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「掲示板での相談、閲覧・有料メールカウンセリング」の過程では、自我の防衛反応による混乱(興奮)が現れます。精神分析的アプローチによる「自我構造(こころ)の揺れ」です。その点に同意の上入室してください。



966 意識の変化 レタス 2008/08/09 22:37
はじめまして、レタスと申します。分析お願いします。
現在34歳の女です。氷河期で就職は大変でしたが
何とか職にありつけました。
しかし、仕事は安定収入はあるものの単調かつ忙しく6年ほど前に、
「転職したいけど自立してそれでも転職したかったら
転職しよう」と実家を出ました。
もともと実家が嫌いだったせいもあります。
(経済的にあまり余裕がなく、母は躁鬱病)

そのときは結婚して家を脱出、という考えには及ばなかったのです。
それは結婚したからといって幸せにはなれないということを
自分の親をみて分かっていたからです。
母は世間知らずで怠惰で、お金の計算が出来ず、
衝動的な浪費をよくしていました。

けれども、最近結婚がしたいのです。
親しい友人がここ一年で次々と結婚し、そのなかに
昔付き合っていた人もいます。
別れたのはとうの昔のことなのにショックでした。
そして自分が一人は嫌で
結婚して、家庭を持ちたかったことを自覚して愕然としました。

自覚してから遅まきながら「婚活」なるものをしています。
好きな相手がいるから結婚するわけではなく、
結婚したいから相手を探しているわけで我ながらどうかと思います。
けれども自分に自信がなく、世の中の人が怖いのです。
パニック障害めいたものにおそわれます。
気分に波があり、自分も母親と同じ躁鬱ではないかと思うことも
ありますが、薬否定派なので病院の扉を叩いてはいません。

どうしたら心穏やかな日々を送れるでしょうか。
967 Re:意識の変化 kagewari 2008/08/10 18:42
最初に公開掲示板上での分析は「その外郭」となるで、限られた情報の中での論議となりますのでご理解ください。
(この辺は757スレッドなんかでも説明ありますので)
 ↓
 757 分析依頼(nisa)
 
さて本題に入りますが、
>現在34歳の女です。。氷河期で就職は大変でしたが何とか職にありつけました。
>仕事は安定収入はあるものの単調かつ忙しく6年ほど前に「自立してそれでも転職したかったら転職しよう」と、実家を出ました。
>もともと実家が嫌いだったせいもあります。

この前段はまだある線かなと思いますが(それでも自立に関して余計な理由がくっついているは問題と言えば問題ですが)、この前提条件と以下が全く無関係です。
 ↓
>そのときは結婚して家を脱出、という考えには及ばなかったのです。

全く関係無いばかりか(ここで前段の「余計な理由がくっついている」と被る部分ありますが)、
論旨としても意味がおかしいです。
何故なら上記の説話が成立するための前提条件は
「結婚して家を出るのが自然だ」となり、その理由の部分は少なくとも普遍性に近い”傾向”ぐらいなくちゃいけませんが、
そもそも現代社会に「結婚して家を出るのが自然だ」等と言う常識論は一般的でさえありません。
ですからこの段階で思考の流れは破綻しています、

改めて”前段の「余計な理由がくっついている」”を関連させて考えてみましょう。

むしろ普遍性に近い”傾向”として考えるならば
「就職に成功した段階で自立するのが自然だ」となります、
理由は”就職”だけで十分で、その仕事が何であるかとか転職どうこう無関係です。
パラサイト等の話が社会問題になり始めたのはここ15年ほど前からにおもいますから、6年前であれば余裕でその範囲に入る筈です。

つまり
「何故6年前に”就職しているのに親と同居しているはどうかと思い自立した”という思考の流れになっていないのか?」
ここから問題は始まっています、
しかも『もともと実家は経済的にあまり余裕がなく、母は躁鬱病であり嫌いだった』と一般的論議を上回る理由が実存しています。
だとするとですよ
以下の思考であっても不自然では無い事になります。
 ↓
「とにかくはやく自立したかったので、私は就職を契機にとっとと自立しひとりぐらしを始めたのです」

ここで前提条件に整理がつきます。


■本来こうであるのが自然な状況で(レタスさんの本音)、
 ↓
「とにかくはやく自立したかったので、私は就職を契機にとっとと自立しひとりぐらしを始めたのです」

■何故今(上記の本音を抑圧した上で)こうなのか?
 ↓
「本来「結婚して家を出るのが自然だ」の筈なのに、私は仕事上の理由で結婚ではなく”それ(結婚)より先”に6年前自立してしまったのです」

関連性を辿るどころか、思考の流れ自体が完全に破綻しています。

ですから現在を考える上で一番最初にですね、
「何故このような倒錯的思考にいきついてしまっているのか?」から振り返って考えなくてはいけません。
そこを考える重要な鍵は以下になります。
 ↓
>それは結婚したからといって幸せにはなれないということを自分の親をみて分かっていたからです。

つまり”不幸せな結婚”という概念が”イレギュラー”になっちゃってます。
これは暴論ですよ、
「結婚とは幸せな事じゃありません」
これは「起業と利益が生まれるのは別論議」なのと同義です。
新しく会社を興したからといって、その会社が利益を生むのか赤字に転落し破綻するのか、それは「やってみなければわからない」事であって、事実独立し会社を興せば周囲は(そこにこぎつけるのも大変ですから)「とにかく”今”はおめでとう」とそれを”新しい挑戦への門出”として祝福もしますが、その会社が見事成功するのか否かは誰にも保証はできません。

そんなベンチャービジネスのひとつである結婚の登記上の成功確率は「4割台(離婚率50%以上)平均」です。
家族法人として、婚姻届を登記するにあたって、その後6割近くが破綻するのが統計上の平均なワケです。
要約すると「家庭法人設立にあたって、半数以上は不幸なものである」となるので、
相対的に言えば(潜在需要も含めて考えれば)「結婚におけて幸せな結果となるのは3割程度と考えた方が良い」となりますね、
”結婚という債券は非常に高いリスク商品である”と考えてもいいでしょう。

心構えとしては「トントンでも大成功」
ベテランなら「それを利益が出るのが当たり前なんて考えで成功する筈が無い」となるでしょう。

つまり「結婚とは失敗して自然」であり、「結婚で失敗するのは当たり前なので、一度離婚した等どうって事は無い」というのが現代社会の自然な認知です。会社を倒産させてしまった後の再挑戦を歓迎するように(アメリカの場合数度の倒産経験しても尚起業に挑戦する人物の方が信用高かったりします)、むしろ離婚したからといって、それを失敗であるとか不幸な事であるとか考えない社会が『現代社会』です。

シングルマザーであったり、法人登記(婚姻届)をしない事実婚であったり、非婚であったり、晩婚であったり、多用なライフスタイルを認めるのが昨今の認知であって、その中で「結婚を選択するのは”必ずしも多数派とは言えない”」といってもいいでしょう(結婚したとしてもその6割近くは将来的には離婚世帯に所属するので)。

文化人類学的な背景は明解です。
世帯としての「家の概念」なるものは、資産(農家の長男であれば農地)や伝統を背景にした”家督相続”に始まるもので(よってこの時代でも次男以降はフリーランスだった)、封建制度の崩壊以降、家族法人の登記は課税やら世帯としての行政上の管理上必要であっただけであって、近代以降は国家による福祉政策やら児童相談所も含む形で、子供時代から各”個人”の権利と尊厳を憲法は保証している事になります。
つまり親権の過剰な介入は”子供に対する人権侵害”ともなります(現在の問題でいえば高齢者が家族の介護を拒否して自由にひとりぐらしを選択できる社会を実現するのも人権上のテーマになる)。

つまり”結婚”はその概念の根本から既に瓦解しているのです。

儀礼的というか、子供の出産含めて性交渉の合意のある男女各個人がその同意のある時に、制度上も便利なので結婚の形を取る方がリーズナブルである。という社会的契約の事です。
※文明論的には「少子化と高寿命化」は代替概念であって、社会全体の労働力は高齢化しても現役である時間の延長により数量的変化が無い事により均衡しています。心理的にも出産し子供を期待する動機形成は高寿命化により後退するのです、
ですから都市部に比べて地方(伝統保守度が高い)の方が結婚が早かったりする。

「そうなんだ、結婚するんだ(へぇ〜)」ぐらいの認知でもちっともおかしくないのです。

■ここで今回の本題に繋がります
 ↓
>親しい友人がここ一年で次々と結婚し、そのなかに昔付き合っていた人もいます。
>自分は一人は嫌で結婚して、家庭を持ちたかったことを自覚して愕然としました。

つまり、
一番最初に
 ↓
「とにかくはやく自立したかったので、私は就職を契機にとっとと自立しひとりぐらしを始めたのです」
と思い、
同時に
 ↓
「そうなんだ、結婚するんだ(へぇ〜)」ぐらいの認知

◎であれば、現在の悩みは根本から成立していなかったのです。


そこを逆から考えれば
 ↓
>けれども、最近結婚がしたいのです。
と”考えてしまっている”事も不思議じゃないですよね?

全体として考えてみるならば、現在浮上している個別の悩みは「全てナンセンス」です、
悩みのコアが深層心理に隠れているために、反動形成として”浮上しちゃっている”だけの(各論としてはナンセンス)『ひとつの現象に過ぎない』のです。
言い換えれば「そういうナンセンスな悩みが浮上する構造になっちゃっている」んだと、


そのコアを考えて見ると
深層心理に隠れていて、後から気が付いた自分の強迫的思考は?
 ↓
>自分は一人は嫌で結婚して、家庭を持ちたかったことを自覚して愕然としました。
>けれども、最近結婚がしたいのです。

最初のボタンの掛け違えは?
 ↓
■本来こうであるのが自然な状況で(レタスさんの本音)、
 ↓
「とにかくはやく自立したかったので、私は就職を契機にとっとと自立しひとりぐらしを始めたのです」

■何故今(上記の本音を抑圧した上で)こうなのか?
 ↓
「本来「結婚して家を出るのが自然だ」の筈なのに、私は仕事上の理由で結婚ではなく”それ(結婚)より先”に6年前自立してしまったのです」

つまりこういう事ですよ。
レタスさんは「とっとと自立し家を出たい」という本音を抑圧し、
強迫心理的に「一人は嫌で好きで今の家に居続けた」
当然「一人は嫌で”家庭から家庭へ”と乗り換えるために家を出る理由は”結婚”でなければならなかった」
「ならなかった」ので、6年前に自立する時に「余計な理由を言い訳のようにくっつけた」

根底にあるのは”今現在の(嫌っている)家族に対する依存”です。

これは「好き好んで依存しているのじゃありません」よ(ここ勘違いないでください)、
強迫心理として”そうなっちゃう”のです。
(「とにかくはやく自立したかったので、私は就職を契機にとっとと自立しひとりぐらしを始めたのです」という本音を抑圧してしまったため)


その強迫心理が原因で以下の状況がある
 ↓
>結婚したいから相手を探しているわけで我ながらどうかと思います。
(象徴化され誇大なイメージになっている現在の家庭イメージ→根拠も無く漠然としているので”対象者に対する具体性も無い”→実は現在の両親が象徴化されている)
>自分に自信がなく、世の中の人が怖いのです。
(本音の自分の考えを抑圧し、家庭に依存する心理に強迫的に主導権を奪われているため=幼児の心理→自信がなく大人が怖い)
>気分に波があり、自分も母親と同じ躁鬱ではないかと思うこともあります
(抑圧と反動、強迫等自我バランスが不安定:不均衡なので波として認知されている)

こういった現象が何故起こるのか?といいますと、そんほとんどは『幼児の誤解』です、

現在の断片的情報だけでも重大な齟齬がありますよね。
「結婚=決して幸せではないのに、現在でも幸せではない結婚をしている両親に対し偏向した認知をもっている」

ここに本音の抑圧が無ければ?
「とにかくはやく自立したかったので、私は就職を契機にとっとと自立しひとりぐらしを始めたのです」
「結婚は失敗する事も珍しくないで、両親には離婚を薦めています」
スッキリしませんか?

「幸せな筈だ」「幸せじゃなくちゃいけないんだ」「それが何故できないのか」的な幼児の心理が複合(コンプレックス)し、愛憎含めてその心理が答えを見出せずに興奮し続けるために→それが強迫心理となり現在の自我を脅かしている→自立的思考の妨げになっている。
つまりこの幼児の心理は「まったく事実や現実として根拠の無い無理のある考え」ですよね?
そこは現実の両親を見てレタスさん自身が一番わかっている筈です。
現実を認知していれば
 ↓(■現在こうなっていて自然だとなる)
「とにかくはやく自立したかったので、私は就職を契機にとっとと自立しひとりぐらしを始めたのです」
「結婚は失敗する事も珍しくないで、両親には離婚を薦めています」
親しい友人がここ一年で次々と結婚し、そのなかに昔付き合っていた人もいます。
「そうなんだ、結婚するんだ(へぇ〜)」って感じです。

※『親しい友人がここ一年で次々と結婚し』この現象は、強迫的意識の保守のために半ば(無意識に)意図的にそういうタイプ(結婚志向が見込める)人物を友人として認知していたと考えるのが自然で、本音(「とにかくはやく自立したかったので、私は就職を契機にとっとと自立しひとりぐらしを始めたのです」)の抑圧が無かった場合、友人となっている人物は全く別のタイプの人物であった可能性も非常に高く、現在の「しかし私の友人がここ一年で次々と結婚したのは事実です」的認識には合理的根拠が成立しません。
ここ極論すると”友達になりたい”と本来思わない対象者を(強迫構造を保守するために)”友人として生きてきた可能性もある”って事です。

スッキリと考えていくならば「現在の両親や自分の子供時代に対する認識を”再評価してみる”」なる過程が必要になってくると思います。
968 自立 レタス 2008/08/10 23:12
さっそくのレスありがとうございます。
>とにかくはやく自立したかったので、私は就職を契機にとっとと自立しひとりぐらしを始めたのです
今になって思えば何故それが出来なかったのがが不思議です。
本当に母が嫌いならそうすべきだったのです。
私は大人になったいま母親の社会性のなさに驚きますが
(長く社会で働いていないせいか母は突拍子もないです。
母は家庭の中での暴君です。私は母のようにはなりたくないので一生働きたいです)
ごく小さいころは母親が大好きでした。友達と遊ぶよりも幼稚園に通うよりも
母親といる方が安心できたのです。(分離不安があったと思います。)

何故とっとと家を出なかったのか・・・・
多分、本来つきたい職業に就けなかったので(大学選択の時点でアウト)
お金を貯めてもう一度学びたいと思っていたのだと思います。
自立する前も家には現在の家賃程度のお金は入れていました。
ただ、私はお金が貯まっても結局学びなおすことができませんでした。
もう一度大学に入学しなおす時間の長さに恐れおののいていたのです。
「学び直したら、自分は何歳になるだろう?就職も担保されていないのに」
そうやって、ぐるぐる考えながらやり直しが難しいと思える年齢ギリギリまで
なにもしないでいたのです。(お金だけ貯めて、仕事だけしていた)

家をでたのは三十手前です。入りなおしたい大学の近くのアパートを借りました。
でも受験しなおすことは結局しませんでした。
お金のこと、体力のこと、いろいろ考えて無理だと思ったのです。
そのマンションにいまだ住んでいます。三十一の時に事故にあい容姿に差し障る
怪我をしました。心細く一人でいることが身にしみました。
家を出る前に接点のあった彼は私の家出を他に男性がいると思ったようで
他の女の子に夢中でした。

私は今になって、何故その彼にすがらなかったのか
後悔しています。多分彼のことを妬んで(仕事・職種)いたのです。
嫉妬もしていました。
彼はマッチョで「もてる自分」が大好きで色んな女の子に声をかけていました。
私は自分が嫌いだったので「自分は選ばれないだろう」と思っていました。

離婚率50%の話は分かります。(でもこれって数字のマジック
があるんじゃなかったでしたっけ?離婚する人は何回でも
するみたいな。)
でも私は親の納得するような
テンプレート的人生を歩みたいのです。
それは親のためではなく、自分の為です。そのほうが楽だから。
職場は保守的な業界で常に年長者から「何故結婚しないのか」
を問われます。そんな堅い業界を選んだのも私です。
寄らば大樹です。ほんとうに情けないですが、
さっさと結婚して子供を産みたくなってしまいました。
兄弟もいないし、親戚との縁も薄いし親が死んだら
配偶者も子供もいなければ
天蓋孤独です。(←昔はこれがいいと思ってた)
昔は、その家族・親族の薄さを補うために友達をたくさん作る努力を
していたのですが、その友達が家庭という一番大事なものを
作ってしまい凹んでいるのです。
幸せそうですよ?離婚率50パーなんて何処の話なんでしょう。

とりとめなくてすいません。

969 Re:自立 kagewari 2008/08/11 17:43
厚生省統計では3割あるかないかってところでしょう

読み方はいろいろあるようですが、
ここでいう離婚率5割の根拠の背景は共同幻想保守の背景を”あまり考えなくてもよい”単一に婚姻関係を見る場合の実数として北海道等(歴史伝統家制度に縛りがない)サンプルとして角度の高い地域、及び主要各国のなかでも個人の人権という意味で先進的である地域(北欧等)の実数から想定される「リアルな離婚率」として引き合いに出している数値で確かに統計実数的に正確性のある数字じゃありません。
厚生省調べの実数であれば「(潜在含めて)3割あるかないか」ってところでしょう、
しかし江戸時代(古来の日本文化的にもっともリベラルだった時代)等の統計には余計正確性ありませんが6割8割だったという話もあり(そもそも江戸時代期の”江戸”に限ればは男性人口の方が多く婚姻率も低い等文化人類学的にイレギュラーな要素も多いので参考程度の意味になりますが)、妥当性のある”拘束性の無い離婚率”は5割程度とみるのがいい線であり、潜在需要もここに加味していけば”破綻率”は「5割を越している」と考えていい線となります。
参考 厚生白書(平成8年版)

恐らく強迫意識抵抗として「そういう論議になるだろう」と予測して予めいくつかカウンターをあてていたつもりですが、
まんま(無意識に)抵抗が出ていますね
>幸せそうですよ?離婚率50パーなんて何処の話なんでしょう。

現実ですよ、
「離婚率50パーなんて何処の話なんでしょう」こそナンセンスです、
ここに論議を挟む余地はありません。
少なくとも厚生省調べにおけるDATAで「3割あるかないか」”何処の話なんでしょう”と切って捨てるだけの根拠のある実数は何処にも無く、レタスさんが『言い切っているだけ』です。

>>極論すると”友達になりたい”と本来思わない対象者を(強迫構造を保守するために)”友人として生きてきた可能性もある”って事です。
とカウンターをあてた部分も証言により実証されていますね
 ↓
>その家族・親族の薄さを補うために友達をたくさん作る努力をしていたのですが、その友達が家庭という一番大事なものを作ってしまい凹んでいるのです。

友人というものは、家族依存意識の代用じゃありません。既に動機が歪んでいます。
こういった動機で意図的に作られている友人はレタスさんの自意識(本音と考えてもいいです)が抑圧されていなかった場合=大人であった場合友人として選択されなかった人物である可能性も高いと同時に、その関係性や信頼等の「認知の内容(同じ人物に対する認識でもその内容が変わる)」そのものが別個のものとなるため「強迫的取り巻き」的に見下されている確率も高い。
『家族依存意識の代用』=自分の家族意識的欠乏を補えばいいのであって(自分がどういう恩恵を受けられるかがポイントで)、単体として個々に自立する対象者として彼らを他者として認知していない。
大人の人格として、彼らが友人であった場合「彼らが結婚により幸せそうにしていれば祝福の気持ちで先ず最初に自分が幸せを体感して自然」であり、ここで落ち込む感情が先に立つのは、彼らが友人ではなく強迫意識保守のための”傀儡”であったり”似非”的依存対象に過ぎなかった証明になります。
強迫意識の狙いどおり(完全に無意識で自覚はありません)、友人関係が継続している間は自立を寂しい事であると証明し(家族・親族の薄さを補い)、彼らがリクルートされている背景キャラは結婚等ある程度その嗜好性が担保されうる状況なので(家族・親族の薄さを補うタイプなのですから)、その後結婚し幸せそうにする事で(最近結婚後上手くいかない相談を専門にしている会社に”卒倒しそうなぐらい”相談が激増している事例がありますが、その悩みの大半が「結婚=幸せ」だとの勘違いに始まると担当のコメントがあります→大きな破綻が無ければ一義的に”内容はともかく結婚そのものが幸せ”が満たされいる以上悩みがあったとしても表面上彼らは「自分は幸せである(の筈である)」という態度ですし、そう譲らないでしょう)、更に強迫意識を刺激し、強迫構造は強固になり→余計に自意識の抑圧が高まる。
 ↓
>幸せそうですよ?離婚率50パーなんて何処の話なんでしょう。

の認知を(現実とは無関係に)高めるための”舞台装置”として意図的に(完全に無意識で自覚はありません)選ばれているのですから、その狙いどおりの結果を演出する結果が出ているに過ぎません。
何の根拠にもならない印象に過ぎないって事です。
 ↓
逆説的にその根拠は「結婚(象徴化された家族意識)は”幸せに決まっている”→現在の親に対する葛藤や嫌悪意識の根拠(幼児的意識の興奮)」という捏造を成立させるための舞台装置(ネタ振り)である、となります。
 ↓(ここでもそれが立証されていいます)
>職場は保守的な業界で常に年長者から「何故結婚しないのか」を問われます。そんな堅い業界を選んだのも私です。

”そんな堅い業界を選んだのも私です”
■重要な事ですが「上記は全てレタスさんの本音じゃない」
(本音は抑圧され”自分なりの発送”や”考え”として認知する事が不可能になっている→思いつきそうなアイデアをどうしても思いつけない感覚)



■さて、各論として確認していくならば「ほぼ全てが強迫意識保守で固められています」

最もわかりやすい部分から話を進めてみましょう
>さっさと結婚して子供を産みたくなってしまいました。
この認知それ自体「幼児虐待」です。
まったく生まれてくる子供(他者)の尊厳を人権として認知していません。
甚だ無責任な判断で、
従業員個人のこと等全く興味も無く、自分が会社を興しさえすれば良いと考えているワンマン経営者と何ら違いがありません。

極論すると(ここ強迫意識の手前極端にカウンターあてます)
「とっとと私の前に幸せな家族を持ってこい」→背理は「お前ら(実の両親)何やってんだカス!」
この暴論の主張者は”癇癪を起している幼児”の現実認知を離れたデフォルメそのものです(象徴化された家族意識→結婚→両親との関係性で相対的にこの時制における幼児の認知は”特権階級意識”となる)。


>でも私は親の納得するようなテンプレート的人生を歩みたいのです。それは親のためではなく、自分の為です。そのほうが楽だから。

完全に言葉として破綻しています。
ここの説明は少々難解な面もあるので、順を追って説明していきます。

まず強迫構造の典型的特長は「ステレオタイプな価値意識や道徳性(それが”良い”事であるかのようなフラグの立つ認知)」で、この辺は前後数スレの過去ログ閲覧していただければ同様の論議になっているので、補完的に読んでみてください。
ブログの方でもテキストあげています(強迫と道徳


次に文章のロジックです(ここに優先順位を含む思考の流れや人格の構造が表現されます)、
そんな強迫的心理の典型的なスタイルである”ステレオタイプ”を正に「私は親の納得するようなテンプレート的人生を歩みたい」と表現されています。しかし、「もともと実家が嫌いだったせいもあります。(経済的にあまり余裕がなく、母は躁鬱病)」と証言されるように、一面でレタスさんはこの実家における現実認知や認識を嫌いなワケですよ、
その嫌いな世界が「納得するような人生を、私は歩みたい」これ転地が逆さまなぐらい認識が倒錯しています。

このままだと文章はロジックの段階で破綻して言葉として意味すら通じなくなってしまう可能性がある。
しかし上記の文章は一見筋が通って見えますね(この「筋が通って見える」形が自意識が自分の考えとして”変じゃないか?”と自分で気が付く可能性を低下させる)。
何故筋が通って見えるのか?
「本音が偽装されているから」です。
>そのほうが楽だから。

ところが現在までの人生の課程は楽なんでしょうか?
>本来つきたい職業に就けなかったので(大学選択の時点でアウト)お金を貯めてもう一度学びたいと思っていたのだと思います。→仕事は安定収入はあるものの単調かつ忙しく6年ほど前に「自立してそれでも転職したかったら転職しよう」と、実家を出ました。→自分に自信がなく、世の中の人が怖いのです。パニック障害めいたものにおそわれます。気分に波があり、自分も母親と同じ躁鬱ではないかと思うこともあります

ちっとも楽じゃない、むしろ強迫的心理が興奮(気分に波)により代償満足的に(本音発の)欲求を代替的に代謝し、本音の抑圧が継続しても快感認知として欲求不満にならないように興奮(脳内では快でも不快でも興奮は”快感認知”です)を強迫構造により継続し自我のバランスを強迫的傾斜がかかったまま温存しようとしている。
■その方法論は「親の納得するようなテンプレート的(ステレオタイプな)人生を歩みたい」事を”楽だ”と考える事。
本音の偽装です、こういう発送を『自己欺瞞』と言います。

更に付け加えると、
「楽だから」これは本音とも意見とも言えないレベルの話でしょう、
とってつけたような発想に過ぎない。
そこには自分なりに試行錯誤したり、あれこれ本を読んだり等自分なりの自立的考えってものがどこにも存在しない。

ちょっとわかりにくいと思うのでたとえ話で説明しましょう。
ある法廷で、裁判官が質問します。
「ところで君はどうしてそんな事しちゃったの?」
「暇だから」
この雰囲気に近いものだと考えていただければわかるでしょうか?理由になっていないって意味です。

ですからこの場合文節の「楽だから」は無視して読むべきです。
(とってつけたような適当な理由なので)

もう一度読み返してみましょう、

>でも私は親の納得するようなテンプレート的人生を歩みたいのです。それは親のためではなく、自分の為です。

明解に自己欺瞞ですよね。
※「もともと実家が嫌いだったせいもあります。(経済的にあまり余裕がなく、母は躁鬱病)」と証言されるように、一面でレタスさんはこの実家における現実認知や認識を嫌いなワケですよ、

とするなら「それを自分の為と思う根拠がない」

そして前段「でも私は親の納得するようなテンプレート的人生を歩みたいのです。」は心理学的に”典型的な強迫構造の保守”である(悩みを恒常化して固定させるための発想)。
 ↓
更にデ・コードすると
「悩みが続いていも”親””親””親””結婚””結婚””結婚”と強迫的心理で自分を追い込み、それが自分の為だとあたかも道徳的に考えるのが、私にとっては”楽”なんです」

ここを心理学的にデ・コードすると
「悩みが続いていも”親””親””親””結婚””結婚””結婚”と強迫的心理で自意識を抑圧し、それを疑う発想や自分なりの考えを模索する方法は抑圧されたままで今の自分には思いつくことすら辛いのです。強迫構造が揺らいで(傾斜のかかっている状態から自然なバランスへ回復しようとするストレスが常にかかって)ただでさえ不安定なところに、余計に人格を揺さぶる方向で発想する事は今の私にはできないのです。だから強迫的心理なのかもしれないけれど、その方が私には楽なんです」

そして一番最初の悩みは?
 ↓
>どうしたら心穏やかな日々を送れるでしょうか。
 ↓
「その方が私には楽なんです」等という世界から私は脱出したいどうしたらいいでしょうか?

■補足説明として”本音”ってものを話しておきます。

私が前回含めて「この本音が抑圧されています」という説話は、「そういう思考が本音でなくてはいけない」という意味ではありません。
本音とは常にそれほど固定的じゃないからです(それが固定的であると”信念”と呼びます)。
本音とはあれこれ考えた思考の過程の事であり、
「あーも考えた」「こーも考えた」「こういう事も考えた」その中で私は今「○○を選択した」
この時の「あーも考えた」「こーも考えた」「こういう事も考えた」の中の順位になります、
※最後の選択は動機形成の過程となるので、心理学的には結論はそれほど重要じゃありません。

本音という世界の中で、あれこれ考える中の発想として「それを選択肢として思いついているだろうか?」って話です。
背景事情等から考えられる合理的発想(自然に考えていれば発想されて自然な部分)が、その時発想のテーブルにも(思いつく形で)上がってなければ「抑圧されている」となるんです。
発想のテーブルにも(思いつく形で)上がってなければ、存在しないも同然ですからね。
 ↓
それだけ自分でそこから脱出する可能性を”無意識に(全く無自覚に)”自分で閉じてしまう。

しかし、ここは第三者が話を聞けば「こう考えていないのが不思議だ」と容易に発見できますね。
簡単にわかってしまえば、同時に強迫構造も簡単に壊れてしまう。
ですから、そういう第三者意見に
 ↓
抵抗(事実上反論や激怒)反射で防衛が起きる
>幸せそうですよ?離婚率50パーなんて何処の話なんでしょう。
口語調に翻訳すれば
>「そんな話も所詮インチキ臭くてまやかしにしか聞こえませんね」

そしてどうしてこの抵抗が織り込まれるのか?
 ↓
「自分の為だとあたかも(いいことなんだと)道徳的に考えるのが、私にとっては”楽”なんです」
逆説、
それを否定するものや違う意見は反射的に”悪い奴”になります。


■「ステレオタイプは本音じゃ無い」ここも補足しておきます。

ステレオタイプな発想の代表は『共同幻想的常識の世界』になりますが、
この常識の世界が何で存在するのかと言えば「効率がいいからです」、
それほど興味の無い事や、社会的マナーであるとか、個人的な分野というよりも公共性等調和優先で”個人的事例”として考えなくてもいいことは、常識的に考えた方が効率がいい。「常識的に」、

この常識より機能的に最短距離を確立するロジックがあります。
この事例で考える方が理解が早いです。
「小脳プロセス化」とか呼んでもいい現象です。
 ↓
典型例『自転車の乗り方』
これいちいち自意識が関与すること無く、あたかもオートマチック(全て無意識化=究極のステレオタイプ)で機能するロジックです。

しかし?

あなたが「自転車マニアだったりプロの自転車レーサーだったら?」
フォームや踏み込みや姿勢から、『自転車の乗り方』は突然自意識マターになります。
実際に「こういうフォームで乗るのが僕の本音なんだけれど」という言葉が出てもおかしくない。

ステレオタイプでいい場合と、自意識マター(本音の飛び交う世界)を分ける分水嶺は?
「個人的関心の有無」です。
◎つまりあれこれと拘っているように見える「自分の就職や、人生の選択」が
「ステレオタイプである筈が無い」のです。

恐らくここでもこういった抵抗が予測されます。
 ↓
「私の友人達だって、常識的発想でどちらかと言えばテンプレート的人生を歩む事を本音として生きていますが?」
この仕組みは簡単なんですよ、
その部分は彼らにとって『関心事項が低い』んです。
自分の育った家庭の問題に拘っていたり、自分が孤独じゃないのかと不安に思っている等”家族的発想”のような世界に依存したり、そういう背景が無い。そもそも結婚それ自体も「それほど重大関心事じゃない」彼らの関心事は「結婚したら何買うか?子供が生まれたらどんな家に住むのか」等々その後の具体的な選択の世界→プライヴァシーの範囲内だからです。
「普通に結婚でいっかな」ここは彼らの場合ステレオタイプでも矛盾しないんですよ。

共同幻想的な人というのは、そういう「限定的なプライヴァシーの中だけで自意識的活動をする人」になります。
(独立志向の人はそれだけ個性的に生きるので得しているようですが、共同幻想的な人物に見られる効率性が無い。両者が獲得する人生の糧はイコールで、どっちを選択するのかは”自由”なワケです)



■再び各論に戻ります。
強迫的発想にガチにはまっています。
考える角度を変えれば文章としても成立していない部分です。

>私は今になって、何故その彼にすがらなかったのか後悔しています。多分彼のことを妬んで(仕事・職種)いたのです。
>嫉妬もしていました。彼はマッチョで「もてる自分」が大好きで色んな女の子に声をかけていました。
>私は自分が嫌いだったので「自分は選ばれないだろう」と思っていました。

そもそも人間関係において、自分がどう思うのかという主体性のほうが優先順位は上です。
しかしレタスさんの文章は「どう思われているのか?」が主体で、自立的に「私はこう思う」と考えている部分がない。

これを心理学的に『被(こうむる)』の構造と私は呼んでいます。
(ここは過去ログやブログでも多数記載があります)
リアクションが中心となって能動性が失われるのも強迫構造の典型で、
何故『被(こうむる)』なのか?といえば、強迫心理とは”象徴化された親の存在を前提とする幼児の心理”だからです。
なので、発想そのものが常に受身であったり評価”される”側になる。

それに比して自立した大人の発想とは何か?
「自分はこう考える」
 ↓
「彼は、マッチョで「もてる自分」が大好きで色んな女の子に声をかけているいけ好かない男で(笑、こういう男が私は嫌いなんですよ〜」
 ↓
そうであって自然なのに?
 ↓
>何故その彼にすがらなかったのか後悔している
んですよ、
発想の角度が根本的に180度逆さまになってしまっている。


>親が死んだら(配偶者も子供もいなければ)天蓋孤独です。
これほどナンセンスな発想もありません。
どうしてこうなっちゃうのか?
ここまでの説明を読んでいただければ一目瞭然ですよね。

「家族的世界に依存する幼児の心理が強迫構造である」

自立できずに幼児認知(両親との過去の葛藤により拘りやルサンチマンのように複合し固着している)が強迫心理として、自立しようとする本音の部分(自意識)を抑圧するあまり、親が死んだら迷子の幼児と同じような不安心理を持ってしまう。

ここは前回のレスにも被る部分です。
「幼児なので大人が怖い」
「友人は強迫構造保守の舞台装置(親の代わりの依存先)に過ぎない」
「友人の結婚(別世帯化したので家族の代用として依存できない)」
突然不安になりこれを解決する方法は「結婚しかない(そもそもひとりぐらしとして自立するのが自然だと考える発想すらなく、結婚もせずに家を出たぐらいに思っている)」、
 ↓
「それしか自分が幼児期の偏向した心理(強迫構造)を保守する方法は無い」

自立した大人であれば?
普段の生活の中で、他者との間でいくらでも信頼関係を築く事も可能で、
結婚して家族がいないから孤独だなんて発想は存在しようが在りませんし、
同時に、自主独立型人格にとって「孤独」はどちらかと言えば「特権」と同意(幸せな事と言い換えてもいいでしょう)です。



レタスさんはお話伺いますと既に30歳を越していて、十分立派な大人の年齢です。
今の立場から振り返れば、過去の家族時代の風景や、両親の印象を再解釈していく事も可能な年齢です。
極論「何故母親は鬱になったのか」を考えても不思議じゃない。
再解釈された記憶は、幼児のデフォルメを解体します。

>>スッキリと考えていくならば「現在の両親や自分の子供時代に対する認識を”再評価してみる”」なる過程が必要になってくると思います。


そして、
■断言しますが
「本来つきたい職業」
これも本音じゃないと思いますよ。
970 何でこんなことになったのか レタス 2008/08/11 21:07
丁寧なレスありがとうございます。
なんだかメール相談の方にするべきに感じてます。
結構深いですね・・・。

病院・薬否定派(母のようになりたくない。)なので
今まで本を読むことはあっても通院したことも
カウンセリングしたこともありませんでしたよ。

>友人というものは、家族依存意識の代用じゃありません。既に動機が歪んでいます。
だめですかやっぱり。こないだ苦しくて「死んだらあとよろしく!」
って言っちゃいました。

>さっさと結婚して子供を産みたくなってしまいました。
> この認知それ自体「幼児虐待」です。
やっぱりそうですか・・。数年前まで結婚否定派だったのは
「自分が真っ当な親になれそうにない」からでした。

>「普通に結婚でいっかな」ここは彼らの場合ステレオタイプでも矛盾しないんですよ。
私も「普通に結婚でいっかな」したい!

■断言しますが
> 「本来つきたい職業」
> これも本音じゃないと思いますよ
そうですか・・・それすらも幻想ですか・・・。
なんかショックです。

仲間内で一番「結婚にこだわらない派」だと思ってた私が
「だれよりもこだわってた」ってことですよね。
971 Re:何でこんなことになったのか kagewari 2008/08/12 23:25
ここは微妙にニュアンスが違うんですよ
>仲間内で一番「結婚にこだわらない派」だと思ってた私が
>「だれよりもこだわってた」ってことですよね。

前回の話(これ何度か反読してください。強迫構造が関係するとどうしても素で文章や言葉を認識するのは難しいのです)を全体として眺めてもらえるとわかると思うんですが。
友人も”友人(という代物)ではない”
希望の仕事も”強迫構造から派生する反動形成に過ぎない”
結婚願望は”家族依存の幼児的心理から派生したものである”
孤独に表現させるように”大人同士の人間関係というものを認知できない”
他人(大人)が怖いように”強迫的自我(幼児性)の影響で自立する大人の人格がイメージできない”

つまり
 ↓
>「普通に結婚でいっかな」ここは彼らの場合ステレオタイプでも矛盾しないんですよ。
その代わり彼らの人生はプライヴァシー領域(共同幻想協調型人格の場合)がとても狭い領域になるため「収入は高いのか」とか「どこどこに旅行にいけるのか」「子供は○○にさせたい」等具体的な部分では極めて現世利益的というか近視眼的(領域が狭いため)な部分への貪欲な欲求を持ちます。しかしこういう欲求は「そのまま収入が高ければいいですが」そうでなければ実現は難しく(そもそも結婚の概念が”それほど高い関心事ではないので”)『現実の暮らしの中で満足感を感じる』事がとても難しいのです。

言うなら彼らにとって結婚とは→カウンターあてる為にあえて乱暴な表現使うと
「なんかさあなた感じいい。私SEXしたいな〜」に近い。
 ↓
>「普通に結婚でいっかな」

※事実現在社会における結婚はこれまでの論議にあるように、家督相続的文化等が形骸化しているワケであって極めてプライヴァシーの領域に近づいていますから(事実北海道なんかでは血縁者に離婚世帯が発生しても「あらそうなんだ」ぐらいの反応ですよ)、共同幻想マターとしてギリギリの状態(既に男性社会においては「君自家用車買った?」は男性社会におけるひとつの成功ジャンルの概念として完全に失われている)で、それが認知として共有され始めているので、社会問題は『少子化』であって『婚姻の促進』では無いし、結婚する事を国家が押し付ければそれはファッショであり人権侵害ですから(この点民主主義の進行とともに「君はいつ結婚するの?」が典型的なセクハラのキーワードとなった等様々な文化人類学的現象があります)、現代社会の認知としては「結婚」は男女のカップルがその関係を国家に「法人登記するのか否か?」程度の意味しかないのです。

つまり「家族や家庭」の認知は、プロ野球チームにおける「フォアザチームの精紳」じゃないですが所属する各人が自己責任として個々の参加意欲のようなものを”自意識によって”認知して初めて成立すると言っていいでしょう。
(封建時代であれば帰属意識より前に「○○家の家風」というような帰属(アイデェンティファイ)すべき上位概念が共同幻想として織り込まれた。しかしこのタイプの共同幻想は『日本史上最後の名家』である”天皇家”においても随分リベラル化している)
『感じのいい零細会社経営の才覚』と、『感じのいい家族法人経営の才覚』は全く同じ物です。

ですから現代社会はそのベクトルとして(共同幻想は崩壊過程にあるので)、各人が民主主義的に「一定以上の独立型人格を確立していく」事も半ば自明であって
 ↓
>「普通に結婚でいっかな」
的認知であれば、既に共同幻想崩壊過程における”貧乏くじ”なんですよ。
(そういう認知で生きていけたのは60年代高度成長期までだった=民主主義的投票行動等いい加減で事実上自民独裁でも誰も困らなかった)
現代社会においてはその後「普遍的に薄く広くストレスや悩みを抱える世代」となります→文明化に比例して離婚率が右肩上がりだった理由。
(その先には離婚率は逆に低下するでしょう→確信犯的な自意識決定過程のある結婚が増え同時に、ライス不タイルが元々そういったタイプじゃない人は結婚そのものを選択しないため)


■よくよく考えてみるとですよ
「そもそもレタスさんは”結婚”の何たるかを認知できていない」と言ってもいいのです。
自分では「結婚したい」と感じていたとしても、その結婚のイメージそのものがデフォルメされ背理に象徴的な強迫関連のイメージがあり、おおよそこの世に存在しない”何かいいこと”を意味してしまっている。
極論するとレタスさんが「結婚したい」と言葉にしても、そんな現象(深層心理では”どえらい事”が=結婚を意味している)はこの世に存在しないって事です。

ですから
 ↓
>仲間内で一番「結婚にこだわらない派」だと思ってた私が
>「だれよりもこだわってた」ってことですよね。
 ↓(微妙にニュアンス違うんですよ)
仲間内で一番「結婚にこだわらない派」だと思ってた私が「だれよりもこだわってた」ってことですよね。
ええ、それは”結婚”かも知れないけれども実は強迫意識で、『結婚という名の、幼児の私が見た”親”や”家庭”への象徴的幻想への依存』であって、思うに仲間内が言葉にしている「結婚」とは似て非なるものなんでしょうね。
私は今でも幼児期の”その時見た家庭への”○○××(複合し言葉にならないような愛憎)に誰よりも拘っているって事ですね。
30歳を越した今でも、、
無意識の中で強迫意識として、
まるで政治家が目指す『理想論』のように後生大事にその「○○××な世界」を守るのに必死だった。
その世界が今の意識に認識として浮上すると「結婚」って言葉になるんですね。。
それは結婚どころか、本性(強迫構造の本音)はとんでもないものだってのに、


そして最も重要な事ですが
>>「本来つきたい職業」
>>これも本音じゃないと思いますよ
>そうですか・・・それすらも幻想ですか・・・。
>なんかショックです。

ここは逆でなくちゃ、
「え、私は”私に”騙されていたのか」ぐらいの勢いで、
「なんだそうだったの、助かった〜これでワケのわからない職業につかなくちゃいけないなんて意味不明のプレッシャーからおさらばだ。私はもっと自由に生きてよかったのか!」と、

ここ喜ぶところですよ。

たとえばの話になりますが、レタスさんが重度の鬱だとするとですよきっとこうなるんです。
 ↓
「やっぱり○○の仕事につけない、○○の仕事につけなかったら生きている意味が無い、私には生きる価値なんか無いぐらい私は自分を嫌悪します」とこの”そもそも本音じゃやりたくも無い仕事”をネタ振りに落ち込み『鬱満開』となる。

○○の仕事ってのが「親に認められる仕事」となっていたのは、上記の構造を成立させて、
「親に見捨てられた幼児」の不安感を”興奮元”として猛烈に興奮するためで(脳内では快感処理)、
鬱構造ってのは、それが中毒としてアル中のように”落ち込む興奮依存症”になる状態の事です。

そんなネタ元が○○の仕事の正体であって、
>なんかショックです。
この先に続く言葉があるとするなら
「それをネタに一生落ち込んでやろうと思ったのに」なんですよ。
 ↓
「なんかショックです。それをネタに一生落ち込んでやろうと思ったのに」

この言葉は強迫意識として無意識下にあるので、強迫構造下にあると自分では発見できないんですよ。
972 話それるかもしれないですが レタス 2008/08/13 15:37
今、一番の恐怖は
歳をとって、配偶者も子供もいない
一人ぼっちの自分のイメージなんです。

老いて入院するときも保証人がいないとか
住む場所も担保されないとか

いままでは、「イメージどうりに生きられなかった」自分が
嫌いで人を避けているところがあったんですが。

いまとなっては「そんな四の五の言ってる場合じゃない!!」
って感じなんですよ。出産には生物学的リミットもあるし。

(いけすかない)マッチョな彼にすがらなかったのを後悔してるのも
「頑張ってすがってれば、配偶者と子供が出来ていたかも」
って思っていたんです。

確実に彼には(庇護者として)依存してました。
それが嫌で距離をおいたんですけどね・・・。

ここ半年時々寝る前とか横になってる時ですけど
皮膚を引き剥がされたような感覚に陥るんです。
もう、なんともいえない恐怖です。

でも、投薬は否定派。
江戸時代はケミカル系の薬なんてなかったはずだし。
薬は効果があるが故に必需品になってしまうと思うので。
自然治癒したいのです。

利用しちゃってすいません。でもどうもありがとうございます。

973 Re:話それるかもしれないですが kagewari 2008/08/14 23:43
まずこれまでの過去ログを読み返して欲しいんです。
その部分も説明済みですが
 ↓
>>前回の話(これ何度か反読してください。強迫構造が関係するとどうしても素で文章や言葉を認識するのは難しいのです)を全体として眺めてもらえるとわかると思うんですが。
「強迫構造が関係するとどうしても素で文章や言葉を認識するのは難しいのです」

文章は読んで、日本語として意味を理解したとしても認識の部分では全く理解していなかったり『無意識的なの抵抗的反射』に急がしてくて全く前回のレスを経緯として踏まえる事ができない状況になってます。

この辺確認する上で改めて最初から反読を繰返していただければ上記のニュアンスが感じられてくると思いますから、その上で以下へ読み進んでください。

各論になりますが、
>老いて入院するとき
>住む場所も担保されない
>「そんな四の五の言ってる場合じゃない!!」
>出産には生物学的リミットもあるし。

この辺は答える意味が根本的にありません、
(ある意味そこが今回のレス表題『話それるかもしれないですが』としてレタスさん自身にも実は薄っすら認知されているのです)
(あえて記載しませんが鉄板で論駁される話ですし、それも容易に可能です→それだけロジックが稚拙”とってつけたような言い訳程度”の話になってしまっている=強迫的意識発のロジックである証明)
※既に詳細説明済みです
 ↓
>簡単にわかってしまえば、同時に強迫構造も簡単に壊れてしまう。
>ですから、そういう第三者意見に
> ↓
>抵抗(事実上反論や激怒)反射で防衛が起きる
>>幸せそうですよ?離婚率50パーなんて何処の話なんでしょう。
>口語調に翻訳すれば
>「そんな話も所詮インチキ臭くてまやかしにしか聞こえませんね」
>
>そしてどうしてこの抵抗が織り込まれるのか?
> ↓
>「自分の為だとあたかも(いいことなんだと)道徳的に考えるのが、私にとっては”楽”なんです」

合わせてこういった流れそのものも説明済みです
 ↓
>この前段はまだある線かなと思いますが(それでも自立に関して余計な理由がくっついているは問題と言えば問題ですが)、この前提条件と以下が全く無関係です。
>改めて”前段の「余計な理由がくっついている」”を関連させて考えてみましょう。
>「何故このような倒錯的思考にいきついてしまっているのか?」から振り返って考えなくてはいけません。
>つまり”不幸せな結婚”という概念が”イレギュラー”になっちゃってます。
>これは暴論ですよ
>恐らく強迫意識抵抗として「そういう論議になるだろう」と予測して予めいくつかカウンターをあてていたつもりですが、
>まんま(無意識に)抵抗が出ていますね
>”何処の話なんでしょう”と切って捨てるだけの根拠のある実数は何処にも無く、レタスさんが『言い切っているだけ』です。
>■さて、各論として確認していくならば「ほぼ全てが強迫意識保守で固められています」
>関連性を辿るどころか、思考の流れ自体が完全に破綻しています。
>■断言しますが「本来つきたい職業」これも本音じゃないと思いますよ。
>「そもそもレタスさんは”結婚”の何たるかを認知できていない」と言ってもいいのです。

最後の文章だけで考えてもわかりますが、結婚の何たるかを認知できないのに
「いったい何をしよとしているんですか?」

ここも詳細説明しています、
 ↓
>>たとえばの話になりますが、レタスさんが重度の鬱だとするとですよきっとこうなるんです。
> ↓
>「やっぱり○○の仕事につけない、○○の仕事につけなかったら生きている意味が無い、私には生きる価値なんか無いぐらい私は自分を嫌悪します」とこの”そもそも本音じゃやりたくも無い仕事”をネタ振りに落ち込み『鬱満開』となる。

■今回の話で改めて確認が必要部分は何かと言えば
 ↓
>確実に彼には(庇護者として)依存してました。
>それが嫌で距離をおいたんですけどね・・・。
>(いけすかない)マッチョな彼にすがらなかったのを後悔してるのも
>「頑張ってすがってれば、配偶者と子供が出来ていたかも」って思っていたんです。

ここと全く同じ構造の文章があります(背理を補足します)。
 ↓
>何とか職にありつけました(希望の仕事じゃないのでそれが嫌だったんですけど)。
>しかし、仕事は安定収入はあるものの単調かつ忙しく6年ほど前に、「転職したいけど自立してそれでも転職したかったら転職しよう」と(本来なら結婚しんて出なくちゃいけないのに)”結婚しないまま”実家を出てしまいました。
>もともと実家が嫌いだったせいもあります。(経済的にあまり余裕がなく、母は躁鬱病)

そして「結婚」を志向している狙いが「強迫意識発の幼児的過去への固着(不快感を含む家族意識への依存)を保守し継続するため」であるのも全体として説明済みです。
友人関係における説話にあるように、
それは”強迫意識保守のための舞台装置”に過ぎず、本音結婚等どういうものか認識すらしていない(そんなものどうでもいい)。

よく考えてみてください。
その(無意識に保守している)幼児的な快感依存している世界はどんな過去ですか?
「もともと実家が嫌いだったせいもあります。(経済的にあまり余裕がなく、母は躁鬱病)」
”不快”ですよ。
それが興奮であれば脳内では”快感認知”として処理れますし、同時に快感依存の元にもなる。
(中毒のように反復し依存が構造化すれば鬱と言ってもいい)

再現が期待されているのは(親に対してそうであったように)”不快感による興奮と依存と愛憎”です。
これを「結婚」を使ってやろうとしているワケですよ。
(ですからそういう行為に巻き込まれる側となる子供にとっては「そえは生まれる前から虐待になる」と説明しています)
その期待を予感させるような人物も以前スカウトされた実績もある
 ↓
(いけすかない)マッチョな彼

こういう人物を刺激すれば、容易に家庭は感情的不快感の舞台装置になり、これを使っていくらでも”被害者意識”として過去の幼児性の世界を再生産しそこに依存できる。「嫌いな実家からすぐに自立しなかったように」その結婚を継続する事が道徳的善のように解釈され、離婚等毛頭考えるつもりはなく(発想そのものが抑圧され)、不快な家庭が(強迫構造の狙いどおりに)再現される。
 ↓
>幸せそうですよ?離婚率50パーなんて何処の話なんでしょう。

補足するならば
 ↓
>彼はマッチョで「もてる自分」が大好きで色んな女の子に声をかけていました。
情報的には限られた話になりますが、
男性意識として”典型的な不安認知の持ち主”(強迫的発想のある証明)
「意図されているのは”共依存”である」

◎流れと”問題意識”はレタスさんも十分理解しているのにですよ
 ↓
>ごく小さいころは母親が大好きでした。友達と遊ぶよりも幼稚園に通うよりも母親といる方が安心できたのです。(分離不安があったと思います。)


この辺を根本的に見ていく結論として複数回記載していますが
■「現在の両親や自分の子供時代に対する認識を”再評価してみる”」なる過程が必要になってくると思います。
ここに対するコメントが上記の”分離不安”の部分だけです、
(抵抗・拒絶として)
全体の流れ的には(今回の返信から考えれば)スルーされていると見てもいいでしょう。
ある意味、上記は全ての文脈の”結論”に近い話なんですが。

それがスルーされるので、
再三「幸せそうですよ?離婚率50パーなんて何処の話なんでしょう。」的な話が繰返されている。
典型的な『自我防衛的反射』です。
 ↓
強迫構造を温存するためです

※この『自我防衛的反射』的論議は公開掲示板のレスに数え切れないぐらい事例がありますから、他の人の相談事例も是非閲覧してみてください。

ここの部分も重要です。
 ↓
>薬は効果があるが故に必需品になってしまうと思うので。
>でも、投薬は否定派。
>病院・薬否定派(母のようになりたくない。)なので
>”自然治癒”したいのです。
>今まで本を読むことはあっても通院したこともカウンセリングしたこともありませんでしたよ。

一見文節としては
「心理学的認識に期待もあり、現代医療における投薬中心のアプローチには(母のようになりたくない)ので・・・」
と、筋が通っているように見えますが、
最後の「・・・」
これが「”自然治癒”したいのです。」となってます。

破綻していますよ。

結論は「何もしたくない」と言っているのと同じです。
その背景が何かといえば無意識(全くその自覚無く)に
■強迫構造を温存するため「何もしたくない」
その観点から見れば、現代医療における投薬中心のアプローチに問題意識があるのではなく
(実際ご自身で「薬は効果がある」と証言されている→果たして投薬は有効かって話は別論議ですよ、ここは公開掲示板だけでなくブログ含めてサイト内に複数の説明がありますからここで説明するのは本題ではありませんから省略します)
「何もしたくない」という強迫構造の本音に対して「投薬否定派」というロジックがいい訳のように選択されているだけで、本格的に心理学的なアプローチを意識しているのではない。
 ↓
>なんだかメール相談の方にするべきに感じてます。
>結構深いですね・・・。

と、後から(心理学的アプローチに)驚いている側面もありますし、

>いまとなっては「そんな四の五の言ってる場合じゃない!!」って感じなんですよ。
 ↓
ここは完全に以下と同じ意味である
>幸せそうですよ?離婚率50パーなんて(あなたの分析とやらも)何処の話なんでしょう。
 ↓
>いまとなっては「そんな(心理学やら分析とやら)四の五の言ってる場合じゃない!!」って感じなんですよ。

深層心理を動きを捉えていくと本来の意味は完全に上記の私が注釈をつけた内容に”なってしまっている”と言えます。

■全部つなげてみると?
「強迫構造を温存するため「何もしたくない」んです。薬は効果がありますが(分離不安のある)母のようにはなりたくないので、私は投薬も通院も否定です、「何もしたくない」んです。今回そんな意味で「(強迫構造を温存したまま)どうしたら心穏やかな日々を送れるでしょうか。」と相談してみましたが結構深いですね・・・(「何もしたくない」趣旨に反してきちゃって少々驚いています)。しかしいまとなっては「そんな(あなたの言う心理学やら分析とやら)四の五の言ってる場合じゃない!!」って感じなんですよ。
「何もしたくない」「結婚したいんです」、
なんだかメール相談の方にするべきに感じてますが、自然治癒(という名の何もしたくない)したいのです。利用しちゃってます。
どうもありがとうございます。

これじゃ何も進みませんよ。
別段有料メールに相談すれば大きな変化があるのでもありません。
HP・ブログ等にテキストあげていますし、HPには自己分析シートもあります、そして公開掲示板もある。私は心理的問題の解決の糸口をあらゆるルートで担保する事を念頭にサイト設計しています。
閲覧だけしている方の方が圧倒的に多いでしょうし、それはそれで在り方のひとつだとも思っています。
有料メールの位置付けは「プライヴァシーの保護」と「つっこんだ話の守秘義務を確保するため」と「第三者性の確保」であって(確かに相談が殺到すればサイトそのものが運営できなくなる部分もあります)、公開掲示板の論議にあるように現代医療に対する批判は批判としてありますが、決して通院や投薬を全否定するものもありません(実際に世代的に心理学的な部分を知識としてほとんど知らない世代も存在します)。
公開掲示板的論議だけで、心理的問題の解決の糸口を模索するケースがあってもいい。
(実際に通院中でカウンセラーとのやりとりを補完する意味で公開掲示板が利用されている事例もあります)


又この部分も”とってつけた理由”です、
>江戸時代はケミカル系の薬なんてなかったはずだし。
HPの心理学テキストや過去ログ等に再三説明していますが、
心理的な問題はある種の”先進国だけの話”であって(共同幻想の崩壊過程で起きる)、ご存知のように江戸時代当時の日本は先進国ではありません。

■繰返しますが
「現在の両親や自分の子供時代に対する認識を”再評価してみる”」なる過程が必要になってくると思います。
極論「何故母親は鬱になったのか」を考えても不思議じゃない。
再解釈された記憶は、幼児のデフォルメを解体します。

>ここ半年時々寝る前とか横になってる時ですけど皮膚を引き剥がされたような感覚に陥るんです。もう、なんともいえない恐怖です。

この答えは
 ↓
>「家族的世界に依存する幼児の心理が強迫構造である」
>
>自立できずに幼児認知(両親との過去の葛藤により拘りやルサンチマンのように複合し固着している)が強迫心理として、自立しようとする本音の部分(自意識)を抑圧するあまり、親が死んだら迷子の幼児と同じような不安心理を持ってしまう。

まず最初のご自身の相談の文章から反読する事ですよ。
現状の認識を再確認して思考を進める事が悩みや不快の角度を変化させます。