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ニュースカイビルディング(第3スカイビル)『軍艦マンション』前編

流浪の建築巡り”Teorema”ですが、今回は新宿から『軍艦マンション』を紹介します。正式にはニュースカイビルディング以前は第3スカイビルが正式名称のこのビルはその外観と帝国海軍出身の建築家渡辺洋治による代表作であるところから『軍艦マンショション』として呼ばれ、専らこの呼称の方が今は有名です。

数年前までは学生限定(外国籍可)として入居者募集の張り紙があったとの話もありますが(渡辺洋治が早稲田の建築学科で講師をしていた事もあって早稲田の学生さんが多かったと聞きます)、現在のところ空室があっても新規の募集は行われていないようです。
売却や、立替などいろんな噂もあるようですが、少なくとも現在国土交通省の業者サイトで空室募集のDATAを見つける事はできません。
ここには、この軍艦マンションの建つ新宿区大久保って街の変遷も関わっているようです。そんな意味でもちょっと遠回りなんですが、新大久保の駅から現地に向かう事にします。


新宿まで徒歩圏の新大久保はご存知のとおり、その賑わいが新宿のそれとは違います。人によってはこの街が苦手な人も多いでしょう。ハードな街には違いありませんが、ここも又新宿の一面であり西新宿や南新宿、そして御苑方向の開発とは別世界な街がここに広がります、

大久保から新大久保までは、ホテル街が広がる以外は静かなもので、大久保ならではのインパクトというより「昔の大久保を偲ばせる」な街が残っています。

案外知られてしませんが、実は楽器の街という一面もあり「歩行者も日本人方がマイノリティーじゃないか」的な雰囲気はこの辺ではそう強く感じる事はありません。

山手線のガードをくぐって明治通り方向に進みます

確かにホテル街はまだまだ続きますが、街は静かでとても平穏です。

区立西大久保公園”内”には「何故か交番が」
この大久保って街は、街娼(石原知事登場以前にはコロンビアからの街娼でも有名でした)と不法入国の取り締まりでも有名な街ですが、平和ばかりではないこの街の特異性をここでも微妙に感じるのでした。

散歩中の彼も、警備中〜

ここから又別世界となります。
職安通りのドンキホーテを中心に、最近ではすっかり有名にもなったコリアンタウンとして知られる街へ

ここは韓国食材を求める日本人だけでなく、一種独立した街でもあるかのように無国籍な風が流れていて、それと知らずにここに来る人はちょっと驚くでしょうね。現実昔から営業していた店舗が閉店し、暫くたって来てみると韓国系のお店になっている事も珍しくありません。



しかしここには小学校もあれば保育園もありますし、この街が新宿である事も間違い無いのです。

そんな職安通りを新宿7丁目交差点方向に少し歩くと、そのビルがあります。

すっかり両サイドを新しいマンションやビルに挟まれてしまってその全貌を見る事ができなくて残念なんですが(この環境が正に「ニュースカイビルディング」の今なのかもしれません)、その強烈な個性がその狭間に姿をあらわします。

少し引いて見る方が造形も掴みやすいようで、

中銀カプセルと同様にメタボリズムの思想をその構造に感じる事ができます。
この建築も各室を1個のセルとして耐候性3.2mm耐鋼板で覆われた外装の独特なデザインは異彩を放っています。渡辺洋治氏は、コルビュジェ三人の弟子「板倉準三、前川國男、吉阪隆正」の吉阪隆正氏の流れに在る人で、言うなら先日retourでレポートした「渋谷ビラ・モデルナ」とも関連ある話で、現在置かれた両者の在り方の違いにも軍艦マンションの数奇な運命のようなものを感じるのです。

軍艦の艦橋部を思わせる上部構造は、給水塔を横倒し吊り下げ形式としたものでその造形はみごとなものです。

各セルに段差がついているのも、コンセプトは日差しを受ける木の葉がベースとなっていて、両方向から高層建築に挟まれる前は日照やプライバシーを重視した前衛的デザインだったのです。

この軍艦マンションが大久保の街に埋もれていくように、この街の発展が渡辺洋治氏が意図していたものなのか、それは定かではないのですが以前はこの新宿近郊のこの街は高級住宅街であった時代があり、そんな将来像であったならこのマンションの運命にも「別の形があったのではないか」とも思います。

こんな旧跡のプレートなんかを見ると、新宿が文化の中心としてちゅうおうせん的在り方で在った可能性は当時はより高かったのだとも思うんですよね。歌舞伎町がJAZZの街になったかも知れない可能性とともに。
そして今、大久保の街に埋もれていくなかで、厳しい指導で鬼軍曹とまで呼ばれた故渡辺洋治氏は何も思うのでしょうね。

最寄駅の大江戸線東新宿はすぐそこで、ここから新宿繁華街伊勢丹方向まで10分もありません。
次回は新宿の再開発も含んだ軍艦マンション別角度からのレポートとなります。

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