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(2010/08/14)

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『女性差別史観におけるコマーシャリズム』(前編)

或いはマーケティング、

何処の業界でもそうでしょう、消費動向や販売促進を考える上でもっとも重要視させるのが『女性の動向』です。特に「女性シングル30代を制するものは世界を制す」みたいな話も耳にするところです。
ここは防犯性の論議をする場合にも出てくる話で、「いかにも女性シングルが多そうな築浅オートロック」が最も狙われやすいのも同じで「可処分所得が多い」事がその背景にあるのは言うまでもありません。
男性の場合には、むしろレジャーや飲食という世界になるので(物販の場合にも購入先が決まっていたり)、物販からスクール関係から同世代の主婦世代への影響力(その友人であり知識層としてアドバイスする側にある場合も多い)そしてその女性の嗜好に特に敏感な男性への間接的な影響力、とかくこの国の消費動向を探る上で最も重要な階層とも言えるでしょう。
電車の広告にも「主婦の立場でアドバイス」なーんてコンサル系の法人を目にする事もあります。確かに、個々人の満足度を考える時の代表として目利きの人物の分散度が最も多い「女性シングル30代の目に適うものを」を目標にするのは大いにアリですが、
広告やメディアにおける現実には疑問を感じる事も少なくありません。

事不動産の世界ではどうでしょう。
以前取り上げた”家幻想”の時にもここに若干触れましたが、
「こうでなくちゃいけない設問型」のニーズがあるのは確かで、心理学的に考えるならそこには明らかな強迫性が介在します。

昭和のように性差のはっきりした時代であれば、男性は出世を含む社会的成功に強迫性がかかり、女性は幸せな結婚に対して強迫性がかかった。その後男性の強迫性は大きく二分化して、一部の突出する反動形成を原型とする過剰な成功欲求(ベンチャー系の中に例外的に散見される途方も無い成功欲求)と、多数派を形成しつつあるスローワーク的な自分らしい暮らしを追求する方向への構造に大きくシフトしたと言えるでしょう(新卒社員の利離職率にもここが関わっている)。
この現象が団塊世代(出世強迫真っ盛り世代)には「勝ち組み負け組み」的分化に見え、可処分所得的のリアルな統計DATA以上の強い印象で「勝ち組み負け組み」論争の空回りに至っているのもご存知のとおりです。
男性の場合「大企業に勤務して高所得である」だけでは何らタイトルにもならなくなった。むしろ自分で選んだ仕事を”生業(なりわい)にしているか”的な暮らし全体のパフォーマンスで人生を考える層が拡大しているところです。

比べて、女性はつい最近まで社会的にも差別的な地域を強いられてきましたから(雇用期間均等法なんて最近の話ですよ)、強迫的な世界からのテイクオフも男性以上に高いハードルであるのが文化人類学的にも事実です。
「女性は4大に進学するのはナンセンス、有利に一般職で優良企業の採用を考えるなら有名短大の方が現実的」であったのもそう遠くない昔(昭和)の話です。
この文化的なビヘイビアの背景が「結婚して寿退社」→「女性は結婚して子供を産めばいい」的な差別意識でもあり、働きながら結婚出産を考えるのが常識になったのは最近の話です。
しかし、今でも「結婚願望」のような強迫性が「差別的概念である」との社会的認知が十分浸透しているとは言えないでしょう。


現実「結婚しようがしまいが私の勝手」であり、「働きながら結婚しようが結婚しまいが私の勝手」であり、「子供を産むのか産まないのかも各夫婦の勝手」なのであって、こういう話はそもそも”プライヴァシー”として保護されなくちゃいけない事です。
しかしTV番組や、芸能人の記者会見でも公明正大に「何歳までに結婚したいですか」等と見識を疑うような露骨な質問(これは明快なセクシャルハラスメントでしょう)が、至極当たり前であるかのように飛び交ってます。

現代社会においてもその「社会の側が未だに女性差別史観から完全に離脱していない」。

そもそも中世等においては、男性はキチッとした保守的テーラードで衣服を揃え、社交界の延長で「女性はヒラヒラした綺麗なドレスを喜ぶもんだ(元祖ファッションショー)」な世界観からファッション界があった時期もあり、そこに登場したのが「シャネルスーツ」です。当時は「女性がスーツを着るなんてあり得ない」な常識の中、現代社会を見ればわかるとおりシャネルは大成功を収め、そこに歩調を合わせるように”女性キャリア”の社会進出も拡大しました。
ある意味あのシャネルのトレードマークは「やるんかこの野郎」な意思表明でもある、

見ようによっては封建社会であれば、社会は伝統や文化という正当性の元に公平に秩序というものを意識せざるを得ないのであって、それが社会的均衡との合理性を保つため、心理学的には強迫性があるとは言えないのです(その「〜でなければならない」に各個人が自己責任で恭順しているため)。しかし文明化→民主主義時代へ舵を切った瞬間から「伝統保守思想」ですら開明的な思想を取り込むのが必然となり、現代社会における保守政党の在り方が「保守思想を美意識とする(決して強制しない)」である事もそれを現している。

21世紀にもなって「結婚願望」等が残存し、それをあてこんだメディアだの広告が流通している事自体一種の”恥”でしょう。民度が知れる話です、
しかし、ビジネスにおける短期的な利益を考えれば「強迫構造を利用」するのが一番簡単な方法であるのも又事実。
不安を煽ったり、その商品が無い事を殊更不幸な事のように宣伝する事に成功すれば、爆発的に商品は売れます。「三種の神器」や「白物家電」「団地から一戸建て」「いつかはハワイ」なる経済的誘導の方法論にこの強迫性の利用は様々な形で関わってきました。
(政治の世界では「共産主義の恐怖」東西冷戦です)

デフレの時代ってのは、「ちょっと待てよ」と各個人が気がつき始めた時代の始まりを意味していますから『社会心理的強迫的商法』はもう止めようって話にならくちゃいけません。

次回はそんな『社会心理的強迫的商法』的な広告性を背景にした「不動産における具体例」について考えてみたいと思います。


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