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(2010/08/14)

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『家幻想』

心理学のサイト運営管理者となってかれこれ6年目
ある意味よく続いていると思う(笑
公開掲示板のログ総数も(削除したエロSPAMを除けば)700近い件数にもなり(ほとんど管理人との間の一問一答形式なので自分の書いたレスだけで350件か)、その辺の臨床心理関係の研修で扱うサンプルのうん十倍になるのだろうけれども、長い事やればやるほど『家幻想』って奴がやっかいなものであるって意識は確信に近くなりつつある。

その『家幻想』も、性差にもよるから随分と幅がある論議だと思うんだけれども、
特に共同幻想への帰順をIDとする”一般社会人”なる属性カテゴリーにおいてその残存率は高くて、本来確信犯的独立志向であるべき様相がその反動として人格の強迫傾向に転じた場合もその構造のサンプルは『ステレオタイプな常識論からの引用』でしかないので、この場合も”やたらとベタな共同幻想的思考”となる。
なので、随分とここの共同幻想的在り方(本来先進国の場合、共同幻想はその発展に応じて徐々に解体される→ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへの移行)に、家という概念は偏向して妙な観念になっているところがある。
http://kagewari.seesaa.net/article/44728340.html


その偏向を『家幻想』と呼ぶのだとしたら、そこに部屋探しってもののくくりはどんな方向で関わっているのだろうか。
個性的な部屋探し的キャラで通っているretourなんかの場合、問い合わせのお客さんの職業比率ってその半数近くが「専門職系・独立系(外資含む)・フリーランス・独立事業主・ベンチャーIT系・広告メディア関係」で、所謂一般社会人の問い合わせは半数あるか無いかぐらいの頻度になる。
ここで職業的分類でザックリと人格傾向を論じるのは乱暴なのだけれど、わかりやすくする意味で「こんな傾向ありますね」ぐらい踏み込んでみると、
問い合わせの大半は「築年数無制限の都心部」ってところだと思う。
希望条件で言えば、それこそ6万〜50万ってやたらと幅の広いゾーン(事業物件もあるから)にどこに集中する事も無く分散している。所謂インディ系な人たちの生活が、縁や運に応じて分散しているからで(実際仕事が面白いとかって事の方が意義があったりするジャンルだし)、特にマーケティング的な意味でターゲットとなる価格帯なんてものは存在しない。
ある意味、その希望内容も総体として自由気ままなのであって、通常は何か気にかかる偏向(『家幻想』)を感じる事も無い。

だけれども、「紹介で」とか「評判を聞いて」等の一見の問い合わせになると途端にその様相は変化する(retourとは違う”おおよそ一般的な不動産屋の窓口”における現象も同じなんだろうと思う)。
業者的に説明すると「ほんと微妙なところ」なんだけれど、心理学的に考えるとそうとは言えない深刻さを感じなくもない。
インディ系な人たちの問い合わせって
「こういった感じのところに○万円ぐらいで暮らしたい」的で、
一見さんって
「○万円で○○で○○を備えた部屋がありますか?」的な”設問”が増えてくる。
微妙なところなだけれど、ここに大きな違いがある。
前者は現実世界の中にある一定の”想定”があって(”感じのところ”の”感じ”を現実のイメージから拾っている)、
後者の場合「巷間伝わる住居のスペックの中で○○と○○を備えた○万円の部屋が”存在するでしょうか?”」になっている、
極論後者の設問には”現実には存在しないかも知れないけど”が前提になっている。
「あるか無いのか知りたい」って部分が露骨な問い合わせもあって、
そこがエスカレートすると、不動産って業界が「仲介」のシステムを使って基本的に全ての空室を調べられるってシステムまで無視して「その部屋をお持ち(自社管理物件として)かどうかだけ答えなさい。無いなら無いと言いなさい」的なケースもある。
こうなると首を傾げて苦笑するしか無いんだけれど(ウチって前者的な問い合わせに対して「それをどう実現するのか、そのオルタナ含めて探しましょう」が営業上の基本的スタンスなので、通常専従調査も無しに”無い”とは言わない)、ここに『家幻想』が関わっているのじゃないだろうか。

件の”設問”から振り返ってみよう。
世の中には市場や相場って経済原則がある。そんなバックグラウンドから独立したところにユニーク(唯一)としてのキャラクターが並存していて、物件の魅力や相性はむしろその後者の部分に属していて、どれほど世の中には固有のキャラを持つ部屋があるだろうって部分こそ未知数で、個性的な部屋をretourのブログで紹介し続けている背景はそんな事情によっている。
「こんなユニーク(唯一)なお部屋もあるんですよ」みたいな、
中には意外性のある組み合わせもあるので、そんな世界の中から”自分なりの求めるキャラ”みたいなものを発見してくれたらって部分が大きい。だもんだからretourのブログではやたらといろんなお部屋の特集記事を書いているんだけれども、イメージしていっるのは”東京賃貸巡り”な雰囲気。
だとするならば、予め極端にイメージが具合的で「○○で○○を備えた部屋」が明快な時そこには意外性やキャラクターに求めるイメージがほとんど無くて、特有のスペックを指定している事になるんだけれど、その特有のスペックの指定って所謂インターネットの不動産DATAベース(ま、ほとんど使えないんだけれど)の”検索項目のリスト”に等しい。=その相場って比較的容易に調べられる→相場の問い合わせの話になっている→ってことは本来「これこれの内容の基本的な相場ってお幾らでしょう?」となるのが自然な流れになる。
ところが指値で「それを○万円で(自社物件として)お持ちですか?」となると、、
それが「○万円であると思う根拠」がどこにも担保されていない(最初に「幾らぐらいでしょうか?」であればその問いが担保になる)ので、=「○○で○○を備えた部屋じゃなければ”私の部屋とは言えない”」な世界が深層心理にある事になる。
それもどちらかというと希望している雰囲気ではなく、”じゃなければいけない”度が高い。

『じゃなければならない』と『こうだったら幸せ』は似ているようで大きく違う。
前者は”強迫的”であり、後者には”希望”があるからだ。
”希望”が現実になる時『それは実現した』って意味になるんで、
『じゃなければならない』には”希望”が無い、、コンセプトが存在していない。
そこにあるのは自分の現実でなければならない『枠(や枷)』のような現実”的”なイメージに支配されているようで、この『枠(や枷)』には交渉の余地が無いのだと思う。「こうだったらこういった工夫をして」とかの自意識の関与許さないような”絶対十分条件”のようなイメージが後方にあると言えばいいだろうか。

ぐぐーっとその後方に連なるのは「○○才なんだから堅気の勤めがなくちゃいけない」「○○才なだから結婚していなくちゃいけない」「○○才にもなれば子供のひとりぐらいいるのは普通だ」「○○才なら年収は○○ぐらいなくちゃいけない」「○○の年収だが、家賃は○○ぐらいじゃなければいけない」「社会適応の成果として、暮らす部屋は○○があって○○でなければいけない」・・・→・・・→「いい子でなくちゃいけない」
これを俯瞰で見た時に自分が社会適応と同じように帰属すべき『家』のイメージが固着していて、そこに具体性は本来無いのでやむを得なく「風評やイメージからそれを具現化していそうなスペックにこれを投影している」な感じがしてならない。
なんと言えばいいか「やたらとTPOを気にして、誘われたパーティーを断わる人」みたいな窮屈さに近いような同じような、

どことなしか楽しそうじゃないっていうか、

引越しって面白かったり楽しかったりするのが醍醐味なんだと思うんだけれど、”設問”の人って現実にどことなしに不機嫌そうだったりする。
まさか東京に暮らすシングルな人が、やれベンチャーやれ独立事業主と「次から次へと辞表を書くべきだ」なんてナンセンスな事があっちゃいけないだろうから(あったらさぞかし面白いと思うけれど、、)そういう外面の話じゃなくって、どこの世界にだって”インディ系”ってスタンスはあり得るんだと思う。
わりかし大企業でオンストレートな人生を生きているのだとしても、”自由”はあるのだし、事自分の部屋ともなればそれこそプライベートな場所なのだから自由気ままに選択する世界であってどこも不思議はない。
「住居は破天荒な一風変わったお部屋だ」とか、「ド都心部だけれど、古築アパート暮らしで下手な郊外より賃料安い」とか「二人の収入合わせれば結構な額になるけれど、まー無理に分譲買う事ないでしょう」とか「摩訶不思議なセカンドルームを借りてしまおうか」「学生時代から暮らしているこのアパートから意地でも引越ししない」とか、そこには様々な自由がある筈で個人的主観でどんどん気ままに選んでいくって心意気こそ”インディ系”ってもので(笑
そこには”賭け”な要素があって初めて現実になる世界もあるのじゃないかと思う。
http://kagewari.seesaa.net/article/45624219.html

なんだか大上段に構えた話になっちゃっているけれど、
そんな『家幻想』に対するアンチテーゼが東京における晩婚化なんじゃないかと、
であるならば、部屋探しってカテゴリーにもそんな自由な気質(東京気質とでもいうような)が、なんて言いましょうか「さわやかな風のように」流れるのが文化ってものじゃないだろうかと、
そんな”風”に思います。
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