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「掲示板での相談、閲覧・有料メールカウンセリング」の過程では、自我の防衛反応による混乱(興奮)が現れます。精神分析的アプローチによる「自我構造(こころ)の揺れ」です。その点に同意の上入室してください。



503 夫のママ依存症 かりん Mail address 2006/03/13 21:40
はじめまして、どちらで相談したらいいのかわからず、こちらに投稿させていただきます。夫の件なのですが、彼はとにかく自分にかかわる全ての事に(趣味、仕事の細部)「見て、聞いて、知って」という状態で、4歳児の子供のようです。思うに彼の幼児期、彼の母は忙しく又、年子の弟達に手がかかっていたため、彼に対して充分な愛情表現が出来なかったのではとも思います。構わないと直ぐにふくれ、2〜3日部屋に篭り、自分を好きなら知りたいと思うのが当たり前だ。自分を好きでないのなら別れようと話はすぐ、飛躍します。私がママになりきって彼の話も聞いてあげられればいいのですが。時々同レベルになり子供の喧嘩をしてしまいます。どうすれば、ママになりきれるのでしょう?
504 Re:夫のママ依存症 kage 2006/03/14 11:45
まず大事な事ですが

趣味や仕事細部について「かまってあげないと」
>自分を好きでないのなら別れようと話はすぐ、飛躍します。
この原因を
>彼の母は忙しく又、年子の弟達に手がかかっていたため、彼に対して充分な愛情表現が出来なかったのではとも思います。
と、推定されていますが、そこの判断に間違えがあります。
実際詳細がわからないので、推測になりますが上記の判断では「かまってあげないと・・・」にはならないのです。
かまってもらわないと、自分のイメージが不安(喪失とか拒絶されていると認知するため怒るんですから)になるのは「依存関係」があるからです。
>彼の母は忙しく又、年子の弟達に手がかかっていたため、彼に対して充分な愛情表現が出来なかったのではとも思います。
この部分は事実でしょうから、ここを前提に考えるなら
仕事や趣味などの目立った事をして、気をひかないとつまらない=母親にかまってもらえなければ面白くない=独立した自己が成立していなく(彼が個人として独立した大人ではない事は明白ですから)「母親に承認される子供」に快感(不安の解消)を感じている。
事になります、

これは、元々が自分のアイデェンティティーを母親に依存しているというコンプレックスが無いと(承認されないと不安である動機部分が)説明されない話で、彼は「十分な愛情を受けていなかった」のではなく、「母親の行動は、彼を満足させられなかった」と見るべきです。
その背景が「母親への依存関係」になります。

だとすると、彼のアイデェンティティーが他者(母親像の投影対象)に依存する傾向を助長する事は好ましく無い事になります。
>どうすれば、ママになりきれるのでしょう?
※「彼自信が自分のパーソナリティーが母親に依存している事を問題視しているなら」ですが、

つまり、属性として「ママになる」事は、彼の問題点を助長させます。
これを「依存関係」と呼ぶのですが、かりんさんがその依存関係をどのように考えるのか?が大事なのです。
これを延々と継続する事を由とする場合「彼がかわいい子供のようであること」が、かりんさん自身に好ましい事になりますから、そうなると二人の関係は「共依存」になってしまいます。
しかし文面から
>話はすぐ、飛躍します
かりんさんは、ごく一般的な夫婦関係の継続(飛躍することへの違和感)を考えているようですから、共依存とは考えられません。

ですから「ママになりきりたい」という相談の内容がどのような事を意図しているのか確認しなければならないのです。
505 Re:夫のママ依存症 かりん Mail address 2006/03/14 20:00
返答ありがとうございます。確かに彼の言動が母に関係するものなのかは、私の憶測にもなります。只、義母から聞く彼の幼少時の態度が同じなのでそう考えたのです。社会面においては、彼はかなり強い人間ですし、またかなりのプライドの持ち主です。依存するというよりは、依存されたいというタイプ。そしてとにかく注目されたいのです。
私たちの関係においても同じです。特に子供が生まれてからというもの、私も話を聞くのがうわの空になってしまい、機嫌を損ねることたびたびです。(父親としての自覚はあるようですが)育児書によくあるような第2子が生まれてからの第1子の態度によく似ているのです。つまり、ママになるということは、変に聞こえるかもしれませんが、夫婦関係が一番、平和に継続されるための道なのです
507 Re:夫のママ依存症 kage 2006/03/16 05:11
こういう事なのです

「不安感を拭い去るぐらい母親の気を引く」事でしか彼は安心出来ない依存関係になると考えるべきで、彼のプライドの高さは「気を引くための過剰な自己顕示」と考えるべきで、前回お話した以下の部分
>>仕事や趣味などの“目立った事”をして
がそれに当たります
簡単に言えば、独立したアイデェンティティーを持てない不安から母親の承認に依存し、それも絶賛でなければならないため、その自己顕示は「目立った活躍」でなければならず、これは当然(依存傾向からくる不安神経症的反動なので)素の状態の自発的意思ではありません。
つまり彼は相当無理をして(プライドが高いと思われるような活躍)目立っているので、これが(現在母親の投影対象である)かりんさんに「絶賛されないと」不公平に感じるのですよ。

「絶賛されるために(やりたくないことまで)こんなに頑張っているのに!」
>自分を好きでないのなら別れようと話はすぐ、飛躍します
彼の自意識の認知から考えるなら、「飛躍」ではありません、彼が激怒するのは妥当なのです。

前回お話した矛盾とはそういう意味なんです
>「ママになりきれるのでしょう?」
これは短期的には「活躍を絶賛する」事で彼の不安感を解消させますが、もっと(やりたくない事まで)頑張って気をひきたいと、依存傾向はエスカレートし、彼の構造的なストレス(アイデェンティティー不安)は、今より増す事になり、俯瞰で見るなら彼を苦しめているのと同じです。
(潜在的な仮面鬱傾向があるのと意味は同じです)

話は戻りますが「母親の子供への承認」とはどんなものでしょうか?
子供が「何をしたから」とかの交換条件(利益関係)無く、「あなたは私の子供でとても大事な存在ですよ」と認めてあげる事です。
@「まあ、勉強頑張ったわね、だから褒めてあげましょう」
これは最悪です、
子供は「褒められる事(自分で選択できないので、何をしたらいいのかすら不安)をしなければ認めてもらえない」と構造的な不安になり、自分の事などそっちのけで「褒められる事、目立つ事」を追い求める事を強いられ結果的に「僕はこれが好きだからやる」という自立の方向性を完全に見失います。これが依存関係からくる不安の構造です。

つまり“趣味や仕事について深く理解し”「○○○だったの素敵ね〜」と言えば言うほど、上記の不安を助長する例に近いことがわかります。

極端な表現でわかりやすく言えば
「君の絵は素晴らしいね、君らしい、君が描いたものだからね」
「君の絵は素晴らしいね、特に陰影の表現に芸術的情感が現れている」
上の例が認めているのは『書き手』
下の例か認めているのは『作品』です、
つまり、趣味や仕事の話等細かい部分い関心をもって構えば構うほど彼自身は認められない構造と同じなんです。

何故って簡単です
依存型の不安が生まれる背景が
@「まあ、勉強頑張ったわね、だから褒めてあげましょう」
だからです、
これはつまり、子供の存在を認めるための言動ではなく「私の子供として恥をかかせないでね」という、一義的に「単に母親が自分の利益に奉仕しなさい」と言っているのと同じだからで、アイデェンティティーが不安になるのはそんなネグレクトの結果です。

それこそ「妻は何も言わないが、視線でわかる。遠くから俺の存在を大事に思っているのが俺にはわかるんだよ」
こんな台詞は自分のする事に自信があるからで、そんな自信は「俺はこうする、そう自分で選んだから(それは疑う事無く認められるから)」という過程を踏むからです。
「構ってもらいたい」等という感情が入り込む余地などありません。

お子様がいらっしゃるとの事なので、大事な話になりますが
「彼のそんな振る舞い(特に激怒しそうな不安定さ)」をお子さんは見ています。子供は自我が未発達(無意識が無防備)ですから、大人の不安感等に非常に敏感です、父親が不安そうな振舞いを見せれば、子供の目にはそれは「恐怖」に映ります、
そして、彼に大しても「いいママである」のだとしたら、お子さんは彼に勝たなければ認められないという『コンプレックス』を持ってしまう可能性が非常に高くなります。
つまり、結果的に「大人になっても母親依存傾向がある」という部分が引き継がれる事になり、世代を越すと確率的にはその傾向は増大する可能性が高いのです。

ですから「夫にも子供に対してもママになりきる」という事は、短期的にはかりんさんの利益になるでしょうが、長期的には彼に対してもお子さんに呈しても適当な振舞いとは言えるでしょうか?
一般的な家族であれば「彼に対しては良き妻」で「お子さんに対しては良き母親」であるのが自然に思います。

彼の自立を促し、依存傾向的不安感からの解放につながる道を選ぶ(簡単な事ではありません)のがベストだと思います(本人の希望が大事ですが)、
何をすればいいのかといえば、構って欲しがる彼に
「何故?」と問いかけ続ける事です、
「何故そんなに頑張るの?(彼方が彼方でいるだけで私は満足なのよ)」
そして、折を見て彼の過去の話をする事です、彼が激高する可能性はあるのですが、彼の母親乃至父親の行動に問題があると感じたら迷う事無く「それはおかしいわね(=彼方は間違ってないのにね)」と声をかけ、「お母さんは(或いはお父さんは)どうしてそんなことしたのかしらね」と、
彼が「僕はこれでよかったんだ、もういんだ。そんな心配最初からする事なかったのかもしれない」と安心するまでです。

お子さんの立場もああります。
お子様から見るなら彼に「父親としての当事者意識に目覚めて欲しい」のでは無いですか?
かりんさんが「ママになる」事も一面に過ぎず、彼が「父親になる」事も同時に満たさない限り家庭は歪んだ形になってしまうのです。