Kagewari 精神分析相談事務所  HP  BLOG  過去ログ  有料メール相談 

「掲示板での相談、閲覧・有料メールカウンセリング」の過程では、自我の防衛反応による混乱(興奮)が現れます。精神分析的アプローチによる「自我構造(こころ)の揺れ」です。その点に同意の上入室してください。



70 望みと欲望の違いは すずらん 2002/12/02 03:25
いったいどこに分れ目があるのでしょうか。
意見と、我を通す。
甘えと頼る。
人それぞれなのはわかってるんですけれど、判断つかないと
難しいです。
そしてこれは、独り言です(笑)。
71 違いは立場 kage 2002/12/03 07:26
> 意見と、我を通す。

 客観的なのか恣意的なのか?

> 甘えと頼る。

(基本的に子供やペットでない限り甘える事は不可能だと思うけど)
 何のつもりで甘えるのか?相手を誰だと思ってるのか?
 何を頼るのか?その目的は?

 あんまし考えてもスッキリする答えは出ない。
 自分の立場を他者との関係性から認知しようと考えるからややこ
しくなるわけで、、
 つまるとこ自分は何をなんのつもりでどうしたいのか?
 そこんとこの意志が「不安」から不明瞭になると迷いになるんじゃ
なかろーか。
 
 面倒になって「言われるがまま」になりがちなのに注意。
 他者に自身が何を見て、何を信じたのか?そこがエゴの証明で、
甘えとか頼るとか意見とか我侭とかは、他者の評価であって、
本人がわかってたら実は関係無い話だってとこがポイントか、、

 ここにも他者(もっぱら家族時代の記憶)に「認知されないと
無価値じゃないのか不安」が流れてるって事だろ。
 
72 適応するのか すずらん 2002/12/04 00:30
不適応を通すのか。
どっちかがはっきりしないと、怖くて自分で認知できないのかも
しれないですね。

面倒になって「言われるがまま」になってるんじゃ、ないんです。
本人は「意見」で「頼る」のつもりなんですけどね。
周りからつつかれると、適応したい自分もいて、自分の意見に
自信がなくなってしまいます。不安になるって言った方が正しいかも
しれません。

自分で自分を、許してないのかもしれないなぁ。ふむ。
73 Re:適応 kagewari 2002/12/04 01:44
> 周りからつつかれると、適応したい自分もいて、

  実はね、いうほど関係者との関係は悪く無いんだ。
 関係に自己嫌悪のフィルターがかかって相対で傷つけられる「被る」感
 があるのさ。
  不適応は実のところ彼らを支配したい嫌悪意識の不満なんだと思う。
 
  一度切り捨てて感じるのがほんとの意味の孤独になると思う。思うよう
 に認められない怒りじゃなく、本質的な寂しさ。
  嫌悪意識は材料を失ってぼーっと立ちつくすのかもしれない。
  確かに「これでいいのに、、」と自分を思う事が怖いんだと思うよ。


78 言葉として すずらん 2002/12/27 01:15
願い事を吐き出してしまえば、今度は叶えてほしくなる。
でも、願い事なんて簡単に叶うものでもない。
強く願えば叶うものでもない。
言葉にせずに、自分の中でとどめておけば
「言ってもいないのに、叶うはずもないよな」って
無理矢理、誤魔化そうとする。でも、自分は誤魔化されない。
今度は「叶えてくれない」と、駄々をこねる。
出口は、どこにも、ないのかな。

自分を嫌いな自分に、飲み込まれていく。
子供の頃、好きな子をいじめる時の様に。
自分を嫌いな自分は、私を大嫌いにさせて
自分のものにしたいほど、私を好きなんだね。
迷惑な、愛情だ。
80 Re:叶えてもらう願い事 kage 2002/12/31 19:48
は「お願い〜してくれない」だから要求になる。
 要求は取引なので、それと見合った交換条件が必要になる。
 その要求に妥当性が無い時(願っている以上本人はそれを疑わない)問題の焦点
は交換条件へと移り自己嫌悪が起動する。

 要求でも「ちょっとそこをどいてくれないか」「どうかこの子を駅まで連れて行
ってもらえないか」「コーヒーおかわり」これらに悲壮感は無い。

 問題は要求の「妥当性」だと言える。
 何を何のために求めるのか、それを叶える人物の目的は?
 客観的に見たらいいと思う。
 その願いは社会現象として妥当なのか?だ

132 お仕事開始 すずらん 2003/03/02 17:22
派遣でお仕事開始です。半年以上の長期で。でも3月いっぱいまでは
試用期間。女の人ばっかりの職場で、逃げ場ないですー。
お昼も一緒、仕事時間も一緒。休憩時間も基本的に外出禁止。
一人で食事したいし、まわりとの人間関係気にしないで仕事がしたいよ。
業務内容だけが、私には合っていると思えるのに・・・。
わ、笑えねぇ・・・。
どうしたら笑顔、出来ますかねぇ?試用期間でやめちゃって、
次探しますか!!
・・・愚痴です。
133 次を探すのもありでしょ kage 2003/03/03 02:45
 でもどうでしょう、チェスタートンのパラドックスではないですが、木の葉を隠すなら森へ、、です。
 案外大手の職場は人が多いぶん人間関係は希薄です。
 仕事の内容に馴れてしまえば居心地よく過ごす可能性もゼロでは無いでしょう

 意外とそんなワケありで静かにしている人が(誰派という事が無いので)会社にとって重宝される事もあるのだと思います。
 職場では笑わなくてもいいのですから。
134 笑わなくても すずらん 2003/03/04 22:47
いいのかな?私の固定観念が強いせいなのかしら?
仕事場では愛想よく、誰とでも付き合えることを常に求められてきた
社会人生活だったような気がします。
うー、おじさんとかとだと、上手にお話できるし、笑顔も出るのに。
女の人が相手だと、笑わないだけでそのうち、敵に回される気がする。
きゃー、いやーんな感じ〜!!
・・・そしてパニック。
135 求められてきた kage 2003/03/05 13:54
誰とでも付き合えることを常に求められてきたのでしょうか?
 少なくともとも俺は職場で笑顔を求められた事は、17年の中で一度もありません
 年長の男には安らぎ、同年代の同性と緊張状態にある。
 競争意識の反対が「誰とでも(特に同性)付き合えることを常に求められてきた」
になるのでしょうか。感覚として、、ですが。
 とても不思議な事は、仕事の話が出てこないことです。
 最も大事な事は、社会における会社なるものの捉え方が個人で違いますから、それ
ぞれでしょうが、会社の利益の話しが出てきません。
 平たく言えば、社員は兵隊です。兵隊同士の関係も大事ですが、、、
戦果(表現悪いですが)が一番大事なのではないでしょうか。
 敵はライバル他社です。同僚ではありません。
136 求められては すずらん 2003/03/10 09:45
きていると思います。
会社に入って、社員さんに言われたのは「愛想よく。みんなと仲良く。和を
乱さないように」。
他の人の会社はわからないし、友達でそれができない人はいなかったから
他はどうだかわからなかったけど、私はそう言われましたねぇ。
「〜さんは女子社員のボスだから(ここのボスは「上司」のボスじゃなくて
派閥のボスと言う意味です)なるべく彼女の言う事を聞いておいてね」と
言われる事もありました。
仕事は仕事ですから、割り切ってしてます。仕事自体は楽しいだけに、
人付き合いで疲れてしまう。
みんなと同じところで笑わないと、同じ物を見ないと。
それが私には難しいんだけれど・・・。
138 Re:求められては 2003/03/10 20:23
迷ってるみたいに見える。

きっぱりと「みんなと同じ」を捨てる決断はできない。
そして何よりあなた自身が強く求めてるように見える。

「みんなと同じところで『心から楽しく』笑いたい」
  VS
「さて、今日はお昼は何にしよう・・・」

誰だって、会社での人間関係は疲れる。
笑顔がひきつってこめかみが痛くなる。
無理してるから笑いじわも深くなる。

できたら「いち抜けた」と言いたい人は多いはず。
でもなかなか実行する人はいない。
「一人が怖いから」

 同じ物を見て誰もが思いつくことを言う人間。
 同じ物を見て誰も思いつかないことを言う人間。
140 正直な話 すずらん 2003/03/12 15:48
迷っては、いるんだと思います。
今まで合わせて(合わせようとして)きた自分と、合わせられないことに
気づいている自分とで。
きっぱりと捨てる事で仕事に支障は出ないだろうか。
そんな不安が一番大きいかもしれません。

思いつくこと、自分が思いついたのか、合わせるために捻じ曲げて
だされる考えなのか。

自分でも自分がわからない。
ただ、ものを言うと変な顔では見られますが(笑)。
141 実際の 2003/03/13 09:13
人間関係の中に取り込まれると
ネットで話していた自分はいったいどこへやら。
みんなの言葉や行動が気になって仕方ない。
「私も同じようにしなくちゃ」

でも、もうあなたは気が付いてしまった。
みんなと同じことをすることの不気味さに。

映画や小説に自分の憧れる生き様を見つける。
ファッションもメイクも髪型も変えてしまう。
自分が分からないなら、どれか選んで試してみればいい。
最初は「模倣」でいいから。
街で見かける「変わった人」も、生まれた時から変わってるわけじゃない。
思考錯誤しながら、恥じをかきながら見つけていったもの。
自分を守るための「鎧」をそうやって作っていった。

「変な顔で見られる」
みんなと同じことを言ってるのに。なら言わなければいい。
もうその言葉にはあなたはないから。
みんなと違うことを言ってるから。なら当たり前。
「変な顔」の意味を探し続けるだけ。

あなたが周りに合わせなくても仕事には影響ないはず。
問題なのはあなたへの対処の方法が分からなくて、周りが支障を作る場合。
周りに自分がどんな人間なのか分かるようにすれ、ば結果は自然と見えてくる。

自分で自分が分からない。
それじゃ周りも「普通」だと、とりあえず思うしかない。
そして「普通」のことを要求し続ける。
142 自分 すずらん 2003/03/13 10:18
他の人は自分をどれだけ知っているんだろう?
私の知っている私、指摘されて気付く私、おそらく言われずに気づいていない
自分。
そうやって色んな方向からの自分を考えてしまうと「自分はこうだ」とは
言い切れなくなってしまってます。なりたい自分は、どこへやら(笑)。
そんな躊躇を見ての「普通の要求」ですね?
人間の感情に好意、無感情、悪意と段階があるならば楽だけれど、
私の周りの、今までかかわってきた人間は好意と悪意しかなかった気がする。
キライならキライでいいから、放っておいてほしいなぁ。
ちょっと、お疲れ気味です(苦笑)。
143 道徳の視線は kage 2003/03/14 01:28
 何か新しく事を起す時や、知らない出来事に遭遇した時に適応されるのです。
 他人を平時にその視線で見ると、他人をを「善人と悪人」に分ける監督をして
いることと同じです。
 もっぱら人間は好意や悪意などという、はっきりとした感情を持ち合わせて
いません。思惑の有無があるくらいです。
 悪意を持つというのは、よほど不快な時に限られるでしょう。
 好意もそうです、よほど快があるのでしょう。

 一般に職場、特に仕事中はそういう感情は「私語」と同じで表に出すのは
いけない事です。ですから残業中、や仕事が終わって街にくりだしてその、
我慢のストレス(表に出さないように気を使っている証拠です)を解消する
ため酒場で愚痴などこぼすのです。
 「嫌いなら嫌い」などという面倒な事をしないといけない義務は、一般の
人間関係にはありません。
 誰もそんな説明義務(それはプライバシーです)は無いのです。家族では
ないからです。

 「その人を立てて上手くやって下さい」というのは、楽に仕事が出来るよう
に、人間関係のポイントを教えてあげてくれてるわけで、好意です。強要では
ありません。そう感じたのなら「それを決めるのは私だ」という道徳の監督が
ストレスを感じているのでしょう。つまり、家族の葛藤は何らかの「判断」に
よる一定の決着を求めます。子供にとって「何でそうなるのか」の感情が、
恒常化するのは耐えられないからです。その上家族は「道徳の原型」を産み出す
場所ですから、なおさらでしょう。
 「こうしたらダメよ。ありがとう手伝いしてくれて助かったわ。」から道徳
の原型を感情の経験記憶と定着させる事で、それは人格の一部となります。
 それを自分で始めたら、親以上の存在になってしまいます。つまり「はずだ」
で初めてしまったら、、、です。
 何らかの不満を、確かめる事無く(あるいはその回答に不満な時)抗議の
意志でつい「だから、、なんだ」「こうに決まってる」「、、なはずだ」という
不確定な道徳が人格の一部となります(想像であって、現実の記憶では無い)。

 (道徳ではなく)道徳の視線で物を最初に見てしまいます。最初の判断が、
いつも憶測と余談が入り混じります。親友でも無い人物に「私のことをどう
思っているんだ」と尋ねるわけにもいきません。「?!」が回答でしょう。
 道徳的な人間関係は、ごく親しい関係の友人や家族だけで適応されるもの
で、許されるのは(もう過去の話ですが)近所の子供を叱る時や、犯罪に近い
面倒を起している現場に遭遇した時だけです。

 その道徳の視線が、最初に見ているのは「自分」です。自分を厳しく見る
偉い人(これは子供時代に造った人格なので、その判断はとてもステレオタイプ
である事がほとんど。自分の意識ではあたりまえ、普通、と感じます)を自身
のこころに内蔵しているワケで、大変なストレスです。
 自分を「だからダメなのだ」と監視し続けるのですから。これを自己嫌悪と
いいます。
 
145 本家登場にて、これにて失礼します 2003/03/15 00:28
見ず知らずの自分が口を挟んで申し訳なかった。
本来ここはkagewariさんがレスする場所。
書き込みに来る人もそれを望んでるだろうから
邪魔モノは消えるとします。

人の姿は自分の鏡。
相手の自分に対する対応は、それほど突飛ではない。
相手はあなたが望むがままに対応してるに過ぎない。
147 そんなことないですよ すずらん 2003/03/15 22:09
返信は原則自由・・・って書いてあるし、私もレスをもらえて嬉しかったんですよ?

ありがとうございました。また、何かの時には宜しくお願いしますね?

151 ??? すずらん 2003/03/30 20:18
ただ単にしたいだけの性欲と、誰かを困らせたいがための性欲、
どう違うんですか?
152 当事者数です kagewari 2003/03/30 21:36
 「その場に何人いるのか?」でしょう。
 するためのSEXと、見せるためのSEXでしょうか?

 これも誰のため、とかの世界ではないでしょうか。

 誰かのために生きることも人の生き方です。
 しかし、その「who」が特定の人物乃至、特定の関係にある人物、の時はむしろ主体はその人物です。
 そのとき、その性(サーガ)を、しみじみと受け入れているのなら、混乱や迷いは無いでしょう。

 問題はその人物が見つからない、など、そんな時なのです。
153 自分を すずらん 2003/03/30 22:38
忘れるくらい、考えないでいられるくらい、抱き殺してほしい。
おかしくなりたい、恐怖から逃れたい、自分がおもちゃになってでも
いいから、って考えて、そこから抜け出せない。
154 Re:自分を kage 2003/04/02 04:35
何の恐怖なのか?
 忘れたいのは何の想いなのか?
 自ら拘りつづけている気持ちを、何故疑えないのか?
 自分をコケにすることは、それを知る人を既に巻き込んでいる。
 疑いつづけているようで、実は排除している。
 他人を認めていない世界は、外では無い。

 過剰な内向化は、現実を壊すばかりです。
 そもそもそんなに悪い人などいないのに(いい悪い論は別として)殺されたいとか、おもちゃにされるとか、誰がそうするというのでしょう。
 誰かにそうされた、、と思っているのでしょう。
 その想像にも雛型がある筈です。
 それは本当なのか、

 必要以上に人のこころを決め付けないと、そんな結論は出ないでしょう。
 それだけでも、そんな話の根拠は何処にも無いはずです。
 恨みでもないことには。
155 そうだね すずらん 2003/04/02 05:20
結局、自分一人で。
あがいて、戦って、納得して。
習得しないといけないのかもね。

一つは、クリアしたけどさ・・・。
一人っきりでのチャレンジは、私にとってあまりにも
ダメージが大きかった。
久しぶりに、泣けた。

198 やっぱり すずらん 2003/06/14 02:00
好きでいてほしい。
自分は「好き」という感情以外には思えないのに、相手には
それ以上に思ってほしいと思ってしまう。
私は何にも変わってないのかな・・・。
愚痴でした。ごめんなさい。
202 Re:やっぱり kage 2003/06/15 12:16
「お前だけだ」と言って欲しいのでしょう。
ひとまずその真偽は置いておいて、
大問題なのは、対象者が認めるアナタと、自分で認定している「自分」が一致
していない事です。
これでは永遠に想いはすれ違います。
見方を変えると身分詐称です。相手に「好きだ」と言わせても、自分はその
人物では無いという。
 これを自己嫌悪が起動していても確認する事ができます。
 周辺は「アナタはこんな人なのにどうして」という表現が多発する場会、当人
の「自分」の認識と、他者のアナタ感は不一致であり、その頻度が高ければ、統計
上「自分」の認識や評価を誤っているのは、自分でしょう。
 このメリットは何か?
 「自己嫌悪の継続の為には、好かれてはいけない」からです。
自分がごく自然に好かれる人物であると、都合が悪いのです。「どうせ私が悪
いと言ってるんでしょ」に始まる現実認識の前提が壊れます。
上記の前提条件は、他者を批判的に見下ろす「方便」で、自己嫌悪特有の、理論
武装ですが、目的は一つです。
目上や権威的人物と肩を並べ、平等な見地からその人物に意見を言うためです。
例えば親を道徳的に批判する場合。

 何故こんな事が必要なのか?
本来の狙いは、批判ではないのです。「子供なんだから」で甘えられた部分があ
ったにも関わらず「子供ではなく、頭一つ飛びぬけた(母親と同格に)」存在で、
愛されたいと願った時「子供だからの根拠」は崩れます。
不満は「子供として甘えていいのか?」の不安なのに、手段として選ばれたのは
子供の立場を捨てた「批判的な他人」です。
愛されるべき自分は別の人になってしまいます。
そんな回りくどい作業が必要な最初の根拠は「私は好かれていないかもしれない
不安」ですから、雨が降ろうが槍が降ろうが、断じて「好かれる可能性」を自分で
認めようとはしません。

 結果起きるのは、大事にしてくれる人物を道徳的に非難し続ける「自分」を変
えられない現実です。
 「好かれたい」は本音でしょうし、そう思う根拠は、本音の部分で「私の好か
れる可能性」を実は自分で認めている証明です。
感情的な怒りはさておき、先ず、道徳的非難の正当性を追求し吟味するべきです。
構造的にその非難の理由には、必ず「嘘(正確には無理)」が含まれているからで
す。批判のための批判なのですから。
208 案の定 すずらん 2003/06/23 02:41
怖くて、相手は真剣で、逃げ出したくなってきた。
真剣に思われるのは怖い。
遊ばれているだけの方が、私には楽なのかな。
入院すればすべてが解決するとは思えない・・・。
209 Re:だから言ったでしょ kage 2003/06/23 20:48
 気をつけろって、さ。
象徴化された人物以外からの好意を、拒絶してるのは本人で、
 好きになっても問題なさそうな人物が、かませ犬のように
選ばれてる。現実には存在しない人物(自分自身)に見せ付
けるためにね。怒りと落ち込みのスイッチを入れるために。
 必要としてるのは安全な好意(どちらかといえば嫌い)を
かき集める事で(ネタ集めのため)「誰かに永続的に特別に
愛される」を仮想実現してしまうんだから。
 象徴化された特別な人物を刺激し続ける、事でね。
 こっちを振り向いてネタが豊富なんだから。

 上手く行かないよ、人間は平等で、悪い奴を集めようとし
ても、その数が増えるほどいい奴が紛れ込む。
 最初から無理があるんだから。
 自分は「好意で迎えられる人物なのだ」という話を、受け
いれていかないと。

217 強制退院 すずらん 2003/07/16 14:07
私が、じゃないけどほかの人が精神科を強制退院させられていた。
大人の行動に子供が付きまとい、突っぱねても突っぱねても追いかけてくる。
その騒ぎのせいで大人二人が強制退院。やっと「変な人」に出会えたと
思ったのにな。僕もそのうち強制退院かもしれませんな(笑)。
218 Re:強制退院の経緯が気になります kage 2003/07/17 04:47
 その二人に何が起きたのですか?
 何をしたのでしょう、、
 強制入院、措置入院なら聞いたことあるんですが、強制退院があるとは知りませ
んでした。

 良かったら簡単でも構わないですから事実関係を教えてもらえると助かります。
219 強制退院の経緯 すずらん 2003/07/21 01:20
そもそもの始まりは、大人たちに子供たちがついていって勝手に騒いだ感じ。
細かく話すと、一人(大人1)は風呂場で髪を切った。ちょっとモヒカンっぽく。
もう一人は(大人2:パニック障害など)髪を軽く染めた。
残りの子供二人が真似をして頭を染めたり、その大人二人にくっついて
回るようになった。相談とかも、大人たちはされていた。
「いいかげん、自分たちの治療にならないからそういうのはやめてくれ」と
何度も言ったにもかかわらず、ついて回る。
それを見た(多分他の人からの苦情もあったのでしょう。子供たちが騒いでいたから。それをたしなめているのも見たけど)お医者さんが「これなら
自宅通院で大丈夫でしょ?」って一人は、数日前から「強制退院かも」って
告知されていたけれど、もう一人の人は当日の午後2時半に呼び出されて
4時には退院してくれと言われ、パニック障害を起こす。

子供たちにはお咎めなし。それが、理不尽で私も怒った。
何もできないけど、ただ、怒った。
子供たちは相変わらず外で騒ぎ、携帯を病院内でかけまくり、未成年が
タバコを吸う。常識を、今教えないでいつ教えるんだろう・・・まで
考えちゃう出来事でした。

かるーくでこんな感じです。「風紀を乱したから」が原因ならば、
私も病院で髪を切ったり、美容院でフェイシャル(顔のマッサージ)やって
もらったりしてる。これは、風紀を乱すにならないのか?
ってな感じです。あまりの突然の出来事に、医者へ、看護婦へ、子供たちへ
不信感がたくさんです。私の病気は、きっと病気じゃないから。
このまま入院していても治らないんだろうなと考えさせられました。
220 本当の子供なんだ、その話 kage 2003/07/21 03:38
子供は依存と葛藤のの保守のための「宿り木」を探してたのでしょう。
 自分の葛藤構造への共感者、家族の代理を探したのでしょうね。
 あくまで代理、想像上の逃げ場所でしょうね。「ハイ」になるから騒ぐので
あって、望みが叶ったからでは無い。
 確かに両者の治療の妨げと医療関係者が感じても不自然じゃありません。

 惜しいのは、その現象自体が、分析のとっかかりとなる同時進行の現象なの
に、、でしょうか。
 宿られた方の意図は何か?
 誰かに働きかける自分に、自己愛的内向性があるのでしょう(推測ですが)
モホーク刈りと、髪を染める事から、その子供(の様な存在を含む)たちを
意識していたとしたらどうでしょう。
 集団を形成すると、本当の開放感は失われます。
 子供達が知るべきなのは、自分たちは「自由を拒絶している」という点でしょ
うね、彼らが望んでいるのは「より小さな世界」なのだと思います。
 逃げ込む事は、症状の改善と逆方向なのは言うまでもありません。

 強制退院ですか、なるほど、わかった気がします。残念な事ですね。
 人間関係の接点をもう少し小さくするべきなのかも知れません、、
221 まったくその通りだと すずらん 2003/07/21 08:39
思います。
精神科という、メンタルな部分が特別に強い部署(?)なので、子供たちは
リーダーがほしかったのでしょう。
そうなんです、そこが取っ掛かりになって治療をすれば何かが変わるんじゃ
ないかと思えるんです。病院て、普通の状態に戻す場所だと思ってました。
彼ら(子供たち)は、このまま「大人」という意味を知らずに
生きていって、自覚のある人が責任を取っていくのかなぁ・・・って。

私も今回の事ではお医者様に「そういうごたごたに巻き込まれないように
4人部屋にしたんだし」と言われたし、私自身も納得して、今は
一人孤独にクロスワードでも解いてます(笑)。

「小さな世界」、納得していただけましたでしょうか。
222 ある意味、病院を形成する社会は kage 2003/07/21 12:54
「普通」ですから、期待には限界があります。むしろ精神科病棟にには、患者
サイドが持ち込む静謐が必要なのかも知れません。
 苦しんでいるのは自分ひとりで、特別では無いとの体験が最も重い(症状の
相対化)体験であり、入院による認定(離職などの理由)が休息に繋がるので
あって、極端に言えば、閉鎖型から開放治療に精神科が舵を切った時から、実
は入院に主体的な治療効果があるのでは無い事を彼ら自身認めたとも言えるの
です。通院できないほどの症状のように、あくまでも個人の選択に入院が選ば
れる(時には家族の要請も含まれるでしょうが)のですから。

 大幅に期待できるのは、患者間の「葛藤事由のズレ」なのです。
 他の患者さんの葛藤事由には、自分の自己嫌悪の監視外です。それなのに同
じ症状である事。他の患者さんの葛藤に気がつけば、それだけ自分が何を無意
識に押し込んでいるのかの想像や推測を楽にします。
 極端な楽観ですが、無意識の中にあるまま小さくなる可能性があるかも知れ
ない。アメリカなのどグループセラピーの根拠でしょうか。日本人はシャイで
すし懺悔の文化がありませんから、そこまでの効果は期待できませんが、その
代わりに、静かに他の患者さんと話しができる自由な空間が平和に保たれれば、
いいのかも知れません『談話室』の様な。
 カウンセラーと患者が自由に歩き回る喫茶室のような場所です。

 俺は門外漢ですから、無責任な発言かも知れないけれど。

223 捨てきれない思い すずらん 2003/10/02 00:19
捨てたい。捨てきれない。欲しい。
でも捨てなくちゃ。
「流れに身を任せてみても・・・」って言う人もいる。
でも自分を嫌いにならないために、これ以上嫌いにならないために
捨てなくちゃいけないものもある。
くるしい・・・。
224 捨てるものは自分の持ち物です kage 2003/10/03 10:52
思うことは、捨てられる物体でも無いし、捨てる場所も無いでしょう。
 それも一種の嫌悪意識に違いないのです。
 捨てるはおそらく現実の感情では「我慢する」が妥当な表現でしょう。
 それが「捨てる」に相当するのは「我慢している根拠」の否定だからであり、こ
れは自分の決定を「正視したくない」ところから、「捨てる」に転じているのだと
思います。
 何故「正視したくない」のか、それは無意識がそうであるように、抑圧された感
情が投影されているので、連想として「見たくない」のでしょう。

 本来その欲望の『威光』は実現し無ければしないほど高まります。
 逆から考えるなら、自らを貶める事で物理的に上昇します。
 俗っぽく考えるべきでしょう。「捨て場所もないし、捨てられたら近隣住民が
迷惑する、第一捨てるものでもない」「処理してから保管しよう」。

 これ以上自分を嫌いにならないため。なんですから「捨てられないものもある」
って事です、つまり「一戸建てが欲しい」という感情は「捨てる事が不可能です」
選択は「諦めるか、我慢するか、建てちゃうか」しかないでしょう。
 捨てられるのは建材ぐらいななもので、それは「余裕で一戸建てが建てられる」
環境でしか成立しません。

 なんとなくわかるでしょうか?
 「自分のものだから、捨てられる」のであって、そこには「手に入れたのに」で
あっても「手に入れた実績を確認できるだけマシ」な二次的利得があるのです。
 不思議な話ですが「手にする、拾う」と「捨てる」の背理は同じ「所有」です。

345 死にたい すずらん 2004/08/03 19:57
意気地もなくて勇気もない。
どうやったら死ねる?
どうやったら毒薬は手に入る?
346 勇気は kage 2004/08/04 02:04
生きるためにある、
自分のアイデアへの不安をかき消す力が勇気で、
毒薬は薬屋さんに山ほど売っています、薬は基本的には毒ですから
その使い道は「毒をもって毒を制す」ためで、

そもそも毒とは植物が自らの生存のために発見した知恵です