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(2010/08/14)

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経済と暮らし「循環社会を考える」(2)

今回は「賃貸住居と経済循環」として話を進めてみます、
とにかく社会的コストで考えれば、短期解約が一番高コストになるので(それこそエコロジーに反する)、一見経済政策における景気浮揚と逆行するように思いますが必ずしもそうとは言えないのです。
理由は簡単で、一時的に住み替え等で需要が増加してもその需要そのものに循環性が無いし、引越しコストに関係する買い替え需要で消費されるより、日常生活の可処分所得の範囲から消費される経済の方が実体経済の方も(大家さん同様に)実需としての”内容”で上回ります。

ですから、賃貸住居で言えば「自分らしい部屋探しの選択性が担保されているか」が最も重要になります。
可処分所得の面だけでなく、心理的な満足感が高ければ地元で過ごす日常の価値が高い事になりますから地元商店街であったり、多用な消費も期待できます。
”暮らしのスパン”も確保されているので暮らしに関わる投資的ライフスタイルも拡大しますから=地元経済の安定化→この街は自分の暮す街なんですから、ぐるっと循環してそれは自分自身の生活防衛と一致するワケです。

ここがマスメディアの広告とか、それこそイケイケ営業店の営業トークとか、特に根拠も無く語られている風評だとか(それに合わせないと取り残されるのじゃないかのような心理的不安であったり)、
「果たして自分の都合で考えて→結論としてそれは自分らしい選択だ」が成立していないと、短期解約が続いてしまったり、自分が暮している街に対する地元意識に欠けてしまったり→そこに連続して自宅に帰る事がそれほど幸せに感じない事になってしまったり悪循環になるのです。
な状況は、日本経済にとっても悪循環なんですよ(笑

それこそ「趣味の世界に投資して」なんてな暮らしのスパンの成立には、腰を落ち着けてかからないとこれ始まらないのですし、安全保障的にもですよ「自宅」に対する満足度であるとか愛着であるとかそれが無いと安心して暮せません。
勘違いされやすい部分は、所得に関する部分もそうですが
『現状に対する不満』です、
ここがですね、多分に心理的要因であるケースも多いんです。
心理学的に言えばやっかいな論理矛盾があるんです、
「現状に対する不満が具体的で明解だと=その対処も具体的で解決の可能性が担保される」ものなんです。
ここ勘違いされやすいので、若干解説しますが、
『現状に対する不満』ですから解決の答えはその言葉の中にある『現状だから』という特定の時制に含まれています。
つまり、明日(未来)になればの部分に解決策が背理として担保されるんです。
この明日(未来)になればの内容は様々で「2年後までに昇給するだろう」「明日大掃除すれば」「来月あの製品を買えば」等々、その可能性は具体的なものになります。

そんな解決の内容が具体的じゃない場合?
『現状に対する不満では”無く”』→「それは構造的不満」です。

構造的不満で→しかもその不満の解決策が具体的に明示されない(これ解決の可能性として100%で無くてもいいんです、そのプロセスが明解であれば”その時解決する目算が外れても”希望全体が頓挫する事は無い→将来の希望は担保され続けるのでそれほど不満ストレスはハードに認知されない)。
この状況は、「構造的”不安”」と言い換えても間違いではなく、限りなくメンタルの問題(強迫意識や固定観念)に近い世界の話になってしまうのです。

ここを解決する方法として、それを外部に求めても、それは既に願望であったり、その想定時に具体的可能性が担保されていない時点で→「実は本人が一番それを”空想”であると知っている」事を証明してしまいます。

深層心理の”欲求”は具体性が無いばかりに制限が無く(自己に不安を抱えるあまり構造的に自己嫌悪的発想に陥っている人が”ブランド物で虚勢的武装”等を強迫的に選択してしまうと値段の上限を見失い、そのブランドに詳しい人も手を出さないものまで購入しなければならないと思い込む現象のようなもの)、これは『不満の循環』に繋がりかねないハイリスクになってしまいます。

ここをぐるーっと逆回りして考えると、
その結論はですね
「現状の選択肢を肯定的に見る視線は=今の自分自身を肯定的に見ている存在証明と等価」だって事なのです、
簡単に言えば「自分の部屋自慢を堂々とできる内容」これこそ部屋探しに”求めるもの”になりますから、その選択もやはり個性的な部分が(自分らしさ)反映されていて自然ですよね。
そして「ここは一般的カタログスペックには表現されない可能性も高い」んだと、
(設備や通勤時間や、利用路線等不満を残しても尚”ここが好きなんですよ”と誇れるって構造があってもおかしくない)

この辺のリスク回避は、内需型の経済にとっても歓迎すべき事で「社会的にも合理的」選択になるんです。
まーさにですね、個人の利益と社会的利益が一致する美しい瞬間でああると(笑

賃貸住居の選択の時には、なんていいましょうかね〜
「好き勝手に選んだぜ」のようなワイルドなアバウトさ
こういう感覚が残っている時、
それは同時に「循環型社会の選択」でもあるんだと思います。


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