Kagewari 精神分析相談事務所  HP  BLOG  過去ログ  有料メール相談 

「掲示板での相談、閲覧・有料メールカウンセリング」の過程では、自我の防衛反応による混乱(興奮)が現れます。精神分析的アプローチによる「自我構造(こころ)の揺れ」です。その点に同意の上入室してください。



506 誰かアドバイスをお願いします まこ 2006/03/16 01:34
はじめまして。
私は好きな人がいて、その人も私のことを好きだと言ってくれているのですが、
その人には彼女がいます。
そして、その彼女は私の知り合いです。
(ここから、彼をA、その彼女をBとします。)

AはBに何度か別れ話をしたのですが、Bが精神病で
別れ話をしたり喧嘩をすると、退行などになったりするそうです。

退行になると、精神が赤ん坊になってしまい、言葉が通じなくなります。
次の日に記憶が2年間とんでいたこともありました。

Aが友達とばかり遊んでいると、Bから電話がかかってきて、
「なんで友達と遊ぶ時間があるのに、私と会ってくれないの?」
とか、
「今手首切った。」
とかいう電話がかかってくるそうで、
Aも「もう本当に疲れた」と私に相談してきます。

病気がひどい時には、Aが対応などに疲れて、そこで少しでも疲れた表情や嫌な顔をすると
「私のせいだ」と思うらしく、そこでまた退行や、年齢が6歳児になって泣き喚いたりするそうです。
なのでAはBの前で嫌な顔や疲れている顔もできないらしく、
A自信にもストレスがたまってきています。

私はAに「Aがどうにかできる問題じゃないから、病院に連れて行くべきだ」
と言いました。
AはBに病院にいくように進めたのですが、Bは昔から病院や、医者にかかることが嫌いらしく、
病院にいこうとはしません。
「テストが終わったらいく」とか、「来月行く」とか、
何度もそのようなことをいっていたのですが、結局いきません。

その話をきいているだけで、最近イライラするようになってきてしまいました。
(その話をきいて、もう5ヶ月近く経ちます)

どうしたらよいのかわかりません。

皆様どうか、アドバイスをお願いいたします。

ちなみに、Bは学校で精神のことを習っていることもあり、
自分が「退行」や、そのほかも、精神的に病気だということは気付いています。

*少し感情的に書いてしまいました。すいません。
508 つまりこういうことです kage 2006/03/16 05:57
話自体は典型的な話なのです。
答えは簡単です、Bさんとして登場する彼女に対して、彼Aには対応する力がありません。
この話にはまこさんがどうこうとかは考える以前の問題です。

精神的に問題のある彼女Bに対して、なんら精神的な悩みに対するアプローチのできない彼Aの存在は、彼女Bにとって「むしろ不幸な事です」
何故なら、問題を先送りするだけでなく、問題の先送りは悩みのポイントをより深く潜伏させてしまうからです。

彼女Bの特異な行動に、つい振り回されることもあると思いますが「全く気にしない」でください。それぐらい当たり前で珍しくもないぐらいにです、彼女Bの無意識にとっては「大変な事をしてしまった」等の事例はそれをもって自分自身や自分の自意識を脅迫(強迫)する材料(自分を追い詰める武器)になるので、これを中和する意味でも「それがどうした」という堂々とした振舞いが必要になります。
つまり、第三者的関与です、
恋人関係や、親友等の立場には容易に無意識の投影が行われてしまうので、素の彼女Bの自意識と会話するためには、(投影が起きないように)第三者的な立場が必要なんです。

ここの掲示板の他のやりとりや、HPブログのコンテンツをごらんになっていただければおわかりと思いますが、悩みとは「それが始まった状況を追体験のように再現する事で、感情を吐き出すように代謝される」ため、その構造が維持(保守)され、自分自身ではこれを解決出来ない状況に追いやってしまいます。
ですから、家族葛藤の投影の道具として恋愛に起因する人間観関係は格好の舞台であり、簡単に言えば相手は誰でもいいのです(常に物語の主役は自分になるからです)。

だとするなら、彼女Bに対して精神的な意味のアプローチが可能にあるためには、彼女の出方について「彼女の1当事者責任を明解にする(=相対的に彼女を主役にしない)」スタンスで関係できる人間でなければならず、場合によっては関係する人間(今回の場合彼A)の自我が崩壊するぐらいの覚悟が必要になります。
彼にはそんな経験も無いですし、平気で他の友人と会うという行動(こういうケースですと、人生を賭けるぐらいの覚悟が必要になりますから、一般の人と変らぬ生活をする余裕等無い筈なのです)から、これに対する当事者意識も腹の据わったものではありません。
「いいかげんな対応は症状を悪化させる」と考えていただいても構いません。

又、精神的な葛藤に「病院は補完的な方法でしかありません」わかりやすくいえば、「花粉症になったので鼻炎の薬をもらう」ぐらいの話で、心理学を学んでいるような人なら、その意味合いを余計に良く知っているでしょう(内部の状況を知れば知るほど、病院に行く事自体に意味は無いのです)。精神的な悩みとは「本人の考え」これをサイドからサポートする「病院乃至カウンセラー」、家族への聞き取り等、一定の規模のプロジェクトのような形が必要で、最も大事なのは「本人の自分に対する理解」です、今何が起きていて、自分は何がしたいのかにつていはっきりと認識するまで非常に長い時間がかかります。

つまり「病院にいけば?」
これも又、無責任な関与になります。
それ以前に「いったい何があったのか」「それはどうしてなのか」について、話を聞く方のとっても精神的にギリギリになるまで(話し合いが10時間に及ぶ事等驚くような事ではありません)「問題は何なのか」を明解にするためのアプローチが必要になります、
ですから、当事者能力として恋人関係程度ではどうにも(その覚悟というかリスクを自分に説得できないので)弱く、本人の自分自身への強い関与が必要になるのです。

簡単に言えば「自分自身でカウンセリングを受ける」「簡単でも自己分析として問題点を把握する」のような動きが出るまで前に進む事はないのです、
それまでは、結果「自分を追い詰めるためのネタ」を無意識に供給するための「本人も望んでいない行動(周りを振り回してしまう)」は止まる事はありません(無意識の抑圧構造を保守するために必要なんです)。

まこさんにできる事は何かと言えば
彼Aに「それだけの覚悟があるのか」と確認することです、
そうでないなら「その程度の関与で彼女と関係する事は、彼女の精神的悩みを平気で悪化させ、自分自身が恋愛気分を味わいたい(ある意味彼女の悩みを利用している事になります)だけの無責任な行動だ」と教えてあげる事でしょう。

531 527番書き込みの削除について kagewari 2006/05/29 21:59
この無料相談掲示板の趣旨は、削除しない事です。公開される事で同様の悩みを持つ人へのテキストとなる部分から「自己決定で公開の形態に同意がある」ものとし、無料で相談が可能な公開掲示板を設けているところなのですが、527番書き込みの方から削除の依頼がありました。同書き込みは「相談者本人の依頼ではなく、友人についての相談」という構成にありますから、「プライヴァシーの事もあり削除希望します」との申し出を了承し削除いたしました。

私の返信内容の、説明部分の別途公開を希望の方が個別にいらっしゃる場合には新しく「528番返信内容の心理学テキスト的公開希望」で新規スレッドを立ち上げていただければ528返信内容を心理学的考察の形に再編集し別途公開いたします。

そんなこんなで、527番書き込み私の返信528、これへの相談者の529番返信は削除されました。
533 Re:527番書き込みの削除について mirai 2006/05/30 00:54
削除ありがとうございました。
あれから何度か考えまして、明確な年齢を20代後半、前半というように
抽象的な表現として、直接プライバシーに関ってしまう恐れのある部分を
記載し編集直して頂けれるのであれば、こちらも公開は了解いたします。
同様の悩みを持つ方の為なのであれば、構いません。
掲示板の趣旨を理解しておりませんで、申し訳ありません。
ご丁寧な心遣いありがとうございました。
534 528番返信部分の公開 kagewari 2006/05/30 17:53
527番相談のmiraiさんより、公開についてのコメントがありましたので、相談部分の要約と、528番返信を再編集したものを再公開します

=========<ここから527番相談の要約>===========

私には数年来の女性の友人がいるのですが(私も女性)、メールで話したり実際会ったりと良好な関係を持っていましたが、彼女には普通と違うというか、ちょっと他の友人と同じように接する事が難しいと最近感じています。
「友達になりたい、話を聞いてほしい」と彼女はよく言い、私もそう思っているのですが時に私が、違った見方をして少しつけ放すような事を言うと
すぐに「絶縁」のような事を口にします。
誰とも話したくないと引きこもります。仕事はどうにか続いているようですが。
逆に「受け入れたい」ような事を言っても「私は受け入れたくない」というように拒絶ばかり。
本人も、最近自覚症状があるようで苦悩しています。
今までの話を聞く限り、そのように縁を切って来た事が多いようにも思えます。
同じ事にいつも葛藤し、同じ事を繰り返しているようでならないのです。
実際に、以前私の親友(同性)とも凄く仲がよかったのに、絶縁してしまったようです。
それを聞いて私は驚かなかったのです。

そして、彼女から「数年前に性的暴力の被害にあった」事を告白されました。
実際これから彼女との関係をどうしたらいいものか
私はどうしても、彼女をどこか自分と同一視してしまっていたり、ただ共感していたり、同情してしまったりして、彼女の葛藤を話をいくら聞いていても分かってあげられないと思うのです。そして余計に傷つけてしまうのではないかと。
彼女の求めている「友情」とは、何なんだろうと思うのです。

でも、今彼女がココロを開いているのは、私なんだろうなと思うと
安易に慰めてあげる事も、意味が無いのかもしれないと思うようになりました。
やはり精神科に行ってみるべきでしょうか。
行くとすれば、どのような言葉で言われるのが、楽なのでしょうか。
そして、そのような人に対しての「根付く友情」とは、
どのように構築してゆけばいいのでしょうか。

=========<ここまで527番相談の要約>===========

=========<ここから528番相返信>=============
人間関係における『関係性』を素で考えてみてください。
Date: Sun, 28 May 2006 16:52:44 From: kagewari

ちょっと前置きが長くなります、

例えば「○○愛」なるコピーを発見した古代の賢人が、社会の発展のために有益なのだと、これのキーワードは民を救うと強く思ったとします。しかし古代社会において、読み書きが出来る人はほんの僅かです。そんな時あなたならどうしますか?
そして、日常の“生きる”という活動自体が過酷で厳しいものであり、そんな日常に一言も文句を言わずにタフに生きている彼等にとって、それを無知蒙昧と呼ぶのは適当ではない。
そして、自分は「これならみんなを救えるじゃないか!」っというキーワードを思いついてしまい、身震いし怖れすら感じているというのに。

私は、神の言葉を聞いた。

彼等に弁証法について説明しますか?
彼等に、文化人類学的解説本を手渡しますか?
そこで、人権と平等二大政党制の演説を始めますか?
ここでの命題は、その宝物のようなキーワード「○○愛」を普及させないと意味が無い(せっかくのその言葉が狼少年の妄言として時代に忘れ去られてしまう危機でもある)。

情緒に訴えるしかないんですよ、ベタな表現だと「感動話のフィクションでも創作して○○物語を、吟遊詩人の演目に入れてもらう事です」、その○○物語は集落で知らない人の無い物語となり、集落はあるキーワードに情緒的な興奮を覚え(二度と忘れない)、そのキーワードを子孫に語り継ぐ。

「○情」の情の部分は我々の(人類の実存にも関わる事だけれど)文化として非常に強い情緒的な拘束力を持ちます。
これを精神分析的に言うとどうなるのか?「一種の強迫構造を利用している」となります(そんなこんなで、精神分析は『異端杉』としてメインストリームには決してならないのですが、、)。

延々と考えつづけるなら、「発端はある聡明な賢人が発見した新しい言葉の感動」なんです(「私はなんて素敵な言葉を知ったのかしら」と)。「○情」というものがスタンドアローンで実存しているのではありません。後者の“感情”は、上記の言葉を自我に導入する文化を持つ人特有の「○○○なるキーワードが自我に組み込まれた場合の」その言葉の普遍性(普及させる)のための『結果としての拘束性の体感』であって、最初にその言葉を知った人類の感動とは実は異質です。
アイデア(哲学的イデア)と情緒の差
皮肉な事に、後者の情緒部分を評価すればするほど、最初のアイデアの発見との乖離は大きくなり、何世代も経て「まったく別次元のロジック」と化す。

哲学(詩)的発見は、道徳や宗教的ドグマ(理)に変容するのです。

◇ ◇ ◇

「根付く友情」とは、実は言葉として矛盾する内容を含みます。
時として上下する(不安定)な情が普遍性を持つとそれは情ではありません。普遍的な精神とは「信念であったり、明快な意図」になります。つまり、自らの存在をかけた自己決定と、刹那に感じる感情の流れは同一にはなりません。
むしろ「信念であったり、明快な意図」を語る自分は、その感動で情緒的にも強い気持ちを持ちますが、これは「情熱や執念」と呼ばれますから「○情」という言葉にまとまる事は無いのです。

「自分が何をしたいのか」が大事なのは(それこそ『我思う故に我在り』じゃないですが)、普遍性を思う時の必然であるからです。
これに対し「その時そう思う感情」を信じて、これの追体験を(『快』をベースに)期待するそれは、結果として刹那で儚いもので(「情けない」って奴です)、それは意図的に操作されるべき問いにはなりません。

◇ ◇ ◇

さて、相談の彼女の話をしてみましょう。

>「友達になりたい、話を聞いてほしい」と彼女はよく言い
>違った見方をして少しつけ放すような事を言うとすぐに「絶縁」のような事を口にします。
>逆に「受け入れたい」ような事を言っても「私は受け入れたくない」というように拒絶ばかり。

彼女が友達を求めているのではない事は明白です。
おそらく彼女は、自意識のアイデアと無意識の脅迫(強迫)の矛盾に悩んでいるのでしょう。「そのどちらが正しいのか?」どちらの場合にも反発します、
無意識を代弁すれば、自意識が違うと言い
自意識を代弁すれば、無意識が感情的な反発を引き起こす

彼女が求めているのは、この両者をバッサリと納得させる『圧倒的権威の強烈な説得力のある“答え”』なんですが、そんなものがこの世に無いことは誰にでもわかりますよね。
そして最も大事な事は、上記の絶対者は『イメージ化された両親(脳内の話なので既に現実の両親からは離れた概念です)』であり、そもそもそんな葛藤が生まれた背景は、その絶対者との関係に問題があったからですから、本人的にはその存在には近づきたく無いんですよ。(過去を思い出したくないように)

ですから、「友人が欲しい」のです。

何がしたいの?と尋ねられても困ってしまうのですが、自分ひとりではそれを解決できなく藁をもすがる気持ちである事は間違い無いんです。「お願いですちょっとだけ話を聞いてくれませんか」は嘘ではありませんが彼女は同時に「お願いだから私に何も言わないで」とも思っていもいる。しかしひとりでいる事が危機的状況であるのは『間違いの無い事実』と認識しているんですよ。

そもそもどんな話をしたら満足なの?
答えは「そんなことわからない」、極端に言えば「そんなことがわかるぐらいならお前と友達なんかでいる筈も無い(そんな気持ちすらあなたはわからないのか)」なんですよ。

彼女に依存傾向がある事は間違いないでしょう。

>今までの話を聞く限り、そのように縁を切って来た事が多いようにも思えます。

そうなってしまう事は避けられないでしょう。
事情がわからない人には、そのやりとりは耐えがたい筈です。

>そして、彼女から「数年前に性的暴力の被害にあった」事を告白されました。

重要な部分ですが、とても誤解されやすい話をしますから、以降の文章は「慎重にゆっくり」読んでください
◎不幸な話の不幸な部分に共感する事は悲劇性の内向を助長し無意識の思惑どおりに『被(こうむる)』という自意識の立ち位置(無力で何も出来ないと無意識に対して無抵抗になる事)を逆に(証人のように)強調する事になりその悲劇性は証拠(その証言により)採用されます。一度証拠採用されると(解釈の余地の無い事実認定)自意識には打つ手がありません。
ですから「同情」の対立概念として「励ます」という行為があるのです。
しかし、簡単に励ます事のできないテーマだとします。
(「そんな事気にしちゃダメだよ!」とおおよそ気軽に言えない場合)
本人のため(ちょっと無理がある表現ですが、話をわかりやすくするために)には、立ち直って(これぐらい平気だと)前を向く事だって結論には異論ありませんよね。
ここの構造が暗韻を踏んでいる事がわかりますか?
これは、葛藤構造下の脅迫(強迫)という形で主導権を取ろうとする無意識的なロジックが、自意識の自立的な活動を抑え込むためには最も都合のいい状況なんですよ。
非常に言いにくい事なんですが、こういったケースには、本人が知らない間に無意識ベースで危険に対して極端に無防備になる等の「僅かであるけれども何らかの意図」が関与している場合があります。
たとえそういう環境が全く無くても「無意識はこれを同様に捕らえます(何らかの意図であったかのように)」、そして自意識を完全に屈服させる「証拠採用(事実認定)」を手にする事になるのです。
つまり何かあった時の最後の台詞「私は・・・だった」という最終兵器を手にするのと同じように。

何故そんな可能性があるのかと言うと、
そもそも葛藤の発生要因には『必ず誤解や事実誤認を含むイメージ化』が関わっているからで、これは本人(必ずしも自意識に認識されるとは限りません)にも「薄々わかっている」んですよ。
それが「思い」であり「事実ではない」事を、
これは通常自意識に「苛立ち」のように感じ(ストレス認知)られます。
まるで、それは嘘じゃない、ほんとなんだと論証したくなるような、その論証で誰かをやっつけてやりたいと思うような、

ほんとうなんだから

これが葛藤事由とは全く別の事実なら完璧なんです。
葛藤の正面を構成する過去は、完全に無意識に抑圧され、以降安全圏から自意識を脅迫(強迫)し続けることができるんですから。
リスカ等の自傷、自殺未遂衝動、恋愛事案(過去の再現になるように悲劇的な結果になりそうな恋愛にあえて惹かれる理由)を使った悲劇性内向がここに並んでいる。
※そういう意味で本当の偶発である事件に巻き込まれるタイプのPTSDと鬱症状には大きな差があるんです。


ですから『憎むべき罪は憎む』これと、その被害をどう捕らえるのかは(それこそ自分の同情心を切って捨ててでも)切り離さなければならないのです。
本人のためには、立ち直って前を向く事なんですからね、
大事な事は『憎むべき罪は憎む』部分を強く思うところです(それがないと自分の同情心に負けます)。

>今彼女がココロを開いているのは、私なんだろうなと思うと安易に慰めてあげる事も、意味が無いのかもしれないと思うようになりました。

確かにそのとおりです。
が、彼女が求めているのは「そんな友人(何もしなくてもいい)」だけなんだと考えてみてください。
それしか(専門的な知識が無い限り)何もできないんですから。
そして、不用意に「心療内科は」と口にすると、これの反発で(無意識の自己保存として感情的な反発から“暴言”が返ってくる可能性もあります)逆にその可能性を後退させる事もあります。
かといって、悲劇性の流れに沿って「そうなんだ私は病気なんだ、二度と治りっこない」と通院自体が無力化される事もあります(『所謂病院での治療』で最も有効なのは「本人の意思で相談にきた」という自意識の振る舞いになるからです。)、

どうしたらいいと思う?

この言葉まで待つべきかも知れません(彼女と直接やりとりしているのでは無いので、軽率なことはちょっと言えませんから)。
その場合には「心療内科」を薦めて下さい(精神科は社会適応タイプで深層心理に触れたくないタイプの人向きである場合が多いです。これはケースバイケースで、精神科でもカウンセリングのコースを持っているなら大丈夫でしょう)。
あまり的確なアドヴァイスにはならないかも知れませんが、それとなく近隣の病院を調べておく事が「できる事」なのではないでしょうか。

■これは一番大事な事ですが、

話に深入りしていくには、相当の負担(と準備)を強いる事になります。それが自己決定として選ぶのであれば幾分精神的に楽になると思いますが、一般的な「友達だから」等という程度の動機ではとてももたないでしょう。果たして自分はどうするつもりなのかについては又個別に考えるべきで、「なんとなく」関係を継続する事はより問題を(miraiさんの精神状態を含めて)複雑にする可能性もありますから、その点に関しては慎重に考えてみてください。

=========<ここまで528番返信>===========

538 助けてください マリア Mail address 2006/06/02 10:51
別れることになった彼が連日死ぬ死ぬと言うのです。彼はわたしよりもずっと年上で。。。でも私と別れるくらいなら何も楽しいい事が無いから死ぬしかもう無い。というのです、精神状態も悪いらしく職場に退職届けを出したそうですが、職場からは精神病院へ行くように薦められたそうです。なので今は保留になっているそうです。連絡を無視していたら一度勝手に私の実家に来てものすごく驚いたのと同時に恐怖を感じました。もう私にはもとに戻るどころか、家族の心配や私自身の身の危険を感じます。本当に自殺するのではないかと思うのでむげにはっきりと冷たい言葉もかけられません。もし、言うと死ぬとか遺書を書いたとか、、、いい年の大人が、、、いったいどうしたらいいのか誰にもそうだんできずにいます。助けてください。
540 ストーカーだと考えていいでしょう。 kagewari 2006/06/02 21:00
精神的な悩みと、実際に犯罪とも言える内容で他人に関わるのは全く別問題です。犯罪的な脅迫行為には必ず明快な自意識の動機があり、これは精神的な悩みと関係ありません。
この部分(脅迫による被害)は、切り離して考えてください。

一番無難な対応は、地元警察の生活安全課に相談する事ですが、彼が現実精神的な問題を同時に抱えているという事ですから、ベストであるとか私にも確定的な事は言えません(彼の状態も推定の範囲になるので)。
又、警察官も“人”ですから、親身に話を聞いてくれる警察官の方がいるかどうかもこれ相談してみなければわからないところです。

こういう仲裁を行っている「興信所、探偵、便利屋」もありますが、こちらは逆に彼らが信用できるのかって部分が未知数過ぎます。
(誰か信用できる人物に、ストーカー対策で実績のある事務所を知っているとかの情報を持っている人がいれば一考の価値があります。彼も逮捕されるかもしれないと不安定になる事も無いからです。)
警備会社によっては、ストーカー対策を行っている会社もあります、信用や実績から言えば警備会社で同様の相談を受け付けている会社があれば一番経験豊富かもしれません。

ですから以下の順で調べてみて下さい
地域にストーカー相談のNPOがいるか?
メンタルへルス系の組織で、同様の相談を受け付けてくれるものがあるか?
弁護士事務所等で、相談できる機関が無いか尋ねてみる。
警備会社で、ストーカーの相談を受け付けているとこはないか?
興信所や、探偵、便利屋に信用のおけるところがあるか?
地元警察の生活安全課に相談する。

「とにかく安全策で」という場合には、最初から地元警察になりますね。
※決してご自身ひとりだけで対応しないように注意してください。

さて、精神的に不安定な場合時折自殺をほのめかしたり、自殺未遂もありますが、けっして本当の自殺ではありません(ほのめかしたり、未遂である事に逆に意味があるからです)。
むしろ本当の自殺の統計的な頻度は、元々精神的な悩みの無い人の確立の方が高いと考えて差し支えないと思います。
(あくまで確率の話になりますが)
日本における自殺とは「詰め腹を切る:責任を取る」という自意識による決定である場合と、急激な環境の変化による「急性の鬱症状」であるケースになるためです。

543 悩みから精神的に ☆大阪 主婦 2006/06/08 23:50
27歳の子供以内主婦(3年目)です。主人は在日韓国人で(両親もです)私は日本人です。結婚前から何年もかかって得た能力を使った好きな仕事をしていました。結婚しても仕事を諦めきれず他の所で結婚後5ヶ月程で始め3社のうち2社では苗字の事を初日若しくはすぐに「この名前って韓国とか、そっち系の人?」とみんなの前で言われ
悪いことでは無いとは思いながらも告白できず。主人は結婚直前に帰化しましたが、名前は確かに日本人がみると分かりますが。その頃から両足が
疼いて歩くことがしんどい時が多くなり外科に通い鎮痛剤を1年半服用。しかし少ししかよくならず。子供はどうしようかと思いましたが、私の死体仕事は子供がいるとどうしても不可能な為、子供は欲しくないと思うようになりました。その頃義姉(私はもともと合わず、会うと嫌になる)に2人目の子が生まれ、私にのみ出産直後に子供の写メールがきました。一度もメールなど来たことがなかったのに。だんだん気分が悪くなりました。その頃らか急に足の痛みが(薬服用ぜず)なくなり、腹痛、頭痛、出血した下痢、関節痛、ミゾオチ痛、恥骨痛、のどの窒息、息がしんどい、不整脈などがだんだん出てきて今も(約7ヶ月間)続いています。(下痢はなくなりました)
足以外の症状は内科で血液検査、検尿、検便、心電図では、異常なしで細かな不整脈ありでした。途中デパスが出され1ヶ月服用。しかし血液検査で白血球が普段の半分になったので服用不可になりました。今は何も服用していませんが、好きな仕事は支障なく出来、主人のいる週末によく体調が悪化します。主人は何も問題ないのですが、魏姉と繋がりが・・・とどこかで思うのかも知れません。今は毎日どこかが痛いですが気疲れはたまにしかなくなり、仕事以外では人ごみを避けて一切外出不可な状態で主人も新派尾してくれていますが、国籍、名前の件は誰にも話せないです。一人で時々突然泣いたり、いつ自殺しようかとフトオモイマスガ、今は主人とも仕事も楽しいし、怖がりで出来ないとは思いつつも、いつかはそんな日がくると思ってしまいます。長いですが、どうか宜しくお願い致します。
545 『主婦』という名前を選択した事が全てでしょう kagewari 2006/06/09 17:14
名前が「☆大阪 主婦」となっていますが、あなたは「子供を作る事が絶対不可能」な仕事を続けることを、「何年もかかって取得したスキル」によって実現しています。
こういった場合、自分を意味する名前は個人名か固定ハンドルネームのようなものが選択されますが、あなたは「主婦」を名乗る事を選択していますね。
そして夫ではなく「主人」という言葉も選んでいます。

そこでお話を分析してみますと、
あなたは結婚し家庭を持つ事に脅迫的な不快感(不安感でもいいでしょう)を構造的に持っていて、現在DINKS(子供を持たない夫婦)のライフスタイルを選択している事に罪悪感にも似たストレスを感じています。「結婚生活そのものや、子供を持つ事自体に対する不安感があるのです」(在日韓国人に関わるエピソードは全て、「これが連想された二次的な理由=潜在的な葛藤を自意識に表面化させない抑圧のためのキーワード」であり、悩みに直接の関わりは無いのです)。
その罪悪感は複数の文面から証明されています。
在日韓国人にとって、結婚を機に帰化(必ずしも望んで帰化しないケースがほとんどで、そこには複雑な感情が伴います)することは将来の子供の事や、結婚そのもの(当然その連想は子供のいる家庭)のために選ぶ選択で「主人は帰化しました苗字は(在日韓国人であることがそれとなくわかる)そのままです」と、その帰化が潜在的なプレッシャーである事を示唆しています。

ここで、登場する義理のお姉さんのイメージは、あなた自身潜在意識にある「家庭の主婦となって子供を産む」という脅迫的な意識が投影されたもので(象徴的な「実の母親の若かった時代」に被る存在)、彼女自体の存在は悩みに一切関わりがありません。

それはあなた自身の深層心理にある「立派な母親になりなさい」という言葉に象徴化された脅迫(強迫)であり、その象徴化(ダイレクトにそのままの意味で自分自身を脅迫しているのではありません。この言葉はキャッチコピーやスローガンのように「それを代表するイメージ」から選ばれています)の対象は「実母との関係」の記憶でしょう。

週末に体調が悪化するのも、「子供を作る休日」のような連想からきているもので、上記の連想からそれが起きていると考えるべきで、ここでも義理のお姉さんには全く関係無いのです、
義理のお姉さんが「どうして子供を産まないのかしら?」と漠然とそれを不思議に思う事は自然ですし、「出産はいいものよ」と幸せな気持ちで義理の妹にメールを送るのもとても自然な話です。
実際在日韓国人社会的にも、「日本人のお嫁さんだから帰化して少しでも将来的な心配が無いように配慮した」のですから、弟の夫婦関係を大丈夫かしら?と心配する気持ちがあってもとても合理的な発想でしょう。

上記のエピソードに強烈に投影しているイメージは、あなた自身の深層心理にある『実母の象徴(これもあなた自身が造りだしたイメージです)』だと思います。
ですから、自分自身『結婚そのもの』をどう考えていたのか?
あなたの幼児期と実母の関係はどういったものだったのか?(父子家庭である場合にもこれは幼児の空想として起こり得ます)、ここを辿る先に心理的な解決がある筈ですよ。

575 人に近づく勇気がありません yki 2006/06/27 03:27
23歳大学生、男です。
恋愛がうまくできません。
そもそも他人をあまり信用しないような性格に育ってしまったので、親しい人ができても干渉してほしくないという心のバリアを無意識に張ってしまいます。
まず、人に触れません。
男でも女でも両方さわれません。
触ってはいけないという強迫観念みたいなものが出てきます。
触られるのもあまり好きではありません。
僕は恋愛以前に人間関係をうまく構築する能力が低いようにも思えてきます。

腹を割って話せる友人も一人か二人。
今になって気づいたのですが、今までの友達もどこかで疑っていた気がします。
どうせ自分のことなんて大事に思っていない。とか。
いつまでも一緒とか言われても必ず裏切る。とか。
どこかで人間に対して「裏切るもの」という確信を前提に付き合っていた気がします。

周りの人たちを見ていると、どんなことでも相談しあったり、共感しあったりしてうらやましいと思います。
私は親にさえそんな気持ちが芽生えません。
相談しようとなんて思えません。
だからでしょうか。好きな人にも全てを見せるような行動や言動を取れないんです。
その人のためにその人を楽しませようとか、喜ばせようとかいう気持ちは高いので、行動や言動で表します。
しかし、どうしても距離が近づくにつれ、自分がつらくなってしまうのです。
干渉してほしくなくなってしまうのです。
何か恐怖感みたいなものに駆られてしまいます。
時間が経つと、後で「あの時心を開いていれば・・・。」みたいなことで反省し、悩みます。

うまく自己開示ができないことで、恋愛以外でも仕事や友人との関係でいろいろな失敗が続いています。
今はもう精神的に参っていて、人と話すことさえ怖くなっている状態です。
好きになるような衝動があっても、自分で好きになってはいけないと思い込むようにしています。
恋愛を軸にした話なので軽く受け取られ、相談しようにも親身に相談してくれる人がいません。
私自身、精神的にも孤独を感じ、人とのつながりを感じられなくなっています。
自分が悪いことはわかっているのですが、どうしてもそういう状態に陥ってしまうので、苦しんでいます。
このまま一生自分を受け入れてくれる人はいないのではないか?自分はなぜこんな状態になってしまったのか?
自分自身について知りたいです。
精神分析やカウンセリングの治療を受けたいと思っているのですが、どういう掛かり方がよいのでしょうか?
病院や治療院に直接行くような形のほうがよいのでしょうか?治療費はいくらくらいなんでしょうか?
できれば早い段階で治したいです。

アドバイスお願いします。
577 人を拒絶していると見たほうがいいでしょう kagewari 2006/06/27 14:50
『他人をあまり信用しないような性格に育ってしまった』
ここが全てでしょう、
これは何故だと思いますか?

信用しないのですから「人間関係をうまく構築する能力が低い」ですとか「どうせ自分のことなんて大事に思っていない。」とか「どこかで人間に対して「裏切るもの」という確信」とか大方それ以降の話をそれで説明できます。

> 自分が悪いことはわかっているのですが

のような自戒があるのですから、ここは冷静に考えてみましょう。
基本的に(詐欺なんて犯罪が成立するんですから)人は人を信用するものです。
ですから『他人をあまり信用しないような性格に育ってしまった』と感じるのなら「そもそも自分は人を拒絶している」と見たほうがいいでしょう。
ですから考え方としては『何故自分は人を拒絶しているのか』になります。

何点か「周りの人たちを見ていると」の解釈に間違いがありますから、考えるにあたって障壁にならないようにここを整理しておきます。

■「どんなことでも相談しあったり、共感しあったりしてうらやましいと思います。」
こんな事はありません、家族でも社会でも社内でもです。
社会や社内には外交辞令もありますし、人間関係で不快な事がある事を人は望みませんから、持ちつ持たれつと言いますか「意味不明の愚痴」でもともかく真摯に聞くものです。これは自分もそんな愚痴を言いたくなることがあるからで、目の前の人はそんな時に聞いてくれる友人でもあるからです。
同様に人はそれぞれ考え方が違いますから、どんな事にも共感するなんて全体主義的現象は起きません。これは妥協であり、合理性です、社会とは「合意点を求めてベターな選択」を求める場所であり、誰が特定個人の考えに周辺が無条件に従う事はあり得ないからです。

(この発想は貴方自信の願望が投影されたものです。深層心理に「自分の考えには無条件に周辺は共感し、誰しもが自分を一番に大事に思っていてくれる」というアイデアがあるためです)

■「その人のためにその人を楽しませようとか、喜ばせようとかいう気持ちは高いので、行動や言動で表します。」
これは、その人のためではなく、「自分の事を大事に思うとか、その人の好感や共感を求めて」の行為で、その人のためにしているのではありません。人は人間関係で不快になる事を望みませんから、お互いに気遣いをするもので、それは自分の為です。「ほどほどでいいや」と淡白に思っていればそういった行動も淡白になりますから、ここに個人差があります。何故なら自分の個性そのものが誰かの個性にとって利益である(気が合うとか趣味が同じとか)可能性があるためで、自分らしくしているだけでも誰かの利益である事になり、ことさら「その人のため」という動機付けを必要としないからです。

それが「自分がつらくなってしまうのです。」のは、「距離が近づくにつれ」、自分の事を良く思ってもらいたい気持ちがエスカレートするために「その人のため」という名目の持ち出しが過剰になり(そんな無意識の欲求に)自意識がついていけなくなるためです。
(前述の深層心理のアイデアを自意識は感知していなく、「そんなつもりはない」からです)

■「このまま一生自分を受け入れてくれる人はいないのではないか?」
人を無条件に受け入れる人はいません。
「全体としてこの人物には好感があるので、この部分には目をつぶろう」という事はあるかと思いますが、上記の言葉の背景は「どんな事でも許してくれるような無上の愛」のような話が前提にないと成立しないからです。
赤の他人の女性が、そう考える動機は何ですか?
※ここのパートは以下の項目に繋がりますから、関連させて読んでください。
■「うまく自己開示ができないことで、恋愛以外でも仕事や友人との関係でいろいろな失敗が続いています。」
ここは大問題です、
赤の他人が「受け入れる」のだとしても、情報開示されていない人物「どこの誰だか意味不明」の個人だとすると、個人の認証すらおぼつきません。
上記二つの項目から推定できるのは以下です

自分自身の存在に対する不安から、「自分に問題があっても」のような前提が常に思考に覆い被さっているために、ついそこから逆算し「こんな自分に共感」とか「こんな自分を受け入れられるだろうか」とか「情報開示するのが不安だ(問題があるに決まっているので)」のような必要の無い考えが連続しているのです。

考えられる事は、幼児期のネグレクトの“ように”「自分の存在自体がこれでいいのか(自分が自分だからネグレクトされるのではないか)」のようなアイデアが全ての前提になっていると推定するのが自然でしょう。
※実際具体的な話を伺っていないので、分析は「たとえば」のレヴェルで、推定ですから正確なものではありません。


を、踏まえて
『何故自分は人を拒絶しているのか』のテーマを考えてみて下さい。

> 精神分析やカウンセリングの治療を受けたいと思っているのですが、どういう掛かり方がよいのでしょうか?
> 病院や治療院に直接行くような形のほうがよいのでしょうか?治療費はいくらくらいなんでしょうか?
> できれば早い段階で治したいです。

こればかりは、個人の選択になるので軽率には言えませんが。
ー律神経失調のような身体的不快を伴っていない
⊃翰的な不安感だけで、ナルチシズム的な内向が無い(自戒の発想があるので、自意識は冷静だと言えますから)
人間関係が完全に破綻していない
※「腹を割って話せる友人も一人か二人」これ多いぐらいです(笑
に椰佑貿困澆膨礁未垢覦媚廚ある

これらから、カウンセリングの窓口のある(無いケースもあるので、これは気軽に電話で聞いてみるのがいいでしょう)精神科や心療内科がいいでしょう。個人的意見になりますがykiさんには投薬等の療法は好ましくないと思います(となると精神科はあまりお勧めできません)。カウンセリングが有効に思いますから、このサイトの『有料メールカウンセリング』でも構いませんし、ご自身でカウンセリングのコースがある診療機関を調べてカウンセリングを受ける事を薦めます。
カウンセリングに関しては料金も一律ではありませんので(医療機関の場合1回1時間6千円〜1万円ぐらいかと思います)詳細は何とも言えません(基本的に保険適応外なので)。
このサイトの有料メールの金額に関してはHPで確認してください。

「期間がどれくれいかかるのか」
ここも、ykiさんの取り組み方に関わってきますので、何とも言えません。半年一年で一定の成果がある場合もありますし、数年かかる場合もあります。
『悩みがある』というのは、無意識と自意識の間に葛藤があるからで、どういう意味かと言いますと「こうなりたい」と思っている自意識に対して「今のままがいい」と思っている無意識がある事になります。基本的に「カウンセリングそのものへの抵抗」が同時に継続しますから、自分自身の無意識にどれだけ自意識がアプローチできるのかという部分には大きく個人差があります。

606 最近おかしい気がします あゆ Mail address 2006/07/22 04:07
初めまして,18歳女,高3です。
つい最近ある期間から自分がおかしい気がします。
それは文化祭,体育祭,中間テスト,期末テスト,模試が立て続けにあった時からです。
それで心身共にとても疲れました。
それ以来,突然に焦燥感にかられたらり,ドキドキしたり,
それまでは友達が溜まっていたら輪に入って言ったのですが,おっくうになり,
自分から行けば良いことなのに,私はハブだと勝手に思いこんで
悲しくなったりイライラしたりします。
一番仲良かった子はテンションが高く,前はその乗りに付いていけたのですが,

今は付いていけません。疲れてしまいます。
そんなんだから,その子は他の子と仲良くなってしまいました。
自分が悪いのに,『なんでよ』思い悲しいしイライラします。
相手の子とも,仲良いので3人で話せばいいのですが,入って行きたくありません。
かと思えば,突然明るくなってテンションが高くなるときもあるんです。

向こうから来てくれるとすごく嬉しいんです。
自分で自分が分かりません。
でもこんなのは,他の精神的な問題がある方に比べたらたいしたことじゃない。
って思うのですが自分にとってはツライです。
ほっておけば治りますか?
こんなことで病院に行っていいのでしょうか?
611 ポジテイヴに考えてみましょう kagewari 2006/07/22 22:02
ポジテイヴに考えてみましょう

思考法のポジティヴシンキングとかの意味ではありませんから、誤解の無いように気をつけてくださいね。

さて、本題ですが
「ポジテイヴに考えてみましょう」、どういう意味かと言いますと相談には複数の意味合いが絡み合っていますから、ここを分解する所から始めます。
■第一
「疲れたので人間関係の対応限度を超えて結果的に関係そのものが変わった気がする」部分に関しては、元々無理して継続するような内容では無かった証明なので一向に気にする必要はありません。
人間関係とは、「困ったときに頼りになる」等本来自分にとってもリラックスに繋がるものでなければ意味が無いからです。

だとしても、学校に人間関係は『無作為による小集団の特定』なので、同じ志望で就職した職場以上に人間関係が不条理である事は間違い有りません。「同じクラス(階級社会)を形成する正当性を何ひとつもっていない」からです、
言い換えると「電車で偶然乗り合わせた乗客と、一年間人間関係を形成しなければならない」に近いもので、同時に乗客が全員ほぼ同年齢であるという特異性も自我にとっては相当ストレスになります。
確かに高校ともなれば「自分の志望校」という前提はあるにはありますが、航空系高校とか美術系高校や、工学関係農学関係とかよほどキャラクターが強くなれば「志望における集団形成の必然性」は現在の所ほとんど形骸化している事は間違いありません。
(本来は「校風」であるとかによって、自己決定で選択されるものなのですが)
大学では基本的にクラスは存在せず、専門性の高いゼミにおける小集団か語学選択の集団がそれに近いものになりますが、小中高におけるクラスとは内容が大幅に違います。

小中高で、それほどまでに不条理な集団形成が許されている背景は「大人としての自分の意志の覚醒が未成熟だから」を公としては理由にしています。簡単に言うと「誰が誰以前に“小学生(子供)”という共通キャラが人格においても支配的である」と言う判断です。
これちょっと考えてもらえるとわかると思いますが、現代社会の在り方とかけ離れていますから「それだけ個人の自我が感じるストレスは大きくなっている」事は間違いありません。
個性化が進み、年少者でも自我の個人的な判断(大人化)は昔と比較にならないほど進んでいますから、
「そもそも小中高でクラス等という小集団を形成して管理するのは間違っている」と言い切ってもいいのです。

つまり現代社会の小中高のクラスの意味とは
「不条理な人間関係を“付き合い”としてなんとかやり過ごす」事でしか無く、友人を見つける機能は同時に後退しています。
(個性化が進んでいるので、気の合う友人が同じクラスに集まる確立が相対的に後退するため)
ある意味、気の合う友人は「個人的な趣味のサークルや、学校外の習い事やネットの世界」等で見つける方が具体性が高く、学校の集団等は「ただ不快なだけ」と考えても間違いありません。

つまり「疲れた」を原因に、人間関係が面倒になるのは健全な事で全く問題ではありません。
特に共有や共感する部分の正当性も無い「何所の誰だかわからん奴らと強制的に友人関係の振りをしなくてはいけない」なーんて事は、大人の社会にも存在しません。
醒めた目で、孤立してるぐらいで正常です、
妙に集団に依存すれば依存するほど人格に問題があると考えてもいでしょう(=異様なテンション)。
そんな集団で、友人社会を「マジに正当性がある」と感じている方が、異常だからです、
この意味不明の正当性は「問題のある家庭社会の反動形成の投影」であったり専ら個人的理由によるもので、「そもそも友人がどんな人間か」等という基本的な認知すら後退していますから「作為的に造られた意味不明の集団心理」の方が優先しているぐらいです。
現在友人と思っている人間と友人である正当性が最初からほとんど無いんですから。
昔の小中学校のクラスで友人が3人できるとするなら、現在の小中学校における友人数は0.5人と言えるんじゃないでしょうか。

※つまり現代社会の小中高学生は自我の個人的領域が昔よりも拡大していますから「自分はこう思うから」を動機とする個人的な活動は、昔に比べて格段に増えていて、年少者における学校の位置付けや支配率は大幅に後退するので、「同じクラスに友人がいるのか」という言葉は最初からナンセンスな時代になのです。
「自分には個人的な友人乃至信頼できる人物はいるか」が、問としても自然で、当然その対象者は「性別・年齢・地域・職業・国籍」についてバラついていて自然です。

■第二
> ほっておけば治りますか?
上記の説明のとおり、学校社会の人間関係を極端に(強迫的)重要視してしまう部分こそ問題です。
無理して又仲間入りする方が不自然(今感じている違和感の方が自然)だからです。

それこそ「素のまんまで」
「へ、なんでそうなる」とか「俺は知らんな」とか「馬鹿なんじゃネーかお前」とか気軽に言えなきゃ誰だってストレス溜まりますし、それが気軽に言えるような人間関係をどう築く(自分が不快になるだけですから)のかが『処世術』として大事なぐらいなんですから。

そんな風に考えてしまう背景に、『社会適応強迫』がある事を考えてみるべきでしょう(社会適応に関しての論議は、この掲示板のやり取りに多数ありますから、過去ログも読んでみてください)、
『社会適応強迫』=ま、俗っぽく言えば「当り障りの無い優等生強迫」のようなものです。
これは『家族からの学校生活の評価』を恐れるあまり起きる事が多いですから、基本的な考え方を整理しておきましょう。

「学校生活はプライヴァシーであり(本来家族に対して『成績の開示義務』があるのかすら怪しいのです)」、本来家族には関係ありません。
家族社会の会話の中で学校生活について語るシーンが登場するのは自然でしょうが(そりゃ頻繁に学校いってますから)、当たり前ではないのです。
話を夫婦に置き換えてみましょう

「あなた仕事の話ばっかり、家では仕事の話やめてくれないかしら」
これよく聞く会話ですよね

つまり
「○子、いいかげんにしてくれない。学校の話ばっかり」であっていいんです。
そもそも、学校の話を家庭ですることが一般的になった背景には「高学歴化」があり、各親はその高学歴度で「親の能力を評価された時代」もありましたから、資金援助も含めて「子供の学校成績は自分の問題である」ぐらいに関心度が肥大化した部分が背景にあります。
そして、第一の話と被りますが昔の子供は「自我のかなりの部分が他者とそう違いの無い“子供”」であったため、まー大体の子供の個人的な関心事も学校生活であったため、親と子の個人的な会話として「学校どうだった」に違和感が無かったのです。
こんな部分も現代では(大学が供給過剰な時代ですし)意味を失いましたから、親子の会話で「学校どうだった」はナンセンスでしょうね(笑
口ぽっかんで「あなたも高校行きたいの?」と聞き返してもいいぐらいです。

現代社会であれば
「ショートの守備ってそんなに難しいの?」
「今のチーム3バックで守備機能してる?」
「新しいロシアの先生ってワガノワ出身なのよ、知ってる?」
「音楽ダウンロードしているんでしょ、無料でいいとこないかな」
「今度学生時代の友達と相談事があるのよ、会議するのにぴったりのお店知らない?」
「○男さん、駅前に新しいガチャガチャできたよ〜」
「お父さん出世したのよ、今は極度の緊張状態だから声掛けちゃダメよん。プレッシャーに弱いから」
「朝のゴミだしなんだけど、○○さんがチェック厳しいのよ、月曜日だけお願いできないかな〜。アイス1個で取引しない?」
「パエリア失敗しちゃった!みなさーん不味いですよ。今日は我慢して食べてください、借りは今度返します!」
「お父さん車ぶつけちゃってさ、○子にバレるとヤバイんだよ。お前さモデラー並みの腕前だっていうじゃない、これこのとおりお願いだからウレタンバンパーの傷をこっそり直してもらえないだろうか。○○○のコミック全巻でどうよ」

が自然です。

「疲れちゃって、いつもの仲間とも最近ちょっと疎遠なのよね〜」
本来何の問題も無い話です。
「そうなんだ、ひとりでボーっとしたい時って誰でもあるよね」と返すのが自然な会話ですよ?

そこが脅迫的だとするなら、『社会適応妄想』について考えてみるべきでしょう。

663 参ってます taka 2006/08/28 11:25
はじめまして。

私には、気になる人がいます。
気になっていると言っても、好きな女性のことではなくて、その人物は、3年前に会社を辞めた同期のことです。
何故気になるかと言うと、その同期に対して嫌悪感を持っているからです。
入社当時から何か気持ち悪いとか自分に何か嫌がらせをするんじゃないか?という考えを抱いていました。
なぜ、そのように思ったのかというとその同期は、PCや電気関係に詳しそうに見えたからです。
また、入社当時この同期と別の同期が会話しているのを聞いていたら、この同期が何かの個人情報を持っていると言ってるのを聞いて恐怖感を抱きました。
ただ、実際に嫌がらせされたりいじめられたことはなく、会社の廊下ですれ違えば向こうの方から快く挨拶してきました。
また、逆に自分が彼に嫌がらせをして恨みを買うようなこともありません。
また、彼とは殆ど交流はありませんでした。
今年の1月には、彼の人間性を確認するためにメールを送りました。
そしたら、彼から返信があり内容も凄く親切なものでした。

今週の日曜日に、都内の駅でこの同期に似ている人物を見ました。
この人物を見た瞬間、本物の同期で自分に何かしたのではないかという考えが頭に浮かんできました。
ただ、身体に何か危害を加えられた形跡はなく、何もされてないように見えるのですが、
どうしても何かされたんじゃないか?という心配事が頭から消えません。

どうすれば、この不快な思いを消し去ることが出来ますか?

また、駅でみた人物は、本物の同期と思われますか?
664 場当たり的に選ばれているのです。 kagewari 2006/08/28 16:03
「私にはどうしても何かされるんじゃないか?という(漠然とした)不安が頭から消える事が無い。常に気になっている」のですよ

これは、不安神経症の強迫(脅迫)ストレスが恒常化(構造化)していると言う意味で、当然不安には根拠はないですから、自我は自己防衛するためにとにもかくにも仮想敵を想定したのです。
この振舞いは特別不思議なものではありません。
「虫に刺されそうな気がする」ので「腕に虫除けをスプレーした」
「腕が蚊に刺されそうな気がする」という“具体的な心配”は最初からありませんが、自我は「なんとなく虫に刺されそうな気がする」という不安を持っていたとします。これになんとか対処(恒常的な不安がそのまま継続してしまうので)するために、自我は可能性のある物や経験から“適当な”「具体的恐怖の仮想」を結果的に必要とするんです。
この対処を『気休め』とか『偽薬効果』といいます。
自分自身に「きっとこれだ」と無意識に提案すると考えればわかりやすいと言えるかもしれません。

国にたとえて言うなら
「誰ということはなく、何となく攻めこまれる気がする」という不安があったとしても、依頼を受けた国軍は「どこかを仮想敵に指定しないと対処できない」のと同じです。
そもそも「具体的にこの国に攻められるのが心配だ」というなら、「何となく攻めこまれる気がする」とは感じません。
不安に思う前に「ミサイル防衛が必要だ」と“思う”からです。

虫に刺されそうな気がするって「漠然とした不安」は、漠然としているとこに意味があるのです。本当の不安が「キャンプファイアーの火に対する恐怖」だと仮定します、そのキャンプファイアーを考えるのも不快な時、この嫌な感じを当座無意識に追いやるためには、形骸だけでも対処の形を取り繕う事で、場当たり的な安心は得られます。そして狙いどおり「キャンプファイアーの不安は無意識化します」。
強い不快を、対処可能な小さな不快で代替した、
一種の経済原則のようなものですが、その対処自体場当たり的な(極端に言えば見当違いなので)ものですから、エスカレートすれば逆に「その対処」自体が二次的に問題になってしまいます。
何故なら、「虫刺され」にいくら対処しても、本質的な不安「キャンプファイアー問題」は何ら解決しないので、根本的不安ストレスは解決せず「場当たり的虫刺され不安」を繰り返してしまうからです。
同時に「本当に虫刺されが問題なのでは無いので」、結果的には「いつになったら虫刺され問題は解決するのか」と、矛盾するロジックそれ自体が問題であるかのように話はどんどん変質します。

つまり、『会社を辞めた同期』は全く何の関わりも無い証明です。
彼が場当たり的に選ばれたのは『自分よりPCや電気関係に詳しそう』という推定で、『誰かから被害を受けそうな気がする』という漠然とした不安が形を「変えて具体化している」のです。
自分が被害を受けるという前提から逆算すると、自分が得な分野で被害実体が起こりそうには思えませんから(リアリティーが無い)、
なので『自分よりPCや電気関係に詳しそう』という話が意味を持ったのでしょう。

ある意味『自分よりPCや電気関係に詳しそう』という部分から、本質的な不安も推定(あくまで推定ですが)可能です。
>「この同期が何かの個人情報を持っていると言ってるのを聞いて恐怖感を抱きました」
つまり、自分が隠しておきたい本当の不安を見透かされた気がしている。=無意識に不安を隠している構造に、自意識が気が付きそうな(構造が不安定になっている)状態にあるためで、
「彼にバレている気がする」という連想を生んだのです。
※本来本質的不安に気がつき始めているのは自分自身、
(駅で見た人物が誰かは問題ではなく、間違いなく自分が駅にいた事がその連想を生んだのです。その人物が本当に彼であるとか考える事には一切意味がありません。)

自我の本質的不安隠蔽構造は、就職(自我の社会化)という環境の変化で不安定化したのでしょう。「不安が投影しやすい環境になり、気になりだした」、
@ですから本質的な不安は就職以前にある事も証明されます。

評価として「(自分)ダメじゃないか」的に、根拠も無く自分自身を否定的に思ってしまう(劣等感)恒常的ストレスがあると考えるのが自然です。
この構造は「被害をうけるのじゃないか」という根拠の無い不安の形(『被』)で認識され、対処に困った自我は「虫刺され腕か?」的に処理をした。
わかりやすく言えば、「自分自身の一部が彼に投影した」のであって、この嫌悪感の元は自分であると考えてもいいでしょう。
無意識に「自分自身に嫌悪感を持っている」って気持ちを抑圧しているって事です。

具体的に彼が何者かであるとか考える事には意味が無いですから、ここをあれこれ考えるべきではありません。
本質的不安を隠蔽するために、話が逸れるばかりです。
キャンプファイアーが不安の本体なのに「蚊の生態が詳しく載っている図鑑を買う」ようなものです。

■しかし

この本質的な不安が隠蔽される理由は、「考えたくない不快感」があるためなので、事を急ぐと反射的に「そんな事は無い」という反発(自我の自己防衛)が起きてしまいますから、

ここは

「なんとなく、全然(彼は)違うんだよな〜。ホント“参った”な」
と考えてみてください
冷静に、自分自身の心理を横から眺めれば「ほんとはこうなんじゃないの?」のように、間接的に本質的不安を推定できるようになるでしょう。
根本的な対処は、その後からになります。

666 彼氏を殴ってしまいました なみ 2006/08/29 03:43
誰にも相談できず投稿しています。
彼氏と口論になり、口では勝てない私は頭に血が上り
思わず彼を殴ってしまいました。
その後も彼を思いっきり罵りながら、殴りかかりました。
最初は彼は制止しようとしてたのですが、その内、頭にきたのか何度か
殴られました。7対3ぐらいの割合で私は殴ったり蹴ったりしました。
彼はもちろん全力で殴ってはないのはわかるのですが、1日たってみると
私の体には青くあざが残ってしまいました。
こんなことになってもまだ、彼と一緒にいたいという気持ちはあり、
彼も私のあざを見てとても後悔しているようでした。
もちろん男だけが女を殴ってはいけないとは思っていません。
しかも今回は私が始めたことで、
彼を殴ったことも実はさほど後悔していません。
私たちはこのまま一緒にいてもよいのでしょうか?
加害者と被害者両方の気持ちが入り混じった自分は精神的におかしいのではと
思います。そのため、こんな自分と一緒にいることは彼にとってよくないのではと悩んでいます。
今回のコトをどう消化すればいいのか良いアドバイスを頂けたらと
思います。よろしくお願いします。
668 まず暴力そのものを考えてみましょう kagewari 2006/08/29 22:21
自己表現の手段として暴力は有り得るのか?
「興奮状態にあっても何らかの意図を表現するために他に手段が無い」という緊急事態的なケースはアリでしょうが(火事で部屋の扉を蹴破るのも暴力ですから)、特定個人とのコミュニケーションで『暴力でしか表現できない話』は現実問題一切無いでしょう。

例外としてはスポーツや軍隊での緊急事態(そもそも勝敗を巡って精神状態としては最初から緊急事態といえるので)が稀にあるぐらいです。
当然、興奮して危険な状態にいる人物を警察や消防が実力阻止する場合にもこれは当てはまります。

さて、暴力を日常の表現手段として使う生き物は地球上にはいません。
補食獣のそれは、生きるためで暴力じゃ無いですから、
むしろ彼らが狩をする時には、「これから仕事だ」と言わんばかりに真剣なので心理的には興奮どころが鋭利なぐらいに冷静であると考えるのが自然で、
TV等で誇張される彼らの怖い顔は、自分の縄張りへの侵入者に対する『警告』であって、これが選択されるのは「暴力は困る」からです。
典型例としては、補食獣ではありませんが大型の霊長類にゴリラがいます。ゴリラはボディービルダーよろしく屈強な身体を持ちますが、オス同士の争いの大半は「胸を叩いて音を立てる(ドラミング)」によって決します。本気でつかみ合う事はありません。実際ゴリラは平和的で大人しい霊長類として有名です(なので映画キングコングの演出には問題も多い)。暴力による争いを避けるための屈強な身体なのです、

種内の順位争いで喧嘩に近い争いが起きる例も稀にありますが、人間以上に強い社会性を持つ事で知られるオオカミは『降参のポーズ』がきまっていて、争いが起きても一度降参のポーズを見せれば相手は攻撃を止めます。順位が決まった後は大事な仲間なんですし、強力な牙を持っていますから大怪我をしないように、降参のポーズと本能は密接に関わっていて不毛な暴力を抑止しています。

さて、人間の場合ですが
人間には一撃必殺の武器(牙や爪)がありません。
ですから、これを抑止する本能との関連も無く、その後自意識レベルで発見した武器なるものを本能は想定出来ないので(本能による抑止がきかない)、殺人等については自意識や文化で抑制することになります。
(なので、銃器の文化の無い国でガンコントロールを行うのは合理的判断)
そもそも、暴力は『緊急事態の興奮状態の中でギリギリ選択される理性』とも考えられますから(興奮状態であればパニックで逃げ出す方が自然なので)、自意識レベルでは何らかのロジック(意図)がある証明でもあり、同時に自意識が考える背景事情は「緊急事態」を意味します。

■前段が長くなりましたが

彼に対して暴力を振るったのは、自意識の認定が「緊急事態」だったからです。
一部推測を含む話になりますが強迫性のストレスで既に「自分は緊急事態だ」な精神状態にある時何かを表現しようとして暴力的な手段に至る場合があります。
(先ず暴力の発端が心理的には「自己防衛」です)
繰り返しになりますが暴力とは『緊急事態の興奮状態の中で選択される理性』である以上なんらかのロジックであって、当事者には意図があることになります。
なので「加害者」なのです。

今回のケースから考える場合、事実関係から被害者を特定するなら『彼』です、
何故なら彼にも暴力はありますが、それはリアクションだからで、この場合正当防衛と考えるのが自然になります。これは以下の文面で証明されています
>彼を殴ったことも実はさほど後悔していません。
実行行為がロジカルな加害行為(能動的に伝える意図がある)である証明で、

そして彼は
>私のあざを見てとても後悔しているようでした。
リアクションとして、自分でも取りたくない行動に巻き込まれたのですから「本意ではないので」後悔していることになります。ここまでで被害者が「彼」であるのは明白です。

そうなると
>こんなことになってもまだ、彼と一緒にいたいという気持ちはあり、
ここの合理性はどこにあるのか?となります。
暴力は多聞に性的衝動と結びつく言動(前述の動物行動学に関する記述をもう一度参照してください)で、脳内麻薬とも言われる神経伝達物質に共通するものも多く、性的興奮を伴った甘え(幼児的性愛表現)とも解釈できます(幼児の見せる感情的破綻を大人の年齢で行うと「暴力」の形になるのです)。
つまり脳内では快感なので、依存傾向になりやすいのです。

ですから、暴力を含んだ人間関係の場合、それぞれの立場で切り分けて考えなければならないのです。
■ここが最も重要なので、内容を確認しながら読んで欲しいのですが、
暴力の被害者は、関係を継続すると「心理的に暴力行為を肯定」してしまい、その暴力を助長してしまう可能性に気が付かないことが多く、被害を受ける自分自身の「人に好感される善良さ」のようなものに依存してしまう事があり、
こういったケースを「供依存(お互いに依存関係が成立している)」と言います。
一見大騒ぎしている両者の関係は「関係性を原因としているように見えても、実は両者の自己愛的な個人的言動であり、まったくかみ合っていないばかりか両者がお互いに相手の自己愛的依存をエスカレートさせてしまう」というもので、巷間伝わる『大恋愛』のエピソードはそういった事例が多い(実は恋愛“関係”が元々成立していない)のです。

なので、必ず両者の立場に対する切り分けが必要なのです。
関係性で考えてしまうと、それぞれの行為は「自己愛的解釈」で現実から離れた感情論になってしまい、別れても継続してもそのどちらにおいても結果が歪んでしまいます。
>私たちはこのまま一緒にいてもよいのでしょうか?

つまり「私たちは」で考える事はあまりよろしくありません。

暴力の発端と思われる強迫性のストレスは、なみさん自身の問題でこれに彼は(それを刺激したとしても)関係無いからです。簡単に言うと彼に何か伝えたい事があったとしてもそれが(強迫性のストレスが無ければ)暴力的手段でなければならない必然性は何処にも無いからです。
そして又、彼は彼で被害者ですが「このまま暴力の渦中に身を置くか?」を自分で考えるべきでそれは彼自身の問題であり、これになみさんは関係無いのです。
同時に彼は「この暴力の問題を自分で解決できる」と考えるべきではないし間違いです。
それはなみさんの個人的な問題であり「関係性を発端としていない」のですから、

皮肉にも、彼が正当防衛で反撃している事は「この扱いは不当だ」という意味で供依存から離れる言動で、暴力それ自体は褒められた行為じゃありませんが「泣きながら僕が悪かった」等というような自己愛的言動に比べれば何倍もマシな「素の反応」なので一見一番救いの無い部分に見えますが、このケースにおいては唯一の救いでもあります。
『自分の暴力性を彼と関連付けない』という条件付ですが、個人的な問題を相談する対象者として彼は有効な部分を残しています。

全体をざっとまとめてみましょう

・暴力の問題は、それぞれ自分の問題として切り分けて考える
・事実関係として「なみさんは加害者、彼は被害者」これを認定する
・そもそも強迫性のストレスがある事を前提(暴力性の原因)に、自分自身の心理的背景を「恋愛性結びつけずに」考えてみる
・二人の関係性を無視して彼を「第三者に見立てて」考えられる強迫性のストレスについて相談してみる
・暴力性は突出して認知されますが、強迫性のストレスを原因とする他の関係障害(人間関係の悩み)も必ずある筈なので些細な事でも思い出してみる。

今早急にできるのは、ここまでだと思います。
重要なキーは「恋愛をキーに幼児性の感情的破綻が起きている」という部分でしょうか。
実際、アバラを骨折したとか、右手の中指の骨がが折れたとか、アゴを骨折したというレベルでは無いので、殊更暴力の内容を深刻に考えても意味ありません。

本質的に生き物は暴力的では無いからです。

674 軽い自傷癖があるのですが みか 2006/09/03 04:38
三年程前から、嫌な事があると腕と足に対する軽い自傷癖があります。
お医者様へ行った事もなく、軽い、と自称するのは、生命には危険がないだろう、という基準からです。
その内収まるだろうと思い年月が経過してしまい、未だ続いている為どなたかに相談出来ないかと思い、ここへやって参りました。

気になっているのは、以前聞きかじった、自傷癖がある場合はすぐにお医者様へ、という一文を見た事があるからなのですが、収まらない、生命に危険がないだろう自傷癖の場合は、自然治癒を待っていて治るのかどうかという点です。

リストカットなどと異なり主要血管に傷を付け死にたい、訳ではなく、自分の血を確認して舐めたいという欲求があり、切ってしまうので、生命の危険はないと思うのですが、同様の相談などが表面上では見受けられず、どうしたものかと思っております。
家族関係、人間関係で何か起きた際に血が見たいと思うので、ストレス発散の一種かと思うのですが、こういった症状はあるものなのでしょうか。
675 命に危険はありません。 kagewari 2006/09/03 07:49
依存(繰り返しそれなしに発散しないストレスが恒常化している)というのが自意識の思惑で自由にならないのは「似非(えせ)」だからです。
まさか「自傷したい」などという意味不明の欲求を生き物が持つ事はありませんから、これ(自傷)は「何かの代わりに選択されている二次的行為」です。
つまりストレスの意図している欲求(欲求が行為化されることでストレスは解消しこれを脳は『快感』と認知します)では無いのです。

簡単に言うと、空腹ストレスを満たす事に「何らかの抵抗」があり、これを無意識化しなければならない場合、何らかの方法で「結果としてそれに近い(連想)行為」で、いかにもそのストレスは代謝(満足し脳内には「快」の認知を送る)したのだと、誤認させなければなりません。
感覚的に表現すると
「代償を支払って、誰かに身代わりになってもらう」といった感じです。
ですから「嫌悪感と同時にほっとする」結果となります、

しかし、これを反復すると都合の悪い事にそこには必ず「快認知」が脳内で成立してしまいます。
脳内で「快認知」が行われると(本来生命は快の信号を求めてそれを反復する事で生存する上で合理的な行動を成立させるため)、同じ行為を反復し再び満足(快)したいと関連付けが行われてしまうのです。

つまり「それは食欲と同じで必要な行為」だと、
快認知行動を定期的に欲求する事は生存する上で“必要な筈”なので(快がそれを証明)、脳はその行為の反復を求めてストレス信号を送ります。「渇望」です、

そもそも初動のストレスが行為化されていればストレス信号は、「マジに空腹である」等のような具体的現実を根拠とするので法則性も無く繰り返す心配は無いのですが、これの代理で行われる『似非のストレス代謝』による代理満足を行ってしまうと、その代理満足には関連する具体的現実という根拠が無いのですから、エスカレートする事はあっても、現実そのものがその欲求を規制する力を失ってしまいます。
ほとんど中毒と同じ現象です、

自我はストレス信号を無視する自立性が非常に微弱なのです。
何故かと言えば、容易に食欲を沈静化させてしまう自立性を自我が勝手に手にしてしまうことは命の危険を意味するからです。
自我に求められている仕事とは、ストレス信号を解決する行動を速やかに行うか、困難な場合それを実現するアイデアを思いつく事だからです。
「食欲」があれば「速やかに食事する」
金銭的事情でそれが容易で無い場合「カップラーメンを選択する」とか「友人にお金を借りる」とか「頼むからカツどん奢ってくれよ〜」と泣きつくとか作戦を考えるのが自我の仕事ですから、

では、自傷行為が意図する欲求は何の連想でしょうか?
「体液」「痛み」「興奮」「生の確認」「バイオレンス」
この連想は『性意識』と非常に似通った快感認知です。
つまり、マスターベーションととても似た代理満足なのです、
ですから「繰り返してしまう」と
心因性の問題で起きる典型的な事例のひとつです
(自殺衝動との違いは「ナルチシズムの度合いの差」です)

人間関係の基本は『性意識』です、
性意識とはダイレクトにSEXを意味するものではありません。
単細胞生物から哺乳類までの進化の過程を考えていただければわかると思いますが、本来生命は単独での自己完結型実存を本旨としますが、我々は『進化』の可能性を雌雄の分離による遺伝子交換という方法の結果得られる多様性(異なる子孫を残す)によって環境の変化に適応する道を求めた種の末裔です。
つまり、社会化し複数で活動している実態の基本は「『性差』があるから」と言えるのです。
下品な表現を使えば「そもそも家族というのはオスとメスがSEXするためのグロテスクな場所」であり、家族愛等という装飾はこれをなんとか合理的に倫理観と連続させるためのレトリックであると考える事もできます。
(わかりやすくするために「誇張した表現で言うと」ですよ)

>家族関係、人間関係で何か起きた際に血が見たいと思うので

答えは簡単です
人間関係の結果得られる快感を拒絶している(或いは諦めている、嫌悪している)ので、その欲求を抑圧し、代理満足(所詮代理なので『満足感』を充足させるため極端な行為でなければなりません)『自傷』によってそのストレス信号を代謝してしまった。

■第一に考えるべき事は、代理満足の連想性を無力化させなければなりません。
通常人間なんてものは、良好な人間関係で「お互い様法則」で快感を得ようと考えますから、ほとんどのケースで穏やかな好感でその関係が成立します。
しかし、人種差別等自我がこれをブロックする障壁があると、代理満足として「差別」や「暴力」が選択させるのと同じで「根拠が無い為抑制が効かない」という悪循環をまねくのです。

自分がいったい何を人間関係の障壁としているか?
これを冷静に考えなければなりません、
予想される事例は以下のようなものになります
 崙盡性自己愛の結果、法外な好感で接待されない限り自分は不満足だ」と憤っている
特定人物を無意識に象徴化(極端になると神聖化)していて、「その人物は殊のほか自分のことを寵愛している」という事実誤認に気が付いていない
B梢諭焚搬欧魎泙燹砲糧娠の前に「自分が好感など得られる筈が無い」という考えを固定化させてしまい、最初から人間関係そのものを嫌悪している
た牲仂匹らみの感情的人物の行動を「自分が原因だ」と思い違いをしている
(神経症がらみの感情的人物は、その人の個人的理由で感情的なだけ)

等々それに類する「の、ような」多数の可能性です。
これを自分なりに「一体何を勘違いしているのやら」と考えてみるのです。
※重要なポイントですが、当面は答えを見つける必要性は全くありません。最初は「一体何を勘違いしているのか」と考える事それ自体が重要な意味を持ちます。
考えた瞬間、欲望の連鎖で自傷ストレスが呼び返されるタイミングを遅らせる事ができるからです。
「拍子抜け作戦」とでも考えてください。

■第二に考えるべきことは、「自傷行為の事をたいして重要な事ではない」と考える事です。
自傷をやたらと「大変な事だ」とか「なんて事をしてまったのかー」など感傷的に考えれば考えるほど、自傷がもたらす興奮(脳内では快感)が増してしまうからです。
「傷が21本になると地方自治体の宝くじにあたる」等と考えるのです、
なんとなく、アホらしくなります。

大事なのは「最初に断念され無意識化(なので現在その自覚はありません)されたストレスを人間関係において解決する」この一点だからです。
解決とは、仲良くするとかそういう意味ではありません。
「良くも悪くもコミュニケーションが成立したのか?」、
そこに「納得のいく事実」があればいいのです。
「借金があるからなのか」とか「あなた神経症だったの」や「なんだドエライ勘違いなのか」とか「特別あなたとの関係は重要じゃなかったんだ」とかです。


「カップラーメンでいいや」のような結論の事ですよ
676 Re:命に危険はありません。 みか 2006/09/03 16:39
Kagewari様、ご返信ありがとうございます。
自傷行為は代替的な要求だから、原因になっている人間関係の障壁の方、根本的な要求の方を解決する。
という事と、イコールで自傷行為に繋がってしまっている連想を途中で叩き切る事を考える事にします。
行為そのものについては重要視すると自己陶酔で増長するものなんだ、と考えました。そっちはドライな目で見ながら、原因の方と付き合ってみたいと思います。
安心致しました、ありがとうございます。