Kagewari 精神分析相談事務所  HP  BLOG  過去ログ  有料メール相談 

「掲示板での相談、閲覧・有料メールカウンセリング」の過程では、自我の防衛反応による混乱(興奮)が現れます。精神分析的アプローチによる「自我構造(こころ)の揺れ」です。その点に同意の上入室してください。



691 どうすればいいのでしょうか? 頭痛を持っている患者 2006/11/29 18:59
僕は現在、緊張性頭痛を持っています。
僕は26歳の男です。

元々は心療内科に通っていました。
おそらく頭痛の原因は中学・高校のときにおけるいじめだと思います。
いじめを受けながらも、親や教師に相談することなく、
ずっと我慢し続けていました。
大学4年のころに、精神疾患が発生し、
それ以来、ずっと精神科通いです。

今までもMRIなどを用いて脳の検査をしましたが、
結局、異常は見つかりませんでした。
SSRI(パキシル)やデパス(抗不安剤)などを用いて、
なんとか痛みをなくしていましたが、
薬を飲んでいると眠気がひどすぎて、
仕事ができないため、仕事もやめ、薬もやめました。

薬をやめた結果、頭痛がずっと続いています。
緊張性頭痛がずっと続いています。

なんとかして頭痛が起こらなくなってほしいのですが、
もう中学生や高校生のころの記憶はかなりなくなってしまい、
いじめも2,3個の場面しか思い出せない状態です。

臨床心理士によるカウンセリングをうけていても、
あまり進展はなく、
逆に心理士と仲が悪くなってしまったほどです。
今はちょっとカウンセリングは中断しています。

今、現在の自分には悩んでいるというほどのものはありません。
ですから心理士を相手に何を話せばいいのかもわからない状態です。

ただ、いじめがつらかったと言ってしまえば、
それだけで終わってしまい、
いじめのシーンの詳細な思い出は今は、
もうほとんど残っていない状態です。
2,3個の場面ならある程度は詳しくは思い出せますが。

このままでは満足に仕事をすることもできないし、
結婚することもできないだろうと、
すごく悲嘆にくれています。

やはり頭痛は無意識からの叫びで、
その無意識にあるなにかに気づかないと
永遠に治らないのでしょうか?

精神分析のような一ヶ月に10万円〜30万円ぐらいするものを
うけなければもうだめなんでしょうか?

とてもではないですが、
経済的にまず無理です。

かといって、
自力で精神分析なんてできそうにもありません。

僕自身、もう覚えている内容が相当少なくなっています。
どんどん忘れています。

このままずっと頭痛に悩まされながら、
生き続けるしかないのでしょうか?
692 整理する部分がかなりあります kagewari 2006/11/30 17:34
確認しておくポイントを抑えていけば、全体像が見えてきます、
わかりにくい部分もありますから、一度さらっと読んだ後で読み直してみてください。

先ずですね、
「いじめが原因で精神疾患は起きません」
「いじめがトリガー(きっかけ)となって、潜在的な問題が表面化する」と考えてください。
いじめが原因で起きる精神疾患があるとするなら、それは急性鬱症状であって(現実認知の内向的偏向)、これもわかりやすく解釈するなら誤解です。国外脱出等環境が変われば、いじめそもののに遭遇しない確率が高いからです。実際に起きる具体的な被害は「金銭・身体」であって自殺にいたる事例は「闇金融から融資を受けてしまった商工店主」とほぼ同様の追い込まれ型の内向性偏向が原因です。(自己破産してしまえば債務自体から開放される等その”誤解する環境”も同じ)

お話伺いますと
>中学・高校のときにおけるいじめ・・・ずっと我慢し続けていました。大学4年のころに、精神疾患が発生し、それ以来、ずっと精神科通いです。
これは間違いなく『慢性の頭痛』ですから「いじめはトリガーである」と解釈してください。

何のトリガーでしょうか?
「いじめを受けながらも、ずっと我慢し続けていました。」
つまり、いじめに対抗する回避手段を探すため能動的に必死になる(毎日ヴァファリン愛用や肩こり漢方薬の愛用、又は体のツボにやたらと詳しい等)のではなく、
我慢している点(選択)がポイントです。
■まずここまでポイントを抑えてください。

次に、
頭痛のほとんどは、肩こりを含む緊張性のストレスが原因となります。(一番簡単な対処療法は「マッサージに通う」事です)
そして、この緊張が同様に慢性化しているのは心因性のストレスだからです。その証明に会社を辞めるなど外因性のストレスを解決しても、症状が緩和していません、

>今、現在の自分には悩んでいるというほどのものはありません。

悩みは明快です、自分には慢性的な心因性のストレス「強迫(脅迫)傾向がある」って悩みがあるからです。
「無い」と感じるのは、強迫傾向それ自体が無意識だからです。

ですから
>ただ、いじめがつらかったと言ってしまえば、それだけで終わってしまい
これは「いじめはトリガーに過ぎない証明」です。
なので、いじめの事例をあれこれ考えてもたいして意味が無いので自意識の集中力も継続しませんから(深層心理の本人にはそれほど強い関心事項ではないため)憶えていないのであって、いじめの詳細な記憶が残っていないのは「むしろ当たり前」だからです。

「いじめ」がそんな風に現在も慢性の頭痛の根拠と感じてしまう原因は「慢性的な強迫構造から目をそらすため」だと言って差し支えないでしょう。
つまり、強迫の原因となっているロジックは既に自分自身の人格構造に含まれているからです(人格に含まれる過程に自意識が関与していないのでここは無意識の領域になります)。
ところが苦痛を感じているという当事者意識(被害感)には、「自分は外からの原因による苦痛の当事者である」と認定されますから、その原因を外に探さないと(いじめ等)逆に違和感を感じてしまうのです。
■次にここまでで、ポイント抑えてください。

すると以降の文面に全て説明がつきます。

抑えたポイントを並べてみましょう。
・「いじめは頭痛のトリガーである」
・「頭痛をすっと我慢してきた」
・「自分には頭痛を引き起こす慢性的なストレス要因がある」
・「頭痛の原因を外的要因だと誤解している」

>このままでは満足に仕事をすることもできないし、
自己表現の手段は仕事だけではありません。何らかの方法で食えていれば特に収入の心配も無いので「仕事をするしない」は考える必要が無い。仕事に関して考えるなら「全快したら今度は何の仕事をしようか?」だからです。
>結婚することもできないだろうと、
東京の晩婚化は著しくて、そこには結婚を選択しない層もかなり含まれています。むしろ「若い年齢での安易な結婚」は地方特有の文化といってもいいものですし、キャリア志向の強い人には「そもそも結婚等に関心が無い」人実際多いです。
結婚に関して考えるなら「相手はどんな人がいいだろう?」だからです。
>すごく悲嘆にくれています。
上記と以下の説明からその悲観は「内向性の自己嫌悪」であり鬱に近いものであることがわかります。
全て『杞憂』です、
>精神分析のような一ヶ月に10万円〜30万円ぐらいするものを
このHPでの精神分析は(レポートのみ)1万2千円です。3か月分のカウンセリングコースを無理やり一ヶ月で消化しても最大で月3万6千円、通常の消化なら最大で月1万2千円です。
臨床系では「そもそも精神分析やってるとこがほとんど無い」のですがクリニック併設のカウンセリングコースを選択しても相場的には1時間で一回1万円〜2万円ってとこでしょう。月30となるとほぼ毎日通わなければなりません。
>僕自身、もう覚えている内容が相当少なくなっています。
私自身学生時代の記憶は「昔あった事」的処理されてしていまっておぼろげにしか思い出せません。当時の友人の名前も忘れてしまっているぐらいです。
>このままずっと頭痛に悩まされながら、
悩みが解決すれば解消しますし、一時的にも整体やマッサージ等で緩和します。
>生き続けるしかないのでしょうか?
まず現在の症状が、致命傷で且つ治療方法のみつかっていない難病では無いだけでも「楽観する要素」だと言えます。

■ここまでの説明から、
現在の人格構造に内向性の自己愛的代謝(自己嫌悪)の存在が証明されています(無意識に)。

ここで
話はぐるっと廻るのですが。
>逆に心理士と仲が悪くなってしまったほどです。
確かに腕の悪いカウンセラーはいますが、供依存関係にならない限り少々カウンセラーの腕が悪くてもカウンセリングそれ自体は(一部ですが)成立します。
若干解説必要に思いますが、
カウンセリングの機能には、社会的な接点を失っている相談者に「第三者と話す機会を設ける」というリハビリ的側面があります。
つまり「内向性の代謝」があるのですから、少しでも外交的接点(外出や第三者とのコミュニケーション)を持つ事が内向するストレスの一部を代謝させる側面があるからで、水先案内人のような役割もあるのです。
たとえは悪いですが「水先案内人の腕が悪くても港には入れる」のです。

わかりますか?
「内向性の代謝」に人格構造としてこれを志向しているのですから、外交的な投げかけ(カウンセリングそのもの)が不快なのです。
無意識のレベルでは、一時的な利益「内向性の落ち込みによる代謝」を失いたくないので相対的には「外交的接点はその利益の一部喪失である」からです。

再び重要な部分を取り上げましょう
>ずっと我慢し続けていました
>現在の自分には悩んでいるというほどのものはありません
一見矛盾するように見える両者は、構造として補完関係にあります。

「内向性のストレスにより欲求の代謝は自己愛的想像の世界(悲観)に向かい、その傾向は”無意識なので”これを問題視する認識が現在の自意識には無い」

ここからは(有料メール相談と違いプライヴァシーに関わる情報が無いので)推測になりますが、人格それ自体に「内向性のストレスがあり、これを反動として外交性に振り向けるのではなく、悲観としてこれを受容し続ける判断がある。そしてその自我の振る舞いは無意識なのでこの現象自体を自意識には気がついていない」。

本来欲求というものは「行動」として実行(失敗や成功等の結果はほとんど関係無い)され代謝しますから、そもそもその欲求が内向(自己内)へ向いても実現される筈がありませんから答えは常に「できない」となります。
ここで激しい落ち込みという”感情的な興奮”が構造化すれば『鬱状態』と判断されますが、今回は「その内向性ストレスによる無理な要求(=常に答えは「できない」)」が慢性的な緊張状態を生み出しそれが”頭痛”の症状となっている、と考えるべきでしょう。

それだけ強い強迫傾向を発揮する機能や権限は、自我の中でも躾や善悪の判断等『親子関係を発端とする部位』にしか存在しません。
正確な表現ではありませんが、
頭痛の原因は、いじめではなく(いじめにより個別の苦痛については否定しませんが)その原因は”過去の親子関係”である。
と考えるべきでしょう。
これからの対処法ですが、複数の選択肢がありますから(マッサージを受けてみる・カウンセリングを再開する・気分転換の趣味の活動を活性化させる・精神分析的アプローチを模索する等)後は自己決定で選べな良いのですです。ひとまず「じっくり考える」のもいいでしょう。
701 全く持って予想していなかった回答ありがとうございました。 頭痛を持っている患者 2006/12/01 09:43
kagewari様

こんばんは。
頭痛を持っている患者です。

この度はこれほどまでにしっかりとした回答をしてくださって、
本当にありがとうございました。

全くもって予想できていなかった回答ありがとうございました。

>「いじめがトリガー(きっかけ)となって、潜在的な問題が表面化する」と考えてください。

一体、いじめがきっかけとなって、
どういった潜在的な問題が表面化したのでしょうか?

確かに、僕はいじめを我慢し続けていました。
僕はいじめを受けていた当時、
「こんな屈辱的なはずかしいことをされているなんて誰にもしられたくない。
親にもいえない。教師にもいえない。」
「僕は嫌がらせをうけているだけなんだ。
いじめじゃないんだと、自分に言い聞かせていました。」
と、これほど精神的に成長できていない状態でした。
今の自分ならいじめを受けても第三者にすぐに助けを求めます。
だから僕が精神的に成長できていなかったため、
仕方がなかったのだと思っています。
ただ、母親にありのままをできたら伝えたかったのですが、
母親に言うことができませんでした。
ずっと中学・高校6年間といじめをうけていたことを言えませんでした。
ほかの親が知らせて、初めて高校三年の時にいじめをうけていたことを
母が知りました。そのとき、母が涙を流していた姿が今も覚えています。
母親に言うことができていたらこれほど傷は大きくならなかったろうにと、
今では思っています。
本来なら「こんな屈辱的な恥ずかしいことをされている」が故に、
より自分の母親に言えるのが理想だったのかもしれませんが。。
自分の中の自尊心が大きすぎて、プライドが高すぎて、
母親にありのままの自分を伝えれなかったのだと思っています。

確かに、急性の鬱症状みたいなものは現れました。
実際に緊張性頭痛になりました。高校三年生のころですが。
で、今もまた緊張性頭痛が起きています。
同じ緊張性頭痛なので、やはりいじめを引きずっているのではと思うのですが。
ただ、高校3年生終わりぐらいから、
強くならなければいけないと思って、
唐手を習い始めて、強くなった自分は、
いじめっ子に対する恐怖心がなくなりました。
大学に入学してからは唐手を辞めて、
再び、いじめっ子に対する恐怖心が生じました。
唐手を辞めたら恐怖心が再び始まるということは、
やはり根本的な心の何かの問題なのではと思いました。
もっともこのときは恐怖心だけで、
緊張性頭痛のようなものは起きていませんでした。
ところが大学4年の卒論研究で、
僕は研究者を目指していたのですが、
非常に難しい勉強をなんとかして理解しなければいけない、
そして彼女をつくらなければいけないと、
いろいろ努力して、その結果、
ある日、突然、激しい吐き気と共に、
一気に体調がおかしくなり、それから精神科通いが始まりました。
そしてそのまま大学院進学を辞退しました。
大学院入試自体は合格していたのですが。

>「いじめを受けながらも、ずっと我慢し続けていました。」
>つまり、いじめに対抗する回避手段を探すため能動的に必死になる
>(毎日ヴァファリン愛用や肩こり漢方薬の愛用、又は体のツボにやたらと詳しい等)のではなく、
>我慢している点(選択)がポイントです。


僕はいじめがつらいけれど、あまりにも屈辱的で恥ずかしかったので、
ずっと一人いじめを我慢し続けて、親や教師にいじめを受けていることを
言うことができませんでした。
上記の毎日ヴァファリン愛用や肩こり漢方薬の愛用というのの、
意味がちょっとよくわからないのですが。
いじめを受けていたときには緊張性頭痛は発生していませんでした。
正確には高校3年生ぐらいになって緊張性頭痛が発生しました。

>そして、この緊張が同様に慢性化しているのは心因性のストレスだからです。
>その証明に会社を辞めるなど外因性のストレスを解決しても、症状が緩和していません、

正確には会社に勤務している間から、ずっと緊張性頭痛はありました。
ただパキシルでごまかしていたために頭痛を感じませんでした。
パキシルをやめてから頭痛を感じるようになりました。
パキシルの副作用として眠気がひどすぎて会社を辞めざるを
得なくなってしまっていったわけなんですが。
いじめのトラウマというのは心因性のストレスにはなりえないのですか?
先ほど言われたようにいじめの場合には
> いじめが原因で起きる精神疾患があるとするなら、
>それは急性鬱症状であって(現実認知の内向的偏向)
とありますが、長期の心因性のトラウマにはなりえないのでしょうか?


>>今、現在の自分には悩んでいるというほどのものはありません。
>自分には慢性的な心因性のストレス「強迫(脅迫)傾向がある」って悩みがあるからです。
>「無い」と感じるのは、強迫傾向それ自体が無意識だからです。
というのは、
無意識に「自分には慢性的な心因性のストレス
「強迫(脅迫)傾向がある」って悩みがあるからです。」
とおっしゃられましたが、
悩んでいるというほどのものがないというのは、
それほど過去のいじめに対して、
とらわれがなくなってきているからであり、
もうじめのことなんてあまり考えたくもないというのもあり、
心のなかで思い出されて、すごく嫌な気持ちになることはありますが、
かといって、今の安全な暮らしにおいては、
特にそれほど大きな問題が僕にあるわけではありません。


確かに、無意識的に、脅迫傾向は少しはあるかもしれません。
僕はプログラマーだったのですが、
とにかく極めなければいけないと、無意識に思うタイプです。
何故か極めたいと思うのです。
極めるのがすごくかっこいいと思うのですが。
そして極めたら、周りの他人に対して、
すごく優越的な感情を味わえます。
『俺は極めているんだぜ、誰から聞かれても完璧なんだぜ。』みたいな、
空想をして、その状態にあこがれるのも普通じゃないかなって思うのですが。
これは普通の感情だと思っていたのですが、違うのでしょうか?
だれだって何かを極めたいとは思うのは普通だと思うのですが。
ちなみに我が家にはまだ読んでいないプログラムの書物が大量にあります。
これも理解しておきたい、あれも理解しておきたいとと
思っていつのまにか大量の本が積まれています。
一生かかって読みきれるのかなといわんばかりの量になってます。
これと似たような経験を高校生のころにもやりました。
たくさんの参考書をかったのはいいものの、
全然やらずにそのまま捨てることになってしまった、
もったいない本がたくさんありました。


>>ただ、いじめがつらかったと言ってしまえば、それだけで終わってしまい
>「これは「いじめはトリガーに過ぎない証明」です。」と
おっしゃられましたが、今でも、
いじめっ子の嫌な顔を思い出したり、
いじめっ子が僕にしたいじめを思い出してすごく嫌な気分にはなります。
そういう意味で、まだしっかりと記憶には残っているので、
また、2,3のいじめに関してはある程度詳細に覚えています。
全体的には漠然といじめは本当にひどかったなぁ。
ただ、今でもすごい恐怖感てきなものはあります。
今でも、いじめっ子にであったら、
無理難題を言ってきて、すごく嫌だろうなぁとは思います。
いじめっ子は医学部を目指していて、
僕も医学部を目指そうかと思っていた時期もあったのですが、
もっとも医学部に合格するための偏差値は全くありません^^;
もし医者になっても、そいつが医者になったら、
また無理難題を言ってきて、僕を困らせるのではないかと思い、
医者を目指すのは辞めようと、高校三年生のころに思いました。
今でも自分の好きなことをやると、
いじめっ子の顔が頭に浮かび、
自分の好きなことをやると無意識にまた、
いろいろと難癖をつけられるのではという恐怖感が生じることもあります。
いつもがいつもそういうわけではありませんが。
そして今でもいじめの夢を見たりします。
夢の中では高校生に戻っていて、
そこでいじめを僕にしてきたやつが夢の中でできて、
僕がそいつに殴りかかるというような、
非常に露骨な夢を見たりしています。


>いじめの事例をあれこれ考えてもたいして意味が無いので自意識の集中力も
>継続しませんから(深層心理の本人にはそれほど強い関心事項ではないため)
>憶えていないのであって、いじめの詳細な記憶が残っていないのは「むしろ当たり前」だからです。

いじめを2,3個しか覚えていないというのは、
やはりそれほど強い関心事項ではないからなのでしょうか・・。
僕は無意識の中に膨大に抑圧されているのではと想像したのですが・・。
いじめの事例をあれこれ思い出せないのは、
たしかにいじめを覚えていても意味がないからと
その当時は思ったのかもしれませんが、
今となってはしっかりと思い出して、
その当時の傷ついた心を癒してあげることが重要なのではと、
思ったりするのですが・・。ただの推測なのかなぁ。


>「いじめ」がそんな風に現在も慢性の頭痛の根拠と感じてしまう原因は
>「慢性的な強迫構造から目をそらすため」だと言って差し支えないでしょう。
というのにも、確かにそう考えられるのかもしれませんが、
すごくいじめっ子に恐怖心を感じていたので、
必ずしもそういう自分自身の慢性的な脅迫構造だけではないのではと、
僕自身は思いました。

> 強迫の原因となっているロジックは既に自分自身の人格構造に含まれているからです
>(人格に含まれる過程に自意識が関与していないのでここは無意識の領域になります)。

僕にはそんなに脅迫構造が自分自身の人格構造に含まれているのでしょうか?


>ところが苦痛を感じているという当事者意識(被害感)には、「自分は外からの
>原因による苦痛の当事者である」と認定されますから、その原因を外に探さない
>と(いじめ等)逆に違和感を感じてしまうのです。

そんなに僕自身の無意識に存在しているといわれる、
『慢性的な心因性のストレス「強迫(脅迫)傾向がある」』
って強いのでしょうか?
僕にはそんな脅迫傾向があるとは思えないのですが。



>・「いじめは頭痛のトリガーである」
>・「頭痛をすっと我慢してきた」
>・「自分には頭痛を引き起こす慢性的なストレス要因がある」
>・「頭痛の原因を外的要因だと誤解している」

「いじめは頭痛のトリガーである」
というのは「潜在的な問題である
『慢性的な心因性のストレス「強迫(脅迫)傾向がある』が表面化する」
ということですね。

「頭痛をすっと我慢してきた」
というのは「いじめをずっと我慢してきた」の間違いなのではありませんか?
その「いじめをずっと我慢してきた」というのが大きな問題点というか、
重要点なわけですよね。

「自分には頭痛を引き起こす慢性的なストレス要因がある」
というのは『心因性のストレス「強迫(脅迫)傾向がある」』
ということですよね。

「頭痛の原因を外的要因だと誤解している」
というのは「いじめ」がそんな風に現在も慢性の頭痛の根拠と感じてしまう原因は「慢性的な強迫構造から目をそらすため」だということですね。
僕はそんなに自分自身の中に存在しているらしい、
「慢性的な強迫構造」から目をそらしたいのでしょうか?
僕にはその自覚がないのですが・・。


> 仕事に関して考えるなら「全快したら今度は何の仕事をしようか?」だからです。

と、言われても、全快するのかなぁって。
もうずっと緊張性頭痛が続いていますから。

> 結婚に関して考えるなら「相手はどんな人がいいだろう?」だからです。

ちょっと意味がよくわからないのですが、
優しい心をもった温かみのある女性がいいです。
ですが、結婚となるとやはりちゃんとした仕事ができなければいけません。
緊張性頭痛が続いている状態では仕事はとてもむりが・・・。

>>すごく悲嘆にくれています。
>上記と以下の説明からその悲観は「内向性の自己嫌悪」であり鬱に近いものであることがわかります。
>全て『杞憂』です、

ちょっとよくわかりません。
「内向性の自己嫌悪」っていうのはどういう意味ですか?
それは内向的な自分、くよくよして、悪い将来ばかり考えている自分に、
自分自身が嫌悪感を抱いているということでしょうか?
あと『杞憂』の漢字の意味がわかりません?
必要のないことまで考えすぎということでしょうか?

> 通常の消化なら最大で月1万2千円です。

ここのレポート形式なら一ヶ月一万二千円なのですね。
精神分析といったのは、あの長いすにすわって、
精神分析家が50分間を週4日ぐらいずっとつづけるやつを
想像していました。それだと一回に一万五千円として、
一ヶ月で24万円になるので。

>>このままずっと頭痛に悩まされながら、
>悩みが解決すれば解消しますし、

悩みが解決するというのは、
『慢性的な心因性のストレス「強迫(脅迫)傾向がある」という悩み』
が解決することを意味しているのでしょうか?

>>生き続けるしかないのでしょうか?
>まず現在の症状が、致命傷で且つ治療方法のみつかっていない難病では無いだけでも「楽観する要素」だと言えます。

僕の場合は治療法は見つかっているのでしょうか?
僕の頭痛の原因となっているらしい、
『慢性的な心因性のストレス「強迫(脅迫)傾向がある」という悩み』は
治療方法がみつかっているのでしょうか?
いじめによる『トラウマ』は関係ないのでしょうか?
今でもやはりいじめっ子の顔が浮かんで嫌な気持ちに
なってしまうこともあるので、『トラウマ』もあるのではと思うのですが。
それはkagewariさんとの有料メール相談で解決するのでしょうか?


>■ここまでの説明から、
>現在の人格構造に内向性の自己愛的代謝(自己嫌悪)の存在が証明されています(無意識に)。

自己愛的代謝(自己嫌悪)がそんざいが証明されているとのことですが、
僕にはいまいちよくわかりません。
自己愛的代謝(自己嫌悪)の言葉の意味がちょっとよくわかりません。
Googleで調べてみましたが、引っかかりませんでした。


>>逆に心理士と仲が悪くなってしまったほどです。

心理士さんは三十台後半の女性の方でした。
心理士と仲が悪くなってしまったのは、
僕が自分の気持ちではなくて、
心理士さんはどう思われているんですか?と、
心理士さんの気持ちに興味をもって、
心理士さんにいろいろ聞いてしまったことです。
心理士さんは「それが関係あるんですか?」と怒られました。
なぜか心理士さんを相手にしたときに、
無意識にブレーキみたいなものがかかっていました。
心理士さんがこちらを相手に話をするときに、
じっと凝視して話を聞いてくださっていたのですが、
僕にはそれがつらかったんです。
もっと温かく見つめてもらいたかったのに。
ほかにもカウンセリングにおいて、
ほとんどしゃべることもなく、
ただ僕が心理士さんの瞳を無言で見つめ続けたりしたことが、
心理士さんにとっては嫌だったようです。
僕は疲れ切っていて、
心理士さんの瞳を見つめるだけで、
すごく精神的に癒されたので、
ついつい甘えて無言で見つめてしまったのですが。
でも心理士さんはそれが恥ずかしくて嫌だったみたいです。


>「内向性の代謝」に人格構造としてこれを志向しているのですから、
>外交的な投げかけ(カウンセリングそのもの)が不快なのです。

という意味がわからないのですが。
「内向性の代謝」に人格構造として志向するというのは、
一体、どういう意味なのでしょうか?
僕は人と会話をすることが好きですから、
決してカウンセリング自体は嫌いではありません。
カウンセラーに自分の気持ちを話して、
聞いてもらえると楽にはなります。
ただ、カウンセラーの方がどう思っているのかには
興味があって、カウンセラーの人の気持ちは知りたいです。
僕の心理士の方は嫌がりましたが。
僕は相手の方がありのままの気持ちを言ってくれると、
初めて安心して、自分の心のうちをしゃべれ易くなるのですが。
ほかにも心理士の方に、
カウンセリング以外の場所でもあってほしいとか、
カウンセリング時間をもっと延長して欲しいとかいった
わがままをいって、心理士の方を困らせてしまいました。
もっともそれらは、心理士の方に、
もっと僕を精神的に落ち着かせてくださいとという、
そんな意味合いが含まれていたのですが。
心理士の方に対して不安を感じていましたから。
なぜかわかりませんが。
心理士の方に愛情そのものを求めていた点は確かにあります。
もっと心理士の方が深い愛情を僕に与えてくれたらなぁと、
よく思っていました。
心理士の方に求めていたのは、男女の愛情でなく、
母親が子供に与えるような愛情です。
可能ならば、その心理士さんに抱きしめてもらいたかったです。
母が子を抱きしめるがごとく。


>無意識のレベルでは、一時的な利益「内向性の落ち込みによる代謝」を失いたく
>ないので相対的には「外交的接点はその利益の一部喪失である」からです。

む、難しすぎてわかりません。

>「内向性のストレスにより欲求の代謝は自己愛的想像の世界(悲観)に向かい、
>その傾向は”無意識なので”これを問題視する認識が現在の自意識には無い」

内向性のストレスによる欲求の代謝は自己愛的想像の世界(悲観)に
向かうというのはどういう意味なんですか?
僕自身の中にある慢性的な心因性のストレス『強迫(脅迫)傾向がある』が、
自己愛的想像の世界(悲観)に向かうということですか?
そもそも慢性的な心因性のストレスというのが、
僕にはなんなのかさっぱりわかりません。


>人格それ自体に「内向性のストレスがあり、
>これを反動として外交性に振り向けるのではなく、
>悲観としてこれを受容し続ける判断がある。
>そしてその自我の振る舞いは無意識なのでこの現象自体を自意識には気がついていない」。

「内向性のストレスがあり、悲観としてこれを受容し続ける判断がある」
というのは、つまり『内向性のストレスは自分の中に押し込めている』
ということなのでしょうか?
それは無意識に行われているので、僕自身は全く気づけていないということですか?


>本来欲求というものは「行動」として実行(失敗や成功等の結果はほとんど関係無い)され代謝しますから、
>そもそもその欲求が内向(自己内)へ向いても実現される筈がありませんから答えは常に「できない」となります。

欲求が「行動」として実行され代謝される、
ここで代謝されるというのは、
外部への欲求をみたす行動をして満足になるという意味ですか?
で、僕の場合の欲求の方向性は自分の内部へ向いているので、
常に実行することができなくて満たされないということですか?

>「その内向性ストレスによる無理な要求(=常に答えは「できない」)」が
>慢性的な緊張状態を生み出しそれが”頭痛”の症状となっている、
>と考えるべきでしょう。

僕の中にある内向性ストレスによる無理な欲求、つねに結果はできない、
というのが慢性的な緊張状態を生み出し、
頭痛の原因ですか・・・?
僕の中にそんな慢性的な心因性のストレス『強迫(脅迫)傾向がある』が
あるのですか?
あるとしたら一体、どんな心因性のストレス(強迫傾向)があるのですか?
僕には全くわからないのですが。


>それだけ強い強迫傾向を発揮する機能や権限は、
>自我の中でも躾や善悪の判断等『親子関係を発端とする部位』にしか存在しません。

僕の強迫傾向ってそんなに強いんですか?

>頭痛の原因は、いじめではなく
>(いじめにより個別の苦痛については否定しませんが)
>その原因は”過去の親子関係”である。

そんなに僕は自分の母親との間で、
ひょっとしたら父親も関係あるのかもしれませんが、
そんなにすごく強い慢性的な強迫構造があるのですか・・?
今の僕には特にそうは思えないのですが。

>これからの対処法ですが、複数の選択肢がありますから
>(マッサージを受けてみる・カウンセリングを再開する・
>気分転換の趣味の活動を活性化させる・精神分析的アプローチを模索する等)後
>は自己決定で選べな良いのですです。ひとまず「じっくり考える」のもいいでしょう。

個人的には過去の親子関係が問題なら、
精神分析的アプローチが一番のように思います。

これは普通の心理士によるカウンセリングで可能なのでしょうか?
それともkagewariさんとの有料メール相談がベストなのでしょうか?
もしkagewariさんとの有料メール相談を行っていくとしたら、
僕が抱えているという
「慢性的な心因性のストレス「強迫(脅迫)傾向がある」」は
有料メール相談で治っていくのでしょうか?
そして頭痛はなくなるのでしょうか?

ただ、今の僕にはまだちょっとボーゼンとしています。
kagewariさんが言われた、
いじめで慢性的な緊張性頭痛がおこらないのなら、
やはり親子関係なのかなぁ。。。と。
いじめのトラウマによる『慢性の頭痛』の可能性はないのでしょうか?
もっとも思い出せるいじめは2,3しかありませんが。
それとも無意識下に抑圧されているいじめの記憶が、
大量に残っていて、それを一つ一つ思い出して、
その気持ちを十二分に味わってあげなければいけないのかなと、
いろいろ素人ながら考えています。


そして、もしよろしければ、
僕が僕自身の心を理解するための
このような僕自身の無意識に存在する、
慢性的な心因性のストレス、強迫(脅迫)傾向等に
関しての参考文献、書物などがあれば教えていただけないでしょうか?


長文もうしわけありません。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
702 全体の流れと結論から説明しましょう kagewari 2006/12/02 01:03
後半に今回の個別の質問に対する返信とします、
全体の流れと結論を最初に説明し後半はその論証の形になっています。

個別の話から以下の内容が認められます。

非常に強く誇張され象徴化された母親のイメージが存在しています。その象徴化された女性像は反抗期よる幻滅(幼児特有の誇大視による誤解が現実レベルに還元されるため)として本来現実的なイメージへ移行するものなのですが、その象徴化が現実の女性像に還元されていません(以降=異性への関心が完全に社会の場に変わる)。
それは現在も『象徴化された母親像(イメージ化)に誉められたい、誉められなければ絶望だ』のような強迫構造が定着しています。
それは「何でも完全にスキルとして身に付けヒーローでもあるかのような人物への憧れ」のような非現実的な願望として自意識に認識され(強迫構造自体は無意識なので)、一生かかっても読みきれない本として緊張性ストレスの原因となっている。
>とにかく極めなければいけないと、無意識に思うタイプです。何故か極めたいと思うのです。
強迫というのは、一市民には合理的には不可能な非現実的な要求を自分に課す(一生読めない本)事により「何をしていようと」「どこにいようと」本人に恒常的緊張(やらなければならない事)を強いている(=強迫)。

「いじめ」がトリガーのなった背景は以下の構造によります。
そもそも人間は平等でありそうそうそのパフォーマンスには個人差がない(努力に繋がる動機形成と興味のある分野の相性問題だけ)ため、ただ漠然とスーパーヒーローのような人間でありたい、むしろそうでなくてはいけない等というストーリーのナンセンスさに本人の自意識は薄々気がついていて、
その環境下で「いじめ」というスーパーヒーローどころか一般人からも軽蔑されるような扱いをうけ、ここで(それまでどうにかこうにか維持してきた)人格構造は破綻をきたし同時にそれは「元々自分が自分自身に対して薄々感じている疑念=自分は単にどこにでもいる普通の男に過ぎない」を抑圧されていた領域から一気に表面化させるに至った。
このいじめの対象者に投影されている「自分の地位を貶める存在」は自分自身の自意識が投影されたものであるため、記憶の印象も「不安(そのシュミレーションは自分自身が自分に抱いている不安)」の形式であり個別他者との「ライバルとの激闘」のような印象記憶になっていません。
これを証明している連想は
「自分の好きなことをやると無意識に」=「又いじめられるのでないかとの恐怖感が生じる」となる。
■これをデ・コードするなら
「自意識の自然な自分で自然な欲求を持つと」=「(一生読めない本的)そんな事しているからお前は嫌な奴なんだ」という自分自身に構造化されている強迫によりオートマチックに不安になる、といえます。

関連性から言うならいじめを知った母の態度「母が涙を流していた姿」は、本人の深層心理では情けない自分への失望(=これが全てを悲観視する内向性の自己愛的代謝「一種のカタルシス効果」)の連想を形成している。

同様の表現が異性関係への印象にも散見されます
>非常に難しい勉強をなんとかして理解しなければいけない、
そして彼女をつくらなければいけないと、

この大学研究者の話は、単に自分自身で選んだ研究テーマに過ぎず(そもそも大学の研究などその過半が趣味的道楽と置き換えてもいい貴族的趣味性にも似た存在)「そして彼女をつくらなければいけない」には何ら関連性がありません。
「大学院に行くと彼女ができる」
「大学院にいけない人間には彼女はできない」
こんな現象はこの世には無いからです。
つまりここには、スーパーヒーロー的活躍と象徴化された女性によるこれの寵愛がワンセットに構造化している証明であり、そもそも超人的に何かがスキルとして身につくという発想が「そうしなければならない、それができなければそんな自分には絶望だ」のような脅迫(強迫)構造が成立している事を意味しています。

そして、臨床心理士の女性に対する誤解
>可能ならば、その心理士さんに抱きしめてもらいたかったです。母が子を抱きしめるがごとく。
臨床心理士は歯科医の助手に似た存在です。
「これから歯のクリーニングをします」と言っている歯科医助手の目を見つめて、歯医者の治療椅子でひとことも口を利かない。
あまりにも飛躍しすぎた言動です。
正直「あの、ちょっとだいじょうぶですか?」ぐらいの不快感を臨床心理士は感じます。
上記のような現実離れした異性に対する期待感は、同様に象徴化された異性(母親的)との依存関係を軸とした強迫構造を証明しています。

■つまり全体像から言うなら、「イメージとして象徴化された女性に寵愛される超人的な自分」という概念は既に具体的な現実から離れた空想でありその誇大視には『限界が無い(具体的事実関係ではないため)』ので、恒常的に自分自身を「あれもできなければいけない」「これもできなければいけない」という形で、緊張を強いている事に繋がっている。
この構造をなんとか高校まで「なんとかかんとか維持してきた」が、それは「いじめ」を発端とする認識の変化によって、「脆くてそもそも現実性に乏しい強迫に過ぎない」として自意識に表面化した。

その時「僕の人生は何なんだ」的に反抗期に移行して、母親を原型とする象徴化された女性像が現実の女性(社会的他者)への還元されていれば強迫構造の一部は崩壊した可能性があったでしょう(思春期ですしね)。
しかし、それは強迫構造的自我(=幼児期に形成された自我)にとって自己保存的に拒絶され(自分は変わらなくちゃいけないと思う事は誰にでも怖い)、

それを

「我慢した」。

>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

さて、個別の質問に答えます。

>上記の毎日ヴァファリン愛用や肩こり漢方薬の愛用というのの、意味がちょっとよくわからないのですが。

先ず通常頭が痛ければ「あーこれは頭痛薬を」と市販の薬を飲むものです。つまり能動的対処=「頭痛だ」と個人的に解決する方法を直感的に選択する(病院に行くのが遅れるぐらい、そういった面の人の感受性は本来鈍感です)。
ところが本人自身も「これは精神科だ」と思うには、症状の激しさだけでなく「なんとなくこれは大問題」的に薄々「これは心理的問題である」といった自覚がなければいけませんし、同時にそれを大問題化する事で一種の自己陶酔的な悲劇的興奮によって鬱積している思いを代謝させたいという深層心理の存在を証明します。
つまり「鬱積している」=「以前から恒常化している」。

>いじめのトラウマというのは心因性のストレスにはなりえないのですか?
これは前回説明したとおりです。
同時に私自身トラウマ論を書いていますが
ブログ記載事例参照
トラウマ論の再考
他にも多数記載があるので、それ以外は以下のサイト
Kagewari 精神分析相談事務所・沖縄分室
ここのサイト内検索で探して読んでみて下さい。
今回のケースについての説明は冒頭の部分で説明済みなので割愛します。

断言しますが「いじめはトリガーに過ぎません」。
プログラマであったとの事なので、他の事例で説明しますが、「いじめはトリガーである」というのは「間違ってブラウザクラッシャー踏んだ」ようなものだからです。
それ以降自分自身のシステムのセキュリティーが心配になりますよね。確かに迷惑なサイトも個別に問題ですがこれはシステムそのものの構造的問題だからです。

又急性の鬱症状となりこれが強いフラッシュバックにより継続する事例は戦争後遺症として有名なPTSDとして知られていますが、このケースは『直観像(画家の才能のひとつのように)』のように鮮明に記憶から外せない強い外傷性の記憶によるものであって、あまりの鮮明さに今この時も記憶が追体験として再現されつように感じるストレスで(戦争後遺症の場合悪夢で目覚めて「枕元の銃を暴発させてしまい自分の足を撃ち抜いた」のような事例もあります)その当該個人の感受性のあり方にも依存する部分もあるのです。通常はあまりにも凄惨だったりする衝撃で、これが直観像として記憶されると考えられますがその記憶の流れにはやはり個人差があると言わざるえを得ません。
システムで言うなら、プリントスクリーンで保存したDATAが何度削除しても削除できないというような外傷性ストレスであって、今回の相談事例とは明らかに異なっているのです。

>「慢性的な強迫構造」から目をそらしたいのでしょうか?僕にはその自覚がないのですが・・。

「無意識に」というのは、自意識には感じられないと言う意味です。
デスクトップの環境から見えなくても、システム自体に不安定要因がある時、これに該当するソフトを動かさない限り通常は問題無く動作しますし、グラフィカルユーザーインターフェイス上は発生したトラブルが何なのかわかりません。

>> 結婚に関して考えるなら「相手はどんな人がいいだろう?」だからです。

>ちょっと意味がよくわからないのですが、優しい心をもった温かみのある女性がいいです。
>ですが、結婚となるとやはりちゃんとした仕事ができなければいけません。

繰り返しになりますが、私が暮らしている東京では「晩婚が常識」ですし、地方のように「男女が関係すればさあ結婚」等と言う発想はむしろマイナーです。仕事一本で恋人はいても結婚自体は眼中に無いって生き方も珍しくはありません。
「結婚となるとやはりちゃんとした仕事ができなければいけません。」そんな必然性は常識にもなっていません。
結婚がメジャーじゃないからです。
東京には「彼氏はフリーターで音楽やってて、全然食えない」それを聞いて驚く人はいません。

本来具体的にどんな異性が好きなのか?
これを考えて、そんな人と相性のいい自分でありたいと考えるのが自然な動機であって、具体的なイメージもなくいきなり「結婚」であるのは結婚願望(強迫)下の一部の女性だけの発想です。
わかりやすく言うなら、相手がまだいない時から結婚の心配をするのは飛躍しすぎだと言う意味に解釈してもいいでしょう。
その飛躍が起きる理由は
「象徴化された女性像の原型が母親=結婚している」からです。

>杞憂
杞憂(きゆう). (意味)あれこれ無用の心配をすること
辞書検索です。
自分に課した必要の無い「しなければならない」の実現を「心配している」様ですよ、つまり強迫構造。
本来、最初からそんな事しなくてもいいのですから。


>>悩みが解決すれば解消しますし、

>悩みが解決するというのは、『慢性的な心因性のストレス「強迫(脅迫)傾向がある」という悩み』が解決することを意味しているのでしょうか?
その強迫構造が「何を前提としていて」「自分はそれをどんな風に誤解しているのか」その構造を理解し、納得した時に構造自体が消えていきます。「解放される」に近い認識です。
ここは直前の相談者のnakaさんのスレッドご覧にいただければ解説が詳しく記載してあります。

>僕の場合は治療法は見つかっているのでしょうか?
ここもPC関係を事例に説明します。
よくPC初心者の方は、システム上の問題が発生した時に「PCが壊れたから直し(治し)て」と言いますね。
当然PCに詳しい人なら「いゃぁ壊れているのじゃなくて、システムの問題だから復元なりアップデートかけてみよう」と説明しても「それで直る(治る)の?」と言われて苦笑するシーンありますよね。
極端な話「部品は変えなくてもいいの?」ぐらいに飛躍します、
ドライブレターが変わっただけなのに「繋がらなくなったから直し(治し)てくれ、PC壊れたんですけど」みたいな、

精神的な悩みというのは、ロジカルな問題であっていかにシステム上の問題に「言葉(ことば)」という「言語(げんご)」で修正のプログラムを構築するのかみたいな話なんですよ。
精神分析とは、「こういうテストデータ流すと必ずこうなってますから、ここのこの部分に問題があると言えるでしょう」と、そういったアナライズの事なので、修復は「自然に備わっている自己回復による」のです。
人間の自我は、プログラムのような硬性のロジックではなく、有機的な言葉の組み合わせと連想のシステムです。
つまり葛藤や自己嫌悪の構造とは、「論理矛盾している変数」のようなもので、自意識による制御がいくら正常でもシステムとして問題を抱えているようなものなのです。
これを解決する方法が
「精神分析されたレポートを元に、自分自身でデバッグする」
「言葉により考え内省(内面を省みる事)する」という過程となります。「この時自分は何をどう誤解し、その結果事実関係をどう(常に)誤解していたのだろう?」
悩みの原因を外側に見出そうという思考は、つまり内省(自分自身を振り返る行動)を避けるための方便になります。
つまりデバッグを回避するために、システムを問題にするのではなく、ハードの環境のせいにしたい。これにより自分自身のシステムを温存できますから=自己保存欲求により自我構造の問題も同時に保守されてしまうのです。

解決するのか?
分析レポートは「自分自身に投げられたボール」のようなものです。
これをどう受けるのか?或いはどう投げ返せばいいのか?
それを選択するのは彼方自身になります。
「多少なりとも問題のある人格でも、これを自分のアイデェンティティーだと選ぶ」って道だってあるのですから。
本来あるべきカウンセリングとは、その内省の過程をモニターし考えの流れる方向に誤りがあればこれの方向を修正して、相談者の人格が固有の負荷も無く自然に考えている状態なのか確認する作業です。


>「内向性の代謝」
これの意味ですが、欲求と言うのは必ずしも行為の成功によって完結するのではありません。「野球の帽子が欲しい」⇒「馴染みのスポーツ店に行く」⇒「好きな球団のは品切れだ」⇒「今日は諦めた」
最後にがっかりした感情を残し欲求は代謝します。
しかし、それが煮え切らない時
「野球の帽子が欲しい」⇒「あるんだかなないんだか要領を得ない店員がいた」⇒「仕方なく帰る事にしたが・・・」この欲求は完結していないので翌日も続きます。
しかし、
「野球の帽子が欲しい」⇒「あるんだかなないんだか要領を得ない店員がいた」⇒「なにやってんだお前」⇒「おかしな事言うな」⇒「もういい帽子なんてな、最初からどうでもいいんだボケ」興奮をともなった激怒とともに欲求は代謝します。

つまり「〜っ感」のような証明は感情の起伏によって確認されるので激しい落ち込みや、自己嫌悪による不快感でも「完結する(=しなくてもよくなる)」のです。
しかし、満足度から言えば当然この内向性の代謝(「僕にはできっこないんだ」のような興奮)は、時間稼ぎぐらいにはなっていても、当然その満足度は低いので、それを激しい方向に繰り返したり(より深く落ち込んだり)、自傷行動のようにより激しい興奮を伴う完結性を求めたりします。人の自我は「経験上実効性の高い記憶から次の行為を選択します」から、その内向性の落ち込み等を反復してしまうと、依存症とも言えるぐらいに「実際に行動に移すのではなく、内向化の傾向が定着していまう」事があるのです。これが鬱構造です。
依存症のような形に似ています。

>僕の場合の欲求の方向性は自分の内部へ向いているので、常に実行することができなくて満たされないということですか?

上記の説明でこの部分の解答になっていると思います。

>精神分析的アプローチが一番のように思います。これは普通の心理士によるカウンセリングで可能なのでしょうか?

ここについても前のスレッドのnakaさんとのやりとりに詳しく説明していますので、参照してみてください。

>そんなに僕は自分の母親との間で、ひょっとしたら父親も関係あるのかもしれませんが、そんなにすごく強い慢性的な強迫構造があるのですか・・?

ここに、自意識が強迫傾向に薄々感ずいている事が「証言」されています。
真っ先にあがった人物は『母親』です。
重要な事ですが、ここで「ひょっとしたら父親も関係あるのかもしれませんが」と述べられていますが、ここは恐らく「そんな自分と母親との関係に至る経緯は”父親”の振る舞いが影響しているのかもしれない」と解釈できるでしょう。

このレスは、厳密な精神分析ではありません(プラいヴァシーに関わる詳細な情報によっていないので、あくまで概論になります)。ですからその部分のコアについて何が起きて、何がどんな認識になっているのかその詳細を説明する事は出来ません。

>参考文献、書物などがあれば教えていただけないでしょうか?
HPに心理学テキストがあります(未完成ですが)。
又以下のブログには、
Kagewari 精神分析相談事務所・沖縄分室
80本以上のメンタル関係のエントリーがあります。
又同ブログには、参考図書もアマゾンのアフェリエイトリンクとして紹介してあります。

ただ参考文献については、こちらも前のスレッドnakaさんとのやりとりに記載がありますが、精神分析関係の書物は自我の防衛反応があるとその意味を誤解するばかりで理解する事はできません。
ですから、いたずらに素人考えで読んでもそれが逆効果になる事もあります。
ですから、参考に何かを読むとするなら上記で紹介したHPのテキストやブログのエントリー、そして何にもましてこの掲示板上の他の相談者の方のスレッドを読む事から始めるべきだと思います。
705 すみません、もう少しお願いいたします 頭痛を持っている患者 2006/12/02 13:27
こんにちは。
大変わかりやすい解説、回答ありがとうございました。

それと前回書き忘れていたのですが、
僕は大学生のころインターネットのチャットで
彼女を一生懸命作ろうとしていました。
なぜチャットなのかといわれると、
よくわかりませんが、チャットが手軽だったからだと思います。
そして何ヶ月もかけてチャットで口説いた女性、
知り合った女性と付き合いました。
ただ、その女性は沖縄在住だったので、
僕は当時鹿児島大学生だったので、沖縄までバイト代などで
会いにいったりしていました。
もっとも相手が付き合いをオッケーしてくれてから、
何ヶ月かたったときに、相手のルックスが余り好みでなかったのと、
でも本当に心優しい温かい女性だったのですが、
別れてしまいました。
それからも女性のメール友達をつくって、
なんとかして会おうとひたすら努力していました。
それでも結局は彼女はできませんでしたが。
僕自身は人間関係が狭かったので、
そういうネットというツールが一番手っ取り早かったのです。


>非常に強く誇張され象徴化された母親のイメージが存在しています。その象徴さ
>れた女性像は反抗期よる幻滅(幼児特有の誇大視による誤解が現実レベルに還元
>されるため)として本来現実的なイメージへ移行するものなのですが、その象徴
>化が現実の女性像に還元されていません(以降=異性への関心が完全に社会の場
>に変わる)。

そうですか。
確かに僕は中学・高校生の頃には母親に激しい反抗期のような
ものはありませんでした。勉強はしていませんでしたが。
勉強をしていないことに対して母親は良く怒っていました。
そして母親は僕のことを、
反抗期らしい反抗期はなかったと言っていました。
ただ、僕は興味のない勉強はしたくなかったので、
興味のある数学や物理だけをやってました。
そして母は僕が高校卒業後、すぐに他界しました。
そして僕は女性にもてないので、
ほとんどまともに女性と付き合ったことがありません。
『その象徴された女性像は反抗期よる幻滅』というのは、
本来なら反抗期において現実レベルに還元されるということですか?
つまり母親も普通の人間だというように思うということですか?
僕は母親は普通の人間だと思っているのですが。

>それは現在も『象徴化された母親像(イメージ化)に誉められたい、誉められな
>ければ絶望だ』のような強迫構造が定着しています。
>それは「何でも完全にスキルとして身に付けヒーローでもあるかのような人物へ
>の憧れ」のような非現実的な願望として自意識に認識され(強迫構造自体は無
>意識なので)、一生かかっても読みきれない本として緊張性ストレスの原因と
>なっている。

象徴化された母親像(イメージ化)に誉められたい、誉められなければ絶望だ』のような強迫構造のために、僕自身が「何でも完全にスキルとして身に付けヒーローでもあるかのような人物になりたい」という強迫観念をもっているということですか?
自宅にあるたくさんの本が無意識に僕に大きな緊張性ストレスをあたえているのでしょうか?
それらの本は処分しなければいけないのでしょうか?
これらの本を全部理解できたらいいなぁとは思いますが。
時間をかけてゆっくりとやっていければいいなと思ってたのですが。


>強迫というのは、一市民には合理的には不可能な非現実的な要求を自分に課す
>(一生読めない本)事により「何をしていようと」「どこにいようと」本人に恒
>常的緊張(やらなければならない事)を強いている(=強迫)。

僕の中に存在してる強迫というのは、
『象徴化された母親像(イメージ化)に誉められたい、誉められなければ絶望だ』のような強迫構造のために、
『スーパーヒーローのような人間でありたい、むしろそうでなくてはいけない』
と、無意識に思っているという強迫構造ですか?
そういう脅迫構造を無意識に思う必要がなくならない限りは、
ずっと頭痛が無意識に発生していしまうのかもしれませんね。

>ただ漠然とスーパーヒーローのような人間でありたい、むしろそうでなくてはい
>けない等というストーリーのナンセンスさに本人の自意識は薄々気がついていて、
>その環境下で「いじめ」というスーパーヒーローどころか一般人からも軽蔑され
>るような扱いをうけ、ここで(それまでどうにかこうにか維持してきた)人格
>構造は破綻をきたし同時にそれは「元々自分が自分自身に対して薄々感じてい
>る疑念=自分は単にどこにでもいる普通の男に過ぎない」を抑圧されていた領
>域から一気に表面化させるに至った。

つまり、僕は中学生の頃から無意識のうちに、常々、
『象徴化された母親像(イメージ化)に誉められたい、誉められなければ絶望だ』な強迫構造を抱いていて、そのために「スーパーヒーロー」のようで
ならなければいけないと思っていて、
でも本当はいじめを受けるという行為によって、
自分が「スーパーヒーロー」どころではなく、
うすうす気づいている「自分は単にどこにでもいる普通の男に過ぎない」という、
抑圧された思いが一気に表面化され、
そのため「スーパーヒーロー」のようでなければいけないと思っていた自分と、
実際には「単にどこにでもいる普通の男に過ぎない」という現実との
ギャップに苦しみ始めたということですか?

>このいじめの対象者に投影されている「自分の地位を貶める存在」は自分自身の
>自意識が投影されたものであるため、
>「自分の好きなことをやると無意識に」=「又いじめられるのでないかとの恐怖
>感が生じる」となる。

というのはつまり、そういう恐怖感というのは、
自分自身が「スーパーヒーロー」でなければならないのに、
「単にどこにでもいる普通の男に過ぎない」という現実を突きつけられるから、
そのため恐れているということですか?
この自意識の投影というのは、自分が心にもっている、
「スーパーヒーロー」でなければならいというという思いに対して、
その「自分の地位を貶める存在」という意識を相手に思い浮かべたからですか?
でもなぜ好きなことをやるときに無意識にそういう気持ちが
発生してしまうのかが僕にはよくわかりません。
好きなことだから誰にも邪魔されたくないから、
過去の嫌なイメージが思い出されるのかなと思っているのですが。


>「自意識の自然な自分で自然な欲求を持つと」=「(一生読めない本的)そんな
>事しているからお前は嫌な奴なんだ」という自分自身に構造化されている強迫に
>よりオートマチックに不安になる、といえます。

ちょっと意味がよくわからないのですが、
自然な欲求をもつ=(一生読めない本的)そんなことをしているからお前は嫌な奴なんだ」の意味がわかりません。


>関連性から言うならいじめを知った母の態度「母が涙を流していた姿」は、本人
>の深層心理では情けない自分への失望(=これが全てを悲観視する内向性の自
>己愛的代謝「一種のカタルシス効果」)の連想を形成している。

ちょっと意味がわかりません。
僕は母が涙を流してくれいてる姿をみて嬉しかったのですが。
僕は深層心理では自分を情けなく思い、失望していたのですか?
決してそうは思ってはいないと思うのですが。

>>非常に難しい勉強をなんとかして理解しなければいけない、
>>そして彼女をつくらなければいけないと
>「大学院に行くと彼女ができる」
>「大学院にいけない人間には彼女はできない」
>こんな現象はこの世には無いからです。
>つまりここには、スーパーヒーロー的活躍と象徴化された女性によるこれの寵愛
>がワンセットに構造化している証明であり、そもそも超人的に何かがスキルと
>して身につくという発想が「そうしなければならない、それができなければそ
>んな自分には絶望だ」のような脅迫(強迫)構造が成立している事を意味して
>います。

確かに、僕はありのままの今のなんのスキルも身に着けていない、
そんな状態の自分ではダメだという思いが無意識に発生します。
研究者になりたかったのでなんとかして
勉強を理解しなければいけないというのは、
決して強迫構造だけではないとおもうのですが。
実際に研究内容は非常に自分にとって興味のある内容でしたから。
その当時、非常に彼女がほしくて欲しくてたまらなかったので、
彼女をつくろうとがんばっていたわけなのですが。
今ではせめてなんらかの仕事ができるようになれば、
できれば再びプログラマーができればいいなと思うのですが。
僕自身は今まで薬を飲みながら、転退職を繰り返してきて、
本当に絶望的だなと思っています。
前に勤務していた会社でも、
本当に一生懸命にがんばっていたのですが、
いかんせん僕にとっては難しすぎて、
うまくいきませんでした。
今はもう本当にいろんなことを頑張ってきて、
何もかも中途半端に終わってしまったので、
本当に今は激しく自己嫌悪しています。
こんな自分では全然ダメだと。
ただ、研究者というのが僕にとっては、
すごくあこがれの職業で、かっこいいというイメージがあり、
僕自身が論理的に追求していくという作業がすきだったので、
研究者になりたかったというのは複合的な理由だと思います。



>>可能ならば、その心理士さんに抱きしめてもらいたかったです。母が子を抱きしめるがごとく。
>上記のような現実離れした異性に対する期待感は、同様に象徴化された異性
>(母>親的)との依存関係を軸とした強迫構造を証明しています。

そんなに現実離れした期待感でしょうか?
どうしてこれが強迫構造を証明しているのでしょうか?
僕はこの心理士さんに褒められたかったです。
この心理士さんからもっと愛情のような温かみがほしかったです。
心理士さんの規約でクライアントと手を握ってもいけないという
理由はあるから求めることはしませんでしたが。

>「イメージとして象徴化された女性に寵愛される超人的な自分」という概念は既
>に具体的な現実から離れた空想でありその誇大視には『限界が無い(具体的事
>実関係ではないため)』ので、恒常的に自分自身を「あれもできなければいけな
>い」「これもできなければいけない」という形で、緊張を強いている事に繋
>がっている。

つまり、それは、
『象徴化された母親像(イメージ化)に誉められたい、誉められなければ絶望だ』のような強迫構造のために、
『スーパーヒーローのような人間でありたい、むしろそうでなくてはいけない』
と、無意識に思っているということですか?
そのため、常に自分自身に対して、
「あれもできなければいけない」「これもできなければいけない」という形で、
緊張を強いているのでしょうか?

>この構造をなんとか高校まで「なんとかかんとか維持してきた」が、それは「い
>じめ」を発端とする認識の変化によって、「脆くてそもそも現実性に乏しい強迫
>に過ぎない」として自意識に表面化した。

説明が遅れましたが、いじめ自体は中学1年生ぐらいの頃からあったように思います。
それに中学生になってからは勉強も自分の好きなことしかせず、
母親が勉強しろと怒っても勉強はしなかったので、
決して、「あれもできなければいけない」「これもできなければいけない」と
思っていたわけではないと思うのですが。
で、すこしずつずっと中学・高校6年間の間にいじめがあったわけなんですが。


>その時「僕の人生は何なんだ」的に反抗期に移行して、母親を原型とする象徴化
>された女性像が現実の女性(社会的他者)への還元されていれば強迫構造の一
>部は崩壊した可能性があったでしょう(思春期ですしね)。
>しかし、それは強迫構造的自我(=幼児期に形成された自我)にとって自己保存
>的に拒絶され(自分は変わらなくちゃいけないと思う事は誰にでも怖い)、

強迫構造の一部は崩壊した可能性があったでしょうというのは、
『象徴化された母親像(イメージ化)に誉められたい、誉められなければ絶望だ』という強迫構造が崩壊したかもしれないということですか?
もし僕に彼女とができていれば。
僕にはほとんどまともに彼女ができたことがありません。
はっきりいって女性との付き合いが非常に下手です。

強迫構造的自我(=幼児期に形成された自我)にとって自己保存的に拒絶され(自分は変わらなくちゃいけないと思う事は誰にでも怖い)というのは、
『象徴化された母親像(イメージ化)に誉められたい、誉められなければ絶望だ』のような強迫構造を変えるという行為は、
今までの自分の心に存在しているものを大きく変化させるのは、
誰にでも怖いからできないまま今に至っているということですか?

>「我慢した」。
この我慢したというのは、
『象徴化された母親像(イメージ化)に誉められたい、誉められなければ絶望だ』のような強迫構造のために、
『スーパーヒーローのような人間でありたい、むしろそうでなくてはいけない』
と、思っていたが故に、我慢し続けたということですか?
それとも象徴化された母親像(イメージ化)に誉められたい、誉められなければ絶望だ』のような強迫構造を変えるのが怖かったということですか?
それともその両方ですか?
僕自身には当時はそんなふうには思っていたのかどうか、
ちょっと疑問なんですが。無意識に思っていたことならそうなのかもしれませんが。
ただ、いじめを受けていた当時から、
ずっと心の中では自分が「アニメか何かのスーパーヒーローになっている空想」
をしょっちゅうするようになっていました。
今でも、回数は少なくなりましたが、
「アニメか何かのスーパーヒーローになっている空想」をするときもあります。

>ところが本人自身も「これは精神科だ」と思うには、症状の激しさだけでなく?
>「なんとなくこれは大問題」的に薄々「これは心理的問題である」といった自覚
>がなければいけませんし、同時にそれを大問題化する事で一種の自己陶酔的な悲
>劇的興奮によって鬱積している思いを代謝させたいという深層心理の存在を証明
>します。
つまり「鬱積している」=「以前から恒常化している」。

これはいじめのストレスがたまりにたまって、
緊張性頭痛が生じて精神科に行ったと思うのですが。
一種の自己陶酔的な悲劇的興奮によって鬱積している思いを代謝させたいという
のは一体どういう意味でしょうか?ちょっとわかりません。
以前から恒常化しているというのは、もう中学・高校と6年間のいじめが
ずっと続いていたので、それの恒常化という意味だと思ったのですか?
ちがうのでしょうか?
それとも「スーパーヒーロー」のようでなければいけないと思っていた自分と、
実際には「単にどこにでもいる普通の男に過ぎない」という現実との
このギャップの蓄積という意味でしょうか?

トラウマに関してですが、
>このケースは『直観像(画家の才能のひとつのように)』のように鮮明に記憶か
>ら外せない強い外傷性の記憶によるものであって、あまりの鮮明さに今この時も
>記憶が追体験として再現されつように感じるストレスで

つまり僕のように鮮明に記憶が追体験されるわけではない場合は、
トラウマとはいえないと言うことでしょうか?
つまり、僕のような慢性的に頭痛が生じていて、
それほどいじめのことが2,3思い出されることはあっても、
特に日常生活においてストレスを与えるものがないというのは、
強迫構造が定着していて、いじめはそのトリガー、引き金、
その強迫構造を自意識に引き出したということですか?
ただ、前にも書かせてもらいましたが、
今でもいじめの夢を見たりします。
夢の中では高校生に戻っていて、
そこでいじめを僕にしてきたやつが夢の中でできて、
僕がそいつに殴りかかるというような、
非常に露骨な夢を見たりしています。
ということがあっても、やはりいじめはトリガーにすぎないのですか?
今の頭痛の症状とはあまり関係ないのですか?


>相手がまだいない時から結婚の心配をするのは飛躍しすぎだと言う意味に解釈し
>てもいいでしょう。
>その飛躍が起きる理由は
>「象徴化された女性像の原型が母親=結婚している」からです。

これだけ結婚を意識してしまうのは母親という存在が結婚していて、
そのために母親に対する意識から結婚を無意識に
強くイメージしてしまうということでしょうか?

>その強迫構造が「何を前提としていて」「自分はそれをどんな風に誤解している
>のか」その構造を理解し、納得した時に構造自体が消えていきます。「解放され
>る」に近い認識です。

その強迫構造を理解するに当たって、
>精神的な悩みというのは、ロジカルな問題であっていかにシステム上の問題に
>「言葉(ことば)」という「言語(げんご)」で修正のプログラムを構築するの
>かみたいな話なんですよ。
>精神分析とは、「こういうテストデータ流すと必ずこうなってますから、ここの
>この部分に問題があると言えるでしょう」と、そういったアナライズの事なの
>で、修復は「自然に備わっている自己回復による」のです。
>「精神分析されたレポートを元に、自分自身でデバッグする」
>「言葉により考え内省(内面を省みる事)する」という過程となります。「この
>時自分は何をどう誤解し、その結果事実関係をどう(常に)誤解していたのだろ
>う?」
>悩みの原因を外側に見出そうという思考は、つまり内省(自分自身を振り返る行
>動)を避けるための方便になります。

このような精神分析されたレポートを元に、
自分自身を内省していくということですか?
事実関係の誤解を僕は理解することができるのでしょうか?

>解決するのか?
>分析レポートは「自分自身に投げられたボール」のようなものです。
>これをどう受けるのか?或いはどう投げ返せばいいのか?
>それを選択するのは彼方自身になります。

kagewariさんとしては、
僕自身の分析は難しそうですか?
今はお金がないので、もしお願いするとしたら、
12月の20日前後になると思います。
kagewariさんがもし分析をしてくださるというのなら、
僕に対してはある程度、今までのやりとりで、
目処はたっているのでしょうか?
もっとも、kagewariさんがどのようなやり方で精神分析を行うのか、
まったく想像がつかないので、
自分がなにをやることになるかも想像できません。
投げられたボールに関しては、
この頭痛が起こらない方向に受け止めたいと思ってます。

>満足度から言えば当然この内向性の代謝(「僕にはできっこないんだ」のような
>興奮)は、時間稼ぎぐらいにはなっていても、当然その満足度は低いので、それ
>を激しい方向に繰り返したり(より深く落ち込んだり)、自傷行動のようにより
>激しい興奮を伴う完結性を求めたりします。人の自我は「経験上実効性の高い記
>憶から次の行為を選択します」から、その内向性の落ち込み等を反復してしまう
>と、依存症とも言えるぐらいに「実際に行動に移すのではなく、内向化の傾向が
>定着していまう」事があるのです。これが鬱構造です。
>依存症のような形に似ています。

すみません、意味が良くわかりません。
内向性の代謝(「僕にはできっこないんだ」のような興奮)というのは、
やる前から自分には無理なんだとあきらめてしまい、
なんらかの行動を起こさないということですか?
『「実際に行動に移すのではなく、内向化の傾向が定着していまう」事があるのです。』というのはどういうい意味でしょうか?
それは、より深く落ち込んだり、自傷行動などの、
自分の内向きの行動?が癖になってしまうということですか?
結論から言うと、内向性の代謝というのは自分の殻に閉じこもってしまうということですか?


>>そんなに僕は自分の母親との間で、ひょっとしたら父親も関係あるのかもしれ
>>ませんが、そんなにすごく強い慢性的な強迫構造があるのですか・・?
>ここに、自意識が強迫傾向に薄々感ずいている事が「証言」されています。
>真っ先にあがった人物は『母親』です。

母親を上げたのは、母親が一番僕の中でやりとりがあって、
父親とはほとんどやりとりがあまりなかったからです。
そしてこの前、いじめの当時、起きていたことを紙に書くという
セルフカウンセリングという作業をやりました。
その作業では涙はでませんでした。
その当時、母は乳がんを患いながら、
僕や弟が学校をうまく過ごせておらず、そのことを
母はかなり悩んでいたらしいです。最近、祖父母に聞いたところ。
ただ、アルバム(母が写っている写真)を振り替えり、
母がどういう気持ちだったのかを考えると、
すごくすごく涙があふれてとまりませんでした。

ここまで読んでくださってありがとうございました。
すみません。
まともりのない長文の文章で。
706 個別の質問に答えましょう。 kagewari 2006/12/04 04:19
概略となる悩みの”構成”は前回の返信における結論に修正ありません。むしろ今回の質問でよりその証明はは深まって(プルーフ)されています。
ですから今回はその証明部分となる個別の質問にお答えします。

>『その象徴された女性像は反抗期よる幻滅』というのは、本来なら反抗期において現実レベルに還元されるということですか?
>つまり母親も普通の人間だというように思うということですか?僕は母親は普通の人間だと思っているのですが。

反抗期と言うのは、「自分の母親は美人で料理が上手だ」のような幼児特有のデフォルメが、「なんや年増のオバハンやないか」とその現実に気がつくことです。
特に思春期には、異性(他人)への関心が強いですからこの幼児特有の勘違いを一瞬自分の責任(誤解)だと思えないのです。
なんて言えばいいしょうか、正確なたとえじゃやありませんが「騙された」のような反発が起きるので必要以上に些細な事に反発したり、そもそも一緒に外出する事自体に不快感を感じたりします。
しかし感情的な反発は一時期で解消し、「彼女は”自分と血縁関係にある他人の女性”であり、しかも個人的に恩がある」のように過去の記憶(家族の)が再評価されます。

ここが一番大事な事ですが、
「母親は子供を大事にして当たり前」というような幼児特有の決め付けから、「この女(ひと)にも個人としての人生があり、個人としての希望もあったろう。そん中で彼女は子供に対してその個人の時間を”母親”と呼ばれる在り方で選択したのだ」とその女性に対する個人的な敬意であったり、恩義であったりという判断にフェーズが変わるのです。同時に母親の個人の人生というものを客観的に初めて知る事にもなります。
■「母親は子供を大事にして当たり前」のような甘えを捨て、個人的な関係として「昔親子であった縁を大事(評価)し」自分は大人(他人)になる。
これが反抗期です、
反抗期以降は家族との関係が疎遠になるのが普通ですし、それはその後個人として独立するための心理的準備にもなります。
同時に他人に対する敬意や、自分の意志による選択の大事さとその責任。これを(親の人生を個人の選択と知ることにより)自覚する事になります。ですから、それ以降活躍の舞台は家庭を離れ「社会」となるのです。

当然
◎「この女(ひと)にも個人としての人生があり、個人としての希望もあったろう。そん中で彼女は子供に対してその個人の時間を”母親”と呼ばれる在り方で選択したのだ」
この部分の結論が「そしてそれに失敗した」もあり得ます。

父親と呼ばれる男性との関係がギクシャクし婚姻関係に失敗してしまったり、昨今見受けられる虐待事例となったり、過干渉が原因で子供の精神的な部分にリスクを発生させてしまったり、そもそも育児の継続も難しく離婚した上で子供も施設に預けてしまったり、過干渉から子供の結婚にまで必要以上に干渉してしまったり。
そしてこれは犯罪としての虐待を除いて、社会的に”許されて”います。
離婚しても再婚できますし、昔子供を施設に預けた経験があっても何人も再出産に干渉する権利はありません。それが人権です、
人生なのですからね、失敗だってありますしそれからやり直す人生だってあるのです。「親は無くとも子は育ちます」、赤ん坊以外は子供だって立派な個人なんですから。
国はこれをどう考えるのかと言えば「子供は社会に保護されなければならない」であり、育児手当や児童相談所見方は違いますが少年法もあるのです。

この見方こそ基本的人権であり、個人の尊厳です。
つまり失敗した人生でもそれが”無自覚で安易な選択では無く”自意識が個人として当事者責任を自覚できる”行いならそれはそこには必ず尊厳というものがあります。生きた証の事ですよ、

つまり
「自分の親は、家族という時間的に限られた小社会で失敗した」
※「時間的に限られた小社会」=「子供は独立し、祖父母は死別し残るのは血の繋がらない夫婦(他人同士)だけ、そして連れ合いが先に逝けば残るのは私だけ」これが家族です(ですからコアメンバーである男女のカップル:夫婦の関係が最も重要な鍵になります)。
■「失敗していたとしても、その子供が大人になっていればその尊厳を認める事ができる」のです。
簡単に言えば「いい悪いとかの次元じゃ無いと」、それは歴史です。

問題なのは『親自身にも人格に強迫傾向があり”自意識が個人として当事者責任を自覚できる”行いでは無かった場合』です。
”大人になった”子供はその不条理をどう理解したらいいのか悩んでしまったり、強迫構造を受け継いで無意識に取り込んでしまいます。
ですから「親であった彼女(や彼)の幼児期に何があったのだろう?」という回顧も必要になってきます。
その回顧の後に「十分それ(失敗)が予測される背景」を認めることができるようになれば「そんな人生もあるのだな」と認めざるを得ない。
つまり反抗期とは、幼児期に形成された矛盾の多い自我が現実を前にリアルな形に還元される過程そのものなのです。
自分自身の「親に対する誇張された解釈」も自分の幼い自我の一部だからです。

「反抗期を通過して大人の認識(現実認識)を持つ」とはそんな意味です。


>象徴化された母親像(イメージ化)に誉められたい、誉められなければ絶望だ』のような強迫構造のために、僕自身が「何でも完全にスキルとして身に付けヒーローでもあるかのような人物になりたい」という強迫観念をもっているということですか?
>自宅にあるたくさんの本が無意識に僕に大きな緊張性ストレスをあたえているのでしょうか?それらの本は処分しなければいけないのでしょうか?

ここには二面性があるのです。
「象徴化された母親ぐらいの女性とつりあう男はスーパーヒーローのような人物だろう」と言う関連性。
「自分が望むのは象徴化(=過剰に美化された)された母親のような存在に寵愛されることだ」という欲求です。
後者の欲求は、無意識からのストレスを自意識として「(根拠の無い強迫と気がつかず)そうしたいのか」と思ってしまうときに起きる誤解で、
「象徴化された母親のような女性」既にこの瞬間「そんなビーナスのような女性は非現実的」ですから合理的欲求では無いのです=強迫=実現不可能な妄想。
前述の二者(つりあうスーパーヒーロー・自分の望む女性像)が組み合わせられると、自分の快感(寵愛)の条件は「スーパーヒーローになることが条件だ」と認定されてしまうのです。

つまり、現実の自分には到底不可能な条件が「今やらなければいけない事」と定義されてしまう。
『一生読めないような本をあっと言う間に読破する超人的研究者』の事ですよ。
そんな人間いる筈ありませんし、現実その人物はスーパーヒーローじゃありません、
何故なら真の研究者とは「イマジネーションを大事にする実践的な才能」の持ち主であり、何かと言えばやたらと本に頼るようなスーパーヒーローはいません。
この部分の想像でも妥当性を欠いている理由が「自分の母親だという乏しい理由で過剰に母親像を美化していしまっている、その根拠の曖昧さ」であって、つまり『美化された女性像』には現実としての具体性が無いのです。
簡単に言えば「会社の同僚の○子さんはどう思うか?」のような現実性が無い
「あら私本ばかり読む人嫌い」一発でナンセンスになりますから、
想像上の話なので、その寵愛を担保するとなると「具体的制限を失う」のです。
「何論と何論をマスターすればよい」のような具体性を失い「関連する全部の本を読まなければならない」と思ってしまうためです。
つまり、自分に課している課題(やらなければならないこと)が「無限大に近い状態」となる。
そのプレッシャーが恒常化し、緊張を強いているんですよ。
(本については後述します)

>自分が「スーパーヒーロー」どころではなく、薄々気づいている「自分は単にどこにでもいる普通の男に過ぎない」という、抑圧された思いが一気に表面化され、そのため「スーパーヒーロー」のようでなければいけないと思っていた自分と、実際には「単にどこにでもいる普通の男に過ぎない」という現実とのギャップに苦しみ始めたということですか?

違います。
自意識は(当然ですが)「自分はどこにでもいる普通の男に過ぎない」事を知っています。ところが、無意識では「僕はスーパーヒーロになって”あの象徴化された女性”に寵愛される」事を当たり前の自分の将来像だと思っているのです。
そして、後者の判断に今の自我は支配(強迫)されている。
なので一生かかっても読めない本を買ってしまったりするナンセンスな行動を取ってしまった(結果的には「強いられた」)のですよ。

つまり、いじめは「現実はそれどころじゃない」という現実をまざまざと知らせるキッカケとなり、それまで劣勢だった「自分はどこにでもいる普通の男に過ぎない」という認識を”表面化”させた。
この認識は無意識の決定事項「自分の将来像はスーパーヒーロである、いやそうに決まっている」という認識を破綻させたんですよ。その認識がどうにも合理的なものに思えなくなった。
実際「すごくあこがれの職業で、かっこいいというイメージがあり」=「現実の自分は今そうではないので」とコメントされていますから、前から薄々「自分はどこにでもいる普通の男に過ぎない」という合理的判断があったのは間違いないのです。

つまり

いじめにより「スーパーヒーロである、いやそうに決まっている」は破綻し、その時から「途方も無く努力してスーパーヒーローにならなきゃいけない」と前提が変わらざるを得なくなったんですよ。
しかも自意識では「自分はどこにでもいる普通の男に過ぎない=無理無理」と薄々気がついているんですよ。そして途方も無く努力するモチベーションは最初から無いんです。
だから「絶対に自分には出来ない事を、そうしなければならないと強迫し」そのプレッシャーを前に緊張を強いられるわけです。

しかし、この論理矛盾(前から薄々気がついていた)という気持ちは「いじめ以前」から無意識に鬱積していたので、いじめを発端とする破綻の衝撃はより大きかったのです。(心の準備ができていない・違和感の蓄積)
つまり「自分も最初からスーパーヒーローである必要性は何所にも無い事を知っていた」からですよ。


>この自意識の投影というのは、自分が心にもっている、「スーパーヒーロー」でなければならいというという思いに対して、その「自分の地位を貶める存在」という意識を相手に思い浮かべたからですか?
>でもなぜ好きなことをやるときに無意識にそういう気持ちが発生してしまうのかが僕にはよくわかりません。

つまり「好きな事をする」=「スーパーヒーロへの途方も無い努力の道への裏切り」=「怠けている」=「スーパーヒーローどころか今の自分は」=「いじめ」
この連想が以下となり
  ↓
>>「自分の好きなことをやると無意識に」=「又いじめられるのでないかとの恐怖感が生じる」となる。
「自分なんかスーパーヒーロどころか、一般学校社会でもヤバイんじゃないのか」という自分の現実的な心配の気持ちが、いじめを行っている人物に投影され思い出されるのです。
何故「自分がそう自分に語りかけているように思えずに、いじめの当事者に自分の気持ちを投影する形で思い出してしまうのか?」この理由ですが、
「自分はスーパーヒーロなんだ」という認識は前ほど自身満々では無くなっていても、今現在自意識が薄々気がついている判断「自分はどこにでもいる普通の男に過ぎない」によって覆されたのではありません。
つまり「自分はどこにでもいる普通の男に過ぎない」とこころの底から確信し「いやー意味不明に本なんか買っちゃってさ、ほんとバカだったな〜俺」等と覚醒されては困るので、その気持ちを深層心理に追いやったのです。
しかし、「自分はどこにでもいる普通の男に過ぎない」は現実ですからいくら追いやってもちらちらと表に出ようとする。

>いじめっ子は医学部を目指していて、
>僕も医学部を目指そうかと思っていた時期もあったのですが、
投影に十分な条件ですね「医学部」、関係はクロースしています。

「いじめを思い出す」という形で、それ(普通の男)が表に出ようとしているんです。
自分がそう思っている話にしなければ、その気持ちを奥に追いやりたいというスーパーヒーロ的強迫自我を刺激しなくて済みますから。
ある意味『一生かかっても読みきれない本』は教訓として残しておいても良いのです。
「一生読まない」と宣言して、


>>「自意識の自然な自分で自然な欲求を持つと」=「(一生読めない本的)そんな事しているからお前は嫌な奴なんだ」という自分自身に構造化されている強迫によりオートマチックに不安になる、といえます。

ここは前項で説明されています。


>>関連性から言うならいじめを知った母の態度「母が涙を流していた姿」は、本人の深層心理では情けない自分への失望(=これが全てを悲観視する内向性の自己愛的代謝「一種のカタルシス効果」)の連想を形成している。
>ちょっと意味がわかりません。
>僕は母が涙を流してくれいてる姿をみて嬉しかったのですが。僕は深層心理では自分を情けなく思い、失望していたのですか?決してそうは思ってはいないと思うのですが。

カタルシス効果:「たまっていたものが排出」され心の緊張がほぐれるようになる
これは悲劇を見た時等に似た激情(自己愛)をきっかけとし排出(完結=代謝)される行為です。
つまり「嬉しかった」のですよ。
スーパーヒーロにならなくても『あの女(ひと)』が涙を流して(自分について激しく感情をあらわにしている)様に。
つまり、彼女がスーパーヒーロになることでなく、『いじめられる子供』の悲劇性(=被害者性)に感情的になった事が。
落ち込み「僕はダメなんだ、精神を病んでいる」と悲観的(被害者的)に考える事ができれば「彼女と感情的な繋がりが持てる」事が証明されたのですからね。
前回の返信で指摘したような様々の根拠の乏しい悲観(杞憂)の動機ですよ。

本来ならスーパーヒーロになって寵愛を受ける筈が、「悲劇の主人公(これもヒーローの一種です)でもアリなのか」とこれまでとは違う選択肢が登場したのですから。

>そんな状態の自分ではダメだという思いが無意識に発生します。
>研究者になりたかったのでなんとかして勉強を理解しなければいけないというのは、決して強迫構造だけではないとおもうのですが。
>いかんせん僕にとっては難しすぎて、うまくいきませんでした。
>こんな自分では全然ダメだと。
>ただ、研究者というのが僕にとっては、すごくあこがれの職業で、かっこいいというイメージがあり、僕自身が論理的に追求していくという作業がすきだったので、研究者になりたかったというのは複合的な理由だと思います。

合理的とは「実現の可能性が合理的であるから」です。
「あこがれでカッコいいと思った」これじゃ動機になりません。思いつきレベルです、
研究者とは、その研究に強い関心があるから『研究している』んです。
研究は大学だけではなく、職場でも独学でも続けることができます。
何が大事かって「研究者は研究の成果、研究によって明らかになる自分の関心事項」が大事なんですからね、
成果のあがらない研究は、研究者としても不満足でしょうし、まさか「大学の研究員という称号が大事だ」なんて気持ちでは研究者として失格じゃないですか?
つまり、冷静に考えたら非合理的(実現性が無い)としか思えない事を「なんとかして勉強を理解しなければいけない」等のように考える事を、即ち「強迫構造と呼ぶ」のです。
彼方の自意識は、最初から「それはあこがれ(現実性に乏しい)なんです」と知っている筈ですよ、しかし「それが僕の目標でした」と完結しているのではありません。


>>>可能ならば、その心理士さんに抱きしめてもらいたかったです。母が子を抱きしめるがごとく。
>>上記のような現実離れした異性に対する期待感は、同様に象徴化された異性(母>親的)との依存関係を軸とした強迫構造を証明しています。
>そんなに現実離れした期待感でしょうか?
>どうしてこれが強迫構造を証明しているのでしょうか?
>僕はこの心理士さんに褒められたかったです。この心理士さんからもっと愛情のような温かみがほしかったです。

そのカウンセラーが男性だったらどうするのでしょうか?
男性のカウンセラーだって多いですし、私が心理コンサルタントしているNGOの心理士も男性です(基本的にスタッフは全員男性)。
■前のスレッドのnakaさん「心理カウンセリングを受けていますが不安です」を読んでください、カウンセラーとはいかなる職業でどうあるべきか論議されています。

カウンセラーは、話を聞きその考えにどんな偏向(強迫)があるのか聞き漏らさないように注意していなければなりませんし、そこで的確なアドヴァイスをするのが仕事であって、常に第三者的な立場が求められています。
職種としては行政書士や税理士・中小企業診断士に近く、所謂「ヒーラー」ではありません。問題に対して的確な判断をするのが仕事です。

キリスト教的な思想をファンダメンタルにする病院の看護婦等の場合なら、その病院個別の宗教的アイデェンティティーとして「優しく接しましょう」という場合もありますが、これも病院なるものの在り方に対する考え方のひとつです。
(そして心理士は技看護婦でもありませんし宗教関係者でもありません)
何故なら、小児科で幼児を相手にしている場合を除き、病院を利用される人を「疾病弱者」であるように扱う事は、見方をかえれば倫理上の差別にあたります。「問題が解決すれば平等に話をするのは前提」ですし、当然患者さんには院内の人間より社会的地位の高い人もいます。これを個人の勝手な判断で「この人は弱者だから優しく」「この人は強者だから敬語で」と使い分ける事は倫理上問題だからです。

確かに「境界性人格障害的診断(人間関係そのもの障害)」が出ていて、話す事自体が難しいという判断があれば、話しやすい雰囲気をどう考えるのかも技術的課題となりますが、だとしてもそれは「話を聞く内容や語りかけの方法」として手をつくすものです。
相性問題やカウンセラーの能力にも負う部分ありますが、「もっと愛情のような温かみ」のような対応はむしろカウンセラーとして失格です。
何故なら、「なんて可哀想なんでしょう」と認定した瞬間相談者が現在考えている被害感情を肯定してしまうからです。
カウンセリング(counsel:助言者・弁護士、counselingなら「真剣な相談」〜「心理的悩みへの助言や協議・相談」)の場ですから、当然その相談事案が被害妄想である可能性も頻度としても高い事が前提になりますから。(そこで供依存になれば完全にカウンセラー失格です)

そして、心理士の研修では「心理的な悩みを抱える相談事例に、カウンセラーを恋愛対象に感じたり、時間が終わった後も関係を持とうとする例がありこれに注意しなければならない。何故ならそれはその親密さを原因に現在の悩みを生む構造そのものに共感させ肝心の悩みからの解放を遅らせてしまう(乃至悪化)結果にいたるため」とあるのです。

>>>可能ならば、その心理士さんに抱きしめてもらいたかったです。母が子を抱きしめるがごとく。
これが行われるのは、退行(幼児化)療法といって(一部のグループセラピー等で取り入れられています)、心理士がが男性でも「ほらお母さんよ」等のように言葉を投げかけ(完全に芝居のように設定を決めます)、相談者の心理を問題発生時の幼児まで仮想的にも退行させ、その時感じていた違和感等を掃き出させる(カタルシス効果)過程で、人格の再構築を図る(その時、相談者も自分の知らない本音に気がついたりする)というもので、これもロール・プレイ(役割を演じる)という技術的手法(北米に多い)であって、本心から「母が子を抱きしめるがごとく」という関わりではありません。

又、30代の女性である他人に成人男性が「やさしく抱きしめて欲しい」という甘えた視線を送り「心理士さんはどう思われているんですか?と、心理士さんの気持ちに興味をもって、心理士さんにいろいろ聞いてしまった」り「カウンセリング以外の場所でもあってほしいとか、カウンセリング時間をもっと延長して欲しいとかいったわがままをいって、心理士の方を困らせてしまいました」のような事は、
女性の立場から見れば「セクシャルハラスメント」でしょう。

この誤解はカウンセリングに「母が子を抱きしめるがごとく」という通常無い希望を持ち、偶然対象者が女性であったため深層心理の『象徴化された母親の女性像に寵愛される』という強迫構造が前面に出たためと思われます。
つまり、一般的な能力のあるカウンセラーなら「象徴化された母親像が現在の性対象へのイメージに強く関わっている」事は即断できるでしょうから、彼女の立場から見るなら性対象視されいていると感じる事になります。


>>「イメージとして象徴化された女性に寵愛される超人的な自分」という概念は既に具体的な現実から離れた空想でありその誇大視には『限界が無い(具体的事>実関係ではないため)』ので、恒常的に自分自身を「あれもできなければいけない」「これもできなければいけない」という形で、緊張を強いている事に繋がっている。
>そのため、常に自分自身に対して、「あれもできなければいけない」「これもできなければいけない」という形で、緊張を強いているのでしょうか?

当然思春期以降性欲もありますから、「象徴化された女性に寵愛される」という欲求は小学生のレベルの比ではありません。
これが反抗期により社会における一般女性に振り向けられ、自分自身の自我も大人になるという過程を踏んでいない場合当然一般社会との異性関係はうまくいきませんし(この女性は違うという違和感を残すので)、大人の女性に対する心理にも強い誤解を生むので、相手からも違和感を感じられるケースも多くなります。
そうなればなるほど、反抗期的な人格の再編成のチャンスを失い、「象徴化された女性に寵愛される」というイメージに帰るように依存し同時に強迫(スーパーヒーローにならなければならない)されるのです。

「又ダメだった」⇒「何故?」⇒「スーパーヒーロー」⇒「憧れの研究者」⇒「この本を全部、いやこれ以上無限に本を読んでカッコいい研究者にならなければ救われない」

或いは

「何をしてもダメだ、僕は悲劇の主人公かもしれない」

ダメじゃありません。
誰だって世界の男は全員「どこにでもいる普通の男」なんですから。
何のスキルがなくても現場の努力だけで出来る仕事は山ほどあります。
「その職業の人には、結婚し幸せに暮らしている人も沢山いる」そうじゃありませんか?


>>「我慢した」。
>この我慢したというのは、『象徴化された母親像(イメージ化)に誉められたい、誉められなければ絶望だ』のような強迫構造のために、『スーパーヒーローのような人間でありたい、むしろそうでなくてはいけない』と、思っていたが故に、我慢し続けたということですか?
>それとも象徴化された母親像(イメージ化)に誉められたい、誉められなければ絶望だ』のような強迫構造を変えるのが怖かったということですか?それともその両方ですか?
>ずっと心の中では自分が「アニメか何かのスーパーヒーローになっている空想」をしょっちゅうするようになっていました。

その両面です、
いじめで登場する医学部志望の人物にいじめは不快なのでいっそ和解するかと判断し、
「いや僕も医学部志望なんだよ、なんか全然無理なんだけどさ。お前と同じだよ」のような覚醒を引き起こし、その流れで反抗期に向かう。その反抗期によって壊される「象徴化された母親像」を守りたかった、

スーパーヒーロを想像する快感(寵愛)構造が失われるのを怖れ、反抗期への以降を我慢した。


>>つまり「鬱積している」=「以前から恒常化している」。
>これはいじめのストレスがたまりにたまって、緊張性頭痛が生じて精神科に行ったと思うのですが。一種の自己陶酔的な悲劇的興奮によって鬱積している思いを代謝させたいというのは一体どういう意味でしょうか?ちょっとわかりません。
>それとも「スーパーヒーロー」のようでなければいけないと思っていた自分と、実際には「単にどこにでもいる普通の男に過ぎない」という現実とのこのギャップの蓄積という意味でしょうか?

ここのパートはほとんど前述までの複数の回答が説明になっています。
付け加えるとするなら、
「いじめのストレス」という認知は、正確には「大変なストレスがいじめをきっかけに噴出している」という意味で(薄々以前から自意識には感じられていた点)あったでしょうし、同時に悲劇の主人公的判断が「自分の自我には問題が無い」的温存と同時に、その悲劇の主人公的認知で鬱積した感情の一部を吐き出す事が可能だからです。


>つまり僕のように鮮明に記憶が追体験されるわけではない場合は、
トラウマとはいえないと言うことでしょうか?

トラウマとは、そもそも外傷性の記憶単体の呼称でそれ自体何か「病気の原因」を意味しているものではありません(trauma:外傷)。
トラウマもそこに障害が発生すれば、PTSDのトリガーですから。
PTSDのケースでも「トラウマが原因の問題を癒さなければ」とアプローチするのではありません。「それは現実にあったのであり、その現実をいかに衝撃を和らげる認知へと合理化するのか」がテーマです。
戦争の記憶は事実なのですし、それを個別に操作する事はできませんし無かった事にもできません。
その事実を受け入れる背景(歴史や政治的背景、或いは戦争という現実そのもの、自分自身が出兵する国という文化)をドキュメンタリーのように”外から”その認識を深め、それが自分には避けられなかった現実であり今自分はその恐怖から”生還””したのだと、自我そのものにアプローチしなければなりません。
ですから、地下鉄サリン事件のように「事実が完全に見えない(首謀者が動機を告白しない)」等それを判断する事実・背景が不鮮明であるとその解決が非常に難しくなるのです(この点では「幼児期の記憶=を詳細に思い出せない」に関わる強迫構造と同様です)。
何故なら、戦争後遺症の例であれば、「予測の範囲を超えた」という心理的な準備の個人差の大小による「現実それ自体を衝撃と感じる個人差」があるからです。
ですから、同じ戦場で同じ部隊でもPTSDに悩む例とそのまま戦闘行為に何の疑問も無く従事し続ける例が個人差として存在します。

又、繰り返しになりますが「いじめはトリガーであり、頭痛の原因ではありません」


>そこでいじめを僕にしてきたやつが夢の中でできて、僕がそいつに殴りかかるというような、非常に露骨な夢を見たりしています。ということがあっても、やはりいじめはトリガーにすぎないのですか?
>今の頭痛の症状とはあまり関係ないのですか?


繰り返しになりますが「いじめはトリガーであり、頭痛の原因ではありません」
随分前の項で説明しましたが、その人物には自分自身の一部が投影されていて、今でも「スーパーヒーローと普通の男」のジレンマは解決していないのですから、夢に見ても自然です。
夢とは、解決していない問題(仕事等)に気持ちが残っていて、眠りが浅くなりそうな時に「心配なく、今仕事中です(仕事の夢)」のようなシュミレーションを行って、安眠を継続させるための機能です。

つまり、その夢は

「自分はひとりの男に過ぎない」と考えている自分を、殴りつけ「さがれ、スーパーヒーローと象徴化された母親の世界を壊させてたまるか」という深層心理の葛藤が夢として表れたものでしょう。


>>その飛躍が起きる理由は「象徴化された女性像の原型が母親=結婚している」からです。
>これだけ結婚を意識してしまうのは母親という存在が結婚していて、そのために母親に対する意識から結婚を無意識に強くイメージしてしまうということでしょうか?

これも前の項と被っていますが、
「象徴化された母親の女性像に寵愛される快感」を規定にしていいる以上、その人物は「母親=結婚している」のですから、「自分が寵愛されているとするなら結婚している筈だ」となり、「結婚しなければその寵愛の環境自体が無いじゃないか」と認識されます。

相手は既に決まっていて=「象徴化された母親像=結婚している人」となるので、
必要かつ重要なのが「結婚できる条件」になるんですよ。
ここにも「薄々気がついている」部分が証明されています。
何故なら、彼方は「早く彼女が欲しい」とも証言していますね、
おそらくこの気持ちには「早くこの悩みから解消されて(とっととカッコいい研究者になって)、解放(象徴化された母親像的強迫から)され、一般的彼女(現実社会の一般女性)と普通の男として付き合いたい」という本音が出たものだと推測されます。

ですから「ダメだダメだな悲観論=象徴化された母親とリンクしたイメージ」の時に「これじゃ結婚もできない」と(まだ具体的な相手もいないのに)思ってしまうのです。
この台詞は「これじゃお嫁にいけない!」という強い結婚願望のある女性に似ています。
このタイプの女性は強く母親との同一化(ママゴトを基礎にします)に拘束されていて、潜在的に「自分も素敵な母親にならないといけない」と思ってしまうために、どんな男性と関係するのかって具体論以前から「結婚ばかり心配する」という順序が逆さまな発想に陥るのです。


>>悩みの原因を外側に見出そうという思考は、つまり内省(自分自身を振り返る行動)を避けるための方便になります。
>自分自身を内省していくということですか?事実関係の誤解を僕は理解することができるのでしょうか?

■前のスレッドのnakaさん「心理カウンセリングを受けていますが不安です」を読んでください、それがどういう過程であるのか論議されています。


>>これをどう受けるのか?或いはどう投げ返せばいいのか?
>>それを選択するのは彼方自身になります。
>kagewariさんとしては、
>僕自身の分析は難しそうですか?

構造はいたってシンプルで、典型的ともいえますから(返信のコンセプトは相談の内容をい読んだ瞬間判断できました)分析自体は簡単です。
しかし、これだけ長文になっていることでおわかりかと思いますが、非常に強い抵抗(殴り飛ばす夢)がありますね。十分に根拠を添えた返信に対して「そもそもその考え方が疑問である」的な返信が大変多い事項で質問として繰り返されるのは、その説明が(根拠があるのだろうという推定:与件が無いので、詳細に根拠なる心理学的学術的説明も必要にななっている等)膨大な量になっていますが、各論については上記と同様これを説明するにあたる論旨はシンプルなものなので、大きな枠で考えれば「強迫構造の障壁は強固ではない」と思います。
ただ現在の強迫的人格の自己防衛的抵抗が非常に強いと、


>もっとも、kagewariさんがどのようなやり方で精神分析を行うのか、
まったく想像がつかないので、自分がなにをやることになるかも想像できません。

前述の内容と関わりますが、
私の有料メールの説明部分に以下の記載があります。
@サポートカウンセリングの依頼条件
,痢屮廛蹈侫.ぅ螢鵐亜廚鮟了後、或いは「掲示板」で一定の分析が終了している場合のみ申込み可能です(一定の分析を終えていない場合には、の「精神分析とサポート」コースからの申込みとなります)。

既に 崟鎖席析プロファイリング」における『構成』『構成2』レベルまで話は進んでいます。
ただ「プライバシーに関わる部分は掲示板上では分析できない」ので、ここで『詳細』についてのレポートを書くことはできません。
『詳細』のレベルに上げるには、ご両親の学歴結婚のなれそめや出身地、近所との関係、社会的地位とその評価(会社・近隣・家族)、ご両親の幼年期で聞いている話(育った環境と幼年時のエピソード)、等々事実関係を全て聞き取りした上で行うためです。

サポートカウンセリングは、その時考えている事など近況を聞きながら「この部分の認定に誤解があります」と、考える方向性を確認し続けるもので。これもHPに記載ありますが、有料サポートカウンセリングは決して安くは無いので自分なりに掲示板上のやりとりでも問題無いと思った場合には、無料の掲示板を利用する選択する方法もあります、と書いてあります。
あくまで『公開性が気にならなければ』の話になりますが(個人情報に関わる質問がし難いという意味です)、
「何をするのか?」と言うなら、「いじめがトリガーに過ぎない」を前提に「だったらこれも同じように誤解だったのだろうか?」と現在の年齢の立場から内省(過去を振り返り、省みて事実関係の認識を修正していく)を進めていく事です。
過去の判断基準の大前提が変化するのですから、それを前提として連想されるている全ての認識は修正しなければ、合理性を担保できません。

>内向性の代謝(「僕にはできっこないんだ」のような興奮)というのは、やる前から自分には無理なんだとあきらめてしまい、なんらかの行動を起こさないということですか?

ここも随分前の項で説明済みですね。


>より深く落ち込んだり、自傷行動などの、自分の内向きの行動?が癖になってしまうということですか?結論から言うと、内向性の代謝というのは自分の殻に閉じこもってしまうということですか?

「殻にに閉じこもる」というのは正確じゃありません。
ニュアンスとしては、現実の世界を拒絶し想像の世界でこれを結果的に(悲観や落ち込み)代謝(完結=やってなくてもやったのと同じような満足を求める)させる状態に依存してしまう。と言えばいいでしょうか、
今回の事例と関わりはありませんが、自傷行動には性欲の自己愛的代謝が強く関わるので「自傷行動=マスターベーションの代償満足行動」という見方もあります。


>母親を上げたのは、母親が一番僕の中でやりとりがあって、父親とはほとんどやりとりがあまりなかったからです。
>僕や弟が学校をうまく過ごせておらず、そのことを母はかなり悩んでいたらしいです。
この話には、重大なヒントがあります。
彼女は自分の失敗(子供にいらぬ強迫を与えてしまったのではないか)と、彼方と同じように「薄々感ずいていたのかもしれない」からです(兄弟に個体差が無いならそこに共通する人物は:自分=母親になりますからね)。

そして、本来離婚していない家庭なんですからここに父親像がからんでこないのは不自然です。「夫婦関係にも問題が無かったのか?」と考える十分な証言です、
何故なら夫が子育てに協力(関与)しない事は、妻にとって非常に強い精神的な負担になるからです。
714 申し訳ありません、もう少しお願いいたします 頭痛を持っている患者 2006/12/05 00:35
こんにちは。
頭痛を持っている患者です。

kagewariさんにはここまでしっかりと、
僕自身を分析してくださって大変感謝しております。
ただ、あまりにも専門用語が多いというか、
難しい表現が多いので、僕には理解しづらい点が多々あります。
できれば素人相手のもう少し噛み砕いた説明でお願いいたします。

>「母親は子供を大事にして当たり前」というような幼児特有の決め付けから、
>「この女(ひと)にも個人としての人生があり、個人としての希望もあったろ
>う。そん中で彼女は子供に対してその個人の時間を”母親”と呼ばれる在り方で
>選択したのだ」とその女性に対する個人的な敬意であったり、恩義であったりと
>いう判断にフェーズが変わるのです。同時に母親の個人の人生というものを客観
>的に初めて知る事にもなります。

僕は母親を一人の個人の女性として見ることが未だにできていないのでしょうか?母親を個人の一人の女性として見ることができていないのでしょうか?


>問題なのは『親自身にも人格に強迫傾向があり”自意識が個人として当事者責任を
>自覚できる”行いでは無かった場合』です。
>”大人になった”子供はその不条理をどう理解したらいいのか悩んでしまったり、
>強迫構造を受け継いで無意識に取り込んでしまいます。

それは僕の母親に強迫傾向があったかもしれないということでしょうか?
僕の母親は僕が勉強をしないことをかなり悩んでいたようですから。
それは母親にとっての「子供は勉強しなければならない」という強迫傾向が
あったということでしょうか?
ちなみに母親は一人っ子で女子中・女子高・女子大というエスカレートで
大学に進学し、その後、小学校の教師になり、結婚と共に教師をやめています。
父親は田舎の農家の三男で、
名古屋にある大学を卒業後、関西の病院の事務職として働いていました。
今は定年を迎えています。
病院の事務職として働いていたときに、お見合いで母としりあったようです。
僕の母親は子供に対して、進学校にいって、
一流大学に進学することを望んでいたようです。
僕は4人兄弟で全員が男なのですが、
長男はかなり有名な国立大学に行き、
次男である僕は鹿児島大学に、
三男である弟は心身症でいまはフリーターに、
四男は無事に進学校の高校生をうまくやっています。
僕と三男である弟は学校生活にうまくなじめず、
僕は僕でぜんぜん勉強をせず、弟は学校に行くこと自体が苦痛で、
不登校になりがちで、学校を早退することも多かったようです。
そんな僕と三男に母親はかなり悩んでいたようです。
そして母親が口癖のように言っていたのが、
本当にお父さんは頼りないということでした。
僕の父親は今の僕から見ても本当に頼りない存在です。
難しい問題からはすぐに逃げ出してしまうというか、
わからへんといってそのまま終わってしまう感じです。
母親は僕や弟のことをかなり一人で抱え込んでいたのかもしれません。

>ですから「親であった彼女(や彼)の幼児期に何があったのだろう?」という回
>顧も必要になってきます。
>その回顧の後に「十分それ(失敗)が予測される背景」を認めることができるよ
>うになれば「そんな人生もあるのだな」と認めざるを得ない。

それは僕の母親がどういう風に育ったかを知る必要があるということですか?
そしてその母親の成長過程から、僕の母親が僕に対しての態度が、
僕に対する接し方はしかたがなかったなと思えるようになることなのですか?

>つまり反抗期とは、幼児期に形成された矛盾の多い自我が現実を前にリアルな形
>に還元される過程そのものなのです。
>自分自身の「親に対する誇張された解釈」も自分の幼い自我の一部だからです。
>「反抗期を通過して大人の認識(現実認識)を持つ」とはそんな意味です。
>自分自身の「親に対する誇張された解釈」も自分の幼い自我の一部だからです。

僕は未だに幼児期に形成された矛盾の多い自我が
現実を前にしてリアルな形の自我が還元されていないのですか?
僕はそんなに親に対して拡張された解釈をもっているのですか?

>この部分の想像でも妥当性を欠いている理由が「自分の母親だという乏しい理由
>で過剰に母親像を美化していしまっている、その根拠の曖昧さ」であって、つま
>り『美化された女性像』には現実としての具体性が無いのです。
>想像上の話なので、その寵愛を担保するとなると「具体的制限を失う」のです。
>「何論と何論をマスターすればよい」のような具体性を失い「関連する全部の本
>を読まなければならない」と思ってしまうためです。
>つまり、自分に課している課題(やらなければならないこと)が「無限大に近い
>状態」となる。
>そのプレッシャーが恒常化し、緊張を強いているんですよ。

確かに僕はプログラムにおいて、少しでも関連する新しい内容がでると、
それに関しても理解しなければいけないと思い、
どんどん新しい本を買っていってしまいました。
大学4年生の時もそうでしたが、本当に研究に関連する分野の本を
全部理解しないと研究はできないだろうと思っていました。
今でもその傾向はプログラムに関してあると思います。
ありとあらゆるプログラムを理解したほうがよいというふうに。
しなければいけないというほどではありませんが、
やるにこしたことはないと思っています。
つまり、僕の無意識の中に
『現実としての具体性が無い過剰に美化された母親像』があり、
あまりにも美化された想像があるために、
その美化された母親像に寵愛されるためには具体的な制限が
失われてしまっているわけですね。
そのため、際限なく、あれもやらなければ、これもやらなければ、と
無意識に思ってしまうわけですね。

>自意識は(当然ですが)「自分はどこにでもいる普通の男に過ぎない」事を知っ
>ています。ところが、無意識では「僕はスーパーヒーロになって”あの象徴化さ
>れた女性”に寵愛される」事を当たり前の自分の将来像だと思っているのです。
>そして、後者の判断に今の自我は支配(強迫)されている。
>なので一生かかっても読めない本を買ってしまったりするナンセンスな行動を
>取ってしまった(結果的には「強いられた」)のですよ。

つまり、僕は今もなお、僕の自我は無意識に強迫されている状態なのですね。

>いじめにより「スーパーヒーロである、いやそうに決まっている」は破綻し、そ
>の時から「途方も無く努力してスーパーヒーローにならなきゃいけない」と前提
>が変わらざるを得なくなったんですよ。

つまり、いじめをへて、
僕の無意識からの強迫観念はより強力になってしまったわけなのですか?

>しかも自意識では「自分はどこにでもいる普通の男に過ぎない=無理無理」と薄
>々気がついているんですよ。そして途方も無く努力するモチベーションは最初か
>ら無いんです。
>だから「絶対に自分には出来ない事を、そうしなければならないと強迫し」その
>プレッシャーを前に緊張を強いられるわけです。

これが今現在の僕の緊張性頭痛の原因というわけですか?

>しかし、この論理矛盾(前から薄々気がついていた)という気持ちは「いじめ以
>前」から無意識に鬱積していたので、いじめを発端とする破綻の衝撃はより大き
>かったのです。(心の準備ができていない・違和感の蓄積)
>つまり「自分も最初からスーパーヒーローである必要性は何所にも無い事を知っ
>ていた」からですよ。

この論理矛盾が以前から蓄積していたので、
いじめを発端とする破綻の衝撃はより大きかったといわれますが、
以前から蓄積というのは心の中で準備ができていたということなのではないですか?

>つまり「好きな事をする」=「スーパーヒーロへの途方も無い努力の道への裏切
>り」=「怠けている」=「スーパーヒーローどころか今の自分は」=「いじめ」
>この連想が以下となり

このときの好きなことをするというのは、プログラムや数学や物理学といった、
大学の時の研究テーマに直接的ではないですが、
かなり関係している内容です。
大学の時の研究テーマは半導体の物理に関してだったので。

>>「自分の好きなことをやると無意識に」=「又いじめられるのでないかとの恐怖感が生じる」となる。
>「自分なんかスーパーヒーロどころか、一般学校社会でもヤバイんじゃないの
>か」という自分の現実的な心配の気持ちが、いじめを行っている人物に投影され
>思い出されるのです。

つまりこれは、自分の好きなことというのはプログラムとか数学とか物理学とかいった勉強なんですが、
これをやるときにそういういじめっ子の姿が思い出されたりするというのは、
僕の無意識ではスーパーヒーロにならなければいけないんだと思っているのに、
今現在の自意識の「自分はどこにでもいる普通の男に過ぎない」という気持ちが、そういう自分自身に対する不安が
いじめっ子の姿を思い出すという表現で現れるということですか。

>「いじめを思い出す」という形で、それ(普通の男)が表に出ようとしているんです。
>自分がそう思っている話にしなければ、その気持ちを奥に追いやりたいという
>スーパーヒーロ的強迫自我を刺激しなくて済みますから。

つまりいじめを思いだすという行為は、
「自分はどこにでもいる普通の男に過ぎない」ということを自覚させ、
「途方も無く努力してスーパーヒーローにならなきゃいけない」という
無意識に存在しいている強迫自我が刺激されるということですか?

>本来ならスーパーヒーロになって寵愛を受ける筈が、「悲劇の主人公(これも
>ヒーローの一種です)でもアリなのか」とこれまでとは違う選択肢が登場したの
>ですから。

本当ならいじめを受けた最初から、母親に告げることができて、
ありのままの苦しみをいくらでも伝えることができていたら、
今の自分のようにはなっていなかったのでしょうか?

>つまり、冷静に考えたら非合理的(実現性が無い)としか思えない事を「なんと
>かして勉強を理解しなければいけない」等のように考える事を、即ち「強迫構造
>と呼ぶ」のです。
>彼方の自意識は、最初から「それはあこがれ(現実性に乏しい)なんです」と
>知っている筈ですよ、しかし「それが僕の目標でした」と完結しているのではあ
>りません。

そうですね。なんとかして勉強を理解しなければいけないと思うのは
強迫構造ですね。でも決して研究内容に興味がなかったわけではありません。
研究内容自体には大変興味はありました。
ですから、強迫構造だけでなく、純粋に研究対象にも興味はあったが故に、
頑張った側面はあると思うのですが、違うのでしょうか?

>この誤解はカウンセリングに「母が子を抱きしめるがごとく」という通常無い希
>望を持ち、偶然対象者が女性であったため深層心理の『象徴化された母親の女性
>像に寵愛される』という強迫構造が前面に出たためと思われます。
>つまり、一般的な能力のあるカウンセラーなら「象徴化された母親像が現在の性
>対象へのイメージに強く関わっている」事は即断できるでしょうから、彼女の立
>場から見るなら性対象視されいていると感じる事になります。

僕のカウンセラーは僕のそういう強迫構造をちゃんと理解していたのでしょうか?それともただ単に異性としてだけ興味をもたれていると思ったのでしょうか?
どうも僕のカウンセラーは僕にそういう強迫構造があることを
ちゃんと理解していないような気がしてならないのですが。
僕のカウンセラーはこのカウンセリングに意味があるのですか?
みたいなことを言われて、僕の強迫構造にあたる部分に、
メスを入れていくようなことはしてくれていませんでしたから。

>これが反抗期により社会における一般女性に振り向けられ、自分自身の自我も大
>人になるという過程を踏んでいない場合当然一般社会との異性関係はうまくいき
>ませんし(この女性は違うという違和感を残すので)、大人の女性に対する心理
>にも強い誤解を生むので、相手からも違和感を感じられるケースも多くなりま
>す。

僕は自分自身の自我が大人になるという過程を踏んでいないのですか?
僕は自我が大人になってないから一般社会との異性関係がうまくいかないのですか?そして大人の女性も僕に対して違和感を感じているのですか?

>反抗期的な人格の再編成のチャンスを失い、「象徴化された女性に寵愛される」
>というイメージに帰るように依存し同時に強迫(スーパーヒーローにならなけれ
>ばならない)されるのです。

僕は今、まさにその状態にあるのですか?

>いじめで登場する医学部志望の人物にいじめは不快なのでいっそ和解するかと判断し、
>「いや僕も医学部志望なんだよ、なんか全然無理なんだけどさ。お前と同じだ
>よ」のような覚醒を引き起こし、その流れで反抗期に向かう。

僕はそのいじめっ子は許せません。
ですから和解なんてその当時には絶対にできません。
その覚醒の意味がよくわからないのですか。

>「いじめのストレス」という認知は、正確には「大変なストレスがいじめをきっ
>かけに噴出している」という意味で(薄々以前から自意識には感じられていた
>点)あったでしょうし、

自意識では「自分はどこにでもいる普通の男に過ぎない=無理無理」と薄々気がついていた。そして途方も無く努力するモチベーションは最初から無いにもかかわらず、
いじめにより「スーパーヒーロである、いやそうに決まっている」は破綻し、その時から「途方も無く努力してスーパーヒーローにならなきゃいけない」と前提が変わらざるを得なかった。そのため大変なストレスが噴出したということですか?

>同時に悲劇の主人公的判断が「自分の自我には問題が無い」的温存と同時に、そ
>の悲劇の主人公的認知で鬱積した感情の一部を吐き出す事が可能だからです。

これの意味がわかりません。

>「自分はひとりの男に過ぎない」と考えている自分を、殴りつけ「さがれ、スー
>パーヒーローと象徴化された母親の世界を壊させてたまるか」という深層心理の
>葛藤が夢として表れたものでしょう。

「スーパーヒーローと普通の男」のジレンマは解決していないために、
夢にでたことはわかりました。
僕は「スーパーヒーローと普通の男」のジレンマは解決することができるのですか?
それはkagewariさんの分析をとおして解決していくことなのですか?
それは有料メールカウンセリングで解決していくことなのですか?
>■分析後に「掲示板」への書き込む事でもサポートと同じ効果が得られます。
>金額的にも安くありませんから、十分に考えてから申し込んで下さい。
メールでなくても、この掲示板でのやりとりでも可能ということでしょうか?

>何故なら、彼方は「早く彼女が欲しい」とも証言していますね、
>おそらくこの気持ちには「早くこの悩みから解消されて(とっととカッコいい研
>究者になって)、解放(象徴化された母親像的強迫から)され、一般的彼女(現
>実社会の一般女性)と普通の男として付き合いたい」という本音が出たものだと
>推測されます。

彼女ができたら僕のこの強迫構造から解放されるのでしょうか?
でも彼女をつくるっていうのは簡単にはいかないですし。。
できればkagewariさんとかの分析とかでなんとかしたいのですが。
もしくは心理士によるカウンセリングとかで。

>構造はいたってシンプルで、典型的ともいえますから(返信のコンセプトは相談
>の内容をい読んだ瞬間判断できました)分析自体は簡単です。
>しかし、これだけ長文になっていることでおわかりかと思いますが、非常に強い
>抵抗(殴り飛ばす夢)がありますね。

そうでしたか。分析自体は簡単でしたか。
でも僕の中に非常に強い抵抗はあると思います。

>各論については上記と同様これを説明するにあたる論旨はシンプルなものなの
>で、大きな枠で考えれば「強迫構造の障壁は強固ではない」と思います。
>ただ現在の強迫的人格の自己防衛的抵抗が非常に強いと、

はい、僕の強迫的人格、たぶん、
「途方も無く努力してスーパーヒーローにならなきゃいけない」という強迫構造の自己防衛的抵抗は非常に強いと思います。
この強迫構造をなくすことは可能なのでしょうか?
「別にスーパーヒーローである必要はなくて、
ありのままの普通の人間でいいんだよ」と思えるようになるのでしょうか?
また自分自身の精神的な成長にともない、
この強迫構造が自然となくなっていくということはありえないのでしょうか?


>既に 崟鎖席析プロファイリング」における『構成』『構成2』レベルまで話
>は進んでいます。
>ただ「プライバシーに関わる部分は掲示板上では分析できない」ので、ここで
>『詳細』についてのレポートを書くことはできません。
>『詳細』のレベルに上げるには、ご両親の学歴結婚のなれそめや出身地、近所と
>の関係、社会的地位とその評価(会社・近隣・家族)、ご両親の幼年期で聞いて
>いる話(育った環境と幼年時のエピソード)、等々事実関係を全て聞き取りした
>上で行うためです。

詳細に関しては有料でお願いする必要があるのですね。
詳細についていは料金は四千円ですか?
で、詳細のレポートに関しての質問はメールで送られてくるという
ような形になるのでしょうか?
この掲示板において詳細のレベルの内容の書き込みはダメでしょうか?
「プライバシーに関わる部分は掲示板上では分析できない」と
おっしゃられていますが、僕は別にプライバシーに関わる部分を、
この掲示板に書き込みを行っても別にかまわないのですが。

>サポートカウンセリングは、その時考えている事など近況を聞きながら「この部
>分の認定に誤解があります」と、考える方向性を確認し続けるもので。
>自分なりに掲示板上のやりとりでも問題無いと思った場合には、無料の掲示板を
>利用する選択する方法もあります、と書いてあります。
>あくまで『公開性が気にならなければ』の話になりますが(個人情報に関わる質
>問がし難いという意味です)、

ここで公開されてもかまわないので、
この無料の掲示板を利用するやり方でお願いしたいと思います。
もしこの掲示板でできない内容があるのなら、
有料のほうを選ぶかもしれません。
サポートカウンセリングとは継続的にやらなければいけないものなのですか?
継続的にやらなければいけないのなら、
どうしてもこちらの無料掲示板のほうでお願いしたいのですが。
もし継続的にやるにしても、僕は本当に、
この無意識に存在している強迫構造から解放されるのでしょうか?
この無意識に存在している強迫構造というのは、
僕のような素人からみたら、ある意味なにもしようがないように思うのですが。
kagewariさんとしては、今後、僕に対してどのようなアプローチを
考えておられるのでしょうか?
僕の強迫構造からの解放への導きを指導してくださるのでしょうか?

>「何をするのか?」と言うなら、「いじめがトリガーに過ぎない」を前提に
>「だったらこれも同じように誤解だったのだろうか?」と現在の年齢の立場から
>内省(過去を振り返り、省みて事実関係の認識を修正していく)を進めていく事
>です。

いまいちどういうことをしていくのかわかりません。
それは今までの過去の事実関係の認識を修正する、
つまり事実関係に対して僕が今現在、認識している内容が、
「途方も無く努力してスーパーヒーローにならなきゃいけない」という
強迫構造によってなされている認識かどうかを調べていくと
いった内容になるということですか。

>過去の判断基準の大前提が変化するのですから、それを前提として連想されるて
>いる全ての認識は修正しなければ、合理性を担保できません。

ちょっと意味がわかりません。
それは今までの強迫構造によって判断されていた認識が、
普通の自意識に認識にに変わるということですか?
合理性を担保できません。の意味がちょっとわかりません。

>現実の世界を拒絶し想像の世界でこれを結果的に(悲観や落ち込み)代謝(完結
>=やってなくてもやったのと同じような満足を求める)させる状態に依存してし
>まう。
>自傷行動には性欲の自己愛的代謝が強く関わるので「自傷行動=マスターベー
>ションの代償満足行動」という見方もあります。

これが内向性の代謝という意味ですか。
僕は確かに毎日、自慰行為(マスターベーション)をしています。
今のこの毎日の状態がしんどいので、ついつい、
自慰行為に逃げてしまっています。
これはまさに内向性の代謝が行われているということですか?

>そして、本来離婚していない家庭なんですからここに父親像がからんでこないの
>は不自然です。「夫婦関係にも問題が無かったのか?」と考える十分な証言で
>す、
>何故なら夫が子育てに協力(関与)しない事は、妻にとって非常に強い精神的な
>負担になるからです。

最初に話をさせてもらったとおり、
父親は極めて頼りない存在で、難しい問題があると、
わからへんといってそのまま逃げていってしまうような感じです。
母親は常々、お父さんは頼りないと愚痴をこぼしていました。
僕の母親は僕が中学に進学する前に癌になりました。
そして僕が高校卒業後、すぐに癌で他界しました。

今現在の僕は、無職で頭痛があってなにもできない状態の自分に、
すごく激しい自己嫌悪を抱いています。
これは「途方も無く努力してスーパーヒーローにならなきゃいけない」という
強迫構造が影響しているのでしょうか?
薬を飲んである程度、頭痛は和らいでいますが、
それでもしんどい状態です。

それとこれからは、
kagewariさんに『詳細』の部分を依頼すればよろしいのでしょうか?
もう少しこの無料掲示板で掘り下げてみたいとも思うのですが、
いかがでしょうか?

わがままを申して申し訳ありません。

そして、もう一度聞きたい内容があります。
つい最近、セルフカウンセリングという作業をやりました。
それは過去のいじめの内容を改めて紙に書くという作業です。
その作業では涙はでませんでした。
その当時、母は乳がんを患いながら、
僕や弟が学校をうまく過ごせておらず、そのことを
母はかなり悩んでいたらしいです。最近、祖父母に聞いたところ。
そのセルフカウンセリングをやった後、
アルバム(母が写っている写真)を振り替えり、
母がどういう気持ちだったのかを考えると、
すごくすごく涙があふれてとまりませんでした。
このことに関してはkagewariさんはどう考えられますか?

また、今現在は、
僕の好きだったプログラムや数学や物理の勉強をやる気が
全くなくなってしまってます。
なぜか無気力でなにもする気になれないのです。
このことに関してはkagewariさんはどう考えられますか?

>人格構造に内向性の自己愛的代謝(自己嫌悪)の存在が証明されています(無意識に)。

これの意味がわかりません。
内向性の自己愛的代謝(自己嫌悪)とはどういう意味ですか?

あと、ちょっと前に書かれてあった内容でわからないものがあります。
>「内向性の代謝」に人格構造としてこれを志向しているのですから、外交的な投
>げかけ(カウンセリングそのもの)が不快なのです。
>無意識のレベルでは、一時的な利益「内向性の落ち込みによる代謝」を失いたく
>ないので相対的には「外交的接点はその利益の一部喪失である」からです。

この文章の意味がわかりません。
「内向性の代謝」に人格構造としてこれを志向しているとはどういう意味ですか?
そしてどうしてそれが外交的な投げかけ(カウンセリングそのもの)が不快に感じるのですか?
無意識のレベルでは、一時的な利益「内向性の落ち込みによる代謝」を失いたく
ないとはどういう意味ですか?
相対的には「外交的接点はその利益の一部喪失である」とはどういう意味ですか?

ちょっと前に書かれていた、
>「内向性のストレスにより欲求の代謝は自己愛的想像の世界(悲観)に向かい、
>その傾向は”無意識なので”これを問題視する認識が現在の自意識には無い」

これは、
「自分が望むのは象徴化(=過剰に美化された)された母親のような存在に寵愛されることだ」という欲求で、「象徴化された母親ぐらいの女性とつりあう男はスーパーヒーローのような人物だろう」という関連性から、
「途方も無く努力してスーパーヒーローにならなきゃいけない」というように、
無意識に思っていることと考えて間違いはないですよね?

また、ちょっと前に書かれていた、
>非常に強く誇張され象徴化された母親のイメージが存在しています。その象徴化
>された女性像は反抗期よる幻滅(幼児特有の誇大視による誤解が現実レベルに還
>元されるため)として本来現実的なイメージへ移行するものなのですが、その象
>徴化が現実の女性像に還元されていません(以降=異性への関心が完全に社会の
>場に変わる)。

僕自身には未だに自分の心に象徴化された母親のイメージの
自覚はないのですが、無意識に心の中に存在しているのは、
今までの僕の行動や感情から間違いないのでしょうか?

>それは現在も『象徴化された母親像(イメージ化)に誉められたい、誉められな
>ければ絶望だ』のような強迫構造が定着しています。

どうしてそういう強迫構造が定着してしまったのでしょうか?
それは僕が中学・高校のときに全然勉強せずに、
母親に怒られてばかりいたからでしょうか?
僕の本心としては母親に褒められたかったのに、
それとは逆の行為、怒られてばかりの中学・高校の6年間が
あったからなのでしょうか?

それともそれ以前に、
もっと幼い頃に影響があるのでしょうか?
僕は小さい頃、よく押入れとかに逃げ込んでいたらしいです。
父親とか母親に怒られて。
とにかく怒られると、どこかの押入れとか、
そういった場所に逃げ込んでいたようです。

そして今現在ですが、
僕の心は震えているような状態です。
何故かわからないですが、
動悸と共に、心が震えている、すごく精神的に不安定です。
そして布団のなかでは、体を縮めています。
体を伸ばすのではなく、足を曲げて、
胸のところ近づける感じで、体全体を小さくして、縮こまっています。
布団の中で三角座りに近いような状態です。


前に書かせてもらった内容ですが、
>ところが大学4年の卒論研究で、
>僕は研究者を目指していたのですが、
>非常に難しい勉強をなんとかして理解しなければいけない、
>そして彼女をつくらなければいけないと、
>いろいろ努力して、その結果、
>ある日、突然、激しい吐き気と共に、
>一気に体調がおかしくなり、それから精神科通いが始まりました。

ここで勉強をなんとかして理解しなければいけないと、
強迫的に思っていたのは事実です。
ですが、彼女をつくらなければいけないというのは、
ちょっと表現がおかしかったかもしれません。
正確には彼女がほしくてしかたがなかったという状態です。
意味合い的にはつくらなければいけないと強迫的に思っていたのと、
欲しくてしかたなくていろいろな努力をしていたというのは、
無意識からの強迫があったというのと同じことなんでしょうか?

今回も非常に長くなって申し訳ありません。
kagewariさんには本当に感謝しております。
715 返信と掲示板関係の説明です kagewari 2006/12/05 18:09
先ず精神分析の『詳細』の位置付けですが、これはその後本人が自分自身で人格構造の内容について確認しやすいように「レポート全体のまとめ」として作成され、同時にその構造の具体的人物相関図を明快にしようというもので、人格構造全体の『構成』についての分析がフェーズとして変化するものではありません。何故なら詳細のレポートにおける情報は断片的なものも多いので、その後本人が補完的にそのレポートを読み直すことで「詳細は本人自身でその後加筆されていく」ようなものです。
ですからHP有料メールカウンセリングの案内では、「掲示板上で一定の分析(構成部分)が終了していればサポートカウンセリングのみを選択することができます」と、記載があるのです。サポートカウンセリングの中で『詳細』にあたる個別事例の相談が継続していくからとも言えますし、継続性が担保されていれば、一定の完結したまとめである『詳細』に大きな意味が無いからです。
サポートカウンセリングと精神分析プロファイリングが分化しているのは、「現在カウンセリングを別途受けている」等の例に対応するためでありどんな方向を選択するのかは自己責任で選べるようになっています。
※当然自己分析によってその後を進めることができる人もいるでしょうから、精神分析プロファイリングのみの選択は「カウンセリングを別途受けている」事を前提とするものでもありません。

公開掲示板上で話を進める選択も個人の選択によるもので「こうしなければ意味が無い」等のきまりは特にありません(有料サポートカウンセリング申込に関するガイドラインがあるだけです)。
公開掲示板の注意事項は「スレッドを削除しない(公開性=「それを読んで参考にすることができる」公共性から運営している趣旨があるので)」部分と、昨今のインターネット社会はセキュリティー上の問題が多いですから『個人を特定するような書き込みは避けるべき』となります。
そこいら辺に注意すれば、運営上の問題はありません。


■全体の構成には変化が無いので、個別の質問に返信しましょう。

>僕は母親を一人の個人の女性として見ることが未だにできていないのでしょうか?母親を個人の一人の女性として見ることができていないのでしょうか?

そう説明した筈です。
一人の女性の意味に若干認識のズレがあるようですね、「母親である以前に他人の同年齢の女性と同様に」という意味です。
母親という立場に変化はありませんが、「その人物を等身大に見る見方があるだろうか?」という部分は大人同士の関係として自然な事です。
職場で言うなら課長を「課長っていう呼び名の特殊な人間」とは考えないでしょう。
当然自宅に帰れば、会社で見せない父親としての顔もあるだろうし、ひとりで飲み屋にいるときには又その印象も違うでしょう。彼の人となりは「課長」だけではありません。
同様に母親なる人物を他人だと思った時に、どんな年配者に見えるのかって視点は大人同士の関係では必要な事でもあります。
彼女の人生の全てが母親じゃないんですからね、子供の時もあり恋愛もする女性の時代もあり仕事をする社会人の一面もある。母親としての立場になっていても彼女の心理が「24時間母親だ」なんてことはありません。


>それは僕の母親に強迫傾向があったかもしれないということでしょうか?
>僕の母親は僕が勉強をしないことをかなり悩んでいたようですから。
>それは母親にとっての「子供は勉強しなければならない」という強迫傾向があったということでしょうか?
>ちなみに母親は一人っ子で女子中・女子高・女子大というエスカレートで大学に進学し、その後、小学校の教師になり、結婚と共に教師をやめています。父親は田舎の農家の三男で、名古屋にある大学を卒業後、関西の病院の事務職として働いていました。今は定年を迎えています。
>病院の事務職として働いていたときに、お見合いで母としりあったようです。僕の母親は子供に対して、進学校にいって、一流大学に進学することを望んでいたようです。
>僕は4人兄弟で全員が男なのですが、長男はかなり有名な国立大学に行き、次男である僕は鹿児島大学に、三男である弟は心身症でいまはフリーターに、四男は無事に進学校の高校生をうまくやっています。

ここは「一流大学に進学しなければならない」等というナンセンスな話の言い出しっぺは誰か?という部分が重要でしょう
父親は傍観者のように「どっちでもいいだけ」だったのか?
父親に一流大学志向があったのか、
母親主導であった場合、何を根拠にそんなすっとんきょうなナンセンスな話を思いついたのか?
等夫婦間でどういうやりとりがあって、そういう教育方針になったのか(実際子育ての運用当事者が母親だとしても)その背景が大事です。
母親がやみくもにそう考えていて、父親が「なんでそんな一流大学に拘るのかわからん」って立場であったかもしれませんし、その逆である可能性もありますからね。

基本的に強迫構造のような人格は、世代間で家庭内の生活を通じて受け継がれるものです。
ここはPTSDの論議とおなじで(同じ体験でも反応に個人差がある)、相性として「それを敏感に感じ取る者」の差異があるので、一律に必ず精神的な問題として表面化すると決まっているのではありません。
”全く人格に偏りが無いパーフェクトな普通の人”は存在しませんからね。
そして子供の社会は家庭だけじゃありません(「近所のおじさんに人生を教わった」という可能性)から、強迫構造のようなものが受け継がれるにはその家庭の閉鎖性も条件になります(「実家は常に住み込みの職人さんで一杯」等の例もあるので)。


>僕と三男である弟は学校生活にうまくなじめず、僕は僕でぜんぜん勉強をせず、弟は学校に行くこと自体が苦痛で、不登校になりがちで、学校を早退することも多かったようです。そんな僕と三男に母親はかなり悩んでいたようです。
>そして母親が口癖のように言っていたのが、本当にお父さんは頼りないということでした。僕の父親は今の僕から見ても本当に頼りない存在です。
難しい問題からはすぐに逃げ出してしまうというか、わからへんといってそのまま終わってしまう感じです。
>母親は僕や弟のことをかなり一人で抱え込んでいたのかもしれません。

つまりこういう見方もあるんですよ
彼(父親)が「アホか勉強なんてしなくてもいい、人生健康第一だ」と、彼女(母親)を叱り飛ばしても良かったのです。
彼が頼りないという印象なのは、単に「気が小さく大人しい」だけだとすると、
ここはお見合いから結婚までの経緯が大事になりますが、
彼女は自分の教育方針にぐちゃぐちゃ文句を言わなさそうな男を選んだのかも知れず(これは一流大学路線の首謀者が母親だった場合になりますが)、彼女の「頼りない」という言葉の裏返しは「あなたもこの子に一流大学にいくため勉強しろと圧力かけてよ」という意味だったのかもしれません。
それは無茶な相談でしょう、
夫婦そろって今時「一流大学に進学しなければならない」なんてナンセンスな話をマジに信じていたら、そっちの方が問題でしょう。

もし彼が
「お前アホか、好きな事してたらいいんだ。犯罪に走っているとか、友達から金を盗んだとかじゃないんだろう、子供の人生は子供が選ぶもんだお前がごちゃごちゃ干渉するな。」
ここで夫婦の合意ができていれば、彼女の悩みは一発で解決です。「勉強なんかしなくていいし、行きたくなかったら学校いかなくてもいいのよ」と言えばいいのですからね。


>僕の母親がどういう風に育ったかを知る必要があるということですか?そしてその母親の成長過程から、僕の母親が僕に対しての態度が、僕に対する接し方はしかたがなかったなと思えるようになることなのですか?

情報があるのなら、非常に参考になるという意味です。
彼女の言葉がどういう動機に基づくものなのか?言葉だけでなく、その真意を探ることができるからです。
彼女の子供時代の夢はなんだったのか?彼女も家庭内で一流大学を強制されて育ったのか?彼女の学校生活や一流生活以外の活動はどんなだったのか?ですよ。
大事なのは「何でそんな(一流大学)ナンセンスな話に彼女は必死だったのだろう?」この理由が知りたいからです。


>>「反抗期を通過して大人の認識(現実認識)を持つ」とはそんな意味です。
>>自分自身の「親に対する誇張された解釈」も自分の幼い自我の一部だからです。
>僕は未だに幼児期に形成された矛盾の多い自我が現実を前にしてリアルな形の自我が還元されていないのですか?
>僕はそんなに親に対して拡張された解釈をもっているのですか?

そう説明しています。

>僕は今もなお、僕の自我は無意識に強迫されている状態なのですね。

その通りです。


>いじめをへて、僕の無意識からの強迫観念はより強力になってしまったわけなのですか?
>この論理矛盾が以前から蓄積していたので、いじめを発端とする破綻の衝撃はより大きかったといわれますが、以前から蓄積というのは心の中で準備ができていたということなのではないですか?

違います。
いじめ以前から無意識に親子関係の違和感は蓄積されていて、簡単に言えば「お前借金あるだろ!」と言われて(いじめ)調べてみたら「見たことも無い額の借金(昔からの違和感の蓄積)していたことに気がついた」のようなものです。
以前から薄々知っていたというのは、「なんだかわからない納得いかない不満」で、それが何であるのかまでは気がついていません。それじゃ明解に知っていたとなりますから。
つまり「おいおい何か変な書類が溜まっているな」ぐらいはわかっても、まさかそれが「消費者金融の督促状だとは知らなかった」のようなものです。


>>だから「絶対に自分には出来ない事を、そうしなければならないと強迫し」そのプレッシャーを前に緊張を強いられるわけです。

>これが今現在の僕の緊張性頭痛の原因というわけですか?

頭痛の原因を単純化しないでください。
以下のような流れで考えるとわかりやすいでしょう、
 崙痛の原因は緊張」
◆屬犬磴緊張の原因は?」「強迫構造」
「強迫構造の内容は?」「母親の象徴化とその連想による強迫」
ぁ屬修瞭睛討魘饌療にあげれば?」「スーパーヒーロー並に勉強する事かな、、いや考え出したらきりが無い無限大(∞)だから」
個別事例が直線的に頭痛を引き起こしているのではありません。
いじめがトリガーであるように、『頭痛は緊張の結果』に過ぎません。頭痛そのものに「個別の関連付け」があるものでは無いからです。人によっては「胃潰瘍」だったかも知れないし、人によっては「動悸息切れ」かもしれない「微熱」かもしれない。
「体調が悪くなるぐらいの心理的な問題がある」と考える方が理解は早いでしょう。


>このときの好きなことをするというのは、プログラムや数学や物理学といった、大学の時の研究テーマに直接的ではないですが、かなり関係している内容です。大学の時の研究テーマは半導体の物理に関してだったので。
これま前の証言以下の内容と関連しています。
  ↓
>勉強はしていませんでしたが。勉強をしていないことに対して母親は良く怒っていました。そして母親は僕のことを、反抗期らしい反抗期はなかったと言っていました。ただ、僕は興味のない勉強はしたくなかったので、興味のある数学や物理だけをやってました
>それに中学生になってからは勉強も自分の好きなことしかせず、母親が勉強しろと怒っても勉強はしなかったので、

「勉強も自分の好きなことしかせず、母親が勉強しろと怒っても勉強はしなかった」
好きな事をしていると、叱られるんですよ。
象徴化されて自分の人格を強迫している母親のイメージに、


>>スーパーヒーロ的強迫自我を刺激しなくて済みますから。

>つまりいじめを思いだすという行為は、「自分はどこにでもいる普通の男に過ぎない」ということを自覚させ、「途方も無く努力してスーパーヒーローにならなきゃいけない」という無意識に存在しいている強迫自我が刺激されるということですか?

先ほどの話に被りますが、
 崋分はどこにでもいる普通の男に過ぎない」と「いじめ」は一部共通項になっています。
◆嵋寨莠分はスーパーヒーローで、象徴化された母親像に寵愛される」は、「自分は普通の男」なんて考えを絶対認めたくありません(いじめを我慢した理由の一部)。
しかし、いじめがあった事は母親の耳に入り(この時点で自分の自我の象徴化された母親のイメージも「いじめ」を認めざるを得ない)、母親が泣くことでいじめ悲劇性だけは認められた。
い靴し今現在も「やたらと勉強しなくてはいけないという強迫は残っている」⇒「自分は普通の男」なんて認められない
ゼ分は普通の男か?と素で聞かれればどう考えても「間違いなくどこにでもいる普通の男だ」
Δ匹考えても「自分はスーパーヒーロー」的なナンセンスな人格は不安定化している
Г修龍迫的人格に対して、自意識の不満は高まっている(頭痛なんだし)
╋迫的人格が唯一認めた「いじめの想像」という形に”強迫に対する不満”が表れている(普通の男だとは思えないので)。

皮肉な事に、このロールプレイング(役割を演じる)は。
いじめを受けるのが強迫的自我で、いじめているのがあなたの本音なんですよ。
「どこにでもいる学生と同じで、俺だっていじめされてるじゃん」と、
その裏の意味は「スーパーヒーローもいい加減にして現実の問題(いじめ)に対処すべき」=「一流大学どころか、どこにでもいる普通の男の人生の方が問題だろ」でもある。
しかし、それも母親に許された『いじめ回想止まり』であり、母親の許さない領域(普通の男=半導体一筋とか)を自由に考えることは今もって出来ていないのです。


>>「悲劇の主人公(これも>ヒーローの一種です)でもアリなのか」とこれまでとは違う選択肢が登場したのですから。

>本当ならいじめを受けた最初から、母親に告げることができて、ありのままの苦しみをいくらでも伝えることができていたら、今の自分のようにはなっていなかったのでしょうか?

いえいえ
「あんたが一流大学とか意味不明の事を言うから、こっちは余裕が無くていじめなんかする奴にスキ見せちまったじゃネーか」と食ってかかるという意味です。
「まーいいよ、俺の問題は俺の問題だあんたはすっこんでな、これで俺が今どういう状態だかわかった?暫く一流大学だとかさ、ナンセンスな話をしている場合じゃネーんだわ」といった感じです。


>そうですね。なんとかして勉強を理解しなければいけないと思うのは強迫構造ですね。でも決して研究内容に興味がなかったわけではありません。
研究内容自体には大変興味はありました。ですから、強迫構造だけでなく、純粋に研究対象にも興味はあったが故に、頑張った側面はあると思うのですが、違うのでしょうか?

違いますね。
私が教授だったら、「君、そんな動機だって言うなら辞めてくれ」と言います。
興味があったのなら、そのジャンルに対する経緯や自分なりの誇りがある筈です。
「カッコよさそうで好きだから」とは言わないでしょう。それこそ如何にそれを大事に思っているのか6時間ぐらい演説できる筈です。


>>つまり、一般的な能力のあるカウンセラーなら「象徴化された母親像が現在の性対象へのイメージに強く関わっている」事は即断できるでしょうから、彼女の立場から見るなら性対象視されいていると感じる事になります。

>僕のカウンセラーは僕のそういう強迫構造をちゃんと理解していたのでしょうか?それともただ単に異性としてだけ興味をもたれていると思ったのでしょうか?どうも僕のカウンセラーは僕にそういう強迫構造があることをちゃんと理解していないような気がしてならないのですが。
>僕のカウンセラーはこのカウンセリングに意味があるのですか?みたいなことを言われて、僕の強迫構造にあたる部分に、メスを入れていくようなことはしてくれていませんでしたから。

■前のスレッドのnakaさん「心理カウンセリングを受けていますが不安です」を読んでください、臨床系と精神分析のカウンセリングの違いについて論議されています。
そもそも臨床系のカウンセリングには深層心理を取り扱う事に関して学派として淡白なのです。
しかし、カウンセリングでの女性に対する話は、心理系の人間なら一般常識としてわかる範囲の話で「自分を性対象として勘違いしている」と気がつきますし、何度も繰り返しますが相手が誰だろうとその態度は『セクハラ』です。
「一般的な能力のあるカウンセラーなら・・・」のくだりは、尚且つ相手は心理系の人間なのだから、
「余計に不快に思ったでしょう」とそういう意味です。


>僕は自分自身の自我が大人になるという過程を踏んでいないのですか?僕は自我が大人になってないから一般社会との異性関係がうまくいかないのですか?そして大人の女性も僕に対して違和感を感じているのですか?

そう説明しています。


>>反抗期的な人格の再編成のチャンスを失い、「象徴化された女性に寵愛される」というイメージに帰るように依存し同時に強迫(スーパーヒーローにならなければならない)されるのです。

>僕は今、まさにその状態にあるのですか?

そうです。


>>「いや僕も医学部志望なんだよ、なんか全然無理なんだけどさ。お前と同じだよ」のような覚醒を引き起こし、その流れで反抗期に向かう。

>僕はそのいじめっ子は許せません。ですから和解なんてその当時には絶対にできません。その覚醒の意味がよくわからないのですか。

つまり、当時の被害感を倍増させたのは「薄々感じていた親子関係に関する違和感」であって、被害感総量全てがいじめの言動が原因(被害感総量の一部)では無いのです。ですからいじめの最中に「おっと、この被害感はそもそも俺自身の問題がいじめがきっかけで倍増してるな・・・。」⇒「待てよ、そういえば前々から違和感を感じていた事があるそれは・・・」と自分自身の自意識に覚醒し、一度激しい怒りを感じたいじめた人物に対する感情が緩和(「この被害感全てはこいつが原因じゃネーな」と思い)された時に、
「おいおいちょっと待てよ。いじめもいいけどよお前らのおかげでおかしな事思い出したぜ(昔から薄々)」
こうなると、いじめの側も「何言ってんだお前」となるでしょう
「うるせーな黙って聞けよ。何を思い出したか教えてやるよ・・・。そういやぁお前も医者になるつもりだって?」と話をする接点は無いじゃない。
そんなやりとりがあれば、
「な、なんかよくわからないけど、、おかしなこと(いじめ)して悪かったよ。お前もいろいろ大変だな」と全然違った方向に話が進んだ可能性もあったと言う意味です。

その時「家庭内で大騒ぎ(一挙に反抗期)」にでもなっていれば、当時思春期なのですから急速に人格の大人化というチャンスを掴めたのかも知れないって事です。


>いじめにより「スーパーヒーロである、いやそうに決まっている」は破綻し、その時から「途方も無く努力してスーパーヒーローにならなきゃいけない」と前提が変わらざるを得なかった。そのため大変なストレスが噴出したということですか?

いじめ以前は「スーパーヒーロである、いやそうに決まっている」という、まるで誇大妄想をどうにかこうにか維持できた。
しかしいじめ以降「途方も無く努力してスーパーヒーローにならなきゃいけない」と事情は変わったが、これをきっかけに自分の人生を振り返るのではなく我慢した(ある意味逃げた)ので、大変なストレスが噴出(いじめに対処するどころの何倍ものプレッシャー)して、ちょっと何かするにも「∞に勉強しなくてはいけない」のように現実の行動選択が大変になった⇒以降緊張しっ放しである。


>>同時に悲劇の主人公的判断が「自分の自我には問題が無い」的温存と同時に、その悲劇の主人公的認知で鬱積した感情の一部を吐き出す事が可能だからです。

>これの意味がわかりません。

簡単に今の状態を、わかりやすく説明するなら。
頭痛は問題なのでなんとかしたいが「象徴化された母親の部分には触れるなよ」、それぐらいなら「僕にはなんにもできっこないと落ち込んで頭が痛くなるほうがいい」と逃げ込んでいる状態です。
「僕にはなんにもできっこないと落ち込んで頭が痛くなる」状態でも一部の欲求は「悲劇の主人公的な興奮」で代謝(消化)するからです。


>僕は「スーパーヒーローと普通の男」のジレンマは解決することができるのですか?それはkagewariさんの分析をとおして解決していくことなのですか?それは有料メールカウンセリングで解決していくことなのですか?

この部分は前の返信で説明済みです(コピペします)。

解決するのか?
分析レポートは「自分自身に投げられたボール」のようなものです。
これをどう受けるのか?或いはどう投げ返せばいいのか?
それを選択するのは彼方自身になります。
「多少なりとも問題のある人格でも、これを自分のアイデェンティティーだと選ぶ」って道だってあるのですから。
本来あるべきカウンセリングとは、その内省の過程をモニターし考えの流れる方向に誤りがあればこれの方向を修正して、相談者の人格が固有の負荷も無く自然に考えている状態なのか確認する作業です。


>>おそらくこの気持ちには「早くこの悩みから解消されて(とっととカッコいい研究者になって)、解放(象徴化された母親像的強迫から)され、一般的彼女(現実社会の一般女性)と普通の男として付き合いたい」という本音が出たものだと推測されます。

>彼女ができたら僕のこの強迫構造から解放されるのでしょうか?

私は当時の”本音”を説明したのです、解決策ではありません。
当時も当然強迫下にあり現実認識を間違っているのですから「一生分読めない本を読んで研究者になり、象徴化された母親も満足するようになれば、そんなプレッシャーから解放されて(本当は∞なので解消しない)、そしたらきっと彼女ができるかもしれない」と、思っていたと解説したのです。
ですから彼女ができたら強迫構造から解放されるのではありません、
強迫構造から脱出したいというのが本音ですが、強迫構造を破壊し意味不明の象徴化を普通の『母の記憶』に還元したいとは思っていないのです(保守・自己保存欲求)。
しかし、強迫構造からは(窮屈なので脱出したい)。
彼方にとって、その強迫構造は無意識なので”気がつかない”のですから、当時「強迫構造から脱出する夢」は「早く彼女が欲しい」という言葉で認識するしか方法がなかった、という意味です。


>>しかし、これだけ長文になっていることでおわかりかと思いますが、非常に強い抵抗(殴り飛ばす夢)がありますね。

>そうでしたか。分析自体は簡単でしたか。でも僕の中に非常に強い抵抗はあると思います。

簡単に言えば前述のとおり、今の自分(強迫構造)を変えたくないのです。


>>ただ現在の強迫的人格の自己防衛的抵抗が非常に強いと、

>はい、僕の強迫的人格、たぶん、「途方も無く努力してスーパーヒーローにならなきゃいけない」という強迫構造の自己防衛的抵抗は非常に強いと思います。この強迫構造をなくすことは可能なのでしょうか?「別にスーパーヒーローである必要はなくて、ありのままの普通の人間でいいんだよ」と思えるようになるのでしょうか?
>この無意識に存在している強迫構造から解放されるのでしょうか?この無意識に存在している強迫構造というのは、僕のような素人からみたら、ある意味なにもしようがないように思うのですが。

こう考えてください。
そもそもスーパーヒーロー自体がナンセンスなんですから、
「どっから考えてもどこにでもいる普通の男が自分をスーパーヒーローにならなくちゃいかないみたいに勘違いをしている。どうやってこの男(自分)にそれがナンセンスなのか説得すればいいだろう?」

強迫構造自体はどってこのとのないものです。
単なる記憶ですから、
問題なのは「今の意識」です。取り組む意志ですよ、
■前のスレッドのnakaさん「心理カウンセリングを受けていますが不安です」を読んでください


>>「何をするのか?」と言うなら、「いじめがトリガーに過ぎない」を前提に「だったらこれも同じように誤解だったのだろうか?」と現在の年齢の立場から内省(過去を振り返り、省みて事実関係の認識を修正していく)を進めていく事です。

>いまいちどういうことをしていくのかわかりません。それは今までの過去の事実関係の認識を修正する、つまり事実関係に対して僕が今現在、認識している内容が、「途方も無く努力してスーパーヒーローにならなきゃいけない」という強迫構造によってなされている認識かどうかを調べていくといった内容になるということですか。

違います、母親との関係(顔色を伺うような)に関係ありそうな記憶は全て発想の限界(「父親がお前(母親)アホか」と言ったらどうなっただろうのような発想を思いつかない)の範囲内にあって、ほんとうはこうだったのじゃないか?ってアイデアすら限定的なのです。
それが変われば「職業に対する希望や、異性に求めるものすら変わるだろう」同時に「兄弟に対する評価、父親に対する評価も変わり」中には考え方が180度転換するものも出てくるでしょうという意味です。


>>過去の判断基準の大前提が変化するのですから、それを前提として連想されるている全ての認識は修正しなければ、合理性を担保できません。

>ちょっと意味がわかりません。それは今までの強迫構造によって判断されていた認識が、普通の自意識に認識にに変わるということですか?
>合理性を担保できません。の意味がちょっとわかりません。

「母親の強迫下にあったのか」と認定できれば、スーパーヒーローはその瞬間に意味を失います。
スーパーヒーローの必要性は「象徴化された母親のイメージ」を根拠に生まれた発想だからです、
根拠を失い合理性を担保できすに発想自体が瓦解するって事ですよ。


>>現実の世界を拒絶し想像の世界でこれを結果的に(悲観や落ち込み)代謝(完結=やってなくてもやったのと同じような満足を求める)させる状態に依存してしまう。自傷行動には性欲の自己愛的代謝が強く関わるので「自傷行動=マスターベーションの代償満足行動」という見方もあります。

>これが内向性の代謝という意味ですか。
>僕は確かに毎日、自慰行為(マスターベーション)をしています。今のこの毎日の状態がしんどいので、ついつい、自慰行為に逃げてしまっています。これはまさに内向性の代謝が行われているということですか?

内向性を説明するために、例えば「よく知られる自傷行動では、、」と説明しただけで、マスターベーションにはなんら関係ありません。
関係あるとするなら、「鬱構造下にある症例は性欲まで内向化(自傷等に代替され)する強い内向性を持つ」という事で、彼方は鬱構造では無いを意味しています。頭痛等の自律神経失調的(体調が悪くなる状態)な心理的な問題の表面化の仕方である事は、強迫構造が鬱構造のように深刻ではない事を意味しています。
しかし、心理的な問題は構造の深刻さと「問題の軽重」は比例関係には無く、「個人差のレベル」ぐらいに思っておくほうがいいでしょう。


>>何故なら夫が子育てに協力(関与)しない事は、妻にとって非常に強い精神的な負担になるからです。

>最初に話をさせてもらったとおり、父親は極めて頼りない存在で、難しい問題があると、わからへんといってそのまま逃げていってしまうような感じです。母親は常々、お父さんは頼りないと愚痴をこぼしていました。
>僕の母親は僕が中学に進学する前に癌になりました。そして僕が高校卒業後、すぐに癌で他界しました。
>今現在の僕は、無職で頭痛があってなにもできない状態の自分に、すごく激しい自己嫌悪を抱いています。これは「途方も無く努力してスーパーヒーローにならなきゃいけない」という強迫構造が影響しているのでしょうか?

何度も説明していますが「強迫構造が原因です」。
影響じゃありません、原因です、
現在の自己嫌悪の原因は、「象徴化された母親のイメージに叱られる」のような不安の連想から、その悲観的な興奮(悲劇の主人公的興奮)によって欲求の一部を代謝(これは行動の完結なので、脳内では「欲求の解決」=快感です)に依存しているからです。
つまり、「新聞配達員にでもなって一人暮らしでもすっか」とは思えないのです。


>セルフカウンセリングという作業をやりました。その作業では涙はでませんでした。
>その当時、母は乳がんを患いながら、僕や弟が学校をうまく過ごせておらず、そのことを母はかなり悩んでいたらしいです。最近、祖父母に聞いたところ。ただ、アルバム(母が写っている写真)を振り替えり、母がどういう気持ちだったのかを考えると、すごくすごく涙があふれてとまりませんでした。

象徴化された時点で母親のイメージは現実の母親から離れ、自我の一部になります。
ですから『強迫的自我で生きている=象徴化された母親と一体である』となり、実際の母親への心象風景に対する関心は薄れます。
アルバムを見て涙したのは、人格の一部になっている象徴化された母親は「そもそも元はほんとうに生きていたあの母親だったのだ」と思い出し、一瞬自分から「強迫が離れ(本物の母親に置き換わった)」写真をた時に「象徴化のフィルターを通さず現実の母親をはじめて直視したような錯覚」を引き起こしたからでしょう(=初めて実感を伴って母親の気持ちを考えた)。


>僕の好きだったプログラムや数学や物理の勉強をやる気が全くなくなってしまってます。
>なぜか無気力でなにもする気になれないのです。
ここも関係ありますね。
 ↓
>薬を飲んである程度、頭痛は和らいでいますが、それでもしんどい状態です。
精神科の処方する薬には、そもそも欲求全体の刺激認知を抑える(ストレスも何も全部抑えてしまう)事によって、ひとまず強制的に楽な状態にするという対処療法的な機能もあるので、一種の副作用としてそういう事例も起きます。
しかし、精神科の薬には離脱作用(禁断症状)も表れるので、薬の量を減らしたい場合には医師に相談してください。

付け加えるとするなら「自己嫌悪的な内向性の代謝(悲劇の主人公的な落ち込みで=行動しなくても興奮状態になるので=行為しなくても欲求が代謝する)」によって、問題のない能動性や動機形成が代謝されてしまい、簡単に言えば「やる気も同時に消費されている」という一面もあるでしょう。


>「内向性の代謝」に人格構造としてこれを志向しているとはどういう意味ですか?
>そしてどうしてそれが外交的な投げかけ(カウンセリングそのもの)が不快に感じるのですか?
>無意識のレベルでは、一時的な利益「内向性の落ち込みによる代謝」を失いたくないとはどういう意味ですか?
>相対的には「外交的接点はその利益の一部喪失である」とはどういう意味ですか?

現在の内向性の代謝に脅迫的な人格は満足しているからですよ(いじめの悲劇性に象徴的母親も涙で認めている)。
確かに、スーパーヒーローほどの快感はありませんが、少なくとも「現実社会に出て実現できる内容=どこにでもいる普通の男」より、現在の悲劇的認知と内向性悲観論はより多くの欲求を満足させているからです。
「外に出る=そこには人並みの人生しか望めない」
今の強迫的な人格から見ると、それは「損な取引」だからです。

なので、今引き篭もり逃げ込んだ自分だけの世界から現実の社会との接点を維持しようとする試み=カウンセリングは不快なのです。
簡単に言えば逃げ込んだ押入れにむかって「出ておいで」と声をかけているんですからね。
「嫌だよ!出るもんか」となるワケです、
ですから、カウンセリングの場でも無言だった。
「この人が優しいお母さん(象徴化された)だったらなあ=今の逃げ込んだ世界を認めてくれたらなあ」という甘えと興奮で、カウンセラーを見たのです(=出ておいでの声掛けを拒絶した)。


>>「内向性のストレスにより欲求の代謝は自己愛的想像の世界(悲観)に向かい、その傾向は”無意識なので”これを問題視する認識が現在の自意識には無い」

>これは、「自分が望むのは象徴化(=過剰に美化された)された母親のような存在に寵愛されることだ」という欲求で、「象徴化された母親ぐらいの女性とつりあう男はスーパーヒーローのような人物だろう」という関連性から、「途方も無く努力してスーパーヒーローにならなきゃいけない」というように、無意識に思っていることと考えて間違いはないですよね?

間違いありません。
付け加えるなら「他の選択は許されない(叱られるから)」。


>僕自身には未だに自分の心に象徴化された母親のイメージの自覚はないのですが、無意識に心の中に存在しているのは、今までの僕の行動や感情から間違いないのでしょうか?

何度も繰り返しますが間違いありません。


>それは僕が中学・高校のときに全然勉強せずに、母親に怒られてばかりいたからでしょうか?
>僕の本心としては母親に褒められたかったのに、それとは逆の行為、怒られてばかりの中学・高校の6年間があったからなのでしょうか?
>それともそれ以前に、もっと幼い頃に影響があるのでしょうか?
>僕は小さい頃、よく押入れとかに逃げ込んでいたらしいです。父親とか母親に怒られて。とにかく怒られると、どこかの押入れとか、そういった場所に逃げ込んでいたようです。

「優しい心をもった温かみのある女性がいいです」「可能ならば、その心理士さんに抱きしめてもらいたかったです。母が子を抱きしめるがごとく」
この母親のイメージはあなたの願望でしょう。現実の母親は「そうじゃなかった」のではないですか?


>そして今現在ですが、僕の心は震えているような状態です。
>何故かわからないですが、
>動悸と共に、心が震えている、すごく精神的に不安定です。そして布団のなかでは、体を縮めています。体を伸ばすのではなく、足を曲げて、胸のところ近づける感じで、体全体を小さくして、縮こまっています。布団の中で三角座りに近いような状態です。

それは以前からでしょうか?分析の返信以降でしょうか?
分析以降であれば、脅迫的人格が揺さぶられて解消の方向に動きだしたからでしょう。
分析以前からであれば、象徴化された母親に叱られる恐怖でしょう。


>「非常に難しい勉強をなんとかして理解しなければいけない、そして彼女をつくらなければいけないと、いろいろ努力して、その結果、ある日、突然、激しい吐き気と共に、一気に体調がおかしくなり、それから精神科通いが始まりました。」
>ここで勉強をなんとかして理解しなければいけないと、強迫的に思っていたのは事実です。
>ですが、彼女をつくらなければいけないというのは、ちょっと表現がおかしかったかもしれません。正確には彼女がほしくてしかたがなかったという状態です。
>意味合い的にはつくらなければいけないと強迫的に思っていたのと、欲しくてしかたなくていろいろな努力をしていたというのは、無意識からの強迫があったというのと同じことなんでしょうか?

ここは前項で説明していますね。
あのたの「彼女」という言葉には「母親以外」という意味が込められています。
ここには二面性があって、すべての難関をクリアして強迫から逃れたいという願望が(強迫構造の自覚がなかったので)「彼女」という言葉を選択させた。と、同時に「全ての難関をクリアしたら、象徴化された母親の寵愛をうけるだろう」という喜びと、
しかしここで「結婚できるだろう」という言葉が選ばれていませんから、彼方の本音は「母親がらみの強迫から逃れて、母親以外=彼女が欲しい」と思った。

若干この気持ちにも解説が必要です。「どうしても彼女が欲しかった」のは、「全ての難関をクリアして象徴化された母親から開放される」というイメージが=「自分と一体になっていた母親像に空白が生まれる」事になり、独立しひとりの男として生きていく自立が十分ではない彼方は、「母親の穴を埋める彼女がどうしても必要だ」と思っていたからでもあるからです。
この「彼女のが欲しい」の感情には、特別に複雑に気持ちがからみあっていると考えられます。


>いまいちどういうことをしていくのかわかりません。
この返信を補完するなら、
■それから返信についてですが、私はOTDからのメール転送を用いている事と一度保存してからテキスト草稿を起こしているのであまりに多数の加筆訂正は控えてください。その度に修正個所を点検しなくてはいけないので、
慌てて返信せずに(その間に私のレスを読み直して解釈が変わる事だってあるでしょうし)、少し考える時間をもってから返信していけば何度も訂正する必要性はなくなる筈です。

又「全体の流れと結論から説明しましょう」の冒頭部分で説明している結論(構成)には、一貫して何も変わる部分はありません。
各論の説明に「違和感があるので」と個別の質問を繰り返しても大きな意味はありません(もぐら叩きのように他の疑問に移り変わるので)。
精神分析に違和感があるのは当たり前だからです。何故なら本来自意識に認定されていない話を聞き取りから構造分析しているものなので、それが現行自意識に「なるほどそうか」と手を叩くように納得できるのなら、この場で相談しなくても自分なりによく考えれば気がつくレベルだという意味になりますし、私は「はーなるほどこれはナントカ症例なので、これが原因」等とトンチンカンな分析をしているのでは無く「この場で語られた言葉を素材に」分析を加えているのであって、それは彼方自身の言葉です。
つまり返信を受けて「そういう事になっているとするなら?」と考えを進めてくだささい。違和感があってもです、
各論に質問を続けても、その各論の論旨は詳しい説明がつくだけで何ら大枠が変更されることはありません。
違和感そのものが大事であり、私が直接的表現(極端なわかりやすさ)を回避しているのにも理由があります。
『自分で考える時間が重要だからです。』
暗記するように「はい、そうなのか」的に安易に納得されたとしても、それが「誤解による勝手な認識」となってしまう心配がありますから(強迫自我の都合のいいように意図的に後解釈されて)。
※面談によるカウンセリングなら週に一回ぐらいのペースでも丁度いいぐらいなのです(次の面談まで心理的な変化はどうだったのかが次の面談の課題になるので)。
「これどういう意味かな」ぐらいの間接性が「自分自身で考える余白」になっている方が大事です。
ここは「返信をこういう意味なんだと解釈してみました」と”自分の言葉”に置き換えていく作業に時間をあててください。
その”考える”過程によってポイントは絞られてくる筈です。
精神分析的アプローチとしては、その過程が大事ですから、
716 丁寧な対応ありがとうございます。引き続き、この掲示板でよろしくお願いします。 頭痛を持っている患者 2006/12/05 23:24
こんばんは。
頭痛を持っている患者です。

いつもいつもkagewariさんには大変お世話になっております。
本当に感謝しております。

>公開掲示板の注意事項は「スレッドを削除しない(公開性=「それを読んで参考に
>することができる」公共性から運営している趣旨があるので)」部分と、昨今のイ
>ンターネット社会はセキュリティー上の問題が多いですから『個人を特定するよう
>な書き込みは避けるべき』となります。
>そこいら辺に注意すれば、運営上の問題はありません。

この公開掲示板でのサポートカウンセリングお願いいたします。
ですが、サポートカウンセリングとはどのように進められるのでしょうか?
kagewariさんは僕のこの無意識に存在する強迫構造の解放の仕方を
ご存知なのでしょうか?

>情報があるのなら、非常に参考になるという意味です。
>彼女の言葉がどういう動機に基づくものなのか?言葉だけでなく、その真意を探
>ることができるからです。
>彼女の子供時代の夢はなんだったのか?彼女も家庭内で一流大学を強制されて
>育ったのか?彼女の学校生活や一流生活以外の活動はどんなだったのか?です
>よ。

僕の祖父母(母方)のは今も生きています。
祖父母は商売人で、ただひたすら努力に努力を重ねてきた人たちです。
とにかく頑張れとよく言うタイプの人間です。
人間には根性が大切だというそういう感じのタイプです。
祖父母はとにかく我慢して頑張れというタイプでした。
母親は一人っ子で寂しく過ごしたようです。
母親は一人っ子で寂しかったので、子供を4人も作ったようです。
父親に関しては特にわかりません。
前にも述べたように、難しいことがあったら、
わからへんといって逃げてしまうという感じです。

>ここは「一流大学に進学しなければならない」等というナンセンスな話の言い出
>しっぺは誰か?という部分が重要でしょう
>父親は傍観者のように「どっちでもいいだけ」だったのか?
>父親に一流大学志向があったのか、
>母親主導であった場合、何を根拠にそんなすっとんきょうなナンセンスな話を思
>いついたのか?

これは父親と母親と共に一流大学に進学してほしいと思っていました。
なぜなら一流大学ほど一流企業に就職しやすいからです。
父親も母親もそういう経済的な理由で一流大学に進学して欲しいと思っていました。

>夫婦そろって今時「一流大学に進学しなければならない」なんてナンセンスな話
>をマジに信じていたら、そっちの方が問題でしょう。

これは僕が小学生の頃は1990年代であり、
まだまだ受験神話、一流大学神話がしっかりと残っていた時代であり、
決して一流大学を目指すのがナンセンスだった時代ではありません。
まだその当時は大企業がつぶれるなどといった社会情勢ではありませんでした。

>大事なのは「何でそんな(一流大学)ナンセンスな話に彼女は必死だったのだろ
>う?」この理由が知りたいからです。

ですから、その僕が小学生だったころには、まだナンセンスではなくて、
むしろ一流大学に進学することこそが幸せへのパスポートのような
イメージがあったからです。

>彼が頼りないという印象なのは、単に「気が小さく大人しい」だけだとすると、
>ここはお見合いから結婚までの経緯が大事になりますが、

結婚してから父親が頼りないことに気づいたようです。
結婚する前から父親が頼りないとは気づいていなかったようです。
母親は男性との付き合いがあまりなく、
その男性がしっかりしてるかどうかが、あまりわかっていなかったと思います。

>好きな事をしていると、叱られるんですよ。
>象徴化されて自分の人格を強迫している母親のイメージに、

僕はその当時、好きな勉強をしていても苦痛ではなかったし、
むしろ楽しかったです。
とても自分の中の象徴化された母親のイメージに叱られていたとは
全く思えないのですが。

> 崋分はどこにでもいる普通の男に過ぎない」と「いじめ」は一部共通項に
>なっています。
>◆嵋寨莠分はスーパーヒーローで、象徴化された母親像に寵愛される」は、
>「自分は普通の男」なんて考えを絶対認めたくありません(いじめを我慢した理
>由の一部)。
>しかし、いじめがあった事は母親の耳に入り(この時点で自分の自我の象徴化
>された母親のイメージも「いじめ」を認めざるを得ない)、母親が泣くことでい
>じめ悲劇性だけは認められた。
>い靴し今現在も「やたらと勉強しなくてはいけないという強迫は残っている」
>⇒「自分は普通の男」なんて認められない
>ゼ分は普通の男か?と素で聞かれればどう考えても「間違いなくどこにでもい
>る普通の男だ」
>Δ匹考えても「自分はスーパーヒーロー」的なナンセンスな人格は不安定化し
>ている
>Г修龍迫的人格に対して、自意識の不満は高まっている(頭痛なんだし)
>╋迫的人格が唯一認めた「いじめの想像」という形に”強迫に対する不満”が
>表れている(普通の男だとは思えないので)。
>皮肉な事に、このロールプレイング(役割を演じる)は。
>いじめを受けるのが強迫的自我で、いじめているのがあなたの本音なんですよ。
>「どこにでもいる学生と同じで、俺だっていじめされてるじゃん」と、
>その裏の意味は「スーパーヒーローもいい加減にして現実の問題(いじめ)に対
>処すべき」=「一流大学どころか、どこにでもいる普通の男の人生の方が問題だ
>ろ」でもある。

このように僕の自意識が現実をしっかりと理解しつつあるわけですから、
僕の脅迫的自我も少しずつ、少しずつ影響をうけて、
強迫構造から解放されていってくれることはないのですか?
それともなにか特別な心理療法のようなものをうけなければだめなのですか?
たとえばカウンセリングとか。
もしくはこの掲示板でkagewariさんとのやり取りを繰り返せばいいのですか?
カウンセラーの方は僕の強迫構造を解放する方向に、
僕自身を誘導してくれるのでしょうか?
カウンセラーの方が僕自身がその強迫構造に縛られる必要がないということに、
心の底から僕自身が気づくように。
もしくはkagewariさんとのこの掲示板でのやりとりで、
僕自身がその強迫構造に縛られる必要が無いと、
心のそこから思えるようになるのでしょうか?
非常に強く誇張され象徴化された母親のイメージから、
普通の母親の記憶に変えるのには一体どうすればいいのでしょうか?

>非常に強い抵抗(殴り飛ばす夢)がありますね。
>大きな枠で考えれば「強迫構造の障壁は強固ではない」と思います。
>ただ現在の強迫的人格の自己防衛的抵抗が非常に強いと、

僕の無意識の自我の強迫構造には夢に出てくるほどの強い抵抗がありますが、
この僕の自我の強迫構造から解放されることは本当に可能なのでしょうか?

>非常に強く誇張され象徴化された母親のイメージが存在しています。その象徴化
>された女性像は反抗期よる幻滅(幼児特有の誇大視による誤解が現実レベルに還
>元されるため)として本来現実的なイメージへ移行するものなのですが、その象
>徴化が現実の女性像に還元されていません(以降=異性への関心が完全に社会の
>場に変わる)。

僕は今からでも象徴化された母親のイメージから、
現実的なイメージへ移行することは可能なのでしょうか?
もし可能だとしても、どういうことを行えばいいのでしょうか?

>母親の許さない領域(普通の男=半導体一筋とか)を自由に考えることは今もっ
>て出来ていないのです。

半導体は大学の研究テーマだったので、
半導体一筋=「途方も無く努力してスーパーヒーローにならなきゃいけない」
という強迫構造になるのでは??

>その時「家庭内で大騒ぎ(一挙に反抗期)」にでもなっていれば、当時思春期な
>のですから急速に人格の大人化というチャンスを掴めたのかも知れないって事で
>す。

今からでも人格の大人化をしたいのですが、
一体どうすればいいのでしょうか?

>簡単に今の状態を、わかりやすく説明するなら。
>頭痛は問題なのでなんとかしたいが「象徴化された母親の部分には触れるな
>よ」、それぐらいなら「僕にはなんにもできっこないと落ち込んで頭が痛くなる
>ほうがいい」と逃げ込んでいる状態です。
>「僕にはなんにもできっこないと落ち込んで頭が痛くなる」状態でも一部の欲求
>は「悲劇の主人公的な興奮」で代謝(消化)するからです。

僕はそんな頭痛の状態は嫌です。
象徴化された母親の部分にどんどん触れて、
強迫構造から解放されたいんです。
でも何をすればいいのかがわかりません。

>解決するのか?
>分析レポートは「自分自身に投げられたボール」のようなものです。

分析レポートとは、今こうやってkagewariさんが書いてくださっている、
僕自身の分析結果のことですか?

>これをどう受けるのか?或いはどう投げ返せばいいのか?
>それを選択するのは彼方自身になります。
>「多少なりとも問題のある人格でも、これを自分のアイデェンティティーだと選
>ぶ」って道だってあるのですから。

どうすればいいのでしょうか?
僕は強迫構造から解放されたいんです。

>簡単に言えば前述のとおり、今の自分(強迫構造)を変えたくないのです。

僕の無意識は強迫構造を変えたくないと思っているのですか?
でも僕の自意識は強迫構造から解放されたいです。
このジレンマはなんとかなるのでしょうか?

>本来あるべきカウンセリングとは、その内省の過程をモニターし考えの流れる方
>向に誤りがあればこれの方向を修正して、相談者の人格が固有の負荷も無く自然
>に考えている状態なのか確認する作業です。

これはkagewariさんとの掲示板のやりとりで、
自分の考えの強迫構造に支配されている部分を見つけ出していって、
それを修正していくと考えればよいのでしょうか?

>強迫構造を破壊し意味不明の象徴化を普通の『母の記憶』に還元したいとは思っ
>ていないのです(保守・自己保存欲求)。
>しかし、強迫構造からは(窮屈なので脱出したい)。

僕はこの強迫構造から解放されたいです。
意味不明の象徴化された母親のイメージを普通の母親の記憶に還元したいです。
でも僕の無意識は拒んでいるわけですか?
どうしたら無意識が変わっていってくれるのでしょうか?
今の自意識と無意識とのジレンマの解決とは一体どうやってなされていくのですか?
自意識と無意識のジレンマの解決方法は存在しているのですか?
僕は心理学はわからないのでなんとも言いようが無いのですが、
僕のような強迫構造から解放された例というのは存在しているのでしょうか?
それとも強迫構造からの解放方法みたいなのが確立しているのでしょうか?


>こう考えてください。
>そもそもスーパーヒーロー自体がナンセンスなんですから、
>「どっから考えてもどこにでもいる普通の男が自分をスーパーヒーローにならな
>くちゃいかないみたいに勘違いをしている。どうやってこの男(自分)にそれが
>ナンセンスなのか説得すればいいだろう?」
>強迫構造自体はどってこのとのないものです。
>単なる記憶ですから、
>問題なのは「今の意識」です。取り組む意志ですよ、

どのように取り組めばいいのでしょうか?
取り組む意思というのがよくわかりません。
もう極めようなんて思わずに、
気楽にやっていくかって思いながらやっていけばいいのでしょうか?
意識のレベルでは自分が普通の男であることに気づいているわけですから、
無意識もその意識の影響をうけて少しずつでも、確実に、
普通の男でいいと思うようになっていってはくれないのでしょうか?
そもそも僕には強迫構造からの解放というのが、
どのような過程を経て解放されるのかが全く想像できません。
今でも無意識にいろいろな数学や物理を勉強したいという気持ちはありますから。純粋に数学や物理が好きだからというのもあると思いますが、
やはり強迫構造が影響しているのですよね?
プログラムの勉強に関しても同様なんですよね?
でも実際に好きなのと、強迫構造が混じっていると非常にややこしいですね。


>それが変われば「職業に対する希望や、異性に求めるものすら変わるだろう」同
>時に「兄弟に対する評価、父親に対する評価も変わり」中には考え方が180度転
>換するものも出てくるでしょうという意味です。

ということは、現在プログラマーに再びなりたいと思っているわけですが、
それも現在強迫構造に支配されているが故にということですか。
しかし、純粋にプログラム自体がおもしろいと僕は思っています。
強迫構造から解放されてからプログラマーになりたいと思う可能性は
十分考えられるわけですよね?

>「母親の強迫下にあったのか」と認定できれば、スーパーヒーローはその瞬間に
>意味を失います。
>スーパーヒーローの必要性は「象徴化された母親のイメージ」を根拠に生まれた
>発想だからです、
>根拠を失い合理性を担保できすに発想自体が瓦解するって事ですよ。

僕は母親の強迫下にあったのかと、どうすれば認定できるのでしょうか?
それはやはり自分が心の底から全然普通のどこにでもいる人間なんだから、
大して何もできなくていいやって気楽に思えるようになった状態ですか?

>現在の自己嫌悪の原因は、「象徴化された母親のイメージに叱られる」のような
>不安の連想から、その悲観的な興奮(悲劇の主人公的興奮)によって欲求の一部
>を代謝(これは行動の完結なので、脳内では「欲求の解決」=快感です)に依存
>しているからです。

僕は仕事にでたら、まだ強迫構造からの自己嫌悪は少なくなりそうですね。
仕事をしたら、まだ頭痛は楽になりそうですね。
仕事をすることすらしていない自分というのは、
「途方も無く努力してスーパーヒーローにならなきゃいけない」からは
ずっと離れすぎているからこそ、余計に緊張が生じていると考えたほうが
よさそうですね。

>現在の内向性の代謝に脅迫的な人格は満足しているからですよ(いじめの悲劇性
>に象徴的母親も涙で認めている)。
>確かに、スーパーヒーローほどの快感はありませんが、少なくとも「現実社会に
>出て実現できる内容=どこにでもいる普通の男」より、現在の悲劇的認知と内向
>性悲観論はより多くの欲求を満足させているからです。
>「外に出る=そこには人並みの人生しか望めない」
>今の強迫的な人格から見ると、それは「損な取引」だからです。

僕は今現在の自宅に閉じこもっている状態は嫌です。
ちゃんと外にでて会社で働きたいです。
僕の心の中では自意識と強迫構造の自我との間で、
今は戦いが行われているような状態なのでしょうか?

>「優しい心をもった温かみのある女性がいいです」「可能ならば、その心理士さ
>んに抱きしめてもらいたかったです。母が子を抱きしめるがごとく」
>この母親のイメージはあなたの願望でしょう。現実の母親は「そうじゃなかっ
>た」のではないですか?

僕にとっては優しい母親でした。
現実の母親も優しい母親だったと思います。
ただ、中学生以降、僕が勉強していなかったので仲はあまりよくありませんでした。

>分析以降であれば、脅迫的人格が揺さぶられて解消の方向に動きだしたからで
>しょう。
>分析以前からであれば、象徴化された母親に叱られる恐怖でしょう。

いえ、それはセルフカウンセリングで、
中学生当時のいじめの出来事を詳細に紙にかいて、
その当時の心境を思い返すという作業を行ってからです。
それをしてから心が震えるようになりました。
まるで心が脅えきっているようでした。

>違和感そのものが大事であり、私が直接的表現(極端なわかりやすさ)を回避し
>ているのにも理由があります。
>『自分で考える時間が重要だからです。』

はい、しっかりとkagewariさんの分析を読み砕いています。

>ここは「返信をこういう意味なんだと解釈してみました」と”自分の言葉”に置
>き換えていく作業に時間をあててください。
>その”考える”過程によってポイントは絞られてくる筈です。
>精神分析的アプローチとしては、その過程が大事ですから、

つまりkagewariさんの書かれた内容を、
自分自身の普段の行動において、自分の言葉で考えていくということですね。
自分の普段の一つ一つの行動が、それが自分の中の強迫構造からなされているものかどうかを吟味していくことが大切ということですね。


すみません、答えてもらえなかった内容なので、
もう一度聞きます。
>>この強迫構造をなくすことは可能なのでしょうか?
>>「別にスーパーヒーローである必要はなくて、
>>ありのままの普通の人間でいいんだよ」と思えるようになるのでしょうか?
>>また自分自身の精神的な成長にともない、
>>この強迫構造が自然となくなっていくということはありえないのでしょうか?
繰り返しになっている部分もありますが、申し訳ありません。

すみません、答えてもらえなかった内容なので、
もう一度聞きます。
>>どうしてそういう強迫構造が定着してしまったのでしょうか?
>>それは僕が中学・高校のときに全然勉強せずに、
>>母親に怒られてばかりいたからでしょうか?
>>僕の本心としては母親に褒められたかったのに、
>>それとは逆の行為、怒られてばかりの中学・高校の6年間が
>>あったからなのでしょうか?
>>それともそれ以前に、
>>もっと幼い頃に影響があるのでしょうか?
>>僕は小さい頃、よく押入れとかに逃げ込んでいたらしいです。
>>父親とか母親に怒られて。
>>とにかく怒られると、どこかの押入れとか、
>>そういった場所に逃げ込んでいたようです。
繰り返しになっている部分もありますが、申し訳ありません。


ここまで読んでくださってありがとうございました。
717 大枠からもう一度説明します(1)容量オーバーで分割します kagewari 2006/12/07 17:34
細部の質問を繰り返しても意味はありません。
むしろ、「それは自分で考えたのではなく知識として教わったに過ぎない」という前提が成り立つので、容易に「今は考えが変わったのでこれらの話は関係なくなった」といつでも否定できるからです。

答えだけを聞くことは、理解したいと考える行為と反比例します。
今回も全ての質問は、前後関係の質問で全て解答済みの話であり、それに個別に答えても「納得した理由が私の話だけ」であれば、「これも聞いてみたいな」という動機ひとつでそれは質問になります。
つまり、それはカウンセリング(相談者自らが助言を求める)という構造全体に対する妨害(強迫構造の自己防衛反応)であるからです。
@つまり質問の文章の在り方に、問いかける当事者の心理状況が表れているという意味です。

何故なら、今わからない話もポイントを絞った質問を繰り返すうちに「同じ関連性があるので」同時に理解が進むのですから、本来自分から理解を求める事であれば「自分で考える余地」をむしろ残したいものです。何から何まで解答を求めても、それは理解とかけ離れます。
プログラムの事がご存知なら良くわかる筈です、大事なのは基本構造で末端の枝別れした処理は試行錯誤でどうにでもあるものですし、同時にそれはテストDATA流しがなら自分で考えてもいいのです。そんな試行錯誤の中で論理構造のシンプルで高速なプログラムとなります。常に全ての答えを求めてもそれは現場に即したものでなければ(実体験)、資格テストに合格するためだけの知識に過ぎない。
そこで詳細な部分に拘りつづけて大枠の基本構造に回す集中力がそがれれば、余計に全体の処理の意図や目論見を見失って「局面オタク」みたいな効率の悪いプログラムになってしまいませんか?

又質問の投げ方の在り方にも理解が進む度合いは関わります。
「一番いいメーラーは何ですか?このメーラーならいいんですか?」
この設問に意味が無いことはちょっとPC使う人なら誰でもわかります。
「今このメーラー使っているんだけれどどう思う?」
これなら質問になります、
それが前提なので掲示板でのやりとりは、初心者であれば以下となるのが妥当だし、既にネット特有の言葉使いになっています。
「お勧めのメーラーは何ですか?」

「お勧めのメーラーは何ですか?」
この言葉には、選択の自主性(自己責任)が含まれます。
「このメーラーならいいんですか?」
この言葉は、子供が親に許可を求めているようなもので、一般社会ではむしろ相手を不快にさせます。
何故なら、子供が親に許可を求める構造は「無力で責任の取れない未熟な人間が、責任者に許可を求める」という流れなので、つまり選択の責任を相手に持たせるものだからです。

メーラーにはそれぞれに個性と機能に差があって、それが良かったり悪かったりするのは個人の判断であって、「自分はこういう理由でこれを使っているが」と答えるのが正解になります。
つまり
「一番いいメーラーは何ですか?このメーラーならいいんですか?」
この設問に答える事ができるのは、素人だけです。
「マイクロソフトのアウトルックの事?」
わかりますか?当事者が同じように無責任だから成立する会話です。
この会話は素人同士の軽い会話であって、ほとんど両者に得るものも無いのです。

■それに似た傾向の質問があります。
まずそれをひとつにまとめてしまいましょう。
質問全文を編集して、捉えやすい形にまとめなおしました。
これらは強迫的人格からの刺激(ストレス)による「似非(えせ)的」疑問からくる質問です=意味が無くカウンセリングを総花的に散漫化するだけ。
ですからそれぞれに返信はつけていますが、軽く読み飛ばしてください。今回の返信のメインは下段の項『各論質問への返信です。』からになります。

>kagewariさんは僕のこの無意識に存在する強迫構造の解放の仕方を
ご存知なのでしょうか?
>もう一度聞きます。
>>この強迫構造をなくすことは可能なのでしょうか?
>>「別にスーパーヒーローである必要はなくて、
>>ありのままの普通の人間でいいんだよ」と思えるようになるのでしょうか?
>心の底から僕自身が気づくように。もしくはkagewariさんとのこの掲示板でのやりとりで、僕自身がその強迫構造に縛られる必要が無いと、心のそこから思えるようになるのでしょうか?
>でも僕の自意識は強迫構造から解放されたいです。このジレンマはなんとかなるのでしょうか?


まず「ご存知なのでしょうか?」ですが、これは「あなたの話はインチキではない保証がありますか」と同義ですここは精神分析相談事務所ですからね、心理的悩みを専門に取り扱っている掲示板です。
実際私はどういう過程で強迫構造に変化が起きていくのか(母親の象徴化が無くなればそもそもスーパーヒーローの想像は根拠を失う等)それに類する話を既に返信にしているし、私のHP上の心理学テキストにその構造と、解消の過程を説明しています。
と、同時に何回も紹介していますが、
◆前のスレッドのnakaさん「心理カウンセリングを受けていますが不安です」を読んでください、
ここに、カウンセリングにおけるその効果の過程と、解消についての経緯がかなり詳しく論議されています。

「なくす事は可能でしょうか」「ありのままの・・・と思えるようになるでしょうか」「こころの底から思えるようになるでしょうか」は全て、強迫構造が解消可能なのか?の問であり、これは上記説明同様これまでの返信で全て説明済みです。

”分析レポートはボールを投げられたのと同じだ”と、お話したとおり、それを受けて強迫的な考え方を変えた立場から過去を振り返るのは彼方自身です。
これまでの数回に及んだ質問の経緯でわかる事だと思いますが、私の説明に対する違和感は強迫的認識の結果であり、その不快感は「違うのじゃないか?本当か?」という疑問(⇒可能なら覆したいという欲求)として表れます。
ですから、その信憑性をうんぬんする前に一度「なるほどそうだったのか」という思考を前提にして考え、考えた末に「だとするとここはどうなるのだろう」と、テーマが進行していくのが望ましいのです。
単に解答を求めるなら、「はいそうですか」となるだけで何ら自我の認識には至りません。

簡単なんですよ
「何度考えても納得いかないのですが」と言い続ければ、一生それを否定し続ける事が可能ですからね。
「なるほどそうか」と一度思って、あれこれ他の事も考えてみたが「この部分はどうなのでしょう?」と思考を進める事で、話が具体論に及ぶのです。
その末に「やっぱり前提に疑問がある」となった時の質問は
「こうだとするとこの局面はこうであり、だとするとこうなる筈なので、よく考えるとそれは前提条件の疑問に繋がる。この判断は間違いでしょうか?」という質問になる筈だからです。

>「なくす事は可能でしょうか」
強迫構造が原因です=強迫構造が解消すれば解決
>「ありのままの・・・と思えるようになるでしょうか」
彼方次第です。強迫構造によって自我が偏向するのはマイナーですから(ほとんど人は通常の生活をしている)、自我自体には「偏向したい」という傾向はどこにも存在しない=強迫構造が原因です=強迫構造が解消すれば解決
>「こころの底から思えるようになるでしょうか」
思えないのは強迫構造が原因です=強迫構造が解消すれば解決
>「このジレンマはなんとかなるのでしょうか?」
強迫構造が原因です=強迫構造が解消すれば解決

>「ご存知なのでしょうか?」
だからHPを立ち上げています、
自己責任として、このHPはインチキだなと思えば書き込みを止めて他を探せばいいのです。
私は何ら強制していませんし、だからこそここは自由に書き込める公開掲示板なのです。


>僕は今からでも象徴化された母親のイメージから、現実的なイメージへ移行することは可能なのでしょうか?もし可能だとしても、どういうことを行えばいいのでしょうか?
>それともなにか特別な心理療法のようなものをうけなければだめなのですか?たとえばカウンセリングとか。
>今からでも人格の大人化をしたいのですが、一体どうすればいいのでしょうか?
>もしくはこの掲示板でkagewariさんとのやり取りを繰り返せばいいのですか?カウンセラーの方は僕の強迫構造を解放する方向に、僕自身を誘導してくれるのでしょうか?

「自分には母親の象徴化があり、これが今の自分の強迫構造の中心である」を前提に「何故スーパーヒーローなのか」「何故一生分の本を買ったのか」「何故研究者になりたかったのか」等これまでの人生を振り返る事です。
何度も内省によって、解消は進んでいくと説明した筈です。
又「とにかく今の頭痛だけなんとかして(問題は先送り)できることだけ(バイト)でも始めるか」という選択もあるのです。決めるのは彼方で、その自己決定を考える過程として「自分には母親の象徴化があり、これが今の自分の強迫構造の中心である」を前提として考えるって事ですよ。
だったらどうするか?これを考える。
現状は強迫下にあるんですから、強迫が無い状態を前提にしても意味無いですからね。
又、強迫構造が反抗期を抑え込み幼児的な自我を温存したと説明していますので、これも強迫的な自我を解消するという事と、大人として自立する自己責任を身に付けるという過程は同義です。

>「僕自身を誘導してくれるのでしょうか?」
ここでも繰り返しになりますが、選ぶのは彼方です。
私は牧師や神父じゃありませんから、「こう考えれば強迫的思考だろう、この考えはそれからの脱出過程だろう」と、質問に答える形で助言をする事になりますが、それを受けてどうするのか選ぶのは彼方で助言自体は「中立的意見」に過ぎません。
何か特定の人格に誘導するなら、そりゃ”洗脳”ですよ、


>>「多少なりとも問題のある人格でも、これを自分のアイデェンティティーだと選ぶ」って道だってあるのですから。
>どうすればいいのでしょうか?僕は強迫構造から解放されたいんです。
>非常に強く誇張され象徴化された母親のイメージから、普通の母親の記憶に変えるのには一体どうすればいいのでしょうか?
>強迫構造から解放されたいんです。でも何をすればいいのかがわかりません。
>僕の無意識の自我の強迫構造には夢に出てくるほどの強い抵抗がありますが、この僕の自我の強迫構造から解放されることは本当に可能なのでしょうか?

>「どうすればいいのでしょうか」
強迫構造が原因です=強迫構造が解消すれば解決
>「何をすればいいのかがわかりません。」
何度も内省が、自身のシステムに対してのデバッグであると説明しています。「自分には母親の象徴化があり、これが今の自分の強迫構造の中心である」を前提に今の自分を考える事です。
>「解放されることは本当に可能なのでしょうか?」
精神分析の学問は、それを研究した精神科医フロイドの論文を元に始まったものです。
(以降重複するのでコピペします)
自己責任として、このHPはインチキだなと思えば書き込みを止めて他を探せばいいのです。
私は何ら強制していませんし、だからこそここは自由に書き込める公開掲示板なのです。

>この公開掲示板でのサポートカウンセリングお願いいたします。サポートカウンセリングとはどのように進められるのでしょうか?
>分析レポートとは、今こうやってkagewariさんが書いてくださっている、僕自身の分析結果のことですか?

何度も説明していますが、カウンセリングとは質問に対する返信(中立的助言)を受けて、だったらどうだろうと一定期間考えたり生活していく中で考え方の変化等を「いろいろ考えてみたらこの場合はどうなのだろう」という風に確認していく作業で、これは内省の形で進行します。
(以降重複するのでコピペします)
◆前のスレッドのnakaさん「心理カウンセリングを受けていますが不安です」を読んでください、
ここに、カウンセリングにおけるその効果の過程と、解消についての経緯がかなり詳しく論議されています。

>「分析レポートとは、今こうやってkagewariさんが書いてくださっている、僕自身の分析結果のことですか?」
これも前の返信で答えていますが、既に精神分析プロファイリングの『構成』レベルまで話は進行しています。
HPにあるように、有料の精神分析が『構成』ですから「非常に強い母親の象徴化があり、これが今の自分の強迫構造の中心である・・・」のレポート(私の返信は)は精神分析レポートですよ。
ここは「世間話をする談話室」ではありません。

以降は全て前述の返信が答えになっているので個別にはコメントしません。
===========ここから========================
>どうしたら無意識が変わっていってくれるのでしょうか?
>今の自意識と無意識とのジレンマの解決とは一体どうやってなされていくのですか?
>自意識と無意識のジレンマの解決方法は存在しているのですか?
>僕は心理学はわからないのでなんとも言いようが無いのですが、僕のような強迫構造から解放された例というのは存在しているのでしょうか?
>それとも強迫構造からの解放方法みたいなのが確立しているのでしょうか?
===========ここまで========================


■以降は各論質問への返信です。
以降の質問には、自分で考えた過程が含まれるのでカウンセリングの過程として有効な部分が含まれています。
つまり、本来は返信は以降の部分だけでいいのです。
これまでも、返信の必要が無い或いは重複していると思われる部分は私の判断で編集して返信してきました。
今後もその方向に違いはありません(編集し必要があれば削除します)。
そもそも現行の強迫構造には「一生分の本」同様「なにからなにまで」のような過剰性があるのであって、質問の多数かと長文化は彼方の現在の自我特有の強迫パターンであってそれ全てに答える事は分析の散漫化による逆効果を生むからです。
これまで「異例とも言える文章量の多さ」に限りなくガチに返信してきましたか、その趣旨は「脅迫的自我の意図(散漫化)」の心配が少なかった点(質問導入部であるため前後の返信の内容に統一感と関連性があれば「結果的にひとつの質問に答えているのと同義となるため」)と、これは常にこの掲示板の運営で心がけている事ですが、「ひとつの返信で以降の継続が予定されていない」ので、可能な限りひとつの返信に完結性を保とうとの私なりの考えがあるためでした。
質問の内容を考え「編集削除し要点を絞って返信する形の幅」は、やりとりの進行に応じて私が判断します。

では今回の個別返信です(以降本題です)。

>僕の祖父母(母方)のは今も生きています。祖父母は商売人で、ただひたすら努力に努力を重ねてきた人たちです。とにかく頑張れとよく言うタイプの人間です。人間には根性が大切だというそういう感じのタイプです。祖父母はとにかく我慢して頑張れというタイプでした。
>母親は一人っ子で寂しく過ごしたようです。母親は一人っ子で寂しかったので、子供を4人も作ったようです。
>父親に関しては特にわかりません。前にも述べたように、難しいことがあったら、わからへんといって逃げてしまうという感じです。

>結婚してから父親が頼りないことに気づいたようです。
>結婚する前から父親が頼りないとは気づいていなかったようです。母親は男性との付き合いがあまりなく、その男性がしっかりしてるかどうかが、あまりわかっていなかったと思います。

ここまでの新情報から推定される事は、「はやり母親には彼女自身に強迫構造があった」という部分です。
ここは次の返信と意味合いが重なるので、次の項の質問への返信とワンセットで一度読んで反復してください。
「ただひたすら努力に努力を重ねてきて(一生かかっても読めない本のように)、とにかく頑張れとよく言うタイプの人間が、一人娘に女子中・女子高・女子大というエスカレートで大学に進学し、その後小学校の教師になる道を歩ませた」
「本人にとってその道が自分の本当の希望ではなかった証拠は、結婚してすぐに辞職した事(結婚するだけなら一流コースの必然性は最初から無い)と、”自分のおかれた境遇は寂しかったので”4人の子供を作った(間接的な両親に対する抵抗:一人っ子なのでなんでも頑張る世界を強要された)」
「その強迫構造の結果、人格が幼かったので異性の関係は得意ではなく、結婚に対しての見方も”好きな人(恋愛)”や、頼りがいのある男(バリバリ強気の男らしさ)を選んだのではなく、結婚し辞職⇒出産を優先し、無難に一流どころの男と結婚した」
「自分は子供の母親となることで(両親の希望はなんとか強引に進学し教師になることでケリを付けた)、両親の圧力から逃れたつもりだが、進学しないとこれから逃れられ無いことを身をもって実感していた彼女は無意識に自分の子供達に高学歴志向を押し付けた」
「結婚し出産するための道具に過ぎない父親は、蚊帳の外にあり、同時に妻の猛烈な”ただひたすら努力に努力を重ねなければならない”的な考えにはついていけずに傍観者としてそれに干渉しなかった。と同時にそんな強迫にひとりやっきになる妻を”アホかお前”と救おうとも思わなかった。何故なら彼にも一流大学志向があり、彼女はそれを見込んで彼と結婚したのだろうから(ぐちゃぐちゃ邪魔されないように)それは予定の範囲だった。」
「しかし、強迫的に息子達に高学歴志向を押し付ける事には”最初から合理的根拠が無い為”彼女の自意識にも薄々自分の論理矛盾に気がついていただろうに、それは振り返りたくない(自分の両親の否定になるので)。なので彼にも子供達に一流志向を押し付ける共犯者として(自分の気落ち的負担が軽くなる)、夫にも”勉強頑張れ”的な参加を期待したが、彼は(そんな強迫が無いので)そしなかった(頼りにならなかった)」


>父親と母親と共に一流大学に進学してほしいと思っていました。
>なぜなら一流大学ほど一流企業に就職しやすいからです。父親も母親もそういう経済的な理由で一流大学に進学して欲しいと思っていました。
>僕が小学生の頃は1990年代であり、まだまだ受験神話、一流大学神話がしっかりと残っていた時代であり、決して一流大学を目指すのがナンセンスだった時代ではありません。
>まだその当時は大企業がつぶれるなどといった社会情勢ではありませんでした。
>ですから、その僕が小学生だったころには、まだナンセンスではなくて、むしろ一流大学に進学することこそが幸せへのパスポートのようなイメージがあったからです。

私は「今の自分の立場(いい歳した現代の自分)から、過去を省みてください」と言った筈です。
当時の雰囲気から「彼らを弁護的に解釈してあげましょう」とは言っていない筈です、
予想がつくと思いますが、後者の判断は強迫的自我が自分の保身のために(なにせ中心は母親の権威ですから)、都合の悪い歴史的認識を自分の都合のいいように解釈するための方便です。

つまり「あの時代は軍国主義だった、だから父親があの当時近所の朝鮮人を差別し虐待していても自然だ」
自然じゃないでしょうよ。
「あの時代は軍国主義で、残念な事に私の父もそんな考えに傾倒していた。私の父は近所の朝鮮人を差別し、彼に暴力を振るった。僕はそんな父親の姿を今も許せない。ある日彼が、昔は俺も随分酷い事をしたと後悔している言葉を聞いたが、あの時血まみれになっていたあの朝鮮人は今の彼を許すだろうか?」
これが歴史的認知です。両親として見るのではなく、ひとりの人間として見るという見方です。
「あの時代は仕方がなかった」と言うならあなたは、「僕らの時代には”いじめ”が流行でもあった」とそう言えますか?

その当時の解釈も間違っています。
私は昭和40年産まれですが、私の受験時代に既にTV番組の特集は『一流大学志向の愚かな親が大問題』でしたよ。これは既に教育問題で受験戦争なるものが始まったのは私のひとつ前の世代からで、私の世代では既に社会問題(そうマジで考えている人は愚かな人)として認定されていました。進学受験塾なるものが大量発生したのも私の世代からです。
つまり80年代から90年代にかけてその(社会問題)認識は一般的でした。90年代からはバブルが始まりますし、バブルと言えば成金の時代と同時に誰でもどっかの大学には入学できる飽和の時代を迎えていて、「企業より職種(彼方のようにプログラマーやディーラー)」にプライオリティーが発生した時代です。
又これは普遍的な文化人類学的解釈ですが、日本の企業で”大企業”と呼ばれるのは全体の3%に過ぎません。97%の企業は中小零細であり、簡単に言えばいかに『圧倒的大多数の日本人の世帯は中小零細企業に勤務していても結構幸せに生きている』これは証明されています。たった3%の大企業に入社しなければならないと意味不明に思い込み、やたらと受験勉強に熱狂するのは「異常」であって、それ自体「強迫観念」です。
私の世代におけるTVの特集でも「親達はどんな理由でそんな愚かな強迫観念を持ってしまうのか?」がテーマでしたよ、
どうでんぐり返しても「自分の子供達4人全員を一流大学へ進学させる」等の発想は、いかなる時代でもナンセンスです。
彼女(母親)には”強迫傾向があった”これは間違いないでしょう。

>>好きな事をしていると、叱られるんですよ。
>>象徴化されて自分の人格を強迫している母親のイメージに、

>僕はその当時、好きな勉強をしていても苦痛ではなかったし、
むしろ楽しかったです。とても自分の中の象徴化された母親のイメージに叱られていたとは全く思えないのですが。


そのとおりです。好きな勉強しかしない彼方を叱るのは”実の母親”であり、象徴化された優しい母親は叱りません。
この説話は、以下の条件の話でした。
「今でも自分の好きなことをやると、いじめっ子の顔が頭に浮かび、自分の好きなことをやると無意識にまた、いろいろと難癖をつけられるのではという恐怖感が生じる」
「ところが大学4年の卒論研究で、僕は研究者(好きな事)を目指していたのですが、非常に難しい勉強をなんとかして理解しなければいけない、そして彼女をつくらなければいけない(彼女ができるだろうの推定は「好きな事でも研究者の地位なら強迫クリアの推定=母親離れ」)と、いろいろ努力して、その結果、ある日、突然、激しい吐き気と共に・・・」

ここの『好きな事』には、二面性がありますね。
第一に好きな事しかせずに、母親の望む勉強をしていないと叱られた。
それでも好きな事をカッコいい研究者ぐらいのレベル(全般的な一流志向ではなくスーパーヒーロー的解釈)になれば、彼女が出来る=母親の強迫からも逃れられる。
つまり、直線的にも象徴化された母親と同じ現実の母親(母親連想)に叱られる不快感。
本当はスーパーヒーローは実現不可能なのんですが(研究者になっても本当に彼女ができるのではない)、本人信じきっていますから、強迫的自我的にはスーパーヒーローを実現されそうになるのも困る。「クリアして母親を捨てるのか」
つまり「研究者になって、母親にそれを認めてもらおうと思った」のなら頭痛は起きなかったかもしれません(死別していたのでこれは適わなかった)。
しかし同時に強迫構造は別次元で残り、研究者として失敗してから症状は発生したかもしれません。
又、同時に好きな事をしていると、「それどころじゃないだろうお前」と、現実的な不安(研究者になっても何にも解決しないのですから「∞の構造」)が押し寄せているとも言えます。

つまり、現在の”好きな事”そのものがスーパーヒーロー的な発想の影響を受けているからであって、素の彼方が「気楽に考える好きな事ではないから」と考えるべきでしょう。


>>皮肉な事に、この(いじめ)ロールプレイング(役割を演じる)は。いじめを受けるのが強迫的自我で、いじめているのがあなたの本音なんですよ。「どこにでもいる学生と同じで、俺だっていじめされてるじゃん」と、
>>その裏の意味は「スーパーヒーローもいい加減にして現実の問題(いじめ)に対処すべき」=「一流大学どころか、どこにでもいる普通の男の人生の方が問題だろ」でもある。

>このように僕の自意識が現実をしっかりと理解しつつあるわけですから、僕の脅迫的自我も少しずつ、少しずつ影響をうけて、強迫構造から解放されていってくれることはないのですか?
>(上記と重複)
>もう一度聞きます。
>>また自分自身の精神的な成長にともない、
>>この強迫構造が自然となくなっていくということはありえないのでしょうか?

上記の話は「スーパーヒーロ的強迫自我を刺激しなくて済みますから。⇒いじめを思いだす理由」で私が説明を加えた、いじめの想像下におけるロールプレイングの構造説明です。
つまり、彼方はそれを自然に思いつけるのではなく、いじめの投影であったり強い不安感でしか感じ取れないのですから、「自意識がしっかりと認識しつつある」とは言えません。
つまり「なるほど自分はそう思っているのか」と考える事を心がけて、過剰に勉強しようと考えたりあれもこれも勉強したいと思うときに「これはナンセンス、そんな考えに俺は迎合しない」と自分自身にきっぱり言い切る気持ちが大事です。
その過程を繰り返せば、一段一段と強迫構造は力を失っていくでしょう。
つまり「これはナンセンス、そんな考えに俺は迎合しない」と言い切り「これは俺の信念だ」とその掟を守る事に、自立的な優先順位(守らなければならないキマリという意識)が成立すれば、少なくとも実現性の無い勉強に対して決別できるので、その時点で好きな事をしていてもそれはスーパーヒーローの連想を発生させないからです。

随分前にも話しましたが、「ボールを受けてその後を選択するのは彼方です」ってこういう意味ですよ。
「よしわかった、二度と過剰な勉強はしない。それこそ過剰な勉強は学問を汚し、その敵である!」ぐらいの信念を持つ事です、
その気持ちが維持できるのか?という継続性が問われます。


>>母親の許さない領域(普通の男=半導体一筋とか)を自由に考えることは今もって出来ていないのです。

>半導体は大学の研究テーマだったので、半導体一筋=「途方も無く努力してスーパーヒーローにならなきゃいけない」という強迫構造になるのでは??

つまり、私は「あれもこれも」ってスーパーヒーロー部分を除いた場合のモデルを仮想して「半導体一筋」と呼んだのです。
プログラムも捨て、物理数学という総花的な考え(全部の本ったら大変です)を捨て、企業の一技術者が取り組むような個別テーマ「半導体」を取り上げて(強迫が無くなった時選ばれるかも知れないので)、『普通の男=半導体一筋』ととう仮説で表現したのです。
「一筋」=「他は捨てる」


>>簡単に言えば前述のとおり、今の自分(強迫構造)を変えたくないのです。

>僕の無意識は強迫構造を変えたくないと思っているのですか?
以下と重複するのでまとまて答えます
  ↓
>>強迫構造を破壊し意味不明の象徴化を普通の『母の記憶』に還元したいとは思っていないのです(保守・自己保存欲求)。しかし、強迫構造からは(窮屈なので脱出したい)。

>僕はこの強迫構造から解放されたいです。意味不明の象徴化された母親のイメージを普通の母親の記憶に還元したいです。でも僕の無意識は拒んでいるわけですか?

前述の両親の根拠が希薄な弁護(無意識に彼らを正当化する論旨を選んでしまう)、であったり冒頭説明した過剰な質問(現実かなりの数の質問がその論旨で重複している)であったりと、「特別自意識には思い当たるふしも無いのに」結果的に「レポートを受けて自立的に考えてみる」というプロセスを阻害したり複雑化させている。強迫構造とは、結果的に自意識の判断を支配するので、自意識の判断は少数意見に過ぎず「口だけ」のレベルでしか無いのです。
ですから、前述した「これは俺の信念だ」との言い切りのような手法で、一定の主導権を自意識で確保する(相当意図的気合入れてやらないと強迫構造に歪められ、言い訳がましい台詞が出てきます)という構えが必要になります。



>>本来あるべきカウンセリングとは、その内省の過程をモニターし考えの流れる方向に誤りがあればこれの方向を修正して、相談者の人格が固有の負荷も無く自然に考えている状態なのか確認する作業です。

>これはkagewariさんとの掲示板のやりとりで、自分の考えの強迫構造に支配されている部分を見つけ出していって、それを修正していくと考えればよいのでしょうか?

今やっている作業になりますが、臨床系でも採用される行動療法のように、リラックスする方向の行動やスケジュールについていの方向性を私から助言する事もあります。それを実行に移しながら、その状態がどうであったか等を確認する事も大事になります。
しかし、基本的には「強迫構造に支配されている部分を見つけ出していって、それを修正していく」と考えて間違いありませんそのとおりです。


>>こう考えてください。
>>そもそもスーパーヒーロー自体がナンセンスなんですから、
>「どっから考えてもどこにでもいる普通の男が自分をスーパーヒーローにならなくちゃいかないみたいに勘違いをしている。どうやってこの男(自分)にそれがナンセンスなのか説得すればいいだろう?」
>>強迫構造自体はどってこのとのないものです。
>>単なる記憶ですから、
>>問題なのは「今の意識」です。取り組む意志ですよ、

>どのように取り組めばいいのでしょうか?
>取り組む意思というのがよくわかりません。もう極めようなんて思わずに、気楽にやっていくかって思いながらやっていけばいいのでしょうか?意識のレベルでは自分が普通の男であることに気づいているわけですから、
>無意識もその意識の影響をうけて少しずつでも、確実に、普通の男でいいと思うようになっていってはくれないのでしょうか?
>そもそも僕には強迫構造からの解放というのが、どのような過程を経て解放されるのかが全く想像できません。今でも無意識にいろいろな数学や物理を勉強したいという気持ちはありますから。純粋に数学や物理が好きだからというのもあると思いますが、
>やはり強迫構造が影響しているのですよね?プログラムの勉強に関しても同様なんですよね?でも実際に好きなのと、強迫構造が混じっていると非常にややこしいですね。

ここ、前述の「これは俺の信念だ」との言い切りのような手法で同様に説明していますね。
その方法論は自分自身で選ぶものです「課題」と考えたり「命題」と考えたり「目標」だったり「信念」だったり「俺流」だったり「掟」であったり、それは各人のアイデェンティティーに関わることなので、自分に合った形の取り組みを自分自身で考えていってこれを実践する事になります。


>>中には考え方が180度転換するものも出てくるでしょうという意味です。

>ということは、現在プログラマーに再びなりたいと思っているわけですが、それも現在強迫構造に支配されているが故にということですか。しかし、純粋にプログラム自体がおもしろいと僕は思っています。
>強迫構造から解放されてからプログラマーになりたいと思う可能性は十分考えられるわけですよね?

こここは『半導体一筋』の項で説明しましたね。
それが「フラッシュ一筋」であったり「DATAベースの達人」であったり「ネットマーケティング一筋」になったり「大型汎用システム一筋」になったり「リナックスサーバ一筋」であったり「スタイルシートの達人」であったり「シェアウェアの開発」になったりするのです。
つまり、具体性の乏しい漠としたカテゴリー『プログラマー』のような大風呂敷的考え方は止めるべきでしょう。
もっと具体的で、リアルな”目標”であったり作戦になるって事です。
「作戦」とは、自分は何と何が得意だからそのナントカ性が武器になる、これを生かす場所は「○○○」だ、のような実効性のある考えです。

好き嫌いの大枠に変化が無くても、「好きな事」を考えるフレームが変化するようなものです。
当然その結果「ラジオでも組み立てようかな」とか思っても不思議じゃありません。
「半田ごて買おうかな」とか、


>>「母親の強迫下にあったのか」と認定できれば、スーパーヒーローはその瞬間に意味を失います。
>>スーパーヒーローの必要性は「象徴化された母親のイメージ」を根拠に生まれた発想だからです、根拠を失い合理性を担保できすに発想自体が瓦解するって事ですよ。

>僕は母親の強迫下にあったのかと、どうすれば認定できるのでしょうか?それはやはり自分が心の底から全然普通のどこにでもいる人間なんだから、大して何もできなくていいやって気楽に思えるようになった状態ですか?

まず、強迫下にあったのは間違いありません。ここには疑問を挟まないでください。
次に「認定できれば」との意味は、強迫的傾向から解放されおっしゃるとおりに「それはやはり自分が心の底から全然普通のどこにでもいる人間なんだから、大して何もできなくていいやって気楽に思えるようになった状態」です。
この時「知識や言葉だけでなく、自我として認定した証拠」となるでしょう。
それまでは、何やかにやと強迫について認める事ができずに、同時に健在な強迫構造は自我の判断に干渉してくるでしょう。


>>現在の自己嫌悪の原因は、「象徴化された母親のイメージに叱られる」のような不安の連想から、その悲観的な興奮(悲劇の主人公的興奮)によって欲求の一部を代謝(これは行動の完結なので、脳内では「欲求の解決」=快感です)に依存しているからです。

>僕は仕事にでたら、まだ強迫構造からの自己嫌悪は少なくなりそうですね。仕事をしたら、まだ頭痛は楽になりそうですね。
>仕事をすることすらしていない自分というのは、「途方も無く努力してスーパーヒーローにならなきゃいけない」からはずっと離れすぎているからこそ、余計に緊張が生じていると考えたほうがよさそうですね。

ここは「バッチリ」ですね。

仕事だけとは限りません。外出、趣味の活動から空手・体操ストレッチ何でもいいです、明日から腹筋500回腕立て50回4セットでも構いません、実際の行動を強制的にでも実践するのです。その行動で幾分かの欲求は間違いなく「現実の行動により代謝」します。
つまり総量として幾分かでも内向化して頭痛の元になっている欲求を通常の行動により消費する事ができるのです。
強迫構造が残っていてもも、この「とにかく行動する」という行為でこれに抵抗できます。
「空手道場に通っていた時には症状はほとんど無かった」のは、上記が理由です。
ベタな対処療法ですが、カウンセリングの過程と平行して行う場合投薬と違い副作用はありませんし「健康になります」。
※この対処療法は強迫構造そのものに対しては有効な手段というものではありませんが、当面苦しんでいる症状を緩和する有効な手段です。

>>現在の内向性悲観論はより多くの欲求を満足させているからです。
>>「外に出る=そこには人並みの人生しか望めない」
>>今の強迫的な人格から見ると、それは「損な取引」だからです。

>僕は今現在の自宅に閉じこもっている状態は嫌です。ちゃんと外にでて会社で働きたいです。
>僕の心の中では自意識と強迫構造の自我との間で、今は戦いが行われているような状態なのでしょうか?

ここも「バッチリ」ですね。
重要な事は、その戦いで意思決定の権限を持っているのは「現在強迫構造である」という部分です。
ですから、これを覆す考えをカウンセリングの進行で「意図的に脅迫的ではない考え方(本は読まないとか)を、トレーニングのように実践する」のです、納得いなくてもその考え方を導入するような感じです。
当然その時強迫構造の抵抗が起きます(意味不明の屁理屈や、何かいかにも道徳的な反発)。ほとんど意図的な自意識による決断に対する「疑問」としてそのストレスは抵抗してきます。これを一切無視しなくてはいけません。
しかし、その過程には当然抵抗と戦うために精神的な疲れに繋がりますから、無理をしないように心がける事も大事です。

>>この母親のイメージはあなたの願望でしょう。現実の母親は「そうじゃなかった」のではないですか?

>僕にとっては優しい母親でした。現実の母親も優しい母親だったと思います。
>ただ、中学生以降、僕が勉強していなかったので仲はあまりよくありませんでした。

最後の『推定稿』と被りますから、ここでは一部のみ返信します。
つまり、その母親は同一人物です。
「一流志向を脅迫的に子供達に強制する人物」に違いはありません。
ですから、それは幼児期にも母親の表情や、行動の端々に微妙に「将来の怒る母親像」の一部が表現されていた筈で、勘のいい子供なら「なんとなくその違和感を感じる」ものなのです。
つまり、幼児期のその同一人物である母親を「優しい人だ」と認定したら、それは母親への『現実離れした象徴化の始まり』と、捕らえる事もできるのです。そして、その象徴化像は「勉強しなさいと怒る母親の姿」を見たときから、現実の母親から離れ内向化しイメージの世界に構造化する。
つまり、現実の母親の怒る姿が受け入れがたく、象徴化された母親像として現実の母親から分離し、自分の内向的な想像の世界に「母親の本当の姿」のような位置付けで構造化する。


>>分析以前からであれば、象徴化された母親に叱られる恐怖でしょう。

>いえ、それはセルフカウンセリングで、中学生当時のいじめの出来事を詳細に紙にかいて、その当時の心境を思い返すという作業を行ってからです。
>それをしてから心が震えるようになりました。まるで心が脅えきっているようでした。

ここは、彼方の自己申告を間に受けた心理士がPTSDへの療法的アプローチをやってしまい(あくまで精神科では患者の申告する理由を原因として認定します)、トリガーに過ぎないいじめを追体験させてしまったために「まんまと自分自身の強迫構造の脅しに利用されてしまって、結果的に不快感が倍増した」と考えるべきでしょう。
しかし、こういった事例について精神化を責めるわけにはいかないのです。
彼らの主な機能性は「投薬」と「表面的なカウンセリング」であり、また特に精神科通院者のニーズもそこにあるからです(深層心理的な解決策を希望しないタイプの人が多い)。
718 大枠からもう一度説明します(2)容量オーバーで分割します kagewari 2006/12/07 17:36
>>”自分の言葉”に置き換えていく作業に時間をあててください。
>>その”考える”過程によってポイントは絞られてくる筈です。精神分析的アプローチとしては、その過程が大事ですから、

>自分自身の普段の行動において、自分の言葉で考えていくということですね。
>自分の普段の一つ一つの行動が、それが自分の中の強迫構造からなされているものかどうかを吟味していくことが大切ということですね。


ここも「バッチリ」です。
「自分の強迫構造を自意識で直視し、それを前提にして行動していきます」何でもいいのです。書棚を整理する・コンビニに出かける・身体を鍛える・『本を読まない』の習字を繰り返す・朝のランニングを開始する・昔の友達に会ってみる・不登校だった弟とレポートの内容を論議してみる・将来の希望職種を絞り込んでみる・本を全て処分する事で自分自身に決意表明する・これまでの学校生活における自分の社会性(行動や会話内容)を点検していみる・自分と関わった人物の自分に対する評価をもう一度確認してみる(カウンセラー女性の事例のような誤解が無数にある筈です)、何でも構いません。それらを行う中で”自分なりの言葉”として「何があって何が自分を追い詰めていたのか」が少しずつ明解になるはずです。

ある意味、一番話が合いやすいと思われる「不登校の弟との会話」からは得るものが多いかもしれません。
彼を仮想「分析以前の自分」と見て、今どんな考えを持っているのか聞いてみるのもいいでしょう、それが結果的には弟さんも楽にするかも知れませんからね。


■ここ以降には、分析の大枠にからむ前提となる内容に関わる事項なので、別途特別に取り扱い返信します。

>もう一度聞きます。

以下の質問は、最初から申し上げていますが「象徴化された母親の強迫が認められます」とお答えしていますとおり、彼方の記憶を知っているのは彼方なので、私は「その強迫が認められます」という分析による助言をしたのです。巻末に私の推定を記載しますが、これは本来彼方が考え「これがきっかけだったかもしれない」「あの時から始まったのかもしれない」と記憶を辿って過去を省みる思考の後に、確認されていくものです。
こころや記憶はスキャニングできませんから、私は彼方の言葉から「思考の構造」を分析しているのであって(言葉使い、文法、質問や設問の構造、文章の内容、選択される単語、実際に語られている質問内容、キーとなるエピソード、各論における感情的力点。これらと心理学的に論証されている自我構造の照らし合わせ。)、私は超能力者でも霊能者でのみょうちくりんな新興宗教の信者でもありません。
未確定な事を無責任に発現する立場にも無いし、そういう思想も無いからです。
つまり、一定期間上記の私の返信を受けて、認識に動きが出てきてから初めて思い出す事もかなり含まれる(無意識に抑圧されている記憶もある)ため、以下の質問に早急に結論を出すのは逆効果になりかねません。
強迫的自我の記憶のみを題材にそれを推定すれば、結論が強迫的自我にに誘導される怖れがあるからです。
ですから、これまで下記に関わる返信は、断片的な解答(確度の高い分析のみ)に留まった形で返信してきました。

@ですから、現在のところ私の分析プランとして『推定稿』として考えている要旨を「参考」として巻末に添える事で返信に代えます。

>>どうしてそういう強迫構造が定着してしまったのでしょうか?
>>それは僕が中学・高校のときに全然勉強せずに、
>>母親に怒られてばかりいたからでしょうか?
>>僕の本心としては母親に褒められたかったのに、
>>それとは逆の行為、怒られてばかりの中学・高校の6年間が
>>あったからなのでしょうか?
>>それともそれ以前に、
>>もっと幼い頃に影響があるのでしょうか?
>>僕は小さい頃、よく押入れとかに逃げ込んでいたらしいです。
>>父親とか母親に怒られて。
>>とにかく怒られると、どこかの押入れとか、
>>そういった場所に逃げ込んでいたようです。

『推定稿』
幼児期から母親の言動には、仕草や表情或いは怒る時の雰囲気に将来一流教育を強制し同時に「努力努力とひたすら頑張る」という彼女自身の強迫傾向が「どこかに見え隠れしていたと推定される」。幼児は理解不能(母親の幼児期に何があったなど知る由も無いので)な現象があると、なんとかして親を擁護する方向で”事実を歪めてでも親を正当化する傾向”がある。何故なら幼児にとって生命に関わる親との関係において不安感を残す事は耐えられないストレスになるからだ。
つまり、感受性の強い子供ほど「親の違和感」に気がつくため、親の象徴化が起きる起きないには個体差(幼児の個性)があり、一律の法則は無い。
押入れに逃げ込む行為には二つの可能性がある。
可能性1「母親も自分自身の強迫傾向を歓迎している筈もない(苦しいので)ので、幼児期には通常の母親以上に溺愛した可能性がある」⇒「彼女の強迫構造が起動するのは進学時期が見え始めてから(これがトリガーになる)になるため」
可能性2「幼児期から怒る時だけは母親に強迫的自我特有の怖さがあり、これを認めがたいため押入れに逃げ込む事で⇒これは本当の母親の姿ではないと、怒っている母親の姿を見ないように逃げ込んだ」
可能性1の場合でも、2の場合でも同様に『極端に優しい母親という象徴化』は避けられず、現実の母親と幼児の優しい母親のイメージが乖離すれば乖離するほど、イメージ化された母親は現実の姿から離れ無意識の「想像上の幸せなイメージ」のように固定化される。
しかし、その象徴化された母親のイメージも、「同じ母親」という連想(リンク)は消えることが無い(写真を見て涙)、
つまり「優しい母親の連想の裏には、強圧的に怒る母親の実像が隠れる事になる」。
同時に母親を一度極端に象徴化してしまうと、現実の母親に対する関心を失う事になるため、現実の会話や関係によって「あ〜母親ってこんな人なのか」と、一人の人間として彼女を見るチャンスは大幅に後退(イメージ化によって現実の母親に対する関心が落ちてしまっているため)、結果的に想像上の母親のイメージはより現実の母親像から乖離する。
結果的には、無意識の想像上の優しい母親像は、幼児期に逃げ込んだ押し入れと同義となり、何か不快な事があったり現実の場で問題があるとき「同じように逃げ込む場所」となり、それが「想像の世界に逃げ込む」=内向化傾向を定着させてしまう。
しかし象徴化された母親像の裏には「ここに逃げ込むためにはスーパーヒーローでなくては」の連想を発生させるし、前述のとおり常に背後に怒る母親という恐怖も隠れている。つまり、想像上の世界に逃げ込む事は強烈なプレッシャーを本人に与える結果になる。
これは現実の母親に比べて優しい母親との間の乖離が大きければ大きいほど、同時にその連想も誇大なイメージになってしまう現象で、現実との接点を失いつねに内向的な思考をしてしまうという強迫傾向へ移行する。
強迫傾向への以降は、幼児期には存在しない性欲が思春期に登場するため、その欲求が追加圧力となるため強迫傾向も思春期に連動してエスカレートする。この強迫傾向にいじめは「おいおい何やっているんだお前、想像の母親の世界に逃げ込んでいるぜこいつ!」のような形で関与し、いじめの記憶は常に強迫傾向の秘密(象徴化された母親)を脅かす(所詮幻想)存在なので、いじめをきっかけに安定していた強迫構造は破綻し、論理矛盾している内容(ジレンマ)が自我に認識され、頭痛や自己嫌悪のような各種問題を表面化させた。
これは自意識そのものが、虚偽を前提とする強迫的意識を『本音は拒絶しているため(薄々その嘘を知っている)』。

皮肉な事に、いじめは潜在的な問題を表面化させる意味を持っていた。
719 丁寧な対応、本当に感謝しております。 頭痛を持っている患者 2006/12/07 22:22
こんばんは。
頭痛を持っている患者です。

いつもいつもkagewariさんにはしっかりとした、
回答ありがとうございます。
失礼な質問の仕方などがあり、大変申し訳ありません。
当方、決して、kagewariさんを信用していないわけではなく、
当方の語彙力や読解力のなさ等から失礼な表現になってしまいました。
本当に申し訳ありません。

>トリガーに過ぎないいじめを追体験させてしまったために「まんまと自分自身の
>強迫構造の脅しに利用されてしまって、結果的に不快感が倍増した」と考えるべ
>きでしょう。

すみません、これは心理士に関係なく自分で勝手にやりました。
強迫構造の脅しに利用されてしまったとはどういう意味ですか?

>「なるほどそうか」と一度思って、あれこれ他の事も考えてみたが「この部分はど
>うなのでしょう?」と思考を進める事で、話が具体論に及ぶのです。
>その末に「やっぱり前提に疑問がある」となった時の質問は
>「こうだとするとこの局面はこうであり、だとするとこうなる筈なので、よく考え
>るとそれは前提条件の疑問に繋がる。この判断は間違いでしょうか?」という質問
>になる筈だからです。

わかりました。
自分のやってみたいと思うこと、
それが強迫構造の影響を受けているのか、
それとも関係ないのか、そういうことを質問させて頂きます。

>「自分には母親の象徴化があり、これが今の自分の強迫構造の中心である」を前
>提に「何故スーパーヒーローなのか」「何故一生分の本を買ったのか」「何故研
>究者になりたかったのか」等これまでの人生を振り返る事です。
>何度も内省によって、解消は進んでいくと説明した筈です。

まず、「何故スーパーヒーローなのか」、
それは僕にもよくわかりません。
『象徴化された母親像(イメージ化)に誉められたい、誉められなければ絶望だ』という思いが自意識にあったわけではないので、
なんともいいようがありません。
もともと中学生の頃から数学が得意で、
数学を究めるのがかっこいいというイメージはありました。
いじめを受ける以前からスーパーヒーローになりたいという
イメージがあったかどうかは定かではありません。
ただ、その当時は、まだ高校、大学とあるから、
ある程度いい加減でも、まだ時間はあるさと、
勉強させすれば自分はきっとできると思ってはいました。


そして、「何故一生分の本を買ったのか」ですが、
僕が買った本の分野は主に、
「電子回路工学」「プログラミング」「数学」「物理学」です。
特に多いのが「電子回路工学」「プログラミング」です。
ジュンク堂書店などといった本屋さんで、
少しでも重要そうな内容が書いてあると、
それを理解しなければいけないと無意識に思いました。
理解しなければ仕事をすることができないと思いました。
実際には理解をしていなくても仕事ができる側面はあるのですが、
僕はただ単に言われるままに仕事をするのが好きでなく、
何故そうなるのかという理論がわかっていなければ、気がすまない性格です。
とにかくどうしてそうなるのかという理論が、仕組みが気になってしかたないのです。そしてその理論がわからなければ、すごくすごく不安になり、
もう、自分はおしまいだのように思ってしまっていました。
自分でもどうしてこれほど極端に思ってしまったのかが、
不思議です。
とにかく完璧に理解できなければいけないという思いが強かったです。
この当時ほどではなくても、
それでも今でも理解できない内容があるとすごく凹みます。
今では完璧に理解するなんていうのは無茶があると思っていますが。
これは『象徴化された母親像(イメージ化)に誉められたい、誉められなければ絶望だ』のような強迫構造のために、『スーパーヒーローのような人間でありたい、むしろそうでなくてはいけない』と、思っていたが故になのですよね?


ただ、今でも「数学」「物理学」
「電子回路工学」「プログラミング」には興味があります。
今では、今すぐできなくても、一生かけて、少しずつ自分の趣味で
やっていけばいいじゃないかと思っています。
今は疲れているので、どちらもやる気が起こりませんが。
このように思うのは強迫構造とは違うのでしょうか?
それともこう思わさせているのも強迫構造させる業なのでしょうか?


そして、「何故研究者になりたかったのか」ですが、
『象徴化された母親像(イメージ化)に誉められたい、誉められなければ絶望だ』という思いが自意識にあったわけではないので、
なんともいいようがありません。
研究者がかっこいいというイメージがあるのはもちろんのこと、
ひたすら物理学(半導体物性)を追求していく作業が、
僕にはとても魅力的だったからです。
実際に勉強内容じたいもおもしろかったです。
研究者はすべてを極めているというイメージが僕の中にはありました。
半導体物性には量子力学という極めて難しい学問が必要でもあり、
それを極めるのがすごくかっこいいというのがありました。
物理学がもちろん好きだったのはありますが、
ですが結果として、研究室のレベルが高すぎて、ついていけず、
大学院進学を辞退しました。
これは『象徴化された母親像(イメージ化)に誉められたい、誉められなければ絶望だ』のような強迫構造のために、『スーパーヒーローのような人間でありたい、むしろそうでなくてはいけない』と、思っていたが故になのですよね?

>どうでんぐり返しても「自分の子供達4人全員を一流大学へ進学させる」等の発
>想は、いかなる時代でもナンセンスです。
>彼女(母親)には”強迫傾向があった”これは間違いないでしょう。

そうですか。
やはり母親にも脅迫傾向がありましたか。
母親にも〜〜できなければいけない的な雰囲気がありましたから。

>つまり、現在の”好きな事”そのものがスーパーヒーロー的な発想の影響を受け
>ているからであって、素の彼方が「気楽に考える好きな事ではないから」と考え
>るべきでしょう。

じゃあ、「数学」「物理学」「電子回路工学」「プログラミング」と
いった内容の僕の興味ある学問は素の僕が「気楽に考える好きな事ではないから」なのですか?
僕自身は数学とかの問題を考えるのが非常におもしろく感じるのですが。

>つまり「なるほど自分はそう思っているのか」と考える事を心がけて、過剰に勉
>強しようと考えたりあれもこれも勉強したいと思うときに「これはナンセンス、
>そんな考えに俺は迎合しない」と自分自身にきっぱり言い切る気持ちが大事で
>す。

はい、あれもこれもと手を広げるのではなく、
「数学」「物理学」「電子回路工学」「プログラミング」と、
たくさん興味のある勉強はありますが、
自分のもっともやりたいことに絞りたいと思います。
でもこの勉強を、この学問をしたいというきもちすら、
強迫構造によるものなのでしょうか?
上記の質問と重複になってすいません。

>つまり「これはナンセンス、そんな考えに俺は迎合しない」と言い切り「これは
>俺の信念だ」とその掟を守る事に、自立的な優先順位(守らなければならないキ
>マリという意識)が成立すれば、少なくとも実現性の無い勉強に対して決別でき
>るので、その時点で好きな事をしていてもそれはスーパーヒーローの連想を発生
>させないからです。

「数学」「物理学」「電子回路工学」「プログラミング」の、
どの学問もある意味スーパーヒーローを連想させてしまうのですが、
だめなのでしょうか?
これらのなかで絞って、あれもこれもではなくて、
今、自分が一番やりたいことだけをやるという形にしても
強迫構造によるものになってしまうのでしょうか?

>つまり、具体性の乏しい漠としたカテゴリー『プログラマー』のような大風呂敷
>的考え方は止めるべきでしょう。

今、一番やりたいのは「数学」です。
「数学」と言っても、高校生のやる受験数学で、
僕は高校生のころ真面目に数学をやっていなかったので、
もう一度しっかりとやって、楽しみたいと思っています。
これも強迫構造にあたるのでしょうか?
数学の問題を考えるという作業は非常におもしろいのですが。

>もっと具体的で、リアルな”目標”であったり作戦になるって事です。
>「作戦」とは、自分は何と何が得意だからそのナントカ性が武器になる、これを
>生かす場所は「○○○」だ、のような実効性のある考えです。

数学の勉強はいずれはプログラムのアルゴリズムの考え方に、
大きく影響してくるので、そういう意味で非常に実効性はあります。
数学をリアルな目標とするのはどうでしょうか?

>仕事だけとは限りません。外出、趣味の活動から空手・体操ストレッチ何でもい
>いです、明日から腹筋500回腕立て50回4セットでも構いません、実際の行動を強
>制的にでも実践するのです。その行動で幾分かの欲求は間違いなく「現実の行動
>により代謝」します。

これは先ほどあげた、数学と言う勉強でもかまわないでしょうか?
実際に机の上で試行錯誤するという点で、行動があります。
こう思わせるのも強迫構造のなせる業なのでしょうか?
数学をやらなければいけないという気持ちなら強迫行動だと思います。
でも、今のように純粋に問題を解くことを楽しみたいと思うのなら、
それは強迫行動ではないとおもうのですが、いかがでしょうか?

>ですから、これを覆す考えをカウンセリングの進行で「意図的に脅迫的ではない
>考え方(本は読まないとか)を、トレーニングのように実践する」のです、納得
>いなくてもその考え方を導入するような感じです。
>本を全て処分する事で自分自身に決意表明する

本を読まないというのは、もう一生本を読まないでおくべきということですか?
僕の中では、今すぐに読む必要はなく、読みたいときに読めばいいじゃないか、
そんなスタンスでいるのですが。
本を処分と言うのは僕にとってはつらすぎます。
強迫構造から本を買ってしまったかもしれませんが、
今では上記に述べたように読みたいときに読むかというスタンスなのですが。
それともこういう風に思うこと自体が強迫構造のなせる業なのでしょうか?

>「自分の強迫構造を自意識で直視し、それを前提にして行動していきます」何で
>もいいのです。
>何でも構いません。それらを行う中で”自分なりの言葉”として「何があって何
>が自分を追い詰めていたのか」が少しずつ明解になるはずです。

つまり、自分の心の中に発生する一つ一つの感情を直視して、
どうしてそう思うのかを、それが強迫構造によるものなのかどうかを
内省していくという作業を行うということですね。


そして今でもプログラマーという職業につきたいと思っています。
これも強迫構造のなせる業なのでしょうか?

僕には自分が好きでやりたいのか、
それとも強迫構造が僕を動かしているのか、
それともその両方の要素で動いているのか、
いまいちわからない状態です。

ただ、僕が目指すべきは、
象徴化された母親像(イメージ化)に誉められたい、誉められなければ絶望だ』のような強迫構造のために、僕自身が「何でも完全にスキルとして身に付けヒーローでもあるかのような人物になりたい」という強迫観念から解放されるために、
自分自身の一つ一つの行動が強迫行動からなされているものなのか、
もし強迫行動からなされていると気づけたのなら、
そういう行動をとる必要はないと気づいていくことなのですよね?


ここまで読んでくださってありがとうございました。
720 内容のいい方向に着眼が移動しつつありますね、 kagewari 2006/12/10 01:31
大事な事ですが、彼方の自意識の認識幅はまだまだ相当余力があると見ていいです。
強迫構造の監視が強いとこの「アイデアや着想を思いつく幅」がとても狭くなるの精神分析の初期的課程の「強迫認知」から一歩前進一歩後退を繰り返してそれが難航する事例が非常に多いのですが、
おそらく彼方の「数学的センス」がこれを認識するための”自意識の武器”になっていますね。
実は当初フロイドは心理学の力動的分析(数量的解析)に拘っていたのです(ロジカルな部分は数値化できないので力動的分析はほとんど失敗した)。なんでフロイドが力動的解釈に拘ったのかというと、無意識と自意識感の情報のやり取りには経済的原則が間違いなくあるからで(交換の法則のようなものです)、実際それを数値化するのはナンセンスなんですが数学的着想が精神分析に必要なのは事実なんですよ。
限りなく経済学に近いのです。「表面に見えない赤字国債は、潜在的に膨大な返済額となるが当該年次の予算編成には関係無い。それを心配するのは財政の実情(無意識)を知っている大蔵官僚だけになる」な感じです。つまり無意識に潜らせると「抑制がきかない」「必ずそれを弁済するのに追加の対価が必要になる(反動形成)」⇒政策の主導権が大蔵官僚に渡ると「大蔵官僚はその返済に異常に拘り(過剰に返済しようとする)、緊縮財政の結果逆に経済を悪化させてしまう」。ま、心理学の理論はほどほどにして、、
そんなわけで「無意識に強迫構造があると?」という”与件化”の発想が数学的センスに助けられて認識を早めたのでしょう。
思うに、彼方の数学的センスはアイデェンティティー(自分を『代数の哲』と名乗るみたいな話)と同等のキャラクターになる筈ですからこれを大事にしてください。

■では各論返信入ります

>>強迫構造の脅しに利用されてしまって、結果的に不快感が倍増した」と考えるべきでしょう。

>すみません、これは心理士に関係なく自分で勝手にやりました。強迫構造の脅しに利用されてしまったとはどういう意味ですか?
いじめ以来不安定化した強迫構造は、感情的な破綻を繰り返ししてしまいその構造を保守するために(自意識にその存在がバレちゃまずいので)、より自意識を強迫(脅迫)し、完全に主導権を回復しようとします。
簡単に言うと、いじめ以前の自分に戻ろうとする。
しかし、脅迫のキーパーソンである「母親も知ってしまった」という前提がある以上、いじめ以前への回帰は難しい。
簡単なんですよ「全てはいじめが原因だ」と自意識に思わせてしまえば脅迫構造は安泰ですからね。
そのいじめを思い出して恐怖する”ネタ”は脅迫構造は得意分野なんですし(〜しなければのような脅し)、
つまり、そういう事です。その強迫構造の影響下にある自意識は強迫構造の意図に従い、いじめを思い出すことで自分(=自意識)を追い詰め怯えあがらせる事に成功した。


>もともと中学生の頃から数学が得意で、数学を究めるのがかっこいいというイメージはありました。
>いじめを受ける以前からスーパーヒーローになりたいというイメージがあったかどうかは定かではありません。ただ、その当時は、まだ高校、大学とあるから、ある程度いい加減でも、まだ時間はあるさと、

ここは自意識の本音です
  ↓
「ある程度いい加減でも、まだ時間はあるさ」
問題を薄々認知していますよね、自分にかかっている強迫(ほんとはヒーローぐらいにやるもんだ)を。
それを認知(本当は空想の強迫に過ぎないので)しているので「ま、先送りしてもいいか(そんな部分は)」と思っていたんですよ。
ある意味、そんな気楽な環境もいじめによって(強迫構造の問題点が突然表面化していまったので)「時間的余裕を失った」。
後、基本的に先送りしかできなかったのですから本質的な解決には程遠い、そのタイムリミットが大学で頭痛が発生したタイミングだったのでしょう。

つまり「数学が好きだ」この部分は強迫ではありません。


>僕はただ単に言われるままに仕事をするのが好きでなく、何故そうなるのかという理論がわかっていなければ、気がすまない性格です。
>とにかくどうしてそうなるのかという理論が、仕組みが気になってしかたないのです。そしてその理論がわからなければ、すごくすごく不安になり、もう、自分はおしまいだのように思ってしまっていました。自分でもどうしてこれほど極端に思ってしまったのかが、不思議です。

前半の部分(言われるままに仕事をするのが好きでなく)は社会適応型認識ではなく自主独立性の高いタイプの人なら誰でも思うことです。これがモチベーションになって、通常独立志向の人は社会適応型の人格よりハードワークしますし、そのハードワークにも「費用対効果」の原則が働いているのでワリに合います。強迫によってエスカレートするのは「何でもかんでも」と際限が無い所です。
何故って「この仕事をするには”この知識が必要だな”」の判断は=具体的でなければナンセンスですし、同時に狙いが「この仕事のため」なんですから、無駄な努力をしている暇はありません。
@「普通の人なら勉強しないかもしれないがこれ”だけ”はやっておきたい」と思うものです。
もうわかりますよね(笑
「これ”だけ”」→『だけ』って発想じゃないと論理矛盾なんですよ。
『だけ』が総花的なあれこもれもじゃ話になりません。
「 ど れ が これ”だけ”の ”だけ”なのか?」
ここがアイデアであり、自意識の腕の見せ所です。決断するのが商売なんですからね、

反対側から考えれば後者の答えは出ます。
「これ”だけ”はやっておこう」の『だけ』を絞り込む”決断”ができないので、不安に思ってしまうのです。
当然強迫下にある自意識には決断する権限が非常に弱いため(なんとなくそう認識できている筈です)、なかなか決まりよく決断できません。
そんな時には、「内容より”だけ(絞込み)”だな」と今必要とされる優先順位を明快にしましょう。
それこそ「何を選ぶのかって内容は、もっと先に上手くなればいい」と、
解決策は簡単です「賭け」ですよ、賭け。
鉛筆転がしでもサイコロでもいいです、自分の発想が総花的になって決まりが悪くなったら「ポケットのサイコロを振る」。
こんな風に考えて(実際にやっても構いません)、「内容はどうでもいいから決断優先」に明解な優先順位を与えてください。
エスカレートする志向はそれで規制できます。

>ただ、今でも「数学」「物理学」「電子回路工学」「プログラミング」には興味があります。今では、今すぐできなくても、一生かけて、少しずつ自分の趣味でやっていけばいいじゃないかと思っています。
>今は疲れているので、どちらもやる気が起こりませんが。このように思うのは強迫構造とは違うのでしょうか?

「数学」「物理学」「電子回路工学」「プログラミング」
もう総花的過ぎます(強迫的発想です)。
サイコロ振ってください。


>半導体物性には量子力学という極めて難しい学問が必要でもあり、それを極めるのがすごくかっこいいというのがありました。物理学がもちろん好きだったのはありますが、ですが結果として、研究室のレベルが高すぎて、ついていけず、大学院進学を辞退しました。
>これは・・・強迫構造のために『スーパーヒーローのような人間でありたい、むしろそうでなくてはいけない』と、思っていたが故になのですよね?

その通りです、
おそらく彼方は数学的発想は好きだが、化学的発想にはあまり興味が無いのだと思います。
量的な流れが明快ならいいが、あまりにも仮説が大きすぎると「その理論の中で何が起きているかピンとこない」とか(ここの理由は私の思いつきなのでさしたる根拠はありませんので)、
これはそれこそ個人の個性なので(個性:即ち「何かが好きで得意」→裏の証明は「その代わり何かは苦手だ」)、全然気にすること無いのです。
「こりゃ俺には向いていない」終わり。
次に「そしたら何が向いているんだ?」と試行錯誤するだけです。
当然この試行錯誤は現実の行動選択なので、意識が『外向き』でなければなりません。
内向傾向の強い今の自我にはちょっと難しいと思います。
ですから、将来の職業等を具体的に考えるのは「ちょっと気持ち的に楽になってから考える」事にしましょう。
今は極力考えないでください。


>じゃあ、「数学」「物理学」「電子回路工学」「プログラミング」といった内容の僕の興味ある学問は素の僕が「気楽に考える好きな事ではないから」なのですか?僕自身は数学とかの問題を考えるのが非常におもしろく感じるのですが。

数学が好きな事はわかりましたが、なにせ理系の学問は相互補完の関係にあります。その中で「何々学の何+何々学の何×何々現象のの個別学問の何=それが俺の何々学だわ」を得るには、前述項の返信と被りますが「外向きの試行錯誤」という現実の行動選択(実際に仕事始めるとか)が必要になるのでそれを今明解にする事はできません。
ただ「数学が好きだ」これは強迫無しの本音でしょう、


>「数学」「物理学」「電子回路工学」「プログラミング」と、たくさん興味のある勉強はありますが、自分のもっともやりたいことに絞りたいと思います。でもこの勉強を、この学問をしたいというきもちすら、強迫構造によるものなのでしょうか?

ここは前々項と前項の返信が答えになっていますね。


>今、一番やりたいのは「数学」です。
>「数学」と言っても、高校生のやる受験数学で、僕は高校生のころ真面目に数学をやっていなかったので、もう一度しっかりとやって、楽しみたいと思っています。
>これも強迫構造にあたるのでしょうか?数学の問題を考えるという作業は非常におもしろいのですが。
>数学をリアルな目標とするのはどうでしょうか?
(腹筋500回とも返信被るのであわせて答えます)

実は下下段の質問「本を読まない」と被るのですが、本を読むという行為には「後500ページもあるぜ」とか「そもそもこの第一章からよくわからない」等の強迫構造がいかにも得意な関連性があります。
ですから、数学が好きというが鉄板でも今本を読むのはお勧めできません、読まないでください。

以下のようなメニューを自分で考えて実践してください。
◆あり金はたいて大学受験数学問題集を買いまくる、
毎日時間制限と解答率の目標を立てる、
バンバンやってください、はいテスト開始!

目標の時間と解答率に達しなかったらワンペナです。→腹筋50回
逆立ち15分でも構いません、何らかの身体的行動とからめましょう。
それが自意識をリラックスさせます、
簡単に言うなら身体を動かす事は強迫構造で緊張している自意識をリラックスさせるためにストレッチングだと解釈しても構いません。
@「絞り込んだ事象を、自分で選択し選んだ証拠となる自己責任(ペナルティ)を設定して、中途半端は禁止でバンバンやる」
これは強迫構造解消後の自我のシュミレーションですよ。
この設定でやれば「内向化している欲求の強制代謝(消費)」という対処的な効果以上の内容も期待できます。

※しかし「そうと決める」のが大事なんですよ。バテていて疲れている時には「平気で怠けてください」。
この「平気で怠ける(自分で自由に選んだ証拠)」部分もとても大事です。


>本を読まないというのは、もう一生本を読まないでおくべきということですか?
>僕の中では、今すぐに読む必要はなく、読みたいときに読めばいいじゃないか、そんなスタンスでいるのですが。本を処分と言うのは僕にとってはつらすぎます。強迫構造から本を買ってしまったかもしれませんが、
>今では上記に述べたように読みたいときに読むかというスタンスなのですが。

先ず、今は「読まない」と決めてください。
何か関係無い調べ物で「どーーーしても本を開かなければならない時」には
「あ〜また歩行喫煙してしまった」「辞めると決めたのにウイスキー一杯飲んでしまった」ぐらいの罪悪だと思ってください。
極端ではありますが、「そもそも本を読まなければならない」という強迫は道徳の力を使っていますから、これに対抗するには「それは悪徳だ」と認識するぐらいのカウンターが無いと沈静化しません。
それこそ、強迫が抜けて随分と楽になった時にも本を開くたびに「あーあ本は苦手なんだよな俺」と、強迫下にあった時代もひとつの歴史(アイデェンティティーの一部)になるでしょう。
本を開きながら「ダメだお前(自分の事)、本読んじゃダメダメ」とか苦笑いしながら本を読む日がくるって事です。


>つまり、自分の心の中に発生する一つ一つの感情を直視して、どうしてそう思うのかを、それが強迫構造によるものなのかどうかを内省していくという作業を行うということですね。

バッチリそのとおりです。


>そして今でもプログラマーという職業につきたいと思っています。
>僕には自分が好きでやりたいのか、それとも強迫構造が僕を動かしているのか、それともその両方の要素で動いているのかいまいちわからない状態です。
>ただ、僕が目指すべきは、
>自分自身の一つ一つの行動が強迫行動からなされているものなのか、もし強迫行動からなされていると気づけたのなら、そういう行動をとる必要はないと気づいていくことなのですよね?

「プログラマー」って言葉はまだ総花的ですね。
それじゃ「プロ野球選手になりたい」レベルです、
将来的には「三遊間を守ってグラブトスが得意な、配給を読める守備の人になりたい」ぐらい具体的じゃないといけません。
それこそ
「汎用システムの設計やっています」
「それってプログラマーって事ですか?」
「いやぁ〜プログラマーっていうか(苦笑)」と、頭を掻く
こんな会話になっていなくちゃ意味がありませんからね。
727 わかりやすい説明ありがとうございました。 頭痛を持っている患者 2006/12/22 19:24
こんばんは。
頭痛を持っている患者です。

今まで大変わかりやすい説明ありがとうございました。
今現在も頭痛は続いていますが、
しばらく様子を見たいと思います。

それでは失礼致します。

734 不安な点があるので書き込みをさせてもらいました 頭痛を持っている患者 2007/03/15 21:00
こんばんは。
頭痛を持っている患者です。

久しぶりの投稿になります。
今までたくさんの精神分析ありがとうございました。

今、不安に思っていることがあるので書き込みをさせてもらっています。
就職しようと思っています。
頭痛は消えていません。
頭痛は就職していないことに対して起こっていると思うので、
就職すれば治ると思っています。
正確にはkagewariさんの言われた強迫構造が直っていないからなのかもしれません。
kagewariさんには今までにたくさん精神分析をしてもらいましたが、
今もまだ僕は強迫構造から抜け出せていないのだと思います。
もっとも強迫構造関係なく頭痛は発生している点もあるのかもしれませんが。

不安に思っていることは、
今の自分の心境です。
今の自分はすごく精神的に不安定です。
就職していないことに対して、すごく負い目を感じています。
家でごろごろしているのがたまらなく苦痛です。
本当にすごくすごく苦痛です。
無意識にこんな自分ではだめだと思う気持ちが強いです。
何もしていないのに体はすごくだるい状態です。
こんな状況ではいけないと思い、
この状況から抜け出したい、
そして自分の命を自分で守れるようになりたいと思い、
就職しようと思っています。
そこで不安に思っているのが、
今まで好きだった電子回路学の勉強や、
プログラムの勉強や数学の勉強が全然手につかないのです。
ちなみにTVゲームも全然手につきません。
なにかすると就職していない自分に焦りを感じて、
なにもやる気にならないのだと考えています。
とにかく今は会社に就職していいないという自分に対して、
激しい焦りを感じています。
今までは強迫構造のために勉強をしてたのかもしれませんが、
やっておもしろく感じていた勉強も今は全然面白みを感じれないのです。
就職しなければという激しい焦りがあるために、
全然面白みをかんじれてないと思うのですが、
それとも強迫構造が溶けつつあるから、
勉強やTVゲームに全然面白みを感じれなくなってしまったのか。
その点を不安に思っています。
もっとも、今は何も楽しめないというのが実態です。
TV番組も見てて全然面白いとは思えません。
面白いと思えないというか、とにかく落ち着きません。
エンジニア(電子回路技術者)の面接を受けようとしているのですが、
もし今まで電子回路学の勉強が強迫構造のために面白く感じていたのなら、
仕事が続かせるのが難しいと思いますし、
それとも今は就職していないための焦りから、
なにも面白いと思えなくなっているのか、
そのどちらかなのかがわからないので不安です。
もっとも今度仕事についたら絶対に仕事は辞めないのですが。
もうどういう理由があろうとも辞めるわけにはいかないので。

kagewariさんの言われていた自立が不十分なあなたという意味が
最近になってようやくわかってきました。
僕は今まで、今もですが精神的にも物理的にも常に祖母や父親の存在を
あてにして甘えて生きてきていたということを。
自立した大人なら祖母や父親の存在をあてにせずに生きているということですね。
僕の祖父が最近なくなったのですが、
そのときに自分を守ってくれる人はどんどん世の中から消えてしまう。
僕の命を守るのは自分しかいないということを。
そして生きるためには仕事をしなければ賃金がはいらない、
つまり、今のままの自分では確実に餓死してしまうということを。
僕はそんな自分に気づいてから激しい焦りを感じています。

そして僕は仕事の意味を誤解していました。
仕事とは世の中に発生した穴を埋めるのが仕事であり、
自分のやりたいことを実現させるものではないということを。
あたりまえのことかもしれませんが、
僕は仕事で自分のやりたいことをやろうとしてばかりいました。
仕事はそういうものではなく、必要が生じた出来事に対して発生している
ということを最近になってようやく気づきました。
以前、トイレ掃除をやれと言われて、
それが嫌で会社を辞めた経験があります。
今となってはなんてバカな理由で辞めたんだろうと思っています。
トイレ掃除も立派な世の中に生じた穴であり、
その穴を埋める立派な仕事です。
今の自分なら確実にちゃんとトイレ掃除をします。
そして最近、日雇いのバイトに出かけたりしてるのですが、
日雇いのバイトでライン作業をやって、
今まで自分がやっていたプログラマーや電子回路技術者の仕事が
どれだけ楽だったかということを痛感しました。
単純作業を何時間もひたすら繰り返すということが、
あれほど苦痛だとは思いませんでした。

僕は精神的にも物理的にも祖母や父親をあてにして生きることから脱却して、
自分の力で歩いていきたいと思っています。
頭痛も自分の精神問題を解決したら自然と消えていくことを
今までの体験でわかったので、
自分が前向きに行動できたときには頭痛はかなり和らぎました。
ですから就職したらおそらく治ると思っています。

最後になりますが、
kagewariさんからみて、僕が今まで面白く感じれていた勉強、
電子回路学やプログラムの勉強や数学の勉強やTVゲームを
面白く感じれないのは焦りのために楽しむ余裕がないためか、
それとも強迫構造が溶けてきたからのどちらだと思われますか?
勉強には手がつかないのですが、興味は今でもあります。
電子回路学にもプログラムの勉強にも数学にも興味はありますが、
とにかく今は仕事をしなければという思いが本当に強いです。
勉強(自分の好きなこと=遊び)をする時間があるのなら、
仕事(生きるためにやらなければいけないこと)をしなければと思っています。

いずれにせよ僕は自分の命を守るために働こうと思っています。
とにかく仕事をちゃんとしたいという思いが強いです。
家にいても、家の中で発生する仕事(家事)があれば、
その仕事をとにかくやらないとと思います。
なにかをやらないと気がすまない心境です。
アルバイトでは不安なので正社員で頑張っていこうと思います。
今までの会社をやめた原因を考えて、
今度は定年まで続けたいと思っています。
というより、自分の命を守るためには働き続けなければならないのですが。

また質問させていただきましたが、
kagewariさんのご多忙なところ申し訳ありませんが
質問の回答よろしくお願いいたします。
736 ヴァファリンは必須ですよ kagewari 2007/03/16 18:14
ちょっと昔のハリウッド映画だと「アスピリン」が、都会で仕事する人の必須アイテムみたいに頻繁に登場します、
昭和の時代なら仁丹なんてのもありました。
ある意味、本来仕事をする事がストレスで頭痛の種だって意味です。
私の場合仕事が山になると、ストレスが胃にくる方なのでキャベジンが欠かせません(笑
「キャベジンお菓子じゃないから」みたいな
必須アイテムみたいなとこありますよ。そして、それがあたりまえの日常だったりします、

確かに現在の頭痛は、離職を含めて内向化の進行と関連性がありますから仕事として外に出る事がこれを緩衝させる要素には違いはありません。しかし本来仕事ってなそれ自体ストレスですから、
>就職すれば治ると思っています。
こう考えることは止めてください、
あくまでも「腹筋同様トライしてみるだけの価値はあるんだ、外にでよう」ぐらいに。
根本的には過度の緊張による頭痛は強迫構造が原因ですから。
ここは再確認しておいてください。(なかなか頭ではわかっていても、気持ちって揺らぐものです)

>就職していないことに対して、すごく負い目を感じています。
これも心因性のものです、
「就職していないことがとても心配で、何より金欠で、、。そもそも就職口があるのかととても心配なんです」のとは随分と意味が違います

>そして自分の命を自分で守れるようになりたいと思い、
繰り返しになりますが、早道は腹筋背筋腕立て伏せランニングの運動です。まず第一に現在の肉体の状態をベストに持っていく事が重要で(同時に問題はメンタルだと認識深まります)、現在の問題を外部的な(就職等)現象に矮小化させるとかえって内向傾向は温存されたままになってしまいます。

>なにかすると就職していない自分に焦りを感じて、
>なにもやる気にならないのだと考えています。
>やっておもしろく感じていた勉強も今は全然面白みを感じれないのです。
つまり、『激しい焦り』という感情的興奮(脳内では快感)によって能動性を使い果たしているのです。
後は「自分の命を自分で守れるようになりたい」というデフォルメですね。誰もあなたの命を狙っていませんよ、これでも日本は治安のいい国ですから心配ありません。
この極端な被害予測も、無意識のストレスに比例して自意識が勘違いしてしまう典型的な誤解予測で(判断は合理的なんですがベースに誤解があるんです)、ここは一息ついて「やれやれ考えすぎがとまらんなこりゃ」のように自覚的に区切りをつけてください。ここは大事なところです。
そう簡単に人は死にゃ〜しませんよ。
祖父の方がお亡くなりになったとの事ですが、そんな時こそ
「自分の人生にも限りがあるのだから自由に生きるか」と、後悔のない人生を考えるのが自然で、性急に命が危ないと考えるのは方向違います。

>電子回路学やプログラムの勉強や数学の勉強やTVゲームを
>面白く感じれないのは焦りのために楽しむ余裕がないためか、
>それとも強迫構造が溶けてきたからのどちらだと思われますか?

前述部分とかぶりますが、自意識が問題を自分自身の自我の問題としてこれに直面している結果(それの解決には至っていなくても)、今は自分自身の内面との格闘に忙しく(ある意味ここで感情的興奮を伴うと能動性は快感認知で消費されてしまいますし)、自意識が気ままな時に感じる楽しみもままならないという状態です。

つまり強迫構造って(電子工学ご存知の方なのでそっち方面で説明しますと)、必要無いところに『妙なコイル(葛藤構造)がある』ようなものです。
それ自体は抵抗でもあり、発熱し(感情的興奮)電気効率も落ち(疲労)ますが、信号は増幅(デフォルメ)し同時に回路自体が信号経路の延長となり信号の速度にタイムラグが起き(音声信号なら位相ズレ)、しかも結果(自意識の現実認識)は変調されて不正確である。全体に無理がかかって時々動作にも問題が(頭痛)あると、
精神分析ってのは、新たにバイパスの回路を設けて、葛藤の回路を無信号状態で見る事で、自分自身でこれの解消に取り組むってそんな行為なんです。
その”コイル”も無意識のロジカルなアイデア(や想い)なんですから、思考によって形を変えます。
ですから、可能な限り冷静(その信号に電気流さない)である事が望ましいですし、問題の切り分けにもなりますから活動が健在な部分は(腹筋背筋腕立て伏せランニング)さくっと活動させる方が安心感にもなります。

つまりもっともいけないのは「この基盤は全部ダメなんだ」のような悲観(興奮)であると、
なんとなくわかっていただけでしょうか
(サラっと読んであまり深刻には読まないでください)。

快適な部分って必ず残されています。
ええ、むしろ快適な部分が大半であるといって間違いないでしょう。
その回路さえ刺激(固有のソフトを起動)しなければ全体にも問題無いのですから、

ちなみに私はフリーランスで(今の会社ともフリーの個人契約です)、かれこれ東京24年になりますが、元気に生きております(笑
食うために働くのであって、食う当てがあれば別段働かなくてもいいのです。
それこそ反動左翼の人なら「日本経済そのものが局地紛争の武器に関連している!おまえ達は所詮戦争の犬だ」なーんて考え方している人だっているんですから(それはどうかと思うけれど)、堅気の仕事をする事が普遍的に立派等と言う考えは安易に過ぎるだけでなく誤りでしょう。
その当事者責任って、
「俺だって食っていかなけりゃ明日も無いんだしさ」という生きている当事者意識そのものによって担保されるべきものでしょう。
同時に家族を経営している人なら、その仕事はバンド(家族)の生活に関わる事ですが、家父長が「誰のおかげで」なんて強弁されたら強迫の元です。
家族ってバンド(=小集団)を企画したのはその夫婦の自由意志によるんですからね、この場合も当事者責任って「僕ら夫婦がここの責任者だよな」な見解でしょう。
「さて、食ってかなくちゃいけないから」って結論同じです。

>とにかく仕事をちゃんとしたいという思いが強いです。
>自立が不十分なあなたという意味が最近になってようやくわかってきました。

仕事の話はもっと軽く考えて、「とっととひとり暮らしをしたいもんだ」と考える方が懸命だと思いますよ。
その考えの延長で「ひとりぐらしするんだから金もいるよな」→「まずなんか仕事探さないと」な順番で考える方が自然なのです。
それこそ家に資産があるとか、国の福祉サービスを国民の権利として堂々と行使するとか自分なりのノウハウでこれを解決していけばいいのであって、結論は必ずしも仕事だけではありません。

大事な事ですが、自分自身の活動っていうか仕事って、会社の仕事だけじゃ無いからですよ。実際このレスも私、趣味で書いているつもりありませんから。私の中ではこのレスも自分にとっての「公式的活動」に他なりません。生きてりゃイロイロ予想もしないことありますよ、ええ。

単一的な思考に囚われずに、広く広くものを見る事がリラックスの近道になりますよ。
743 Re:ヴァファリンは必須ですよ 頭痛を持っている患者 2007/03/24 17:50
こんにちは。
頭痛を持っている患者です。

返信ありがとうございました。
ちょっと想定外の返信内容だったので意外でした。

>根本的には過度の緊張による頭痛は強迫構造が原因ですから。
>ここは再確認しておいてください。
>(なかなか頭ではわかっていても、気持ちって揺らぐものです)

なかなか強迫構造を実感をもって感じるのが難しいため、
今も何が強迫構造による感情なのかなかなか判断がついていません。
でも、自分の精神が良くなったことに気づいたら、
それを実践していこうとは思ってます。

>>就職していないことに対して、すごく負い目を感じています。
>これも心因性のものです、

つまり僕自身の強迫構造によって負い目を感じているということですね。
個人的には今のあるがままの自分でいいんだとどんどん思えるようには
なりたいと思っています。
強迫構造に関係なく負い目を感じている部分もあるとは思うので。
みんなが仕事をしているからといって、
自分を責める必要はないのですが。ついつい自分の真面目さゆえに責めて
しまっている部分があると思います。
どこからどこまでの感情が強迫構造なのかが自分の中ではよくわかっていません。

>まず第一に現在の肉体の状態をベストに持っていく事が重要で
>(同時に問題はメンタルだと認識深まります)、

今のところはとりあえず就職したいです。
現在の問題を外部的な(就職等)現象に矮小化させたいわけではありませんが、
仕事をしたい気持ちがあるので。

>つまり、『激しい焦り』という感情的興奮(脳内では快感)によって能動性を使
>い果たしているのです。

まったくわかりませんでした。
焦りで能動性、やるきを使い果たしていたんですね。

ちょっといろいろと僕は考えすぎている部分もあるようなので、
もう少し気楽に考えていきたいと思います。

今回も長い回答本当にありがとうございました。
参考になりました。

それでは失礼致します。
746 現在の状況がかなり不安定です 頭痛を持っている患者 2007/04/20 18:32
こんにちは。
頭痛を持っている患者です。

いつもいつも大変お世話になっております。

今もkagewariさんが今までに回答してくれたやりとりを
印刷していろいろと読み直しています。

前の投稿とも重なるのですが、
まだよくわかっていないので投稿させてもらいます。

今、現在もすごく精神的に不安定です。
そして現在も頭痛が続いています。
僕自身わからないところがあります。
僕は今現在就職しておりません。
就職していないということに対して激しい不安感を感じています。
そして仕事に関してですが、
以前の仕事ではストレスのあまり勤務中に居眠りをたくさんしてしまい、
また仕事についたら居眠りをたくさんして辞めなければいけないのでは?
という恐怖感があります。
このような経験は不安感をあおる大きな理由の一つだとは思います。
この不安には前職で居眠りをしてやめなければいけなくなったという
経験が大きく影響しているのも確かですよね?
僕は確かに今現在就職していませんが、
いずれは就職すればいいのであって、
不安感を激しく感じる必要は論理的にはそれほどないはずです。
それにもかかわらず激しい不安感を感じているのは、
スーパーヒーローにならなければいけないと思っている強迫構造の自我が
存在しているからだと考えればいいのでしょうか?
それともいろいろな認識によって強迫構造の自我がさらに不安定になっているのでしょうか?
そして強迫構造の解消には、
不安を感じる必要はないんだと自分に言い聞かせる必要があるのでしょうか?
この不安は強迫構造から生じていて、本来なら感じる必要はないのだと。
今は家にいてなにもしていないのですが、
あまりにも落ち着かなく、すごい不安感や焦りを感じています。
自分でもどうしてこんなに不安感や焦りを感じるのかわかりません。

また、日雇いのバイトに最近行きました。
日雇いのバイトで食品工場のライン作業をやりました。
すごくしんどかったです。
仕事というのは本当にしんどいなと思いました。
プログラマーはまだ仕事として楽だったんだなと思うほどでした。
プログラマーに就けなければ、こういうしんどい仕事をして
一生を生きていかなければならないのかなという恐怖感があります。

そしてプログラマーは実務未経験だと27歳ぐらいまで、
ちょうど今の僕の年齢ぐらいまでしか無理だという現実があります。
僕はほとんど経験と言う経験をしていないので実務未経験に等しく、
プログラマーに就けるのは今の年齢がほとんどぎりぎりラインです。
このことも僕の不安の理由の一つです。

そして祖母からはお前は余りにも気が弱すぎると言われます。
実際に気が弱いと自分でも思います。
今は就職するのが怖くて怖くて仕方ありません。
またうまくいかなかったらどうしよう?そんな思いがすごくあります。
そしてプログラマーになりたい、プログラマーでなければという思いがあります。
そして日雇いのようなしんどい仕事は絶対に嫌だと思って、
おびえきっている自分がいます。
kagewariさんから見て、僕の心境は今は強迫構造がどう働いているように見えるのでしょうか?
論理的には僕はいずれは就職すればいいのであって、
居眠りもしないように気をつけて勤務すればいいはずです。
にも関わらず僕は激しい不安や焦りを感じています。
いてもたってもいられない心境になっています。
不安を感じる必要はそれほどないにもかかわらず激しい不安を感じています。

今まで述べさせてもらったとおり、
不安を感じる理由はあるのですが、
あまりにも不安や焦りを感じすぎて、
自分でもどうしてこんなに不安や焦りを感じるのかがわからない状態です。

そしてほかには、自分自身の気づきとして、
僕は最近になってたくさんの本を買って安心していたが、
本は読まなければ全然身についておらず、
実際には、等身大の僕は全然たいしたことがないということを
あらためて実感しだしました。
そしてよくこんなにたくさんの本を買ってしまったもんだなと思いました。
本を新しく買うのは今までの本を読んでから買えばいいのに。
僕が本を買っていた時には、これも必要だあれも必要だと思って、
買っていたなという気持ちを思い出しました。
今思えば、無意識的に〜〜できなければならないという気持ちが
すごく強かったんだなと思います。
今はたくさんの本を見ても、読むのがしんどいので読む気にはなれません。
そして本を読んでも技術者としてのスキルがあがるわけではなく、
あくまで仕事をしなければスキルはあがらないということにも気づいています。
こういう事実の認識は強迫構造にどういう影響を与えているのでしょうか?
僕はこういう事実を認識して、
早く仕事について技術者としてスキルアップしなければと思うのですが、
これも強迫構造の故なのでしょうか?

今までのやりとりをずっと読み返しているのですが、
まだいまいちよくわかっていません。
申し訳ありませんが、
またわからないところがあれば質問させていただければと思っています。
多忙なところ申し訳ありませんが、
よろしくお願いいたします。
747 わかりやすくする上で話を深めてみましょう kagewari 2007/04/21 13:41
分析の内容は強迫下にあると「そもそも合理的判断より優先して偏向した思考を強制するのが強迫構造」なので、その認識を受け付けられない(体感は「しっくりいかない」)方がむしろ自然とも言えます。
合理的な認識がそのまま認識できるなら強迫構造が無いって事になりますからね。
つまり強迫構造は「どっから考えても矛盾だらけの発想なのに、その矛盾に何故か自分では気が付かない構造」を意味しますから、分析はそのまま理解されない事を前提に細かい部分まで背景事情を説明して、その分析に対する抵抗を予定した内容(簡単に言うと「ガチガチに証拠固めをしなければならない」)が必要なケースもあるので時にどうしても長文になります。
※これは相談する人の持っている強迫構造の内容によるので必ずしも長文が必要になるという意味ではありません。相談の経緯で出てくる疑問の多さに比例するのです、

それだけ入念に説明が必要になるのも、単に上記のように理解が及ばないだけなら簡単な説明を優先させてもいいのですが、「まるで正反対に解釈される事も頻繁である」ので、ここには注意を払っているのです。
強迫構造とは、それほどまでに事実関係の認識を歪める力があるからです。

しかし前回までの返信で相当にこの部分の説明は入念におこなっていますし、
>印刷していろいろと読み直しています
との事なので、今回はわかりやすさを優先してザックリと説明してみようと思います。
と、同時にもう少し論議を深めていきたいと思います。

>以前の仕事ではストレスのあまり勤務中に居眠りをたくさんしてしまい、

自律神経失調のひとつに、過度の緊張感があると一種の睡眠障害のように眠気が強くなる事例があります。
簡単に言えば眠気には脳内の睡眠誘導物質も関係しているでしょうが、有力なのはむしろ過度の緊張感から逃れたいとの思いから逃避的思考になり脳内の血流が落ちる=簡単に言うと集中力の後退からくると考える方が簡単でしょう。
常識的にはストレスがあると「むしろ眠れない」ものですからね。
ここの原因は過度の緊張感(頭痛の原因と同じ)と考える方が自然です。

>また仕事についたら居眠りをたくさんして辞めなければいけないのでは?

ですから、上記の発想はそもそも在り得ない考え方になります。
職場で極度の緊張感を感じている事がそもそもの問題で、それが解決しないで仕事につく事はナンセンスだからです。
つまり極度の緊張感が解決していない結果起きる居眠りを心配するのは、現在の頭痛と同じ原因である「過度の緊張」を”前提にしている”事になるので、そもそもその「過度の緊張を解決しようと今考えている方向性(これは解決する事を”前提”にしているのですから)」と正反対の発想です。
簡単に言えば、集中力の継続で職場では居眠りしないのが通常”当たり前”だからです。


>この不安には前職で居眠りをしてやめなければいけなくなったという
経験が大きく影響しているのも確かですよね?

ですから、上記の発想はナンセンスを根拠にしています。
職場で居眠りすような状態では就職すべきじゃ無いからです。
そもそも職場の同僚に迷惑かけてしまいますから、むしろそっちの方を心配して「これが解決するまでは僕は就職すべきではない」と考える方が自然で=「今進めている過度の緊張の解決を優先させる考えは正しい」となります。
つまり居眠りを前提とした発想は、やはりナンセンスなのです。
問題の中心は強迫構造の解決であり、現在それを選択しているのであってここに集中すればいい事になります。

次に「スーパーヒーローにならなければいけない」部分を、流れで説明しましょう。

これは、高学歴志向を含めて子供に対しておおよそ母親としての態度を超えた母親の個人的不安感を育児に投影してしまった判断が原因で象徴化されたものです。
(努力を強制された祖父母が当時自分に要求した極端な成果を、母親として自分の子供にも無意識に強制した)

わかりやすく言い換えるなら、

その強迫的な母親の態度を子供が「スーパーヒーロー並みの見栄えのいい活躍をしないと母親は喜ばない=母親の不安感は収まらない」と解釈した結果です。
この「スーパーヒーロー」という発想から子供は二つのパターンの快感を手にする方法を持ちます。
)榲にスーパーヒーローになって母親に愛される。
△匹考えても簡単にスーパーヒーロになどなれっこ無いので、勉強をサボる等して母親の嫌がる事をして母親を興奮(怒りで)させる。
なかなか後半の△どうして快感なのかなかなか理解するのは難しいでしょうが、もう少しわかりやすくこの部分説明しましょう。
先ず大前提として、何回も説明しましたが脳内では興奮こそ快感として分類されます。
ホラー映画や、泣き上戸や、号泣したらすっきりしたとか、不安や恐怖や悲哀感すら全て娯楽映画のネタになっています。
次に、幼児にとって快感とは「その人物を自分中心に引き付ける」簡単に言えば「自分ばかり可愛がる」のと「嫌がらせをして自分に時間を一番多く使わせる」のは認識として非常に近い線にあるのです。
後者は自分で意識的にそれを引き起こす主導権も握れます。

つまり「この女はスーパーヒーローにならないと喜ばないんだな」という着眼は裏返しとして、ちょっと勉強を怠けるだけでも怒って(自分を対象に興奮し)「僕にだけ時間を使う」とも解釈されます。
当然嫌われる結果にもなり、それは自意識レベルでは不快なのですが脳内レベルでは快感で、褒められる方はスーパーヒーローなんですからほとんど実現不可能なのであって、この場合幼児が快感を得る手段は△侶がらせ中心になることは自然とも言えますよね。

ここでもう一度振り返ってください。
「母親は(スーパーヒーローでは無く)僕が元気に遊んでいるだけでも喜ぶ」と子供が考えたら、元気に遊んでいれさえすれば良いのですから、わざわざ機嫌を損なうような事をする方がよっぽど面倒なんですよ。
ですから、嫌がらせをする子供は「とてもなれっこ無いほどのレベルでいい子でなくちゃいけないんだ」と思い込んでいる事を同時に証明するんです。

一見矛盾しているようですが、この二つの方向性「スーパーヒーローになりたい」と「勉強を怠けて嫌がらせをする」は、”同じ根拠に基づいている”のです。

ですから、スーパーヒーロの強迫の解消には「子供に極端な教育的成果を求めた母親は、本来自分が祖父母にそれを強制されて嫌な事だった筈で=母親の深層心理はそれを望んでいなかった」事に気が付かなければならないのです。
皮肉な事にスーパーヒーローになる事は、母親が最も不快に感じていた祖父母に対する反発と逆さまの結果だからです。
そもそも母親は、そんな努力を強制される自分の幼児期を憎んでもいたでしょうから、本当に子供が一流大学に行く事は、より母親の強迫構造を刺激し(祖父母にお前はやっぱり努力が足りないと言われるような気がして)母親を苦しめるからです。
つまり 淵后璽僉璽辧璽蹇爾亮存宗砲任皚◆雰がらせ)のどちらでも母親の深層心理には「救いの無い結末」なんです。

ぐるっと回って考えるなら、母親に「そうなの”お母さんも”あんな無理な努力しなくてもよかったんだね」と思わせられない限り母親は祖父母から受けた「努力しろ」という強迫から逃れられないんですからね。母親は「努力しろ」と言う祖父母を正当化しようとする気持ちに負けて「あんた達(自分の親:祖父母)は間違っている」と言えないばかりに強迫構造を持ってしまい、最も自分自身が忌み嫌う”努力”を自分の子供に強制してしまったのですから。

つまり、そんな母親の深層心理を汲み取って、もういんだよお母さん努力なんてしなくても、僕はエリート的な発想なんかとっくの間に捨てて自然にどこにでもいる普通の男として幸せになる道を見つけたよと答える事が、この物語のあるべき答えだからです。
「ありままの自分でいてもいいのだ」この根拠は「無理して意味不明に努力した母親は可愛そうだった」=「母親の努力は強迫の結果であり、本来彼女の望んだものではなかった」でなければならないのです。

結論「スーパーヒーロー的発想こそ断然すべき発想」なのです。


>そしてプログラマーになりたい、プログラマーでなければという思いがあります。
>不安を感じる理由はあるのですが、
>まだいまいちよくわかっていません。

そもそも『不安』とは何かを考えてみれば話は簡単です。
「根拠の無い恐怖」が答えです、
つまりナンセンスの事です。
ですから「不安を感じる理由」は、言葉として矛盾しています。言葉として成立していないのです。
不安には原因はあっても理由はありません。
ここで理由という言葉をついうっかり”無意識に”選択してしまった理由は、「理由のある不安」=不安の原因を正当化したい=正当化するに足る”理由”がある、という連想が招いたものです。

つまり上記の引用に隠れる深層心理は「僕は見栄えのいい(スーパーヒーローを連想させるような)プログラマーになるべき正当な理由がある」となります。
その背景に隠れているのは
「母親はスーパーヒーローになる事を望んでいるからだ」これが隠された理由です。

話はさっきの「スーパーヒーロー的発想こそ断然すべき発想」に戻ります。
その理由は「母親の深層心理が最も忌み嫌う考えだから」です。
◎ここまで考えて初めて強迫の鎖に切り込む事ができるんです。

簡単に言うなら「プログラマーで”なければ”」等と思ってはいけないのです。
「プログラムが好きだから」が事実ならいんですよ、「プログラマーで”なければ”」とあたかも”誰か”がそう頼んだような発想に問題があるんです。ここに隠れているのは?「母親のためにスーパーヒーローに”ならなくてはいけない”」です。

どこの誰も「プログラマーになってください、約束ですよ」なんて言っていないのです。これを強制しているのは自分自身なんですよ。
それが強迫構造なんです(ナンセンスを強要する)。

同様の事実認識の誤解が以下の文章にも多数含まれています。
そのまま素直に読んでみると、

>日雇いのバイトで食品工場のライン作業をやりました。
>すごくしんどかったです。

◎つまり「そんな仕事を平然とこなしている人達は、僕より立派だ」

>仕事というのは本当にしんどいなと思いました。
>プログラマーはまだ仕事として楽だったんだなと思うほどでした。

◎「食品工場のライン作業」より「プログラマーはまだ仕事として楽だ」とそしたら、プログラマーの仕事は食品工場のライン作業よりレベルが下だって事になってしまいます。

これでは意味不明ですよね?
話が繋がるように書き直してみましょう。
「日雇いのバイトで食品工場のライン作業をやりました。すごくしんどかったです。やっぱ頭脳労働と違って単純作業は身体にもキツイと思いました。本来僕はプログラマーになる人間なのに”こんな奴らと同じ仕事を今後もしなくちゃいけないのだと思うと”・・・」
>プログラマーに就けなければ、こういうしんどい仕事をして一生を生きていかなければならないのかなという恐怖感があります。

この文面には、食品工場で仕事をしている人達をプラグラマー以下のレベルの労働なんだと蔑視していない限り在り得ない発想なのです。
「どんな仕事だって立派なのだ」という平等の概念があり、もし自分自身がプログラマーになる事の方が得意でそのその仕事をもし楽だと感じるなら余計に「プログラマーなんて偉そうにしているがたいした仕事じゃない、身をもって思ったあの食品工場で働いている人達の厳しい環境を考えれば考えるほど、あの人達こそ立派なのだと思った」になる筈なんですよ。
だとしたら?
「プログラマーに就けなければ、こういうしんどい仕事をして一生を生きていかなければならないのか」なんて思わない筈です。
これじゃ食品工場で働いているみなさんが、まるで人生の落伍者みたいじゃないですか。

つまりこれこそ強迫によって、本来考えてもいない発想に無意識に陥ってしまっている典型です(「どっから考えても矛盾だらけの発想なのに、その矛盾に何故か自分では気が付かない構造」)。
しかし、順を追って考えていけば必ず「これはおかしい」と気が付くはずなんです。重要な事は不安感を煽る考え方を明快に否定する冷静さを欠いている部分なんです。一呼吸置いて自分中心にではなくそこにある現実全体(他に働いている人の立場にもなって)を考える時間さえ持てれば必ず自分自身「そんなこと考えていないのに何故だろう」と気が付く筈なんです。
つまり最も注意しなくてはいけないのは「不安に動揺する事そのものに、明快に”根拠は無いのだ”と言い切る認識」が必要なのです。
その前提があってこそ、一歩立ち止まり冷静に考える時間的猶予が生まれます。

むしろ「プログラマーなんかよりよっぽど立派なあの食品工場で一人前になりたい」と思ったとしても全然おかしくないのです。
つまり、この誤解は全て「スーパーヒーロー的発想の誤解(母親の深層心理はそんな発想を嫌っている)」から始まっているんですよ。

ここには続きがあります。
プログラマーの仕事が楽だなんて事在り得ません、
月の残業100時間越えるのは常識で、
「工期が迫るなか自分が担当した設計のエラーでシステム全体のテストもできず、一週間自宅に帰れない。そもそもそのエラーのバグ出しすら進んでない、、。そしてそのシステムの発注単価は億を超えている。」
そんな仕事が楽な筈ありません。

つまり強迫構造は以下の文章を導き出すために、根拠の無い理由付けで自我を強迫しているのです。
「プログラマーでなければ(スーパーヒーローの投影)」
他の文章は上記の答えを導くための正当化のためだけの言葉に過ぎないと言っても言い過ぎではありません。

>それともいろいろな認識によって強迫構造の自我がさらに不安定になっているのでしょうか?

ここまで話を深めていけているのですから、強迫構造の核心にそれだけ近づいている証明です。