Kagewari kagewari 精神分析相談事務所



kage profile


北海道出身、転勤家族(深川・岩見沢・余市・岩見沢・釧路・岩見沢・札幌(学校が)と転々とする。学生時代から東京暮らし。1965年生まれのB型、元ガン・マニア。廃店となるまで某JAZZ喫茶に18年通った過去があり、その関係で今でも喫茶店通いは趣味の一つ、酒の飲めないヘビースモーカー。
若い頃は映画ファンだった、心理学関係書籍含めて最近は書籍を読むって事も「最後に読んだのはいつだっただろうか」状態となっている。
ま、ロクデナシには違いありません。公式的にも名前は岩原ですが、第ニファミリーネームが『蔭割(かげわり)』だという歴史的経緯から、精神分析や心理学の活動ではペンネーム的にkagewariで通している。

■亜細亜大学(経済学部卒)在学中に岸田秀教授『唯幻論』を独学、ちなみに卒論のテーマは当時労働経済学の心理学的根拠となっていた「マズロー心理学批判」。精神分析・不動産のブログライター。メンタルへルス系NPO『HOW's』心理コンサルタント・カウンセリング責任者(現在当該NPOは事実上の閉鎖されここは過去形)。

後に心理学に至る発端は、以下の「妙な体験」から始まる。
転勤の流れの中で「出戻りで転向」が発生した。小学校時代に「又会おうね」などといって別れたと旧友に中学生として再会したのが、当時は「校内暴力全盛期」という事もあり人間関係の勢力図が驚天動地するほど変化しており、小学校の頃には気の小さい大人しい巨漢だった某彼はローカル不良グループ下部組織のbQみたいになっていたり、小学生時代の悪ガキ親分だった別の彼は(勢力争いに破れたのか)更に下請け組織の中間管理職に落ちぶれて気の優しい男になっていた。
小学生の頃一番仲のよかった某君は上部組織の若頭みたいになっており、軽軽しく話しをすることすら出来ない”お立場”になっていた(悲しげにこっちを見つめて笑っていた)。
当然(単なる新参者扱いとなり)転校生A的にからかわれるワケなんだけれど「転校生だからってなんとかだよ」的に庇ってくれるのは別の小学校から神学して来た全く知らない奴であり、、「何が起こったのか」と随分とまどうわけです。今思えば「タイムスリップに失敗して別の世界線へきてしまった」かのような話。
(当時はこの人間関係と個人の人格変容がどうして発生するのかさっぱりわからなかった。)

中学の教師社会が又、日教組バリバリで、、
なんだかんだ「”新参者”の優等生ポジションに落ち着いていた筈の僕」は、クラスの班に割り当てられた壁新聞に(実は全部独りで書いていた)に前述体験からかなりの皮肉屋となっていた僕は中二的なブラックジョークで『克己』とスローガン的なものを掲示したところ、
即座に副担任だかの体育教師がこれを破り捨て、俺は教師社会から右翼思想を持った危険人物と認定されてしまう。教師に呼び出された時には「君が不良グループ現象の張本人だとわかっているから」みたいに宣告されるワケなのだが、否定しても教師側は聞く耳もたずで(当時は笑い話ぐらいには思っていなかったが後に大変な事に)、
いよいよ高校進学って時に「公立校はどこも入学させないよ」って内容が内申書に記載されていたことを知る。
結果高校は私立のミッション系男子校へ”補欠入学”した。
「脱獄する赤ん坊(1歳から何度も家から脱走)」だった俺は中学から心理状態がおかしくなり始め「普通にならなきゃ」的な強迫観念に取り付かれていた。
人間失格のなんとかじゃないが思春期らしい芸能人のファンをわざとらしく演じてみたり、実のところどうすれば心理的違和感みたいなものが解決するのか途方に暮れていたのです。

長いこと同じ場所に暮らすのは性に合わないとかで大学は東京へ、
当時俺が「面白い」と思っていた(保守派となるのも何かの縁とばかりに)地政学の倉前教授のいる亜細亜大学へ”補欠入学”。心理的違和感の顛末で学生の頃から30代にかけてサングラスを愛用している。
その学生時代にマジな症状が現れる「会食恐怖」。
学食で食べようとすると、呼吸困難と吐き気。発症した時は苦笑いしながら冷や汗ものでなんとか食べたが、それ以降学食にはいかず独りで喫茶店が習慣となる。更にカリキュラムの編成も昼休みをはさまない様に工夫した、
(機会を忌避したものの会食恐怖はくすぶり続け、後に慢性的な神経性胃炎へ悪化する。)

証券会社のバイトしてる時に親友Aと出会う。妙に気の合う男で、彼は酔うと集団に対して暴力沙汰を起こす過去を持っていた(それかある意味彼の症状だったワケで)。この男が「ものぐさ精神分析(岸田秀)」を教えてくれた人物。いったい今何処で何をしてるのかわからないけれど、俺の親友です。
彼は2歳ほど年上だったが、誕生日が同じだった。
■ここから認識の大転換が始まる。
俺は心理学に没頭し自己分析を開始「精神分析的見方」が過去のあらゆる違和感や体験の背景事情を全て説明できるだけでなく、自分でやらかしていた強迫心理や会食恐怖に至る経緯を理解するツールとしての有用性を確信する。
(上記の心象は、心理的悩みの解決のたやたらと本を読んだり哲学関係を調べていたりもした試行錯誤時代に抱えていたあらゆる疑問が、心理学・精神分析によって「ドミノ倒しのように、雪崩を起こすように解決した」って事も大きい。)

今から考えると俺は(脱獄赤ん坊以外にも)ガキの頃から変なところがあり、小さい頃からデジャブがとても多くて、小学生5年で釧路に転向した時には「クラスに同じ奴がいる」と錯覚のような妙な感覚をもったこともあった。この現象を精神分析を知る前から「社会の中で人間は”その役割”に応じる人物象となり、同一人物かと思うぐらいに類型化されるのか」と、思っていたりした、、。
(幼児期から強い第三者性があったのは事実であり、保育園や幼稚園への通園経験は無く、)。
「漢字以外の国語と図画工作の得意な小学生」主だった人となりだったが、なんでなのか知らないが「教科書の朗読」が上手くて、「登場人物の感情を演技する事」が不思議なほど容易だった。
(一時期シナリオライターになろうかって思った根拠である。)

何気に中から自分を操作するように生きてきたので、精神分析との出会いは衝撃で、
「わかってたのに、わからなかった事が、ようやく”全部”わかった。やっぱりわかってたのか」というワケのわからない理解に達する。以来ずっと考え続けて、、現在に至る。

独学なので、俺の心理学は完全なフロイト系じゃ無いんだと思います(理論的には正統フロイト派のつもりだけど)。社会学に近い存在の『唯幻論』を基本に重視しているのは(批判じゃないがフロイト力動論には無理があると思っているので)「自我の経済学的分析」であり(動機形成のプロセス分析)」、「自我心理学・動機形成時の言語的論理分析」みたいな分類になるのかもしれない。
個人的には「(ネガティブではない意味での)ダメ人間論」と考えていたりする。
※「ダメ人間」なる単語を『単独者』の(『共同幻想』適応人格からの蔑称だからこそ)俗称として捉え、現代『単独者論』をベースにした『共同幻想論』を取り巻く世界全体を示唆する単語と勝手に想定しているもの。



 kage(ちょっとぼやけてるね)



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