Kagewari 精神分析相談事務所  HP  BLOG  過去ログ  有料メール相談 

「掲示板での相談、閲覧・有料メールカウンセリング」の過程では、自我の防衛反応による混乱(興奮)が現れます。精神分析的アプローチによる「自我構造(こころ)の揺れ」です。その点に同意の上入室してください。



398 はじめまして おこじょ 2005/02/09 02:05
最近益々なぜ私は自分が好きになれないのかと激しい自己嫌悪に悩んでおり、やけになって救いを求めるかのように自己嫌悪で検索しココに至りました。

 自己嫌悪は今に至らず、小1・2頃には学校のアンケートで“自分は好きか”という項目に“自分が嫌い”と書いた記憶があり、当然皆もそうだと思っていた子でした。自己嫌悪は自己向上の原動力だと思っていました。しかし、何をしてもいつも満足せずそんな自分に不快を感じさえします。私はおそらく完璧主義なんだと思います、特に自分には。地元では優等生だったという名残からかもしれません。しかし、自分を馬鹿にする人理解してくれない人はすごく許せず、一方でそんな破壊的になる自分を恐ろしく感じることもあります。そんな人は放っておけばいいものを、なぜそこまで許せなくなるのか。実際あまりにも不条理なことは大嫌いで意見したことがあるのですが逆に人に悪者思扱いされ誰も理解してくれないと思う反面、やっぱり私が悪いのか(実際は本当に悪くないんです)と夢にも出てくる始末。自分は裁判官でも何でもないのになぜ裁くのかと不思議に思います。これは当然の感情ですか?

 友人といても私のがこの場にいるから話が盛り上がっていないのではないかと不安です。だから一層盛り上げなきゃとおちゃらけてるのですが、そんなこととは周りはつゆ知らずでしょう。そのおちゃらけキャラがたたってか馬鹿にされやすく、また真面目な話は切り出しにくく、話すとしても私が言うくらいで相談はされないのです。言ってても普段のキャラから大したことはないだろうと思われ、アドバイスも薄っぺらいものに捉えられているように思えます。真面目な話をしてもまたまたーと流されるのが落ちです。友人に相談をされないことからも私は必要ない人間では、いてもいなくてもどちらでもいい類の人間ではないかと一つの指針として思えるのです。
 
 外の態度は楽観・適当主義者のように思われがちですが、内面はデリケート・臆病・慎重・悲観主義者なのですが。。だからこそ外面を装っているのかもしれませんが、そんな外内の自分のギャップに苦しんでいます。誰も理解してくれない、誰にも必要とされていないと感じ苦しみ、いっそ死ねたらとも思いますが死ぬ勇気もありません。必要とされていないのかと考えると涙で溢れるため、おそらく生きてどうにかしたいと別の本心の自分が訴えているのだろうと思います。しかし病気にもなれない(←闘病の方ごめんなさい)自分はやっぱり中途半端だとまた責める。兄が精神病で両親が苦労する姿をみて育ったため子どもながらに絶対私はならないと決心したもの一因かもしれません。しかし、もうこんな性格に疲れて仕方ないです。

 自己嫌悪等が常に付き纏っているせいか、いつも疲れているとよく言われます。それも嫌です。また、自分が自分にある程度納得している時でないと楽しいことが悪いことに思えることもあります。また、気配りを無意識的によくするのですが時にその気配りに応えてもらえないと腹が立つ自分がおり、つまり見返りを期待した下心のある気配りで、自分でも嫌な人間になります。だから、自分の親切心が偽善に思え、いつのまにか相手へ重圧になっているように思えます。相手のためと思って、まごころの相手を励ますメッセージを送るのですが、有り難く応える子もいますが、ふと考えるとなかには距離ができてる子もあるように思えます。けむたいと感じたんでしょうが。。

 カウンセリングを受けてみたい気持はありますが、金銭面にも問題がありますし抵抗があります。話が重い内容なだけに人に相談できず、長々と支離滅裂にカキコんでしまいました、申し訳ありません。でも、何かアドバイスをいただけると助かります。
399 問題の捉え方を整理すべきでしょう kage 2005/02/09 12:36
話したい事がある時、同時にそんな話は存在しないと思いたい。が同時に混在する事はあり得ません。
これは、シリアスな話をマスキングするための反動であると理解してください。

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つまり、話すべき相談の肝心なコアは常に外され、その現象面に集中力が削がれる理由は、肝心なコアを温存するための“擬態”のようなもので、シリアスな話のその実に「薄々感ずいている」からこそ起きる自我の自己防衛です。
そう仮定すると『支離滅裂』との表現は覆り、あなたの書き込みは全てあるベクトルに一列に並び、統一の取れた内容にデ・コードされます。

◆いっそ死ねたら←→金銭的にカウンセリングは
◆内外のギャップ
◆誰も理解してくれない、誰にも必要とされていない←→自分は裁判官でも何でもないのになぜ裁くのか(誰も必要としない)
◆自己嫌悪は自己向上の原動力だと思っていました。←→完璧主義なんだと思います(完璧主義・完全主義であるためには、完全を定義しないといけないが、向上途中の未熟な人物に「完璧や完全」を定義する事は不可能。)

話の中で、「一度話した内容を別の項目で否定している」。
※シリアスな話をマスキングするための反動です。

「引き合う両者の中間点にコアがある」と考えてみてください、極端に振れる矛盾する両者は擬態のための反動であり、一見矛盾するようで、その両者は同じ鏡像であり“実態は完全に同じ”なのです。
言い換えるなら
>外の態度は楽観・適当主義者のように思われがちですが、内面はデリケート・臆病・慎重・悲観主義者
この両者は全く同一のキャラクターです。

デリケートな部分を隠蔽するため楽観的で、慎重過ぎるストレスから逃れるために適当主義に振る舞い、そんな自分の場当たり的な対応に根本的に悲観的である。

※考えるキーはこうです

あなたは『全く楽観的でも、悲観的な人物でも無く、完璧主義者でも完全主義者でもない。自己向上主義者です。』
全ての動機になるコアは自己向上にかかります、

その動機を探れば良いのです。

自己向上しなければならない理由は何か?
いったい向上して何がしたいのか?
『向上』の定義は何か?
自身が向上後、後ろに並ぶ落伍者である赤の他人に対していったい自分は何が向上したのか?

ナンセンスに気がつくでしょう。人間は“常在平等”だからです。本来の向上の意味とは「自らの美意識に準じるエゴイズムである」からです、それを評価するのは自分自身の掟であり、他者の理解とは無縁のストイシズムだからです。

419 彼氏について ラクシュ 2005/03/19 20:45
私は何度も裏切られて、それでも彼を信じました。
彼氏は、相手の立場に立って物事を捉えられない人で、全てにおいて自分中心なんですね。自分でも自覚してるようです。
彼氏の家に行くと、働きたくないなら帰れと言われます。
浮気をしてもお前の所為だと言われます。
別れたいと言われ、その理由が、お前とはやっていけない。
いつも彼氏の事を思って、尽くしてきました。
だけど、あたしはどうでも良い人間なんだって思いながらも、
あたしは愛されてないんだろうなって思いながらも、
最後の彼氏だと思って信じました。
持病を持ってて、時間が無いんです。だから、最後の彼氏。
何を言っても、何をしても、悪くしか捉えてくれない。
言いたい事が伝わらない。
自分が楽しければそれで良いって言う。
なんで惹かれちゃったんだろうって思いながらも、
ずっと付き合ってきました。
仕事に疲れて日々の生活に不満になると間を開けようといわれ、
浮気されます。今頃はまた連れ込んでるんだろうなって思うと、
死にたくなる。
メールしても返事もない。
ただ、ただ不安で、でもそれが絶望に変わって行くのが自分でも分かる。
あたし、どうしたら良いんだろうって。
あたし、ただ一緒に幸せになりたいだけなのにって。
この人とは幸せにはなれないんでしょうか?
421 Re:彼氏について kage 2005/03/21 20:00
話を整理してみます。何点か矛盾する部分があるのです。
「彼自身自分中心と認めている」場合、その人物を信じるというのは、「わが道を行く、という彼の生き様を彼の立場に立って理解する」という意味になります。

しかし、ラクシュさんは、彼が違う人物(他人に配慮して妥協的判断をする人物)として、信じているのだとしたら、それは「人違いであり」『信じるに足る人物に(違うタイプが対人関係の嗜好と言えるので)好感が持てないのが悩み』となるからです。

>なんで惹かれちゃったんだろうって思いながらも、

ここが一番大事なところでしょう。
ラクシュさんの、自我構造の投影対象として「彼は選ばれた」のであり(恋愛感とは「無意識の投影による投影対象への一致性に対する感情の動き」なので、元々自我内に葛藤構造のような矛盾があると、好まざる人物に恋愛感に似た感情を持つことになります)、それは自意識の本意ではない、と考えるべきでしょう。

つまり、彼の人間性を云々すればするほど話の焦点はズレていってしまうのです。

422 恋に落ちやすい現状は こころ 2005/03/28 16:48
恋人とけんかをしているときの他の人からのアプローチ
弱いときに優しくしてくれた人

そういうのが一般的にも多いと思います。
これはどうしてなんでしょうか?教えてください


424 『被(こうむる)』「〜される」が原因です kage 2005/03/28 17:11
> 弱いときに優しくしてくれた人
「〜してくれた人」です、あなたは受動的な立場になりますね

恋愛性(=恋愛ではありません、自分の感情に自己決定として「これは恋愛だ」と選択が行われない限りそれは「恋愛感」に過ぎないからです)というのは、自我内の象徴的異性のイメージに近いと、無意識が連想した瞬間に感じる感情の動きです。
象徴的異性のイメージや、対人関係そのものが「未だに自分自身に権威的な力を持っている人」だとすると、この投影(連想の結果)対象も「自分より上位である雰囲気」が条件になります。

つまり、「〜してくれる人」です。

自分から「こうやってみよう」「次はこういくか」「作戦練り直しだ」な能動的人物に受動性を根拠にする恋愛性は起きません。何故なら他人のイメージも同列の連想として、「彼は何をやっている奴か?(その人物の人格性)」が、重要になり「自分に何をしてくれるのか?」ではなくなるからです。

本来もっとややこしい話なのです。
『被』というのは「関係性」が重要になる事で、自立性とか固有性では無いのです。
「その人物とどんな関係か」が重要になり、「その人物はどんな人間か」を測る尺度が「どんな関係なので」に始まる言葉で語られます。

つまり、固有に(自分がどうとか、ともかく関係無く)「そいつはどんな奴なのか?」という、その人物固有の実存が二次的なものに後退するのです。
結果『弱いときに優しくしてくれた人』であることが、「そもそもそいつはどんな奴なんだ」を上回る印象となり、とにもかくにも『弱いときに優しくしてくれた人』には自動的に好感を持つことになってしまいます。
自分自身の立場が『受身(被)』ですから、自然と置かれた立場は選択性の狭いものに自覚されます。

423 順番 ケイスケ 2005/03/28 16:54
はじめまして。
友人の紹介で、ある女性と知り合いました。
彼女とは色々話をしているうちに、弱みとか、色々相談できるようになって、だんだんと惹かれるようになりました。
でもあとひとつ、自分のこころの中に触れられたくない過去は残っています。
彼女は、いつか話して欲しいな、と言ってくれたのですが。

弱いところばかりを先に見せるより、
強いところも見て欲しいです。
自分はバンドをしているのですが、今度彼女を招待しようと思い、声をかけました。
でも話したいという気持ちも先走りそうで。
先に自分後唯一誇れるライブをみてもらってから、打ち明けたほうがいいでしょうか
それとも打ち明けてからライブに呼んだほうがいいでしょうか?

どっちが彼女に好印象が持ってもらえるか知りたいです
425 あえて極論で話しますが kage 2005/03/28 17:30
「どっちでもいい」と思います。

むしろ問題は別の部分にあって、「自分の強いところを見て欲しい」という部分です。「自分の一面だけを印象に残した」としても、それは一面であり、人格はトータルのものなので、その一面で「強烈に印象つけられた」とすると、その人物はあなたを「誤解している」事になってしまいます。

音楽活動をしている部分が「唯一誇れる」と考えるのではなく、「それ以外の泥臭い部分から出てきてそれ(音楽)は表現されている」と考えるべきで、音楽家としてその音楽の解釈を「何かがあるんだな」と感じてもらわなければ、そのライブ自体が演奏しているあなたにとって興醒めの筈なんです。
「演奏上手いね」じゃあれでしょう、音楽家としても。
逆算するなら、全ては必要不可欠なのであり、「見せたくない部分がある」事は、その自分の音楽自体を貶めると考えられませんか?

それに好印象を持たれないのなら、縁が無かったということでしょう。
自分を偽って関係を続けても、後で「そんな人とは思わなかった」とか失望されるだけです。

実は、人物がそのまんまのサイズで認識されることは、非常に稀で、ほとんどの対人関係には「誤解」が含まれます。
ですから、対人関係は恋愛だけでなく「いかに誤解を回避して、今何やってんのか説明する事」が重要で、見せたくない部分があるとかの対極「自分でも気がついていない自分を俺は知っていて説明できるだろうか」ぐらいの勢いである方が自然なのです。

「その人物に好印象を与える」なんて事ではなく
好きなようにやるべきです。その結果があなたの現実なんですから。

426 言葉 2005/04/04 18:53
kagewari 様

逆ギレする人に困って投稿しました。よろしく
お願いします。

逆ギレする人って話の趣旨をずらしたり、自分
の非を認めない人と感じます。短気だったり、
「自分は悪くない」(周りに迷惑を掛けている
のは事実なのに)と思い反省しない人と感じま
す。結果同じことを繰り返す・・・!?

数ヶ月前職場で逆ギレした人がいました。(い
い年なのに)言われた相手も、これまでのうっ
ぷんを晴らすかのように怒りに任せ怒鳴り合い
になっていました。以来、二人は険悪なムード
になっていますが、結果的に怒りを晴らしただ
けで問題は解決していないと思いました。

仕事をする上で、私もその人と関わるので避け
るわけにもいかず、迎合するのもおかしいと思
うので・・・逆ギレするタイプの人には、基本
的にどう接するのが望ましいものでしょうか?
毎度トラブルを起こす人なので、みんな困って
いるんです。

427 「切れる」と俗称される言動ですが。 kage 2005/04/04 21:27
周辺から妥当と思われている警告や注意に、過剰に反応するのは「自分が悪くない」と思っているのではなく、自分でも好きでそうしているのではない行為を「まるで意識的に」「無知のせいで」「注意力が散漫」等と指摘される場合に起きます。(その指摘が『不当である』という認識は“妥当”だからです)

発端は誤解です。
注意する雰囲気ではなく、「これをこうする事はできないのだろうか」と提案する方が「事実関係の共通認識」はスムースになります。
428 Re:「切れる」と俗称される言動ですが。 2005/04/04 23:05
kagerari 様

アドバイスありがとうございましたm(__)m
あの人はなぜすぐ怒るのか、わからないか
ったことが理解できました。

>注意する雰囲気ではなく、「これをこうする事はできないのだろうか」と提案>する方が「事実関係の共通認識」はスムースになります。

さっそく実践してみます。

432 思い出せません (- -) 2005/04/21 08:45
子供の時、飼っていた犬を不要犬に出しました。
おじいちゃんが死んで、葬式に泊りがけで行かなければならなくなり
その間世話ができないから捨てることになったのです。

今でもそのときのことは鮮明に思い出せます。
回収の車を待って町役場の入り口にお母さんと私がいます。
私が犬の鎖を持っています。
かっぱえびせんのような駄菓子を食べていました。
私はお母さんに「犬にもお菓子を上げていいか?」と聞き、良いと言われたのであげました。
犬は喜んで食べていました。
覚えているのはここまでです。
泣きたいのを我慢していたことも覚えています。
でも泣いてはいけないと、本当はどうでもいいと思っていましたが
いろんな話を次々にお母さんにしていたのも覚えています。
犬がいつものように落ち着きなくしているのも覚えています。

でも、本当の気持ちが思い出せません。
心のどこかでは毎日の散歩から解放されることに安堵していたかもしれません。
犬がキャンキャン鳴くたびに、お父さんから叱られるかもしれないという
恐怖から解放されることに安堵していたかもしれません。

そもそも犬をもらってきたのも、本当にその犬が欲しかったからではないのです。
そのときクラスで人気のあった子の家に何人かで遊びに行ったときに子犬がいて
その子が私に「犬欲しい?」とか「犬あげるよ」とか言ったのが主なきっかけです。
人気者の子と私だけの契約だからです。

犬を捨てたあと、何年かして中学に入りました。
通学路の途中に竹林があって、抜け道になっていました。
私はそこがとても気に入って毎日通っていましたが、その途中には大きな石碑がありました。
偶然にも石碑には「不要犬の墓」と書かれていました。
(今思うと本当かどうかわかりません)
私はそのきれいな竹林を通る代償として、毎日その石碑に向かって「成仏してね」と
唱えないといけなくなってしまいました。
最初の頃はきちんと石碑に向かい、軽く頭を下げたりしていましたが、そのうち頭だけ向け「むにゃむにゃ」と心で念じるだけになってしまいました。
最後には別の道を通ることとなり、不要犬の石碑のことはすっかり忘れてしまいました。

思い出すどれもこれも「当事者」としてではありません。
私は別の場所から、その一部始終を見ているという図柄しか思い出せないのです。
映像化されたものを見ているような感じです。
そこによく練習されてこなれたナレーションが入るのです。
「私は・・・・だった」とか、「お母さんは・・・だった」とか。

これは果たして実際に私が思ったことなのでしょうか?
都合のいい記憶にすり替えてしまっているのでしょうか?
いくら記憶を辿っても、言い訳ばかり考えてきた自分には全てが後付けのインチキに思えてなりません。
そう思ってしまうことも本当はインチキなんでしょうか?

記憶が捏造されたものなら、私は一体なんなんでしょう。
誤った記憶を積み重ねてきてしまったら、私という人間は偽者ということになりませんか?

本当の記憶を思い出すのはもう無理なことなのでしょうか?
434 記憶はストーリーなのです。 kage 2005/04/21 14:55
例えば、『犬の記憶』言語があるのか?或いは論理的なのか?そして視力、特に嗅覚は人間と圧倒的に違います。犬は人間の緊張感を発汗の様子から察知できますから、言葉にならない別の世界を持ちます。
その時の犬の記憶が現実に一番近い近いとして、あなたにその犬の記憶を持つことはできますか?

絶対不可能です。

ドキュメントタリーがジャーナリストや監督、プロデューサーの視点で変わっていくように、重要なのは事実関係の正確さと解釈で、主観的印象ではありません。
言いかえるなら「あれは何だったのか?」という問いかけへの答えです。

あなたの記憶に対する違和感は、記憶の捏造に関してのものではありません。「あった筈の記憶を隠蔽している事」でしょう。記憶がとても俯瞰的で、当事者感が交代しているのは、事実関係を冷静に見るためではなく、「目線が遠くなっている(=自意識が後退している)」ためでしょう。隠蔽された記憶は無意識に潜り、「当時の自分の感じた気持ちの全体ではない」部分に関してだけ自覚があるためです。

このストーリーには抜け落ちた部分があります。ペットは非常に強い投影性を持ち、ペットロスをきっかけに急性の鬱症状を引き起こす事すらあります。何故ならペットの社会性は基本的に非常に“内向き(仕事に行ったり独立しない)”で、「私の」的な関連性を持つからです。

ペットが捨てられる話に、自分自身が被らない事は稀なぐらいであり、この話でも需要なポイントは「クラスの人気者との契約」の部分です。子供がペットとの出会いより関係者とのやりとりを強く覚えている事は稀(通常動物との出会いの方に興奮を伴う)で、この時既にあなたの自意識は後退していた証になります。(捏造の可能性が高いのは、むしろこの『クラスの人気者との記憶』です)

つまり犬との記憶の間一貫してあなたの自意識は後退していたのであり、この犬との記憶の主題は、「すれ違い」だと言えるでしょう。「子供にとって印象的な記憶になるべき犬との出会いがすれ違ってしまった喪失感」そんな話です。
隠蔽された記憶とは、感じられた自覚も無いぐらい遠かったのですから、思い出す事はできません。追体験で発見(或いは推定)するような世界にあるのだと思います。

飼い主(自分)と出会える事すらなく、捨てられてしまった哀しい犬のお話しです。

439 娘のこと あづ Mail address 2005/05/31 05:27
初めてメールさせて頂きます。宜しくお願いいたします。
実は、私には今年で30になる娘がいるのですが、少し前から様子がおかしくて。今まではこれといって親を困らせる様なこともなく、私が自分で言うのもおかしいですが、素直で明るい良い子でした。
ですが、近頃家庭内で暴力を振るうようになり、もう会社もほとんど行っていません。この間も、スーツを何着もずたずたに切り裂いてしまいました。巷でよく聞く自傷行為とかいうのは私の知る限りではないのですが、その分家の物を壊されてしまいこまっています。私はどうしたらいいのでしょうか。
こういったもの書き慣れていないため、読みにくい文章で申し訳ありません。             
441 Re:というか、出社拒否でしょう。 kage 2005/05/31 13:22
背景には、以前から仮面鬱に近いストレス傾向にあって、地位や交友関係や自分の年齢等の変化をきっかけに表面に出る事が多いです。
基本的に家族の方相手には特に「親子関係」等の属性が明快なので、本音が表に出ることは健康であってもあり得ません。元来、困ったときに頼りにされるため関係は深いとも言えます、
「会社を首になった父親が、一番気兼ねなくそれ(解雇)を話せるのは家族だ」
こんな事あり得ませんよね、むしろ一番話したくない相手です、
こういった場合「妻(血縁者ではない)にだけ話す」事が多いのは「信頼のおける他人」だからで、この話をするときの彼は、妻を妻と言うより「であった頃の○子さん」として認知しているから話せるのです。夫婦の間には阿吽の呼吸でこの「他人の部分」が残っていますから。

ですから、お嬢さんが「素直で明るい子」であった事は、なんら意味を持ちません。
子供にとって「素直で明るい子」という側面は、会社員が「スーツを着て無断欠勤しない」と考えるのと同じレベルで「こうあらねば」と真っ先に思う常識です、

そういう話しにくさ(=感情的反発が大きい)のある、家族の方に出来ることは、十分に理解する事です。
「何か理由があり、その理由を解決する力は自分には無いが、彼女が辛そうにしている現状に至る原因には、自分も関与している」と考えて下さい。
彼女の鬱的人格形成にあづさんが関わっていない筈は無く、責任当事者であることは間違いありません。
「会社を辞めたらどうだ」と、
「何か出来る事があれば言って欲しい」だけ声を掛けましょう。
それから感情的に動揺することが無いように注意してください、
「何かはわからないが、理由も無くそんなことをする人がいない事を、十分にわかっていて、私にそれを話しにくいことも理解している」という気持ちが伝わるように振る舞い事が大事です。「理解している」のですから一切驚いてはいけません。

折を見て、心療内科であったり(今から、近所で信頼のおける心療内科を調べておいてください、あらかじめ親として相談にいくべきでしょう)民間のカウンセリング施設などを勧めるのがいいでしょう。
最も大事なことは、その責任の一端は自分にあると認識する事で(ですから慌てて事を運んではいけないのです。その責任から逃れようとして罪滅ぼしにやっきになっている=「自分のことばかり考えている」と相手の目には映ります。)、これは静かに受け止めなければなりません。その責任当事者である意識があれば「私がなんとかすれば解決する」等と思わないからです。

家庭内で感情的に興奮している原因は、『一種の内向化』です。
ストレスへ対処するために、本来なら「外の世界=その現場」で行動を起こしたいのですが、ストレスが過剰すぎてそこから「場所的に後退し」、挫折した気持ちから気持ちが「年齢的にも後退」し、感情的な表現をする場所が「家の中だけ」に内向化しています。家の中で暴れたいのではなく、そうなってしまっているのです。
ですから「家庭内の現状」について個別に考えることはまったく意味がありません。
彼女の交友関係、異性関係、結婚観、社会性
この部分のどこかに強いストレス(うまくいかない)がかかっています。
そしてあづさんにそう簡単にはそれを話してくれないでしょう。

ですから
「話さなくてもわかっている(わからなくてもです)」という、態度が一番大事なのです。話さなければというストレスもあるんですから、
「素直で明るい子」ではない現状が二次的ストレスを生み、現状「家にしかいられなく、その家にいることが輪を掛けて辛い」という状況にあります、せめて家にいてもいいという事を伝えなければなりません。
現実に殴打されたり、家のものを壊された場合には「それはやめてくれ」とはっきり伝えてください、気持ちがわかっている(わかっていなくても)のですから、そんなしたくもない事をすればもっと辛くなるでしょ、という意味で個別に制止すべきで、言動が手におえないレベルになるまで、心療内科を勧める事が出来なかった場合には「なんとかしてくれ」と相談されている意味になりますから、民間のカウンセラーや心療内科の先生に往診してもらえないか相談するのもいいでしょう(決して更正施設のような団体には相談しないでください)。
◇できればそうなる以前に、心療内科等を勧めてください。
(ここにはあづさんのログがありますから、相談は難しいと思います。彼女が有料相談すると事前にわかる場合には、当該ログを削除しますから、その時には事前にメールで連絡ください。)

今出来ることで一番大事なのは、自分にはどうしてこうなることを食い止める力を伝える事ができなかったのかという事を冷静に振り返る事です。
「私が○○○だったから、こんな辛い思いをするのだね」という答えがあれば、上記の行動もスムーズになりますから。
その答えが『外れ』でもかまわないのです。
「自分にはどうして、、」という観点で、考えること自体が「言わなくてもわかっている」という意味になるんです。
わかっていることが事実と違っていても嘘ではないのですから。
442 Re:娘のこと あづ Mail address 2005/06/01 22:18
返答ありがとうございます。
私自身、もう娘の事がわからなくなってしまって、どうしてこんなことになってしまったのか、これからどうしたらいいのか毎日悩んでいたので、貴重なアドバイスとても参考になりました。思い切って相談してみてよかったと思っています。
娘とのこれからのこと、逃げずにもう一度、よく考えてみます。
ほんとうにありがとうございました。