Kagewari 精神分析相談事務所  HP  BLOG  過去ログ  有料メール相談 

「掲示板での相談、閲覧・有料メールカウンセリング」の過程では、自我の防衛反応による混乱(興奮)が現れます。精神分析的アプローチによる「自我構造(こころ)の揺れ」です。その点に同意の上入室してください。



1052 冷酷な家族 つつき 2009/08/02 15:44
金銭的な事情から家族を在宅介護をしなきゃいけなくなったとしても面倒見るつもりはない。
家族が働けなくなって、生活保護の申請も下りず、金銭的に困ってても助けるつもりはない。家賃が払えなくなって家族がホームレスになろうと、餓死寸前になろうと、手を差し伸べるつもりはない。

知り合い(家族)が困って助けを求めて来ても平気で見過ごせる残酷な自分
最低、冷酷とたたかれるけど、家族と関わりたくない。


1053 どこにも冷酷な話はないのです kagewari 2009/08/03 05:31
今回のお話ですが
実は、無意識的には「一部逆転」しているんです

一見文法的にもその論旨も『家族社会属性に対する批判』に読めますよね、
又、つつきさん自身の体感もその筈だと思います。
そう(批判的文章と)感じますよね、

しかし自我の構成というものは本当にやっかいなもので、
無意識的には「パラドックのようにぐるっと回って一部話の意味が逆転」していて、
意味の逆転現象に自分自身では気が付いていない結果になってしまっています。

<以下詳細説明しますが>

現代先進国では子供が親を介護するのは「既に非常識」になってます。
日本では政権交代の遅れ等から、政策的に米国保守政策の模倣(実体は別物です)だったために、高福祉型予算への転換が遅れた結果保守系政治家がここを誤解して「ヘルパーを付ける格好で自宅介護も」な発言ありますが、これは財務省の財政均衡論を代弁しているだけで発言している当人も全く本気じゃありません(当然欧州等の実情を知っている)、後半分は票欲しさに保守派の演技をしているだけです。
又、面白がって在宅介護等の話を報道してるメディアも視聴率欲しさの”煽り”で(さしずめ報道機関が”告発するいい人演出”も容易なので)報道している当事者も当然そんな実像が常識だなんて思っていません(半分はTV視聴者を高齢者も多く知的弱者扱いして数字が取れると勘違いしている:水戸黄門視聴の高齢者にはうけると思っている)。

この辺実体をネット情報などで知っている階層では「又この”ネタ”やっているのか」ぐらいの話なんです。

事この分野に関しては政策的にも先進国の”先を進んでいる”欧州の認識は以下です。
・民主主義社会における『個人の尊厳』は各国憲法で保証されているもので、セクハラ同様血縁社会の関係を利用して個人の尊厳が犯されるならば政府はこれを取り締まらなければならない。
※低福祉で突出している米国も”姿形は保守派”ですが、幼児虐待があれば容赦なく血縁者(親)を逮捕しぶち込みますから(冤罪が多発するほど熱心に逮捕したりします)、権利意識的には同列です。米国の保守派の背景はキリスト教系保守層なので(キリスト教保守は家族より教会の権威が上なので家族社会保護に保守的熱心さがあるのではない)意図している保守思想も違っています。
(米国では夫の妻に対するレイプも取り締まりの対象です)

■で、上記の「血縁を利用して個人の尊厳が犯されるならば政府はこれを取り締まらなければならない」
ここが又誤解される事が多いのですが、
特に高福祉前衛国家である北欧における『在宅介護』の意味は
「高齢者が一人暮らしする権利の保証」なんです。
わかりますか?
高齢者が血縁者(子供)等が介護に干渉して、自らの一人暮らし(個人の尊厳)を犯す行為から政府はこれを守る(高齢者の側の尊厳を守る)義務があるんです。
日本のマスメディアは『社会的弱者』等の差別表現を何のてらいもなく使っていますが、厳密にいうと高齢者を弱者呼ばわりするのは『差別』人権侵害なんですよ。
ですから国家は、高齢者の尊厳を守るために(相対的に弱者などのように不当な扱いを受けないように)『政府が在宅介護等を援護し』高齢者の自主独立を保障するのが義務なんです。誰かの助けを必要として事もあろうか感謝しなくてはいけない立場に追い込まれてその尊厳が貶められる事が無いように、政府が介助などのサービスを提供して高齢者の一人暮らしの権利を守るんですよ。

幼児や子供の教育を親任せにできないので(親と関係なく教育は子供”個人の権利”なので)、義務教育や教育費の無償化等(子供が親に対して気後れする等その権利が侵害されないように→親から教育費が支払われえるのでは無く”福祉予算”から国家がこれを保証する)『個人の尊厳を守る』ために行われるものなんです。
高齢者への福祉も同じ意味ですよ。
 ↓
権利意識として「会社や学校」等があるように「血縁家族」も存在しますが、これも社会属性のひとつに過ぎず(殊更上等という事も無い)「その上位概念は”個人”」なんです。

※ここ理解する上で重要なのは、公職選挙法のような話で「家族間であっても投票行動を強制してはならない」同時に、自らの投票行動はプライバシーであって血縁者であってもその自由を犯してはならない。
つまり「国家社会において最上位概念は”個人”としての人権」にならないと『民主主義』の構成が壊れちゃいます。

※又「家族であった事を”離れて”」個人的に信頼関係があれば別ですよ(取引相手や親友等のように)、当然個人対個人の信頼関係の対象が偶然”元家族”である事もありますから。しかしここが個人としての相互信頼ではなく一方的なものであれば”ストーカーと同じ”です。


ですから
>金銭的な事情から家族を在宅介護をしなきゃいけなくなったとしても面倒見るつもりはない。
>家族が働けなくなって、生活保護の申請も下りず、金銭的に困ってても助けるつもりはない。家賃が払えなくなって家族がホームレスになろうと、餓死寸前になろうと、手を差し伸べるつもりはない。

これは批判ではなくて、
高齢者の人権を断固守るという応援になるんです。

ですから
>知り合い(家族)が困って助けを求めて来ても平気で見過ごせる残酷な自分

ここも違いますよ、
若干カウンター効果を含んだ表現で『極端な表現』使いますが
「残酷な自分どころか、名誉市民的に賞賛されるべき姿勢」ですよ、

なのでなんでまた
>最低、冷酷とたたかれるけど、家族と関わりたくない。
こうなるのか、
となるんです。

成人年齢を超えると親権喪失しますので(残りはぜいぜい相続権ぐらい)、
基本的に「家族じゃ無いですよ」
時限立法の”特定血縁法人”が、法律にのっとって解散したような感じです。
(古い戸籍台帳を本籍として管理しているのも日本ぐらい)
正確な表現使うならば「家族OB」となります、
『昔家族だった縁』があるのは確かですが、ここも『新卒同期入社の(家族法人)同僚との縁』みたいなもので、
基本は独立した個人が上位になりますから「旧家族関係」は副次的属性になります。
簡単に言えば「出身地みたいなもの」と言えばいいでしょうか。

戦後即時「成人の婚姻の自由(親がこれに干渉する事を違法とする)」が保証されたのも、
つまるところ「成人は自由に自分が代表者の別法人を立ち上げること(他人と結婚)が保証」されたワケですが、
その趣旨は「成人は個人であって”○○家族の誰さんでは無い”」って意味です。
(女性の立場から言えば、旧家族の承諾必要なく自由に別の苗字になってもいいですよとなる)
確かに苗字は属性として残りますが、
この苗字は単なる呼称であって『個人を特定する記号』に過ぎません。
その個人の権利を(家族からも)憲法は保障し、国家が守りますよってのが『現代民主主義国家』なんです。


ここでおかしな事に気が付きませんか?
「やたらと家族が助けを求めたら助けるのが本来は常識」と誰よりもそう考えているのは”つつき”さんになっちゃっているんですよ。
そう思うから
 ↓
>最低、冷酷とたたかれるけど

となってしまう。
ここですね、
私が前段で説明した現代社会の概念を背景に考えると
「最低、冷酷と叩くなんて、なんていう民度なのか?哀れとしか言いようが無い。」
となるべきところなんです。

そして、仮の話ですが今回の相談書き込みが以下のような文面であれば
=========================================================
個人の尊厳を誰よりも重視している私に対して某血縁者が「最低、冷酷と叩く」んです。
なんていう民度なのか?哀れとしか言いようが無い。
こんな時代錯誤な誤解は何が原因でしょうか?
=========================================================

私の答えは「依存症ですね」となるでしょう。

■説明長くなりましたが
>家族が働けなくなって、生活保護の申請も下りず、金銭的に困ってても助けるつもりはない。家賃が払えなくなって家族がホームレスになろうと、餓死寸前になろうと、手を差し伸べるつもりはない。
>知り合い(家族)が困って助けを求めて来ても平気で見過ごせる残酷な自分

この文章の大きな矛盾は「平気で見過ごせる残酷な自分」という言葉です。
平気で堂々と見過ごしているならば、そんな自分を”残酷な”等と呼びません。
「平気で見過ごせる”立派な”自分」でなければならない。

こういった発言の矛盾は「強迫心理」ですよ。

しかもこの部分
>知り合い(家族)が困って助けを求めて来ても平気で見過ごせる残酷な自分
>最低、冷酷とたたかれるけど、家族と関わりたくない。

背景に善悪の概念入っちゃってますよね。
(自覚的な内容に対して自意識主導の哲学や美意識ではなく、無意識的で興奮を伴う善悪の概念は「強迫心理」であるケースが多い)

この内容は”つつき”さん自身に自立の妨げとなる(某血縁者に対する)強迫心理が介在している事を、”つつき”さん自身の文面が表現しちゃっているのです。
 ↓
>家族と関わりたくない。

ではなく、”つつき”さん自身の強迫心理が
「無意識に自ら関わっちゃっている」んです
そしてその状況に対して(現象が無意識発なので)”つつき”さん気が付いていないんです。
つまり
「全く意図していないのに、”知らない間に”自分の考えと矛盾する話に振り回されている」形になります、

ですから先ずは慎重に”パラドックスのような矛盾する心理”が存在する事を『思い切り前提にして』
早まった考えを持たない事です。
今回の文面から言えば自分を「残酷な自分」等と認識する180度逆さまの勘違いが発生しています、
そのまま放置してしまうと今度は「残酷な自分」を前提とする”次の話””その話を前提とする又次の話”のように、矛盾する意識が次から次と拡大してしまいます。
慎重に見極めるところでしょう、
■「これまでの既成概念は一度全部チャラにして、個人的な美意識・哲学を自由に自覚的・自立的に白紙から再構築する」
これぐらいの勢いあってもいいところです。

1054 Re:どこにも冷酷な話はないのです つつき 2009/08/16 14:40
>知り合い(家族)が困って助けを求めて来ても平気で見過ごせる残酷な自分
>
> ここも違いますよ、
> 若干カウンター効果を含んだ表現で『極端な表現』使いますが
> 「残酷な自分どころか、名誉市民的に賞賛されるべき姿勢」ですよ、

これが高齢者介護の話ならわかりますが、相手の生命に関わる状況だったとしても平気で見過ごせるんです。
家族としてではなく、”人として”どうかしてますよね。


一方で家族をかわいそうに思ってる自分もいるんです。親の洗濯物が干してある風景や病気の親を見てると居たたまれない気持ちになります。
家族も一生懸命生活してる風景や病気の親の姿を連想しちゃうんだと思います
だからと言って助けようという気持ちにはなりませんが…

親がかわいそうと思う気持ちは私の本心のように感じますが、親を不幸とか深刻な状況と私が勝手に仕立て上げたり(親自身も自分たちで不幸をつくってる)見下したりしてるだけなんでしょうか?
『可哀そうな人』と私自身が依存して興奮してるんでしょうか?

1055 Re:どこにも冷酷な話はないのです つつき 2009/08/16 18:30
家族が親戚や友人お金を借りて返さない。
支払いもしてなくてこのままでいけば保証人が支払うことになるかもしれない。
私が支払ったら全て解決することだけど私はそんなことするつもりは全くない。
親戚や家族の友人に世話になって申し訳ない気持ちはあるけど私まで巻き込まれたくない。
おまえが支払えばすむこと、かわりにご両親のかわりにあなたがお金を返してと催促されても私は返したくない。
私には関係ない、親の責任だとしか思えない。

周りからの信頼が薄れ、何であなたが払わないのと罵られて地元にも居づらい。地元にいられなくなると私が困る。何でこっちが親の巻き添えをくらわなきゃいけないのという親への恨みや不満ばかりがつのる。
親に文句を言う前に私が支払えとはなるけど周りから罵られても関わりたくない。

私は自分本位で無責任で身勝手で冷たい奴でしょ
1056 どこにもそんな要素は無いですよ。 kagewari 2009/08/18 00:26
というか
>私は自分本位で無責任で身勝手で冷たい奴でしょ

ここに随分拘ってらっしゃる事をご自身で何ら疑問に感じていないところが、
「何かおかしい」と思いませんか?
というか、そう思って考えてみてください。
それを意図的に傾斜を付けて(見ようによっては強引に)論証して
「何か得るものでもあるのだろうか?」と、


先ず具体的な背景事情を説明しますと
>家族が親戚や友人お金を借りて返さない
>私には関係ない、親の責任だとしか思えない

思えないじゃなくて、そうですよ?
(法的にもそうです)
そうじゃなかったら法律違反です。

>何であなたが払わないのと罵られて地元にも居づらい。地元にいられなくなると私が困る。何でこっちが親の巻き添えをくらわなきゃいけないのという親への恨みや不満ばかりがつのる。

ここも積極的に困るところはありません。
ひとつ弱点があるとすればここでしょう
 ↓
「地元にいられなくなると私が困る」
推定するに、仕事関係ではないかと思いますが、
トレードオフの選択は以下になります。
「親の巻き添えで言われ無き(何であなたが払わないのと罵られ)中傷を受け続ける(これも中傷する方の民度が問題なのですが)」
「転職も検討して思い切って都会等別の街に引越す」
どちらを選ぶかって要素がトレードオフのテーブルにのっかている事になりますが、
巻き添えを食らう環境は「どこで生まれたのか」のような属性と同じなので(関西で生まれたので関西弁です→「どうして関西弁を話さないといけない事になってしまったのか」のような話)、選択としてさーどっちを選択するのかって自意識マターになりますが、多かれ少なかれこういった選択は誰にでもあるもので(何から何まで出生に纏わる環境が後の自意識にとって都合が良かったなんてことはあり得ない:極論すれば「お金持ちの家に生まれていれば」であるとか「容姿が抜群に美しかったら」「肌が白かったら」等と同じ)、
その現実の中で、右か左かとここを選択するのが自意識の仕事でもあり、
自意識の真骨頂でもあり
→見ようによっては自意識の甲斐ってものです。
(その環境自体を云々する事自体は幻想であって現実ではない:これに対処する”現実”が実存している)

カウンター含めて乱暴な表現を使うならば
「恨みや不満ばかりつのっている場合じゃない」のです、
「さて、どうすっか(引越しでもして転職でもするか)」と考えるところ(場合)になります。
実際殊更特別な『郷土愛に溢れる保守本道派を自認する』思想でも無い限り、一般に進学等独立において都会に出るなどの行為は「自立独立」というカテゴリーにおいて、むしろ歓迎される場合も多いのでこれを「追い込まれた不運」の話へ収斂させるのには無理があります。
※郷土愛は個人的事情によるので=地元に居続ける事には特段の個人的利益がある事になる、
この場合地元に残る事を選択すると「少々の不都合は相殺される」事になります。ここがトレードオフで「とてもじゃないが相殺できない」のであれば、この時点で「地元に残る事の特段の個人的利益」は反対に不利益の前に断念せざるを得ないと結論が出ているので、残念ではあっても悲観する話にはならない(=よりマシの結論が選択されている事になるため:トレードオフの原則)。認識されるのは「よりマシな選択」となるからです。


つまり「さて、どうすっか」と考えることはあっても、
>私は自分本位で無責任で身勝手で冷たい奴でしょ
と、、、
おかしいですよね?
「さて、どうすっか」と「自分本位で無責任で身勝手で冷たい私」
上記のこの両者は何の関連性の無い認識だと思いませんか?
しかし
どちらかと言えば後者の
「自分本位で無責任で身勝手で冷たい私」がなぜか結論(?)のように強調されている。


心理学的に解釈すれば
>私は自分本位で無責任で身勝手で冷たい奴でしょ
ここにナルチシズム的自己愛(不快感による快感認知)が表現されている事は説明するまでもありませんが(反省や悔恨では無いので)、
その結論に至る「前段の話」は、被害認知が主たるものです。
ここでも矛盾していますよね?
被害認知なのですから、結論は「憤り」等でなければ辻褄が合わない。
しかし、結論は「自己嫌悪の積極的”主張”」となってます、

心理学的に説明してみますと、ポイントは前述の”ここ”になります。
「反省や悔恨では無い」
つまり、”つつき”さんが何故結論に「自己嫌悪の積極的”主張”」に至るのかと言えば、
その理由は「本来反省や悔恨すべきだと思っている」からですよ。
そうじゃないから→自動的に自己嫌悪の認知が発生する
 ↓
だとするとですよ?
前段の部分は無意識下における深層心理では以下の文脈になっているって事です。

「誰よりも私は、家族が借りたお金は私が返済すべきだと思っている」

前回の相談文面から言葉を拾うと
>平気で見過ごせる残酷な自分

ここで「ちっとも”平気で見過ごしていない”」って事ですよ。
これは”内心”等という自意識で認知できる浅い領域の話じゃありません、
自覚する事のできない無意識下でそういう認知が(現在の自意識と矛盾する形で)存在しているって事です。

「誰よりも私は、家族が借りたお金は私が返済すべきだと思っている」のに、
 ↓
「私はそれを平然と見過ごす」
 ↓
「それができるのは、私が冷血漢で残酷な人間だからだ」


同じ図式で、全くナンセンスなのに
>私は自分本位で無責任で身勝手で冷たい奴でしょ
と認識する事を”強迫”される構造になっている。

身勝手なのは「借りた金も返さずに関係者にまで迷惑を及ぼしている家族の方」であるのは説明する必要も無いでしょう。
※金融からの借り入れであれば破産手続き等で整理可能ですが、身内や親族友人等からの借り入ればかりはなんともです。それこそ信頼関係を破壊してしまうので親族や友人だからといってお金を貸す(借りる)ものではないなる話になります。
つまりこの場合本質的には、貸した側の自己責任です。
上記のように”それは金融機関から借りるべきでしょう”と断るのが筋:金融機関の審査でも借りられない金額であれば返済の目処が無い事になる→それでも貸すのは”返せる時にいつでも”と言っているのと同じなので間違っても親族に”あんたが払え”等と請求するのは筋違い。
極端に言えば親友として「いいよ返さなくても」ぐらいの覚悟のいる話。
反対に”付き合い”程度で貸してしまったのであれば、それが返済されない状況に限れば貸した側の過失も大きい。

ですから
■そこで独白なり感想があるとするならば
「やれやれ面倒な事になりました、さて、どうすっかと考える毎日です(終わり)。」
そんな風に考えさせない強迫心理があり
あるべき自意識の判断は『180度逆転』して
 ↓
>私は自分本位で無責任で身勝手で冷たい奴でしょ
と、「自己嫌悪の積極的”主張”」に至る

構造的に何が起きているのかと言えば、
『私が優れて家族に奉仕貢献しなければならない』のような無理のある認識が無意識下に構造化している。
自意識の現実判断は
「無茶苦茶な家族に閉口しています。当然私は無関係なので”平気で見過ごせる自分”を自認しています」です。
無意識化の認識と決定的に矛盾してしまいます。

「この矛盾をどうやったら合体させられるだろうか?」と考えてみましょう。
二つの矛盾する認識を繋ぐ鍵は
『私は自分本位で無責任で身勝手で冷たい奴なので、それを平気で見過ごせるのです』
になるんですよ。
表現は一部正確性を欠きますが、わかりやすい表現を使うなら
「自己嫌悪を積極的に主張する(不快感)事を代償にして、二つの矛盾する概念の辻褄を強引に結合する」

つまり、
「自己嫌悪の積極的”主張”」を続けない限り、内包する二つの大きな矛盾する認識の存在に”直面”してしまうんです。
ここも乱暴に表現すると
「その矛盾を解決しない事には、自分の心理の説明がつかなくなる」
 ↓
当然本音が優先されるのは疑問の余地がありません。
却下されるのは『私が優れて家族に奉仕貢献しなければならない』方になります。
>一方で家族をかわいそうに思ってる自分

さて、
では何故に『私が優れて家族に奉仕貢献しなければならない』事が容易に却下されなかったのでしょう?
>一方で家族をかわいそうに思ってる自分
或いは、それが無意識下で温存された理由は何かと考えてみる。
答えは簡単です
「その時(それが無意識下において認定された時制:相当過去)、対象者である家族構成員は私が優れて奉仕貢献すべき人物である」と評価していたからです。
その幻想(後日というか今現在それが間違いである事は証明されています)が、
誤解であると修正されてこなかった。
誤解であると修正されずに無意識下で温存されている(或いは残留している)、

又その構造は「無意識的であるが故に、”ふとしたこと”等の連想(自意識で自覚的に選択しているのではなく)で、頭をもたげ何故か結論”自己嫌悪”の体感で完結している」←そんな状態を自分ながら疑問に思い→「やはりそうですよね(自己嫌悪の対象)、私は冷酷ですよね?」と確認したくなった。
その前の1054レスから引用すれば
>親の洗濯物が干してある風景や病気の親を見てると居たたまれない気持ちになります。
>家族も一生懸命生活してる風景や病気の親の姿を連想しちゃうんだと思います
このような
「ついそんな風に思ってしまうのです」現象
は上記構造で発生しています(一種のノスタルジー現象です)


■掲示板でここ(残酷だろうか?)が質問された理由を考えてみましょう
 ↓
「あれ?違うのじゃないか(冷酷とか違うだろうよこれ)」と”つつき”さんの自意識が(本音)思ったからですよ。

ですから本来であれば
「違いますよ、安心してください(終わり)」のレスを受けて解決なのです

ところが、
その180度反対に、
「いえいえ私こそ自分本位で無責任で身勝手で冷たい奴なんです」と”つつき”さんは反論してしまっています。
それは?
「その時(それが無意識下において認定された時制:相当過去)、家族は私が優れて奉仕貢献すべき人物である」と評価していたからです。
その幻想(後日というか今現在それが間違いである事は証明されています)が、誤解であると修正されなかった。

誤解であると修正されなかった理由が、現在も継続中だからです。

※無意識について誤解があるといけないので若干解説しますが
おおおそ記憶も鮮明じゃない時代に「火を消した消防士は誰よりも勇猛だ」という一枚のスナップのような”論理的イメージ”が強く残ったとします。
その後そんなエピソード(目撃した火事単体の記憶)はすっかり忘れてしまっています、
ある日TVのニュースで、放火犯が消防士だったという報道がありました。その時何故か自分は何ら消防関係者ではないのに「消防士たるものがいったい何をやっているのか」と激怒した。
この時、無意識下に「消防士を特別視する認識」が存在していると考えるわけです。
何か自意識が積極的に関与しているのとは違います。
連想がトリガーとなって(フラグを立てて)、論理的イメージが呼び出されて”自意識が考えるより先に”一種の反射的事実認定が論理的イメージを先行させる形で浮き上がってきて「すっかりそうだと思っている」ような状態。

似た話としては
うっすら記憶に残る子供時代に海外旅行に行きました。
今思えばそれほど珍しくも無いビーチのある中堅リゾートホテルに宿泊した、その時「こんな豪勢な楽しみは無い」と一枚のスナップのような”論理的イメージ”が強く記録されたとします。
ある日(その旅行単体の経緯に関しての記憶を忘れた頃)、友人達と夏休みの行楽談義になりました。
友人は「まったくリゾート行くなんてばかばかしい僕はヨーロッパの世界遺産だね」「いえいえ僕は国内の温泉が」「そうかなあ私はいったことのない海外の旅行そのものが大事なので、いったことがないのが重要かな」・・・なんて談義が続いているとします。
そこで
「そこでさ君達いったい何処に泊まるの?」
「・・・?」
何か自意識が積極的に関与しているのとは違います。
連想がトリガーとなって(フラグを立てて)、論理的イメージが呼び出されて”自意識が考えるより先に”一種の反射的事実認定が論理的イメージを先行させる形で浮き上がってきて「すっかりそうだと思っている」ような状態。

■話は戻りますが、

仮に幼児期にその家族との間で相互依存等が暗黙の了解のように介在して
分離不安等の状況を共有していたりしたらどうでしょう?
何度か”論理的イメージ”がひとつの固定的印象として記憶に残るでしょう
(興奮や不安安心等が関係するため記憶する上での高い優先順位のフラグを有する)
それが記憶に残っている事に、自意識は介在していませんから(意識的にこれを覚えるぞと強く自覚しても、すっかり試験勉強に関係する事は覚えない)無意識下に格納されます(自意識管轄にならない)。
昔ある食材でとんでもない食中毒になったとします(ひとつのトラウマ論)、忘れたくてもその食材NGな反応は出ますよね。

さてこの時、
「あーダメダメ、○○は昔酷い食中毒の体験あって生理的にうけつけないんだよ」となるのではなく
「絶対ダメでしょう。僕は○○が大嫌いなんだその言葉も発するな!」と興奮を伴う反応になった場合、
(両者の違いはわかりますよね?)
実は前者は”トラウマ論的背景”が視野に入っていて、記憶は変化しませんが「自意識管轄下に入っている」んですよ。
印象も”大きく誤解を含むものだった”と一部修正されている。
後者は”大きく誤解を含むものだった”の修正が行われずに自意識には権限がなく、あくまでも「無意識的」である。
(修正されずに当時の印象が”手付かず”に温存されると自意識管轄に入らない:記憶の著作権のようなものです)
食中毒当時の強い”論理的イメージ”は?
「○○は悪魔だ」

つまり問題解決の鍵は「何が無意識的に温存されているのか?」と考え認識するところで、
認識して自意識のテーブルに乗りさえすれば、それは自動的に自意識管轄下に入ります。
これが保守温存され(聖域化)自意識管轄ではなく、無意識的なままである場合(自我の反応速度は自意識より無意識の方が早い:ステレオタイプ反射)無意識リードで形成された事実認定の印象を(なんら現実化修正される事無く)「すっかりそうだと思う」んですよ。
意識的な現象じゃありません、

より極端に少々乱暴な表現で説明しますと(厳密に言えばちょっと違う部分もあるんですがわかりやすい方優先します)
「合言葉は?」
「山」
「川」
のやり過ぎで、
ある日友人が
「あのさ週末登山のさ山の話」
「川!」
みたいな反射に至っているみたいな、現象だという話です。
何でしょう「自分で言った覚えもないぞ」みたいな。
(ここで他人が介在せずに「オイオイ何の話を」と言う人物が居ない場合)
山に関するTV番組であるとか街のポスターであるとかが連想フラグとなり、
「川ぁ〜っか」(無意識に鼻歌ハミングするように)
※この現象に『強い快不快』が連動する形で関与したらと考えてみてください。


この辺の構造を念頭に、前段部分を何度も反読してみてください。

結論は
「やれやれ面倒な事になりました、さて、どうすっかと考える毎日です(終わり)。」
になる筈です。


どんな”論理的イメージ”が現在の自意識を強迫しているのかと考える鍵は”つつき”さん自身が証言しています。
この言葉にヒントがあるでしょう
>地元にいられなくなると私が困る。
地元の定義に「同じ家族が暮らす」という概念を排除するのは難しいですよね。
日常表現で言っても”地元”→実家のある場所です、
ダイレクトな表現は避けられていますが、結果背景の意味は(無意識のイメージとの整合性が優先されて)「全く自覚が無いのに”そういうこと”になっている」。
 ↓
上記言葉の無意識下の暗韻は(連想によって無意識下の”論理的イメージ”による優先的認知フラグが立ちそれがトリガーとなり)
→「(私が)地元にからいなくなると”家族(私も含む)”が困る」
「私」や「地元」という言葉の背理に家族との関係性が”折り込まれていて”言葉の意味としてその関係性から独立する「個人”私”」や地域としての「記号”地元”」という部分の語彙認知の優先順位が低い(暗韻の方が優先順位が高い)、
或いは連想ステレオタイプの反応速度は自意識認定より速いので自我が体感する印象や感覚として「すっかりそうだと思ってしまう」
(同時にこの無意識下のステレオタイプは自意識管轄となっていないため→後追いで自意識によって”ナイナイ”等とチェックされる部分がスルーされてしまう)。


この言葉は別の意味でもひとつのヒントになるんです。
”つつき”さん自身の本音をサルベージするならば、
「地元?いえいえ全然拘りありません。”地元”ね〜平気で見過ごせるポイントですよ」
「え?私がいないと家族が困るですって(笑、」いやいや〜と首を振って”ご勘弁”を表現
なのじゃないかって推定です。
1061 虫が良い考えをしてるから道徳心が引っ掛かります つつき 2009/08/19 18:04
> >地元にいられなくなると私が困る。
> 地元の定義に「同じ家族が暮らす」という概念
> 「私」や「地元」という言葉の背理に家族との関係性が”折り込まれていて”言葉の意味としてその関係性から独立する「個人”私”」や地域としての「記号”地元”」という部分の語彙認知の優先順位が低い(暗韻の方が優先順位が高い)

ここの意味が分からないんですが。
確かに言われてみたらどうして『地元』の部分にかかってるんでしょうね。kagewariさんにご指摘を受けるまでは地元にいるものだとばかり捉われていて『引っ越しをする』ことが視野に入ってませんでした。
でも地元から離れたくない理由もあります。彼氏や友達と離れるのが嫌です。学生の時から一緒に遊んでた仲間です。一緒にいててすごく楽しいです。新しい環境で友達がなかなかできづらい可能性もある。友達ができず、遊ぶ相手もなく、休日も家にいる状況なんてつまらないです。何より大好きな彼氏から離れたくない。
今でも光熱費の一部と自分の食事は自分持ちですが、もし一人暮らしなら家賃などもっとお金が必要になってきます。遊びたい、おしゃれもしたい、旅行や買い物にも行きたい。貯金もしたい。
都合のいい時は親に依存してますね。


> 「地元にいられなくなると私が困る」
> 推定するに、仕事関係ではないかと思いますが、

今の職場に執着はないです。夢ややりたいことがあってその会社や学校に入ったのに家族や家のことが原因で居づらくなって辞めるはめになったら家族を恨んでたと思いますが。
でも引っ越しとなったら住み込みを探さない限りは見つかりづらくないですか?住む場所がないと就職が見つからない、仕事がないと部屋も借りられない。まして今は不景気です。


> >家族が親戚や友人お金を借りて返さない
> >私には関係ない、親の責任だとしか思えない
>
> 思えないじゃなくて、そうですよ?
> (法的にもそうです)

そのとおりです。でも私も世話になってる知人です。そんな知人にお金を返さないのも罪悪感があります。
親にも世話になってます。さんざん迷惑もかけてきました。
(生活が今より余裕があった時に)私が短大に無理に行きたいと言って行かせてもらって中退し、他にも学校に行かせてもらってました。私がいじめられて辛い時には家族に守ってもらい、精神的に支えてもらいました。だから今の私があります。

もし私が知人の立場で貸したお金を本人や家族に返してもらおうとは思わない、自分が生活に困っても家族や知人に頼らないというなら筋が通ってます。
でも私は知人の立場なら、本人が返してくれないとその家族にお金の返済を求めるでしょう。その家族が返してくれないならその家族にも不信感を感じてしまいます。
自分が生活に困って生活保護も受けられない状況になれば家族や友人に頼ってしまうと思います。人には頼りたくないけど自分一人でどうしたらいいかも分からない。虫が良い考えをしてます。


> >私は自分本位で無責任で身勝手で冷たい奴でしょ
> ここにナルチシズム的自己愛(不快感による快感認知)が表現されている事は説明するまでもありませんが(反省や悔恨では無いので)、
> その結論に至る「前段の話」は、被害認知が主たるものです。

そのとおりですね。本当に反省してるなら文句や恨みつらみを言わずに家族の代わりにお金を返してますよね。


> その理由は「本来反省や悔恨すべきだと思っている」からですよ。
> そうじゃないから→自動的に自己嫌悪の認知が発生する

親の借りてたお金で私も生活してたのかと思うとなおさら罪悪感があります。


> 上記のように”それは金融機関から借りるべきでしょう”と断るのが筋:金融機関の審査でも借りられない金額であれば返済の目処が無い事になる→それでも貸すのは”返せる時にいつでも”と言っているのと同じなので間違っても親族に”あんたが払え”等と請求するのは筋違い。
知人は家族がすぐに仕事について返してくれると思ってたから一時的に貸したようです。でも家族が働けないから働いてる私に返してくれと言いに来られました。
家族と別棟ならともかく、(食事は外食だから自分持ち、光熱費の一部は家に入れてますが)家族と同居で電気やお風呂は使わせてもらってるから引け目があります。

私もその借りてたお金で生活をさせてもらってたのかもしれない。私が給料を全額入れてたら家族は知人や親せきからお金を借りなかったかもしれない。私にも責任は生じるのかなと。(実際言われました)


> >一方で家族をかわいそうに思ってる自分
> 或いは、それが無意識下で温存された理由は何かと考えてみる。
> 答えは簡単です
> 「その時(それが無意識下において認定された時制:相当過去)、対象者である家族構成員は私が優れて奉仕貢献すべき人物である」と評価していたからです

病気になったら家族が面倒を看るものだと言われたことはありますが、その言葉に私自身は強迫されてないようには思います。(何かと親から干渉されて嫌味を言われたり、強引に父がねじ伏せようとしますが、私は従ってない。親から何を言われても平気です)
引っかかってるとしたら道徳心の部分だと思います。
知人や親を含めた地域・社会全体(私のまわり)が『育ててもらった親に孝行するべき』という考えで、小さい時からその考えを受けてた私はそれが当然なんだと思ってました。だから罪悪感を感じます。
周りが家族なんてほっとけばいいと言えばそうなのかと思いますが、周りは上記のような考えで、困った時は家族が助けるべきだと言われるので気になってしまいます。


> >親の洗濯物が干してある風景や病気の親を見てると居たたまれない気持ちになります。
> >家族も一生懸命生活してる風景や病気の親の姿を連想しちゃうんだと思います

何でこんな風に連想しちゃうんでしょうか?


> 私がいないと家族が困る

そうやって親を心配してる気持ちもあります
1062 どうもカウンターあてる必要があるので kagewari 2009/08/21 06:33
今回は少々極端な表現使います。
(カウンターってのは強迫意識の”優位性”を言葉の上で相殺させるためにバランス可能な表現にするって意味です)
以下文面には全てカウンター的な極端な表現が含まれますが、
意図的な表現になりますので
「自分でその言葉を思いついて自分に言っている口調」で読み進んでください。

(或いは「本来そう自分で容易に思いついて不思議じゃない筈だ」的認識で:ここが容易に思いつけない形になっているのが”無意識性”の証明でもあります)

心理的に余裕が無い場合には無理に読み進まず、
時間を改めて読むほうがいいでしょう。



では、
以下各論です。


>ここの意味が分からないんですが。
>『引っ越しをする』ことが視野に入ってませんでした
>新しい環境で友達がなかなかできづらい可能性もある。友達ができず、遊ぶ相手もなく、休日も家にいる状況なんてつまらないです。何より大好きな彼氏から離れたくない。
>今でも光熱費の一部と自分の食事は自分持ちですが、もし一人暮らしなら家賃などもっとお金が必要になってきます。遊びたい、おしゃれもしたい、旅行や買い物にも行きたい。貯金もしたい。

私が指摘した以上の意味になってますね
これだと『地元』って言葉の意味が”既得権益”を指してます。
しかも地方ですから、
政治用語にたとえるならば”地域の談合利権体質”そのものです、


>新しい環境で友達がなかなかできづらい可能性もある。
これはいくらなんでも無いでしょう、
小学生じゃないんですから、
「都会の4大志望校進学を断念しました、新しい環境で友達がなかなかできづらい可能性もある」
これ言いますか?
無いでしょう。無い無い、

しかも言葉に大きな矛盾が発生しています、
>休日も家にいる状況なんてつまらないです
これを言うなら、
「18歳も過ぎて、一人暮らしもせずに実家に帰るなんてつまらない状況耐えられない」
でしょう。
そもそもメインの理由となる
>何より大好きな彼氏から離れたくない。
なんで思春期の子供たちが大人になる過程で広く一人暮らし・独立を志向するのかって、
家人の事など気にせず自由に友達なり彼氏が実に簡単に宿泊できる(だけでなくそのまま同棲するのも自由)
家人の生活時間など完全無視して(大学生の特権ですが)連日徹夜で勉強であるとかその時のテーマや趣味に没頭できるからで、
特に学生時代はバイト+仕送りで生活水準は家賃払っても(学生アパートなんて安いもんですから)お釣りがくる。

その後就職ってなればいわば社会人ですから(家族から見れば他人)
文化人類学であるとか社会契約説的な位置づけで言えば、ID(アイデンティファイ)所属上位の概念は社会の方で、
仕事優先って部分から言っても、
自分の志望先が「必ず地元にある」って、
ここですね「酒造りで有名な地方で日本でも有数の蔵元が並び自分の第一希望が酒作りだ」等のかなり特異な状況じゃないと整合性が無い。
矛盾しているんですよ
 ↓
>夢ややりたいことがあってその会社や学校に入ったのに家族や家のことが原因で居づらくなって辞めるはめになったら家族を恨んでたと思いますが。

家族もクソも無いですよ(笑
まず「夢ややりたいことがあった」としても最もこれを阻害しているのは、
”地域の談合利権体質”にどっぷり漬かった自分じゃないですか。
(自由に選択肢を広げる事を阻害している)

そして非常にやっかいなのは、
これまでの経緯で考えるならば
>何より大好きな彼氏から離れたくない。
この人物への興奮が、家族意識の投影である可能性が高い。
(その人物の実存を素で評価認識しているのではなく、強迫意識に近い線の投影(自動的にナルチシズム的興奮)による可能性も推定される)
実際現在の人間関係
>新しい環境で友達がなかなかできづらい可能性もある。友達ができず、遊ぶ相手もなく、休日も家にいる状況なんてつまらない
これって
「自分が困る」ですよね
人材として新しい場所の友人や恋愛の可能性が、対象者ベースで(絶対地元の人が勝つみたいな)具体的に比較されているのじゃない。
「面倒なので自分が困るから(相手が誰かはともかく)」
になってしまっている。


強迫意識が関係する時の典型的なアドバイスがあって、
それは以下のようなものです
■これまでの人間関係を全て一度清算してしまうのも手段のひとつです
この理由は何かと言うと、
家族時代の強迫意識の事実上の追従と、結果としての自意識抑圧:同時に強迫意識の正当性確保の意図から「スカウティング」により、『取り巻き』が交友関係や恋愛関係として実体化する事が多いんです。
(強迫意識の構造が深刻化すると『共依存』が模索される)
それぐらい”ハイリスク”なものなんです。
このメンバーは強迫意識の連想元である家族関係と非常に近しい”関係者”になります。
>休日も家にいる状況なんてつまらない
強迫意識の原型となる”幼児期にデフォルメされた理想家族”
「休日も家にいる状況なんてつまらない」この家ってのが”リアルな家”であり、
幼児期にデフォルメされた事実と離れた理想化が代用家族的に(投影によって)模索されているので、
正確には「休日も”この”家にいる状況なんてつまらない」となっていて、
スムーズに「学生にもなって休日も実家にいるのはそりゃつまらない、早く独立したい」とならない。


ここ何か幼馴染であるとか地元の同期との関係継続それ単体に問題があるって意味じゃないですよ。
強迫意識やその投影がなければ、地域社会の内部においても「大人になった後の再構成」があるのであって、
この場合地域社会への関係性は「大人になった自分の目線」で再構成されます。
ですから、
地元での人生を選択する場合には、
「同期古い人間関係・地縁血縁も大事にするのが当たり前」
のような美意識となりますが”古い人間関係”ですから過去も大事にのように”過去は過去”としてけじめもついているし、第一この大事にしましょうが美意識となっているのは「古い人間関係の”付き合い”等も大事に」と言う形で(当然本人は現在進行形の新しい人間関係が重要となるので)面倒な事もあるだろうけれども大事にしましょうと、この過去との関係は義務に属するもので「自分を楽しませてくれる既得権益」ではありません。



若干解説しますが、
近代であるとか『共同幻想』がまだまだ非常に強くてその合理性も内容を伴った『真性保守の時代(封建社会)』
この時の「家族愛・地域愛・愛国心」、
ここには地域特有の高コストの特定行事への積極的参加や、間違っても自由に職業等選べない地域社会への帰属ベースの職業選択(女性であれば自由恋愛はご法度であり地域社会が求める”嫁入り”を道徳として”刷り込み”)、個人の自由より地域社会の求める義務を道徳として保持する代わりに”既得権益”で守られるという合意に基づきます。

ですから社会学的に『ゲマインシャフト(Gemeinschaft:地縁血縁社会)からゲゼルシャフト(Gesellschaft:社会や利益的関係性)』への変遷って概念があるのであって(19世紀の論議です)、
>夢ややりたいことがあってその会社や学校に入った
>何より大好きな彼氏から離れたくない。
こういったリベラルな発想の「正反対の概念が地元優先既得権益意識」になります。

現代社会における文明論として見ても
地方の方に保守的意識が残る構造がありますから(都会より地方の方が早婚で多産)、民主主義的な個人の自由って概念から言えば対極にあり(好き嫌いに関わらず現代先進国は都市文明)、先進国的な「新しい地域意識や地方自治」とは、独創的な地域性を(保守的ではなく)地域の自由として確立していくもので決して保守的発想ではありません。
「新たに想像されたり新たに再解釈された伝統文化を地域の個性とするもの」
※若干日本とは政治状況が違いますが、イラク戦争など昨今の米国の保守化の背景は有権者の比率として(都会より地方の方が早婚で多産)保守的地域が優勢となったため(NY等の都市は比較少数派となる)、”ネオコンサバティブ”とも呼ばれる新保守主義が台頭したためで(独創的に再解釈されたのではなく反動保守に近い)特に宗教的保守層の伝統を持つ西欧ではこの「反動保守化」が政治的問題にもなってます。

■つまり”つつき”さんの本音を代弁するとですよ
>夢ややりたいことがあってその会社や学校に入った
>何より大好きな彼氏から離れたくない。

「とっとと一人暮らしして独立したい」
って事ですよ。

しかし
>今でも光熱費の一部と自分の食事は自分持ちですが、もし一人暮らしなら家賃などもっとお金が必要になってきます。遊びたい、おしゃれもしたい、旅行や買い物にも行きたい。貯金もしたい。
実態は”パラサイト”であると、
180度矛盾していますよ。
それだけじゃないんです、
『”地域の談合利権体質”に依存している』
この状況って何か?
「夢ややりたいことがあっても、何一つ自分の力で手に入れていないので(その都度どこかが依存による成果である)何も手に入っていないのと同じ」なんですよ。
(それこそその都度自分の成果としてそれを誇るのではなく地域社会に感謝しなくてはいけない→封建時代であれば”従う事は義務であり美徳でありこれを道徳としなければならない”)

なので、
西欧では独立のための進学って時には、それを機会に実家からも独立するのが”常識”なんです。
(最高学府が全寮静だったり:元々大学の元祖は神学校で出家が前提ですから)
社会人としての権利と義務、
ここに血縁社会の道徳性等持ち込まれるのは学生失格なんですよ。
学校自体政府等から援助されている組織で援助の意図は「社会的利益の還元:独立して活躍」です、
(つまりそこで後に大人として他人になる自分と実家の関係性が”再構成”される)
※欧米では18歳になれば親から独立するのが常識

上記と被りますが、
『その後の実家との関係の再構築』は”別問題”です。
大人(他人)になった”自分”の立ち居地から過去家族であった縁の深い人との関係が新たに模索されるのであって、断絶すべきって意味じゃ無いです。(後に大人同士の信頼関係があったとしても構わない)


■日本において一部に「なんとなくパラサイトでいいじゃない」な風潮が残っているのは
古い共同体では(農村社会ですから)子供が親の面倒を見るなど強い関係性があったからですが、
この部分も大変誤解される話で、

この当時というのは、家督を相続する長男と”それ以外”は人種差別並の差異があって(次男以降は農奴に近いケースもあった)、次女が女衒に売り飛ばされたり、街に丁稚奉公契約(これも人身売買に近い)となったり、長女は地縁血縁関係を強固とする先に”嫁入り”がマストです。
その背景で何故長男が親の面倒を見るのが(他の兄弟従業員と違うのか)常識なのかと言えば、
『土地資産を相続するから』です。
つまり親の面倒を見るのは「相続という金銭関係の契約」に基づいていたのです。
しかし、この取引は相続後に反故にされかねない(子供が契約違反をして親の面倒を見なかったら親は詐欺に合う事になる)
なので地域は「契約違反は地域が許さない(地域が村八分にすれば=死を意味しますから、当然相続した土地資産があっても地域の協力無しに収穫はできない)」という”道徳”を織り込んだんですよ。

そこは当然人間ですから、人間関係に「融和的好感」がある方が気分もいいですから、家族社会も円満で楽しい方が好ましいのであって各個人がそこで”運命共同体・戦友意識”を持ち”血縁の縁”によって強固に親しい友人関係を構築するケースも自然でしょうし、
”嫁入り”的に個人の自由を剥奪された女性階級(勝手に社会進出する道も無いのであって)が、唯一の快感原則の働く子供を溺愛し過干渉に近い自己愛投影を行う特異な存在となるケースも頻繁に発生したでしょう(”自分の”子供のような所有願望)。自己愛を投影していますから身を捨てて子供を大事にする事も心理的にはごく自然に発生する。
※ある意味2.26事件の引き金となる心理的根拠もこのへんにあります

因みに当時の大都会「江戸」が自由闊達な文化を築いたのは、
『巨大な次男次女都市国家』だったからで(あまり明日をも考えない刹那な人生観であった)、
当時の江戸っ子の「宵越しの金も持たネー」って言葉の意味は「結婚もしネー」って事ですよ。
(男女人口比がまったくのアンバランスだった→圧倒的多数の男性と吉原という社会だったんです)
江戸の『粋』ってのは、
「値切った後で、オイオイ釣りはいらネーよ」のようなものですが、
こういった『粋な散財』は次男次女都市国家特有の明日の事より今日の粋って美意識によるものです。

ここに突然「明治維新という名の薩長連合武装軍事クーデター」により”上からの革命”が起きて、
急激な経済成長(富国強兵)と、”軍国主義的教育”そして昭和の第二次世界大戦後の占領軍による”上からの革命(占領政策)”により、「気分のいいところだけ都合よく解釈してしまう」という”文化的堕落”が蔓延したわけです。
核家族なのに長男気取りでサラリーマンが一石(一国)一城の主なんて言葉を口にしたり、
特に軍国主義時代には農村階級が”大和魂(元はサムライ精神)”を語った経緯からサラリーマン(元農村出身でサムライの文化など知らない世代)が武士道精神を気取ってしまったり(西洋で言えば”ナイトの称号”)、
古来の『共同幻想』はグズグズになったんです。
※ある意味「古きよき農村地域の”お祭り”」などの耽美的世界も荒廃した。

なので政治的に言うならば、
民主主義的な公正さや平等意識は「まだまだ早すぎて根付いておらず」、
(フランス革命ですら150年とかそういうスケールです)
地方では”談合利権体”が定着、見るに見かねて霞ヶ関による「中央集権国家による統制」が”秩序を維持”した。
これが昭和って時代です。
親は自分の家族を私物化し(家族法人は社会的存在であって親の私物化が許されているのではない)、
社会的義務である「子供を社会人として独立させる(一種委託託児教育を目的とする教育特殊法人でもある)」義務をいとも簡単に放棄したり。
自分の既得権益拡大のため(なんら相続として取引関係の成立する財務体質も無しに)「子供の立身出世(進学競争)と親の面倒見なさい」的な野放図な私物化が暴走して、受験競争が社会問題になり(後に学級崩壊に至る)、
古来の共同幻想(伝統社会の美徳)は見事なまでに崩壊したわけです。

※何故国家財政が学校法人を補助するのかと言えば、社会契約的な国家と個人の関係を前提とするためで(家族世帯が個人的利益むき出しで本音進学の明快な意思も無く地位や名誉欲しさに強引に受験戦争繰り広げ、国立大学等の権益奪取に成功すると学校法人運営資金を含む莫大な権益を収奪する事と同義なんです)、乱用する事は計算に入っていないんですよ(家族法人は社会契約的な”市民の義務”を果たす前提で考えている)。
計算外な自体を前に教育は滅茶苦茶な事になったと、

ここが『共同幻想の崩壊過程』という文化人類学的な時代認識で
当然この時代には社会にメンタルな問題が多発します。


■さて現在日本はとにもかくにも民主主義国家になりました、
政権交代ですって意味は、こういう世界からの脱却「本当の意味の個人の尊厳」の到来を意図したものです。
※前レスで紹介した「高齢者の一人暮らしする権利」もこの線上にあります
立派に子供を社会人として輩出した、元家族法人経営者の名誉として何不自由無く(誰かに依存する事無く)その尊厳と誇りを保障しましょうって事です。(リタイアした家族法人経営者が元部下の世話になって感謝の意を表するみたいな事の無い様にその名誉を国家が保障する)

現代社会において「子供が親の面倒を見るべきだ」的発想は”道徳でも何でもありません”
極端に言えば、道交法違反なのに「付き合いなんだから一杯飲んでいけよ」に近い問題意識なんです。
※誤解の無いように繰り返しますが、当時の親子関係が各個人個人にとっても血縁の縁をベースに親友のような「個人的信頼関係」があれば、現在進行形でも大事な人間関係であっておかしくないですから、元子供が元親と信頼関係をベースにしてその後も円満に関係が続く事だって自然ですが、こういった関係者には「子供が親の面倒を見るべきだ」的発想では無いんです。
(義務では無く「親友のために人肌脱ぐ」のと同じであって関係を大事にする事は当事者にとっての”個人的利益”となるため)


話は戻りますが

しかし
>今でも光熱費の一部と自分の食事は自分持ちですが、もし一人暮らしなら家賃などもっとお金が必要になってきます。遊びたい、おしゃれもしたい、旅行や買い物にも行きたい。貯金もしたい。
実態は”パラサイト”であると、

不動産関連の話も理由になってません
内定証明あれば審査通ります。
就職決まってなくても、自己資金があれば「派遣会社に登録」して、勤務先も決まってます的背景あれば審査通る事珍しくありません。
(実際その後就職先が違っても、後に申告すればいい)
家人が保証人能力無ければ、保障会社を利用できる物件にすればいいのですし。


その状況で、
>家族や家のことが原因で居づらくなって辞めるはめになったら家族を恨んでたと思います
>何でこっちが親の巻き添えをくらわなきゃいけないのという親への恨みや不満ばかりがつのる。
「借金なんかしやがって、」
と悪態つている、
「私の”既得権益談合利権体質”を壊すつもりかオイ」
これじゃ
借金で壊された利権体質を自分で修復しなくちゃいけないってか?
「私が優れて家族に奉仕貢献しなければならない(借金返済を手伝えとか)」
悪いんだけれど”パラサイトはするが家賃は払いませんよ”
>遊びたい、おしゃれもしたい、旅行や買い物にも行きたい。貯金もしたい。
>遊ぶ相手もなく、休日も家にいる状況なんてつまらないです。何より大好きな彼氏から離れたくない。
利用できるところは利用しますが、
>家賃が払えなくなって家族がホームレスになろうと、餓死寸前になろうと、手を差し伸べるつもりはない。

この幻滅は「話が違うだろうよお前」って事ですよ、
この世界(家族社会)は、私の”既得権益”だった筈だ、
(”私は子供で特別扱いがあるべき”そしてあなたたちはそれを実現すると約束したじゃないか、のようなロジックが無意識下にあある)
借金等していないでちゃんとしろお前「私の利権を守れよお前」
ったく冗談じゃない

しかしそこで家人への罵詈雑言が並ばないのは、
 ↓
>遊ぶ相手もなく、休日も家にいる状況なんてつまらないです。何より大好きな彼氏から離れたくない。
ここが、当時(幼年期)理想化された誇大イメージで肥大化した「家族関係(約束の家族)の投影」であって、
(こっちの方が脳内の”私を中心とした家族”に近い)
無意識下で興奮している”論理的イメージ”は「実家族との関係」なので
ふとした事で(意識が先祖帰りすれば)
>一方で家族をかわいそうに思ってる自分もいるんです。
>だからと言って助けようという気持ちにはなりませんが…
 ↓
現実は「まったく利権として機能できない”できそこない”の体たらく」なので。
 ↓
>何かと親から干渉されて嫌味を言われたり、強引に父がねじ伏せようとしますが、私は従ってない。親から何を言われても平気です

平気なんじゃないんですよ、
「はぁ〜お前が何言ってんだ」ですよ
「私の既得権益を守る筈の約束が、それを借金で壊しておいて、、ったく大罪だぜお前」
彼(父)に対する蔑視となり
「どの口が上から目線だお前」って意味になる。
(しかし自分が依存している『地元』には当然家族が含まれます)
>知人や親を含めた地域・社会全体(私のまわり)が『育ててもらった親に孝行するべき』という考えで
談合組織からはその姿勢が無責任と(地域保守思想における権利義務は”連帯責任性”なので)
ですから、この悪態には「自己嫌悪の料金」が発生し、
>私は自分本位で無責任で身勝手で冷たい奴で

となるが、
自立独立するつもりも、
反省や悔恨も無い。



>道徳心が引っ掛かります

って全然状況は「道徳出る幕無い」ですよ。


>>ここにナルチシズム的自己愛(不快感による快感認知)が表現されている事は説明するまでもありませんが(反省や悔恨では無いので)、
>>その結論に至る「前段の話」は、被害認知が主たるものです。
>本当に反省してるなら文句や恨みつらみを言わずに家族の代わりにお金を返してますよね。

まったく違います。
関係を主体的に大事にしていて反省や悔恨があるのならば
「私が主導権を発揮して、借金体質等にはさせなかった」
(或いは借金体質となる悪循環の現況を解決した)
でしょう。
(当然パラサイト的生活はここに織り込まれない)
後から被害者面して「私に払えってか?」これは反省じゃありません”逆切れ”です。

※ここも誤解の無いように注釈付けますが「そんな実行力云々」に意味はありません。
反省も悔恨も”できない”のが前提ですから、
つまり最後の台詞として
「結果私には主導権を発揮して借金体質等にさせないとか、そうなる原因を解決させる力も無かった」
となれば趣旨に反省や悔恨が含まれ
 ↓
それは到底無理なので
この状況は言いも悪いも無くトレードオフとして、
「さてと、じゃー自分はどするかなこりゃ(終わり)」
となり悩みも何も無いって事です。
次に何をするか考える状況であり「何かいいアイデア無いものか」と、メンタルな要素の介入する余地は無い。

又、当然に元々て反省や悔恨等無くてもいいのであって、
最初からさして関係を大事に思わずにドライな選択があるのであれば
「ちょっと家を出るタイミングが遅くなって、嫌なものみちまったよまったく。こうなる事は十分予測できたので驚くに値しないけれども、さてとっととひとりぐらしの準備でもしないことにはいかんぜこりゃ(終わり)」
この場合にもメンタルな要素の介入する余地は無い。


■ここまで何度も何度も読み返してみてください。

じゃ何がメンタルな問題の鍵となるかって
答えは簡単です
”地域の談合利権体質”をあたかも自分に確約された既得権益だと『誤解』している事に全く無自覚である。
逆さまに言えば『そんな誤解を誘発する幼児期の一枚のスナップのような”論理的イメージ”』が無意識下に高い優先順位を持ったフラグ付きで存在しているって事です。
その行動(親族の行動)がわかりにくくて理解しがたいとか、
自分の快感依存特権を守るために無意識に温存してしまったとか、
実際の親族の日常と比べると自分の幼児期のデフォルメが”違いすぎて”記憶としての関連性すら保持できていない等で、深層心理にそんな”論理的イメージ”がありそうだって自分で思いつけないと「反抗期」において、自意識管轄記憶として再解釈されず、
(「ナイナイナイ、子供だったからとんでも無い誤解もしていたんだろうな」みたいに)
深層心理にそのまま残っちゃうんですよ。

そして、その”論理的イメージ”を基点として現在の事実認定すら偏向させてしまう
(”地域の談合利権体質”への依存に違和感すら感じない)
これは自意識が記憶分類の主導権を回復できず
「自意識共犯」的に追従(判断放棄)してしまっているって事です。
(この時点で認識や判断の優先順で自意識が負ける流れが定着)

反射的に「きっとこうだ」と思ってしまう部分に疑問も持たず本音だと勘違いしてしまう。
>私は自分本位で無責任で身勝手で冷たい奴で
 ↓
ある意味この判断は自意識の責任放棄宣言ですよ

もちろん責任(自己の尊厳の確保)ってのは
「いかんいかんとっとと独立しないことには」
です。



有料相談依頼じゃないので、プライヴァシーに関わる部分は確認できませんから「一部推定」として考えるならですが、
幼児期に分離不安を誘発させる親族の過干渉であるとか、親子関係を逸脱する溺愛(或いはその反対の虐待)等々、幼児には容易に理解し難い親族の行動をむりくり解釈したら(幼児特有のデフォルメ付きで)と考えてみてください。
※ここに一般教養で構いませんから「○○コンプレックス」のような快感依存の現象を絡めれば
「本人まったくそんなつもりは無いのに、普通なら思いつきそうなアイデア(ひとりぐらし)をどうしても思いつけない」
「そのくせ、そんな意図は全く無いのに家族と依存する事が至極当たり前であるかのような”とってつけたような都合のいい理由”ばかりスラスラと次から次へと(肝心な解決策は思いつく事もできないのに)不思議と立て板に水で出てきて、体感”これ道徳だ”という補強までされている」

のような現象に至るのが”なんとなく”掴めるでしょう。

これは意識下の”トリック”というか、
わかり難い『間違い探しのパズル』みたいな話なんです。
「え、いつの間にこのパズルこんな”ピース”が含まれているんだ?どこにも合わないじゃないか」
のような。

■重要なのは強引に「こんな”ピース”」をパズルに組み込む事じゃなく、
「あれ、これ関係ない”ピース”じゃん」と気が付く事なんですよ。


それから
>>親の洗濯物が干してある風景や病気の親を見てると居たたまれない気持ちになります。
>>家族も一生懸命生活してる風景や病気の親の姿を連想しちゃうんだと思います
>
>何でこんな風に連想しちゃうんでしょうか?

ここは前回レスで説明済みの筈なので(そういう意味では「レスが早いです」前の返信を反読してください)何なんですが、
「連想だからですよ」

連想について説明しますと、

たとえばですよ

友人と二人で植物園に行くミュージカル仕立てのドラマがあるとします。
「ねえねえちょっと素敵だと思わないこの○○」
「あら綺麗なお花」
「花・そう花と言えば」
(ここから歌を歌い始めて最後の歌詞が)
・・・「そう、なんて素敵な花でしょう。”あの花”のように〜ぃ」
不思議とどんな花を見てもこの歌を歌いだし最後の歌詞は
・・・「そう、なんて素敵な花でしょう。”あの花”のように〜ぃ」

「って、あの花違うでしょこれは○○」

わかりますよね、
人間の脳は、瞬間認識レベルで「これは何」を関連付けで分類します、
(フォルダの数や種類は各人の自我によって千差万別)
ここで「花と言えば圧倒的に○○」なる強すぎる”論理的イメージ”があると、
目の前の個別の花は全部ひとつのジャンル”あの花”に関連されてしまい、個別には花を認知できなくなるんです。

「いやいや違うってこの○○を見ようよ、あなたの”あの花”じゃなくって」

つまりですね
全く赤の他人の「洗濯物が干してある風景や病気の親を見てる状況」
これ、別人ですから”全然違うんですよ”

しかし”つつき”さんの心理状況は
「そんな他人の家庭の事など”全く興味が無いかのように”(実は個別に認知することができない)」
・・・「そう、なんて素敵な家族愛でしょう。”あの家族愛”のように〜ぃ」
説明するまでもなく、”あの家族愛”は自分の家族を指していると、
(一種の自己中心性認知です)

極端に言えば、この世の他の世帯や普通に自立独立していく若い人の事が”認識からおっこちている”んです。
自意識は健在ですから、当然見たものや知識は理解できるんですよ。
しかし(テストの問題が自由自在に記憶できないように)どうあっても個別の対象は何って(個別に違うものだって)優先順位は低く、
深層心理では
・・・「そう、なんて素敵な花でしょう。”あの花”のように〜ぃ」が常に再生されるって事です。

ここも強すぎる”論理的イメージ”が深層心理に存在する証明で
(現実的レベルを超えているからこそ強い力を発揮しているとも見ることができる)
言い換えるなら
『強い権限の上位フォルダに支配されて、個別のものが全部そのフォルダに格納され認識が”あの花”化する』

重要なことですが、
その記憶は「すっかり現実から乖離していて、幼児期ならではの”誤解”」だって事です。
ここは自分自身にも
「何がなんだかわからないが”違和感”だけはある」
ので、
どうにも説明に困って

>私は自分本位で無責任で身勝手で冷たい奴で
なるすっとんきょうな認識で強引に矛盾する無意識と自意識の帳尻を合わせてしまっているんです。

(なんとなく気がつきませんか?)

「どうせ、そんな違和感感じる私(自意識)が悪い(無意識の特権的イメージに劣る)んでしょ」

諦めと同時に、
自意識の権限放棄、

■繰り返しますが、自我における最高権威は”自分(自意識)”です。

つまり買収やら接待付けやら賄賂やらで、
懐柔され利権体質に依存している”自意識”を立ち上がらせて

「いやいや違うだろ”自分”」
と舵を切れば、状況は180度逆転するって事です。

実際の自意識の置かれている状況は「依存症的傾向」がありますから、
そこから抜け出すには生活習慣から改めないとみたいな話にもなります。
「常に本音チェック」するであるとか、
「先ず真っ先に道徳的認知は100%全否定(悪行ぐらいに思う):初回否定って意味です自意識権限で哲学・美意識として再確認されれば”本音”としてOKを出してもいい」
等の(その都度自意識を立ち上げる)継続性が必要です。

こういった要素を担保する意味で、
安易にレスせずに、
とにかく最初の自分の相談書き込みから全文反読、
ついでに、他相談事例の全文を次から次と反読、
そのなかから、なんとなく「あれ、こういうことなんじゃ」な体感出てきますから。

『どこにもそんな要素は無い』
『どこにも冷酷な話はない』

「自分で思いつけることなんじゃないか(何がその邪魔をしてきたんだろう)」
確認できるまで読んでみてください。
そして自意識を立ち上げて考えてください、


1063 彼と離れたくないです つつき 2009/08/26 17:38
> >新しい環境で友達がなかなかできづらい可能性もある。
> これはいくらなんでも無いでしょう、

可能性の話ですが、できなかった場合はつまらない生活になります。私にとって友達と遊んだり彼氏と一緒に過ごす時間がとても楽しくてじゅうじつしてます。


> >何より大好きな彼氏から離れたくない。
> なんで思春期の子供たちが大人になる過程で広く一人暮らし・独立を志向するのかって、
> 家人の事など気にせず自由に友達なり彼氏が実に簡単に宿泊できる(だけでなくそのまま同棲するのも自由)

おっしゃるとおりです。でも彼氏が地元にいるから都会に出たら遠距離になってしまいます。彼氏とは近くにいたいです。


> >夢ややりたいことがあってその会社や学校に入ったのに家族や家のことが原因で居づらくなって辞めるはめになったら家族を恨んでたと思いますが。
>
> まず「夢ややりたいことがあった」としても最もこれを阻害しているのは、
> ”地域の談合利権体質”にどっぷり漬かった自分じゃないですか。

家族が何かしでかした場合は身内まで同じように見られてそこの学校や会社にはいられなくなりますよ。


> ■これまでの人間関係を全て一度清算してしまうのも手段のひとつです
> この理由は何かと言うと、
> 家族時代の強迫意識の事実上の追従と、結果としての自意識抑圧:同時に強迫意識の正当性確保の意図から「スカウティング」により、『取り巻き』が交友関係や恋愛関係として実体化する事が多いんです。
> (強迫意識の構造が深刻化すると『共依存』が模索される)

友達の大半は関してはそうかもしれません。
でも彼氏とは唯一自分をさらけ出せる仲です。いろいろあって不満を持ったり喧嘩することもありますが、それ以上に彼氏は唯一理解してくれる大切な存在です。
家のことでも周りの友達は陰で面白可笑しく噂をしてるようですが(中にはいい子もいますが)、彼氏は家族に対して依存してる私に叱責もしますが、親身に話も聞いてくれます。家族なんだから助けるべきだとの考えをしてる彼の考えは共同幻想も入ってるかもしれませんが、彼にとってはそれが良いと思ってるから私に厳しいことも言ってくれてるんだと思います。
私も彼が仕事で辛い時があった時やイライラしたときに怒りをぶつけられる時もありますが、私も支えてもらってるのでお互い様だと思ってます。単に共依存状態になってる相手ならここまでできません。


> >今でも光熱費の一部と自分の食事は自分持ちですが、もし一人暮らしなら家賃などもっとお金が必要になってきます。遊びたい、おしゃれもしたい、旅行や買い物にも行きたい。貯金もしたい。
> 実態は”パラサイト”であると、

ここはおっしゃるとおりです。せめて今までの家賃と世話になった分金額分全額は無理ですが、できる範囲だけでも返していった方がいいですよね。



> >今でも光熱費の一部と自分の食事は自分持ちですが、もし一人暮らしなら家賃などもっとお金が必要になってきます。遊びたい、おしゃれもしたい、旅行や買い物にも行きたい。貯金もしたい。
> 実態は”パラサイト”であると、

自立に向けて考えなきゃいけませんね。
でも彼氏との関係はどうなるのでしょうか?彼とは遠距離になってしまいます。
そして資金の問題です。わがままですが、遊ぶのが大好きな私には交際費はどうしても欠かせません。一度きりの人生だから楽しく過ごしたいです。もし病気になった時のための貯金、そして親に返すお金。。
それを解決するには給料が高いとこに就職するしかないですが、勉強もできない、資格も取り柄もない私には誰にでもできる職業しかつけない状態です。まずはここを改善することが課題になってきます。











1064 Re:どうもカウンターあてる必要があるので つつき 2009/08/26 22:09
>「結果私には主導権を発揮して借金体質等にさせないとか、そうなる原因を解決させる力もなかった」

これで反省という形になるんでしょうか?
私も家族が借りてたお金で生活させてもらってたかもしれません。それなら私だけ楽して逃げてませんか?
反省なんてタダであり、サルでもできます。
お金を返さないと相手からしたら何の意味もないのではないですか?


>現代社会において「子供が親の面倒を見るべきだ」的発想は"道徳でも何でもありません"

義務というより"恩返し"になるんだと思います。
もし子供が親を見る必要がないならそれまで私にかかった養育費だけでも親に返すべきじゃないですか?
さんざん親を都合良く利用(進学費用や生活費を出させてた)しておき、私が辛い時には家族に支えてもらったのに家族が悪くなった時には自分は知らんぷりなんてやはり身勝手なように思います。


>義務では無く、「親友のために人肌脱ぐ」のと同じであって関係を大事にする

周りはそんな感覚で家族を見てる人が多いです。
そんな感覚を持ってない私はいいのでしょうか?
1065 課題は全然違う場所ですよ kagewari 2009/08/30 08:14
>わがままですが、遊ぶのが大好きな私には交際費はどうしても欠かせません。一度きりの人生だから楽しく過ごしたいです。もし病気になった時のための貯金、そして親に返すお金。。
>それを解決するには給料が高いとこに就職するしかないですが、勉強もできない、資格も取り柄もない私には誰にでもできる職業しかつけない状態です。まずはここを改善することが課題になってきます。

全く理屈になってないですよ。
”半分”自覚もあるため(その点では「自意識共犯」の存在も確認できる)、上記の表現になっているんだと思いますが「自分の心理状況が全く理解されていない」ためこうなるんです。
無意識と自意識との関係性に矛盾する構造があるため、ここは「自覚が無くても」不思議じゃないところで、
後段と重なりますが
 ↓
>でも彼氏とは唯一自分をさらけ出せる仲です。いろいろあって不満を持ったり喧嘩することもありますが、それ以上に彼氏は唯一理解してくれる大切な存在です。

当然彼がその構造を理解できる筈がありません。
(こういった矛盾する構造はある程度の心理学の知識無しに理解できない→順序としては”まず自分が認識する”のが先でしょう)
そんな「誤解している人物」を、
何故”つつき”さんは「唯一理解してくれる大切な存在」と認識している等と言う現象が発生するのでしょうか?
(自分でもその構造を理解していないのに)

現在の”つつき”さんが認知している「自分の心理」というのは、依存や自己愛的快感依存等の強迫性の意識であって自意識がリードする自立的動機形成では無いのです(自立や独立的思考は強迫的認知により同時に抑圧されている)。
ですかからこの構造は勿論『被(こうむる)』形の受身なので、
強迫を受ける”つつき”さんには「十分過ぎるぐらい求め”られる”欲動」を知っています。
そう強迫(脅迫)されている当事者なんですからね。
この状況を”つつき”さんは自分の心理状況だと「誤解」しているワケで、
(抑圧され抵抗できない自意識にとっては抜き差しなら無い自分の気持ちと思ってしまう)
ここが
 ↓
>遊ぶのが大好きな私には交際費はどうしても欠かせません。
>それを解決するには給料が高いとこに就職するしかない。

という曲解に繋がっていて
(上記は依存や自己愛的快感依存等の強迫性の意識であって自立的欲求では無い)
これに従わざるを得ない(この点で「自意識共犯」:強迫に負けている形になるので)状況が、”つつき”さんには「私には欠かせない条件なのです」のように体感されるんです。
(なので表現が第三者的なんですよ→自立的な動機形成ではない証明)

彼が状況を理解している的な誤解はここですよここ
 ↓
>家族なんだから助けるべきだとの考えをしてる彼の考え
そして”つつき”さんにはこういった深層心理がある
>一方で家族をかわいそうに思ってる自分もいるんです。
>そうやって親を心配してる気持ちもあります

ここで前レスを読んでください。
私は以下の指摘をしていますね、
>>構造的に何が起きているのかと言えば、
>>『私が優れて家族に奉仕貢献しなければならない』のような無理のある認識が無意識下に構造化している。

これは強迫心理の事です。
となると、
上記の現象は
「彼は私の強迫心理にとって非常に都合のいい理解者だ」
となるんですよ。

現在”つつき”さんは自分自身の無意識下における深層心理と自意識との間に矛盾する構造を抱えていて、
その矛盾する関係をどうにかこうにか「自己嫌悪」を交換条件に『強引な正当化』を行っている状況です。
>私は自分本位で無責任で身勝手で冷たい奴でしょ
当然この認知は、
抑圧され「自意識共犯」に追い込まれている自意識の”投げやりな部分(敗残感)”も含まれて居ます。


つまりですね?
>遊ぶのが大好きな私には交際費はどうしても欠かせません。

こんな事実関係はありません。
こう感じるのは、強迫心理の原型が「幼児期の自分」だからで、
 ↓
>>(”私は子供で特別扱いがあるべき”そしてあなたたちはそれを実現すると約束したじゃないか、のようなロジックが無意識下にあある)
反対に言えば、
特別扱い(この場合「交際費はどうしても欠かせません」)が無いことには、子供じゃない「=強迫意識が保守できない→自立する自分に目覚めてしまっては終わりになる」という構造なんですよ。

基礎的素養として
「遊ぶのが大好きな私には交際費はどうしても欠かせません」
こんな人はいませんよ(笑
営業マンじゃないんですから。
上記の説話が何を言わんとしているのかといえば、
強迫的な衝動に近い欲動に自意識が無抵抗な追従をする形で「自分で正当化してしまわないと困る」って”自意識の立場”というか、
弁解なんですよ。
(私は特別扱いされないと不満である)
結果として”つつき”さんが何を言っているのかと言えば、
「私は自分がどうしてこうなっちゃうのかわからないので(無意識的なので)それ(お金がかかること)は私の基礎的素養なのだと、あたかも他人を観察するように思っているんです。」

ハローワークで
「私はお金がかかるので、高い給与のところじゃないとダメなんです」
(「私はお金がかかるので、おっきな家じゃなきゃ嫌」)
こんな人いますか?
「・・・・??」と対応されるだけでしょう。

つまりここも”つつき”さんの本音じゃないって事です。
 ↓
■依存的快感を続けるにはお金が必要なだけで、自立独立後の”自分”にはそれを上回る充実感や所有権(自己責任:行動選択の著作権)が発生するので満足度は比較になりません。極論自立独立すると「給与が少なくても満足度が高い」って事です(政治問題になっている非正規雇用の話は別ですよ→なので政権交代って話にもなっているんですから)。

そしてこの部分も間接的に被ってます。
 ↓
>彼氏は家族に対して依存してる私に叱責もしますが、親身に話も聞いてくれます。
 ↓
「無抵抗で無意識の共犯者となっている自意識を叱責しますが、基本的に強迫心理への理解の方が深いです。」
>家族なんだから助けるべきだとの考えをしてる彼の考え

つまり彼は「何かおかしい」とはわかっているが、
彼自身共同幻想保守タイプなので、
(情報不足なので推定ですが彼にも共依存的内面が存在する可能性もある)
”つつき”さんの強迫意識が正当化と自意識への抑圧に利用している道徳的ロジックに抵抗できずに「理解してくれる」
=「助長し正当化をバックアップしている」


全体像をよく見ると”つつき”さんの証言は「彼が”本当の父親役”」である事をほとんど証明しています。
>何かと親から干渉されて嫌味を言われたり、強引に父がねじ伏せようとしますが、私は従ってない。親から何を言われても平気です
>彼氏は家族に対して依存してる私に叱責もしますが、親身に話も聞いてくれます。
 ↓
「偽者(実父)の話には聞く耳持ちませんが”本当の父親役”の話には感激します」
■当初の相談投稿の答えがここにあるって事です。

>知り合い(家族)が困って助けを求めて来ても平気で見過ごせる残酷な自分最低、冷酷とたたかれるけど、家族と関わりたくない
>私は自分本位で無責任で身勝手で冷たい奴でしょ

この文章は内容自体が相談の形にもなっていないので(自己嫌悪的な独白で相談の形になっていない)、
特別目立つところですが、
これが”つつき”さんの頭の中で『相談の形になっている』理由は
「自分でも不思議だ」と思っているからですよ。
”平然と見過ごせる自分がいます”って部分がです、
彼の親孝行発言や、街の洗濯などで家族を思う気持ちを確認できているのだが、
何故実父相手だと「平然と見過ごせるのでしょうか?」
翻訳すると、これが投稿における質問だったのでしょう。
その違和感を説明するために、
「私が個別に冷血漢だとでも考えないと説明が付かない」ためにこうなる
 ↓
>私は自分本位で無責任で身勝手で冷たい奴でしょ

逆に言うと、こうでもして説明をつけないと内面の問題
 ↓
『強迫構造に”幼児の家族妄想”が位置している』←ここを発見してしまいます。

発見しちゃまずいんですよ、
依存関係として、彼に憑依させている投影現象「特別な○(原型は幼児が見た父親)」が、実態の無い勘違いである事を暴露させてしまうのですし、同時に現在パラサイトしている状況を正当化できなくなるからです。
(親孝行の気持ちがあるとか、親孝行すべき道徳性に悩んでいると言っておけば→何かすべきだとは思っている状況を先送りする格好で=いつか借りは孝行で返すのだから現在のパラサイトは親子愛の範疇で問題ないと”曖昧な正当化”に成功する)

■何度も繰り返しますが、
依存も、投影も”つつき”さんの本音じゃありません。
何の得もありませんよ、ズルズルと内向系の自己陶酔が悪循環化して快感依存から抜け出せなくなる事もリスクとして考えないといけません。
実際「あたかも彼との関係は幼児期の親子関係並に普遍的だ」と勘違いされていますが、
彼は赤の他人であって、自由意志のある個人なんですよ?
状況の悪化で彼が一抜けたした場合どうなるか容易に予測が立つと思いませんか?
別れをトリガーに鬱に至る可能性もあるし、
彼に対してストーカー的固着を引き起こす可能性もある、
 ↓
冷静に考えて、そういう関係になってしまっていると考えれば理解できる筈です。
これは、大人同士の恋愛縁であるとかそういった類の関係じゃ無いって事ですよ、



<他各論レスします>
※再度書きますが、今回のレスも私の書いている内容はこれまでの過去ログと比べて特別新しい要素は無い筈です。理想的には反読中の”つつき”さんが自分自身で気が付いて自意識の認識として確認する方が何倍も望ましい事で(強迫意識の抵抗も少なくなる可能性もある)、結果として相談の答えに延々と『反論』している構造になってますが「これは変なんです」。
考えてみてください、
反論するぐらいなら既に答えは確定していて、相談するに及ばない事になる。
相談する形があるってことは、うっすら”つつき”さんの自意識には「何か変じゃないか」って意識があるんですよ。
(或いはこのままでいいのかって)
それが何なのかって考える糸口を探るのが相談になりますから、
「考える糸口」に利用されないと意味が無いんです、
その考える糸口に反論してしまうと、「無意識に強迫意識の片棒担ぐ結果」になっちゃうんですよ。
ほんとの話、無意識に、
相談書き込みの当事者は間違いなく「自意識で」、
どうにも反論を書き込みたくなっているのは「無意識的な抵抗」、
しかし実際に反論の書き込みをする『実行行為者』は、自意識です。
ここを、安易に許してしまうと自意識共犯の形で、自意識の自立性が毀損されてしまいます。
言い換えるなら「一番最初の自意識の考えが無力化される」ことになるんです、
(やはり書き込むべきじゃなかった私は冷血漢なのだのような答えを強引に導き出そうとしているのと同じ→「冷血漢」のキーワードが強迫意識の自己防衛として鍵となっているのは前述のとおりです)

※考える時間を持ってください。
安易にレスすればするほど、話が当初の趣旨から逸脱して、
結果「親孝行問答:保守から見た現代社会」みたいな話になりますよ?
果たして、そんな論争を目的に”つつき”さんは最初の投稿していないわけで、
変だと思いませんか?
足元すくわれていますよ。
無意識が仕組んだトリックに安易にひっかからないでください。
ですから、反射的にレスを書くのではなく、他の投稿を含めてとにかく反読してみてください。
既に「考える糸口」は明示されています。

■以降各論の矛盾点

>可能性の話ですが、できなかった場合はつまらない生活になります。私にとって友達と遊んだり彼氏と一緒に過ごす時間がとても楽しくてじゅうじつしてます。

前述のとおり、彼は赤の他人で個人の自由意志があります。
その関係を(あたかも幼児期の親子関係のように)保障しなければならない義務は彼にもありません。
又、現状の依存関係から言えば、強迫心理が原因で”つつき”さんの言動が彼の心理を限界に追い込む可能性も多分にあり(強迫心理なのですから→強引に迫る)、実際に投影における依存関係が結果として問題を複雑化させたり、関係そのものを悪化させて「鬱心理の元ネタ化」するケースは非常に多いです。
既にこれまでの書き込みの文章からもその傾向が散見されています
実際に
>私に叱責もしますが
この点が暴発する可能性もあります。

又既に過去ログで説明済みの話になりますが、
「友達と遊んだり彼氏と一緒に過ごす時間がとても楽しくてじゅうじつしてます」
これは虚偽です、
依存的満足が”見かけ成立”しているだけで、
実際にその背後の条件設定に「パラサイト」があるワケですし(パラサイト含めて充実していますじゃ文章にならない)、
ことの発端は「親と推定される人物の強迫意識が原因で現在の”つつき”さんにはメンタルな問題が構造化している」と推定するのが妥当ですから、精神年齢的発想をすれば思春期以前とか思えない実父等が、借金等の家族法人取締役上の破綻を引き起こす可能性は『予定されている』と見ても大袈裟ではないのであって(同様に現在の彼氏との関係も”破綻含み”となる)、

家族の借金は友人達との依存関係と同一線上の構造だって事です。

だから言っているんですよ、
”つつき”さんの本音は「独立自立」であって、
大人の個人として確立した人間関係があれば、普遍じゃ無くても自意識が自認する範囲の信頼関係は保障されるのであって、
極論自分がしっかりしていれば「その関係は私にとって充実と呼べるものだ」と断言可能なんですよ。
 ↑
現在の”つつき”さんは上記のような本質的充足を「必死になって反論し捨てようとしている」って事です。

又、
「可能性の話ですが、できなかった場合はつまらない生活になります」
この根拠は矛盾していますよ、
何故って簡単です、
たかがどこかの街で転職した場合、今と同じ友人関係はできないかもしれないと考える根拠は
「私はそれほど魅力的な個人ではない(自信が無い)」と言っているのと同義ですが、
ここは説明の必要も無く「今の自分は大人として自立していない」→「依存関係なら可能でも大人の信頼関係を築く”自分”となっていない」と、”つつき”さんにもうっすら自覚があるからです。
自立する大人には”個性”という固有の魅力が発生しますから、自意識リードでしっかりした個人の意見があれば「話の合う他人が100%いない」なんて現象は数学的に発生しません。
又ここまでの話で気が付くと思いますが、自立独立も単独者的な領域になれば「不特定多数で群れを作る」事が固有に不快にもなります。単独行動や個人的な少数の関係である方が個性を鮮明に保てるからです(依存は0%になりますから)。
つまり話そのものがどちらの角度でもナンセンスだって事です。

※当然その個性が限定保守の範囲(地域保守型)にあれば、仲間意識も自分の個性になりますから「気の会う仲間」的な友人もできるでしょう(現在のところ同タイプの人の方が社会的にも見かけ上は多い)。何故なら「個性が限定保守の範囲」になるのですからその後友人になる側にも固有に集合性が備わっているからです。


この状況を考える上で以下のスレッド番号のやりとりを最後まで読んでみてください。
(相似する部分があるので参考になる筈です)
スレッド番号966

>家族が何かしでかした場合は身内まで同じように見られてそこの学校や会社にはいられなくなりますよ

はぁ?どういう社会ですか?
親が犯罪でもすればまだしも、
大学のゼミでそんな話する人間いませんよ。
「関係無い」じゃないですか?
誰が親とか、何か関係あるんですか?
そもそも実社会でいきなり地元的な話されても「何のことやらよくわからない」ですから迷惑な場合すらあります。

ギリギリ可能性があるのは、
極めて内輪の人間が多い「特定地域の学校(これも家族の話が話題になるのは小中高まででしょう)」「地元の人間だけで構成されている地元の小規模な会社(大規模であればそもそも人事異動で転勤もある)」に特定される話でしょう。
 ↓つまり
そのリスクを高めているのは”地域の談合利権体質”にどっぷり漬かった自分”って事です。


>私も彼が仕事で辛い時があった時やイライラしたときに怒りをぶつけられる時もありますが、私も支えてもらってるのでお互い様だと思ってます。単に共依存状態になってる相手ならここまでできません。

共依存の意味を履き違えていますよ、
互いの強迫意識を掃き出す対象として利用するってことです。
各人個人的利益を伴って依存しているわかけですから(消費者金融の合保障のようなものです:互いに相手の連帯保証人になる保障)、その関係は快感依存のためなら多重債務だろうが、どこまでもお互いに相手を引きずり込むのが『共依存』です。
(自分の自意識を抑圧して本音を埋没させるようにです)
場合によっては、依存関係のためには相手の仕事だろうが立場だろうがが壊滅的になってもこの暴走は止まりません。
お互いにです、
しかも後期は依存関係(快感依存症のような関係性となる)が主で、互いにたとえようのない嫌悪感を抱えたり(強迫構造は興奮を快感として認知しますから)、自力で解消できなくなる場合もあります(依存症なのですから)。
※実際に婚姻関係となった後に「予定調和的関係悪化」を招いて非常に困難な状況になるケースもあります。

だからといって今現実の関係を清算すべきだと断定しているワケじゃありませんよ
当初のレスに書きましたが、
>>強迫意識が関係する時の典型的なアドバイスがあって、
>>それは以下のようなものです
>>■これまでの人間関係を全て一度清算してしまうのも手段のひとつです
>>この理由は何かと言うと、
>>家族時代の強迫意識の事実上の追従と、結果としての自意識抑圧:同時に強迫意識の正当性確保の意図から「スカウティング」により、『取り巻き』が交友関係や恋愛関係として実体化する事が多いんです。
>>(強迫意識の構造が深刻化すると『共依存』が模索される)
>>それぐらい”ハイリスク”なものなんです。

これは有料相談ではないので、プライバシーに関わる個人情報は確認していませんから、
あくまでも「外郭的な推定の範囲」になります。

そのリスクを認識して、
あたかも現在の関係が普遍的であるかのような”過信”(場合によっては妄信)に至る事が無いような注意が必要だって事です。
 ↓
>私も彼が仕事で辛い時があった時やイライラしたときに怒りをぶつけられる時もありますが、私も支えてもらってるのでお互い様だと思ってます。単に共依存状態になってる相手ならここまでできません。
こうなっては危険だと自認してくださいって事です。

実際大人同士の恋愛縁であるとかの信頼関係であれば、
こういう固定化の発想はありません。
大人の信頼関係とは”互いの個別性(違い)”を尊重する事であって、
共同体認知より個性を尊重(違いを尊重)するところにあります。
ですから、その確証は「自分がその違いを尊重している部分(認識)」で担保されるのであって、
その人(違い)を知っている深さで決まるのであって、日常どれだけ遊んでいる時間を共有しているのか等無関係ですから。
(主体的に自分は同考えるのかにより関係性が担保される→関係実態が関係性を担保するのではない)


>>実態は”パラサイト”であると、
>
>ここはおっしゃるとおりです。せめて今までの家賃と世話になった分金額分全額は無理ですが、できる範囲だけでも返していった方がいいですよね。

完全に”誤読”していますよ。
(ですからとにかく反読してください、意味を180度逆さまに読み違えている部分もまだまだある筈です)

私は、だから実際の現実が”パラサイト”を前提にした「不毛なものだ(自分で獲得した所有権の薄さだけ実存も希薄)」と指摘しているんです。
そんな条件で獲得しても、何ら自分のものとして誇れないって意味です。
 ↓
お金を返すなんてナンセンスな話じゃありません。
即刻パラサイトを解消すべきだと言っているんです。
 ↓
>>■つまり”つつき”さんの本音を代弁するとですよ
>>>夢ややりたいことがあってその会社や学校に入った
>>>何より大好きな彼氏から離れたくない。
>>
>>「とっとと一人暮らしして独立したい」
>>って事ですよ。

ですから
 ↓
>自立に向けて考えなきゃいけませんね。

こっちで正解です、
(なのでお金を返すとかどうでもいいことは考えなくてもいいのです:詳細は後述します)

>でも彼氏との関係はどうなるのでしょうか?彼とは遠距離になってしまいます。

仮の話として、
彼との関係が(前段共依存についていは説明にあるように一部推定なのですから)依存関係以外の個人的信頼関係の可能性を残すのであれば、何ら問題無いでしょう。
常識的に考えて転職含めて自立独立の可能性があるとすれば「今より都会か、近隣の別の都市部」になります。
これって、通常の地方に暮らす大人であれば休日に遊びに行く可能性のある街なのですし、
飛行機乗らなければならないほど遠いって「どんだけ遠くなの」って話ですし、
一般的に考えても電車で2時間以内であれば遠距離とは言えないでしょう。
(そこ含めても”先進国での論議”なんですから)
週末はそのまま宿泊したっていいんですし、それを景気に彼自身も転職を考える可能性だってある。

つまりこの感情もご自身気が付いていないのですが、
「自宅に帰れない」ところが暗韻(無意識で韻踏まれている)になっていて、
深層心理では彼は「本当の○役」となるのですから、帰るべき家は間接的に実家になって”しまっていて”、
表面的には彼との遠距離が問題になってますが、深層心理では「毎日実家に帰るところから離れる」事がそれを想起させているって事です。
(先進国の地方と都市部との関係で言えば”よっぽど意図的に遠方にでもいけなければ”遠距離にはならない:「東京から北海道」「大阪から九州」等)
反対に言えば、現代社会(先進国)では「よっぽど距離遠くないと通勤圏にもなる」ぐらいの話です。
今回のテーマは「地縁血縁社会」の影響下から離れる独立であればいいのですから、その小世界の外であればいいってことです。
勿論都市部の方が最低賃金も高いですし、事務職であっても常に特別な資格を求められる事も無い、
少なくとも現在の求人状況であれば、若い女性は圧倒的に有利です(非常に厳しいのは中高年の男性)。

ですから
>まずはここを改善することが課題になってきます。

これを言い訳に間違っても「学校にいってから」とか「何か資格をとってから」みたいな話にならないように。
強迫心理が頻繁に使う抵抗の決まり文句です、
実社会で求められる最大のスキルは「マジにやる気があんのか」って事で、
言い訳上手はその反対です。
姿勢の問題だって事ですよ、
経営者だって馬鹿じゃありません、見るところは見ていますよ。
(それは馬鹿もいますがその時はとっとと辞めるのが都会のルールです)


>>結果私には主導権を発揮して借金体質等にさせないとか、そうなる原因を解決させる力もなかった
>
>これで反省という形になるんでしょうか?
>私も家族が借りてたお金で生活させてもらってたかもしれません。それなら私だけ楽して逃げてませんか?
>反省なんてタダであり、サルでもできます。
>お金を返さないと相手からしたら何の意味もないのではないですか?

私をサル程度の人間だとおっしゃていますが、
全く読み違えていますよ。

文章そのまま読んでください、
どこにそういった事が書かれていますか?
「結果私には主導権を発揮して借金体質等にさせないとか、そうなる原因を解決させる力もなかっ」
 ↓
私という人物がいながら、借金体質になるなんて失態を”未然に防げなかった”と言っているんです。
いいですか、
仮にも借金体質になるような人物には、それなりの強迫心理を疑う素養がある事になります(借金まみれで得する事なんかありませんから)。
つまり人格に幼さ(強迫的認知はほぼ幼児性人格の関与なので)がある事になります。

ですから、
ここでいう『反省が成立する場合の仮定』は、
それ(反省)が成立するとするならば、以下のようなものだと説明したんです。
 ↓
「私がいれば未熟な親をきっちり引っ張って、多方面からの借金等させなかったのに」

となるので、
少なくともそう言える自分じゃなかった事を認めるのが少なくとも反省に近い線になる。

現在は少なくとも多額の借金があるんですから、
(その後になってしまっているので)
ここから反省こめて責任を発揮するとするなら、
(コンサルタントのように活躍するならば)
自分がいくばくかのお金を供出すべきだなんて馬鹿馬鹿しいこと考えないでしょう。
 ↓
「私に任せてもらえば、一ヶ月で債務に関する最適な法的対策をまとめるので安心してくれ」
・金融機関に対しては「破産宣告」を条件に債務の免減なり一部消滅を交渉
・友人関係に対しても、「破産宣告」を前提に現在支払える財産を計算して管財人として公平に幾分でも返済するスキームを作る
(債権に関しては、完全に破棄は難しくても一部無期限繰り延べ等の措置とする)
・必要があれば弁護士を立てて法的公正の元に債務を整理する

これに当事者(親)が、拒否を示せば「冗談じゃない自分で返せる」って意思表示ですから、
勝手にしろと答えればいい。
(同時にこういう人間だとわかって貸した人間がいるとするなら貸した方の自己責任も確定)


自分自身に関しては”パラサイトの解消”で無問題


ひとつ勘違いがあるので、指摘しておきますが、
『赤の他人の家に居候しているのじゃないですよ』
現実、パラサイトを幇助したのは親の責任です。
先進国的に言えば親の社会的責任は「子供を自立独立させること」であって、パラサイトの幇助は社会的責任の放棄と、利己的権利の乱用にあたりますから→彼らは独立自立させる責任を果たさずに”パラサイト”を幇助した無責任な親となり、
「パラサイトで浮いたお金を親に返す」って事じゃありませんよ。
それこそ、自分が社会において自立独立して社会の多様性の一部を構成してこなかったのが最大の責任となりますから(といってもその最大の被害者は”自分”になる)「そのお金を社会に還元する」と考える方が自然です。
(無責任な親に支払って何か意味があるのかって話です)
経済原則で言うならば、今後の自分の自立独立費用として使う事が(市場経済への貢献にもなる)筋の通った話です。
「パラサイトしていた分これから(独立によって)社会に返します」
※ここも社会で活躍とかみたいに誤解しないでくださいよ、社会における多様性の一部として実存する事そのものに意味があるのであって(一人の大人が参画すること:民主主義における一票の重みと同じ)、社会貢献等とは違います。「自立独立する大人が一人間違いなく増える」ってことに大きな意味があるんです(民主主義社会の本質)。


親の心理ってものを理解されていないので説明しますが、
子供が身近にいるってことは、家族法人における親権(会社であれば取締役)を維持し続けるって事で(地位や名誉)、
個人的利益(既得権益)ですよこれ。
この個人的利益を獲得するために、自宅にタダで宿泊させる程度「安いもの」ですよ。
昨今『子離れできない親』が問題視される事があるように、親で居続ける事には快感もあるって事です。
(建設省OBが天下り後も出身母体の官庁に影響力を保持し続けるような話)

一度独立後に、自分の会社が倒産したとかで、緊急避難で実家に帰って世話になったとかなら別ですよ。
この場合には「世話になってしまった屈辱(独立した誇りの回復)」を晴らすために、再就職後にお金を返すのも有効でしょうけれど、
これも「昔家族だった縁もある、水臭いこと言うな」みたいな(好意を甘んじて受けて感謝で返すのも信頼関係の取引慣行だろうよって合意)大人と大人の信頼関係によって解決する方が自然だったりします。


>>現代社会において 子供が親の面倒を見るべきだ 的発想は"道徳でも何でもありません"
>
>義務というより"恩返し"になるんだと思います。
>もし子供が親を見る必要がないならそれまで私にかかった養育費だけでも親に返すべきじゃないですか?

180度間違ってます。
ですから、選挙中の各政党公約は「奨学金等学費免減の政策」を掲げているんです。
本質的に就学に関しては政治マターであり(社会がこれを担保する)、
実際各世帯は現状でも、扶養家族控除であるとか何らかの支援を受けます。
又、昭和の社会慣行が「年功序列・終身雇用」だったのは、社会が「進学の所得を保証しましょう」という意味であり、
現在のその残滓は残っています。
(つまりその所得は先進国社会が提供しているって事です)
※欧米でも保守的な伝統社会であれば、親が大学の学費を出さないケースも珍しくない(高額所得でも)。その代わりに奨学金制度が充実していたりします(同様に子供が高額所得でも完全に別世帯として、高齢者には子供の所得と関係なく生活保護が支給されたりする)。

これが社会のコストである理由は簡単です
返すべきは「社会に対して」だからです。
(市民の義務)
※ここも社会で活躍とかみたいに誤解しないでくださいよ、社会における多様性の一部として実存する事そのものに意味があるのであって(一人の大人が参画すること:民主主義における一票の重みと同じ)、社会貢献等とは違います。「自立独立する大人が一人間違いなく増える」ってことに大きな意味があるんです(民主主義社会の本質)。

自己中心的に、家族家族と考えられては市民社会として「無責任な態度」だって事です。


■又「恩返し」って言葉もまったく勘違いしています

自分の子供のように大事に育てた地域の少年野球の選手が、
 ↓
「恩返しに監督の家に居候して、お金をくれた」
あり得ないでしょう。

恩返しって
「草野球なり、社会人野球なり、プロ野球なり、何らかの形で大人になっても野球人のひとりです。子供時代のご指導感謝しております」

「社会的責任としてあなたが教えてくれた自立独立の○○、おかげさまで社会で大人やっております」
親が社会的責任を果たしたのは間違いありませんよと伝える事でしょう。
その成果が独立なんですから。

そう(彼らの認知も)なっていなければ「いよいよ彼らの深層心理が彼らの本音と矛盾しているのじゃないかと」考えなくちゃいけないって事です。
<第一回レス引用>
>>そして、仮の話ですが今回の相談書き込みが以下のような文面であれば
>>=========================================================
>>個人の尊厳を誰よりも重視している私に対して某血縁者が「最低、冷酷と叩く」んです。
>>なんていう民度なのか?哀れとしか言いようが無い。
>>こんな時代錯誤な誤解は何が原因でしょうか?
>>=========================================================
>>
>>私の答えは「依存症ですね」となるでしょう。

彼らには(何らかの形で)家族依存的心理が介在しているって結論になる。
(自立独立する大人として社会的地位「親」をやってないって事です)


>>義務では無く、親友のために人肌脱ぐ のと同じであって関係を大事にする
>
>周りはそんな感覚で家族を見てる人が多いです。
>そんな感覚を持ってない私はいいのでしょうか?

彼らとの関係が、信頼関係ではなく依存関係だからです。
(個人個人の信頼関係が築けない強迫家族のような社会性の瓦解がある)
”つつき”さん個人の部分で言えば「自立独立」の本音を回復させる事が大事ですし、

”彼等”のことを考えるならば(それは彼等個人にとってもプライバシーなので越権はできませんが)、
「(私は独立するからいいけれど)あなた達はそのままで(依存症で)いいの?」
って話になるでしょう。


■繰り返しますが、
今回のレスも私の書いている内容はこれまでの過去ログと比べて特別新しい要素は無い筈です。理想的には反読中の”つつき”さんが自分自身で気が付いて自意識の認識として確認する方が何倍も望ましい事で(強迫意識の抵抗も少なくなる可能性もある)、結果として相談の答えに延々と『反論』している構造になってますが「これは変なんです」。
考えてみてください、
反論するぐらいなら既に答えは確定していて、相談するに及ばない事になる。
相談する形があるってことは、うっすら”つつき”さんの自意識には「何か変じゃないか」って意識があるんですよ。
(或いはこのままでいいのかって)
それが何なのかって考える糸口を探るのが相談になりますから、
「考える糸口」に利用されないと意味が無いんです、
その考える糸口に反論してしまうと、「無意識に強迫意識の片棒担ぐ結果」になっちゃうんですよ。
ほんとの話、無意識に、
相談書き込みの当事者は間違いなく「自意識で」、
どうにも反論を書き込みたくなっているのは「無意識的な抵抗」、
しかし実際に反論の書き込みをする『実行行為者』は、自意識です。
ここを、安易に許してしまうと自意識共犯の形で、自意識の自立性が毀損されてしまいます。
言い換えるなら「一番最初の自意識の考えが無力化される」ことになるんです、
(やはり書き込むべきじゃなかった私は冷血漢なのだのような答えを強引に導き出そうとしているのと同じ→「冷血漢」のキーワードが強迫意識の自己防衛として鍵となっているのは前述のとおりです)

※考える時間を持ってください。
安易にレスすればするほど、話が当初の趣旨から逸脱して、
結果「親孝行問答:保守から見た現代社会」みたいな話になりますよ?
果たして、そんな論争を目的に”つつき”さんは最初の投稿していないわけで、
変だと思いませんか?
足元すくわれていますよ。
無意識が仕組んだトリックに安易にひっかからないでください。
ですから、反射的にレスを書くのではなく、他の投稿を含めてとにかく反読してみてください。
既に「考える糸口」は明示されています。
1066 家族や恋人への思いを断ち切るなんて考えられない つつき 2009/09/06 17:50
家族にお金を貸してと言われて貸してしまいました。最初は断ったんですが、生活に相当切羽詰まっていて、何度も家族から貸してと迫られたり、このままだと死ぬか借金するしかないと言われて見過ごせませんでした。
知人から借りてたのも私に迫ってくるのも相当切羽つまってたから、家族だって好きでそうなってるのではない、怠けてるわけではなくやむを得ずの状態だった。家族を養ってる感じ、自分のお金を貸すのに不満はあったけど、それ以上に家族を人として見過ごせませんでした。
どう自分に家族のことを整理をつけたらいいか分かりません。もし生活費がゼロだったら私が家族を養おうと動いてたかも知れません。



> 全体像をよく見ると”つつき”さんの証言は「彼が”本当の父親役”」である事をほとんど証明しています

父はわがままでこき使いが荒く、屁理屈が多い。(思春期以降は逆らってスルーしてる)
高校生ならともかく、成人した今でも帰りが遅かったり、夜遅くまで遊んでいるとひっきりなしに電話をしてきたり、何をしてたのかしつこく聞いてきたりします。今まで恋人ができると文句ばかり言い、恋人の文句ばかり言ってました。
またデリカシーもなく、携帯をロックし忘れてうっかり机において置くと勝手に覗いたり(彼氏とのメールのやり取りがあるとめちゃくちゃ怒る)、
思春期時に父に内緒で下着を買うお金を母からもらってた時にまだ早い!と怒ったり(母が父にすべて話してしまう)、着替えてる時に(着替えるからこの部屋に今は入らないでねと言っても)いきなり部屋に入り込んできたり、体をじろじろ見てきて色気づいてきたなとニヤニヤしながら言ってして気持ち悪いです。
そのことを怒ると父が逆切れします。所有物のように見られてるみたいでいやで、高校生になってからはバイトを入れたり、彼氏のとこに行ったりして夜遅くに帰ってました。父からは怒られましたが、ひたすら無視してました。
逆に彼は優しくて大人っぽいです。悩みや父の愚痴を聞いてくれます。
「つつきの親父さんは未熟だな。つつきが怒るのも当然だよね。でも育ててくれた親だよ。家族が困ってる時に知らん振りはよくないよ」と彼なりの意見を言ってきます。
諭すように言ってくれる彼に父親としての姿を投影してるかもしれません。

> つまり彼は「何かおかしい」とはわかっているが、
> 彼自身共同幻想保守タイプなので、
> (情報不足なので推定ですが彼にも共依存的内面が存在する可能性もある)

彼は家族を重んじる人です。家族ととても仲がよく、家族とよくどこかに出かけてます。
特に妹さんにとは映画や買い物に行ってます。妹さんのことが心配なのか、妹さんの服装に口出ししたり、帰りが遅かったりするとかなり心配してます。
兄妹というよりも恋人みたいな感じでやきもち焼いてしまうこともあります。彼は妹さんを私に投影してるんでしょうか?私が彼より年下だからか妹のように扱われてる感じがします。


> 「友達と遊んだり彼氏と一緒に過ごす時間がとても楽しくてじゅうじつしてます」
> これは虚偽です、
> 依存的満足が”見かけ成立”しているだけで、

家族との楽しい生活を連想してるのかも知れませんね。幼い時から家族や家がなぜかいやで、特に父がいる休日は憂鬱でなぜか仕方なかったです。
お盆や正月もみんなはどこか行ってるのにうちだけどこも出かけなくて(祖父母と同居で、父は一人っ子だったので親戚がきていとこたちと遊ぶというのもなかった)つまらなかったのもあります。
昔の話ですが、それが未だに残ってます。
でも世間では遊びたい盛りとも言いますよね。素朴な疑問なんですが、それなら私のまわりや世間の若者のほとんどが依存性から遊んだり、恋人や家族と一緒にいるってことになりませんか?


> 家族の借金は友人達との依存関係と同一線上の構造だって事です。

おっしゃることはわかりましたが、友だちと遊ばない生活、彼がいない生活は想像がつかないです。彼への気持ちを切るなんて考えられない。共依存とは思いたくないです。


> >家族が何かしでかした場合は身内まで同じように見られてそこの学校や会社にはいられなくなりますよ
>
> はぁ?どういう社会ですか?
> 親が犯罪でもすればまだしも、
> 大学のゼミでそんな話する人間いませんよ。
> 「関係無い」じゃないですか?

”もし”家族が犯罪を犯してた場合はどうなるんですか?


気持ちは理屈では簡単に解決できなくて厄介です。










> >家族が何かしでかした場合は身内まで同じように見られてそこの学校や会社にはいられなくなりますよ
> 親が犯罪でもすればまだしも、
大学のゼミでそんな話する人間いませんよ。
> 「関係無い」じゃないですか?

”もしも”ですが、家族が犯罪を犯してた場合ならどうなんですか?












1067 ”自分の気持ち”と感じているのは事実ながら→”本音じゃない”んです。(1) kagewari 2009/09/08 23:24
(注:後ろの方で登場しますが「■当然この話のおかしさは”つつき”さん百も承知なので」と説明あるように、以降の話は”つつき”さんの自意識は実は十分わかっている事を私は”わかった上”で話を展開していますので。それを前提として深層心理の反動を抑制して読み進んでください。”わかった上”での援護射撃ですから、)

※原稿が長いので分割します


■事実はそうなんですよっ、ええ。
確かに実際に感情として体感しているものを言葉にする上で”自分の気持ちだ”と認知するのは、
心理的な背景認識を無視すれば「他に言語表現の方法も無い(言語論的にはここが非常に重要)」ところでしょう。

しかしですね、
2009年は現代社会であり、
言語としても『無意識』や『強迫心理』や『潜在意識』は言葉としても広く普及するものですし(必ずしも専門用語ではない)、
言論の世界では『共同幻想』すらごく普通に(注釈も無く)使用され始めています。

言葉の意味は
自分の意識にとっえ決定的な存在である(事実上”自分”といってもいいでしょう)「自意識」以外に、様々のロジカルを人間は内包していて(脳は前頭葉だけじゃないですから)自我構造の置かれた状況によっては「明らかに自分の本意から外れた情動(一般的には感情と認知しても構いません)」の存在が確認されているワケです。
この認識については歴史的検証・文化的認知から『事実上確定的』と考えていい部分です。
(これが無確定であれば全てのメンタルな問題は”詐病”ってことになる:鬱病を存在からも認めない19世紀以前まで遡ってしまいます)
典型的な話は
メンタルな問題で派生する様々な問題に対して「それは全てあなた本人の感情で、そういう気持ちなんですよ」と言ったら心理学は学問としてすら成立しないって事です。

認識の偏向は日常的にも「どこにでもある」のであって、
勘違いであるとか、趣味意識の強さがマニアに至ったり、ほんのちょっとしたガス栓閉め忘れたのかな不安とか、大きな責任を伴う事項で誰しもが胃が痛くなったり、失恋や仕事上で激しいストレスにあった後意識の回復過程に”飲んで帰るぞ”があったり、
自意識と無意識の関係性が”パーフェクトにバランス”なんて人格は存在しません。
ここには棲み分け的というかモザイク状というか”ボチボチ分散する形で”矛盾があるのが人間だったりします。

しかしこの現象は、誰にとっても”タネ明かし”をすれば偏向の原因やキッカケは納得のいく説明にもなります。
(その時○○が気になっていたからとか、大舞台で過剰に緊張したのは○○だからだかとか、その時頭の中はすっかり○○でいっぱいで集中力を欠いていたからとか、・・・)

メンタルな問題が発生するのは、
人間なら誰にでもある自意識と無意識の「場合によってはアンバランスにもなる要素」その”隙間”が『頻繁に摩擦を起こす形で強引に(ここをもって強迫と認識してもいいです)当該意識を構成している場合』→普段から恒常的なストレスがあり、同時に自意識と無意識が正面からぶつかるほどの矛盾局面で自覚症状を伴う(流石に自意識もこれは変だと気が付く)ほどの齟齬に至るって事です。
同時に「恒常的(或いは構造的)」な矛盾関係があれば、事実上当事者意識である自意識は強迫されていて(抑圧:『被(こうむる)』)、
局面では当事者意識が後退し自我防衛的に”強迫意識を守る方向に追い立てられる”→(反動的)『抵抗』
※自分で納得するぐらいなら「それは構造化しない」のですから→なので自立的な自我矛盾の解決過程(反抗期における検証:自我プルーフ)が何らかの要因で阻害された結果今の自我の形に「追いやられた(追いやられ続けている)」と考えるんです。


つまり「今強く自我を支配的に拘束されている情動を自分の気持ちとしか言えない」のだとしても、
メンタルな問題が何らかの形で認定可能な場合、
それは「強行にそう迫る(強迫)意識が、自意識との論理的関係を無視する形で(抑圧や自意識事後共犯)相対的に認知そのものを偏向させている」と考えます。
※或いは誰にでもある自意識の本音チェック
「あれ、ちょっと待てよこれってさ〜・・・」の介入を許さない構造。


ここを「それは本音なんだ本当に私の気持ちです」と言うことであればですよ、
この違和感や齟齬は、
■強い不快感を伴い結果として”自覚症状”として認定される部分に限定していると勘違いしているって事です。
これは違いますよ。
その事実認識を偏向させる自我の構造は『自我構造そのものの相対的関係性』によるのであって、
自意識と無意識との矛盾が『自意識が(矛盾を)許容する限界を超える結果』→「そこだけ”自覚症状”として認定される」のであって、
つまり『潜在鬱』の言葉にあるように、広範な認知であるとか意識構造そのものに強迫的偏向のベクトルは潜在化している。
何も飛びぬけた話をしているのじゃありませんよ、
「”連鎖的な勘違い”のような自己暗示」であるとか「特定方向へのレトリックに恒常的にひっかかってしまう」のような(それが”無意識的”だから本人”気がつけない”んです)、意識の落とし穴というか(弱点というと語弊ありますが)「なんとかスポット」が広範に偏在しているって話です。
そして心理学的に何故広範に偏在するのかって言えば「自我の成立過程そのものに無理がかかっていたから(初期は強迫的環境があったのでありこれを自我が大人になる過程で”現実における環境常識”のように取り込んだ)」となります。
>>でも言われてみたらどうして『地元』の部分にかかってるのかと気づきました。『引っ越し』が視野に入ってなかったです。
(まったく気が付かない→認知における”視野狭窄”)


「そんな筈無い」と”自覚症状”として認定される(自覚的矛盾認定)部分は氷山の一角なんです。
その矛盾は『自意識』と『無意識』の関係性によって説明され→解決もするんですから。
※『共同幻想』に限っても哲学者プラトーンが「常識を疑え」と言ったのは紀元前の話です。
(この時代は固定観念と未知の法則性や論証の発見との関係の範囲かと思いますが)

心理学的に、
自意識と無意識の関係における強迫意識や構造という問題は「連想(追体験型なので)」をトリガーとする事も説明の必要も無いでしょう。
(権威的な問題が鍵であれば”連想”によって「昇進」や「降格」「解雇」等の社会的評価全般に影響するように)

そして精神分析的な証明によって心理的な問題が(戦争後遺症等の急性トラウマ型を除く)「幼児期における人間関係に起因する」事が論議の必要の無い。
つまり家族に対する認知は「事実関係から大きく離れる偏向を含んでいる」と与件化していいんです。


ですから、私は精神分析的なコメントとして
「どういった部分にその偏向が見られるのか」という形で、
強迫意識の偏在について「ここからこれぐらいのヴォリュームではないか?」とコメントしているのであって、

「いえいえ違います」と反論していたら
■何のための『1052番:冷酷な家族』かとなります。
掲示板注意書きで事前に記載しているように
------------------------------------------------------------------------
「掲示板での相談、閲覧・有料メールカウンセリング」の過程では、自我の防衛反応による混乱(興奮)が現れます。精神分析的アプローチによる「自我構造(こころ)の揺れ」です。その点に同意の上入室してください。
------------------------------------------------------------------------
と、ここ同意の上と注釈しているところです。


改めて自分で書き込んだ内容見ればわかりますよね?

論理が破綻しているだけでなく、趣旨から倒錯しちゃっています。
(※ですから反読は必ず自分の書き込みを含む全文で行ってください)
>>知り合い(家族)が困って助けを求めて来ても平気で見過ごせる残酷な自分最低、冷酷とたたかれるけど、家族と関わりたくない。
>どこにも冷酷な話はないのです
>若干カウンター効果を含んだ表現で『極端な表現』使いますが「残酷な自分どころか、名誉市民的に賞賛されるべき姿勢」ですよ、
>>私は自分本位で無責任で身勝手で冷たい奴でしょ
>どこにもそんな要素は無いですよ。
>>そうやって親を心配してる気持ちもあります
>>親の借りてたお金で私も生活してたのかと思うとなおさら罪悪感があります。
>『どこにもそんな要素は無い』
>『どこにも冷酷な話はない』
>>「家族や恋人への思いを断ち切るなんて考えられない」
>>”もし”家族が犯罪を犯してた場合はどうなるんですか?

「平気で見過ごせる」が「私は自分本位で無責任で身勝手で冷たい奴」と転じるのは”どう平気なのか?”だとしても、
なるほど「冷酷な家族」じゃなくて「冷酷な私」なのかと(当初はシニカルな意味であると)理解もできますが
これが「いえいえ親を心配して罪悪感もあります」に及び
『それは鉄板じゃ”無い”話ですよ』と(”つつき”さんの自意識を代理に援護する形で理論武装を提供すると)
「”もし”家族が犯罪を犯してた場合はどうなるんですか?」
と、、
これじゃ半ば恫喝領域達してます。
「平気で見過ごせる」から「冷酷な私」じゃなくて
「家族や恋人への思いを断ち切るなんて考えられない家族愛豊かな”私”の主張」に至ってます。

犯罪犯した場合って、、、
それだけ別の話が”想定におけるアリな線”になっていたら初回相談は「家族が犯罪を犯したら?」であってもいいことになる。
■地元と家族における問題の根拠は”それじゃ私にとって既得権益となる地元にいられなくなるであり”(容易な解決策である引越しすることは思いつくことからも”認識落ち”していた:思春期であれば誰しもが真っ先に思いつく話)、地元に拘る根拠が「あれそうかな」となると、、
>>新しい環境で友達がなかなかできづらい可能性もある。
>これはいくらなんでも無いでしょう、
>小学生じゃないんですから、
>「都会の4大志望校進学を断念しました、新しい環境で友達がなかなかできづらい可能性もある」
>これ言いますか?
>無いでしょう。無い無い、
(引っ越せば地元の風評どうこうは最初から無縁から話は始まっていて)
>>”もし”家族が犯罪を犯してた場合はどうなるんですか?

これ繋げるとですよ(わかりますよね?)

「都会の4大志望校進学を断念しました、何より家族が犯罪を犯してた場合はどうなるんですか?私はその風評に耐えられない。ええ、ですから地元から離れることはあり得ないんです。家族や恋人への思いを断ち切るなんて考えられない」
(犯罪犯したら地元にいるほうが比較にならないほど影響大きいのに)

これ都会に4大進学とか、
就活で都会に内定とか、
こういう時に「やっぱりだめです」の理由になりますか?
そもそも論旨が破綻してます。

犯罪犯していたなら余計に地元を離れた方がいいのであって、
私は絶対に地元を離れない(パラサイト環境含む)その理由として
「じゃー”家族が犯罪を犯してた場合はどうなるんですか?」
って、
何の話なのかか私が聞きたいですよ。
■当然この話のおかしさは”つつき”さん百も承知なので
 ↓
>>気持ちは理屈では簡単に解決できなくて厄介です。
とですね、、
自意識自身「引っ込みつかないところまでいってる」自覚あるんですよ。
(構造的とは違う意味の「論理的な自意識抑圧」→自意識の置かれている立場が、国会答弁で無茶な答弁しなくてはいけない官僚のような立場に追いやられている:強迫意識の介在→「無理にでも省内論理を優先させなければいけないような苦しい立場」)


<その謎解き>

この矛盾を「あれそうだったのかもしれない」と自意識が思考の主導権を(ネタバレによって)回復するポイントが
初回レス第二レスにおける
 ↓ココ
>>『私が優れて家族に奉仕貢献しなければならない』のような無理のある認識が無意識下に構造化している。
>>「残酷な自分どころか、名誉市民的に賞賛されるべき姿勢」
なんですから。
 ↑
実は背理としてここが”パラサイトが許される根拠”であるのと同時に、
実際「平然と見過ごす自分」であるのでこの部分は→自己嫌悪する事で破綻を回避して、
父親(強迫者イメージのモデルと思われる)がうるさくいえばスルーだが、
”パラサイト”による豊富な資金を元手に『地元友人関係(代用家族)』で楽しくやると同時に、
本来の父親(投影)と見做される彼氏の叱責は「もっともだ家族思いの人だ」と感激もする。
 ↑
これらは『地元』という言葉に代表される周辺事態のように、
一連の強迫意識が作り上げた「蜃気楼のようなものです」と、
私は深層心理を走査してコメントしているんです。

>>”もし”家族が犯罪を犯してた場合はどうなるんですか?

そういう事じゃなくて、
自意識の置かれている立場が、国会答弁で無茶な答弁しなくてはいけない官僚のような立場に追いやられている:強迫意識の介在→「無理にでも省内論理を優先させなければいけないような苦しい立場」を説明しているんですよ。
”つつき”さんの抑圧されている自意識の代弁者として、
「いえいえ○○参事官も辛い立場にあるんですよ、ええ実はね」のように、
>政治用語にたとえるならば”地域の談合利権体質”そのものです、
 ↑
これ”つつき”さんの立場を弁護しているんですよ?
”地域の談合利権体質”で困るのは当事者そのものだからですよ。
困った立場になっちゃているんですと、



ご自身気が付いていないかもしれませんので、
話は戻って注釈つけますと、
この初回相談の表題「冷酷な家族」書き込み趣旨と”人称”違ってますよね。
「冷酷な家族」だと三人称ですが、
(しかも冷酷扱いされる不当を訴えている)
次のレスでここは「冷酷な私」と一人称になり、
それだけでなく、
初回は表題こそ家族ですが本文は「知り合い」となり、
実際にどう記載されているのかと言えば、
>>知り合い(家族)
家族は知り合いじゃないですから文法的な誤りですよね
(つつきさんが違う意味で表記しているのは十分理解しています)
本来であれば「知り合い(や家族)」です、
(ここにイメージの中の”本当の家族”とリアルな家族の分離が現れている→「取り巻きによる代用家族」:「週末にリアルな家族と一緒なんて考えられない」:知り合いという表現に微妙に友人関係や彼氏を含む『地元』のような言葉に代表される曖昧さが散見している)

深層心理はズバリ「家族」であり、
その中心人物は二回目の書き込みでも明かされる事は無く
(三回目で属性:親となり)
4回目の書き込みでようやく『父』の呼称が登場
>>『育ててもらった親に孝行するべき』
と言っているのは(本物の父親の投影対象)彼氏であり、
この話も
 ↓
>>困った時は家族が助けるべきだと言われるので気になってしまいます。
のように(話の主語に相当するのは『父』では無い)話の主体はそれを示唆する『代用家族』の側の発言です。
>>親から何を言われても平気です
 ↑
なのに、

※いかに『強迫意識』が”道徳級のアンタッチャブル(聖域)”かって証明ですよ。
つまり反抗期における”現実プルーフ”を許さない(常識を疑うように自我内の”子供の固定観念”を疑うからこその反抗期ですから)
聖域の位置関係は
『地元』→より深く→『知り合い』
→より深く→『家族』→より深く→『父親』
こうなっているって事です、
本来第一次や第二次反抗期でリアルサイズに幻滅(怖さも権威もヒーロー像もカッコいい度も親愛度も)すべき『父親』の概念は、
(反抗期プルーフによって”実際はこんな人なんだよね”と現実を肯定(受け入れる)して反抗期による”現実化アップデート”は完了し、現実サイズのこの人が父だったのか的納得を背景とした”大人同士の関係性”へシフトする=自分もそれだけ大人になる)
『聖域』として温存され、
(イメージが現実から乖離したので実態は彼氏に投影され温存)
分離した筈なのに「実親に対して自己嫌悪が連動」するように、
深層心理の深いところでは”実父との連想(そりゃ本人なんですから)”が存在する。
=「この強迫心理は父親との関係性において発現している」



この状況を俯瞰で見るならば、
「彼氏は親孝行とか叱責もするからこそ(父親投影)深い関係ですが、私個人は”そんなこと言われても実際親から何を言われても平気で(本物の家族が現実の家族から乖離しているので)”、私が本物の家族として大事にしている『地元(彼氏や友人関係)』からそう言われて困ってしまい、大事にしている(依存している)彼らを肯定すると、私は冷酷な奴になるし→それだけでなく本当に自分でも”そうやって親を心配してる気持ちもありますし、親の借りてたお金で私も生活してたのかと思うとなおさら罪悪感があります”。冷酷な奴の証明として自己嫌悪は本物なんです。」
「ええそうですよ”親から何を言われても平気”なのは嘘じゃありません(自己嫌悪も無い)」
「そのとおりです、大事にしている(依存している)『地元(彼氏や友達)』に困った時は家族が助けるべきだと言われるので困っている(彼らがおかしなこと言うので困る)のも事実です」
『それじゃ自己嫌悪の説明が矛盾しませんか?』
「そうなんですよ。私の個人的心情は「冷酷な私」という表題はどうしても納得いかない。現実の私の家族が『冷酷な家族』なんだなと思うんですよ、そりゃそうでしょうあっちは私が大事にししている(依存している)地元にもいられなくなるような風評になりかねない借金して(私が困るっていうのに事もあろうかお金を出せとまでいう)冷血漢なんですからね」
『やはりその説明じゃ自己嫌悪や洗濯物の連想の説明がまったく付きませんよ?(平然としていなくちゃ矛盾する)』

1069 ”自分の気持ち”と感じているのは事実ながら→”本音じゃない”んです。(2) kagewari 2009/09/08 23:27

■繰り返しますが、

<その謎解き>

この矛盾を「あれそうだったのかもしれない」と自意識が思考の主導権を(ネタバレによって)回復するポイントが
初回レス第二レスにおける
 ↓ココ
>>『私が優れて家族に奉仕貢献しなければならない』のような無理のある認識が無意識下に構造化している。
>>「残酷な自分どころか、名誉市民的に賞賛されるべき姿勢」
なんですから。
 ↑
実は背理としてここが”パラサイトが許される根拠”であるのと同時に、
実際「平然と見過ごす自分」であるのでこの部分は→自己嫌悪する事で破綻を回避して、
父親(強迫者イメージのモデルと思われる)がうるさくいえばスルーだが、
”パラサイト”による豊富な資金を元手に『地元友人関係(代用家族)』で楽しくやると同時に、
本来の父親(投影)と見做される彼氏の叱責は「もっともだ家族思いの人だ」と感激もする。
 ↑
これらは『地元』という言葉に代表される周辺事態のように、
一連の強迫意識が作り上げた「蜃気楼のようなものです」と、
私は深層心理を走査してコメントしているんです。

これまで格レスで既に記載済みの部分を復習するならば、

『本物の家族』のような誇大なイメージ(パラサイトを超える特別な楽しい利益があって当然)が、現実から乖離し、
この乖離したイメージは、抽象イメージ『地元』に投影
(特に中心人物である父親は彼氏に投影)
この『地元』の概念が、現実に直面している「親が借金して格好悪いですまない」な風評トラブルの”被害を構造的に拡大”(決して地元から離れることが概念として思いつかないほど固着状態に至っている)。
構造上「アイツら(現実の家族)のせいで私は本物の家族(地元の権益)から追い出される」となり、
本来”絶対被害者”である筈の私を、
?私が信頼(実は依存)する”本物の家族”が助けてやれと叱責するので?
私はとても困っているのと同時に、”本物の家族”との深い関係に満足して、
「実際の家族に対して自己嫌悪」しています。
(あれ?どうしてだろう)


この言いようのない”矛盾”は
>>『私が優れて家族に奉仕貢献しなければならない』のような無理のある認識が無意識下に構造化している。
>>「残酷な自分どころか、名誉市民的に賞賛されるべき姿勢」
そして
脳内イメージで『本物の家族』のような誇大イメージが分離していて、
当然誇大な家族意識を前提とすると→その家の子供はさど楽しかろうのように自らの既得権益:当然の権利(私には遊興費等”お金かかりますよ”)のような誤認を生み、
その脳内イメージが『地元(友人や彼氏)』に投影されてしまうため(脳内では誇大どころか”鉄板の現実”)、脳内イメージは温存保守正当化(肯定)されるだけでなく、現実の家族から乖離しているので(現実から離れた脳内イメージなので)現実によるプルーフなく拡大(当然借金関係の想定被害認知も拡大)。
ところがこのイメージの原型(本物)は現実の家族なので(脳内イメージは拡大し代用家族で肯定されているわけだから)
『地元』に親孝行は大事だとか言われると、本気で困るし(実態は何を言われも平気なのに)
不思議と自分が本当に「自己嫌悪」するものだから、
何が何やら皆目わからない。
 ↓
>依存も、投影も”つつき”さんの本音じゃありません。
>何の得もありませんよ、ズルズルと内向系の自己陶酔が悪循環化して快感依存から抜け出せなくなる事もリスクとして考えないといけません。


という事です。


<各論です>

そしてこの全体像を「”つつき”さん百も承知なので」、
今回強迫意識が自我に取り込まれてしまった「具体的手がかり」が散見されています。
>家族にお金を貸してと言われて貸してしまいました。
>家族を養ってる感じ、
>どう自分に家族のことを整理をつけたらいいか分かりません。

『父親の幼児性』が確認される
(彼はあなたに甘えたいのでしょう)
整理がつかないのは「=「この強迫心理は父親との関係性において発現している」のように”聖域”だから。
(強迫意識は道徳を梃子にして自意識を強迫(脅迫)、自意識は当事者能力が後退)


>父はわがままでこき使いが荒く、屁理屈が多い。
父親の幼児期に強迫的環境があった事の推定、
(彼の異常行動は強迫心理による)
>(思春期以降は逆らってスルーしてる)
スルーしたのではなく、正面対決的な反抗期のスルー(不全)

>高校生ならともかく、成人した今でも帰りが遅かったり、夜遅くまで遊んでいるとひっきりなしに電話をしてきたり、何をしてたのかしつこく聞いてきたりします。今まで恋人ができると文句ばかり言い、恋人の文句ばかり言ってました。
実子(娘)を愛人視している
正確には「僕の○○さん」のような甘え
つまり彼氏との関係は嫉妬に近い

>いきなり部屋に入り込んできたり、体をじろじろ見てきて色気づいてきたなとニヤニヤしながら言ってして気持ち悪いです。
セクシャルハラスメント
(性的虐待=彼を聖域化する要素が理解不能により拡大:思春期で理解できる領域を超えている)
  ↑
※ここは「心理学的にこの家族は”冷酷”なのじゃなくて、最初から破綻(会社法人なら倒産)している。私には最初から家族社会への帰属等なかったのか、彼は家族法人において親属性を完結するどころか、心理的には15歳程度の強迫的環境に育った私より年下の依存的少年じゃないか」という高度に専門知識を必要とする反抗期でなければならず、子供や思春期の年齢では到底実行は不可能(大人になって心理学的知識を獲得するか心理学的に説明されない限り理解できない)。
当時の私にはスルーせざるを得なかった。
  ↓
結果として脳内のイメージは潜在意識に温存されてしまった。
(幼児は乱暴な父を”偉いから”とか”凄いから”としか認定できない→このボタンの掛け違いが『本物家族』を肥大化)
>幼い時から家族や家がなぜかいやで、特に父がいる休日は憂鬱でなぜか仕方なかったです
分離不安ほどじゃないですが、
幼児期に彼に対して快感依存があったという事です。
>お盆や正月もみんなはどこか行ってるのにうちだけどこも出かけなくて
>でも世間では遊びたい盛りとも言いますよね。

注)大人になって子供に依存したり、逆に乱暴な態度をする親は(その素行は子供である筈の人物が大人になってきたための不安感からくるものなので:他人のように見える→精神年齢の低い彼にとってそれは不安となり乱暴な態度で虚勢を張りたくなる)その子供が赤ん坊等の幼児の頃は(成人の大人に対するような不安感がないので)可能性として『乳幼児を溺愛(過干渉)』するケースも多いです。ここは可能性の範囲としてですが、

つまり父親に快感固着している幼児が「本来あるはずの楽しさを深層心理に拡大させた」となります。
(それを実現すべき人物は思春期に完全に”現実の父親”から離れ、恋愛対象に投影される形になっている:本来は『本当の家族』イメージそのものが反抗期に解体されてバランスを回復する。「しゃーない自分が大人になって好きなところに遊びにいくとするか」→「いやートラウマってほどじゃないけれどその結果私の趣味は”旅行”なんですよね〜」←地元に拘る今と逆転)

※第一回レス
>そして、仮の話ですが今回の相談書き込みが以下のような文面であれば
>=========================================================
>個人の尊厳を誰よりも重視している私に対して某血縁者が「最低、冷酷と叩く」んです。
>なんていう民度なのか?哀れとしか言いようが無い。
>こんな時代錯誤な誤解は何が原因でしょうか?
>=========================================================
>
>私の答えは「依存症ですね」となるでしょう。
(父親は私に対して依存している)



>それなら私のまわりや世間の若者のほとんどが依存性から遊んだり、恋人や家族と一緒にいるってことになりませんか?
自分自身本音で遊んでいるのじゃありませんから(快感依存)。
そして強迫心理特有の視野狭窄によって、
世間の若者の実像を(引越しをおもつけなかったように)、正確に理解できないんですよ。

大人にとって”遊び”とは、本気じゃないを意味しますし
(”遊び友達””遊びだったのね?”)
最近の世代は若干意識が変化していますが、
昭和から平成初期までは「文明化による極度の共同幻想の変容」に耐え切れず、半ば世相は集団ヒステリーのように「進学競争」やらに駆り立てられていて、特に大学生の遊びには多分に「無茶な時代に生まれた事への反動」がありました。
(低学歴に追いやられると反動不良化するケースもあり得る)
サークル活動にしても、自意識リードの「自主独立志向」の若い人は、大人はそれを”遊び”と呼ぶのかもしれませんが、本人真面目に”本気”であって「遊びでやっているのじゃない」のです(音楽にしろ)。
同時に共同幻想崩壊過程にあるように
(だから先進国へ至る過程で大量に心理的問題が激増するのですから)
実際に依存的人格の若い人も大量に発生します
(学級崩壊・2ch的に言えば”ゆとり”:大人社会においては鬱病:若い世代の自傷や過食拒食対人恐怖・パニック障害)
 ↓
個人の自我における『氷山の一角論』と同様に、
それほど(社会的に心療内科という言葉が日常表現になるほど)問題が表面化しているって事は、潜在的な強迫傾向は膨大な数に上るって事です。


■時代の変遷としては「今回の政権交代」によってようやくひとつ角を曲がった。
(共同幻想は変遷する上でも崩壊続ける上でも足場がひとつ明快化したって事です。集団心理としての「民主主義」の認定)




>「つつきの親父さんは未熟だな。つつきが怒るのも当然だよね。でも育ててくれた親だよ。家族が困ってる時に知らん振りはよくないよ」と彼なりの意見を言ってきます。
>諭すように言ってくれる彼に父親としての姿を投影してるかもしれません。

正に本当の父性(まぶたの裏の空想上の理想化された父)が、現実の父親を叱る。
おっしゃるとおりに彼の存在はより「本物の父親」として拡大。

■重要なのは彼が十分大人の年齢なのに
「心理学的にこの家族は”冷酷”なのじゃなくて、最初から破綻(会社法人なら倒産)している。私には最初から家族社会への帰属等なかったのか、彼は家族法人において親属性を完結するどころか、心理的には15歳程度の強迫的環境に育った私より年下の依存的少年じゃないか」
彼氏がこういった点にまったく気が付かないのは何故か?
(視野狭窄:彼も何かを深層心理に”無意識的に守っている”)

>彼は家族を重んじる人です。家族ととても仲がよく、家族とよくどこかに出かけてます。
>特に妹さんにとは映画や買い物に行ってます。妹さんのことが心配なのか、妹さんの服装に口出ししたり、帰りが遅かったりするとかなり心配してます。
父親そっくりですよね、
妹を性対象化していると言えなくも無い。
(シスコンまではいってないと思います:シスコン→家庭内で抑圧的な環境があるなどで性対象が家族間まで退行、或いは母親に対するコンプレックスが同じ血縁者に投影されるもの)
少なくとも「年齢ほど大人じゃない人なのじゃ?」とは言えるのじゃないかと思います。
(情報不足で欠席裁判になってもいけないので具体的な要素は”あくまで推定”の範囲となりますが)
>兄妹というよりも恋人みたいな感じでやきもち焼いてしまうこともあります。
”つつき”さんの判断(恋人視)、あたってるのじゃないかと思いますよ、
(ここも推定込みです)
>私が彼より年下だからか妹のように扱われてる感じがします。
彼が投影しているといっていいでしょう。
或いは→「年齢ほど大人じゃない人なのじゃ?」→ここから推定して→「大人(他人)同士の信頼とか尊厳」の認知が獲得されていないって可能性もあります(物事を家族関係を起点(自分の属性は子供)に見ている)。


※じゃー恋愛に投影の無いものは無いのか?
的な抵抗が予測されるので先回りして説明すると、
「大半の恋愛に投影は関係します」。反抗期に両親の誇大視はリサイズされ通常家族よりクラスメートの異性が気になるような過程で思春期の子供は大人になっていきますが、幼児期の記憶が完全に自意識によって上書きされることはありませんから(反抗期の対象は目の前の実の両親なのでタイムスリップしていない分残滓は残る)、「巨乳フェチ(幼児には母親の乳房が大きく見えるため)」「背の高い人(幼児には父親が大きい人に見えるため)」「眼鏡をかけている人(脳内で両親の誇大視が知的だとその連想)」「大きなお家を買って(説明必要無いですね)」等々枚挙にいとまはありませんが、投影部分を「なんか(根拠はともかく)弱い(自分でも本質的意味が無い事を知っている)」と、『自意識マター』に還元されているんです。
それだけでなく「初恋の人ってどんな人?」なる言葉は”子供時代とかのちょっとした(今の志向と違う)間違い話”な意味があったりします、
それこそ「いやー(お恥ずかしい)中学時代に・・・・」→これですね、自覚は無いんですが「初心者の頃はまんま投影だったりした」って認知が一般的にあるって事ですよ(自分よりよっぽど年齢上の女性教師だったり)。
そして女性誌等で極度に一般的にな”統計的に女性が好きな男性No1”が「やさしい人」なる抽象概念(どうやさしいのか曖昧)になるのは、無意識に強迫的志向を抽象化(薄める)しておきたいのと、要約して温存したいってアンビバレントな心理がなせる業です。
 ↓
特に先端都市東京などで晩婚・非婚が前衛的な位置関係にあるのは、
大人の本音で考えたらどうだろう?
なる内省や迷いや自分自身の選択等の試行錯誤が(あたかも投影から逃れるように)実態化しているって事です。
心理学的には「恋愛縁(必ず破綻)」は存在しても、「それを縁として大人同士の性対象としての信頼関係が形成されるのか否か(極端な話実存レベルが高くなれば性対象との関係に必ず性行為が必要ということも無い:女性誌における実行行為のSEXより云々かんぬん・・)」これは”別問題”であって、信頼関係にある大人の男女という定義にとって(現代社会の場合かなりのケースが”擬似を含む恋愛縁”だったりするので)『その(破綻)後』の信頼関係はより価値が高かったりするワケです(「あら若い人っていいわね〜」の言葉の背理は「間違いでも許される時期で妄想一杯に快感なのかしらね」なる”若い(妄想投影)時代”への微笑ましい理解)。

※実際現実の社会においてそれほど”リアル恋愛”の頻度は高くないでしょう(実は友人関係を発端とする”擬似恋愛”が多数を占める)。
「運命の恋人」ほど極端じゃないにしろ、「そうそう都合よく恋愛対象が決まって同じ会社にいたり、友人関係にいたりしたら本当に恋愛なの?」なる普遍的疑問は誰にでもあるでしょうし、
母数が少な過ぎ→かといって多数の見合いをすると”反対に対感情の恋愛性”は落ちる:明らかに選択肢を増やして「いないかしら」的幅は広がっているんですけれどね→となると自分の所属する会社や地域等への自分自身のIDの方が”運命論”のコアになってしまい「相手があってこその恋愛性」が関係していないことになる
他者と出会う機会が地域や出身母体に依存(ゲマインシャフト)すれば=コアが自己愛(この自己愛に地域愛や愛国心が共有化)
他者と出会う機会が自己の選択と独立に準拠すれば=コアが自分の人生となるので人生と人生の関係性が成立する。
 ↑
独立イメージも(前に説明済みですが)必ず都会へとかって画一的なものじゃないですよ。
大人の自分として地域文化を評価している等「自立独立における選択性」があるか否か(結論選択される場所は自由)って話です。

つまり心理学的に恋愛とは「(投影を発端とする)恋愛縁(破綻と同時に投影切れ)」に始まる男女の関係性の事で、実態は投影から離れたより上位構造の信頼関係を意味しています(恋愛と呼ぶのを発端部分に限定するのも間違いではない)。
巷でいうところの”ときめき”であるとか”ビビっときた”なる部分が『AUTO投影(連想)』部分→つまり一般的にもここは「きっかけ」と認定されていますね。
これも自我における強迫的要素の棲み分け的分散論と同じで、
限定的な投影であれば:フェッチになり、
論理的な投影であれば:ときめに程度かも知れない。
しかし『他者認知に偏向を伴う(簡単に破綻せずに強引に投影が継続保守される)投影』となると:心理学的な”意味”での『投影』になるんです。


女性誌を賑わせている「恋愛」も、
実は「結婚願望(社会的には一種の強迫的認知として知られているとおりです)」と同じ、
「恋愛願望」なのであって、
ある意味女性特有の一種の強迫心理(不安)を煽って販売部数を狙っているのであって、
(ですから女性誌は必ず「愛される(話)」”される”→『被(こうむる)』表現になっているんです。「愛する(話)」だと雑誌は売れない)
ある意味一般社会においても、投影と恋愛のイメージは「漠然とですが」なんとなく認識に織り込まれているのも確かです。
 ↓(なので)
現実社会では”恋愛”はまー失敗するもの自然(先進国:イタリア・フランス)な概念なのでしょう。
世の中において「失恋ネタ」はメジャーな話ですから、
阿吽の呼吸というか、
暗黙の了解のように、大人社会においては「(恋愛に)投影はご法度なんて言ってたら始まらないさ」的な”まー堅いこと言わない”のような曖昧な理解に留めておく文化(恋愛文化)となっているのも確かです。


■強迫意識としての『投影』というものを補足説明すると、
全く別の論議を捕らえての話で(恋愛の内容を話しているのではなくて自我に与える影響の話)
この場合の投影は依存に転じるので(権威者を投影することによる自己愛的な快感依存→立場上自分は子供になる→〜される側)、
現実認知の偏向(関係性に対して盲目)のように(投影対象者への認知も偏向し続け)、
結果自分にとって聖域である権威者をまんま投影してしまう事で強迫意識が潜在的に拡大するリスクがある点で(恋愛論という趣旨ではなくて)『問題が多い』と分析しているもので、
何か殊更に「恋愛の真偽をどうこう」(恋愛論として)問題視しているのじゃありません。
(確かに恋愛論として考えても別の意味で問題ですが:大人の恋愛でマストの投影部分の破綻が→勘違いじゃなくて”裏切り”となるので到底許容できずに暴発する)
 ↓
虐待やDVのように暴力的な部分を投影してしまうと更に別の問題となる。

一般的な勘違いやガス栓閉め忘れたのかな不安と「メンタルな問題として認識される世界」との違いと同じですよ
(前述の若い人の”遊び”と快感依存の違いも同じです、論理的には同じ線上でも問題の内容が違ってくるって事です)



>おっしゃることはわかりましたが、友だちと遊ばない生活、彼がいない生活は想像がつかないです。彼への気持ちを切るなんて考えられない。共依存とは思いたくないです。

最初の文章に戻ります。

事実はそうなんですよっ、ええ。
確かに実際に感情として体感しているものを言葉にする上で”自分の気持ちだ”と認知するのは、
心理的な背景認識を無視すれば「他に言語表現の方法も無い(言語論的にはここが非常に重要)」ところでしょう。
■当然この話のおかしさは”つつき”さん百も承知なのを知った上で話しているんですが
>おっしゃることはわかりましたが
 ↓
>>依存も、投影も”つつき”さんの本音じゃありません。
>>何の得もありませんよ、ズルズルと内向系の自己陶酔が悪循環化して快感依存から抜け出せなくなる事もリスクとして考えないといけません。


話の発端に戻って冷静に考えてください。
 ↓
それを実現すべき人物は思春期に完全に”現実の父親”から離れ、恋愛対象に投影される形になっている:本来は『本当の家族』イメージそのものが反抗期に解体されてバランスを回復する。「しゃーない自分が大人になって好きなところに遊びにいくとするか」→「いやートラウマってほどじゃないけれどその結果私の趣味は”旅行”なんですよね〜」←地元に拘る今と逆転

■そうあったかもしれない自分の本音は、今の意識からはかけ離れたイメージの大人だったのかもしれないんですよ。

この今の
「”連鎖的な勘違い”のような自己暗示」であるとか「特定方向へのレトリックに恒常的にひっかかってしまう」のような(それが”無意識的”だから本人”気がつけない”んです)、意識の落とし穴というか(弱点というと語弊ありますが)、
「なんとかスポット」が広範に偏在しているって状況は、
『得たいの知れない自己嫌悪(悪循環化すれば鬱状態にもなります)』
として偏在しているんです。


現実問題「素で彼は赤の他人」ですよ?
そこで
>彼がいない生活は想像がつかないです。彼への気持ちを切るなんて考えられない。共依存とは思いたくないです。
反対に
どこの若者にもある別れ話が起きただけでも「高度なリスクを伴う」と思います。

「そうは考えたくない話」(本音)とは、
 ↓
>共依存とは思いたくないです。
 ↓
=共依存だとしたら(そうは思いたくないので)「考えて再確認が必要だ」
(冷静に私達はどういう関係にあるのか、冷静に考えてみよう)
 ↑
これが強迫意識に押し込められえて失われている”つつき”さんの本音ですって話です。


<前段部分で説明あるように私の説明自体は無料公開掲示板上としては完結しておりますから>
逆にここでその又レスを受け付けても、抵抗が増すばかりですから
(”つつき”さんの場合、横目で当初からかなり問題意識に気がついているのわかりますので)
■ひとまずこのレスをもって『一段落・終了』とします。

結果反論的抵抗を助長しても悪循環ですし、
今の状況だと『反読と長い時間考えてみる』が有効です。



加えて説明しますが、
精神分析的アプローチは「なんら方向性を志向するものではありません」
考え方のベースと、強迫心理の効力を減衰させるカウンターや(これに対抗するための理論武装)、減衰の結果深層心理から強迫意識を「自意識にも自覚可能な深度に浮上させる」事であって。
わかんなかった部分を、自立的に考えることが可能な自意識のテーブルに載せることです。

「なるほどね〜」
(一拍置いて)
「さてと、そしたら”私”はどうしよっかな」

ここから先何を選択するのかは自由であって、
それは”つつき”さんのプライバシーですから。
まず十分に時間を使って考える事ですよ、
考える材料に困ったら「一から反読」として使ってみてください。
(他の相談スレッドを読むのも非常に有効です)

ある意味幸運なことに目立った症状で悩んでいる状況に至ってませんから、
現行は『認識の状況整理』と『リスク管理(弱点の事前予測)』に注意を払っておくだけでも意味は大きいでしょう。
(当初書き込み動機となった”親の借金”による様々な不快認知拡大も→それが快感依存先の『地元』を不安定化させるため”連動”して波及的に自我全体が強迫的自我防衛に興奮しているのが原因:本来は「心配要因」程度のスケールで収まっていても不思議じゃなかった)

その点で補足しておくなら「理想化された父性が投影されやすそうな人物(権威的な位置にいるとか叱咤的言動の多い人物)」という”連想キー”はなんらかの投影が自動的に起動させる可能性ありますから、ここも事前予測をしっかり保っていくことで『リスク管理』効果があると思います(常に「待てよ、待てよ」的な”一拍置く”慎重な視点を保つ)。
不安要因やちょっとした不快要因が”強迫バネ(反動形成)”で倍加(×反動係数)する論理構造があることを事前予測するんです。
何も準備がなければ”自意識”は事後処理であるとか自意識共犯型自我防衛により『現状維持の保守』のため大きく興奮し不安定化(不快感の拡大)しますから、一見現行状態を保守すればリスク管理できるように”勘違い”してしまいますが、
保守は→「快感依存構造を同時に保守=深層心理の誇大認知はブレーキ利かず拡大」にもなりますので、
「事前予測=必ずしも現状(それを背後から要求する道徳的認知も)を盲目的に保守しない(考える:疑う)」なカウンターを意識的に当てておくことで、どっちに転んでも現状の不快感を拡大させるリスク要因を一定程度管理できます。