Kagewari 精神分析相談事務所  HP  BLOG  過去ログ  有料メール相談 

「掲示板での相談、閲覧・有料メールカウンセリング」の過程では、自我の防衛反応による混乱(興奮)が現れます。精神分析的アプローチによる「自我構造(こころ)の揺れ」です。その点に同意の上入室してください。



453 立ち直り? ゆり 2005/07/31 21:51
こんにちは。相談したいことがあります・・・
実は最近、友人の紹介であった人と、何回かデートしてうまくいっていたのですが、お互い忘れられない人が、いるということを打ち明けて別れました。
でも何日かして、忘れられない人が居るのはあたりまえだろうし、2人で乗り越えていくことは出来ないだろうか?と思い始め、
連絡を取ったのですが、あんまり相手にしてもらえず、ここ1k月彼のことばかり考えていたし、苦しくて仕方なったのですが・・・

なんか連絡も来ない状態が続いたせいか、
最近苦しくなくなってきました。いわゆる諦め、ということでしょうか?
これからも私は彼を思って苦しくなることは薄くなっていくんでしょうか
大体失恋って、どれくらいかかっても、苦しくても、立ち直れるでしょうか・・
454 Re:立ち直り? kage 2005/07/31 22:23
分けて考えましょう。
一見前段の話と後段の話は繋がっているように見えますが(実際そう自覚されている筈です)これは全く関係ありません。

何故かといいますと、彼と別れた原因が「お互い忘れられない人がいる」ですから、忘れられない人とは、この“別れる原因となった忘れられない人”になります。
しかし後段の話では、忘れられない人はこの前別れた彼になっています。

つまり、直前に別れた人が「忘れられない人」になっているとすると、その前の忘れられない人が原因で忘れられない人になった直前に別れた人は、別れた後で前の忘れられない人より「今忘れられない人」になったとすると、前段の「お互いに忘れられない人がいるので別れた」事が判断ミスだった事になります。

@相談内容は、忘れられない人がいるとの原因で、大事な人と別れるという失敗を何故犯してしまったのでしょうか?
になる筈ですが、ゆりさんの相談内容は
『失恋の苦しみから立ち直れるでしょうか』になっています。

本質的に「彼マター」の悩みであるとすると「今必死で彼との関係の修復を考えています、今何をすべきでしょうか」と恋愛相談になる筈ですが、相談内容は「失恋から立ち直る事」なのです。
つまり『失恋』が象徴化(既成事実化されています)され無意識に「ある特有のイメージの投影記号化」していて、既に失恋という実体から離れています。

ここで矛盾点がみつかります。
ゆりさんの悩みは「失恋」という言葉に表現されていると言えるのです、
何故なら「お互い忘れられない人が、いるということを打ち明けて別れました」のですから、これは『失恋ではありません』
合意で別れたのであって、ゆりさんも主体的に別れる事を選択しているからです。


このブログで再三取り上げているテーマですが「被る(〜される側の発想)」に取り込まれています。ゆりさんの悩みは現実にあった彼との別れではありません、「被害者感情にも似た、ペシミスティックな発想(仮面鬱とか潜在鬱です)」にありがちなもので、「被る」状態に意識が囚われると、解釈としてどうなんだろうな話も「合理的にまとめられ、ペシミスティックに象徴化されます(=まだ確定していない関係を既成事実化し「失恋」と認識している状態)」。

◆最も重要なポイントは『ここ一ヶ月彼のことばかり考えていたし、苦しくて仕方なったのですが・・・』ここです。
この条件が成立しているのは、「既に別れているから」です。
簡単に言い換えると、今目の前にいない直前に別れた忘れられない人は、無意識に過剰に理想化され象徴化されているのです。
いないが故に、理想化されても「本当の彼の実情か証明できません」これが一ヶ月以上も悩んだ原因です。

何故なら「お互い忘れられない人が、いるということを打ち明けて別れました。」この時の判断も十分に考えられたものだった筈だからです。

◆「私は本来あるはずの幸せを、奪われた(被る)」のような潜在意識が元々あるのではないか?と考えると、事実関係の見方が変わってくる筈です。

455 責任感について N 2005/08/02 23:50
Kagewari 様

職場で悩んでいることがあり投稿しました。
上司が隠れて仕事をサボる人なんですが、勝手に
サボるのはいいのですが、偉そうな事を言ってお
いて、実際の行動は別なんです。

うわべだけの態度に、疑問を感じていました。
部下達に厳しいことを命令して、
自分ができていないことを部下に命令している
一面です。上司が仕事をサボる理由は、
給料と会社に不満があるからだそうです。
(職場での上司の人間関係もよくないです)


「社会ってそんなもんだよ」「口でうまく言って
おけばいいんだよ」と言葉を聞きますが、
これからの時代、この時代だって、そんな言葉通用
しない筈だろう。と自分は思っていますが・・・
Kagewariさんから客観的に見た場合どう思いますか?





456 Re:責任感について kage 2005/08/04 00:11
責任感についてとありますからここをテーマに話しましょう、
あなたの責任は自分の仕事であり、管理職のそれではありません。
そして、管理職の責任を考えるべきは会社上層部の判断で、その職務怠慢の責任は彼が負うべき(言い換えるなら「彼のもの」)ものです。

つまり、上司がサボタージュをしている事は「自分の会社における士気に影響が出る」という意味でしかなく、それは自分の仕事をする上で廻りの環境整備をしてくれないとすぐやる気が無くなる、とも解釈されてしまいます。
つまり責任感から考えるなら「自分の仕事は廻りと関係無く自分の責任でやる」という事で、誰かの職務態度を非難することではありません。


実際には(おそらく)違うのだと思いますが、
100歩譲って、上司の方の意見がマジだとします
サボタージュとは、会社の経営など社会的な問題に抗議するため(社会的に問題がある場合それを是正させる行動が必要です)、労働運動として(極端な例がストライキです)、会社の営業収益(労働生産性)を意図的に落とす戦術で、
彼の発言を好意的に解釈すると
「個人的に抗議の意思としてサボタージュを敢行する、諸君に組合としての共同歩調は求めない、各個に自分の仕事を整然と行ってくれたまえ、処分は私個人で受けるとする」になり、彼には責任感がある事になります。

繰り返しですが、ま、実際は彼の「体のいい言い訳」なのでしょう。

仕事がなっていない事の責任は自分にかかります。
仕事とは、自分が今日何をしたのかの結果で、その成果は自分自身のものでもあります(つまり仕事をして利益を得るのは、自分自身でもあるという事です)、その仕事を選択したのならバリバリやっても(人の仕事をとるぐらい)おかしくない話で、やる気の無い奴を見ても「お前は随分ともったいない事をしている」と思っても不思議ではありません(公害を出しているとか、仕事の意義自体に賛同できなければ話は変わりますが)。
※やりすぎは問題ですよ、これは又別の話になります、

つまり、「自分が嫌な事を、無理をしてやっている」ので無い限り「お前は楽(自分も嫌だの対比)をしている」判断には繋がりません。
ここで矛盾します、何故なら「本来仕事は自分のための利益(或いは自己表現)」でもあリえるし、仕事が得意ではなく嫌だとすると誰かを非難する前に「仕事ができるようになるにはどうするべきか」が問題になる筈だからです。

「仕事をサボって楽をする」
実はこの言葉には、ちゃんと裏があって、
疲労の限界なら、「仕事をサボってさ」の言葉を口実に自分を休ませているの意味で、実は何か考え事がしたいって時もあるでしょう、
ここで言葉が一人歩きして、
その言葉のまま「サボる」って現象も「仕事をサボって楽をした」になっていますが、マジに仕事をサボったところで、得るものはありません。
それこそ(その本人の)時間の無駄だからです、

その上司に喩えるなら、仕事をサボって評判を落とすより、言い訳しないで気にいらない事が本気であるなら辞表を書くべきでしょうし、何か改善したいならその又上司に進言すべきでしょう。虚しく時間を費やしているのは彼なんです。
ですから非難ではなく、
「オイオイお前仕事の邪魔、気に入らないんなら辞めたらどうなんだ。言いたい事あんなならちゃんと言えよ」
の方が自然じゃないでしょうか
457 ありがとうございました。 N 2005/08/04 12:22
Kagewari 様

ご意見ありがとうございました。

気持ちが整理されました。
自分の弱さも知ることができ納得しました。

そうです。仕事の成果は現実に利益を得られ
ています。>自分

がんばります。





458 虚言症? アオ 2005/09/04 22:58
考えてみたら、小学生の頃から嘘をつくことが多かったのです。空想の話を現実のように話すのです。そして、その嘘がばれそうになると、さらに嘘を重ねて誤魔化す・・・。20代後半になった今でも、くだらない空想を言ってしまいます。そして、ばれそうになり、人間関係が複雑化してしまいそうです。現実と空想との違いはわかっています。しかし、空想を話すときは、自分でも現実だと思ってしまっているかのように、リアルに話をしているのです。これは、虚言症でしょうか?いつも反省するのですが・・・何年かに1度、大きな嘘で自分をかためてしまうのです。そして、ばれそうになった時、後悔しつつも、どのように逃れるかばかりを考え、鬱のような状態に陥るのです。
459 嘘じゃないからですね kage 2005/09/05 03:27
これ最新のブログの話と一部被るので、沖縄分室のブログをちょっと参照してください。
精神分析的視点(6)「サクリファイズ」

歴史やその研究家がいるように、事実関係とは「ジャーナリズムの視点」ですら「問いかけ」的なもので抑えます。そう簡単に事実関係の明解な答えは出ません。
じゃあ社会生活における実効制圧力のある事実関係とは何でしょう
『説得力と弁解できる証拠』です。

その点「マジなフェイクや、口裏を合わせていない(反対に言えば裏をとっていない推測)ハッタリ」は話のウィークポイントです。

わかりますか?
ヤベーなって感じを非常に強く感じる部分です、
そこで、裏が取れていないのですから、デッチあげでも裏付けが欲しくなる。
こんな話は日常茶飯事なのです、誰にでもね。

アオさんの相談の中で最も大事なのは、最後の「鬱のような状態に陥るのです。」になります。
むしろ、「鬱のような状態になるため、裏の無い話をしてしまう誘惑がある」と考えてください。
シンプルにまとめてみるなら
◆自分じゃできっこないと思っている(これ実はできたりします、重要なのは自分じゃできっこないと思っているって意味です)事を、「大丈夫とか全然できてるんだよねとか言わなきゃならなかった環境」に自我が適応(習い性になっている)してしまっているのです。自意識としては、そんな面倒な事になっている(ストレス)のを何らかの方法で代謝(解決じゃないです)しなければなりません。

その時取られている手段が、「こういう面倒な話をなんとかしよう」ではなく、「(マジにできているとこを見せてくれって話にならないように)本気で“出来ない話”をして、何時かこの面倒事が根本から破綻(嘘つきという結論でも)してくれないか」というファンタジーに傾倒しています。
(「嫌な事をやんなきゃならないと思いたくないので、いっその事自分とは全く関係の無い(まるでできっこない)話をしているほうが楽」なので)
これが「鬱のような状態に陥るのです。」の原因なんです。

気持ち的には、それは「嘘じゃない」のですから、

463 相談です 文美 2005/09/16 03:08
初めまして。文美と申します。
相談したいことがあって書き込みをさせて頂きました。

高校1年のあたりが境だと思うのですが、性格が変わったと言われるようになりました。
特に生まれたときから私を見ている親は、「以前は酷く内向的で、成績は悪い方だったけど、優しくて穏やかだった。今は外交的で、成績も良いけれど、きつくなった。」と言います。
同級生の印象も180度変わっていて、それぞれに信じてもらえません。
確かに今は意見をはっきり言うようになったし、言葉遣いも特に苛ついている時は決して良いとはいえません。
今の自分はきついのかもしれません。
それは認識出来ます。
気になるのは変わったと言われるより前の自分がどうだったのか思い出せないことです。
こんなこと最初は気にも留めていませんでした。
でも、ことあるごとに「昔は良かった」「昔は優しかった」と言われるので、実は昔からこうで少し誇張して話しているだけじゃないのかと思い、昔の文集や成績表を見たんです。
そうしたら成績表にある先生からの報告欄みたいなところを読めば、確かに優しいとか穏やかとか物静かだとか書いてあります。
それに文集を読んでも、そのとき具体的に何をしたのかと聞かれると答えられません。
記憶がいつまでもはっきり残っているわけないのだから…とも思うのですが、ひとつも思い出せないということってあるのでしょうか?

昔と今はそんなに言うほど違うのか。
親が「昔は…」と言う度、以前のように振舞おうと頑張っています。
でも結局は出来なくて、思い出せなくて、ときどき不安になります。

これは私の考えすぎでしょうか?
第三者の意見が聞きたいので、よろしくお願いします。
464 話の全体像から「相談内容」を考えてみましょう。 kage 2005/09/17 01:05
話は性格が変わったと『言われる事』についてです。
文美さん自身「以前のように振舞おうと頑張っています」、のですから、性格が変わったと『言われる事』は不快だという事になります(そもそも話しのキッカケはこの部分です)。

「以前は酷く内向的で、成績は悪い方だったけど、優しくて穏やかだった。今は外交的で、成績も良いけれど、きつくなった。」
これは間接的な批判です。
不快な部分を要約すると
「最近きつい感じじゃない?(なんか感じがきつい)」
そう言われて嬉しい筈ありません、当然不快文美さんは不快でしょう。

しかし相談内容は
「昔と今はそんなに言うほど違うのか」
「ひとつも思い出せない」
を受けて、
「過去の優しい私の評判は何だったのか?思い出せないので不安だ」になっています。
◆この部分の整理が必要です。
「気になるのは変わったと言われるより前の自分がどうだったのか思い出せないことです。」と、ここで“変わったといわれる事が相談のメインではない”とそもそも話のキッカケとなる不快要因(変わったと言われる事)が相談内容として否定されているからです。

文美さんの話では、批判無しに「昔の優しい自分という評判」が肯定されています。
これはおかしいのです、後述しますが「優しい」という両親の話は「酷く内向的で、成績は悪い」とセットになっていたのですから。
後述しますが、いかにも「何かを得た代わりに何かを失った」的対比で説明されている性格の変化は、「外交的で、成績も良い」部分の評価で相殺されてもいい筈だという両親の話への批判になってもいい筈だからです。


しかも上記要約(「最近きつい感じじゃない?」)の違いに関して
>言葉遣いも特に苛ついている時は決して良いとはいえません。
>今の自分はきついのかもしれません。
と変わっている部分に自覚があります。
昔は思い出せなくても「確かに“今”は意見をはっきり言うようになった」と、明解に自覚があるんです


◆重要な部分を整理しなければなりません。
変化の内容(或いは前提)の前段部分です。
「前は酷く内向的で、成績は悪い方だった→今は外交的で、成績も良い」この部分は後者の「最近きつい感じじゃない?」と、対比関係(「何かを得た代わりに何かを失った」的対比)で説明されています。
つまり「ポジティヴな変化」として文美さんにも認定されている(不快感のポイントは後者ですから)のです。

「前は酷く内向的で、成績は悪い方だった→今は外交的で、成績も良い」
このような変化が、なんらかのきっかけやエピソード、明解な意志無しにある筈無いのです。
実際文美さんも「確かに今は意見をはっきり言うようになったし」と、その変化を認めています。


昔の心理状況を思い出す事に特に意味は無いでしょう、何故なら「今はそう感じられない」のですから、実感して思い出す事は不自然です。
思い出すとするなら「昔はこうこう、こう思っていたから内向的だったんだよね」と
※思い出すポイントは変化の理由ですよ

「前は酷く内向的で、成績は悪い方だった→今は外交的で、成績も良い」
「今の自分はきついのかもしれません。それは認識出来ます。」
この変化はどういういきさつで起きたのですか?

そして
>今の自分はきついのかもしれません。
>それは認識出来ます。

何故そうなったのですか?

465 何も sakura 2005/11/05 07:28
見えなくなるほど夢中になりたい。どこまでも中途半端なんだな、私は。「
466 Re:何も kagewari 2005/11/05 10:17
見えなくなるほど何かに夢中になるには、「それでいいんだ」という思いがなければなりません。
自己の尊厳に対する肯定です、
夢中になる事が意義深く感じるのと、それに夢中である自分を意義深く感じるのとは同列だからです。


483 困っていることがあります みる 2005/12/27 23:57
本当に小さい頃からそうなのですが、感情表現を少し強くしようとするとすぐに涙が出ます。
悲しいとか悔しいとか特にそういった気持ちでいるわけではないのですが。
例えば電車で座っていて隣の人が迷惑なことをしてきた時
ちょっと「すみませんが〜」と軽く忠告したりして、自分の意見を伝えようとすると涙が出ます。
反対に前にお年寄りが立っていて席を譲ろうとする時、
「どうぞ、座ってください」と言うだけでもなぜか涙が出ます。
知らない人の時だけではなく、よく慣れ親しんだ人でもそうなんです。
例えば遅刻してきた理由を、本当にしょうがなかったんだと主張しようとすると涙が出ます。
小さい頃から親に反抗して何かを言おうとする度そうなっていたのですが
親相手なので気にせず、何でもないのに泣きながら主張してたりしましたが。
18になった今でもまだ治りません。
外で他人に何かちょっと自分の意見を言おうとする度にそうなって今はとても困っています。
何か言うたびに涙してたら変な人ですし、悔しいわけでも悲しいわけでもないのに
違う方向に解釈されてしまうことも有り得ますから
結局何も言わないで我慢するという選択肢を選んでいます。
なぜこんな風になるのか、自分では全然見当もつきませんし、
他にそんな人の話も聞いたことがありません。
何か気休め程度でも対処法は無いでしょうか?
レス頂ければ嬉しいです。
485 実は珍しい事ではありません。 kage 2005/12/28 16:19
ひとつづつ確認してみましょう
「怒ったり、笑ったりするのに比べると泣くのは簡単」です、
俳優さんの気分で、と言えばいいでしょうか、
喜怒哀楽とは、一種の興奮で、逆さまから見ると「自意識の緊張感の破綻(緊張の糸が切れる)」です。
この喜怒哀楽は「喜でも怒でも哀でも楽でも脳内的なカテゴリーは同じ興奮に位置します」だから、怒っているのか笑っているのかどっちなのかわからなかったり(竹中直人がお笑い芸人でデビューした頃の伝説的な彼の芸「笑いながら怒る人」、これはその「脳内では同じ」で、シチュエーションを解釈しているに過ぎない事を巧みに観察した彼の発見で「アイデア」でした)、気持ちがいいのか泣いているのかわからなかったり、くすぐられてる時は可笑しくは無いですが現象としては笑いで最後に怒ったりします。
同様に酒の席では「自意識の緊張感がほぐれる」ので、上記喜怒哀楽全ての現象が頻発します。

やたらと泣く人や、泣きやすい精神状態にある自我というものは実は珍しい事ではありません(現実、相談の内容を読んで私は「はいはいはい、なるほど」という感じでした)。
これは比較の問題で、「破綻感」があると相対的に人は「破綻」と解釈します。
わかりやすく言うとこういう事です
「ほとんど緊張等しない人が、ボトル一本空けた頃に泣き出した」
「オリンピック100M決勝、走り終わった瞬間涙が出た」
これ同じ意味なんです
急角度での変化の角速度って言えばいいでしょうか、、
つまりたいしたことでも無いのに泣いてしまうのは「通常時に必要以上に緊張しているから」です。

必要以上の緊張は、お母さんに話をする時の記憶が「刷り込みのように定着」していて、人と話すシーンで追体験のように再現され(役者が泣かなくてはいけないシーンで「自分の実際の過去の悲しい記憶を無理やり思い出すように」)ているからで、誰でも他人と話す時には緊張しますから『緊張』という連想性が=「お母さんとの会話」として無意識で関連付けされてしまっているからです。

さて、根本的には「そもそもお母さんと話す時に緊張しない」という分析って話になるでしょうが、
相談内容に答えるなら、「他人との間の緊張をどうするのか=お母さんとの会話との関連性を切る」ってところになるでしょう。
一番大事なのは「脇役感」です、
お母さんとの会話シーンでの背景は「1VS1」ですよね
だから、室内劇的な緊張感(二人芝居)が高まります、何せ登場人物は二人なんですから間違いなく自分も主役のひとりです(=100M決勝)。
ここを切り替えればいいのです

わかりやすく言えば
「会社上司との会話、登場人物上司・社員A。シーン36:どうでもいい端役のBがちょっとした投げかけを始めこれを受けて上司とAが激しい論争になる」ハイ、この『どうでもいい端役』に感情移入すればいいのです。
たかだがどこの馬の骨かわからない「私」なるものが何を言ったところで地球が逆さまになるワケでもないのですから、言った後も前もたいした違いはありません。
極論(実際私は普段もそうですが)、お年寄りを察知したら「次の駅で降りるので自分の都合で立った(さっき立つのを忘れていたぐらいの勢い)」てな感じでしれっと歩き出せばいいのです。
私の場合「席を譲ったぐらいで感謝されるのが不快なので(とにかく関係性の不公平感が嫌いだからです)」、ありがとうと相手に言わせたくないのでよくそうします(ある意味その予感がしたら電車で座りません)、信憑性を高めるために隣りの車両までいくぐらいの勢いで移動したりします(笑
実際移動できないぐらい満車にお年寄が乗り込んでくるのは「ある意味迷惑」であり、自分が年寄りなら自分の身を守るためにそんな事しませんから、「困った奴だなお前」な勢いで怒りながら譲ってもいいのです。
ね、絵にならないでしょう(少なくとも主役には思えませんね)年寄りに怒りながら席を譲るシーン。

自分の事などあっちにおいて、状況設定に集中すればいいのです。このとき自分は第三者となり(評論家とか観客席の位置)極端な緊張感は後退します。