![]()
| kage profile |
| 北海道出身、転勤家族だったので子供も同時に転校生活。深川・岩見沢・余市・岩見沢・釧路・岩見沢・札幌(学校がね)と転々、現在東京都に暮らして20年。1965年産まれ乙女座B型、ガン・マニア。音楽の趣味はJAZZ中心その他多数含む(店が無くなるまでJAZZ喫茶に18年通う)。今でも喫茶店通いは趣味の一つで、酒は飲めない体質。 映画好き、中学の頃は「封切り洋画を全部観る」ってのが決まりごとだった。好きな作家はサリンジャーとアンドリュー・ヴァクス(ハードボイルド探偵小説、お勧めは「ブルーベル」です)。 ま、ロクデナシには違いありません。日常生活では岩原って呼ばれてます(公式的にも名前は岩原なので)。歴史的経緯で第ニファミリーネームは『陰割』なんだけれど、この名前にはカウンセラーって意味があるらしく、精神分析や心理学の活動上ではそのkagewariで通している。 ■亜細亜大学(経済学部卒)在学中に岸田秀教授『唯幻論』を独学、卒論のテーマは労働経済学での心理学的根拠になっていた「マズロー心理学批判」。現在精神分析・不動産・不動産関連心理学のブログライター、メンタルへルス系NPO『HOW's』心理コンサルタント◆東京HOW'sカウンセリング責任者 中学在学中に「妙な感覚」を憶える。 俺は釧路から出戻りで岩見沢の中学に戻った、転校する時に「又会おうね」と言った小学生の頃の級友に再会するのだけれど、「校内暴力全盛期」という事もあって、人間関係の勢力図がまるで違っていた。俺が班長だった時の班員で気の小さい大人しい巨漢の彼は小さな下部組織のbQみたいになってて、悪で有名だった彼は勢力争いに負けたのかまるで下請け組織のリーダーで、気の優しい男になってた。 小学生の頃一番仲のよかった彼は「俺の知らない親分」の若頭みたいになってて、軽軽しく『転校生』の俺と話しが出来なかった(どこか悲しげにこっちを見つめて笑っていた)。 当然俺はからかわれるワケなんだけれど「転校生だから」って言ってくれるのは別の小学校から来た奴で、、「何が起こったのか」と思った。 ウチの中学の先生が又、日教組バリバリで、、いつ日か「わりと優等生に属してた筈」の俺は、右翼思想を持った危険人物と認定されて、先生にも何度も呼ばれるようになり「俺は違うって」と言っても、班の壁新聞(こういうの全部ひとりで俺が請け負ってたので)に『克己』と、皮肉交じりで書いた事実は覆る筈も無く、内申書は最悪で、結果高校はミッション系の男子校へ(補欠入学)。 「脱獄する赤ん坊(1歳で何度も家から逃亡)」だった俺は中学からおかしくなった。「普通にならなきゃ」って何故か思うようになる。『演技』で秋元奈緒美(JAZZ)やテイタム・オニールのファンのふりまでしていた始末で、、 同じとこに長いこと暮らすのは性に合わないので大学は東京へ、当時俺が「面白い」と思っていた地政学(ま、古典的に為政者はローマ時代から全く変わらないヘゲモニーを持ってるって、、世界征服陰謀の裏話みたいな学問です。)の倉前教授のいる亜細亜大学(補欠入学)、この大学は当時一部で有名なすべり止め校で「現役なの?」と言われた(友達はほとんど2浪)。大学生の頃からサングラス愛用、 この時にマジな症状が現れた「会食恐怖」学食で食べようとすると、呼吸困難と吐き気。苦笑いしながら冷や汗ものでなんとか食べたけど、それ以来昼飯は独りで喫茶店へ、カリキュラムの編成も昼休みをはさまない様に工夫した、、、 証券会社のバイトしてる時に親友「AKUTU」と出会う。妙に気の合う男、彼は酔って暴力沙汰を起こす過去を持っていた(個人に対してではなく、集団に、、、)。この男が「ものぐさ精神分析(岸田秀)」を教えてくれた、いったい今何処で何をしてるのかわからないけれど、俺の親友です。彼は2歳ほど年上だったけれど、誕生日が同じだった。 それがきっかけで心理学に没頭し、自己分析を開始「精神分析的見方」が、心理学的な事柄を説明するのに最も有効だと確信した。 今考えると俺はガキの頃から、かなーり変な奴で、小さい頃はデジャブがとても多くて、小学生5年で釧路に転向した時に「同じ奴がいる(社会適応すると、人物像がその役割になってて、同一人物か?と思うぐらいに『似てる』と感じた)」と、思ったりしてた、、漢字以外の国語と図画工作の得意な小学生。なんでか知らないけれど「教科書の朗読」が上手くて、「登場人物の感情をシュミレートする」事は、自分でも不思議なぐらい容易だった。(一時期シナリオライターになろうかって思ったのは、この辺の話が根拠) 自我で自分を操作するように生きてきたので、精神分析との出会いは衝撃で、感覚は「わかってたのに、わからなかった事が、ようやくわかった。やっぱりわかってたとうりだ、気がつかなかったけど」というワケのわからない理解に達する。以来ずっと考え続けて、、今。言葉はそれ自体が背理を持つものなので、類型的な(というか単なる分類)業界用語「リビドーや抑圧、前意識、エス」とかいうヤツは使わない。そもそも分類する事で「固有の構造」があるかのような誤解を招くので本来類型的な分析は間違っていると考えている。自我構造はは流動的なもので「その時の形」は単に相対的な特徴を持っているに過ぎない、そもそも自我の流動性を与件にしなければ症状の回復なるものを定義できない。自我の構造は川の流れに似て、その形は全て個体によって違うのであって、地理学上の分類用語(心理学では専門用語)を使う事は、技術者同士の会話や設計書だの企画書には便利なものだろうが、実際現場工事においては「類型化によるステレオタイプな対応」なんてものには意味が無い。 そもそも心理学用語なるものは、背景にしている共同幻想のリミッターに応じて(複数の学派がある理由)言葉自体が適当に造語されているものだから、記号としてみても対した意味を持たない。精々「もっともらしさ」や「いかにもインテリ」な反動(明解にわからないので「わかったフリ」って印象を威圧的に見せるための)でしかないだろう。 実際に用水路を引く農夫が、お役所の技官と話が通じないのと同じ。 そんなこんなで俺の心理学は完全なフロイド系じゃ無い。 基本は『唯幻論』なんだが、その中心は「動機形成のバランス」であって、何だろう「自我・言語論」かな、、「ダメ人間論(これダメって意味じゃないよ)」かも知れない。 |