔑視(抑圧する)視点がyuttieさんの視点に(そのまま強迫心理として)影響している可能性があるからです。
(認識の歩留り論と一致する。)
※専ら男性嫌悪心理の一部は『母親の強迫意識』が大きく関係している可能性もあります。
(ここも推定ですが:後述)

その認識ベースで見ると以下の状況は別のものに見えるかもしれません。
>同時に父は私からパッと離れ何事も無かったかのように去っていったんで、


>恋愛や、それに関係する話題に吐き気を催してしまいます
>それともただ私がまだ大人になりきれていないからでしょうか
性の嫌悪にはいくつかパターンありますが、
自分の性(大人になる=子供の心理で依存関係にある家族社会を喪失などから)に対する嫌悪や、
性(ジェンダー)そのものに対する嫌悪で、この場合『母親との同一化(女性の子供の大半は一時期この過程を経ます)』の影響などですね。
つまり彼女が強迫的人格であり且つ婚姻しているとすれば→大人になっていないまま強引に結婚していることになるので、性的快感認知は過去の自分の家族を対象としたまま現夫となるワケですから、夫婦関係において潜在的にも顕在的にも夫を嫌悪している可能性かなり高いです。
(無意識下のファンタジーは自分が子供時代所属していた家族社会の中のなんとやらとなり(強迫心理特有の特権階級意識となり)現世を(一般他者である男性全般を貴族社会から)卑下するなど、)

母親が主導的役割で強迫家庭となった事例では特に娘が父親などを(問題のある母親の伝聞情報などを元に)誤解から過剰に嫌悪しているなどのケースも少なくありません。


>私が人に依存することに未練たらしく拘泥していたのは、
>高校のとき入った部活でかわいがってもらっていたからだと思います
>ただ誰かに認められている、だれかがちゃんと見てくれていると思うだけで
>なんでもできるような、どんな困難も乗り越えられるような気持ちだったんです
 ↑
これは非常にアンラッキーでしたね。
時々あるんです、
偶然と言うか特定社会に対して妙に社会適応してしまい『妄想家族を仮想実現してしまう』ケースですね。
(現象としては全く違うのですが構造的には不良化と暴走族(代理家族)ともクロースする部分あります。)
依存関係には”スカウティング”という過程を経る事も多いので(必ず強迫心理にとって都合のいい相手が選ばれている)、潜在意識の強迫心理は「妙なお墨付き」を得て暴走し(温存拡大)、その後に強い反動性(行動の過激化など)帯びる場合もあります。
(ズルズルと当時の関係者との関係が続きその都度何らかのアクションが強迫トリガーを引くマッチポンプとなる場合もあります。)

>両親に退部をせまられ鬱病になって、結局途中で退学してしまいました
>偽親によって本当の親から引き離されたような気分でした
 ↑
この当時の記憶も”印象に関しては”割り引いて考えるべきでしょう。
「強迫心理のいい悪い論に極めて都合がよ過ぎる話になっている」からです。
(結果として強迫心理の拠り所である『幻想家族』が過剰に美化されて終わっている事に注目。)


>悲しみや恨みや憎しみ怒り寂しさが抑えられずに垂れ流しになっていて、
>しかもいくら吐き出してもつきないんです

つきないのはそのルサンチマンそのものが『誤解』だからですよ。
(イカレタ家に生まれたとか、トンデモ暴力両親だった的な事は何とでも無いと言えば極端ですが(理由が幼児や子供にもわかりやすい”そのまんま”な内容の場合メンタルな問題に発展しない)、ルサンチマンの根拠を想像すれば簡単です。「本当なら○○や○○など子供的にも大変幸福で快感のある○○な幸福を奪われた」←前段が自己愛的に増幅すればするほどルサンチマンは拡大する。)
極端な話生きるか死ぬか寸前の状況で育ったとしても「自分自身だからどうしたなんですよね(←今元気に生きている事が証拠)」であってなんら不思議では無いのです。「ほんとにね(笑、あのクソ両親とか思いますが、いえいえ別段怒ってもいないですよ。てか怒っても仕方ないでしょう、彼らもあーやって生きてきたんですから。」
 ↑
問題は事の軽重(なんでしょうね抽象論になりますが幸福の軽重でもなく)とは全く関係無いのです。

わかりやすいのか、わかりにくくくて「幼児の心理がその説明に幻想を必要としたか」この差異です。
(いい子幻想も全体の幻想の延長上にある”ナンセンス”なワケで)

>自由の前に、安心できる場所でゆっくり休みたい…
>十数年前からずっと、なんとなく疲れていたそんな感じで、
 ↑
これはいかんですね。
ゆっくり休んで滋養付けたいのは強迫心理ですよ。
(依存先の喪失に焦っているんですよ。)
※そんな都合のいい先はありませんから、仮にそう勘違いして依存した場合、勿論そこにも現実社会ありますから(過度に社会適応しないと捨てられ妄想などとなり)下手すると誰かを殺意に近いほど恨んでしまったり、関係悪化したり、場合によると過度の社会適応意識から「○○ができないからだ」などのような偏執的な妄想に囚われたりなど問題が悪循環化し現実に現象として波及してしまう場合もあります。

疲れていたのは依存先との関係を固定化するために無理をして「それこそクソの役にも立たない勉強したり」ですね、
一見応援している人(実体は強迫心理の取り巻き)を美化しちゃったりですね、
随分自意識の本音から遠くまで来ちゃったからです。
辿りついて「なにかしたいの私」状態であると、

ゆっくり休むなら「ひとりでやすんでください」。
(引きこもりと意味は違いますよ。ひとりで喫茶に行くとか、図書館行くとか散歩するとかのんびり過ごすということで、)


>単独行動していますが
>生きること自体またすこしだけ苦しいです
 ↑
それでいんです。
世の中ね、基本生きるってのはある程度疲れるなど苦痛も幸福のうちですから。
散歩したって疲れるんだし、読書すれば肩も凝るし、
登山は命がけだし、硬球当ったらデッドボール洒落にならないし、
最初に飲んだ酒はマズイものだったり、最初の喫煙はクラクラ気持ち悪いものだったり、
幼児にブラックコーヒーの味はわからないし、
何か上等なもの食おうと思えばハードに働くとかね、
海女ごっこだとばかり海に潜ればだれでも息が苦しいのであって、

『疲れられる』ってのは自由な自意識の発露として「こっちいくと選択」した結果(モチベーションの発動にも成功)その過程を証明するものであって(確かに企画立案と行動のハンドル握ったという)、腕立て腹筋などハードにトレーニングすれば誰だって苦しいですがそれは『不幸の逆さま』ですから。


>自分の状況を一年前と比べて少しは客観的に見られるようになった分
>少し余裕を持てるようになっています

言うならば上記二行が現在の自意識の本音であるということでしょう。
(レスはその二行だけでよかった)
と考えてみればですよ?
以降に続く話のおしまいが→「強迫心理擁護ともいえる方向に揺れている」とも見えるのであって、
前段二行が以降の反動となる文章構造となり、
(そういう内容は現在の自分の自意識の思惑とは違っているので)
 ↓
>かなり具体的で、さらに他愛のない話で、返信にすらあまりなってなくてしまいました

こういう感想になったのでしょう。
(自分でも違和感がある)
>ごめんなさい

いえいえここは私に謝るところではなくって、
自分の自意識に謝るとことです。
「スマン俺、余計なこと考えた」←という感じですね。

引用なし

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【67】Re:いくつかの各論と推定  yuttie  - 2011/06/29 19:40 -

お久しぶりです。
あれからまた一ヶ月間続けてきた単独行動ですが、
かなり大変です。

心として前向きであるものの、
頭と体が追いつかないんです。
頭と体が躍起になって依存の先を探し続けています。

条件反射のように、長年染み付いた感覚によって体が動くようです。
大勢の「人」の中へ入っていった瞬間、
身体が硬直して、頭の中は暴走して(頭の中に、一気に人が四、五人現れて、それはこうだ、あれはダメだとまくしたてるんです)
一時間や二時間でヘトヘトになるんですが、
それでも授業が終わるまでのもう三、四時間、帰れないでいると
体力が残ってない分、頭の中ではさらに危機感をまして…
もちろん授業なんて頭に入ってきません。

結局、体はボロボロで、でも一晩中緊張が続いてうまく眠れず、…課題も予習もできず。

安易な事を言うかもしれませんが、
なにかアルコールや薬物の中毒から抜け出すのかというくらいの感覚です。
心と体が全く別物で
物凄く辛いし、どうしようもないです。


なにもしたいと思えないし、何もできる気がしない。
リストカットの量がこの一カ月の間で一気に増えました。
心療内科の先生には、15、6まではそういう衝動が抑えられなくてねぇ、なんて説明され。
そうですよね、私はガキです。

目の前の世界は歪んでいるし、
口を開いた瞬間どうしようもない悪ガキとされていたので
記憶もないほど遠い昔から感情の抑圧というものを第一の信条として生きてきたから、
言ってしまえば
その当時から今まで生きた心地なんてしたことほっとんどなかったし、
最初からこんな奴いなかったんだといって、どこへでも消えていけたらいいのに
とにかく、一つひとつ、息を吸って吐くだけで焦燥感で胸がいっぱいになって、
どうしようもないです。

心療内科の先生に、少し気持ちを抑圧できるようになれれば、とアドバイスされましたが、
もう、気持ちを抑えるのは恐ろしくてならないです
抑え込みすぎた結果、おととし通り魔になりかけたので

疲れてしまいました
今は、外へ出歩く元気もないです
家でじっとしているのも、つらいです。
情けなくて、悔しいです。

引用なし

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【68】そのまま読んでみましょう  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2011/07/01 22:37 -

>あれからまた一ヶ月間続けてきた単独行動ですが、
>かなり大変です。
>心として前向きであるものの、
>頭と体が追いつかないんです。
>頭と体が躍起になって依存の先を探し続けています。
 ↑
ちゃんと自意識の本音が(無意識に)記号化されてます。
デ・コードしましょう。
「あれからまた一ヶ月間続けてきた単独行動ですが、かなり大変です。頭と体が追いつかないんです。」

■『全力で走れば追いつきます』よ

(マジな話です「ランニング不足」なのだと思います。←これは本当にそのままで「万歩計的な日常生活の走行距離が不足している」と考えてもいいです。”単独走行距離”:関連キーワード<単独大西洋横断)


前段を(実は既に自分で答えがわかっている)ベースに読み直すと以降に既に答えがあった事が確認できます。
>条件反射のように、長年染み付いた感覚によって体が動くようです。
「そこ(強迫時代)に(走行距離不足で)留まっているから」ですよ、

>大勢の「人」の中へ入っていった瞬間、
「大勢の人に中に入っちゃいかんでしょう(笑」
何度も言うように”単独走行”がテーマな状況であり、
>あれからまた一ヶ月間続けてきた単独行動ですが、
と言いならが「大勢の人」じゃ「一ヶ月続けていない」って事です。
大勢の人相手じゃ単独行動にならない。
 ↑
これは婉曲的な意味なので後段読み進んでください。


>身体が硬直して、頭の中は暴走して(頭の中に、一気に人が四、五人現れて、それはこうだ、あれはダメだとまくしたてるんです)
>一時間や二時間でヘトヘトになるんですが、
>それでも授業が終わるまでのもう三、四時間、帰れないでいると
>体力が残ってない分、頭の中ではさらに危機感をまして…
>もちろん授業なんて頭に入ってきません。
 ↑
なんで授業なんて行っているですか(笑
現段階では勉強などクソの役にも立たないと説明していませんでしたか?
自意識の本音で「マジに勉強したい」のなら人の少ない図書館にでもひとりでいけば「ゲーが出るほど勉強できます」。
 ↓
>疲れてしまいました
>今は、外へ出歩く元気もないです
>家でじっとしているのも、つらいです。

ほら、問いのおかしさに気が付きました?
(”騙し絵のトリック”発見できません?)

「外へ出歩く元気も無く、引きこもりも勿論辛い」
極論”リストカットの量”の告知に見られるようにナルチスズム的には「生きるか死ぬか的に辛い」ってテーマの話です。
ところがです。

と こ ろ が

その原因は?
「一時間や二時間でヘトヘトになるんですが、それでも授業が終わるまでのもう三、四時間、帰れないでいると」ってあーた、
生きるか死ぬかって時に、何学校いってんですか?
しかもですよ、
ここで最初からもう一度読み直してください。
「生きるか死ぬか的に辛い」の直接的原因は「クソの役にも立たない学校行ったから」。
変でしょ?

逆回ししてみましょう。
(映像手法である「VTRの逆回転映像」でイメージしてください)
「生きるか死ぬか的自己愛状況でリストカットのシーン」(原因は?)→「外に出歩く元気も無く疲れ果てている絵」(原因は?)→「何故だかわからねど能天気に(後で生きるか死ぬかの原因となるのに)学校などに行っている」
おかしいでしょ、
 ↓
シーンを並列させます。

「生きるか死ぬかって自己愛的状況」ってゆゆしき事態なのに「いけない、学校に行かなきゃ」、
ってアータどんだけ暇なんですか?
これはですね、福島第一で原発爆発しているのに「時間だから学校行かないと」と言っているようなものです。

ですから、
「生きるか死ぬか的自己愛状況でリストカットのシーン」が想定されるので(強迫心理がいかにもやりそうな事なので)、現状判断としては『共同幻想的空間』は(強迫心理を刺激するので)むしろ避けるべきで(仕事上で発現した鬱症状の会社員が心療内科で「休職」進められるのと同じです)、「単独行動でランニングしてください」なる状況なのに『事もあろうか学校行った』って話です。
目先の重要性はあっても人間の人生なる哲学的フェーズで「たかが目先の学校行ってたか行ってないか」なんて何の意味も無いですから。
自意識がマジに研究したいと取り組んでいる「マジな研究欲求」なら別ですよ?
なら別ですがー
「マジな研究欲求」って何でしょう?
「授業サボってでもひとりで図書館に籠って研究したい」って事ですよ。

ある意味現状(あくまでも暫定的な現状判断ですよ)、
「暴走族から足洗おうとしてんのに、付き合いだからと暴走族の集会に行ってどうする」ぐらいのカウンターで考えていいって事です。
で、集会帰りに「これじゃ暴走族が止められないと(グッスン)リストカット」って、、そりゃないでしょう。
ないですよね?

繰り返しになりますが、
一拍置いて冷静に考えれば特別難し事じゃありません。
(てか、自然に考えれば「どう考えても変」なんです)

>目の前の世界は歪んでいるし、
風通し悪いからです
(強迫心理による”モヤ”がかかっている→言えば蜃気楼のようなものです)
 ↓
だから”モヤ”がかかっている場所から「風通しのいい公園」であるとか「居心地のいい喫茶店」であるとか「空気のおいしい観光地のひなびた旅館」であるとか「ギラギラと原色ベタ塗でクッキリ明解でわかりやすい場所」などにいかないといけませんよね。
(或いは”避難”)
「一人でランニングして」
(一日10キロとかノルマにしたら相当歩きまっせ)
>とにかく、一つひとつ、息を吸って吐くだけで焦燥感で胸がいっぱいになって、どうしようもないです。
 ↑
ですから空気が悪いんですってば、
ゴテゴテしたキャスティングにグロなメイクにシツコイ演劇観て(しかも劇場は湿度が高くて息苦しい)オエッとなっているんですよ。
「あー胃がもたれる演劇だこりゃ」と、
だったら走って劇場の外に出ればいいのであって(勿論ひとまずは”ひとり”で)、

>とにかく、一つひとつ、息を吸って吐くだけで焦燥感で胸がいっぱいになって、
 ↑
こういう現象で息苦しくなる時にはですね。
100Mダッシュ30本走るとか、
1万メートル全力疾走してください。
「別の意味で息苦しくなります」
(別の意味なので走りきったら「息を吸ってほっとできる苦しさ」です)

■ここ本当にマジな話をしているのです。
今一番重要なことは「ランニング用のシューズを買う事」だと思います。
(「ランニング用のシューズ」は婉曲的意味です)


>リストカットの量がこの一カ月の間で一気に増えました。
>心療内科の先生には、15、6まではそういう衝動が抑えられなくてねぇ、なんて説明され。
>そうですよね、私はガキです。
 ↑
『リストカット』は”オナニーの一種”なので、
本人それほど気にしていないなら無理に止めるとか止めないとかって話じゃありませんが(それはオナニーのやり方もひとそれぞれで中には想像もしない方法でって人もいるでしょうから)、自分自身「これは止めたい」って事であれば、『リストカットするなんて変態』とかってフラグを立てる事で一定の効果あると思いますが、
(詳しくは後段)
心療内科の医師が「15、6まではそういう衝動が抑えられなくてねぇ、」と言っているのは「15、6まではマスターベーション真っ盛りの時期だからねぇ(思春期長い人は長いかもね)」と解釈するとわかりやすいかと思います。
単純な対抗策は「ドロドロした内容のレディースコミック」などを読むなどですが(そもそも”リストカット”が選択される理由が”性の嫌悪”であるため→なので性行為のバリエーションの中から”リストカット”が選択されていますし「レディースコミック」が解決策とは解決と言っていいのか自体怪しいですし、)、
そうそう短絡的なものでは無いので、学問的背景を考えてみましょう。

※ここでフロイドの”リビドー論”まで飛躍するのは行き過ぎで、冷静な論議として考えても「鬱症状化では性欲が減退する」などの現象が確認されていますから(80年代などの欧米でメンタル性の不眠などにポルノ映画が勧められたり)、判断の鍵は『鬱的内向(ナルチスズム的興奮)』が間接的ではあっても「性行為を代替する」ということで、逆に言えば『鬱的内向(ナルチスズム的興奮)』が(ここは広義では無く)”狭義の性的興奮に近いものだ”という事であり、欲求の代謝が日常生活なりの「動機形成と企画された行動の起動」を阻害するため”広義も狭義も差別なく”欲求不満状態に陥り(動物は行動停止=飢え死にですので)脳内が快感代謝(”やったー””終わったー”などの行為の達成感→”間違ったー””負けたー””失敗したー”でも可なのがポイント:快不快原則<脳内では興奮を伴えば快でも不快でも快感)を要求し、外部での行為がなかなかスムーズにいかない状況「今は、外へ出歩く元気もない」ですから→「これでは達成感なるものの快感を(個人でできる狭義の)性欲に求めるしかないか」などの脳内処理で(一度性欲による代謝に成功すると”反復再現性の原則”からこれに依存し)それが習慣化してしまうもの、と考える事ができます。
(鬱的不快感興奮や性依存症やリストカットなどは上記流れにより構造・習慣化する。)


「この一カ月の間で一気に増えました」←この理由は(外出もできないぐらいなど日常的に代謝する”行動欲求”が欲求不満として累積しているからで:ある意味会社の仕事でストレス溜まった会社員の風俗通いが止まらなくなるように)『欲求不満』だからです。
 ↑
私が「ランニング」として表現している事はその「なんでも無い日常の行動」の部分で、
(自然の動物は檻に入れるだけでストレスで命を落とす場合もあります。人間の性欲は動物世界の中でもモチーフとして異例なものなので→リビドー的解釈よりむしろ”広義の解釈”の方が合理的です。つまり”欲求不満”の過半は「日常性の行動欲求である」。)
人間の欲動総量と言いますか”欲求”というものは「動機形成と企画された行動の起動」の事なので、特別に快感が予定された行為を求める事に限った話では無いのです。
(むしろ「特別に快感が予定された行為」の方が全然少ないでしょう。←ですから”狭義”)

これをシンプルなモデルにする場合(現状複雑な行為を動機形成する体力が疲労により自我に不足していると判断し)、
「はい腕を思い切り回してー、次はステップします、前ー、後ろー、後ろー前!(どこ向くのよ)その場でジャンプしますよー30回!(30回て、)」のようなですね(ですから勿論エアロビクス教室に通うとかでも全然アリです)、「ピッ、ピッ、ピッ」と『自意識企画によるシンプルな行動(運動)』が欲求不満の代謝に効果的です。(勿論腹筋300回でも縄跳び1000回でもいいです)
 ↓
これを一連の行動にした場合(同時に「学校に行ったから死にたくなった」のような部分への対抗軸として)

■「往復10キロ歩いて、お気に入りの喫茶店でおおよそ人には見せられないドロドロした内容の退廃的文学作品を読んだ」のような行動になります。

さてここで最初の問いに戻ります。
前述の「10キロ歩いて…」と「今から学校に行く(逝く)」、
どちらが(今のメンタルにとって)健康的か、
(或いはどちらが「自意識にとっての”自由”なのか」)
※今必要なことは『大人(の自分)が考える反抗期(自我の現実アップデート)』であることに着目してください。

この判断があれば迷うことなく、一ヶ月経過して「情けなくて、悔しい」思いをする事は無い筈です。

<今回のレスはトータルでも婉曲的になっているので、「そこから先」はyuttieさん自身の自意識で考えてください。>

引用なし

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【77】Re:そのまま読んでみましょう  yuttie  - 2012/01/15 00:06 -

お久しぶりです
前回お話を聞いていただいた頃よりは大分落ち着いてきていると思います。

しかし今回も私の印象をただ羅列しだだけの、何の論理性もない文であることには変わりないです。ごめんなさい…

多分、私は自分を認めてくれていると無条件で感じられる対象の人がいなかったために誰に対しても自分を抑圧していたのですが、
そのうち手段の目的化というか、自分を抑圧すること自体に快感を覚えるようになっていたと思います。
もはや需要の有無に関わらず、自分を歪曲するとホッとするんです。
だから際限なく捻じ曲げて嘘ついて、中学にあがる頃にはもう素の自分がどうだったのか忘れてしまっていたのかもしれません。自分で言っていて半信半疑ですが、実際そんな印象が残っています。
「表現されてはじめて自分」ですが、なんというか、
自分の好きなことやろうと思うと、底の見えない暗い洞穴のイメージや難しい記号や文字列が幾重にも絡み合っているイメージが浮かんでそれ以外なにも考えられなくなってました。
素の自分、という概念はあるのに具体的にイメージできないようでした
それに自分を抑圧しないということに尋常じゃない軽蔑感もありました。

もしかしたら、素の自分の年齢は歪曲や抑圧を始めたくらいで止まっていたのかもと思います。
それが部活で自分の存在そのものを認められる経験をして、
歪曲した結果である自分ではない自分が顔を出した結果が初投稿でお話させていただいたような
、グロテスクな思考になったのかもしれません
反抗期的な大人へのアップデートのための衝動だけでなく、
そのころさらに部活の人間関係も悪くなり始めていたので
当時はそこまで考えてませんが、思い切って、圧倒的に精神年齢の低い素の自分を出してみたもののその対象が突然無くなってしまってどうしようもなくなってしまった、という感じでした

誰でもいいから殺してやる、という衝動がとにかく頭の中を支配していました
それは、「身勝手な私欲(自分を抑圧しなかった)ために部の仲間を傷つけてしまった」みたいな考えから「私はひどく汚い」という概念になって、「どうせみんな私のことが嫌いだ」「私は本当は人間ではないから、みんな私のことを殺そうとしている」から、とにかく殺さないと…
よく分かりませんが、そんなことを実際に思っていました

とにかく何か一歩踏み間違えていたら危なかったのかなと思います

本当にまだ、頭の中がなんだかこんがらがっていて、もう2年前にもなるショックもうまく整理できず、そんなことを悶々と考えています
ただ良くはなってきているな、と最近ようやく思えるようになりました。
関係ないですが自分にあった薬が処方されたことも大きいかもしれません
これから糸屑でも解すように今までの自分を整頓できたらと思います

引用なし

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>多分、私は自分を認めてくれていると無条件で感じられる対象の人がいなかったために誰に対しても自分を抑圧していたのですが、
根本的なボタンの掛け違えと言いますか、
180度真逆の深層心理が表に現れてる台詞です。
まったく気が付いていないでしょうが
「私は自分を認めてくれていると無条件で感じられる対象の人」
 ↑
この設定既に『マゾヒスト』になってますよ、
その構造が『被(こうむる)』的な完全な受動系(=自動的に自立独立は後退し抑圧)であり、そのまま(この掲示板なり閲覧されていれば説明の必要無いと思いますが)「強迫心理バレバレ」です。

言うならば『特定権威者(自分を認めるに足る何がし)が自分を認めない限り自分は存在しない』ワケですから、
(ここ親子関係の共依存で紐解けば背景を特別説明する必要無いでしょう)
そりゃね「どんだけ設定が空想・妄想の世界か」ってことです。

そして間違いなくyuttieさんはその「認められるべき受動系(依存系)の自分なる認知」をあたかも本音であるとか抑圧された自分であるかのよのうに”根本的に(180度真逆に)勘違い”しているんですよ。

■そもそも「”何を”認められる」という話なのかですよ、
(ここも説明の必要も無く”共同幻想社会への社会適応”が被っていることは言うまでもありませんが、)
なんで「られる」って認めて「もらう」形にならないといかんのかです。
よりにもよって好き好んで、
 ↑
素で考えればこの状態は100人が100人その設定だけで(自分)不快になる思考構造です。
(「愛”される”」に替えて考えるとわかりやすいでしょう。←勿論女性誌で有名なこのフレーズは不安心や不快を煽る形で購読に結び付けようというキャッチコピーであることは言うまでもありません。ホラー映画のキャッチコピー構造と似たような”レトリック”です。)

加えて
>無条件で感じられる
となれば幼児心理における「空想家族依存心理タイプの退行」であることも説明の必用がありません。
 ↑
ここ典型的な矛盾なのです。
「自分が(自主性としてあれこれ思い)こうであること」が実存しない限り意味が無いにも関わらず、ここが「無条件」ということになれば「誰が何をしようと」のようなニュアンスになりますが→勿論ここは「私が○○○○という名前の人物だけで無条件に」となるでしょう(自分らしく生きているだとか何をしているどういう人物であるのかと無関係に)。即ちこれは親子関係の妄想です(現実の親子関係でもこういう状況は実際には存在しません)。
つまり「現実の親子関係の諸問題」から(実際幼児は空想上の友人と話したりぬいぐるみを相手に会話するなど内面世界の想像に嘆美的に快感想像するケースは珍しくありません)→「空想や想像上の妄想に逃げ込む」的な退行が『(幸福感の想像というか)快感の再現』に結びついてしまい(退行により)、依存(構造的に固着)傾向にあると解釈できます。

▲勿論「無条件」が意図しているものは「私が○○を実現したら」のように成績であるとか実績などの形骸的条件を指しているのですが、そもそもそんな形骸や属性的特徴は『共同幻想社会適応だけに通用する条件』なのです。
ですから、そのままであれば「あたかも共同幻想社会への適応以外の現実はこの世に存在しない」かのような極めて狭い選択となります。
この時点で(そんぐらいに狭くなっている時点で)「既に強迫的発想」になります。

注)勿論思春期の反抗期を経て「共同幻想社会への適応」を選択してもいい訳ですが、反抗期期間は「仮想単独者状態」となりますので反抗期中は「マストでは無く選択肢のひとつ」でなければなりません。


ちょっとイマイチ「何のことやら」な可能性もありますので補強しますと、
「部活などでなんと言いますか和気藹々に誰もが受け入れられている集団」←例えばこういう集団は電車内などにそのまま団体などで乗り込まれるとはっきりいって乗り合わせた周囲全体に不快の環が広がります。
(構造は暴走族と同じだからです)
サラリーマンの飲み会流れの集団も同じように見られます、
(それこそある程度の母集団のまま騒いでもいいように居酒屋なんかも棲み分けしているぐらいで←サラリーマンの一杯飲み屋に間違っても入ってこないように飲み屋には飲み屋なりの棲み分けがある。)
 ↓
同様の現象として、
電車に乗り込む「家庭内と同じふるまいをする年少の子供連れ親子」も不快視されますね。
(そういう事は「外の目に触れない家庭内で」という不文律があるためです)

当該社会にとって秩序というか条件は似たところがあって、
(電車内など準公的な場面では静かにする取り決め合意のある家族のように)
何らかの条件(○○部として本気でやる気になっているだとか)が付随するのが自然なんです。
「本音として私は○○というスポーツを自分の意思で選択している」というような自発的な(自分なりの)選択が明らかであることです。
逆に言えばこれが不鮮明になればなるほど(無条件になればなるほど)そういった類の集団は(集団内では居心地がよくても)周囲に対する不快度合は高まります。
(事実一時期活動内容不明のイベントサークルが社会問題にもなってます)
つまりこれは『母集団のアイデンティティ論』です。
 ↑
ハードな体育会部活で「チャラチャラしている後輩を怒鳴り飛ばすキャプテンの図」で想像してもらえるとわかりやすいかと、

■「勿論こういう状況を指しているのではない」
つまり「無条件」というキーワードの背景には(こんな自分の定義がないため)「○○」なる”氏名だけで”という定義が裏コードになっており、
即ちそれは「家族関係の想定」があることになります。


言い換えるならば「反抗期」とは、
「誰々だから」とか「子供だから」などのような(ある意味)無条件性と受け身(被(こうむる))を嫌悪して、
「私はこうしたいんだから」と自分であることの条件のように、自分を自分の選択で定義してその実現(誰かれに認められるだの認められないだのうんうんは抜きに)への能動性を発現するのがその趣旨であって、
極端に言えば「無条件に誰かに認められるかのような心理は邪魔で不快なもの」になります。
(なので一般的にも思春期における反抗期は親子関係などがギクシャクする←馴れ合い的な言葉や投げかけを特に嫌悪するなど。)

「自分で俺は(こういう選択の)俺だ文句あるか」と自分であることの条件を現実世界に問いかけるというか突きつけるのが”所謂ひとつの青春”というものです。
(そして自分というのは「俺はこれからこういう選択をするぞ」という”これから行う選択”の事ですから、)


<話は戻って>
「自由気ままに勝手に生きる」←こっちがデフォなんですから。
(このスタンスはとりわけ単独者に限定されるものじゃありません)
ですから、
今現在であっても
>多分、私は自分を認めてくれていると無条件で感じられる対象の人がいなかったために誰に対しても自分を抑圧していたのですが、
 ↑
これが残っているのはいかんですよ。
自分で「何を言ってんだか俺は」とダメ出ししていい場面です。

デ・コードすればですよ上記文章の「自分を抑圧していた」
この言葉はですね「甘えたい気持ちを抑えていた」に他なりません。
この快感依存は大人の心理にはありませんので、
逆に言えば一種の中毒(依存症)として←この構造に浸る傾向がある時期から固定化していると言えます。
 ↓
>素の自分の年齢は歪曲や抑圧を始めたくらいで止まっていたのかもと思います。
と考えると「幼児期から私は親に甘えられずに不安感でいっぱいだったのだ」という部分が(抑圧により)冷静に語れていなかった(過去になっていない)事もスムーズに理解できると思います。
 ↑
親会社と子会社の関係で言えば「親会社との関係に安心できず部品製作の本業もオチオチできなかった」と考えると何かが違う事に気が付きませんか?
現実にあったのは「安心して自分なりの活動(部品製作の本業)ができなかった」なんですよ。
しかし「幼児心理的な空想に逃げ込む状態(=内向化傾向)」によりそれは「甘えたかった」という言葉に過剰化します(言えばごくありきたりな家族社会においても親に甘えるなんて状況は一般的な話じゃありません)。
現実のサイズは「本業に専念できない」なんですが、
これが「どんな部品を造っても褒めてもらえる空想(=内向)」に囚われてしまうと「甘えたかった」のように現実には滅多に存在しない(言えばごくありきたりな家族社会においても親に甘えるなんて状況は一般的な話じゃありません)世界があたかも自分の生存条件であるかのように『枠がハマる』(実はそれは自我にとって『枷』なんですが)。
その想像が破綻しそうになると→(不安感から)感情的に爆発するというか→現在の状況を招いている。
▲重要なのは「本音は、真面目に本業に専念したかたっただけなのに」であることです。
(というかその本音が甘え構造の抑圧により「思い出せなくなっている」と言えばいいでしょうか、)


更に話を古い時代に巻き戻すと、
微妙な親子関係時代に「実存不安(幼児にとって親子関係がギクシャクするのは死活問題ですから←閉鎖的な親会社と子会社の関係)」から、想像の世界に逃げ込む傾向があり→「あたかも本当にそんな(想像世界のような)自分が”無条件に認められちゃう世界”がないと私死んじゃう(サディズム反転すると「みんな殺してやる」)」のような世界から(逃げ込んで)逃げ出せなくなった。
 ↑↓
上記の状況は「大人目線でオマイラさ何やってんの」と醒めた目で両親を見られないのと同じ(鶏と卵の関係)なんです。


>関係ないですが自分にあった薬が処方されたことも大きいかもしれません
 ↑
案外と関係アリです、
(私は投薬には懐疑的ですが絶対にやめるべきみたいにも思ってません)
タバコであれ珈琲であれ(欧米ならマリファナもアリかもですが)、誰にでも各人なりの精神安定的嗜好品ぐらいありますから。
「それどころじゃない急性の状況」があるのであれば投薬は『一拍置く思考の時間稼ぎ』として使えます。

時間をかけて「おいおい俺は何やってきたのか」考えれば上記の”レトリック(自分でうっかり仕掛けた自我の罠みたいなものです)”に自分でも気が付いてくるでしょう。

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【73】初カキコ!  ヤンタロー WEB  - 2011/09/16 20:26 -

お初になります。ヤンタローと申します。
僕は過去に統合失調症と高機能自閉症と診断されました。

僕は下記のような症状がありました。
『動作』では、
例えば「思ったことを声に出して言おうとしたら幻聴や耳鳴りに声に出そうとするのをおさえられた(止められた)」ような感覚があった。
言い換えると「思ったことを声に出して言おうとしたら制限が入った」感覚です。

『体の動き』も静止した感じとかがひどい時期があって、
例えば「目の動き(眼球も)を止められた」感じがしたり、「口・手・足など体を動かすという機能を麻痺(=まひ)するようにさせられた」感じとかがひどかった時期があったんですが、自分はどんな言葉で表現すればいいか(言い換えればいいか)わからないんです。
口・手・足など体を動かすという機能を麻痺するようにさせられる感じがあった時は幻聴とか耳鳴りが非常に不快だったこともありました。

あと、「(ごはんを)食べるな」「動くな」という言葉が自分の中に居座っていたと思うが、それを発見されて操られた感じがしたり、「食べるな」「動くな」という言葉が自分の中に居座っていた とかその言葉(「食べるな」「動くな」)を心の中で言ったせいなのか、ごはんを食べる動作に制限が入ったり、口・手・足など体を動かすという機能を麻痺するようにさせられる感じがあったり、心の中で言っていても妨害とか止められたような感じなど操られ感があったりしたんです。

最近はそれはあまりひどくないんですが、今年の6月くらいまではひどかったです。
でも最近でも幻聴とか耳鳴りが非常に辛いことがあります。

そこでkagewariさんに質問です。
Q1.
『体の動き』も静止した感じについて
「目の動き(眼球も)を止められた」「口・手・足など体を動かすという機能を麻痺するようにさせられた」というのは主治医に訴えたら「作為体験」とおっしゃってましたが、言い換えると(作為体験と近い?)どんなふうに言うんですか?

Q2.
「食べるな」「動くな」という言葉が居座っていたとかのせいで、ごはんを食べる動作に制限が入ったり、体を動かす機能を麻痺するようにさせられる感じの意味は『心の声に体が反応してしまう ましてや、固められてるなどという、動きに制限が入る』ということだと言えますか?具体的に教えてください。

2つ質問しました。
ヤンタローの意見に対する返答を下さい。

PS:僕はブログを持ってますので、良かったら読んでください。

引用なし

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あくまでも”表向き”ですが、

なんていいますか、
『内容ベース』で物事を捉えるのが心理学担当で、
『症状ベース』で物事を捉えるのが臨床系(心療内科より精神科でしょうか)や神経科などまとめて言えば医療系となります。

やっかいなことに「完全に医療系(事実脳内物質などのアンバランスが観測されるとか脳の生理機能的特徴が関係しているなど)」と心理系との間に完全な境目があるようで無いところです。
(場合によっては「その内容で精神科は違うのじゃ無いか」な場合も勿論あるでしょうしその逆もあるでしょう。)
『事の発端や構造はメンタルからなのか、或いは純粋に医療的機能の問題なのか』
少なくとも医療系が相当なのかは検査等で確認できる部分あるかもですが、医師の説明を十分理解できるかと言えばそこはまた難しいところです。一般市民は事前に心理学の知識あるワケでは無いので。
しかし、今回のお話のように「それは医療系かも」な要素ある場合には順番として「医療系に相談してみて次に心理系」というのはありうべき判断かなとは思います。

<話は戻りますが>
ご存知のように医療も常に見解が変化するところです。
概念として『完成された医療と言うものは無い』←これは言うならば『絶対政策』と言うものが無いのと同じ話です。
(報道などでお馴染みの医療上の倫理としてどこまで研究してアリなのかの境目も国際機関や各国の政策によるのであって『絶対』として決まったものは無いワケです。)
心理学の方は(精神分析系も各派ありますし)診療行為を前提としているワケでは無く主に大学でも日本では人文系であるように(診療行為に関係するのは”医師が心理学を学んだ場合”)「そのまま」で言えば「人の心理を探求する」のがメインであり、どこからどこの範囲が心理系の診断であるとか診療担当であるという明快な基準はありません。
むしろ心理学はあり得たとしても『カウンセリング(会話形式のアプローチ)や、このサイトがそうであるように”相談”の範囲』などで、
心理学の本質は「メンタルな問題考察がメインでは無く人間の心理や自我全般についての考察がメイン」と考えていいでしょう。

加えて、
心理学でなければ対応できない部分もあります。
専らメンタルな現象(主に鬱や人格系や対人問題や自傷系や自律神経系や神経症系など)を解き明かしてロジカルに説明する部分です。
(簡単に言えば「そうなる原因を追跡・分析する」)
医療系は一次的に『症状に対処』する専門機関であり(結果的に投薬中心になりがち)、心理的現象の原因(脳内の遺伝的障害などは例外として)を検討する部分は医療行為外となります(簡単に言えば医大の必須カリキュラムのような枠組みが無い:日本の場合心理学は人文系)。
更に医療系の場合保健医療との関係などもあって経営的にも法的診療行為の枠組み的にもカウンセリングを中心にはできない側面もある。
(医療現場の詳細は専門外なので質問されてもお答えできませんのであしからず。)
※精神分析など前衛的に捉えている医師の場合専門的なカウンセリングを別館クリニックで保険適応外とするなど工夫しなくちゃできなかったりする。

又、カウンセリングはそのまま言えば「話を聞くなどのやりとり」となりますが、
診療的とするのか?相談とするのか?
ご存知のように日本には厳密な国家資格のようなものはありませんし(厳密な国家資格化は無理だと思います)、
心理カウンセリングは(ここから先は私の私見ですが)「適性というか(心理学の理屈より)”第三者性”の方が重要」だったりします。
(そりゃ確かに基礎的認知は必要なんですが、例えばフロイド心理学を理解する上でも第三者性の確保されているタイプの人じゃ無いと特定の方向に偏った認識になっちゃう場合もあり得ます←結果その数だけ学派できちゃうみたいな。)
 ↑
ここで言う第三者性とは「常識や道徳倫理などからも中立的」ような意味における『第三者性』です。

総合的に言えば「相談の範囲(と限定的)であればどんな立場でも心理学は対応できる」とも言えるワケで、
(言えば私は独学と経験が長いところから休眠中とは言えメンタル系NGOなどにも裏方として声がかかるなど心理系としての専門性は高い事に違いはありませんが、公式的に言えば”アングラ系モグリのヤクザ者”に違いないでしょう。←自分で言うのも何ですが結果的に最も重要な第三者性が担保されているのかなと思います。)
歩留り的に「心理系は診療行為的ニュアンスを表に出すべきでは無い」と言えるかもしれません。
(逆に医療系カウンセリングは臨床心理の枠内から出られない部分もあるかもです。)


■私が何をこう長々と説明しているのかと言えば

『現状をどう捉えるのか?』なんですよ。
ええ「ヤンタローさんが」です、

時間的に制約があるのでザックリとフロントページ斜め読みぐらいでしか見ておりませんが、紹介されているヤンタローさんのサイトを見てみたところ、
「かなり多数方面に相談している」
「それぞれの見解も記事にアップしている」
(書籍も多数読まれているようです)
 ↑
まず私が感じたことは、
「とにかく病名特定のような”現状認識”を確定させたい」であるとか、
「何故こんな状況になるのか自分でも知りたい」であるとか、
このくくり方は『心理系の相談になっていないのではないかしら?』ってところです。
何を話をしているのかって「相談に至った動機の確認」です。
 ↓
ですから前段で、
『症状ベース』で物事を捉えるのが臨床系(心療内科より精神科でしょうか)や神経科の医療系となります。
と、物事の捉え方の差異をお伝えしたワケです。


<更に具体的に踏み込んで言えば>
特にこのサイト上では「具体的個別名称を大事な事だと全く思っていない」ですし(分類って言っても心理学的に言えば100人いれば100人違うので極論「それがヤンタローさんの現状ですね」が最大の分類ですから→その内容を母集団を分類する記号とのリンクで説明することに意味が無い。仮に「集約化」してしまえば個人差がスポイルされることになりますよね?)、
臨床系(そのものズバリというか統計的手法使う部門みたいなものですから)で診療上の分類するのは(原因を考えるのではなくて症状に対する具体的且つ法的に合理的な対処の指針としての)投薬上の分類が主眼で「実際具体的にそういう名前の病理性が特定されているとは言い難い」のです。
(勿論医療系には病理性を特定可能な症例・事例もあると思いますが「そっちの方がレア」でしょう。)

話を大雑把にしてしまうと、
医療界ってのは「病名つけないと薬が処方できない」(随分乱暴な表現でスイマセン)ワケで、
彼らも主体的に言えば「固有に病名分類それ自体に意味があるとは考えていない」と思います。

そりゃもちろん「胃が痛いから胃薬」のように『その対策投薬との症状との関係(リンク)』は重要ですが、
これは病名診断以前の「症状の問診まで」ですよね。
医療界でもそこの「症状の問診まで」が重要なのであって、カルテに病名として何を書くのかってそれは医師が状況を整理しやすいように統計的分類に合わせて”後からインデックスを付けた”という部分です。
■特にメンタルが関係している症例は「○○が原因で○○になるような病理が固有に存在しているのではありません」
(それこそ「結核」や「肝炎」や「動脈瘤」のように)
神経科などで検査により明確に脳内に障害が見つかるような事例はあるにしても(そこは検査によりわかることでしょうか)、全体から言えばレアケースでしょう。
(メンタルが関係している比率の方が高いでしょう。脳内物質のバランス問題も生活習慣病の過程のように”固定化したメンタル状況やストレス状況”抜きに解決は難しいからです。)


<さて話は戻って>
『症状ベース』で物事を捉えるのが臨床系(心療内科より精神科でしょうか)や神経科の医療系となります。
 ↓
>言い換えると(作為体験と近い?)どんなふうに言うんですか?
>体を動かす機能を麻痺するようにさせられる感じの意味は『心の声に体が反応してしまうましてや、固められてるなどという、動きに制限が入る』ということだと言えますか?具体的に教えてください。

この上記二件の質問はともに「知識として確認したい」趣になっています。
(何故でしょう?←この部分も後段の説明で合わせて論じようと思います。)
合わせて最後の一行は
 ↓
>ヤンタローの意見に対する返答を下さい。

これは相談というより「質問形式のヤンタローの意見です」と読む事ができます。

しかしですよ?

このサイトの趣旨(精神分析的側面)から言えばヤンタローさんのwebにおける記載、
(紹介されているサイトなのでそのまま引用しても問題無いと判断します。)
>以前も親に言われましたが、パソコンでスカイプやチャットをするのはウイルスを自分以外の人にばらまいてしまうため、禁止と言われました。
 ↑
こういう意味不明の事を言う親(動機はなんであるのかちょっとわかりませんが「止めろ」と言いたくて昭和年代の中高年が思いつきそうな取って付けた理由を加えたなのかもしれません)、
親が固有に問題があるという事ではなくて「そういう会話になっちゃっている親と同居を続けている事」は心理ベースで言えばやっかいなことです。
(心理的には「自由の保障」や「主体性の回復(形式だけでも自立独立)」が”環境”としてベターですから。)

理由は簡単で、
心理学のそれこそコア中のコアはエディプスコンプレックスに代表される親子関係ですが、
自我問題があって(この際それが医療系担当なのか心理系かの差異は別にして)親との同居が続いており、その関係に明快な「意思疎通上問題ありげなやりとりが継続している」とした場合、心理的にはこれ相当高いリスクになります。
(極端に言えば「単純に関係悪化しているだけ」とかの方がまだまし。)

上記を理解する上ではザックリと心理学が自我問題をどう考えているのかの概略の説明必要と思いますからそこ突っ込んで説明しますが、
▲『自我』を『OS』だと思ってください(その方が話早いんで)
親の存在はPC個体のadmin権限にとって微妙な存在ですよね?

言うならばそのPC購入時にOS入れた管理人は主体的には親でしょう、
そして子供の成長に合わせて権限が委譲され(別のユーザー登録が行われ)、
思春期の反抗期に「本人による大規模なアップデート」が行われて(admin権限も完全委譲)、
そのOS含めて(PC本体は元々自分の身体ですが)「俺自身」となり、
20歳で(社会契約的に)法的にも大人認定(法的なadmin権限の保障)となります。

それが、OSの思春期アップデート(反抗期)に何かしらのトラブルがあったのではないかという内容が示唆されるような現状の親子関係が継続していたり、”いかにもな親子関係”が成人後も継続するとそれはadmin権限を侵害する事もあり得るワケです。

少なくとも「どこかに(全てではないかもしれないが)心理的な問題が想定される場合」には、親子関係は重要な分析ファクターになりますので(『自我=OS』として考えた場合管理人から過去の経緯を聞くのは議論の余地無い話だと思います「アップデートのバージョン」であるとか「その時何しました」みたいな)仮にそこに「なんらかの関係上の問題が想定されるとした場合」これは問題ですよね?

そして更に別の個所を引用すると、
>一昨日(4日)疑問に思ったことですが、“ずっと音楽を聴いていて(聞き流したりしていて)、声に出さないで言う行為が止まって音楽に集中してしまうこと”や、“音楽を聴きながら例えば掲示板に文章を書き込みしていて、音楽を聴く&掲示板に文章を書き込みすること以外のことを声に出さないで言ったり考えたりする行為が止まって音楽を聴く&掲示板に文章を書き込みすることに集中してしまう”の2つのことは普通に誰でもあるかどうか疑問に思ったんです。

ここは本文にある2つの質問同様に「これも統合失調症の症状だろうか?」のように派生しているのかなと思いますが、
■心理面で言えば重要なのは「(今回の2つの質問含めて)これらがどうして質問したい動機となるのだろうか?」という部分です。

極論本人気にしていないのであれば、人間なんて→脳内のロジカル処理は千差万別なのだから:OSで言えば代表的なウインドウズのような統合OSは存在しない。100人が100人違っていて、心理学で言うところの『共同幻想』もせいぜい「ユニックス系」程度の意味でしか無い。
各人オリジナル且つ高度にカスタマイズされたOSでしかもそこでフリーソフトをこれでもかってカスタマイズして使っているのですから、
「○○の処理過程でdos窓が一瞬開くのは問題ですか?」という質問は
それほど重要では無いというか、本人気にしていないならどうでもいいのです。
(仮に医師にとってその差異が個別具体的に症例状の分類(病名認定)に大きな影響を与えるものでは無く、医師としても「個人的な関心・関連質問に答えている」認識でしょう。)


だとしたら?

>ヤンタローの意見に対する返答を下さい。
こういう切り口じゃなくて、
ヤンタローさんはそこを確認するために、そもそも”更に上位構造の問題意識”で考えた方が本丸に近づくことになります。
(その過程において”ヤンタローさん自身の意見”のような考察が入ってますが「そもそも質問段階で意見集約化されている部分こそが心理的考察なのでそこから聞いた方が早い」ということです。)

合わせて、
通常こういうサイトにおける相談だけでなく一般のメール等でもそうかと思いますが、
「私の意見でもあるのですが」とか「僕がそう思っているだけなのかもしれませんが」などの表現では主語には代名詞が用いられます。
(主観認知です)
しかしヤンタローさんの主語は”HN(ヤンタロー)”です。

上記文法形式はどのような認識がバックグラウンドの場合用いられるものでしょうか、
「それがkagewari精神分析相談事務所としての見解です」
「それが私の見解です」
後者(主語私)の方が主体的に見えませんか?
前者における固有名詞(HNなど)の場合あたかもその世界(業界)における話に聞こえませんか?


何を言っているのかと言えば、
>過去に統合失調症と高機能自閉症と診断されました。
 ↑
ココです、

表向き自閉症は(カウンセリングの会話ができないので)専ら心理学担当ではありませんが、統合失調って言うのは言うならば「ログインユーザーは誰でどういう権限か混乱(或いは二重ログイン)」みたいなメンタル系の話になります。
だからこそ「私や僕の」ではなく「ヤンタローの意見」という主語になっているのではないかと、
(とにかくその時のログインユーザー名「ヤンタローでは」のように、)
■ここは一見見過ごされがちですが心理的には重要な部分ではなかろうかと”私は”考えます。

ニュアンスわかります?
(かなり難解な話していると思うので、は何度か最初から反読お願いします。)

「admin権限者である”私”(ログインしている更にその前の自分って意識)」の自立性や独立性や自由度などが不安定なのじゃないかって事です。
だとしたらいろんな事が繋がる。
(あれバックグラウンドで自分が前に作った別名ユーザアカウントの処理が続いてんのかな?とか、)
個別に答えますと、
(ヤンタローさんの想定している趣旨の答えになっていないかもしれませんが、)


>言い換えると(作為体験と近い?)どんなふうに言うんですか?

自意識の命令系統混乱中ってことです。
誰にでもあることですが「トレーナーのいない自主的トレーニング中の腕立て伏せの時、もう一回かもうやめようか」こういうポイントでは(心の声と認識されるかは各人違うと思いますが)コマンド画面に二つの命令文が並んじゃう状況には違いが無い。
(誰であってもです)
「どっちでEnterすっか」と、
この時『主体性が揺らいでいたら』どうなります?
「あれ押すとか決める権限俺(独断専行)でいいのかな」

『どっちでも好きにすりゃいいか的割り切り認知』が感じられないのだとしたら?
(「腕立て伏せの時の後一回のジレンマ」みたいな状況が解決せず継続し続ける状態)

典型的なのは引用した
「“音楽を聴きながら例えば掲示板に文章を書き込みしていて、音楽を聴く&掲示板に文章を書き込みすること以外のことを声に出さないで言ったり考えたりする行為」
 ↑
これって動機形成として「何の行為」かよくわらかないですよね?

仮に音楽を掛けているのが同室にいる他人だったら「ちょっとウルサクて集中できないから音消せよ」とか言う場合あり得ませんか?
或いは人と会話中に(この場合掲示板ですが)違う事を考えていたら「人に話してる時に他の事考えてんじゃネーよ」とか言う場合ありませんか?

■それやってんの誰?みたいな『行為における動機形成の主体(や権限)』がマチマチで揺らいでいる。
(主格であるとか主観認知が不明瞭になっている)

>体を動かす機能を麻痺するようにさせられる感じの意味は『心の声に体が反応してしまうましてや、固められてるなどという、動きに制限が入る』ということだと言えますか?具体的に教えてください。
 ↑
ぶっちゃけこれも同じでしょうし、
(「腕立て伏せの時の後一回のジレンマ」みたいな状況が解決せず継続し続ける状態)
下記引用も同じ。
 ↓
>一昨日(4日)疑問に思ったことですが、“ずっと音楽を聴いていて(聞き流したりしていて)、声に出さないで言う行為が止まって音楽に集中してしまうこと”や、“音楽を聴きながら例えば掲示板に文章を書き込みしていて、音楽を聴く&掲示板に文章を書き込みすること以外のことを声に出さないで言ったり考えたりする行為が止まって音楽を聴く&掲示板に文章を書き込みすることに集中してしまう”の2つのことは普通に誰でもあるかどうか疑問に思ったんです。


■心理学の場合、自意識と無意識のように(或いは無意識における強迫構造など)個人の自我が必ずしも単一の構造では無いと考えています。
各分野が相互補完で自然に連携していれば動作も主観認知もスムーズですが、各分野が構造的論理矛盾の関係にあったり強迫性から自意識が過度に抑圧されるなどそこに偏りがあれば、人間の自我は誰でも「あられもない方向」にいってしまうのであって、
(※簡単に説明すれば自意識とは”マニュアル”無意識とは”オートパイロット”)


再び私が引用したもうひとつの項目へ戻れば
>以前も親に言われましたが、パソコンでスカイプやチャットをするのはウイルスを自分以外の人にばらまいてしまうため、禁止と言われました。

こう親が言った時、
「何おかしな事言いだしてんだよ。気でも違ったかんかオイ、ばら撒くも何もあんた仮に俺のマシンが感染前提ならそっちが問題だろうが。シマンテック入っておけとか、ファイアーウォールの設定心配するならまだしも、うつすから止めろってのは馬鹿みたいだからヤメレ。」
或いは(別ケースとして)、
「俺がスカイプやチャットで依存症みたいに見えるって事?だったらはっきりそう言えよ。」
みたいな会話に何故なっていないのかって事です。

それは、
”『行為における動機形成の主体(や権限)』がマチマチで揺らいでいるから”
だと思いませんか?
私には上記会話が「伝聞情報」のように聞こえるんですよ。
(親にそう言われた本人の状況をはた目から見ていたヤンタローなる人格が聞いていてそれを伝聞情報として説明しているような)

(オマケで心理的に言えばスカイプやチャットは依存性を派生しやすいので、自立独立を回復過程の環境を考える場合「あまりお勧めできない」とは思いますが。)

こういう捉え方に突っ込んでいくのが心理学なのです、
「そこまで話が及ぶようなものなら相談の趣旨は違う」と感じられるのであれば、結論は「”表向き”それは臨床系や神経科担当だと思います」となりますね。

(果たしてこの内容がヤンタローさんの想定していたような相談返信の形となっていないのかもしれませんが、心理的に今回の書き込みを捉えた場合私の返信は上記方向性になります。)

引用なし

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【75】お久しぶりです。  ヤンタロー  - 2011/11/17 21:00 -

こんばんわ。
返事が遅くなりました。
kagewariさんの返事の文章が長すぎて全部はしっかり読んでないです。

9月16日に書き込んだ「体の動きを止められる」とかは精神科に相談したところ、実際の体験をそのまま具体的に書くように言われました。
それで実際の体験を具体的に書いたんですが、幻聴・耳鳴りが不快で体が固まってしまうとか、何か思い出そうとすると思い出せないとか精神科に相談したところ、「極端な寝過ぎで頭が悪くなった、思考力・読解力がゼロになったことと関係なくそういうことは起きます」と主治医はおっしゃっていました。

薬は最近はテンションが高くて、PZCという薬の量が1錠減りました。
ちょっと薬いきなり増やしたせいかテンションが高くなったかもしれません。
薬を減らした翌日(17日)の夜7時半から幻聴と耳鳴りが非常に不快で辛くて大変我慢できなくなりました。

声に出さないで言ったりパソコンで音楽を聴いたりしていて幻聴の声にさえぎられる感覚があったり、さえぎられた直後に何かが(自分がしていたかも)音楽や言った言葉をつなげた、一つにしたかと感じて非常につらくなったんです。
あと何かを止められた感じがして非常に辛かったです。

引用なし

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書き込みの内容が具体的な質問文や相談形式になっておりませんが、私なりに「セカンドオピニオン的なものが求められているのだと」思います。
(前回の返信をまず読んでいただくことが前提になりますが、心理学や精神分析系の話は”読み考え進む”のに時間がかかるほうがむしろ好ましい部分ありますので←ログが残っていることの優位性です、繰り返し読んでいただければと思います。)

まず今回の話ですが(前回の返信にも同様部分記載ありますが)、
■医療のバックグラウンドの確認が重要でしょう。
短くまとめるためにザックバランな表現使います(必ずしも厳密な意味で正確ではありません)。
医療界は検査や診察などで病理的に因果関係がわからないものは「原因の説明ができない」のです、
 ↓
で、病理的な精神病(やアルツハイマーなどの痴呆症など)はその説明ができますが→でないものを『メンタル』と診断しているワケで、
医療界が”メンタル”であるとか”精神的”と表現したところで医療界には「それ以上の説明ができない」のです。
(医師の個人的意見は言えますが)

特に日本は(混合医療やらの問題も含むのですが)保健医療の枠組みがありますから、
尚更医師は「保健医療枠内の診療行為」をしなければなりません。
(あきまでも極論ですが個人的に勉強している心理学の話をしていいものか微妙←すくなくとも診療行為として行う場合別途個人クリニックなどの窓口が必要になります。)
 ↑
専ら医療の現場で登場する「臨床心理」などの言葉は事実上『投薬効果の統計』のこで、
(なのでナントカ症と分類する事が重要なのであって、ナントカ症と医師が言えばその因果関係や原因などを説明できるという意味ではありません。効果のある処方をする時の「母集団名」のようなものです。)
製薬メーカーも明快に「原因はわかりません」と断言してます。
(脳内物質のバランスなど明快に検査などで観測される”状態に対する対処”の部分的局所的因果関係は別ですが。)
「わかりません」という断言を医療的言語にすると=”メンタル”や”精神的”となるのです。
(ですから精神科などの問診の中心は「投薬の効果状況」と「副作用の確認」となる。なんと申しますか医療界には叱られると思いますが、昔昔の精神医学会は患者を独房みたいなところに収容したり、真面目に電気ショックやら怪しい実験を繰り広げる医師までいるような業界を経て現在”臨床”に至るような歴史的経緯ですから。)

つまり
>それで実際の体験を具体的に書いたんですが、幻聴・耳鳴りが不快で体が固まってしまうとか、何か思い出そうとすると思い出せないとか精神科に相談したところ、「極端な寝過ぎで頭が悪くなった、思考力・読解力がゼロになったことと関係なくそういうことは起きます」と主治医はおっしゃっていました。
 ↑
この辺の話は医師にとって、「投薬の効果状況」と「副作用の確認」の意味で重要なだけで、
「なぜどうしてこうなったのか?」などの話は「ぶっちゃけわかりません」なんです。
(言うならば医師にとっては「そうですね〜原因ですか?精神的なものでしょうね」まで、)

勿論
>「極端な寝過ぎで頭が悪くなった、思考力・読解力がゼロになったことと関係なくそういうことは起きます」と主治医はおっしゃっていました。
 ↑
ここもそれほどたいした根拠のある話ではありません。
(医師もそのつもりだと思います。「まーねそんなこともあるかな」みたいな、)


■心理学系のバックグラウンドの確認ですが、
極端に言えば心理系は「医療理科系」ではなく「文系」です。
”メンタル”や”心理的”な現象を何故なのかその原因や因果関係をロジカルに考えるのが専業になります。
(人は何故そう考えるのかなど扱っている哲学も所属する「文系」)
(誤解覚悟で付け加えるならば「宗教哲学の心理的分析」とかも心理学の分野です。心理系が医師会に対して厳しい視点があるように医師会の一部は心理系を”オカルトジャンル”で見ている状況があるのは事実だと思います。実際心理学の一派にはオカルト系とかありますんで、)

ですから心理系には投薬上の分類でナントカ症とか名前がついたとかは重要では無く(極論どうでもいい)、
「その心理状況の背景や経緯」を重視します。
(精神分析は特に自我のなりたち:過去や親子関係の聞き取りを重視する。)
言うならば『強迫心理』がどういう構成要件でどのような形で自我(OS)を圧迫しているのか?のような判定です。

話は戻りますが、
>幻聴・耳鳴りが不快で体が固まってしまうとか、何か思い出そうとすると思い出せないとか
>思考力・読解力がゼロになったこと
>声に出さないで言ったりパソコンで音楽を聴いたりしていて幻聴の声にさえぎられる感覚があったり、さえぎられた直後に何かが(自分がしていたかも)音楽や言った言葉をつなげた、一つにしたかと感じて非常につらくなったんです。
>あと何かを止められた感じがして非常に辛かったです。

この状況は『認知症』だとか『知的障害』ではありませんが、
ひとつ考えてみてください。
『認知症』や『知的障害』があったとしても(生物にはそれぞれ知的水準があるのであって)知的に下層の哺乳類の普段の日常生活のような振る舞いにはなりませんよね?
暴論になりますが「知的に下層の哺乳類の普段の日常生活」となるのであれば、それはそれで平和に過ごす事を考えればよいので特別な介護などは必要ありません。
事実サルなどの他の哺乳類も同じように『認知症』だとか『知的障害』となると(更に下層の知的水準の日常となるのではなく)『異常行動』が見られます。
 ↑
この現象はなんでしょうか?
そして『異常行動』やその体感が生理的に健康且知的問題も無いメンタルの症例で何故引き起こされるのか?
(思考力・読解力がゼロなど瞬間的な知的水準の後退まで見られるのか?)

共通項は「パニック」ですよ。
言い換えれば「現実に対する即応性や認知が制限されている(←この状況を”追い詰められている”とも言いますよね)」、
現象自体は”視野狭窄”なんて呼んでもいいのですが、
自我を圧迫して認知や判断に制限がかっている。←これを『強迫心理状態』と呼んでます。
(大事故が起きたなどの外部要因による一時的ストレスでは無く、日常恒常的に続く自我構造的ストレス。)


■医療と心理学では認定というか相談を受ける意味や意図が全く違うのです。
結論「精神科などの診療に対するセカンドオピニオンにはならない」と言えます。
(心理系としては医師が何を答えた内容にに”全く接点が無い”→常に可能な限り投薬はギリギリでと願うぐらい。)

なんと言えばいいでしょうかね〜
「このネクタイ似合ってますか?」「ネクタイが窮屈なんですけど?」を扱うのが医療界で、
「人は何故ネクタイを?」「僕のネクタイへの忌避感は何でしょう?」を扱うのが心理学です。

なので「病院でネクタイが窮屈なんですけどと聞いたらこうだった」の答えを尋ねられても心理系には”取り扱う接点が無い”のです。
(「話はわかりましたが、何の相談でしょうか?」になる。)

話は戻りますが、
心理学の見立てに興味がおありなら、
まずは時間をかけても何度も繰り返しても構わないので、初回返信を読みこなすことを続けてください。

引用なし

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【53】ただの錯覚でしょうか?  早恵  - 2011/01/30 19:17 -

ここに書くつもりはなかったのですが、一つだけ(一度きりの返信で)。

何度か相談させていただき、自分でも単独型の方を模索するようになってきたのだと思ってました。

だけど最近はストレスが酷いです。今にも爆発しそうです。

人と遊ぶことがない、人と話すことがほとんどない、人と外出をしてないために相当ストレスが溜まってるようです。

恋人や友達がいない状況(人とうまく関われない、容姿が悪いことが原因)を改善できないことに対して「これは私の本心ではない(友人や恋人との生活を本心から望んでるわけではない。容姿も過剰に反応してるだけで本心では悩んでいない)」と抑圧し続けてきた反動なのでしょうか。。

最近は現場にいる同僚やお客様の立場である方を見るのも嫌で(容姿や人との接し方を改善できないことの現実から逃げたいのでしょう)、できることなら彼らを見ることもなく、1人でいたいと思ってます。

「単独型を選択する(模索してる段階ですが)」なんてただの強がりで、本当は自分も恋人や友人を作って遊びたい、人と関わりたいと望んでるのではないのか?

引用なし

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【54】各個にお答えしますね  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2011/01/30 20:25 -

>だけど最近はストレスが酷いです。今にも爆発しそうです。
これは強迫心理が(これまで確保してきた依存的快感なり興奮の再獲得を意図して)その欲求を累積させているもので、
端的に言えば欲求不満です。
言葉を置き換えるとスッキリしますね
■「欲求不満で爆発しそうです」
上記の言葉が前述に変換しているのは残存している強迫心理的志向性(欲求の方向性)が無意識的であったり潜在意識であったり”自意識バレ”を回避する恰好になっているためです。

現象としては強迫構造が壊れた結果(壊れていなければ過去の強迫的行為の継続が不可避な状況が固定化していることになりますから)、無条件に自我を従わせる力を喪失していて(自意識も自発的行動を開始していますから)これが累積していると、
そして「累積」しているのは、
自意識が主体的に活動している領分がまだまだ(試行錯誤段階で)領域として狭いためです。

風がふいたら桶屋が儲かる式の関連なのですが、
そして同時に「自意識の活動領域が狭い」のは”現実認知の偏向が残っているため”となります。
 ↑
わかりやすく言えば『現実世界の解釈に誤読がある』
(残存する強迫時代の記憶が物事の解釈を強迫心理の都合のいいように偏狭化している”知識部分”がまだまだ残っている)
※ここ、カウンセリングなどの過程でどうにも無理のある事実関係の認知に(自分でもどうしてかわからないのに)固執してしまう状況と同じです。
(自分にとって不利益な認知を何故その点で不満を言っている自分が”矛盾する”のに(且つ自分でも第三者的解釈の合理性を理解できるのに)死守しようとばかり固執するのか自分でもわからなくなる状況)

その事例が以降に続く部分です
>最近は現場にいる同僚やお客様の立場である方を見るのも嫌で(容姿や人との接し方を改善できないことの現実から逃げたいのでしょう)、できることなら彼らを見ることもなく、1人でいたいと思ってます。

たとえで言うならば、
「立ち食い蕎麦店に入ろうと思っているのに、この世の中の立ち食いそばには茶道のような厳密な立ち振る舞いの決まりごとがあってひとつでも間違えると店主や他の客に嘲笑されてしまうのではないかのように思ってしまい、立ち食い蕎麦店に入れない」ようなものです。
 ↑
勿論現実世界の立ち食い蕎麦店のレーゾンテートルは「そういう気を遣わなくても済む気さくな大衆店」であり、それこそ立ち食い蕎麦店の存在理由を逆さまに認知(ある意味完全否定)してしまっているワケですから(もっと個別に解釈すれば”たらこ”を”キャビア”だという解釈に固執しているような現象)、
 ↓
「そりゃーストレスたまりますよ」
■ここで繋がりましたね。

以下の部分は個別に解説しませんが、同様の『現実誤読』からくる一種の認識錯乱で
>人と遊ぶことがない、人と話すことがほとんどない、人と外出をしてないために相当ストレスが溜まってるようです。
>恋人や友達がいない状況(人とうまく関われない、容姿が悪いことが原因)を改善できないことに対して「これは私の本心ではない(友人や恋人との生活を本心から望んでるわけではない。容姿も過剰に反応してるだけで本心では悩んでいない)」と抑圧し続けてきた反動なのでしょうか。。
>「単独型を選択する(模索してる段階ですが)」なんてただの強がりで、本当は自分も恋人や友人を作って遊びたい、人と関わりたいと望んでるのではないのか?
 ↑
結果的に『実に不思議な事に全て強迫的思考に都合のいい話になっている』
(あたかも”強迫的思考に都合よく考えたい”という結果ありきのように)
「特別に親しい人間関係など社会にそれほどありませんし」
「世論調査上でも昨今の若い人はソーシャルネットワーク型の人間関係にシフト中ですし(見ようによっては淡泊、実態はスローで自由)」
(上記繋がりで考えれば容姿に関しても自分自身の美意識として身だしなみ程度に整えるだけでもほとんどクリアするわけで)
単独者も何も、強迫からの「離脱過程」は”過程”として(共同幻想協調型人格含めて全人格は思春期反抗期過程は時限的単独者状態を経過する)論じているのであって(精神分析的にも”その後”の人生を単独者型とするのか共同幻想型とするのか自由なワケで)、現在の状況は『メンタルな状況だからこそ垣間見える共同幻想社会に対するジレンマ(早恵さんの場合共同幻想社会のお家芸である”いじめ”に関しての認識)』から、個人的体験含めて共同幻想社会に対して批判的である部分がある事は事実なワケで(これはメンタル副産物としての現実認知であって”事実認知に関しては”強迫性と関係は無い)、その後どのように転じるかは別として、特別現在自分が単独者志向であると決まっているものではありません。
(そこは自意識の自由ですから「保守的思想を選択して共同幻想的在り方を大人の考えで選択しても」まったくアリです)

心理学的視点で一部指摘が必要なのは
上記文章に登場する「恋人や友人」として言語表現されている内実というか”暗韻”が『強迫心理にとっての家族の代用(依存対象)』であるのは間違いありませんから、ここは整理して(言葉のトリックにのまれない)注意は必要ですね。
(共同幻想社会においては勿論”家族同様の付き合い”などのように交友関係や勿論婚姻関係は家族の再生産ですが、これは”大人の自分がその発起人となる”立ち位置の逆転があっての(再設立の)話で、強迫的依存性(被(こうむる)=幼児の立場からの)”仮想再現ドラマ”ではありません。)
言葉のトリックにのまれてしまうと、依然家族観で繰り広げられた問題が獲得された「恋人や友人」間で再現(無意識のうちに自分の立ち位置が『被(こうむる)』ポジションになる)され、強迫意識が自我をそれこそ強迫する形で台頭してしまう事にもなります(一種の社会適応を模した退行現象の構造化)。
その状況にシフトすると、対象者が名目(現実にも)”赤の他人”ですから、なかなか自分自身で繰り返す葛藤や不快感や被害認知などを『強迫的思考』と見破る事ができず(家族を対象とする部分は分析により壊れたとしても)、思春期の引きこもり状況ほど構造は強固ではありませんが、やっかいな問題になるケースが多いです。
しかも相手が他者となると、現実世界が関わってきますから後から関係を清算するのも大変で、別問題も抱える事にもなります。

■一義的に離脱過程は人間関係が(強迫心理を刺激するので)ストレスとなるので淡泊にしておくほうがよい
 ↑
これは自身の(強迫離脱を選択した場合の)リハビリ過程の安全保障的な過渡期の判断で、その後もそうあるべきって意味ではありません。
(今後も単独者的であるかのような志向ではありません)
不快感が続く場合何にもまして重要なのは『無理をしない』ですから。


平たく言えば一般社会の庶民の暮らしとは『立ち食い蕎麦店』のようなものであり、
その現実認知を殊更過剰にエスカレートさせてしまっている部分を『一拍置いて』冷静に考えていくのがベターです。
■心理学的不思議で言うと「”たらこ”を”キャビア”だという解釈に固執しているような現象」が強迫梃子というか経済学の乗数効果のように不快認知も過剰化します→「茶道の極意に違いない立ち食い蕎麦を食べられなかった」という被害認知(脳内ではとんでもない快感を私だけ手に出来なかったかのような誤解が連鎖して『被(こうむる)』の構造の中で)、立ち食い蕎麦を食べられなかった欲求不満が、状況にはなんら変化が無いのに「自分だけ特別に大変な快感を奪われたかのような」欲求不満に(無意識に桶屋が儲かる式に)エスカレートしてしまう。
 ↓
「欲求不満で爆発しそうです」
(立ち食い蕎麦を食いそびれて「爆発しそうです」って人は滅多にいませんよっ→という”オチ”←しかし同時に小津安的情緒といいましょうか美意識から立ち食い蕎麦がしみじみとした得難い幸福にもなるんですが、そういう美意識も又各個人の文学や芸術なりの体験から獲得されてくるもので→そこは心理学と関係無く個人的人生経験ってもので蓄積されていくものでしょう。→美食家のような違う判断だってあってもいい、)

そして同時に人の営みというか幸福とはそう大ぶろ敷きなものではなく、案外質素な世界の中に十分可能なもので(人間は一介の動物ですから)、一般世界はあれこれ大騒ぎもありますが、そこには共同幻想特有の強迫的誘導って要素もアリの話ですから、そこも見切っていかないと自分の立ち位置を見失います。
(うっかり強迫的思考の都合のいい情報として”鵜のみ”にしてステレオタイプ的にとりこんでしまう)

<ここまで前後を何順か繰り返し反読すると見えてくる筈です>

入り口論「構造的に欲求不満も(現実から乖離して)肥大化している」
出口論「幸福の価値論みたいなものも過剰化している」
入口と出口双方から認知の誘導を解いていけば、状況は違って見えて来る筈です。
双方から挟撃する形で各個撃破していくことですよ。

引用なし

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【61】Re:各個にお答えしますね  早恵  - 2011/05/09 21:51 -

仕事のことです。

利用者さんのオムツ交換もうまくできない(私がやると汚れが残ってる)。

食事介助は私がやると食べ物がこぼれてしまって相手の服が汚れてしまったり、利用者さんも食べにくそうです。

利用者さんもスタッフも私が介助してると不安げです。

他にも有り得ないほどのミスもあります。

スタッフも有り得ないと言う感じで見てますが(これからますます厳しくなるでしょう)、何より利用者さんがイライラしてます。

利用者さんが嫌がるのは分かります。私が利用者さんの立場だったらこんな状況が続けば相手に怒りが募って物を投げたり、怒鳴り散らして暴言を吐くでしょう。拷問、虐待(介助者がそんな意思はなくとも)としか思わないでしょう。

通常なら感覚やコツを掴んでくるんで来て、上達していくんでしょうね(というか通常ならできることが私にはできなくて、何度も練習して少し上達する程度。通常ならしないヘマを見事にやる)

(実年齢は)良い年して本当に有り得ない。

仕事の内容や失敗してる内容はさておき、以前からご指摘を受けてるとおり、どういった職種に就こうとメンタル面が原因でテンパってしまうのは分かってます。

ご指摘を受けて自分の問題点は治すようにしてますし、人からの評価や仕事の不出来を気にしないようになってますし、仕事に意識が行きつつあります。

でも私自身に心的な変化はあったのかもしれないけど、考え方がプラスになるというだけで、手先が器用になるわけではない。臨機応変に対応できる頭になるわけではない。容姿や人間関係の問題も同じです。

仕事以外でも先日は私を見て笑うスタッフがいました(部署が違うので仕事で関わりもなければお互いに名前も知らない)。
それを気にしてるわけではありません(今は仕事のことで頭が一杯なのできにしてる余裕すらないですが)。笑われるということは自分自身にまだまだ問題が残ってるからということですよね。

自分の意識を変えても潜在的な部分までは変えられなくて、それでも問題点を治そうとしてるけど、一度出来上がってしまったものを変えるのは難しい。

何度も言ってますが、本当にどうしたらいいのか分からない。どうしたらいいのか?

仕事がうまくこなせないなら今すぐやめるべきなのでしょうかね(せめて1人暮らしの資金を貯めるまでは続けたいですが)。

私も他の(まともな)人になりかったですね。他の人のようにまともな頭だったらコツや感覚もだんだんつかめたでしょうし、利用者さんだって技術がある人に介助をしてもらってる方が良いでしょう。

引用なし

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【62】ザックリ説明しますと  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2011/05/11 06:09 -

・前置きになりますが
プライバシー保護の観点と公開掲示板の運営趣旨である公共性(閲覧者が参考にできること)から、有料など非公開の内容に関わる具体的な事項の説明には制限があります(私が説明において非公開のログを引用するなど)。又、閲覧者の方が何の話か経緯を掴めない具体的個別の話に公開掲示板)は適しませんので(聴衆のいる公開の場でのやりとりとなりますから厳密に言えば私的利用とはなりませんので)、返信がある程度「広義の説明」であるとか枠組み論的な方向になることはご理解ください。

<以下本文>
現在の就職先の話かと思いますが、
先ず初期的に(メンタルな問題からの離脱過程でもありますから)
「個別具体論的な問題の発生が十分予測されていること」。
次に「仕事に就くことそのものが当初目的では無いこと(ひとりぐらしを可能にする部分との関連として)」。
バックグラウンドとして症状などが関係する部分での仕事上のストレスは(他相談事例のログにもあるように無理に仕事や通学などの社会適応を優先せずに休養などが優先されますから)”無理がかからない”ことを最優先に自己責任で判断するところで、場合によれば(他相談事例のログにもあるように)「そもそも社会適応フラグや他の人(共同幻想適応系)と同じように」等の意識で⇒強迫的に選択される場合も多く(カウンセリングなどの過程を経て”休養するべき”方向に説明が無いと構造的に自分では辞められないなど)、ここは注意しなければいけないところです。
※心理的な事情から地方自治体の福祉窓口を利用することは『実質的には労災などの保障と性格が同じ』(環境にもよりますが職場環境下を発端とする”鬱”であれば実際に労災認定の可能性もあります)であることを忘れてはいけません。
※又、社会適応と言う概念そのものが『(近代以降文明化と経済成長の)共同幻想』ですから、それ自体に全く意味が無いとは言いませんが、殊更それが”優れた事”であるかのような認知があるならそれは「ズバリ強迫心理」です。仕事等の選択はあくまでも「自立独立した自意識マターとしてその選択があるのであれば」検討すべきもので(極論自分で好きで選んでいることというルートを担保する)その評価も自分自身で好きに判断してよい(期待する成果そのものも選択同様にマイペースとならないと”そもそもの動機の証明にならない”)。
 ↑
上記を俯瞰から冷静に考えるヒントとしては、
メンタルな問題が基本的には発生しない原始共産制での暮らしを想定すればわかりやすい。
「文明も無く、自分の暮らしは基本自給自足で身近な畑などを自分のペースで耕作などの暮らし」
(原始共産性の場合”その暮らしを集落で”と、この点が類人猿時代の本能の名残として限りなく普遍的に”群れ”が前提になりますが、勿論この部分は共同幻想的な社会適応では無く、自己のアイデェンティティーが”幻想では無くマジ村民(近代以降は市民)”なので構造は似ているようで全く違います。←ここは社会学の基本。)


【上記枠組みは早恵さん十分理解されていると思います】
>仕事の内容や失敗してる内容はさておき、以前からご指摘を受けてるとおり、どういった職種に就こうとメンタル面が原因でテンパってしまうのは分かってます。
>人からの評価や仕事の不出来を気にしないようになってますし、仕事に意識が行きつつあります。

前段はあくまでも広義の論点となりますので、
 ↓
補足となるワケですが、
仮に仕事が継続可能な環境にあり、具体的内容は公開できませんが「出来不出来では無く自分自身も事故などが心配である」点に関してはこれは管理職の仕事であり(軽微な業務にシフトするなど)、これを試用期間などで判断行われるのですが、この業務も”管理職の仕事”です。
(試用期間の社員の仕事では無い)

これは上記説明以上に法的な側面もありまして、
現代先進国は概ねその傾向ありますが日本は特に労働者の権利が手厚く、正社員として正規に採用された場合、会社の経営が著しく悪化するとか当該社員が犯罪に関与するなどよっぽどの事情が無い限り『会社は社員を解雇できません』。
現実公務員の職場だけでなく「閑職」と申しましょうか昭和なら「窓際族」のように、軽微な仕事専従の部門を「予め用意する」のも人事管理の仕事です。

各個人が仕事ができるできないという事情とは関係無く、どこの世界にも仕事内容と個人のポテンシャルとの間にミスマッチが発生する場合ありますので(メンタルと関係無くても)、これを制度として雇用調整でとなりますと→その瞬間『昭和の終身雇用制度』は壊れてしまいます。
昭和の時代は経済成長が右肩上がりでしたので(社会全体の所得が全体として上昇)、労働力の流動化を促進するより「新卒終身雇用」の制度の方が全体の効率が高かったので、「仕事内容と個人のミスマッチ」に関しては(ミスマッチの人には申し訳無いが)閑職や窓際族などで身分と所得は保証するので了解ください的な社会だったワケです。
※先進国化により「終身雇用」が事実上壊れ「労働力の流動性が高まる」のとセットになるのは、先進国化により高学歴など個々人のスキル・ハローワークなどの公共サービスが格段に安定化してくるためで(昭和のように職工さんの過半は中卒でもむしろ可で会社内の仕事を通じて専門の労働者として育成=「解雇されると転職口を探すのが非常に困難」などいう離職リスクが少ない)、むしろミスマッチを効率的な労働市場で解決する方が選択されているため。

同時に、
現代社会は「スローワーク」であるとか「フリーランス」など、
そもそも仕事的成果と社会的成功を関連付けないライフスタイルも増加します。
※これは先進国化や経済成長の究極の目標は『非労働社会』であるためで(そのための社会資本であり機械化・電脳化なのですから:代議員のボランティア化やフリーエコノミーも全てこの線に乗った話です)、先進国の生活水準の基本は『人権保護』の枠内で十分にハイレベルであり(比較できないほど第三世界を上回ってます)、高い通貨を生かして海外の製品を異様に廉価な水準で購入できます(100円ショップを代表に)。


<ですから>
■『社会適応』も『就職と仕事』も、特別に優先フラグが付くなんて事は100%あり得ません。
(あったら強迫心理。:共同幻想協調人格は”優先フラグ”があるのではなく”その選択も協調”なので選択の自覚(著作権)が無い。)
■その反対に『自意識マター』として、独立自立した自分の意志で選択したことは(社会的評価など意識も必要も無く)自由に評価すればよい(盛んに努力するのもサボるのも自由)となりますから、重要なのは結果では無く『意思確認』です。

「イロイロとリスクがあるのは承知だが試にやってみるか」という場合、
結果が思うようにいかない時の認識は、
「いやー(予測はしていたけれど)これは結構大変だわ」となります。
 ↓
>人からの評価や仕事の不出来を気にしないようになってますし、仕事に意識が行きつつあります。

であれば「やれやれどうすっかな(何から手をつけたものか)」と、これメンタルでは無く個人的な悩みや”考え”って世界の話ですので、
(結果論では無く⇒ストレス過多で”無理がかかる”ようなら「残念失敗と辞める勇気も考慮」するところなので別論議ですがここも「個人的に考えるところ」です。)
 ↓
>何度も言ってますが、本当にどうしたらいいのか分からない。どうしたらいいのか?
こうなっては『動機』が別の方向向いてしましますので注意が必要です。
「鬱のネタまき」になってしまいます。


<もう一度整理します>
意思確認も十分慎重に行ってます「自分の意志で企画性もって判断して選んだ」
(背景のリスク「特に○○関係」には自分の動機を含めて共依存系や強迫的共同幻想フラグが関係しやすい点も十分説明済み)
結果論(社会的評価)によらず、むしろ個人的関心(人からの評価や仕事の不出来を気にしないようになってますし仕事に意識が行きつつあります)をベースに考えている。
のであれば、前後の話が繋がらないのです。

わかりやすく、並べてみましょう。
>人からの評価や仕事の不出来を気にしないようになってますし、仕事に意識が行きつつあります。
>何度も言ってますが、本当にどうしたらいいのか分からない。どうしたらいいのか?
 ↑
同一人物の台詞とは思えないですよね。
「人からの評価や仕事の不出来を気にしないようになってますし、仕事に意識が行きつつあります。」って人が突然「本当にどうしたらいいのか分からない。どうしたらいいのか?」となる事はあり得ない。
(自分で「他人の目は気にせず仕事一本です」「今何をすべきかわかっている」と前者は言っているワケですから)

同一人物の台詞とは思えないですよね。
思えなくて当たり前です、極論すれば”同一人物”では無いからです。
前者は『自意識マター』(抗(あらがう)ベースの主体的現実認知)
後者は『強迫心理』(被(こうむる)ベースの被害認知的内向認知)

■強迫認知のトリガーが「不快(被(こうむる)で認知すれば”被害”)」であるのは間違いありません。
それを「”これは手ごわいぞ”とやり甲斐と感じるのか」「不安から強迫的に自分が追い詰められてしまうのか」それは認知で決まります。

『一拍置くと前者となり、現場の自分は(一拍置く余裕の無い状態)後者だ』という現象なワケです。

<ちなみに>
>私も他の(まともな)人になりかったですね。
 ↑
ここは本来コメントの必要ありません。
(というかコメントすべきログじゃありません。)
前述説明で理解されていると思いますが、
後者の強迫心理があれやこれやと自我を不安にする動機は、
この台詞が言いたかったから
 ↓
「私も他の(まともな)人になりかったですね。」
であり、
まーこのような認知に付き合っている暇ありませんので無視してください。
「オイオイ又言っているよ強迫心理(苦笑)」
(端的に言えば返信引用から削除すべき部分です)


<話はもどって>
『一拍置くと前者となり、現場の自分は(一拍置く余裕の無い状態)後者だ』という現象なワケです。
そして、
>仕事がうまくこなせないなら今すぐやめるべきなのでしょうかね


答えは簡単です。
>何度も言ってますが、本当にどうしたらいいのか分からない。どうしたらいいのか?
>私も他の(まともな)人になりかったですね。
 ↑
こんな事言っているならとっとと辞めるべきでしょう。
強迫心理が内向鬱のネタ探しにワザワザ手の込んだ事しているだけですから。
『自意識マター』の動機までねじ曲げられてしまう。
(情緒的に言えば”自分の動機・自意識の言論が穢される”)

しかしですよ、
『一拍置くと前者となり、現場の自分は(一拍置く余裕の無い状態)後者だ』という現象なワケです。
その前者は?
>仕事の内容や失敗してる内容はさておき、以前からご指摘を受けてるとおり、どういった職種に就こうとメンタル面が原因でテンパってしまうのは分かってます。
>人からの評価や仕事の不出来を気にしないようになってますし、仕事に意識が行きつつあります。
 ↑
こう言ってます。
これなら安心です。
 ↓
>何度も言ってますが、本当にどうしたらいいのか分からない。どうしたらいいのか?
>私も他の(まともな)人になりかったですね。
 ↑
こんな事を言う筈もありませんから、
「仕事に意識が行きつつある」自分なりに試行錯誤やらそれを”やり甲斐”として(この場合不快事例ではなく幸福ネタになる)、自意識の自由な思考を駆使してあれやこれやと人とは違う自分なりに(個性)考えればよいとなり、
会社の方が待っていられないというならこっちが心配しなくてもクビになりますので、管理職の仕事まで心配することは無い。

注)しかし”無理がかかる”などストレス過多の場合には、これ事情が別(健康問題)ですから自分から辞めることも検討すべきでしょう。


だとするなら問題のポイントはここに戻ります。
■『一拍置くと前者となり、現場の自分は(一拍置く余裕の無い状態)後者だ』

さて、実際に続けるべきか辞めるべきか。

『一拍置いて十分冷静に(自由に独立的に)自意識マターで考えて』
「思う通り(好きに)自分で選べばいいのです」


<更に補足で各ストレス面コメントしますが>
自意識マターの決定が「勿論仕事には”個人的に”意欲あります」間違い無いのであれば、
現行は利用者(お客さん)の反応どうこう考える必要ありません。
 ↑
これどういうことかといいますと、
仮に私が現場20年のベテラン軍曹なら、
「客がどうだこうだと言うなんてのは100年早いだろ」となるからです。
(不慣れな人間がやっていることが客に好評なワケが無いのですから)
「他人の目は気にせず仕事一本です」ということなら、
自分なりに「先ずはここからだな」など戦略定めて「あれやこれや始める」って事であり、
「(お客さんには申し訳無いが)今客の評判聞いている暇はない」になります。
(上記をよくトレースするとストレス回避のルート辿っていることわかると思います)

基本”不安(強迫心理のトリガーとなる)対策”上、大事なのは「自意識マターの確認」に尽きます。
>仕事の内容や失敗してる内容はさておき、以前からご指摘を受けてるとおり、どういった職種に就こうとメンタル面が原因でテンパってしまうのは分かってます。
>人からの評価や仕事の不出来を気にしないようになってますし、仕事に意識が行きつつあります。
 ↑
この発言は自分自身の言葉なんですから。
それ(人権)を尊重するべきでしょう。

判断の基準として
「ダメ、自意識マターを保持できない。こりゃ強迫にのまれて又ゾロ「私も他の(まともな)人になりかったですね。」なんて言い出しかねない。果たしてどうしたものか、、。」
のような思考を”一拍置いて”十分に繰り返し考えて、
「ちょっと無理かかっているかな〜と”自分で判断”した時には辞めるってことかな」←などのように”自分で考えて”ください。


<繰り返しは記載しませんが>
ここで前段の広義の論点【枠組み】の部分に戻って読み返しです。

引用なし

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【63】続きです  早恵  - 2011/05/17 08:21 -

(他の方の参考にでもなれば。これに対しての返信は要りません。ただ私の説明に問題部分があれば申し訳ないですが訂正をお願いします;)

仕事を覚えられず、自分では勤まらないと思って辞めようと思って上司に相談したら、
「ここまで仕事に対して真剣に考え、取り組もうとしてる人はなかなかいない。
確かに技術は必要だけど、いくら技術があってもそれに慣れてしまって過信してるとかえって取り返しがつかないこともある。できれば続けてほしい。
技術に関しては他の人にもフォローしてもらうようにするし、あとは慣れて覚えていくしかない。」とのことでした。

仕事のペースが遅く、私が食事介助したら食べ物を利用者さんの口にうまく入れられずに床にこぼしてしまい、オムツ交換の時は服を汚してしまうなどの失態を繰り返し、雑用の仕事すらも手間取る私のどこを買ってくださってるのかは分かりませんが。

雑用係しかこなせない人は自分も含めて社会のお荷物だと思ってました(今ももやもやしてますが)。

雑用係でも雑用だけをやってたら良いわけではなく、一番大事なのは利用者さんの自主性を促すためには何が重要かを自分で考え、(結果はどうであっても)試行錯誤していくことでしょうか。

本当に仕事が出来る人(というより客観性がある人でしょうか)は結果や人からの評価では分からない。

介護技術がうまくても仕事ができてもそれは一過性のものであって(介護技術が下手なのも問題ですが)、それは利用者さんの主体性を尊重してやってる行為ではない。

こんなことを言ったら他のスタッフや利用者さんとの衝突も避けられそうにありませんが(私の言ってることが正しいかも分からない);

職場の人は私のことを良く思ってない人もいるでしょう。

この先どうなるかも分かりませんが、今は仕事に行ってきます。


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仕事をこなし、オフは友達とはしゃぎ、好きな人や家族と過ごすことが人間の幸福なんだと思ってました。

それが幻想だったと指摘を受け、自分を見失う状況は避けられたと思います。

少し光が見えてきました。ありがとうございます。

引用なし

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【64】追記解説ということで  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2011/05/18 20:50 -

>雑用係しかこなせない人は自分も含めて社会のお荷物だと思ってました(今ももやもやしてますが)。
私の年齢からみれば男女雇用機会均等法なんていうのは最近の話しでして、
私の年齢からしたら「女性は一般職で(お茶くみ)、短大出て大企業の一般職というのが最強の結婚活動(逆に4大なんていくべきじゃない風潮もあった)」というのが定番でした。文中にあるように”最強”だったのです、
(勿論こういう習慣的風潮そのものが社会差別となり→男女雇用機会均等法となるわけで)
言えば戦後からついこないだまで日本の大きなトレンドは「女性は電話番とお茶くみしかしない」だったのです、
(採用時から完全に切り分けされていた)

上記流れが完全に途絶えたかと言えば違いまして、
今でもハローワークの求人事務職で女性の方が有利なのは受付や電話番など”暗黙の希望”で会社は女性を採用したいのであって(対応的にもソフトタッチになりますから→親切な女性が対応しますのようなキャッチコピーがあるぐらい)、実際に現場には差別と関係のの無い”一般事務職(現代的一般職)”が存在します。
そして、それがお荷物だったら大変なワケです。日本の経済ガタガタになります、


つまり偏向し(誇大化)した共同幻想的強迫心理特有の”権威主義認知”の名残がまだまだ残っている。
(メンタルな問題では無く当時解釈されていた”偏向知識”が残っている)
これはオセロゲームのように逆さにすればいいのであって問題の大小から言えば”小さな問題”です、
しかし、仮に「所謂立派な仕事(何のことだか抽象概念でわかりませんが)に拘り、雑用係を蔑視する視点へのこだわり」があれば”強迫心理が興奮している”事になりますから「はいはい、これは黒から白」とパチンと裏返しにできない(強行に抵抗)のであれば問題だとなります。
言うならばどこも誰も頼んでもみない(或いはきいたことすらない)「強迫心理(幼児期自我がベースなので端的に言えば”子供の勝手な想像”的な影響を受けていると考えられる)の勝手な想像があたかも”誰か存在もしない権威者”が命じたかのように思い込んでしまう」。
神経症含めて典型的に見られる”過度の社会適応傾斜”に頻繁に見られる現象です。

(勘違いされた特権階級意識←本人そのつもりは全くないが、はた目から見れば”過度に立派であるべきで雑務など私にはあり得ない”というスタンスは結果論として自然に仕事しているスタンスの構成員(そつなく業務が終わればよいのであって別にできなくちゃいけないなんてないわな)を知らない間に蔑視しているのと同じ事に気が付かない(私はあなたたちと違う)。←これは強迫心理の組成が家族社会の中で幼児や子供という”被差別特別枠”であるところの反動みたいなもので、典型的な幼児心理の誤謬です。)


>仕事をこなし、オフは友達とはしゃぎ、好きな人や家族と過ごすことが人間の幸福なんだと思ってました。

本当の酒飲みが静かに銘酒を一杯とか、昭和サラリーマンが一日の終わりに晩酌で一杯など、
 ↑
もちろん幸せな世界であるだけでなく感情的にも豊かなシーンですが
嬌声挙げてはしゃいで大騒ぎしませんよね。
(子供じゃないんですから→思い出してください第三者が顔をしかめる「しまつにおえないガキ」の定番は「嬌声挙げて(興奮がとまらず)騒ぎつづける子供」のことです。メンタル的発現としては世間から忌避されるその典型事例が『暴走族』。)

補足すれば家族も友人関係も基本は全て「赤の他人」です。(血縁や友人関係の縁があるだけ)
勿論そういった関係の中にも実を伴った深い関係性が成立する場合ありますが、その場合呼称が変わります。
気の合う家人とか親友とか、
共同幻想社会ですらわかっているのです。
大人同士の信頼関係を前提としない場合、家族もただの呼称で(血縁というだけで赤の他人である)、友人もただの呼称です(友人というだけで実体は顔見しり程度)→だからワザワザ『親友』なんて言葉が”別途”あるのです。
※逆に『親友では無い友人の定義』や『個人的には親しくない血縁』と考えるとわかりやすいかもです。

共同幻想社会における”個の論理”は『共同幻想社会(世界)内の論理』なワケで、更に意味合いを紐解けば、
血縁とか友人関係というのは前提となる共同幻想の道理なのでこの際関係無く、彼らとしても何がいいたいかって「キモは大人同士の信頼関係だ」ってことです。(ベースラインは個と個←なので個体は各個に自立独立していなければならない)
ですから、逆説的に言えば「家族でも友人でなくともよい(これは共同幻想成立に関係するキーワードで特別自意識にとって個人的意味は無い)」重要なのは独立し自由に活動する自意識(大人性)が、信頼関係をもてる相手となるのです。
信頼関係があれば相手は「馴染みの店の店員でも、身分違いの上司や部下でも、普段交友関係のない知人でも、ネット社会における媒体でも(下手するるとロジカルな概念であれば人でなくてもいい→これが哲学思想などの学問や強い趣味性や美意識など)」いいのです。
(勿論人間以外の枠であれば、愛猫や愛犬でもいいワケです。人間よる遥かに哲学的な個体も存在します。←この場合も大人として大人同士の仁義を切るから見出せるものです。)

※それこそ信頼関係が揺らいだ夫婦は同居に耐えかねて別居なり離婚するのであって「なんでもかんでも家族と過ごすことが幸福では無い」この場合も内容次第(だったら外形や共同幻想的属性呼称(夫や妻のタイトル)は二の次)ということです。

勿論構造的には個の幅が大きい単独者は(呼称と関係なく)誰彼となく信頼関係を派生させるには有利です(所謂ネット空間におけるコミュニケーション論じゃないですが)、
メンタルな問題などで自分で排他性(ひきこもり)発現すれば”逆の目”になりますがこれは例外事項です。
共同幻想保守は外形として”所属などの枠組み(リミッター)ありき”の側面はあります。特に共同幻想社会は滅多な事で自意識マターを発現できない制約(協調優先)があるため、自己紹介効果として「どんな人なのか説明し難い」(それ以上に組織人としての属性の紹介が上位になってしまう)ため、共同幻想な人ほど信頼関係の構築は苦労します(パッと見多数友人がいるように見えて実体ひとりもいないケースが大変多い)。←結果として共同幻想社会が信頼関係への不安から「集団で嬌声あげたり騒いだり」が発現しているとみる事もできるでしょう。

且つ、
その信頼関係は定期的に確認しなくちゃいけないのなら信頼に欠けることになってしまいます。
馴れ合い目的ではありませんから、
つまり、自分の生活動線におけるいずれかに信頼関係のポイントがあれば、信頼関係性が日常生活に頻繁に必要なのでは無く、
(自分の人生を生きている事が、結果として信頼関係の生存証明になる)
しみじみひとりで一杯の酒を飲むとか気の合う奴と静かに語らうとかって世界には「深い意味がある」ワケです。
その感情的奥行というものは→「嬌声挙げてはしゃいで大騒ぎ」の対局にあるもので、

※なので昭和の家庭モデルにおいては父親はほとんど言葉を発せず団らんの笑いにもあまり参加しません。
※更に言えば良家の子女には「はしたないので人前で歯を見せて笑うな」という世界もありました。
※真剣勝負の囲碁将棋やテニスや茶道や他武道もダンスも(個のパフォーマンス最大)ちゃらちゃらした私語厳禁です。感情云々どころか生死を賭けるような(生存証明)モチベーション限定解除『最大』なわけです。←こうなると個人的趣味の世界も命がけだぐらいの勢いだったりする。

いわば思考の鍵は『大人の世界』ということであり、
強迫心理時代の過去の知識の影響で勘違いしてしまうと、(強迫構造は壊れているのに)過去の知識に振り回されてしまいリハビリ過程が無意識から妨害されてしまうというワケです。

※又、興奮快感と幸福には関連性ありません。興奮快感の元ネタは「団体作業ストレスのご祝儀として(インセンティブ)原始社会で始めたお祭り(大興奮)」等に始まるもので、麻薬とまで言い切りませんが、無理やりの共同作業(原始的共同幻想)のストレスを弁済するための快感物質によるインセンティブや報酬(原始時代なので酒を振る舞って踊り狂うというのは一大イベントなのです)であり、極論すると若い人達が群れて騒ぐという現象は→群れることのストレスを回避するために同時進行で騒がないともたない(集団が維持できない”不安”)からなのであって、逆に言えば「ぬけがけして帰るなよ」とか「他の奴はくんなよ」などの排他性(集団を維持する自己防衛)でもあります。←無意識的なので彼らに自覚があるのではありませんが「好きでやっているのでは無い」と捉える事もできます。
(無意識的なので「好きでやっているのではない」の自覚は限定的ですが、勿論現代社会の場合共同幻想はほころんでますのでかなりの構成員は「疲れる」「帰りたい」などの限定的な本音を自覚してます。)
※興奮快感には習慣性(中毒性)があるため→文化人類学的には共同幻想の仮想普遍化はそういった側面の中から生まれてきたのかも知れません。


<ひとつ参考としては>
>こんなことを言ったら他のスタッフや利用者さんとの衝突も避けられそうにありませんが(私の言ってることが正しいかも分からない);
>職場の人は私のことを良く思ってない人もいるでしょう。

強迫意識離脱リハビリ過程中とか、或いはメンタルな問題発症で早期に共同幻想の裏だけは見えてしまったなどで『暫定的単独者系(この系は銀河系などの系で”域”というか”射程”とか”レンジ”みたいなものです)』の状況にありますので(単独者・共同幻想保守の選択は離脱後再選択なのでリハビリ中は暫定)突っ走り過ぎると誤解から見当違いの批判を受けたり誤解される事もあります。

対策としては積極的な情報開示です。
(聞かれる前に話すみたいな)
自己紹介というより更に営業並に情報を開示する。
(苦手や関心や自分の状況や”現在リハビリ過程(遅く来た大人の反抗期)フラグ”として試行錯誤の様子を”個別の考え”や”やってみたこと”などのディティールも積極的に話すなど)
人間何が不快って一番は”誤解”ですので、
後は「(それは共同幻想的仕事で本当のところは)違うと思います」なる意見があってもこの場合には(共同幻想な人も好きでそうやっているのではなく”共同幻想リミッター”でそれ以上できないのであり)、自分の意見であって誰か特定個人を批判しているのではないと伝わるように配慮することでしょうか。

注)どこの世界にも『共依存リスク』というのはあります。ですから上記の話は「私は迷いなくこうやってます」的な自己紹介の範囲に留める注意も必要です。素人相手にというと語弊あるかもですか安易に「相談話」とならないように注意してください。待ってましたとばかりに過干渉で関係してくる人物が(その人物の強迫心理の勘違いを前提に)おせっかいにつきまとうというケースも珍しくありません。
(リハビリ期間は自己防衛で”恋愛制限かける”ってのはこの辺のリスク管理です)


などなど今回のテーマは全体に渡って信頼関係が基本という話ですね。
(人に対してもですが自分の自意識に対してもです)

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【69】今後の父親との関わり方  早恵  - 2011/07/29 20:39 -

1人暮らしを始めることになりました。
父親は納得いってないようです(母親も寂しがってますが、父親はもろに態度に出してきます)。
私が部屋にいると、昼間に何度も呼び出してきます。
「近くにたくさん就職口があるのにどうして遠い場所で仕事を探すんだ」と何度も聞いてきます。
それに対して私は「この家から出たいの。この環境に育って私は幸せじゃなかった。あなた達といるとこれ以上精神的に病んでしまう。自殺も本気で考えた」と返しました。
父親は「そんなのすぐに治る」「仕事が軌道にのって、精神的に良くなったら戻って来い」とばかり言います。
何回か部屋のドアを開けてきてと「考え直してくれ」「どうして近くの就職ではだめなんだ」と言ってきます。
「しつこい」「そういうのをストーカーだというんだ」と私がきれると「どこがストーカーなんだ」と言うだけです。

先日父親が「弁当を買ってきたんだ。最後だから一緒に食べてほしい」と言ってきたので、(このくらいは付き合ってもいいだろうと思って)少し付き合いました(普段は部屋にこもりきりなので、親とは全く一緒に食事もしてません)
それで、父親と一緒に弁当を食べてたのですが、いつものように
「早恵に聞きたいことが山ほどある。どうして近くで就職しないんだ?」と聞いてきました。
「希望してた職種がこっちにはない。距離的に通うのに限界がある」と言ったら、
「(父親は本心から納得してませんが)理由は分かった。聞きたいことがたくさんあっても早恵が家にいなくてなかなか話もできなくてイライラしてたんだ。聞きたいことが聞けた。
もし何かあったら帰ってきたら良い。こっちで就職口を探せば良い」と言い、引越し祝いまでは行きませんが、父親がお菓子の詰め合わせを私に渡してきました(一応父親からの気持ちとして形だけ受け取りました)

その後どこに引っ越すのか聞いてきたので住所を言ったら(在所までは言いませんが、狭い町なので探せば分かる)、
「遠いな(実家から国道で1時間)。こっちから行こうにもなかなか行ける距離ではないな」と言ってきました。
「来られても困る。余程用事があった時だけ電話して来て、必要があればこっちから行くことはするけど、そっちの方からは来ないでほしい」と言ったら、
「そうだな。事前に連絡するべきだな」と父親が返してきたので、
「事前に連絡があっても用もない時に(ただ私と会いたかったという理由だけで)私のところに来られても困る。たまには実家に帰るから」と返しました。

ただ引越し前夜になり、父親は私の部屋に来てドアを開けて最初は「体に気をつけてな」と言ってきて、また5分後に勝手に私の部屋のドアを開けて「仕事で力をつけたら帰って来いよ」と言い、また5分ほどして部屋のドアを開けてきて「自分で仕事ができるようになったらこっちに戻って来いよ」と言ってきました。
母親が父親に「分かったから」と静止しても、「おまえには話してない!!早恵に話をしてるんだ」と母親にきれてました。

引越ししようとすると、朝寝てる時に勝手に私の部屋に入ってきたり、父親が車のドアを開けてきたり、車に乗り込んできて「仕事に慣れて、そのうち戻って来るんだぞ」と言ってきました。
父親を切り離すのに大変でした。

父親の心理は想像つきますが、彼の性格からしたら何をどう説明したって納得しない。彼は私達がいつまでも実家にいて、家族の交流を持てない限りはどんな説得でも応じない。
1人暮らしを始めても、今後は父親が引越し先に押しかけてくるんじゃないかと憂鬱です。

引用なし

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【70】ザックリ言えばですが  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2011/07/31 02:31 -

複数の実例や、ここでは心理学的な側面も交えて裏取りして考えた場合を中心にコメントするならば、

■「あまり気にしなくても心配ありません」

家庭争議的に問題になる事例はやはり『投影を経る形』で(二次的な)恋愛関係や職場における人間関係(或いはメンタル発症世代の実子に対して)などリミッターが効かない場面になります。
(「メンタル発症世代の実子に対して」とは”幼児虐待”事例の事です←この場合も相手が幼児だから可能(当該対象とそれほど親密な人間関係が無い:後述))
ここで言う『投影を経る形』というのは(勿論今回の場合も彼の依存心理の元ネタは彼の子供時代における家族関係がベースですから二次的ではあるのですが)「今現在(強迫心理の)思惑どおりにいっていない当事者」では”無く”、ナルチシズム的に潜在化したイメージ(一度内向しているので幻想にリミッターが効かず拡大する)を投影した第三者などに極端に言えば縁もゆかりも無いのに固着する事例(その典型事例がストーカー)となるからです。
※心理系の典型事例としては「運悪く中途半端に共同幻想適応の人生を歩んでしまい”幻想家族”をそのまま友人関係(や恋愛関係)などに投影成功してしまった場合」などになります。

いわば今回の事例は「困ってしまって暴発している」のですから、
ある意味『それ以上にエスカレートする引き出しが無い』のです。
※人間はイメージでもなんでもいいのですが、自分で思いつかない事まで動機形成企画することできませんから。
(極論第三者であるとかストーカー事例のように”新聞の事件記事”をモチーフに幻想が無意識に拡大して強迫心理がありもない話をあたかもそうであるように捏造するような『小説のパクリ的なネタ借り』は、空想性が高いほど成立するため→当該対象とそれほど親密な人間関係が無いほどリスクが高まる傾向があります。:よく知っている相手の場合(誤解にも限度がある)強迫心理が都合よく解釈するにも限界がある。)

これは問題当事者(今回の場合父親)も同じであって、
「自分でも何やっているのだかよくわからない状況(パニック)」の成立要因は「自分でも知らなかった内面の強迫心理の暴露」であるため、
うろたえている自分の無様な様子を知る事が”それを知るキッカケ”にもなるのであって、
今回の問題の暴露は今後の彼の人生にとっても(強迫心理的に言えば”ヤバイ”)ネタバレ的な効果が予測されます。
(その事実を彼がどう考えるのかは彼次第なので未来の話は予言できませんが)
 ↑
あくまでも状況分析としてそういう意味だということです。
(彼がそれを利用するか否かは予測できませんが、彼が今まで自分でも気が付いていなかった「強迫心理バレバレ状態」な言動をさらしてしまった事は、彼自身にそれを考える気持ちがあれば”自分の心理を知るヒント”となる。←勿論そんな事は無かった的強弁の中心理的逃走する場合も十分可能性としてありますが、)


ですから彼がストーカーのようにおしかけてとか、大騒ぎになりなどのような心配は(勿論当事者としてそう心配する気持ちはわかりますが)心理的な分析としては「むしろ過剰に認知されがち」なぐらいに思っておく方がいいでしょう。
「こういうことあると、自分でも”過剰に認知されがち”な事例だなこれは(現実のリスクは心配するほどでもない)」
のように考えておくところだという事です。
(繰り返しになりますが、過去事例や心理的分析からも「あまり気にしなくても心配ありません」というのが妥当な線です。)


※補足すると犯罪性心理のように刑事事件的な行為を引き起こす場合(犯罪心理とメンタルとは関係が無いので)彼は普段から刑事事件的な問題をあちこちで起こしている場合となるので、今回の場合それも適応外です。
”犯罪性”というのもそれ自体がメンタル系の状態ではなく”モチーフのひとつ”であって(強迫心理がこれを都合よく解釈する場合はありますが)、人間の性善説や性悪説的思考が心理学の範疇超える話であるように(極論国が違えば何が違法かも違うワケで)、当初から(法学的違法性とは別に)「違法な事」的モチーフの選択なので(最初からそんな社会的認知を持つ強迫心理は無い)、「飲酒」や「薬物依存」などのような、自意識の選択を一度経ていないと選択されないため→違法性の選択はメンタルとは関係が無い(深い話になりますが「心理学的に考えれば刑法39条は成立しない」←自意識選択を必然とするので責任能力が無い事には選択されない:過失は例外として責任能力を欠く犯罪など無い=そこには何らかの自意識の関与があり→強迫心理単体では犯罪などの高度な動機形成立案能力を保持できない)、
つまり刑事犯的問題行動は常にそんな傾向が(素でも)見られる場合にのみ派生することになります。
(今回は犯罪心理がメインテーマでは無いのでそれ以上は説明しませんが、家庭内事件も問題は閉鎖性や無理な同居が発端となるので今回は「ひとぐらし」として家を出る話なので、その逆になります。←「事件性リスクは内向性(イメージの自己愛的肥大)が鍵」であるため。)


つまり自分にとっても彼のためにも、
▲「気にせず着々と家を出る方向に進めばよい」となります。


■今回の事例には更に重要な事実関係の確認があります。

正に一人暮らしに成功することにより「それは露見した」ワケですが、
精神分析であるとか、そのバックグラウンドで”推定”や”論証”されてきた親世代の強迫心理が、目に見える事実として「やはりそのままだった」事が確認されています。
彼の言動は(あえて心理的には不適当な差別表現を使います)「病気としかいいようがない」状態です。

ここを娘に対する家族依存ではなく(あえて心理的には不適当な差別表現を使います)「今度の話がマザコン中高年男の問題行動だったら?」として考えてみればもっとわかりやすく彼の強迫心理の姿が見えてきます。
『自己愛的な妄想とそこに依存するあまり現実を喪失するさま』
普段は目に見えていませんが、彼の深層心理や”現実認知”には常に今回暴露されたような”現実との乖離”があり、
(あえて心理的には不適当な差別表現を使います)
極端に言えば「彼は現実には存在しない”あっちの世界(幼児期に形成された幻想家族)”でしか通用しない偏向と幻想世界(蜃気楼のようなものです)に生きてきた」という事です。
そして彼が現実の行動(結婚生活)の中で実現しようとしていたのはそんな”この世に存在しない幻想家族の再生産(追体験)”だったワケで、
 ↑
やっかいな事ですが「そんな裏事情を彼自身(彼の自意識)もまったく自覚がなかった」ワケです。
(ここが心理学のキモですが)
(強迫心理の生成と自意識がまだ強固に成立していない自我というのはワンセットみたいなものなので、通常自我が強固に成立する前の自分の心理事情は逆トレースできない(これができたら自己分析できる”精神分析使い”って事になります)。)

一拍置いて
「まいったな〜」としみじみ考える時、
「やっぱりそういうことだったか」的な認知を深める事ができるでしょう。
(ここにはおおよそ家族と呼べるような社会ははなから存在しておらず、又彼らにはそれは無理な話で、自立というテーマは自分だけでなく他の家族だった彼ら全員に関わる問題だった。同時に「日本にとっても偏向の時代である昭和がプレゼンしていた”家族モデル”であるとか”クラスとしての家族”というような幻想に振り回されてしまった事例のひとつかもしれない」のような認知。)

視点を整えるとするならば、
(彼はひとりぐらしになるのではありませんが)
「自分のひとりぐらしによって彼らの自立も促す事になるワケだ」
と、考える事ができるワケです。

仮にですよ、
無理な同居が続いて、この隠れた心理が温存され(暴露することもなく)隠蔽され、このまま続いていたとしたら?
こう考える方が遥かに潜在リスクは高いでしょう。
ですから、
自分にとっても彼のためにも、
「気にせず着々と家を出る方向に進めばよい」となります。

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「新掲示板」移行完了しました。
livedoorよりOTD掲示板レンタルサービスの終了(H23/6)に伴い旧OTD掲示板は「サーバから削除されるまで閲覧は可能ですが書き込み等は不可」となっています。
※過去ログは保存済み(ヘッダーOTD過去ログリンク参照:HTML形式)
※H22年の書き込みは新掲示板に移行してありますからレスの継続がある場合ににはこちらの新掲示板の方に書き込んでください。

新掲示板の機能として表示関連の一部設定は変更可能です。


去年軽く触れましたが、公開掲示板への書き込みそのものに抵抗があって、且つ本格的分析依頼はハードルが高いって場合も大いにあると思われますから、今後「一回完結単発式の簡易相談」のようなものも(略式有料相談のような)検討してみます。

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移行先の掲示板は設置完了しているのですが、過去ログのアップと一部ログの新掲示板への移行(継続の可能性を考えてH22ログのみ新掲示板へ移行します)メンテナンス作業行いますので『H23/1月8日まで掲示板機能を停止します」』。

<移行に際して>
公開掲示板の管理人運営趣旨は『ログ閲覧の公共性』から、特別に規制はしてませんが原則(編集目的以外の)削除禁止で運営しているので、新掲示板ではその趣旨を明快化するためにスレッドそのものは機能として削除できない設計になってます。

■過去ログ化されたページはアーカイブなので、掲示板としての機能が失われてますので、諸般の事情で個別部分のログ削除の希望がある場合には新掲示板の方に削除依頼するか、問い合わせメール等で削除依頼となります。
(運営趣旨は基本削除禁止ですから「個人が特定される情報がある」等の”合理的理由がある場合に限り”となりますので、削除依頼の理由を必ず記載下さい)

■新掲示板URLは掲示板移行完了後アップします。
又、新掲示板移行後も当該OTD掲示板は閉鎖がH23年6月なのでその間閲覧可能です。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

※過去ログの蓄積も『ログ閲覧の公共性』的に相当量に達してます(返信内容が重複・反復事例も多くなってます)。
それに伴って新規投稿も頻度として減ってますし、新掲示板がHPサーバ実装となるところから、さらに『閲覧のみの利用』が主になってくると思われます。
(将来的には掲示板運営そのものの停止も検討してます)
今後の利用に際しては「書き込む前に過去ログを読む」をベースにしてください。
 ↓
メンタルな状況と公開開示版の利用という環境では「過去ログを読む」形の利用の方が効果的じゃないかとも思ってます。
本格的に分析となるとプライバシー管理上有料メールになりますし、公開掲示板のメリットは「広義の問題に対する着眼」であるとか「抑圧されている自意識の理論武装」となりますから、公開掲示板の限界として「個別具体的な部分は自主的に考えて、そもそもの自分の相談趣旨を先に進めてみる(自己分析という意味ではありません)」ところになります。

その場合の精神的負担は「過去ログの閲覧」の方がはるかに軽いですから、余力を残す分(一拍置く思考もやりやすいですし)『広義の問題意識』を先に進める上では過去ログ閲覧のみという手法には(限定的な目的ですが)優位性を置く事もあり得ると思ってます。
(それが可能なたけの過去ログ分量に達してます)

実際のところ匿名可能であったとしても公開掲示板に書き込みするのはかなりの勇気が必要でしょうから、『安価な簡易相談窓口』を実装する方が実情に合っているようにも思います。
この辺の構成もおいおい考えていこうと思ってます。

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【45】信じることが難しくなりました。  三毛森  - 2010/12/11 00:24 -

kagewariさん、三毛森と申します主婦です。
過去ログ含め 3回ほど通読させていただいて 自分の強迫に気がついて肩の荷が下りてきています。
(論理療法のように自意識の監査を徹底して入れようとするあまり、結局道徳に監視されてるじゃん。。。みたいに考え疲れで混乱もしておりますが)

信じることが難しいというのは、ここ数年の家庭の珍事(?)で目立つようになったと感じているのですが kagewariさんの回答など読み返すうち、小学生のころから親のことを信じていなかったことなど 付随してわらわらと想起されてしまって、起点すら不明な状態です。


■03年 主人の両親がリストラに合い、無一文&借金200万弱で故郷に帰ってきたこと。義父の脳梗塞の発作をきっかけに義母が一人で持ちきれなくなって、初めて打ち明けてきました。

義父・義母・義妹・義弟 全員が「お金が足らなかったら、友人・家族になきついたら何とかしてくれる」という行動を取っていることにショックをうけました。

生活保護の申請や、破産の処理を私が率先してなんとかかんとか、生活の安定を得ました。

■このころ、私は家族を監督できるのは私しかいないんじゃないだろうか と重圧を感じながらもやりがいを感じて テンションあがってしまって アルバイトも異常に全力で取り組んで、過労で病気になり退職したりしていました。

■05年 初期仏教系の本を読み、僧侶との対話に感動して宗教団体の法話を月二回聞きに行くぐらいハマる。
その僧侶は、「僧侶というのは大人の人のことも 親のように心配し導くのが仕事だ」というような話をされ、私は義父母・夫のたよりなさに憤慨していたのでコロリと子供のようになついてしまったのでした。

役に立つ人間であることや、常に生命全体の幸せを願って行動することや、心を綺麗に保つ(きづき)などをおおマジで実践しておりました。
(だって、ぱっと見悪いことでありようがないっていう 「普遍的な奇麗事」だから全信用しました)

■06年 修行というのは、自分の行っている行動・感覚に、言語できづきをいれるというものです。マインドフルネスという心理療法にも取り入れられているものですが、この団体では「心を綺麗にする、最終的には解脱(^〜^;)をめざす」という触れ込みで 気付きを完璧に一瞬のもれもなく入れるという結構 脳疲れがハードなものでした・・・・・。

06年春ごろ、その宗教団体の掲示板で、「僧侶の書き込みが、私だけにわかるように 私個人的な悩みに回答をしてくれている」という実感を持つようになりました。
(因果法則とか、タイミングのこととか、自分でも普通に頭を使って考えていたつもりですが 今は現実離れもはなはだしい、幻覚みたいな考えだったと思います。06年ごろは悩みもおちついて、明るく生活していただけに 精神病のような思考になっていたこと夢にも思いませんでした。)

■07年
僧侶の主観では、「正社員にならずアルバイトでいる人間は自立していない、仏教とは自立をめざさせる教えだ。」とのことで ハマっていた私は アルバイトと主婦業だけの自分が未熟で大人になりきれない者だと突きつけられたように感じて、すっかり自身をなくしてしまいました。
正社員・自立した大人 を目指して、方向もわからぬまま努力の空回り、自己嫌悪がますばかりの日々になってきました。


■08年 二度アルバイトに付くも、二回とも職場の女性とぎこちなくなってしまい、なぜか意地悪をされてしまったり 以前のように和気藹々と働けないことに大ショックをうけ 退職後、寝込んでしまいました。

■だんだん疑念がふくらみ、宗教団体には近づかないで半年、一年がすぎると 少しずつ自由な気持がもどってきました。いつも他人の幸せを願っているべきだとか、人の役に立たなければ自分がいる意味はいないとか、決して怒らないとか、そんなあり得ない良い子ちゃんを目指して(一見、美しい理想的プロパガンダですが)自分でボロボロになっていたのだろうと思いました。

■つじつまの合わないことを信じてしまうのは、論理面が弱いからだろうと クリティカルシンキングの本を読んだりしましたが、「自分が変なんだから、ここ直そう、直そう」っていう暗い基本姿勢みたいのがいまだ取れません。

■正当な南伝仏教だという その僧侶の理想的「お言葉」を「そりゃーそーかもしれねーけど、疲れてやってられねぇんだよ、おまぇだってショッチュウ怒ってんじゃんバーカ!」などと突っ込めるようになるまで 2年ぐらいかかりました。(だって、私にとっては権威のなかの権威だったんです、しかも僧侶の言葉は仏陀の言葉と思って聞け。みたいな・・・・突っ込み禁止令ですよ)
自分のバカ正直さ、洗脳しやすい考えの浅さに愛想が尽きてしまいました。
正論をはかれると、臨機応変に身をかわせないというか、、、、なんだったんでしょうか。。。

それで、親や、夫や、「とにかく無批判に受け入れたいもの」ほど、キチンと反論できるようにと考えるくせが付き始めているのですが・・・なんか、孤独でものすごく疲れてつらいのです。

言っている事を、そのまま信じたいと思ってしまいます。らくだから。


☆私の父母はふたりとも 塾講師です(父はもと高校教師)
義父母の借金の件などで相談した時、母は「気の小さい父に知られると、頭がおかしくなってしまうから秘密にしておくよ」と突き放すようなことを言ってドアを手早く閉めて終わりで、その後何度も母との歓談なども持てたのに、ひょっと落ち込んだりする瞬間に不信感と怒りの記憶が蒸し返してきます。
母との楽しい思い出が、想起できないのは ちょっとまだ病的かなとおもうのですが、、、

☆12才から19才まで、私は胸にしこりがあること乳がんだと思ってひとりでかかえていて、いつ死ぬのだろうか、母に波風をたてないように、ぎりぎりまで黙っておいてなるべく早くしんだらいいんじゃないだろうか。とかんがえていました。(何の保身?!)

一度は母に相談するも「がんかな(笑?!」とデリカシーの無いことをいわれ、多少感触でたしかめたあと「大人になればなくなる、大丈夫」となったのです。
回答に、安心せずにいた私は 親を疑っていたわけですよね。12歳が。
(人格形成にかかわるような年代の出来事なので、書いてみました。)


■疑うので、疲れ、仕事も長続きし無そうなので応募していません。


家の片づけをしていたら、21歳のとき「拒食症と親離れ心理の本に興味がある」と自分が書いた読書アンケートはがきを発見しました。
20歳で、バブル期の女子大生生活に溶け込めず つらくなって退学したころに書いたものです。


8歳上の兄は、20代のときに躁うつ病を発症して 今も年金で生活しています。
私もその体質があるのかもしれないと思いますが、三ヶ月交代ぐらいで落ち込みます。
それにしても 精神病や病気のことに私の興味が偏っていると感じます。
ただの、暗い考えぐせなんでしょうかね。。。

何が聞きたいのか、わからない書き込みでごめんなさいm(  )m
義父のこと、親のこと、夫のこと、僧侶のこと、思い出し怒りがこみあげてくると「しね!しね!しね!」と興奮しがちで 
職場でいじめてきた女のことを憎んでいたのが、最近夫のことまで しんだらいいと思えてきて 論理がおかしいというか、へ理屈でだれでもやりこめてやれみたいになってきてつらいです。

なにかお気づきの点などあれば、アドバイスお願いいたします。
お忙しい中、読んでいただきありがとうございました。

引用なし

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【46】非常にとっちらかってますね  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2010/12/11 19:47 -

思うにこの論旨の不明瞭さがそのまま現状を表すひとつの”形”なのでしょう。
(一種の躁状態なのだと思います)
パズルのように順番を組みなおして且つ(意味が無いと言えば語弊ありますが)強迫心理の武勇伝のようなエピソードは削除して文章を再構成していくといくつかのポイントが見えてきます。

■以降正直「けっこうシリアスな内容」になってます。
じっくり時間をかけて(数日に分割するなど)読み進むか、
心理的に幾分でも余裕感のある時に、無理をしない程度に読み、一度通読されたら「必ず繰り返し反読してください」。
(以降の分析は限られた情報の中でのものですから一部推測・推定を含んでいます。)


念のため行間空けます


<本文>
>義父のこと、親のこと、夫のこと、僧侶のこと、思い出し怒りがこみあげてくると「しね!しね!しね!」と興奮しがちで職場でいじめてきた女のことを憎んでいたのが、最近夫のことまで しんだらいいと思えてきて 論理がおかしいというか、へ理屈でだれでもやりこめてやれみたいになってきてつらいです。
 ↑
この部分は文章表現ではやや明るい調子で(絵文字も込みで)記載されていますが、
着眼として『一種の躁状態』の存在を前提とすれば、深層心理は想像以上に深刻な問題で(メンタルな状況は一般事例より犯罪などとの関連は低く動機形成されることは無いのですが)、衝動的な事故は誰にでも起こりうる事で深刻に捉えるべき部分でしょう(三毛森さんの場合にはメンタルな状況における衝動性となるので→急性の状況変化であるとか急激な躁鬱の転換であるとか)。
私は何か犯罪めいた事柄が起きると言っているのでは無くって、「強迫心理の予告」というか(もちろんメンタルな状況においてその主眼は”ハッタリのためのハッタリ”ですから無視できる範囲なのですが)強迫心理の強迫心理のための”脅迫”のような着眼が(或いは投影ネタが)深層心理に一定スケールのイメージで構成されている事になるので(それが無意識下で構成され特定パターンで興奮するサイクルを持って現在の自我がかろうじてバランスを保っている)、火薬の入っていない地雷というかそういうものなんですが、見た目武器のようなものには違いなく(撃つ気も知識も何も無いが間違って手にしたモデルガンが心理的に本物と解釈されて、知識無く銃を持った人間特有の興奮(トリガーハッピー)の要因となるようなリスク)、潜在的にそれはやっぱり危険だし、深刻な問題と捉えておいて損は無いだろうという趣旨です。
(小児系サディズムのようなモチベーションの倒錯があるのは事実でしょう)

現況を判断する上で情報量としては乏しいのですが
>8歳上の兄は、20代のときに躁うつ病を発症して 今も年金で生活しています。
>私もその体質があるのかもしれないと思いますが、三ヶ月交代ぐらいで落ち込みます。
>私の父母はふたりとも 塾講師です(父はもと高校教師)
>気の小さい父に知られると、頭がおかしくなってしまう
権威職、特に両親教師などが心理的な意味の『リスクファミリー』とも呼べる(金持ちの家に生まれるのと同規模ぐらい)おおよそ環境として歓迎できる状況では無いのは(過去ログ読まれているとのことで)説明するまでも無いでしょう。

そして兄弟のうち間違いなく躁鬱症の人物がいるのであれば、他の兄弟にも何らかの影響があるのは(自力解決に成功している過程などの論証が無い限り)ほぼ間違い無い。
となりますから、冒頭説明の「一種の躁状態なのだと思います」の仮説はそれなりの信憑性が証明されます。

■この話で最も重要視すべきなのは
強迫構造なり強迫意識なりが問題の中心であれば書き込みのコアは『実の両親の話』になっているべきですが、実態は誰が読んでもわかるとおりで「義父・義母・義妹・義弟・夫・僧侶」全員『義理』です。(夫も僧侶も非血縁)
勿論これは「あからさまな共依存」であり、『義理』メンバーを確保するため夫であり、それが食いたリ無い時の代用(投影対象)が僧侶であったのも特別説明の必要も無く鉄板です。
彼らは自我内部の強迫心理であったり権威(取り込まれた実の両親)に対する依存的部分を『盛大に投影劇を繰り広げるためにスカウティングされたメンバー』と考えるまでも無く証明されます。
>親や、夫や、「とにかく無批判に受け入れたいもの」
”モノ”なんですよ、私の投影劇を繰り広げるための舞台装置に過ぎない存在です。
(上記の”無批判”という言葉の使い方に二重三重の意味があって、これは既に自分の中で彼らの役柄が決まっているから”無批判対象”たりうるのであって、逆さに言えば彼らが好き勝手に本音なぞを言う権利は無くちゃんと配役どうりのヘタレでいろよと、)

ですから
>なんか、孤独でものすごく疲れてつらいのです。
これはあたりまえですよね。
「超主役のための(もうほとんど独り舞台)道具(モノ)」との関係もクソも、(権威者との関係で)超人枠である自分だけの世界ですから。

話は戻りますが『私の投影劇』の狙いは
「家族を監督できるのは私しかいない」興奮であり(最高権威者に最も近いのは私だ「コロリと子供のようになついてしまった」)
「親のように心配し導くのが仕事だ」そのために「私は義父母・夫のたよりなさ」が評価されスカウティングされており、
これが企みとしてハマったためエスカレートし(ブレーキが効かなくなり)
>その宗教団体の掲示板で、「僧侶の書き込みが、私だけにわかるように 私個人的な悩みに回答をしてくれている」という実感を持つようになりました。
強迫心理の絵柄(神格化された権威者と寵愛を受ける選ばれた子供)がそのまま満足される恍惚状態(錯乱状態)になり、
あたかも誇大妄想が実体化したかのような非常に危険な状態となったが、
 ↓
(あえて言いますが)流石インチキ新興宗教だっため詰めが甘く強迫心理にとって禁句の”自立”(「仏教とは自立をめざさせる教えだ」)を口にしていまったために、『誇大妄想が実体化の夢』がガタガタと崩壊。

>自分のバカ正直さ、洗脳しやすい考えの浅さに愛想が尽きてしまいました。
 ↑
この言葉は一件強迫的な論理矛盾に自分で気が付いたかのように見えますが「違います」。
上記の言葉は→『誇大妄想が実体化の夢』がガタガタと崩壊ところからくる”悪態”であって、
「なんだ随分面白い劇団だと思ってついてきたが、落ちが全然なってネーよ(俺の強迫心理が全然カタルシスなってネーだろ)」という”幻滅”であって、
だからこそ
 ↓
>正論をはかれると、臨機応変に身をかわせないというか、、、、
臨機応変にできればいいとかでは無くって、
こっちに持ちあわせている論旨は「自意識空っぽ」で「強迫心理的捏造だけ」だったというオチです。

仕事先のサイドストーリーは
>職場でいじめてきた女のことを憎んでいたのが、
>二回とも職場の女性とぎこちなくなってしまい、なぜか意地悪をされてしまったり
境界例ほどの問題では無いでしょうが、
強迫心理系の視野狭窄(一般用例では無くメンタルな意味での自己中心性(ナルチシズム)など)における社会との軋轢(一般社会は容易に個人の投影劇を認めませんから)、ここには特段意味はありません。
あるとすれば、強迫心理状態で「現実との乖離がある」という論証ですね。

■発端となった実家における心象風景
これを限定的な情報から再構成してみると、
>20歳で、バブル期の女子大生生活に溶け込めずつらくなって退学
>12才から19才まで、私は胸にしこりがあること乳がんだと思ってひとりでかかえていて、
>21歳のとき「拒食症と親離れ心理の本に興味がある」と自分が書いた読書アンケートはがき

単純に繋げていくと
>母との楽しい思い出が、想起できないのは
『無いから』です。
無い事の違和感は「脳内では強烈な快感依存関係のような想定」があるからで(あるべき筈のように)、
無意識下における両親えのエディプス的固着と、両親の人格の問題、
更に思春期に強い自立ストレス(性への拒絶)があり(精神的ストレスにより癒着のような身体症状が出ていたとみても不思議ではありません→”しこり”)。
>母に波風をたてないように、ぎりぎりまで黙っておいてなるべく早くしんだらいいんじゃないだろうか。とかんがえていました。
母親に対する超絶的権威の投影、
(背景事情としてその母親をして「気の小さい父に知られると、頭がおかしくなってしまう」ほどその監視下に置かれている”弱者ヘタレ役の父”)
読者アンケートハガキの記憶が不鮮明な事になっているのは、都合の悪いものを抑圧する構造があるためで、もちろんその記憶は視野の端っこにはチラチラと見えていて躁状態の興奮ボルテージが後退すると視界に浮上し→「三ヶ月交代ぐらいで落ち込みます」。
>それにしても 精神病や病気のことに私の興味が偏っていると感じます。
偏っていると感じるのは「バレちゃ困る強迫心理」であり、
 ↓
>ただの、暗い考えぐせなんでしょうかね。。。
と、チラチラ見える「アンケートハガキ」をその都度抑圧しようと試みている。
(今回の書き込みも、一見意味不明な方向に振って幾分でも返信が”問題のコア”から離れるような形式となっている→イロイロ書きましたが「ただの、暗い考えぐせなんでしょうかね?」)


■恐らく今回の文章の件名としてもっとも適しているのは
『親離れ』
でしょう。
そして実際のタイトルである
『信じることが難しくなりました。』
この信じるって何かって言うと、強迫心理的ロジックの事で、その一部をデ・コードすると、
『私の投影劇が難しくなりました。』となります。

「このままじゃヤバイ」という体感はあるが、
「何のことだかよくわからない」(強迫心理の抑圧:視野リミッター)
 ↓
>論理がおかしいというか、へ理屈でだれでもやりこめてやれみたいになってきてつらいです。
論理が破綻し、強迫心理が自己防衛のため”過剰防衛衝動”を引き起こしている。
強迫心理の(ある筈の無い)正当性が(うまいこと興奮によってマスキングし続ける事ができなくなり)維持できなくなりつつあり、抑圧していた筈の『読書アンケートはがき』がチラチラどころが目の前にチラつくようになってきた。
(これが見えるって事は実家の家族時代の記憶が再浮上することであり:トリガーは「突き放すようなことを言ってドアを手早く閉めて終わり(母)」)
それはヤバイ(実家の家族時代の記憶)ため、真意を気取られぬように「不明瞭さがそのまま現状を表すひとつの”形”」の文章になった。
(その話は文章にするのも”タブー”だ)

さてこの状況を三毛森さんがどう考えるのかって事です。
精神分析な何ら(どうあるべきのような)志向性を持ちませんから(極端に言えば自ら強迫的人生を選択するのであれば”ノーコメント”です)、それは自ら選ぶ事です。
かといって「何を考えるのか、何を選ぶのかそもそもよくわからない」という状況に対して(勿論情報は断片的なので一部推測ですが)「おおよそこういう事が起きているのでしょう」という事をもって私の返信とします。

引用なし

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【47】返信ありがとうございます。  三毛森  - 2010/12/12 22:38 -

kagewariさん、こんばんわ。
サイト移転などお忙しそうなときに、まとまりのない質問でお時間とらせてしまいましたね。重ねて御礼申し上げます。

返信がおくれてすみません。
今日はノロウィルスのような症状で、朝食後から夜八時過ぎまで寝付いておりました。
よく寝たので、最初の投稿の時よりは多少頭がすっきりしています。

おっしゃるように、レスを分割しながら読み込んでいこうとおもいます。


母との楽しい思い出は無いのではありませんでした。私がうつ傾向のときは楽しい思いでが想起できにくいようです。
一緒にデパ地下でたこ焼きを食べたり、公園のブランコでかっぱえびせんを食料に私たちを船員にして「海賊船が嵐にあったごっこ」をしてくれたこと、旅行先で川くだりして、売店で虹模様のボールを持った子猫のおもちゃを買ってくれたことなど 今日の夕方思い出されました。

父が高校教師を退職して学習塾を起業したころから、母に感情のないロボットのような話し方や 冷徹な結果優先の言い方が増えてきました。

母を神格化のところから、普通のおばさんだと腑に落ちるまで検証するっていうことでよいのですか?

また、元気なときに返信させていただきます。
示唆にとんだレスありがとうございました!

引用なし

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【48】返信はむしろ早すぎるぐらいです  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2010/12/13 21:41 -

ボリューム的に返信うけて考え・参考に何か認識するまで一週間近くかかって不思議じゃありません。
(有料相談の場合スケジュール管理も同時に行っているケース少なくありません。詳細は守秘義務にも関わる事なのでお話できませんが、工程によっては数日の場合もありますし、一ヵ月や年間何回的なもの等、基本的に終了が近づけば間隔が長くなり→やりとりそのものが終わる事で完結しますので、)

というかメンタルな局面で何かある場合、
乱暴に言えば「即レス可能なのは強迫心理だけ」なんですよ。
(『被(こうむる)』・内向・パッシブ・リアクテイブ・レスポンス・反動・オートマチック)
対立概念が自意識主導となりますから、
(『抗(あらがう)』・外向・アクティブ・リアル・オルタナティブ・主導・主動・マニュアル)
メンタルな局面=自意識に対する抑圧傾向(を行う強迫心理)となるので、過去ログでは『一拍置く』と表現する事が多いですが、認知速度の速さというか早い判断(=衝動に近い:自意識の関与が少ない)は、どうしても強迫心理主動となりやすい。

典型的な特徴が(返信を与件化して参考に「そうだろうの前提でアレコレ考えてみて」何かコメントが出てくるところが←それなりの時間を必要とする筈です)返信では無く『反論形式』。
>母との楽しい思い出は無いのではありませんでした。
(事実関係を争っているのではなく「○○だった」から「○○である」のプロセス論なんです。ですから証拠集めは必要ではありません、むしろニュアンスとして「いやこうだったかも」のような違和感は大事ですが、ダイレクトに反論系にロジックが倣ってしまうのには注意が必要なのです。)

<話は戻りますが>
これはマズイと(ほぼオートマチックに)強迫心理が(防衛反応として)レスポンスする。
自我の状況がかなり苛烈な葛藤を抱えている場合には、「即レス上等」で論争化してもいい場合もあるのですが(強迫心理が非常に強く押し出されていて(深度では無く度合として)自意識にロジックを伝達する局面で”こじ開ける的”状況も必要な場合など)、
三毛森さんの状況は「かなりの事が既に視野に入っている(端的に言えば薄々知っている)」状況に思いますから、一週間なり一ヵ月なり間隔開けた方がよりベターに思います。
急ぐと強迫心理に干渉されて「あらぬほうに話がそれる」事もあり得ます。

今回の場合即レスでも事実関係や情報など自我にとって解釈の余地が無いものは(強迫心理が介入しにくい)、有効性の高いものになりますから、
>父が高校教師を退職して学習塾を起業したころから、母に感情のないロボットのような話し方や
>冷徹な結果優先の言い方が増えてきました。
 ↑
こういうプロセスを”何か関係あることかも”とじっくり時間をかけて(時間をかけられるとそれだけで強迫心理は弱体化します)(初回返信を参考として)帰想・回想すすめることがベターです。

ですから返信作成の期間など全く気にしなくて構いませんので、
(そこは心配されなくても大丈夫です)
概略的内容となる公開掲示板の利用方法としては返信無しでも→そういう使い方もアリだと思ってます。

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【8】会食恐怖のこと  maccha  - 2010/03/17 13:04 -

プロフィールを拝見しまして、大学の時に会食恐怖があったとのことでしたが、どのようにされたのでしょうか。
精神分析を独自でされたのでしょうか。

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【9】Re:会食恐怖のこと  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2010/03/17 16:57 -

概ねプロフィールに書いたとおりです。
(それ以上でもそれ以下でも無い範囲で全て書いてありますよ)

要約すれば元々私には偶然強い第三者性と単独者志向があり(両者は分析者の特性)、心理学を知る前から「違和感」は感じていました。
(心理学を知る前から”共同幻想”は体験的に見えてましたから)
言うならば上記の素養が強迫心理における”無意識的視野外”というか(自分で違和感は感じていましたから視野狭窄とはいえない)、強迫意識が構造化できなかったワケです(偶然その耐性が強かったといってもいいでしょう)。
アレルギー反応じゃ無いですが、自我の容量というか自意識共犯的「尻拭い」の動きも『リアルに視野に入ってました』。

人格の特性に相反する要素が強引に共存していて(仮に強迫構造が構造化すれば”臨床系”あたりに言わせれば統合ナントカになる確率が高かったのでしょう)、自意識は典型的な”アンチ強迫”・無意識は”高ロジカル強迫”のような状態で(強迫が高ロジカルなのは発現年次が遅い証明)、厳密に言えば強迫心理は形成されず、『強烈な葛藤が(正面対決の形で)永遠に継続する』ような状態だったワケです。
強迫心理は(視野狭窄が機能せず)、自分自身の自我に「その存在がバレていた」わけで(自我構造上自意識に勝ち目は無いのですが)、結果論的には『敗退し続ける自意識』という形ですね。

ですから当時は勝ち身に入るため、非常に強い理論武装欲求があり、その強い欲求が『本』『映画』『音楽』等々(銃器への関心は強迫発現以前からのものなので反動形成ではありませんが結果論的に後に強い欲求に嵩じた背景ではあるでしょう:但し強迫意識との連想キーやフラグは無いので専ら関心事項としては競技っぽく没頭していたのが実情です)、学問で言えば哲学・生物学・文化人類系の話のほとんどをこの時代に吸収しています。
(中学から大学まで)

しかしどうにも(何の本を読んでも)勝ち身に入れないワケです、
(ここは心理学的にどうしたって勝てない:無意識は自意識にとって正体不明のため)
※当時から心理学の存在は知ってましたが「うかつにも」軽んじていたんです。卑下していたと言ってもいいでしょう。
 ↓
その理由は強迫意識の影響による『誇大視からくる劇場化(過剰武装)』があったのは間違いありません。
所謂哲学なり「過剰なぐらい情緒的というか(反動としてのニヒリズム含めて)」、簡単に言えば”大風呂敷”ですね(神は死んだ的な)、そういう代物じゃないと闘争の役に立たないと勘違いしていたんですよ。
 ↑
その体感上の『強迫意識のスケール計測ミス』が致命傷だった。
(それが「相手が見えないので自意識には太刀打ちできない」所以です)
私の場合(偶然自我の特性で)「存在を認識できても実態がわからない」状況だったワケです。

しかし、その代わりに(見えない期間の代償として)三角測量じゃありませんが様々な理論武装の結果『外堀は埋まった』状態まで追い込んでいました。
(推理小説にたとえれば「最後の主犯と犯行動機だけがわからない」状態)
自分の自我に起きていた「妙な現象」における周辺的(間接証拠的)プルーフ(証明)は「何度も何度も嫌ってほど繰り返して固まっていた」と言ってもいいでしょう。

心理学への拒否感は”偶然の友人との関係”により(生き証人というか驚くほど二人の人格が”同じ”であることと誕生日が同じという偶然が”蓋然性を誇張した”結果サイドストーリーとして心理学に過剰な劇場性を付加してしまった)、
正直な話「彼のおかげで心理学に取り組むキッカケをもらった」んです。

ですから心理学の本を読んだ瞬間ガタガタと強迫意識が崩壊する音が聞こえたように錯覚するほどの衝撃ありました。
(外堀が埋まっていたので”覚醒”級のショックがあった)
「お前か」のように”理解した”んです。
読むのと自己分析が同時進行するような形ですね。
(それまでの理論武装の方向性も”数撃ちゃ当たるでいい線いってた”のもそれを加速したと言えるかもしれません)

本来自己分析は臨床系含めて「危険なので厳禁」とされているんですが(私は必ずしもそれほど強く危険性を感じませんが危険なのは事実です:繰り返しますが確かに自己分析には危険性あります)、
特に私は「読み違える(強迫意識の方が都合よく自意識共犯的ステレオタイプ武装する事もあります)」余地が無かったので(外堀埋め)、衝撃は衝撃でしたが(新聞記者が”特ダネ”を掴んだ瞬間のような感覚)、それまで意味のわからなかった文学やら哲学やらの意味が「一斉に全部わかった」等、勢い心理学の”重さ”を証明させる背景があった事も大きかったのでしょう。
自我防衛的な『抵抗』が起きる余地も無いほどの”大返し”だったワケです。
(『抵抗』の存在自体葛藤や闘争時に既に体験していたので動き方を知っていたとも言えますが)

(文学に関しては文学部的情緒性への解釈って意味ではありませんよ:作家がどういう心理でそれを書くに至ったのかって心理学特有のネタバレ的なところが理解できたワケです)
その場で勝ちどきを挙げるって事ではなく、強迫意識を破壊する『最終兵器』を手にした確信でしょうか。

そりゃ自意識マターが確立し、強迫心理の介入なり抑圧は相対ほとんど無力化されたにしろ「それなりの長期間強迫意識に拘束されていましたから(12才前後から20歳前後まで)」慣習的に”折り込まれた”ロジックは多数あって、その場で論駁できても身体的反射は一日で消える事はありませんから、会食時にはほんの一口が限界だとか集団に対する恐怖→満員電車への恐怖等々(恐怖というか吐きそうになる)、そうですね〜軽い不快感はその後6年ぐらい続いたでしょうか。
(しかしその辺の不快は全て視野に入って認識していましたから自分としては不快があっても、現象として”走るのが苦手なので息が上がる”のと違いはありませんでした:心因性特有の気まずい感じは若干ありましたが)
 ↑
この辺はリハビリ過程のようなものなので実態として心因性の不快は発生しても心理構造的な問題(希求性というか追い込まれる感じ)は全く無いって事です。
「まいったな〜、まだ満員電車だけはご勘弁だ」程度のレベルです。

注)心因性の不快のかなりの部分は強迫心理特有の「過剰な社会適応意識」が関与するので、結果論として自ら進んで不快な状況に陥るケースも頻繁なので(いわば自爆)、そっちの見当違いはケースとして”動機形成されないので”落っこちますから(馬鹿か自分のように)、実際の不快事例件数も大幅に後退します。
(元々の人格が社会適応的だったりするとここはやっかいなのですが、私の場合は元が単独者系でしたので同様場面の減少幅も大きかったと言えます)

強迫心理との闘争は『最終兵器を手にした実感』で既に終わっているんですよ(実際に戦いがあるように感じるのは”常に自意識が負けるから”抑圧なり負けて自意識共犯となる感覚や経験や追体験が闘争と認識されるだけ:私の場合には視野に入り自意識がアンチ強迫モデルなので闘争になりますが、一般的な強迫意識の場合には”過剰な興奮”となるケースが比較多数でしょう)、

強迫心理は構造論的に自意識に対して『特権的関与』ができるから相対的に強いだけであって、反対に『特権的な力』が相対的に及ばなければ(最終兵器)「何もできない」からです。
(強迫心理形成過程で”権威性”との関連は不可分であるため)

※前段の以降6年残存期間というのはどうにもこうにも超自我領域(社会適応や道徳野やステレオタイプ常識判例)に、当時のロジックが残留しているためで(後は体が”しゃっくり”のような反射で引き起こしてしまう)、
特に意識することなく経験値により消えていきます。
(何があってもその都度自分の強迫的認知を容易に論駁できる:その場では起きてもそこで現象の説明が同時に可能なので尾を引かない:体験としての対消滅みたいなものです)

引用なし

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【10】Re:会食恐怖のこと  maccha  - 2010/03/18 08:11 -

返信ありがとうございました。
私も仕事に支障をきたすほど苦手なのでどう克服すればいいのか知りたかったのです。なぜ、こうなるのかはわかりません。
超自我が強すぎるため、抑圧が多く、自我が弱いと自己分析しています。
幼少の頃は、母親が大好きでした。
性格は、気が小さく、大人しく、緊張しやすいです

引用なし

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【11】Re:会食恐怖のこと  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2010/03/18 18:17 -

公開掲示板上でお話できる範囲で説明しますと
会食恐怖は二段階で考えなければならなくて、
単独行動捕食獣のそれにあるように、基本生物は食事中緊張します。
好き好んで他の固体がいる場面で食事しようという生き物はいません。
集団で食事が出来る前提は(捕食獣でも幼児期は集団で食事を取る)「その場の安全確認」が大前提になります。
草食獣で考えれば集団安全保障的な意味で群れが食事の前提にもなりますが、ここも「その場の安全確認」が強く担保され認識もされるためです。

人間の場合、ここでも幼児期からの体験と経験的連続性(或いは社会性)がそれを保証するため(本来は好き好んで会食などしたくなくても)不快感が無力化される工程が織り込まれる(モジュール的に)と考えていいでしょう。
■つまり
素で「会食自体がそれほど好きではない」程度の認識は全く問題ではない。
会食における可不可の差異があって自然
 ↓
「○○が○○なので飯が不味くなるじゃねーか」
(これ一般的表現にありますよね)

会食恐怖と体感されるっていうのは、基本的水準として『緊張(警戒)レベルが高い』ため忌避がトリガーで心因性の不快に増幅しているとなります。
(不安水準みたいに解釈してもいいでしょう)
となると、ここには心理学的意味での結果論的自己中心性(自己中心の視野が限界でそれで手一杯である)なり更に進んで内向性なりが発現しているとなります。
基本的に先進国として安全が担保されている市民社会が「安全圏」として認知されていないって事です。
 ↑
ここには複数のルートで可能性あります
・過剰な社会適応意識があり「相対的に自分がスキルとして適応水準に達していないのじゃないか?」のような不安が増大している。
(そもそも社会適応しなくちゃいけない法など無いので本筋は「社会適応そのものがどうだっていいこと」なので、そこがどうだっていいじゃなくて”○○じゃなくてはいけない”になってないか確認)
この場合、家庭法人社会において意味不明な社会性の欠如が体験としてあった場合、子供特有の強迫心理として「自分のスキルに問題があるのではないか」と考えてしまい(実は親の家族法人社会の企画に問題があるのに)、誰が考えてもわかる話ですが、家父長でも無い子供に家族法人の社会性を主体的に運営する事などできませんから→自分からは(無意識に)永久に解決しない問題の原因を自分じゃないかと勘違いする事により派生する強迫心理が原因となります。
■「超自我が強すぎる」って体感はココでしょう
(超自我に強弱なんてありません:ここも最下段に説明ありますが明快に論理的説明のつく人格傾向です→「何か理由がある」って事です)

※例外的に子供個人の才能の関係で、かなり強引に子供の尽力でどうにかこうにか家族法人の社会性を立て直ししてしまって(過労依存とでもいましょうか)その度に高度のストレス(大活躍をデフォルトに織り込んでいる)が恒常化することによる強迫性も在り得ます。


お話伺うと、もうひとつのルートがあるでしょう。
(可能性はこっちがかなり濃厚ですね)
・母子関係の『過干渉』が原因で分離不安が発生している
これは、母親の不安心理(強迫的不安:家族法人となんら関係ない個人レベルで彼女自身の自我に心理的問題がある)が原因で、子供依存であるとか子供を母親の自我(内面)の一部として(他人である子供と自分の区別が付かず)自己(母親の幼児性人格部分)を実子に投影して、ぬいぐるみを手放せない幼児のような心理的事情が母親にあった場合(延べ時間とか具体的な過干渉頻度は関係ありませんあくまでも心理的な印象性が高ければ同じ意味です)、
母子関係は幼児にとって「かなり高い既得権益(快感)」になりますから、それに依存し続ける状態を『デフォルトじゃないか?』のように誤認してしまいます。
(強迫の置き所は「母性のようなものに守られない限り私は不安になる」というロジックが強迫的に構造化する)
極論すると自分が「子供のぬいぐるみ役」に貶められている事(実態としては虐待)を「美しい母子愛世界」であるかのように勘違い(誇大視)してしまうワケです。
こうなると、他人同士の関係を前提とする社会性は「それ自体が不安の対象」となり、『常に会食どころの騒ぎじゃない』となるのです。
■この濃密な母子世界の誇張されたイメージが「超自我が強すぎる」と体感される自我の枠組み(相対として”自分”である”自意識領域”が少ない)を設定していると見ることもできるでしょう。
(「濃密な母子世界の誇張されたイメージ」の成立条件に道徳や社会適応が関連して超自我を形成←注、そこには自立独立した自分個人の自由世界は無い)


立ち食い蕎麦の会食恐怖より会社同僚などとの知り合い同士の会食恐怖の方が強く出ます。
 ↓
ここはそのまま”連想性”です。
社会性認知の前提が家族法人時代を母体とするため、親しげな雰囲気があるなり親しげな雰囲気が演出されている状況になればなるほど「違和感(不安)も大きくなる」
 ↑
この二面性は「表面に出ていなかっただけで、母子関係の分離不安という状態は実は”自分が子供時代に所属した家族法人の中に既に会食恐怖が隠れていただけ”」って事なんですよ。
わかります?
特権になればなるほど、その地位は危うくなります。
過剰な母親の子供依存なんかがあると、(分離不安として)当時から潜在的な会食恐怖の可能性は織り込まれていたんですよ。
で、「分離をトリガーに発動」

この辺を見直してみることですね。
ポイントとしては
「不特定多数の人と飯食ってうまい筈は無い」
(高級レストランだって高い席になればなるほど個室になる)
会食や飲食の重要性は会話の方だったりしますから(食事はその”方便”)、会食行為そのものを「食べ物にはほとんど手を付けなくても何か飲めればいいか」程度のジャンルの行動と定義してしまう。
(後から考えたら「あの時は偶然うまかった」とかあっても困らないワケですからね)

「家族の肖像」を考える、
配役というか、家族ドラマにおけるシナリオ上の人物設定を”書き換える”。
(現在自分が想定する人物設定が「相当間違っているのじゃないか?」を出発点にしてみる)
あれこれとシミュレーションして、「あれ?こうかも」など演出家的視点でドラマの再現性や表現性を考えてみる。

「微妙に親しいとか知り合いと赤の他人」を考える
赤の他人の方が楽だったりします、
案外自己中心的に親しげな関係を過大評価して(たいして親しくも無いのに)自分で追体験のトリガーを引いちゃっている可能性もあります。
・屋外のcafeでひとりで何か食べながらリラックスして珈琲飲んでいる時、偶然「目の前歩く歩行者がいるだけでゲロ吐く奴はいない」。
「なんだ、考えてみれば顔見知りってぐらいで全然他人だし」という切り分けにもチェック必要でしょうね。

■重要なところですが心理学的に『正格』などというものは存在しません
(人格傾向として全てに論理的背景がある:六感の特性であるとか生理的傾向みたいな差異はまた別の話)
この点に関しては
「何故”気が小さい”などという傾向があるのか?」
「何故”おとなしい”などという傾向があるのか?」
「何故”緊張しやすい”のか?」
全てに堂々と即答できるように(薄笑いを浮かべつつよく通る声で答えられるようなレベルで)、まずあれこれ考えてみるって事ですね。
(※これ自分に詰問して追い込むとかと全然違いますからね→「何故そんな面白おかしな傾向あるんだろ」のように素で考えるって事です)


今現在の情報だと、公開掲示板でお説明できるところはプライバシーの関係もあるのでこの辺までですね〜
(細かいところは他相談スレッドの過去ログ読んでみて下さい)

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【12】Re:会食恐怖のこと  maccha  - 2010/03/19 07:49 -

貴重なお時間を割いて頂いてありがとうございます
有料相談を検討したほうがいいのかもしれませんが、恥ずかしながらお金がありません。ワーキングプアなのです。今は新しい職場にいくので自分のことを考える時間があります。仕事がはじまるとあっぷあっぷします。
問題が会食恐怖でないこともわかっています。かなりの緊張しいなのです。

しんどいのですが、しんどいことで落ち着く面もあるようなのです。うまくいくことを拒んでいるような感じ、自分を守っているような感じです。歪んでいるのですが、その歪んだ考えを修正してあげればいいと思っています。

母親が大好きで幼少期は母親の言うことをきくことに一生懸命でした。
人と仲良くしたいと思うとしんどいのは、いうことを聞かなきゃと思うからみたいなのです。

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【13】Re:会食恐怖のこと  kagewariこの掲示板の管理人です  - 2010/03/19 15:46 -

>有料相談を検討したほうがいいのかもしれませんが、恥ずかしながらお金がありません。ワーキングプアなのです。

これも考え方ですよ。

自分固有の分析には”それだけに”強迫心理の反動も強くでます。
ですから有料の枠組みは「主体的に相談を行う意思確認」なんです、
当然私にとっても生活がありますから無料で永遠に続ける事は不可能ですから有料の枠組みは様々な意味で重要な関係性のひとつですが(依存性抑止や第三者性の担保など)、これも考え方ですよ。
この無料掲示板の開放の意味は『膨大な過去ログを閲覧できる』という事であり(メンタル特有の共通項を確認できる筈です)他人の相談スレッドは”相談者含めて完全な第三者”となるので、自分固有の分析レポートとは別の意味の枠組みを持ちます。

自己分析の危険性が示唆するリスクに『他人の相談スレッドを読む』行為は対極にありますから”かなり余裕をもって十分に内容を読むことができる”んです。
それもひとつの「外堀」です、
「お金がありません」も考えようで、
だから今できることがあるって事ですよ。

さて重要なポイントをひとつ
(課題だと思ってください「400字20枚のレポート課題」)
>母親が大好きで幼少期は母親の言うことをきくことに一生懸命でした。

『母親が大好きで』
この記憶は正確じゃないって事です。
分離不安状態における依存性を自意識共犯的に説明する時に疑いも無く(ステレオタイプに)選択されただけで、
誰しも思春期における反抗期(自立と個の確立)に『盲目的肯定』を逆転させます。
(何が言いたいかって反抗期を体験する人の”それ以前の権威者に対する好感”は嘘ではないって意味です)
幼児期における権威者に対する好感には「無条件・無意識」な要素が大半で(好感の発現を記憶していない→反抗期で幼児期特有のデフォルメや無意識的固着を相殺し→後にひとりの個人として「関係性が再選択される」)、
わかります?
だから「〜でなければならない」となったり、
>人と仲良くしたい=(母親の)いうことを聞かなきゃ(ならない)
『盲目的肯定』を無垢と勘違いするから
>母親の言うことをきくことに一生懸命
ちょっと想像してみてください?
「妙な新興宗教みたいだ」と思いませんか。
■ひとつでも戒律を犯せば地獄に落ちる不安
(それを大好きと表現するのは正確じゃないでしょう「取り込まれていた」に近い、「囲われていた」に近いかもしれません)

この構造が強迫構造ってものです。
>人と仲良くしたい=(母親の)いうことを聞かなきゃ(ならない)
>母親の言うことをきくことに一生懸命
 ↓
だから
「しんどいのです」「緊張しいなのです」

>うまくいくことを拒んでいるような感じ、自分を守っているような感じです。
デ・コードします。
 ↓
自立して自分の考えに従って行動することを拒んでいるんです。いえ拒まれているんです”母親に従わなければいけない”と思う自分に。
自分は大人として自由にしちゃいけないんだと、
「”母親に従わなければいけない”と思う自分を守っているんだと思います」


■(課題だと思ってください「400字20枚のレポート課題」)
>母親が大好きで幼少期は母親の言うことをきくことに一生懸命でした。
 ↑
これが”どういうことか”述べよ
※条件過去ログを100件以上閲覧

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【42】Re:会食恐怖のこと  maccha  - 2010/10/08 16:16 -

掲示板を読まれている方には申し訳ございませんが、私がスレッドの立て方を間違えてしまったので、1090〜1115にとびます。

新しいスレッドを立てたくなかったので会食恐怖のことを続けて書きます。


返信なしが希望です。お忙しいのを承知しているのと、聞いてほしいだけだからです。他の方にも。


会食恐怖のこと。

人に言った。妹を入れて5人。
職場をやめた人。パートの方1人。
職場の人にもいずれ、言うかもしれない。

人事からそんな話は聞いていない、とか話が大きくなれば、やめるだろうし、どうなるかはわからない。


こわい。


私という人間を理解してもらうためには会食恐怖のこと、人にいったほうがいいような気がする。
会食恐怖は中2。13の春からずっと。
中学、高校、一浪、大学、就職、ブランク、就職。
会食恐怖を刺激しない仕事を考えて、いろいろ、ふり幅を考えているつもり。
人付き合い下手でも仕事はいる。働かないと。お金はいる。
今は食べる(飯の種。生きる)ことだけ考えている。
 
会食恐怖のことばかり考えている自分がばかばかしくなってきている。

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